歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第202回 Battle of Kunersdorf(3)

2013/01/20

こんばんは、発行人です。

1759年8月12日の開始です。


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【Prussia軍の動き】
 8月13日午前3時、Prussia軍はKunersdorf付近の露墺軍
 に向かって進軍を始めた。

 Finckが指揮する部隊は露墺軍の東端のMuhlbergへの攻撃
 を準備し始めた。
 他のPrussia軍の多くは露墺軍の北東に広がる森へ
 入っていった。

 露墺軍は小さな丘が北東-南西と連なっている場所を
 占拠しており、ロシアのObservation Corpsが
 配置されている東端のMuhlbergの南にはKunersdorf村
 があった。
 西端のJudenbergの北にはAustriaのLoudon軍が展開していた。

 明け方、太陽の光が出てしばらくすると
 Frederick IIは攻撃しようとしている露墺軍の東側が、
 かなり防衛強化されている事に気が付いた。
 また、露墺軍の東南は池や湿地帯があり、
 そこからの攻撃は難しい事がわかり始めた。
 参考:http://frederi1757.up.seesaa.net/image/Kunersdorf_002.jpg


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KAN:Frederick IIは露墺軍の東側を大きく回りこんで
   主力を東南方面から攻撃させようと考えていました。
 KRE:ただ、露墺軍東端のMuhlbergはぐるっと防衛強化され、
   南側も防衛する為の処置がなされていた。
 KAN:もしかすると当初露墺軍は南からPrussia軍が来ると考え、
   南側の防衛を強化し、さらにOder川と反対側となる東側は
   側面への機動が好きなPrussia軍の攻撃対象となるだろう、
   という事で特に防衛措置を施していたのかもしれません。
 KRE:なるほど。露墺軍にとってはFrankfurt an der Oderへ
   北上していた勢いでPrussia軍が近づいてくるという
   想定だったわけか。
   しかし、Prussia軍はFrankfurt an der Oderの西を通って、
   Oder川沿いにより北上し、Oder川を東に渡り、
   そこから露墺軍へ南下していく事になった。
 KAN:Huhner Fliessという小川が露墺軍の北にはあるものの、
   Prussia軍の展開を阻みきるのは難しいですし、
   北側全ての防衛強化をするにも時間がありませんから
   SaltykovはMuhlberg付近だけを集中的に強化した
   のかもしれません。あくまで想像ですが。


<編集後記>
 なし


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▲▼おわりに▲▼
「巨人の星」が面白い、、

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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