歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第183回 1759年7月(1)

2013/01/01

明けましておめでとうございます、発行人です。

1759年の7月上旬です。


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【ドイツ西部戦線の動き】
 7月1日、ContadesはMelfortに1旅団でLippstadtを
 攻撃させたが、失敗した。

 7月2日、フランス軍主力はBielefeld近くまで進軍した。
 一方、Chevreuse軍はDelbrueckやMuretに進軍した。
 Broglie軍はBielefeld東南のOerlinghausenまで進軍。

 7月3日、H連合軍はBielefeld南西のMarienfeldから北上し、
 Osnabrueck東南のDissenまで移動した。
 Wangenheim軍はMuester北のLadbergenまで到着し、
 その後すぐにH連合軍主力と合流した。

 フランス軍はBielefeldを占拠。

 7月4日、ContadesはBielefeldに司令部を置いた。
 
 7月5日、d'Armentieres軍はSchermbeckから北のBorken
 に進んだ。一隊をCoesfeldやDuelmenに派遣。

 7月6日、d'ArmentieresはMuensterの街にいたH連合軍が
 砦に入ったという情報を得た。d'Armentieres軍は
 Coesfeldに向かいつつあった。

 H連合軍とフランス軍の軽兵がHalle周辺などで
 小競り合いをした。

 7月8日、Contades軍はHerfordに到着した。
 Fischer軍はWeser川方面へ進軍しつつあった。
 d'Armentieres軍はCoesfeldとMuesterの間のNottuln
 にいた。ConflansとChabotは降伏を拒んでいるH連合軍
 守備兵がいるMuensterに向かっていた。
 
 H連合軍主力はDissenからに移動した。
 大行李はBremenに送った。
 BroglieはFischer軍を含む強力な一隊をEngerから
 Mindenに送った。

 7月9日、ZastrowH連合軍約1500の守備兵とともに
 Mindenを守っていたが、Broglie軍の迅速な攻撃によって
 降伏に追い込まれた。約1200が降伏した。
 d'Armentieres軍はMuensterを攻囲し始めた。
 Contades軍は補給の問題でMinden方面まで進めなかった。

 7月10日、Contadesは司令部をBielefeldから北東のHerfordに
 移した。
 H連合軍主力はOsnabrueckから北東のBohmteに移動した。
 FerdinandはMinden陥落の知らせを聞いた。


【Bohemia-Lusatia-Silesia戦線の動き】
 7月1日、Austria軍主力はTurnauやGitschinまで展開していた。
 Loudon軍はTurnau北東のBoehmish Gablenz。
 Beck軍はTrautenau西のHennersdorf。

 西へ進みつつあるAustria軍の情報がFrederick IIに
 もたらされた。

 7月2日、Austria軍主力の一部がよりLusatiaに
 近いReichenbergに集まりつつあった。

 7月3日、Frederick II軍はLandeshut近くで宿営。
 Wedel軍はTrautenau。
 Fouquet軍はUllersdorf。
 Henry軍はDresden近く。
 Seydlitz軍はHirschberg北のLahnへ進軍中。

 7月4日、Austria軍の位置は下記のもよう。
  ●Daun率いる主力:Reichenberg
  ●Loudon:Gerhardsdorf
  ●Hadik:Toepplitz
  ●Beck:Hochstadt
  ●Harsch and Deville:Konigsdorf近く
  ●Gemmingen:AussigからGabelへ移動
  ●Wehla:GabelからZittauへ移動

 7月5日、Frederick IIは前衛とともにHirschbergに向かった。
 DaunはReichenberg北のFriedlandまで進軍した。
 Hofheimの帝国軍はNaumburg(Saale)西のAuerstaedtに向かった。

 7月6日、Frederick II軍の残りもLandeshutを出発し、
 Hirschberg方面へ向かった。
 Austria軍の一部はLusatiaに入りつつあった。
 Daun軍はGoerlitzに到着。

 7月7日、Fouquet軍はFrederick II軍の代わりにLandeshutへ
 入った。
 Austria軍の予備はGoerlitzで主力と合流した。

 7月9日、Frederick II軍はBober川を渡り、西へ進んだ。

 7月10日、Frederick II軍はLubomierz近くまで進んだ。
 GoerlitzのDaun軍とは東西で向き合う格好と
 なりつつあった。
 Henry軍はDresden近くに軍を集めつつあった。

 Loudon軍はLichtenauまで進軍。


【ドイツ東部戦線の動き】
 7月初、Saltykov指揮下のロシア軍約7万はPosen周辺に
 集まっていた。

 7月1日、Dohna軍はPosen北のObernigkまで進軍していた。
 7月2日、DohnaはPosenのロシア軍を攻撃したが、
 多勢に無勢の為本格的な攻撃はあきらめた。

 7月6日、Dohna軍はWarthe川の後ろまで撤退した。

 7月9日、Saltykovは一隊を派遣して、Dohna軍とSilesiaの
 Prussia軍の連絡路を断とうとしたが、Dohna軍は
 Posen北西のKazmierzに向かい、翌日には到着した。


【地中海での動き】
 7月初、Boscawenは補給と修理の為、
 スペインのTarragona南西12kmのSalouに入った。


【イギリス海軍の動き】
 7月2日、Rodney艦隊はイギリスへの攻撃を計画している
 フランス海軍の物資が集積されつつあるLe Havreを
 攻撃する為に、St.Helenを出発した。
 艦隊の旗艦はAchilles(60)。

 7月3日、Rodney艦隊はLe Havre湾に到着。

 7月4日明け方、Rodney艦隊はLe Havreと平底船への砲撃を
 開始した。
 砲撃は7月6日の午前8時まで続けられた。
 フランス軍が準備していた物資の多くが燃え、
 Le Havre自体も数百人の消火活動にも関わらず、
 約6時間燃え続けた。
 住民のほとんどは一時的に街を離れたもよう。


【アメリカ戦線での動き 〜Canada〜】
 6月1日、Saunders提督の艦隊はLouisbourgを出発し、
 Saint Lawrence川(Saint-Laurent)方面へ向かった。
 6月6日、Wolfe軍の最後の輸送船がLouisbourgを出発した。
 
 6月初からフランス軍はBeauport海岸の第1線の砦も
 築き始めていた。
 Pointes-aux-Tremblesあたりではパンを焼く施設が
 作られた。
 多くの艦船は安全の為、Quebec南西のTrois-Rivieresに
 送られた。Atalante(32)とPomone(30)はQuebecに残った。

 6月9日、Durell艦隊はQuebec北東のd'Orleans島に到着し、
 小型船でd'Orleans島の周囲を偵察し、
 2日後にIsle-aux-Coudres(クードル島)に戻った。
 
 6月10日、フランス軍はCourtemanche指揮下の約5百を
 d'Orleans島へ送り、Repentigny指揮下の約2百を
 d'Orleans島北のSaint-Joachimに送った。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------西部戦線--------
 KAN:Mindenをフランス軍に抑えられたのはH連合軍にとって
   まずいですね。補給基地を奪われながら
   東と南からフランス軍主力から圧迫され、
   西も当然手が回らずにd'Armentieres軍に
   進まれつつあります。
 KRE:MuensterとLippstadtはなんとか保持しているが、
   そのあたりから北に離れつつあるから、
   それらが奪われるのも時間の問題か。
 KAN:Mindenが奪われて、Hanoverへの道がフランス軍に
   開かれてしまったのも厳しいです。
 KRE:Minden北の物資が大量に貯蔵されている
   Nienburg(Weser)も危ないな。H連合軍は念のために
   Bremenでも抑えておいたほうがよいかもしれない。

 --------東部戦線--------
 KAN:ようやくロシア軍はPosenに集まりましたね。
   これからCrossenあたりに向かうのでしょう。
 KRE:Dohna軍がどれだけ邪魔できるかはわからないが、
   もう少し早めにPosenを叩くなら叩いたほうが
   良かったかもな。結果論だが。
 KAN:面と向かっての会戦は難しいものの、補給路を
   混乱させる事はできるでしょう。
   ただ、援軍もあったおかげで3万はいるはずの
   Dohna軍はどれだけ素早い行動が取れるかは
   わからないです。中途半端で難しい軍の
   規模かもしれません。

 --------南部戦線--------
 KAN:Daun軍は前年(1758)後半と同じように
   Goerlitz方面から展開していく動きを見せています。
 KRE:ロシア軍と合流する部隊はLusatia、Brandenburgという
   経路で行くのだろう。
   そして、残りは、とってもAustria軍主力だが、
   もしかするとDresdenに向かうのかな。或いは
   Silesiaか。


<編集後記>
 7月に入り、動きがより活発になってきました。
 今後7月下旬から8月にかけて、
 大規模な戦いもどこかで起こってきそうな気配です。


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▲▼おわりに▲▼
今年も頑張ります。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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