歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

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第118回 1758年8月(3)

2012/11/11

おはようございます、発行人です。

8月中旬です。


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【ドイツ東部戦線の動き】
 8月12日夜、PrussiaのManteuffelはKoenigswaldeの
 ロシアの別働隊を襲撃しようとしたが、
 既に撤退していた。

 8月13日、Fermerは1st DivisionとともにGross-Kammin
 へ到着した。
 ロシアは下記の情報を得たとの事。
  ・Schwedt付近でOder川を渡河する橋は破壊されていた
  ・Stargardは1歩兵大隊と多少の軽騎兵で守られている
  ・Colbergは3歩兵大隊によって守られ、武器弾薬などが豊富
  ・Stettinは主に民兵で構成される約1万の軍がおり、
   軽騎兵も数個騎兵大隊いる
 Rumyantsevは騎兵とともにLandsbergからSoldinを通り、
 Stargardまで進軍するように指示された。
 その後はOder河沿いのSchwedtまで進軍予定との事。

 DohnaはCuestrinの防衛を強化する為に
 4歩兵大隊を派遣した。

 8月14日、ロシア軍の一部がCuestrinの前に姿を
 現したという情報を聞いたDohnaは
 Schorlemmer(4 bns、16sqns)をCuestrinに派遣した。
 Schorlemmerは夕方にはCuestrinに到着した。
 Manteuffel軍はFrankfurt an der OderでDohna軍に
 合流するよう指示された。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Rus175808_003.jpg

 8月15日、FermorはCuestrin攻囲を開始した。
 初日で街の多くを焼き払った。
 Dohna軍は急ぎ、Cuestrinへ向かった。

 ロシア軍はCuestrin東側の郊外に攻撃し、
 Prussia軍をCuestrin要塞内に撤退させた。

 8月16日、ReitweinでManteuffel軍はDohna軍に合流。

 8月17日、Dohna軍はManschnowとGorgastの間に展開した。
 先遣させたSchorlemmer軍と合流。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Zorndorf_000.jpg

 8月18日、Frederick II軍はCrossenに到着した。

 8月19日、ロシア軍の攻囲用の物資が枯渇し始める。

 8月20日、Frederick II軍はFrankfurt an der Oderに到着した。
 Frederick IIの宿泊施設からCuestrinへの砲撃の音が
 聞こえたとの事。


【ドイツ西部戦線の動き】
 8月11日、フランス軍はRhine川を渡り、Lippe川沿いに
 展開し始めた。
 Ferdinandはイギリスの大陸派遣軍との合流を準備する為に
 ImhoffをBocholtに派遣。UrffはBocholt西のWerth西で
 Imhoff軍を支援。
 ObergはEmmerich近辺、H連合軍主力はEmmerich東で
 Rees北のMillingenに展開。

 8月12日、イギリスの大陸派遣軍がAhausに到着した。
 今後数日間、激しい雨でフランス軍とH連合軍双方の行動が
 緩慢となる。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/WGE175808_005.jpg

 8月17日、イギリスの大陸派遣軍がCoesfeldに到着し、
 Imhoff軍と合流した。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/WGE175808_006.jpg

 8月19日、Contades率いるフランス軍主力はRhine川を
 渡り終えた。


【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部-Lusatia戦線の動き】
 8月12日、Henry軍の配置は下記。
  ●Henry軍はDippoldiswalde:12歩兵大隊、10騎兵大隊
  ●Huelsen軍はHilbersdorf:5歩兵大隊、5騎兵大隊
  ●Asseburg軍はWaldenburg:6歩兵大隊、15騎兵大隊
  ●Knobloch軍がMaxen:6歩兵大隊、騎兵が400
  ●Kohlberg:2歩兵大隊
  ●Freiberg:2歩兵大隊
  ●PirnaとSonnenstein:1歩兵連隊

 8月15日、約1万5千のDombasleがChemnitzまで前進した。
 Asseburgは北西のPenigに移動した。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Sax175808_001.jpg

 8月17日、Austria軍主力を率いるDaunはZittauに到着した。
 HarschはSilesian国境に配置される。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Sax_Sil175808_001.jpg

 8月20日、Henry軍はPirna方面に寄り始めた。
 Maxenから撤退したKnoblochに代わり、Huelsenが
 Maxenに駐屯する事となった。
 
 同日、DaunはZittauからGoerlitに進軍した。
 この動きはロシア軍と合流しようと北上するLoudon軍を
 支援する為であったという。

 Dombasle軍はFreibergに進軍。Trautmansdorf軍と
 Macquire指揮下の予備はPirnaに到着した。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Sax175808_002.jpg


【Silesia-Moravia戦線の動き】
 8月11日、Frederick IIはLandeshutを出発し、
 Dohna軍との合流に向かった。

 8月12日、Frederick IIはLiegnitzに到着。
 翌日、Liegnitzを出発。

 8月中旬、margrave CarlはDaunの動きを偵察する為に
 Puttkamerを派遣した。
 また、Zieten(6bns、5sqns)はLowenbergに派遣された。
 
 8月20日、margrave CarlはLandeshutから北へ向かった。
 Landeshutには約1万を率いるFouquetが入った。

 
【ドイツ北部戦線の動き】
 8月中旬、スウェーデン軍主力を率いるHamiltonの
 前衛部隊はAnklam南のFerdinandshofまで進出した。
 別働隊のHessensteinはPeenemuendeとUsedom東の
 Swinemuendeを占拠した。

 また、ロシアとスウェーデンで12年の同盟条約が
 更新された(?)、との事。


【イギリス海軍の帰還】
 Cherbourgの港湾施設、防衛施設、船、や武器弾薬庫など
 を破壊した後、
 8月16日、イギリス軍は再乗船した。
 小さな戦闘はいくつかあったが、イギリス軍の被害は
 100人にも満たないとの事。

 8月19日、イギリスの船団はいったんPortlandに移動した。
 
 まだ次のフランス海岸への襲撃があるもよう。


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 --------東部戦線--------
 KAN:Cuestrin要塞の早期陥落が難しいとわかり、
   Frederick II軍の接近を知ったFermorは
   Prussia軍のOder渡河を妨害する事にしたようです。
 KRE:RumyantsevはSchwedtとCuestrinの間の橋とボートを
   破壊するように指示された。
   ついでにSchwedtで兵を集めよ、という話も。

 --------西部戦線--------
 KAN:Weselから東へ東西に流れるLippe川の南側をフランス、
   北側をH連合軍が抑える形で進行していますね。
 KRE:Weser川沿いのKassel周辺で展開しているフランスの
   Soubise軍とContades軍が連携しやすい状況には
   なってきている。もう少し東にいったLippstadtあたり
   をフランス軍が取るとそれが進むな。
 KAN:そのあたりを合流地点にしてもいいですしね。

 --------南部戦線--------
 KAN:DaunはLusatiaから西へ行き、
   SaxonyのHenry軍の背後に出るつもりです。
 KRE:今はZittauとかGuerlitzにいるが、
   Bautzenあたりまで行って、そこから
   Dresdenにでも向かうのだろう。
   そうすれば、Pirna、Maxen、Dippoldiswaldeと
   いったDresdenの南に展開しているHenry軍の
   後ろを取れるからな。
 KAN:実際にはHenry軍はDresdenあたりまで下がるでしょう
   から、Austro-Imperial軍と合流すればいいわけですね。

 --------北部戦線--------
 KAN:6月下旬にDohna軍がPomeraniaから撤退し、
   Brandenburgに向かってからはスウェーデン軍が
   やりたい放題になっているはずなんですが、
   食中毒事件や司令官の交代などのせいか、
   進行がゆっくりですね。
 KRE:来月あたりからBrandenburgに侵入する、
   なんて事があるのかな。
 KAN:ロシア次第ですが、ありえますね。


<編集後記>
 Frederick IIがロシア軍に向かっています。
 Frederick II自身が率いている軍と
 既に送った軍を合わせて約1万5千が
 Dohna軍の援軍として合流する事になるようです。


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▲▼おわりに▲▼
北部戦線は他の戦線に比べて一番記述量が少ないですし、
今後もこの傾向はあまり変わりませんが、
スウェーデンの動きが出てくる来月あたりから
少し増えます。
東西南北と戦線を切り分けてみて、
よくよく考えると、北は1761年のColberg攻囲戦が
一番記述量が多くなる気がします。

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創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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