歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第185回 1759年7月(3)

2013/01/03

こんばんは、発行人です。

あれれ、巨人の星が面白い。


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【ドイツ東部戦線の動き】
 7月21日、Dohna軍は右翼をZuellichau、左翼をKalskに
 配置していた。
 ロシア軍はFaule Obra川沿いのSchmollen周辺まで
 進軍していた。

 7月22日、WedelはZuellichauのDohna軍に合流し、
 Dohnaの代わりに軍を率いる事となった。


【Bohemia-Lusatia-Silesia戦線の動き】
 7月21日、Wuerttemberg軍はBuntzlauに戻った。
 Frederick II軍はSchmottseifenに駐留していた。
 FouquetはLandeshut近辺の丘や砦の防衛を強化させた。
 このFouquet軍の対応にDeville軍は一時的に
 進軍を止める事となった。

 Loudon軍はGoerlitz南のNeiss沿いのRadmeritzに進軍した。
 Austria軍予備はLaubanに到着した。
 Daun軍はLauban南のMarklissaに駐留していた。

 7月22日、Frederick IIはBautzenに到着した。
 DevilleはTrautenauを守る為に約6千のWolfersdorffを
 Bohemia国境に残し、Gemmingen軍と合流する為に
 Schweidnitz方面のKunzendorfに移動した。

 7月23日、HenryはBautzenに到着した。
 Golz軍(7bns、8sqns)はFriedlandまで進軍した。
 Krockow軍(3bns)はLandeshutのFouquet軍に合流。


【ドイツ西部戦線の動き】
 7月21日、Muenster攻囲中のd'Armentieres軍に
 Weselから重砲が到着した。
 
 7月22日、Schaumburg-Lippe-Bueckeburg軍とともに
 約1万のWangenheim軍はPetershagen前の風車近くに
 展開した。
 H連合軍のMuensterの守備兵は街から要塞に撤退した。
 フランス軍はMuensterの街に入った。

 7月25日明け方、フランス軍の砲兵はMuensterの要塞への
 砲撃を開始した。そして、昼前までにH連合軍の守備兵は
 降伏した。捕虜約3千。
 d'Armentieres軍はLippstadtに向かい、
 Chevreuse軍はMindenに戻り始めた。


【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部の動き】
 7月下旬、帝国軍はGothaを通って、Saxonyに進軍しつつあった。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------東部戦線--------
 KAN:Dohna軍の動きに満足できなかったFrederick IIは
   7月20日頃にDohnaに代わる若い司令官としてWedelを
   送り出していたようです。
 KRE:現場、つまりDohna軍ではあまり歓迎されず、
   代えるならWobersnowのほうが適任ではないか、
   という声があったらしい。


<編集後記>
 なし


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▲▼おわりに▲▼
次回からBattle of Paltzig(Kay)です。
そのBattleの後は7月下旬をもう一回お送りし、
その後にBattle of Mindenです。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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