歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第226回 1759年9月(2)

2013/05/02

おはようございます。発行人です。

1759年の9月11〜20日です。


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【Bohemia-Lusatia-Silesia戦線の動き 〜ドイツ東部戦線を含む〜】
 9月11日、Daunは補給路を守る為に、
 Triebel周辺やSprembergの軍をBohemia方面へ向けた。
 また、同時にDaunは物資の多くを
 GörlitzからBautzenに移した。
 
 9月12日、Henry軍はGoerlitzに駐屯していた。
 
 Deville軍はBautzenに撤退。
 
 9月13日、Daun軍はBautzen近くのTeichnitzに宿営していた。
 
 Daun軍の多くがSaxonyに向かった事を懸念するロシアの
 SaltykovはCrossenに撤退しようとした。
 フランスの外交官がGlogauの包囲を進言し、
 なんとかSaltykovを説得した。
 Saltykovからはそれを実現する為の援軍を求められた。

 9月15日、DaunはBautzenからCampitelli率いる約1万を
 Saltykovの援軍として派遣した。
 Saltykov軍はGubenに到着。
 Frankfurt an der Oder周辺のロシア軍は東へ撤退し始めた。

 9月16日、LieberoseとLuebbenの間にあるWaldow周辺に展開していた
 Frederick II軍は南下を始め、Vetschau方面に進んだ。
 Frederick IIはロシア軍がPolandに撤退すると考えていた。
 
 9月17日、Frederick IIはCottbusに到着した。
 
 SaltykovはGubenから東へ向けて出発した。
 Christianstadtへ向かっているもよう。
 
 9月19日、Frederick IIの軍はForstに集まった。
 翌日、HenryとFouquetに援軍を要請した。
 
 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354956920.html
 <9月>
 ※赤がDaun、緑がSaltykov
  青がHenry、ちょっと濃い青がFrederick II
 

【ドイツ西部戦線の動き】
 9月12日、d'Armentieres軍は攻囲されていたMuensterに補給物資を
 運び込んだ。
 それが終わるとRhine川のWeselへ撤退を始めた。
 
 d'Armentieres軍が出発した後に
 強化されたImhoff軍はHanoverにいたが、
 攻囲を再開すべく動き始めた。
 
 9月13日、Holstein軍はフランスの別動隊を撃退した。
 
 9月18日、FerdinandはSalzboedenに宿営。
 
 9月19日、Broglie軍はWetzlar周辺に展開。
 
 FerdinandはGiessen北西のKrofdorfまで進軍。
 右翼はRodheim、左翼はWissmarに展開。
 WangenheimとHolsteinの軍は
 Broglie軍が展開する方面へ向かった。
 
 9月20日、Broglie軍はLahn川を渡ろうとするH連合軍を
 阻止するような動きをみせる。
 
 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/311962058.html
 <9月>


【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の動き】
 9月11日、PrussiaのFinckはSaxony南部に進軍する為に
 Wunschと合流。
 
 9月12日、FinckとWunschの軍はEilenburgへ進軍。
 さらに、WunschはLeipzigへ向かった。
 
 9月13日、WunschはLeipzigを再奪取した。
 
 9月15日、FinckとWunschの軍はDobelnで合流。
 翌日、Nossenまで進軍。
 
 9月19日、FinckとWunschの軍はMeissenに到着。
 帝国軍の司令官Zweibrueckenは攻撃しようと
 動き出した。
 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354956920.html
 ■Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の<9月>


【ドイツ北部戦線の動き】
 9月12日、Wollin島に展開していたPrussia軍はWollinの街に撤退した。
 スウェーデン軍はPloetzinやSoldeminまで進軍。
 
 9月13日、Fersen軍の一部もSwinemuendeからWollin島に進出してきた。
 FersenはWollinの街の前に軍を集めた。
 WollinにはSchafstaedt指揮下のPrussia軍約6百がいた。
 
 9月15日、Fersen軍はWollinの前哨基地へ攻撃を開始。
 そこにいたPrussia軍はWollinの街に撤退。
 
 9月16日、Fersen軍はWollinへ砲撃を開始し、
 一部は城門の攻撃へ向かった。
 Prussia軍は降伏。
 
 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354955497.html
 <9月>


 <言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------東部戦線--------
 KAN:Frederick IIはAustro-Russian軍が
   Silesia、特に直近ではGlogauに向かっている事を
   懸念しているようです。
 KRE:ロシア軍の撤退を期待しつつな。
 
 --------西部戦線--------
 KAN:おおざっぱにいうとMarburg周辺のH連合軍主力が
   Giessen周辺のフランス軍を北から圧迫する動きを見せています。
 KRE:一部はGiessen西のWetzlarにいるBroglie軍に向かった。
   退路を断つつもりだったのだろう、うまくはいなかった
   ようだが。


<編集後記>
 PrussiaはSaxonyの支配を取り戻しつつあります。
 Leipzigは再奪取できましたが、
 Dresdenはどうなるのでしょうか。


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▲▼おわりに▲▼
Frederick IIはロシア軍を押し返す事ができるのでしょうか。
というよりロシア軍はもうPrussia軍、特にFrederick IIが
直接率いるPrussia軍とぶつかるのはごめんだ、
という感じなのかもしれません。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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