歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第225回 1759年9月(1)

2013/04/25

こんにちは、発行人です。

1759年の9月1〜10日です。


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【ドイツ東部戦線の動き  〜Bohemia-Lusatia-Silesia戦線を含む〜】
 9月2日、ZietenはSorauという小さな街に
 密かにDaun率いる大軍が近づきつつあった。

 Zietenはその警戒兵をほとんど出していなかった為、
 気がつかなかったが、AustriaのBeck軍の前衛と戦ったHenry軍の
 軽騎兵から情報がもたらされた。
 
 明け方、Zietenが偵察に出したCzettritz率いる騎兵は
 約5万のAustria軍を発見した。
 Sorauの西、南西、南から近づきつつある事がわかった。
 
 Zietenはすぐに撤退を決断した。
 
 Austriaの歩兵は追いつく事ができなかったが、
 騎兵の一部は追いつき、Prussia軍の後衛と小競り合いをした。
 しかし、Zieten軍はほとんど損害なくHerny軍のほうへ
 撤退する事に成功した。
 
 DaunはいったんTriebelに戻った。
 
 9月初旬、Upper SilesiaのHarsch軍はTrautenau。
 Deville軍はMarklissaにいた。
 Deville軍の動きを警戒して、
 LandeshutにGoltz軍、SchmottseifenにStutterheim軍を
 Prussiaは配置していた。

 HadikはLamsfeldを出発し、
 PeitzとCottbusの間の南へ進軍。

 9月3か4日、Henry軍はSaganを出発し、
 BohemiaとLusatiaにあるAustria軍の補給路を脅かすべく、
 南へ向かった。

 9月5日、DaunはDresdenの奪回した事を知った。
 DaunはTriebelから
 LieberoseのSaltykovに情報を送った。
 同日、Hadik軍はKahrenへ到着。
 
 DaunはSorau付近に駐屯している軍とともに
 Saxonyにいる味方を支援する為にSprembergへ向かった。
 
 9月7日、PrussiaのHenry軍がLoewenbergに到着し、Stutterheim軍と合流。
 ZietenはAustriaのDeville軍をLaubanから追い払い、
 Austria軍の物資集積所を脅かす為に、
 Marklissaへ派遣された。
 
 9月8日、HenryはZietenとStutterheimをZittau方面へ向かわせる事とした。
 
 9月9日、StutterheimはAustriaのDeville軍は占拠したFriedlandで
 Austria軍の物資や守備兵の捕虜を獲得した。
 Henry軍はLaubanに進軍した。
 Deville軍はGoerlitzに撤退した。
 
 9月10日、StutterheimはZittauに急行した。街を占拠する事はできなかったが、
 Bohemiaに向かっていたAustriaの補給部隊が近くにいる事を知り、すぐに追跡した。
 (翌日、その補給部隊を捕まえた)

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354956920.html


【ドイツ西部戦線の動き】
 9月2日、Hereditary PrinceとWangenheimの軍は
 Goßfelden付近でLahn川を渡った。
 Oberweimarまで進み、残っていたフランス軍に約5百の損害を与えた。
 
 さらに、Hereditary PrinceはAllnaに向かい、
 一隊をHohensolmsに向かわせた。
 
 FerdinandはMarburg近くまで進軍。
 H連合軍主力より東にいるHolsteinはSchwarzenbornにいた。

 H連合軍はMarburg周辺に集まりつつあった。
 
 9月3日、H連合軍のImhoffはMuensterへの砲撃を始めた。
 
 9月4日、フランスのd'EstreesはOhm川やLahn川のラインをあきらめて
 撤退していく事を決めた。
 MarburgからAmoeneburgに展開していたフランス軍を
 南のGiessen方面へ移動させ始めた。
 
 Broglie軍はLollarまで進んでいた。
 
 フランス軍の動きを見たFerdinandはWetzlarに一隊を派遣した。
 
 Holstein軍はフランス軍の宿営地があったGroßseelheimを
 占拠した。
 
 d'ArmentieresはDuesseldorf、Cologne、Weselなどの守備兵を一部引き連れて
 Borkenに到着した。
 
 9月5日、H連合軍はMarburgの街を占拠。
 防衛を指揮していたdu PlessisはMarburgの城へ撤退。
 
 H連合軍に包囲されているMuensterを救う為に
 d'Armentieres軍はCoesfeldに向けて進軍を開始。
 
 9月6日、H連合軍主力はElnhausenに到着した。
 d'Armentieres軍の接近を知ったImhoffはMuensterの包囲を
 切り上げて、Telgteに撤退した。
 
 9月7日、d'Armentieres軍はMuensterの近くに宿営した。
 フランス軍主力はGrossen-Buseckあたりに宿営していた。
 Broglie軍はMünchholzhausen周辺に展開。
 
 9月9日、Marburgの城に対する攻囲戦が始まった。

 9月10日、FerdinandはH連合軍主力とともにOberweimarへ進軍した。
 Marburgの城に立て籠もっていたdu Plessis率いる約1千のフランス軍
 は降伏した。
 
 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/311962058.html


【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の動き】
 9月2日、WunschはMagdeburgからの砲兵を受け取った。

 9月3日、DresdenのSchmettauはMacquireとGuascoと交渉し、
 降伏を決めた。
 同日、Wunsch軍はTorgauを出発し、Dresdenへと向かった。

 9月4日、Wunsch軍はGrossenhainに到着した。
 WunschはDresdenと連絡を取ろうとしたが、
 その頃、Schmettauは降伏のサインをしていた。
 
 9月5日、Wunsch軍はBoxdorfでAustriaのBrentano軍
 と交戦。すぐにWehla軍も援軍としてやってきた。
 もう一戦、Moritzburgの森でも戦闘が開始された。
 WunschはBrentano軍とWehla軍をなんとか撃退した。
 さらに、WunschはMacquireが占拠しているNeustadtに
 攻撃をしかけ、Austria軍を撃退した。
 夜に入り、戦闘が一段落してもSchmettauから
 Wunschには連絡がなかった。
 WunschはDresdenが降伏したと判断した。
 WunschはGrossenhainまで撤退した。
 Kleefeld軍約1万4千がWunschに近づきつつあるという
 連絡をTorgauから受けたWunschは来た道を戻り始めた。
 
 9月6日、Daunの指示を受けて、Hadik軍は
 Dredenの帝国軍と合流する為に進軍を開始。
 
 Dredenの降伏にも関わらず、
 Frederick IIはFinckにWunsch軍との合流を指示した。
 
 9月7日、Wunsch軍はTorgauに到着。
 再びDresdenに向かう為、Wolfersdorfとの合流を
 急がせた。
 Finck軍(9bns、27sqns)はLieberose近くのキャンプから
 Dresdenに向かって出発した。
 
 9月8日、Wolfersdorfは午前10時までにTorgauに到着した。
 Prussia軍約5千はTorgau北、Grosser Teich池の北で
 態勢を整えていた。
 そこへAustro-ImperialのSaint-Andre軍約1万2千が近づいてきた。
 
 Grosser Teich池からは北西にRoehr小川が流れ、
 Saint-Andre軍右翼の進軍の障害となっていた。
 
 Torgau北西のZinna小村付近で
 Saint-Andre軍約1万2千とWunsch軍約5千が戦闘となった。
 Wunsch軍が東側に南北に展開、
 Saint-Andre軍が西側に南北に戦列を展開している形となった。
 
 Wunsch軍はSaint-Andre軍の左翼へ攻撃を行った。
 と同時にSaint-Andre軍の左翼と中央へ
 砲撃を行い始めた。
 
 さらにWunsch軍はSaint-Andre軍が占拠していた小高い丘へ
 攻撃を行った。Saint-Andre軍は崩れた。
 
 Saint-Andre軍右翼の騎兵はPrussia軍左側の側面を突くべく
 進軍を開始したが、
 Prussiaの竜騎兵が反撃した為、Saint-Andre軍右翼騎兵の第1列が壊走し、
 第2列に紛れこみ、隊列を見出し、Pogrell率いるPrussia軍竜騎兵
 への反撃を行う事ができなくなってしまった。
 さらに、折からのPrussia軍砲兵の砲撃でSaint-Andre軍右翼騎兵は混乱、
 撤退を余儀なくされた。
 動揺は歩兵にも広がり、それを見たPogrellは歩兵へ突撃した。
 
 ちょうどその頃、Saint-Andre軍左翼の左側面と後ろに回り込んだ
 Prussia騎兵がSaint-Andre軍左翼を脅かし始め、
 さらに展開が完了しつつあったPrussia歩兵が
 一斉攻撃を始めようとしていた。
 しかし、もうAustro-Imperial軍の多くには戦う意思が
 残されていなかった
 
 Saint-Andre軍全体は撤退を始めたが、
 Prussia軍は執拗には追撃せず、戦闘前の場所へ戻った。
 
 Wunsch軍が勝利した。
 Prussia軍の損害約2百。
 Austro-Imperial軍は約2百以上が死傷、約6百が捕虜となった。
 捕虜の半分はPrussia軍に編入されたとの事。
 Saxony北部は確保された。
 しかし、いまだDresdenとLeipzigはAustro-Imperial軍
 の手にあった。
 
 同日、Schmettauの軍はDresdenを出発。
 Dresden守備兵の半分はAustria軍へ組み入れられた。

 9月9日、約6千を引き連れたFinckはDresdenの降伏を聞いて、
 Grossenhainに移動した。その後、TorgauでWunsch軍と
 合流すべく移動を開始した。
 
 9月10日、AustriaのHadikはDresdenに到着した。
 Dresden南のPlauenで帝国軍と合流した。
 
 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354956920.html


【ドイツ北部戦線の動き】
 9月1日、スウェーデン軍はSwinemuendeの西の砦に砲撃を始めた。
 Prussia軍は翌日降伏した。
 
 Pasewalkの近くではスウェーデン軍とPrussia軍の小競り合いがあった。
 
 9月初旬、スウェーデンのLantingshausenは
 StettinとPasewalkの間にあるLoecknitzを襲撃した。
 100名以上のPrussia軍を捕えたもよう。
 
 Fersen軍はSwinemuendeの東に流れるSwine川を
 Kaseburg付近でを船を使って渡ろうとした。
 しかし、Prussia軍がすぐに反応したので、Fersenはあきらめた。
 
 9月10日、Rutensparre率いるスウェーデン船団が
 Stettin潟の東側へ侵入し、
 Prussianの船団を攻撃。
 数少ないPrussiaの船団が破壊された。(Combat of Neuwarp)
 Oder川が注ぎ込むStettin潟全体はスウェーデン軍の
 支配下に入った。
 
 UsedomとWollinのPrussia軍は支援を受けずらい状況となった。
 
 デンマーク領Bornholm島の近くで
 Prussia軍捕虜の一部が逃げて、Kolbergに逃れたもよう。

 参考:http://frederi1757.seesaa.net/article/354955497.html


 <言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------西部戦線--------
 KAN:Battle of Mindenで騎兵を動かさなかったSackvilleは
   イギリスに戻る事になったそうです。
   あとはGranby侯が引き継ぎました。
 KRE:やはり問題になったか。

 --------北部戦線--------
 KAN:Combat of Neuwarpで多くの軍船を破壊されたのは
   Prussiaにとって痛手ですね。
 KRE:たしかにな。
   スウェーデン軍はこの時期、Berlin方面にはいかずに
   バルト海に近いところで海軍と連携しながら
   活動している。


<編集後記>
 大きな戦いは起きていませんが、
 東西南北、さまざまなところで軍の移動や
 小競り合いが起きています。
 今年の残りは南部戦線のSaxony周辺に
 注目でしょうか。

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▲▼おわりに▲▼
すみません、今回はあまり文章の推敲なしで
出してしまいました。
マップとの連動も
もう少し改善していく予定です。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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