歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

全て表示する >

第228回 1759年9月(3)

2013/05/16

こんにちは。発行人です。

1759年の9月21〜30日です。


------------------------------------------------
【Bohemia-Lusatia-Silesia戦線の動き】
 9月21日、Frederick IIは軍勢を率いてSaganへ移動した。
 Frederick IIはHenry軍との合流を意図しているとみられる。
 
 同日、Frederick II軍がGlogauの救出に向かっていると
 知ったDaunはHenry軍をUpper Lusatiaから撤退させる為に
 O'Donell軍をReichenbachに送った。
 
 Saltykov軍はChristianstadtに到着した。
 AustriaからのCampitelli率いる約1万の援軍と合流。
 
 一方でLoudon軍はSaganの北東に位置するFreystadt
 に駐屯していた。
 
 9月23日、O'Donell軍とReichenbachで合流しようとしていた
 DaunはZieten軍を攻撃しようとしたが、
 Henryがこれに対応したので、
 Daunは攻撃をあきらめた。
 また、HenryはFrederick IIへ援軍を送った。
 
 同日、Saltykov軍は2日前までLoudon軍がいたFreystadtに到着。
 Loudon軍はNeustaedtelの近くに宿営。
 
 Frederick II軍はSaganからSuckauへ移動した。
 
 9月24日、Saltykov軍は補給基地のあるKarolathへ向かい、
 東に移動しつつあった。
 Loudon軍はKarolath南のBeuthenまで移動しつつあった。
 Frederick II軍はBeuthen南東のZobelwitz、Baune 、Milkau
 周辺に展開。Beuthen方面からGlogau方面の侵入を防ぐ動きを見せた。
 両軍は武装したまま夜を明かした。
 
 9月25日、Henry軍はHoyerswerdaに軍を送り、
 Dresden陥落以来そこにいたWehla率いる約3500を
 撃退した。Wehlaが捕虜となる。
 
 同日、DaunはHenry軍の動きを監視する為に
 Goerlitzへ進軍。
 Hoyerswerdaへの動きを知ったDaunはすぐに
 Dresdenを守る為にBautzenへ向かった。
 
 9月27日、HenryはMeissenでFinck軍がHadik軍に攻撃されつつある
 事を知り、Buelow(4bns)を援軍に送った。
 さらに、Henry自身の軍も救援の準備をし始めた。
 
 同日、Frederick IIはFouquetからの援軍(3bns、3sqns)
 を受けた。
 
 9月28日、Henry軍からの援軍も受けたFrederick II軍は
 約3万6千ほどの軍勢となった。
 
 9月末、ロシア軍のほとんどがOder川の右側(東側)に渡った。

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354956920.html
    ■Bohemia-Lusatia-Silesiaの9月
    

【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の動き】
 9月21日、Zweibruecken率いる帝国軍は
 Meissen近くのPrussiaのWunsch軍を攻撃した。
 これに呼応して、
 Hadik軍はMunzigとMiltitzの近くを通り、
 KrögisとStroischenの間に配置されたHadik軍も
 Wunsch軍への攻撃に参加(Combat of Korbitz)。
 
 しかし、帝国軍とAustria軍は攻撃に失敗し、
 Meissen周辺から撤退した。
 帝国軍はDresden近辺に戻った。
 
 9月24日、Henry軍はHoyerswerdaの約3千のAustriaのWehla軍を襲撃した。
 Wehla軍は死者600、捕虜1800という損害を出した。
 
 9月28日、Henry軍はHoyerswerda西のRuhlandに進軍した。
 
 9月29日、Henry軍はElsterwerdaまで進軍、
 そこでHenryはCombat of Korbitzの結果を知った。
 
 Dresdenに到着したDaunはHenry軍の攻撃を決めたもよう。
 軍はKesselsdorf周辺に駐留。
 帝国軍はPlauenに駐留。
 
 9月30日、DaunはKesselsdorfに留まる。

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354956920.html
    ■Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の9月


【ドイツ西部戦線の動き】
 9月21日、d'Armentieres軍はWeselからDorstenへ移動。
 
 9月22日、フランス軍主力はGiessen南西のKleinlindenへ後退。
 d'Armentieres軍はRecklinghausenまで進軍。
 
 9月23日、Imhoff軍はMuensterに到着。
 
 d'Armentieres軍はLuenenに到着。
 前衛はHammにまで進んでおり、これを知ったImhoffは
 再びMuensterの攻囲をあきらめ。
 Muenster東のTelgteまで撤退した。翌日はAhlenに移動。
 
 9月25日、Giessen周辺のフランス軍はKleinlindenからAnnerod
 まで展開。
 Broglie軍はMuenchholzhausenに展開。
 
 9月30日、d'Armentieres軍はMuensterに補給物資を運んだ。
 
 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/311962058.html
 <9月>


 <言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------南部戦線--------
 KAN:だんだんAustria軍の多くがLusatiaからSaxonyに
   移りつつありますね。
 KRE:Dresdenを奪い返されないようにしたいんだろな。
   Prussia軍も集まりつつあるし。
   
 KAN:9月24日にFrederick II軍とLoudon軍が
   対峙しました。戦いにはならなかったようです。
 KRE:SaltykovはLoudon軍への支援に向かわずに
   撤退しようとしたらしい。
   だが、フランスの外交官にその土地に留まる
   ように説得された。


<編集後記>
 Combat of KorbitzとHenry軍の進軍で
 SaxonyにおけるPrussia軍の支配が進んできました。
 Daun率いるAustria軍主力もDresden近郊にいる為、
 Saxony南部の完全奪回はまだ難しい状況です。
 ロシア軍がFrederick II軍をひきつけている格好ですが、
 ロシア軍がSilesiaなどで一仕事する可能性は低いようです。


------------------------------------------------
▲▼おわりに▲▼
Battle of Kunersdorfで大敗北を喫したPrussia軍ですが、
Berlinの占領やSilesia、Saxonyを失うといった事態は
避けられつつあります。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。