歴史・地理

7年戦争を速報風味かな、これ

フリードリヒ大王の七年戦争を
速報風にお伝えしてきます。

調べながら考えながら楽しみながら、
送信させていただきます。

現在は七年戦争4年目の1759年を
扱っています。

全て表示する >

第117回 1758年8月(2)

2012/11/10

おはようございます、発行人です。

8月5〜10日です。


------------------------------------------------
【ドイツ東部戦線の動き】
 8月5日、PrussiaのMalachowskiはSternbergに
 駐屯しているロシアのStojanovを攻撃しようとしていた。
 StojanovもちょうどReppenのPrussia軍を攻撃すべく
 進軍し始めたところだった。
 両軍の前衛部隊がぶつかり、小規模な戦闘の後、
 Malachowski軍はReppenに撤退した。

 8月6日、ロシアのObservation CorpsはParadiseから
 Wartha川沿いのSchwerinに移動していた。
 数日前に別行動となったRumyantsevの騎兵は
 Koenigswaldeに到着した。

 8月8日、ロシア軍主力はLandsbergに進軍し、
 Wartha川沿いに宿営した。RumyantsevはPrussia軍の
 所在を確認する為にDrossen、Sternberg、Sonnenburg
 に偵察部隊を放った。

 8月9日、Rumyantsevの偵察部隊はReppenをPrussia軍が
 まだ占拠している、という情報をもたらした。

 8月10日、Rumyantsev軍の騎兵はKoenigswaldeから
 Landsbergに移動し始めた。

 Soldinを占拠したStoffelnはCuestrin、Stettin、Schwedtに
 偵察部隊を放った。
 Braunが病気になった為に指揮がCzernichefに引き継がれた
 Observation CorpsはSchwerinからLandsbergに進軍した。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Rus175808_002.jpg
http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/Rus175808_002_2.jpg


【ドイツ西部戦線の動き 〜Lower Rhine〜】
 8月5日、Marlborough率いるイギリスから派遣軍
 Emdenから南下し始めた。
 
 8月6日、Ferdinandはフランス軍のReesへの進軍を聞いて、
 WangenheimをImhoffの支援に向かわせた。

 FerdinandはRheinbergでRhine渡河を考えていたが、
 雨の影響で川の流れが強く、渡河は難しい状況だった。
 Rees付近の橋も同じ状況だった。
 約1万2千のMarlborough軍との合流を早く果たしたいと
 Ferdinandは考えていたとの事。
 H連合軍主力はRheinbergからXantenに移動した。
 
 8月8日、H連合軍主力はKleve北でRhine川により近い
 Griethausenに到着した。Holstein率いる後衛部隊は
 Kleveに到着。
 Reesの橋はまだ利用できない状況だったので、
 この橋を壊し、新たに2つの急造の橋を作る事にした。
 
 フランス軍主力を率いるContadesはErkelenzから
 北へ進軍を開始した。
 Marlborough軍はLingenに到着した。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/WGE175808_003.jpg

 8月9日、ボートを繋げた急造の2つの橋を使って
 H連合軍はRhine川を渡り始めた。
 フランス軍はこれらの橋を破壊する為に、
 Weselから特殊なボートを流したが、
 H連合軍の小型船に破壊された。
 
 8月10日、H連合軍はRhine渡河を終え、橋を燃やした。
 DuesseldorfもLippstadtへ向けて撤退した。
 フランス軍はすぐに占拠した。
 
 ContadesはAlpen周辺で野営していた。
 フランス軍の前衛はKleveに到着した。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/WGE175808_004.jpg


【ドイツ西部戦線の動き 〜Hesse〜】
 8月8日、KasselのSoubise軍に約6千のWuerttemberg軍が
 合流した。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/WGE175808_007.jpg


【Saxony-Thuringia-Franconia-Bohemia西部戦線の動き】
 8月7日、DaunはLoudonをUpper Lusatiaに送った。
 8月10日、Austria軍主力はZittauに向けて進軍を開始した。


【Silesia-Moravia戦線の動き】
 8月5日朝、竜騎兵と歩兵に護衛されたPrussiaの輜重隊は
 Braunau南西のPolitzに向けて出発した。
 FouquetはNachod周辺に展開。
 RetzowはStarkstadtに進軍中。
 
 8月7日、Frederick II、RetzowはGruessauを
 目指して進軍していた。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/SGE175808_001.jpg
 
 8月8日、ForcadeはBraunauに到着した。
 
 8月9日、Frederick IIはGruessauに到着した。
 ここでFrederick IIはロシア軍がLandsbergまで進出し、
 Cuestrinに近づきつつあるという情報を聞き、
 すぐに支援に向かう事を決めた。
 
 8月10日、Frederick IIはGruessauからLandeshutに
 移動した。


【イギリス海軍、Cherbourg襲撃】
 8月5日までは天気が悪く、Alderney島あたりにいたが、
 8月6日から動き出し、8月8日にCherbourgを占拠した。

 8月9日、撤退したフランス軍はCherbourgの南東20kmの
 Valognesに新しい野営地を築いた。
 参考:http://frederi1757.up.d.seesaa.net/frederi1757/image/B_raid_02.jpg


<言いっ放しでもいいかな、これ>
 KAN:イギリスはHowe率いる船団とBligh指揮下の上陸軍
   で今年2回目のフランス海岸への襲撃を開始しました。
 KRE:一方でEmdenに上陸したH連合への派遣軍も
   南下してFerdinandと合流しようとしている。
   両方とも8月初あたり敵地にいるように
   合わせて動かしたんだろうな。
 KAN:ただ、H連合軍自体はRhine川の北側(東側)に
   渡ってしまいました。
 KRE:ま、いろいろあるが、合流する為には仕方ない。
 KAN:フランス海岸への襲撃との連携という事では
   一歩後退でしょうか。
 KRE:どうだろう。少し離れているから
   もともと合流しようというものでもないし、、
   それぞれにやっていけばいいわけだから、
   あまり影響はないと言えばないかもな。


<編集後記>
 DaunはLusatiaかSaxonyに進んでからSilesiaに
 向かう事を検討しているようです。
 DaunにはAustria首脳から、過去よりもリスクを
 取っていけ、という指示が出ているようです。


------------------------------------------------
▲▼おわりに▲▼
偶然とは思いますが、
8月9日にFrederick IIはロシア軍を撃退する為に
Dohna軍との合流に北へ向かい、
Ferdinandも上陸したイギリスからの援軍と
合流する為にRhine川を北へ渡り始めました。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2011-08-10  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。