歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第191回 Battle of Minden(1)

2013/01/09

こんばんは、発行人です。

Battle of Mindenの開始です。
1759年7月29日から31日の動きです。
下記をご参考にしていただければさいわいです。
http://frederi1757.up.seesaa.net/image/Minden_001.jpg


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【H連合軍の動き】
 7月29日、Hereditary Prince軍はLuebbeckeからRiemsloh
 に移動した。OsnabrueckのDrevesはHereditary Prince軍に
 合流すべくRiemslohに向かった。
 FerdinandはPetershagen周辺から南西に進軍し、
 HilleとFredewaldの間に展開した。
 Ferdinand軍の司令部はHilleに置かれた。
 約1万のWangenheim軍はTodtenhausenに駐留。
 Wangenheim軍は孤立した形になったが、
 数門の砲と強化された防衛施設によって
 守りやすくなっていた。この地点の保持は
 Lower Weserから補給を受ける上で重要となっていた。

 7月30日、H連合のGilsaの一隊(3bns)は
 Hereditary Prince軍とFerdinand軍の連携を保つ為に
 Luebbeckeに派遣された。
 Hereditary Prince軍はHerfordへ向かって進軍した。

 7月31日、Hereditary Prince軍はKirchlengernに到着した。
 約3百の騎兵がLuebbeckeのGilsa軍に合流した。


【フランス軍の動き】
 7月29日、フランスのd'Armentieres軍は
 MuensterからLippstadtに向かった進軍を始めた。

 7月30日、Contadesは約8千のBrissac軍をGohfeldに送り、
 Hereditary Prince軍に対応させる事とした。
 
 7月31日、Gohfeldに到着したBrissac軍は
 Weser川とGohfeldの間に展開した。

 d'Armentieres軍はLippstadt北11kmのLangenbergに到着した。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KAN:Hereditary Prince軍の目的はMinden-Paderborn-Kassel
   の補給ラインを脅かす事でした。
 KRE:それでMindenとHerfordの間にあるGohfeldが
   問題の焦点になってきたわけか。
 KAN:Hereditary Princeは翌日にGohfeldのBrissac軍を
   攻撃すると決めたそうです。

 KRE:Contadesはフランス首脳からH連合軍との交戦について
   承認を得た。
   まずはFerdinand軍と少し離れているWangenheim軍を
   Broglie軍と連携して攻撃するようだ。
 KAN:Minden西にあるBastauという小川に橋を架け始めました。
   Bastauという小川と周辺の湿地帯は北のH連合軍に対する
   自然の防壁になっていたわけですが、
   そこを越えてH連合軍に攻勢をかけていこうという事ですね。


<編集後記>
 Ferdinand軍とHereditary Prince軍、Wangenheim軍、
 Dreves軍(Schleiffenと合流)などとの間に距離が
 でき、H連合軍が比較的分散し始めたように
 見える為に、Contadesは攻勢を決意したようです。


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▲▼おわりに▲▼
H連合軍が劣勢の中で
フランス軍主力が動き始めました。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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