歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第223回 1759年8月(3)

2013/02/10

こんばんは、発行人です。

1759年の8月16〜20日です。


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【ドイツ西部戦線の動き】
 8月17日夕方、Contadesは追撃するH連合軍と小競り合いを
 しているBroglieとd'Armentieresに協同でFritzlarへ
 撤退する事を指示した。
 Broglieとd'Armentieresは合流し(35bns、50sqns)、
 追撃しているH連合軍の遅れもあり、
 大きな損害は出さずに撤退していった。
 
 H連合軍のHereditary PrinceはWolfhagenで宿営。
 Holstein軍はKassel西のNaumburgに展開。

 8月18日、Kasselから後退をしているContades軍だったが、
 約千の病気や負傷で動かせない兵を守る為に
 少数の兵とともにVilleterqueをKasselに残した。

 Broglieとd'Armentieresの軍はFritzlarに到着した。

 8月19日、H連合の一隊はKasselのフランス軍を降伏させた。

 Ferdinandはフランス軍を追ってさらに南西へ進軍していた。
 それとは別にMuensterを奪回する為にImhoff指揮下の
 約7千を派遣した。

 フランス軍の一部はMarburgに到着しつつあった。

 H連合のHolstein軍はFritzlarの近くまで到着していた。

 8月20日、H連合軍主力はKorbachに宿営した。

 Contades率いるフランス軍主力はGilsaに到着した。
 Broglie軍はHalsdorfへ、d'Armentieres軍は
 Halsdorf北東のGilserbergへ向かっていた。

 フランス軍は全体として秩序は保っているが、
 KasselからMarburgの線にばらばらと撤退しているもよう。


【ドイツ東部戦線の動き】
 8月16日、Frederick II率いるPrussia軍はMalvitzに到着した。
 Frederick IIは活力を取り戻し、
 再びPrussia軍全体の指揮を取る事を決心したもよう。

 8月16或いは17日、Saltykov率いるロシア軍は南下を始めた。
 Lieberose経由でGubenに向かっているもよう。

 8月18日、Frederick II率いるPrussia軍はFuerstenwaldeに到着。
 Berlinへ続くSpree川沿いの道で露墺軍の進軍を止める狙いが
 あると見られる。
 Pomeraniaから来たKleist軍がFrederick IIと合流した。
 さらにFrederick IIはBattle of Kunersdorfで
 大量に失った砲兵を集めていた。


【ドイツ北部戦線の動き】
 8月中旬、Frederick IIからの指示で、Kleistは
 Pomeraniaでスウェーデン軍と対峙している約5千の
 Prussia軍とともにBrandenburgへ向かった。

 Kleistの軍が出発した後に、Lantingshausen率いる約6千の
 スウェーデン軍はStralsundからPasewalkに進んだ。
 8月18日、約4千のFersen軍はWolgastからUsedomに
 移動した。


【Bohemia-Lusatia-Silesia戦線の動き】
 8月18日、HenryはBattle of Kunersdorfの結果を知った。
 Frederick IIとの連絡が取れていないHenryは
 その復活を考えたもよう。

 HenryはLandeshutに派遣していた援軍を呼び戻し、
 Schmottseifen少し北のLowenbergにStutterheimを
 残し、自身は多くの軍勢を率いてUpper-Lusatiaに向かった。
 少しずつ北や東へ向かい始めているDaun軍の補給路を
 脅かす狙いもあると見られる。


【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の動き
 8月20日、Wittenbergを防衛していたPrussiaのHornは
 早々に帝国軍へ降伏し、Potsdamに撤退した。
 同地を守備していたSaxony出身の3歩兵大隊を
 あまり信用できない事が影響していたもよう。

 ZweibrueckenはLeipzigにSaint-Andre率いる約1万2千を
 残して、Meissenに向けて進軍を始めた。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------南部戦線--------
 KAN:Saltykovは、Austriaがまだまだロシア軍をPrussia軍と
   戦わせようとしている、という不信の念を
   抱いているようです。
 KRE:3万前後の兵力で立ちはだかるPrussia軍ともう一戦と
   いうのは気が進まないのもわかる。
   弱っていて大砲があまりなくても、
   Frederick II率いるPrussia軍はやはりどこか
   脅威というか、気味の悪いところがあるんだろう。
   あ、もちろん褒めている。
 KAN:SaltykovはDaunに、今後はAustriaが積極的に
   Prussia軍を追撃していくよう、伝えたそうです。
 KRE:後始末はお前らがつけろ、という事だな。

 KAN:Wittenbergを撤退した後に、Berlinに着いたHornは
   すぐに拘留されたそうです。
 KRE:なぜ帝国軍に抵抗しなかったのか、という事を
   問われたわけだ。理屈どうこうというよりは
   いざという時に弱腰の将校は要らない、
   という事かな。新興国Prussiaの心意気か。


<編集後記>
 8月18日のBattle of Lagosでde la Clue率いる
 フランス艦隊が大打撃を受けました。
 イギリスとフランスの欧州の海での戦いは
 イギリス優勢となっています。


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▲▼おわりに▲▼
このあたりからHenryの存在感がより増してきます。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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