哲学・心理学

心の苦痛を軽くする方法

心に苦しみを抱えて毎日を送る人々へ、その苦痛から解放される方法を考察してお送りいたします。

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視線恐怖症は仕掛けられる

2013/05/29

・視線恐怖症は仕掛けられる


視線恐怖には大変厄介な症状と苦痛が伴う。
人を察知した時点から始まり人がいなくなるまで
その苦悩が延々と続く。


人に視線を向けると罪悪感に苛まれる、
かと言って視線をそらしても今度は人から視線を送られているような
思いがわき出てくる。
そのわずらわしさは、
沼に落ち込み、そのぬかるんだ地面に
足を取られもがき苦しむような、そんな感じがする。


人間は社会に所属する時に他人と接触しなければならない。
そこでは人を見て生活をする。
興味を持とうが興味がなかろうが人に視線をくばる。
必要であろうがなかろうが人に視線を向け相手が
誰であるかを確認しなければ済まない。
人間関係の中でそっぽを向いて生活はままならない。
そんな中で、
他人に視線を向ける度に、または他人から視線を感じる度に
一つ一つ影響され、動揺したり傷ついたり、振り回されていたら
社会での自由で快活な活動は期待できない。
しかし、視線恐怖症を持つ人、社会不安をもつ人は
そのような精神的困難に吸い寄せられ、
そして囚われて身動きもままならなくなる。
人と接することは
沼地を歩くように辛いものになる。


なぜ、不要のものに関わらないと済まなくなったり
関心が無いものに囚われたり、利害関係のないものに
遠慮したり気が引けるのか。


酷く不本意で理不尽なものに操られているのかもしれない。
そこには自分では気付くのが酷く困難な心理が潜んでいるようだ。
そんな心理状態に、
知らず知らずに追い込まれて、抜け出せなくなっている。
当の本人は追い込まれたことも抜け出せなくなったことも
気づいていない。
そんな巧妙な心の仕掛けがあるのかも知れない。


見ることを見るだけで済まなくする何処かからの目…。
何気無い言葉を、その言葉の端々まで見逃さない目…。
意味の無いチョットした表情や態度にジッと注意を注ぐ目…。


そんな、あるところからの目が気を抜く暇を
無くすまでに自意識を過剰に仕向ける。


空きあれば相手を操る口実を探っている。
そんなどこかからの目に怯えている。
しかし長い習慣から、そしてあまりに身近なところで
行われるのでその存在を意識し辛い。


知らず知らずに根付くから本人は
苦しみの正体に気付くことができない。
視線恐怖やその他の精神疾患にはそんな
巧妙な仕掛けが潜んでいるように思う。


次回はその巧妙な仕掛けについて、
「罪の意識と人を操る仕掛け」を書く予定です。

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創刊日:2012-01-22  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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