歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第126回 Battle of Zorndorf(7)

2012/11/15

こんにちは、発行人です。

Kanitz歩兵連隊(IR2)はKanitz管理下の連隊ではありますが、
この戦いの中ではManteuffel軍の一部で
Kanitz指揮下ではありません。


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【ロシア軍の反撃開始】
 午前11時半過ぎ、ロシア軍歩兵第2列の
 Novgorod、Voronezh、Ryazanと
 1st Grenadierのやや後方に配置されていたSt Peterburg、
 という4つの歩兵連隊で崩れた第1列を再構成した。
 
 新手のロシア軍歩兵の展開でManteuffel軍は
 多少動揺したが、練度の高いPrussia軍の規律が
 彼らを維持させているもよう。
 ただ、出続けている損害がManteuffel軍の戦線を
 縮小させ始めていた。
 一番左のKanitz(IR2)がZabern-Grundと離れつつあり、
 そこへロシア軍のNovgorodとSt Peterburgが
 進撃してきた。
 Manteuffel軍は左側面を攻撃された格好となったが、
 それでもなんとか持ちこたえていた。


【Kanitz軍の動き】
 当初Kanitzは計画通りManteuffel軍のすぐ後に
 動き出し、ロシア軍に向かっていったが、
 Dohna軍との間が空き始め、そこへロシア軍中央が
 進撃してくるのを恐れたKanitzは
 Stein-Bachまで届くほど右側へ軍を伸ばし始め、
 その分左側が手薄となった。
 これはFrederick IIの指示に反した行動だと思われる。

 Kanitz軍はManteuffel軍への支援が難しい状況と
 なってしまった。
 Zabern-GrundとGalger-Grundの間で孤立気味に見えた
 ロシア右翼への集中的な攻撃の先鋒であるManteuffel軍が
 むしろ孤立し、優勢なロシア軍右翼の攻撃に晒される状態
 になりつつあった。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KAN:Kanitzの判断ミスもありますが、
   Dohna自体もOblique Orderのrefused wingとして、
   Kanitz軍に続いて行軍し、Kanitz軍の側面を
   守り、場合によっては予備として他で戦力が必要に
   なったら支援するという事がいまいち理解しきれて
   いなかった気がします。
 KRE:たしかに。
   Dohna軍は少し右(東)によりつつ進軍
   してしまっている。
   Kanitzは以下のように考えていたかもな。
   ●想定1:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Zorndorf_011.jpg
    或いは
   ●想定2:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Zorndorf_012.jpg
   Manteuffel軍の支援というよりは
   Manteuffel軍が左翼でKanitz軍が中央という意識だ。
   Kanitzの右側はGalger-Grundより東のロシア軍中央を
   相手にする事もあるが、基本的にはロシア軍中央は
   Dohna軍が相手をすると割り切っていれば良かったのにな。
 KAN:KanitzはKanitz軍の左半分でManteuffel軍を支援し、
   右半分でロシア軍中央からの攻撃があれば抑える、
   という事を想定したのかもしれませんね。
   Manteuffel軍が消耗してきたら、左側に寄っていく。
   つまり、Zabern-Grund側にはずっとくっついていて
   Manteuffel軍は右側が縮小していくので、
   その縮小分をKanitz軍の左半分で埋めていく、
   という考えです。
 KRE:まあ、左翼の騎兵もいるから、
   いざという時Manteuffel軍の左側はそっちで助けるだろう、
   という想定もあったかもな。
 KAN:ふと全体として考えると
    ロシア軍右翼→Manteuffel軍とKanitz軍の左半分
    ロシア軍中央→Kanitz軍の右半分とDohna軍左半分
    ロシア軍左翼歩兵→Dohna軍右半分と右翼騎兵
    ロシア軍左翼騎兵→?右翼騎兵?予備?
   となり、あまり全体が左側により過ぎると
   右側でロシア軍左翼への対応が手薄になります。
 KRE:でも、それは多少しょうがない。
   それがOblique Orderの結果として起こる
   ポイントの1つでもあるから。
   まともにロシア軍左翼を相手にするというよりは
   ロシア軍右翼から手早く粉砕していくという事に
   賭けているわけだ。
   だから、Seydlitz指揮下の左翼騎兵だけでなく、
   予備のMarschall率いる騎兵も左寄りに配置されている
   と見る事もできる。
 KAN:Frederick IIのこんな感じですかね。
   ●想定1:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Zorndorf_013.jpg
    或いは
   ●想定2:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Zorndorf_014.jpg
   ロシア軍右翼に突撃するManteuffel軍は磨耗するので
   それを支援しつつもKanitz軍が最終的には
   ロシア軍右翼を押し出していくというイメージです。
 KRE:なるほど。
   Kanitz軍の左端を細かく見ていくと
   第1列:Garrison Gren Grenadier(gar6/gar8)
   第2列:Furst Moritz(IR22)の半分
   第3列:Furst Moritz(IR22)の半分
   そして、第3列の近くにKurssell(IR37)[Fusilier]の半分も
   配置されている。ここに厚みがあるという事から、
   Manteuffel軍の猛攻が炸裂した後に歩兵の左端となる
   と想定されていたんだと思う。
 KAN:さらに、その後ろには予備のAlt-Platen(D8)
   とPlettenberg(D7)が戦闘開始時に配置されていますから、
   なんというかZabern-Grundの東に沿った集中攻撃の意思を
   感じます。


<編集後記>
 Fermorが見当たらず、司令部のあるQuartschen
 にもいない、という噂があります。最前線に出ている
 というわけでもないようです。
 西に行くのを見たという情報もあり、
 Kutzdorf(Quartschenの南西)や
 Furstenfelde(Quartschenの北西)に
 いるのかもしれません。


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▲▼おわりに▲▼
午前11時45分前までの状況です。


8時か8時半頃までFlank marchした結果、
ロシア軍の裏へ回ってロシア軍右翼を狙った
Oblique Orderでの攻撃を行ったと考えるのか。
或いは
単に正面からロシア軍右翼を狙ったOblique Orderを行った
と考えるのか。

9時過ぎから2時間弱の砲撃戦の事を念頭におくと
後者のようにも思えましたが、
9時頃までの整列が早かった事を考えると
早朝からのFlank March時点で
既にOblique Orderでの攻撃を見据えていた
と捉える事もできますので、前者か?
などが記述しながら頭に思い浮かびました。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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