歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第206回 Battle of Kunersdorf(7)

2013/01/24

こんばんは、発行人です。

Kuhgrund周辺では激闘が行われているようです。


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【Prussia軍左翼騎兵の攻撃】
 午後3時過ぎ、Frederick IIは左翼騎兵へ
 Grosser Spitzbergの攻撃を指示した。
 
 大きな池の間を抜け、Prussia左翼騎兵は
 Grosser Spitzbergへ進軍した。
 進路が狭い部分がいくつかあり、
 そのルートは騎兵の進撃にはあまり適しては
 いないようであったが、偵察に来ていた露墺軍
 の騎兵を蹴散らしながら進んだ。
 参考:http://frederi1757.up.seesaa.net/image/Kunersdorf_005.jpg

 Grosser Spitzbergの手前で砲撃を受けながらも
 整列したPrussia左翼騎兵は攻撃を開始したが、
 重騎兵の先頭にたって指揮していたSeydlitzは
 負傷した。代わりにWuertembergが指揮を執った。
 多少の混乱の中PuttkamerはPuttkamer(H4)軽騎兵を
 立て直そうとしたが、銃撃され戦死した。
 
 指揮官が死傷していく中で混乱しつつあるPrussia軍
 左翼騎兵に露墺軍の騎兵が襲いかかった。
 Prussia左翼騎兵は潰走し、
 Prussia軍左翼歩兵の後ろに回った。


【Prussia軍歩兵の進撃】
 この頃、Prussia軍左翼歩兵はKunersdorf村の占拠に
 成功しようとしていた。ただ、Kunersdorf内の教会では
 ロシア軍が頑強に抵抗していた。
 Prussia軍左翼歩兵の一部は進軍を続け、Grosser Spitzberg
 に攻撃を行い始めた。
 
 Prussia軍右翼歩兵の第2列はKuhgrundを越える為の
 さらなる進撃を指示された。
 Finck軍も北から再び露墺軍に攻撃をしかけた。
 Saltykovはロシア軍の多くをGrosser Spitzbergに集中させ、
 防衛に努めた。一帯にはロシア兵が何列も連なって
 Prussia軍に構えていた。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KAN:午後3時頃、Seydlitzなどの将校は軍の疲弊を感じて、
   Frederick IIに戦いの停止を進言したようですが、
   やはりFrederick IIはその話を取り上げませんでした。
 KRE:各将校はBattle of Zorndorfのように消耗していくのが
   想像できたんだろう。それに露墺軍の方が
   兵数が多いのだから、力尽きてしまうのはPrussia軍が
   先だ。


<編集後記>
 なし


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▲▼おわりに▲▼
ついにSeydlitzが負傷して戦線を離脱してしまいました。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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