哲学・心理学

心の苦痛を軽くする方法

心に苦しみを抱えて毎日を送る人々へ、その苦痛から解放される方法を考察してお送りいたします。

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関わりのない心配事

2013/06/24

・関わりのない心配事

自分に関係の無い、責任の無い不安や恐れに操られて
自分らしい生活が出来なかったり、生きることに
不自由さを持つ。
それが精神疾患の大きな要素の一つ
ではないだろうか。

誰かにあることで怒られた…恨みをかっているのだろうか?…

ある人が不機嫌だった…何か気に障ることをしたか?…

誰かに注意された…気に食わないのだろうか?…

上司などに叱責された…能力がないと思っているのだろうか?…

断られた…好かれていないからか?…

拒否された…仲間外れにしようとしているのか?…など、
一つの出来事が別の意味を持ってしまう。
それはある心の習慣が原因を作っている。

他人を操ることで、自分の願望を果たそうとする
タイプの人間がいる。
そんなタイプの人間は、操作というものを本能的に
身につけている。
そんなタイプの人間に関わってしまうと、
人から操られることが習慣化する。
そして逆に自分自身が人を操ることを知らず知らず
習慣化してしまうことがある。

人を操ることは現実を操作しようと試みること。
また人から操られることは、
現実をありのまま受け止めることに障害をもつこと
につながる。

現実というものは、大抵思い通りにならない。
人と関われば何かしら起こる。
全て上手く行くことはあり得ない。

怒る人もいる。不機嫌な人もいる。注意されることもある。
過失や間違いを責められることもある。
頼みや誘いを断られることもある。
拒否にあう機会もある。
しかし、本来それはある事実でしかない。
それはそれ。それ以外に意味はない。
現実を操作するということを〈習慣化してない〉人は、
例えば頼みを〈断られる〉ことで、
相手に不信感を持ったり自尊心に傷が入ることはない。
周りに不機嫌な人がいても、
自分に非があるような思いにかられることはないだろう。

〈操られてきた人〉は無意識に、
人の言葉や態度の裏に〈他意〉を読み取ろうとする。

何気無い言葉になぜか深く傷つくことがある。
それは誰かから作為的に操られた記憶がよみがえり、
知らず知らず、実際には無い〈意味〉を不憫にも
そこに読み取ってしまう為ではないだろうか。

操作によるコミュニケーションはこの他にも多様な
精神の後遺症とよべるような主訴を引き起こす。

そしてそれが精神疾患の典型的な主訴になっている
と考える。

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創刊日:2012-01-22  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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