歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第203回 Battle of Kunersdorf(4)

2013/01/21

こんばんは、発行人です。

1759年8月12日正午くらいまでです。


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【Prussia軍の動き】
 8月12日午前10時、Prussia軍は露墺軍に向けて戦列を整えた。
 右(つまり北)はHuhner Fliessまで、左(つまり南)は
 Kunersdorf東南の森までに展開していた。
 Klosterbergには砲兵隊を配置。
 北から露墺軍に迫りつつあるFinck軍は南下する動きを
 見せている。露墺軍の注意をひきつけるのが狙いか。

 SaltykovはCossacksを送って、様子を見ているもよう。
 6個の擲弾兵大隊とBredow(IR43)[Fusilier]の2歩兵大隊が
 右翼の前衛に配置されつつあった。
 これらの舞台はMuhlbergに突撃するもよう。
 Finck軍所属の騎兵といくつかの竜騎兵大隊を除いて、
 騎兵の多くは左翼歩兵の後ろに配置された。

 午前11時半頃、Finck軍が配置した砲兵、そしてKlosterberg
 とWalkbergの砲兵が露墺軍に対して、砲撃を始めた。
 少しKunersdorfよりのKleinerbergにも砲兵が
 配置されつつあった。
 Muhlbergの露墺軍を集中的に砲撃しようとしたが、
 Finck軍の砲兵からは対象が少し遠く、あまり効果的では
 なかったもよう。
 Walkbergの砲兵は東端からKunersdorfまでの露墺軍に対して、
 縦射のような形になり、効果的な砲撃が行えているもよう。
 参考:http://frederi1757.up.seesaa.net/image/Kunersdorf_003.jpg


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KAN:露墺軍といってもPrussia軍に近い戦力のほとんどは
   ロシア軍でした。少なくともPrussia軍の序盤の
   砲撃の被害はロシア軍だけに出ています。
 KRE:まあ、AustriaのLoudon軍は西の端、Judenbergの北の
   ほうにいるからな。
 KAN:Prussia軍は露墺軍左翼、つまりロシア軍に砲撃を
   集中させていますが、この方面のロシア軍は砲の数
   ならばPrussia軍よりも多いらしいです。対応は
   遅れているようですが。


<編集後記>
 ロシア軍は歩兵が多いものの、騎兵は少ないです。
 AustriaのLoudon軍はそれを補うように騎兵を少し多く
 保持しています。
 Prussia軍の騎兵は露墺軍の騎兵と同じか少しだけ
 優勢ですが、騎兵が展開できる土地が少ない戦場です。
 歩兵の数は露墺軍のほうがかなり優勢です。
 砲は露墺軍が優勢です。ロシア軍が数多くの砲を
 所持しているもようです。


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▲▼おわりに▲▼
前回(第202回)に8月13日と書いたところは
8月12日の間違いでした。すみません。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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