歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第210回 Battle of Kunersdorf(10)

2013/01/28

こんばんは、発行人です。

午後6時半過ぎからの展開です。


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【Frederick II、危機一髪】
 午後6時過ぎ、近くにいたLestwitz(IR31)も敗走していく中で、
 Muhlberg付近にいたFrederick IIはロシアのCossacksに
 囲まれ、捕らえられそうになったが、
 Zieten(H2)所属のPrittwitzの部隊が間一髪で救い出した。

 終盤にPrussia軍の撤退を支援し続けた
 Diericke(IR49)[Fusilier]の多くは捕虜となった。

 損害が大きかったロシア軍はPrussia軍を追撃できず、
 Loudon軍の2,3騎兵大隊がPrussia軍を追撃した。
 
 Frederick IIはOder川西岸のReitweinまで
 撤退する事ができたが、その時に彼の元には
 約3千の兵しかいなかった。

 Frederick IIはFlemmingらの将校に
 負傷兵と高級将校以外はOder川を無理に渡らず、
 Oder川の東岸で集結するように指示していた、との事。


【両軍の損害】
 Prussia軍の死傷者は約1万9千、捕虜は約2千。
 170を越える砲が失われた。
 露墺軍[約6万5千]の死傷者は約1万6千強。
 (ロシア軍1万4千強、Austria軍は2千強)

 Prussia軍:約4万3千
       ⇒損害約2万1千
       ⇒Frederick IIとともに撤退した約3千
       ⇒約1万9千がばらばらに北へ壊走、撤退
       ※他には橋の防衛に残っていた歩兵5千弱
        と別の場所(Lebus近く)にいた約千5百の騎兵


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KAN:意外とPrussia軍の捕虜は少ないですね。
 KRE:逃げ遅れたPrussia軍の多くがCossacksやTartarsに
   殺されたそうだ。
 KAN:この日の夜、Frederick IIは外務大臣Finckensteinに
   絶望を綴った手紙を書きました。
 KRE:残った軍の直接指揮をとりあえずFinckに任せ、
   全軍の指揮をHenryへ渡す事を指示し、
   さらに王位をHenryへ譲る事も考えた、という話がある。
 KAN:さすがにもう駄目だと思ったのでしょう。


<編集後記>
 露墺軍の勝利です。

 Frederick IIのall-or-nothingの賭けは失敗しました。
 その責任はFrederick II自身の判断ミスにあります。


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▲▼おわりに▲▼
今日で最終回です。






・・・というのは冗談で(^^;
まだまだ七年戦争は続きます。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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