歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第229回 1759年10月(1)

2013/09/23

こんばんは。発行人です。

しばらくお届けできず、申し訳ありませんでした。

1759年の10月1〜10日です。


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【Bohemia-Lusatia-Silesia戦線の動き】
 10月2日、Frederick IIはGlogauへ進んだ。
 Saltykov軍はGlogau北のKuttlauまで進軍。
 さらに、Oder川の右岸からGlogauへ向かいつつあった。

 10月4日、Saltykovはさらに南下し、
 Breslauまで進軍する事を検討し始めていた。
 Frederick IIはいまだに東に去ろうとしない
 ロシア軍を牽制する為にSchmettauを派遣して、
 Oder川の左岸からロシア軍の宿営地を砲撃させた。

 10月7日、ロシア軍がBreslauへ向かいつつある事を
 察知したFrederick IIはGlogau南西にあるKobenに
 Oder渡河の為の橋をかけさせた。
 この動きを知ったSaltykovは
 Breslauへ向かうのを断念したもよう。

 10月8日、Frederick IIはOder川を渡り、
 Sophienthalまで進んだ。

 10月10日、Frederick IIはSophienthalで
 痛風が悪化し、動けなくなったもよう。

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/355233083.html
    ■Bohemia-Lusatia-Silesiaの10月
    

【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の動き】
 10月1日、HenryはDaunがDresden周辺での動きを
 活発化させ始めているという知らせを受けて、
 Finck軍の救援にOzttritz(5bns,2sqls)を送った。
 Ozttritz軍はTorgauでElbe川を渡った。

 AustriaのHadik軍とBrentano軍はTannenberg
 に到着した。

 10月2日朝、Daun軍はMeissen近くのFinck軍の
 攻撃を始めたが、Finck軍は既に夜のうちに退却していた。
 Finck軍はStrehlaまで移動した。
 Henry軍はTorgauの前面に展開し、前衛は既にBelgernまで達していた。
 HenryはFinck軍との合流を意図していると見られる。

 10月3日、Daun軍はMeissen北西のLommatzschまで
 進軍した。AustriaのBrentanoはStrehlaのFinck軍に
 圧迫をかけ始めた。
 Henry自身はTorgauでElbe川を渡り、
 Belgern付近まで進んだ。

 10月4日、Henry軍はStrehlaに到着し、Finck軍と合流した。
 合流したPrussia軍は53歩兵大隊(16擲弾兵)、103騎兵大隊
 となっていた。
 Buelow軍はLeipzigとの連携を維持する為に
 Eilenburgに駐屯していた。

 DaunはHenry軍を上回る軍を保持していたが、
 Henry軍を直接攻撃する事はあきらめ、
 Saxonyから無難に退却させる方法に転換したもよう。
 まずはPrussia軍の武器弾薬が集まっているTorgau
 に狙いをつけた。

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/355233083.html
    ■Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の10月


【ドイツ北部戦線の動き】
 10月上旬、いまだにSweden海軍はStettin潟を
 占拠していた。
 Fersen軍はPasewalkに進軍し、
 Lantingshausen軍と合流した。

 PrussiaのHorn指揮下のStettinの駐屯軍からは
 Lantingshausen軍への攻撃があったが、
 うまくいかなかったもよう。

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/358210780.html
    ■北部戦線の10月


【ドイツ西部戦線の動き】
 10月3日、H連合軍のImhoffはMuensterに進軍した。
 一方でd'Armentieres軍はNottulnに撤退していた。

 10月4日、Imhoff軍はMuensterを包囲した。
 また、Imhoff軍はさらなる援軍を受けた。

 10月5日、d'Armentieres軍はDorstenまで移動した。
 Rhine川周辺を目指していると見られる。
 Muensterのフランス軍は包囲を進めつつある
 H連合軍に対して攻撃を行った。

 10月6日、H連合軍はHombergへの攻撃を始めた。
 
 10月9日、Imhoff軍はフランス軍のMuenster救援を
 妨害する為にDuelmenまで進軍した。
 d'Armentieres軍はBochumまで到達。

 10月10日、FerdinandはImhoff軍を強化する為に
 6歩兵連隊と2騎兵連隊を送った。

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/356007972.html
    ■西部戦線の10月


 <言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------南部戦線--------
 KAN:Prussia軍があまりやる気のないロシア軍を
   Poland方面へ追いやろうとしています。
   Battle of Kunersdorf後の状況から考えると
   この状況までよく持ってきたな、という感じですね。
 KRE:Daun軍本隊が北上し切れなかったのが大きいかな。
 KAN:Henryの活躍が1つの要素ではあります。
   Austriaの補給路を脅かしつつDaun軍を抑え、
   Saxonyの支配も奪回していく事ができたのは
   Henryの貢献がかなりあります。
 KRE:DresdenはAustriaに持っていかれてしまったが、
   まだ奪回できるかもしれないしな。
 KAN:Henry自身はあまり無理して
   Dresden奪回への攻勢をかける必要はない
   と考えているようです。
 KRE:場合によっては、Austriaが冬になったら勝手に
   退却していく可能性もある。
 KAN:ある程度Dresdenの北から圧迫をかけて、
   後方である南側や南東側の補給路を脅かせば、
   それほど守りやすいわけではないDresden
   での冬営をあきらめて南へ退却するというシナリオ
   もそうおかしなものではないですね。
   楽観的ではありますが。
 KRE:Frederick IIが痛風で動けなくなった今、
   Henryの役割はますます重要になってくる。


<編集後記>
 一時的にはBreslauへの侵攻の動きを見せたロシア軍
 ですが、それ以上目立った動きはないようです。


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▲▼おわりに▲▼
最近、ファミリー●ートの180円のコーヒーを飲みます。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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