歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第205回 Battle of Kunersdorf(6)

2013/01/23

こんばんは、発行人です。

午後1時前から午後2時半頃までの展開です。


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【Prussia軍右翼、さらに進撃】
 8月12日午後1時前、Prussia軍右翼がMuhlbergに展開し、
 支援を受ける事ができる状態となったPrussia軍の前衛
 の擲弾兵は近くで態勢を整えつつあったロシアの2,3
 の歩兵大隊をすぐに撃退した。
 
 午後1時までにMuhlbergに配置されていたロシア軍の多くが
 Kunersdorf周辺に撤退していた。
 これに対して、Prussia軍は連携の取れた攻撃ができず、
 散発的な攻撃を行い、撃退されていた。
 ロシア軍の砲撃や若干ぬかるんだ場所によって、
 進軍が遅れる場面もあるもよう。
 
 Muhlbergに配置されたPrussia軍の軽砲が火をふいたが、
 砲弾をすぐに使い果たしてしまったとの事。
 
 Prussia軍の攻撃がゆるんだ隙に、
 ロシア軍は再整列をして立て直し、
 Muhlberg以外にいた新たな兵が展開してきていた。
 新手をどんどん出してくる露墺軍と
 同じ部隊が戦い続けるPrussia軍。


【Prussia軍歩兵第1列、露墺軍の東部を攻撃】
 午後1時半過ぎ、Prussia軍の新たな砲撃が始まり、
 一帯は砲煙につつまれて視界が悪くなった。
 Frederick IIは歩兵の第1列に前進を指示した。
 
 これに対してSaltykovは製粉所からKunersdorfまでの
 新しい戦列を整えて迎えうった。
 自然の障害物があるKunersdorf北西のKuhgrundでは
 Prussia軍の攻撃が少し緩められた。
 
 しばらくPrussia軍とロシア軍の間、特にKuhgrund周辺では
 激戦が続いたが、ロシア軍の多くは多少混乱しながら
 Kunersdorfへの撤退を余儀なくされた。
 この時、AustriaのLoudon軍の一部がKuhgrundの後ろ
 に到着した。
 その影響か、Prussia軍右翼の第1列は突然崩れたが、
 負傷者の少ない第2列とFinck軍がまだ残っていた。
 
 Finck軍の歩兵はHuhner Fliessをなんとかばらばらと越え、
 その後、整列した。
 砲の支援とともに攻撃に移ったが、露墺軍の集中的な砲撃を受け、
 撃退された。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KRE:Frederick IIはFinckやSeydlitz達から、
   これ以上の進撃を止められたらしい。
   自軍の損害、夏の暑さの中での行軍し続けた事、
   今後の攻撃成功の見通しなど、理由をあげたが、
   Frederick IIは攻撃続行を決めた。
 KAN:それらの理屈はFrederick IIももちろん理解したと
   思いますが、Frederick IIには彼なりの理屈が
   あったのでしょう。例えば、SaxonyやSilesiaが
   敵軍に進軍される心配とかです。
 KRE:まあ、この時点でほとんど軍勢を置いていないSaxonyは
   かなり帝国軍の侵入を許しているしな。
   あまり悠長に構えている場合ではないのはたしかだ。


<編集後記>
 左翼騎兵を率いるSeydlitzはKleinerbergで戦場の様子を
 窺っているようです。


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▲▼おわりに▲▼
PrittwitzはZieten(H2)に所属していました。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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