芸術

MUGA 芸術から科学まで「無我」表現による革命を

 MUGA表現研究会とは、エゴイズムに基づいた価値観、表現が蔓延している現代世界において、「私」ではなく「世界=無我」という単位からの表現を志す会です。
 文化的価値の転換、革命を目指し、その雛形として無料月刊メルマガ「MUGA」を配信(毎月15日)します。


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MUGA第79号

2018/02/15

MUGA 第79号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

MUGA表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇詩

那辺の詩  那智タケシ

◇エッセイ

人生MUGA劇場 その2 「それでもぼくはやってない」

高橋ヒロヤス

◇メンタルヘルス

新連載 「悟り系・人生相談室」 第1回 2/9 四谷の事務所にて

社会主体ではなく、自分主体で生きる

◇エッセイ

カウンセリングで治して社会に戻るということ

土橋数子

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◇詩

那辺の詩  那智タケシ


  人は、生きていたら濁ってしまうものだけれど

 人は、生きていたら濁ってしまうものだけれど、
 迷妄の日々の中で、
 人ごみの中で、
 虚妄の中で、
 知らずしらず、
 狂ってしまうものだけれど、
 それでも永遠に濁っていることはなく、
 狂っていることもなく、
 迷っていることもなく、
 悲しんでいることもなく、
 その必要もありはしない
 なぜなら、それは迷妄なのだから
 嘘なのだから

 人は、生きていたら濁ってしまうものだけれど、
 時に、自らの手で迷妄を打ち砕き、
 うっとうしい人ごみを掻き分け、
 誰もいない土地に行って、
 諸々のしがらみを投げ捨てて、
 すべてをうちやって、
 一人になることはできるはずだ
 その時、
 たった一人である時、 
 そこに迷妄はなく、虚構も、偽善も、聖も邪もなく、
 裸の、自分自身しかいない
 君自身しかいない
 そんな瞬間があるはずだ

 だから、自分が自分であり
 正真正銘の、君自身であるのなら、
 それは嘘ではなく、
 虚構ではなく、
 君自身であり、
 真実なのだ
 それがどんなにぶざまで、
 格好悪く、
 情けなく、
 惨めで、
 年老いた、弱いものであったとしても、
 君は美しく、
 何ものにも代えがたい、真実の存在になる

 人は、生きていたら濁ってしまうものだけれど、
 すべての余分な観念をうちやって、
 自分自身になることができれば
 君はきみ自身になって
 一切の迷妄から解放されるだろう
 そうしたら、
 真実そのものであるとしたら
 もはや迷いも、永遠の苦しみも、絶望もありはしない
 なぜなら、それがどんなにぶざまなものであったとしても
 それは真実であり、
 真実であることそれ自体が
 どんな美しい虚構よりも確かに、
 君の存在を支え、是とする礎石になるからである 
 

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◇エッセイ

人生MUGA劇場 その2 「それでもぼくはやってない」

高橋ヒロヤス

拘置所の接見室で、彼は「ぼくはやってません」と明言した。

「通勤電車の中で、女性の臀部を着衣の上から手でつかみ上げるなどし、もって公共の乗物において、人を著しく羞恥させ、かつ、人に不安を覚えさせるような卑わいな行為をした」との罪(公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例違反)で彼は起訴されていた。

年齢は30代半ば、1度の離婚歴があり、住居は不定、職業は派遣社員。事件当時はネットカフェで寝泊まりする生活を続けていた。

同種の前科が4件あり、半年前に同じ罪で刑務所から出て来たばかりだった。

初回接見で、彼の言い分を1時間近くにわたって聞き続けた後、少なくとも彼が、本件に関しては「やっていない」と本気で主張しているという印象を持った。しかし、彼の言い分(彼がある程度の重さのあるリュックの片側の肩紐を右ひじにかけた状態であり、着衣の上から手でつかみ上げる動作など不可能だったこと、被害者に右腕をつかまれ電車から引きずりおろされた後で被害者から示談をもちかけられたことなど)は、目撃証言も客観的な証拠も欠いており、それを立証するのはきわめて困難であった。

彼の決意は固く、一見明白に不合理な弁解をしているという風でもないので、弁護人として無罪の主張をするほかない。正直なところを言えば、自分はそれまで否認事件というものを担当したことがなく(当初は否認していても、そのような主張では裁判官を説得できないのではないかと議論していくと自白に転じる場合がほとんどだった)、真正面から無罪を主張する裁判をしてみたいという気持ちもあった。

それから彼は、連日拘置所の中から、とても几帳面な字で書かれた長文の手紙を送ってきて、捜査機関の証拠を弾劾し、自らの無罪を「立証する」方法を述べ立てた。刑事裁判においては、被告人の有罪の立証責任は検察側にあり、被告人に自らの無実を立証する責任はない。しかし、検察側の提示する有罪のストーリーを覆すためには、事実上の反証が要求される。彼の提案する反証方法は、非現実的なものも含まれていたが、裁判の中でできる限り弁護側の主張の中に含めるようにした。

過去の判例や、彼が有罪となった裁判記録(彼はそこでも無罪を主張していた)を調査する中で、裁判官が彼に対して抱くであろう真っ黒な心証を白く塗り替えることの困難さを痛感した。自らの犯行であることを認めれば、初犯であれば執行猶予、うまくすれば略式起訴(前科はつくが起訴段階で釈放される)が可能な事案であったが、自分が弁護人となったのは起訴された後であり、彼は否認している。前科を考えれば実刑となるのを覚悟しなければならなかった。

地方都市に生まれ、地元の高校に進学するも中退し、上京後は、土木作業員などの職を転々としていた彼は、再び地元に帰り、30歳のときに、幼馴染の5歳年下の女性と結婚した。しかし1年後に離婚。その理由について彼は語らなかったし、彼女を含め親族に連絡を取ることも頑なに拒んだ。

過去の犯歴を振り返って、性犯罪への常習性が見られることから、これを一つの病気と考えて、何らかの治療を受けようとしたことはあるか、今後受けるつもりはあるかと何度か尋ねてみたが、自分は病気ではないのでその必要はないと繰り返すのみだった。

否認しているため被害者に連絡して示談の申し入れをすることもできない。仮に示談しようとしても彼に示談金の用意はできなかったろう。

裁判は数か月に及んだ。その間、真夏の東京拘置所に10回以上足を運んだだろうか。彼からは事件記録の他、雑誌や日用品など色々な差し入れの要請があり、できるだけ希望には応えた。彼の主張は客観証拠を欠くため、彼自身に対する尋問で裏付けるほかなかったが、被害者の女性の法廷証言の方により説得力があり、裁判所の判断がそちらに傾くのはやむをえないと感じざるを得なかった。

有罪(実刑)判決が出た後、彼から手紙が届いた。彼はネットカフェで寝泊まりしながら、トランクルームを借りて自分の持ち物を保管していて、そのトランクルームの中にある物を差し入れてほしいという内容だった。

弁護人として本来そこまでする義務はないのだが、指定された場所のトランクルームに行き、管理人に事情を話し、鍵を開けてもらった。倉庫の中には、10個ほどの段ボールが、彼が手紙の中に図示したとおりに並べられてあった。

差し入れしてほしいと書かれていた箱は、図示された場所に確かにあった。そこに入っていたのは、歯ブラシやタオル、櫛、鏡、男性化粧品といった日用品の類であった。それ以外に蓋が閉じられていない箱が並べられていた、中身を確認するため段ボールの蓋を開いた。それらの中身が何であるかは手紙には書いておらず、ただ処分してほしいとあった。

箱の中には、女性物の下着がぎっしり詰まっていた。それぞれが透明なビニール袋に詰められ、紙片が一緒に入っていた。いちいち取り出して確認する気にはなれなかったが、袋越しに読める文面は女性からの手紙と思しきもので、品物を買い取ってくれたことに対するお礼のようだった。

ネットオークションなどで落札したものなのか、店舗で購入したものかは分からないが、盗品が含まれていないことを願うしかなかった(彼の前科には痴漢のほかコインランドリーでの下着泥棒も含まれていた)。

拘置所に段ボールの荷物を送った後しばらくして、拘置所から手紙が届き、日用品は中で購入することになっているので差し入れられないほか、差し入れできない物については引き取るか廃棄するかを決めてほしいと書かれていた。

その後、彼から、差し入れのうち彼の手元に渡ったものについてのお礼と、残りの物は廃棄してほしい旨の手紙が来た。文末には、有罪にはなったが裁判は悔いのないものだったという感謝と、家族に手紙を書いて、今後の生活について相談しようと思うと記されていた。

映画やドラマでは、真実は無罪であるのに冤罪を疑われ、正義感に燃えた弁護人が懸命に嫌疑を晴らすというストーリーが多い。しかし現実は、自白事件が大半であり、無実を主張する被告人も、冤罪と言い切れる場合ばかりではない。彼の場合、「やってない」という言葉は果たして真実であったのか。弁護人は、被告人の唯一の味方として、精一杯できることをやるしかないのだが。

彼はもう出所している頃だと思う。再び塀の中に入ることのないよう祈るのみである。

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◇メンタルヘルス

新連載 「悟り系・人生相談室」 第1回 2/9 四谷の事務所にて

社会主体ではなく、自分主体で生きる

※MUGA研代表・那智タケシ(『悟り系で行こう』作者)が、わかる範囲で諸々の人生相談、悟り系の疑問・質問等に答える新コーナーです。ご相談、ご質問等ある方は下記のメールフォームまで。

http://form1.fc2.com/form/?id=e15cc22eb8d41af0

差し支えある方は、本名はハンドルネームで、連絡先等もメールアドレスのみで結構です。Q&Aの形でメルマガ上でお答えします。面会希望の方に対しても、随時でき得る限り対応します。(不定期連載)

参加者
T=Tさん(相談者・30代女性・会社員・ADHDのお子さんを持つシングルマザー)
那=那智タケシ(MUGA研代表・作家、ライター)
高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)
土=土橋数子(ライター)

(今回は編集会議に飛び入りという形でしたので、4人での座談会形式になりました)

●ADHDと薬の効果

 高 Tさんのお子さん(息子さん)が小学校3年生なんですけど、3年生に上がったくらいから、多動がすごくて。保育ぐらいまでは目立っていなかったけれど多動がすごくなって、学校からあまりにもひどいので、ちょっと呼ばれて、何とかしてくれということで。それで病院に行ったら、「この子はADHD((注意欠如多動性障害)ですね」と診断されてその場で薬をもらって飲んでいるということです。
 T 2人の先生に一応診てもらいました。
 土 薬ってリタリンみたいなやつですか?
 高 いや、コンサータっていう。
 那 小3?
 T 今、3年生です。
 那 小2から言われたの?
 T いや、もう1年生からです。
 那 1年生から落ち着きないと。
 高 その日から毎日薬を飲んでいると。まぁ、薬を飲んでいる間は、一応おとなしくなるんですって。
 那 薬の力で?
 高 薬の力で。朝毎日飲んで、夕方まで学校にいる間はとりあえずちゃんとできると。ただ家に帰って来て薬が切れるとまた多動になっちゃって。
 土 反動もね?
 高 そうね。とにかくすごいと。それで家の中でもまったく止まらない。落ち着きというか、止まっていることがない。夜、寝るまでの間はとにかくすごいと。彼女は今、1人で育てているので相手しなければいけないし、外に連れて行っても、真っ直ぐ歩けない。飛び回っちゃうみたいな感じで。急に道飛び出しちゃうとか。動画を見るとすごい。とにかく危なくて目が離せない。
(お子さんが歩いている動画を見せてもらう)
 那 どの子? 右の子か。ダンスしているみたい。
 高 そう、ダンスしているようにも見えるんだよね(笑)
 那 足の動きが逆にすごい。
 T (笑)
 那 これは何かの才能あるよ。何かそういうことやらしたらいいんじゃないですか? この動きを利用する(笑)
 T (笑)
 那 でも、何か発散したいものがあると思うんですよね。やっぱり落ち着きがないというのは、自分の中に落ち着いていられない要素があるわけでしょ?
 T 先生がおっしゃるには、彼はすごく耳がいいと。いろんな音にすごい反応しちゃうみたいで。薬を飲んでいないと、授業中だったりでも誰かがしゃべったことにこう、すぐ行っちゃって、こっちにも行っちゃってといろんな所に反応しちゃうから、結局落ち着かなくて。1年生の頃は、まだ薬飲んでいなかった時なんですけれども、座ってられないので、もう1人同じような感じの子がいて、その子は徐々に落ち着いてきて薬とかは治療してないんですけど、その子と2人で、いつも後ろの方で立ってウルトラマンごっこしたりとか、ずっとしてたらくして、授業中に。
 高 先生の話とか全然聞かない?
 T もう、座ってられないので。その辺くらいからカウンセラーの先生から「困っていることないですか?」って話をされて、こういう風にたぶん言われるのは、学校側から見て問題ある親に言われるんだろうなっていうのはだんだん気づきだして、病院2件連れて行ったんですけど。
 土 小児科?
 T そうです。小児科の精神科みたいな。
 土 診療内科みたいな。
 T はい。2軒とも連れて行って、座った瞬間、回転する椅子の上でくるくるくるくるずっと回っているんですよ。
 那 おうちでもそういう感じなんですか?
 T はい、そうです。診た瞬間、もう何分かして、「完全に多動ですね」と。本人もきっと学校での生活が送りにくいと思うから、やっぱり怒られてばっかり? 常にじっとしていられないのに、じっとしていなさい、やりなさいって言われても、やろうと思ってもできないのに、やりなさいと言われて怒られちゃうから、「本人はつらいと思うから薬を飲んだ方がいいです」という結果になったんですけど。
 土 薬ねぇ……
 高 ただ、多動で授業は全然聞いてないんだけど、テストは全部100点。
 那 頭はいいんだね。
 高 IQもすごく高いんだそうです。だから授業は理解できてる。
 那 学校のシステムに合っていないということだよね。おとなしく座ってなくちゃいけないとか、先生の言うこと「はい」と聞かなくちゃいけないとか。やっぱり、まぁ、ある種特殊な才能はあるかもしれないけれども、定型に合わせられないという才能の過剰というのもあるのかもしれないし、もうひとつはやっぱり、正直に言えば、家庭環境によって落ち着きがないというのもあるかもしれない。それはでも、彼の中の葛藤じゃないけど、発散しないと落ち着けないというか、自分が自分でいられないという何かが、ある「震え」があると思うんだけれども、その「震え」というのは薬で、物質的に抑えるというのはさ、学校に通うという意味では有効かもしれないけれども、もっと長いスパンで彼の人生を考えた時に、それが解決策では・・・その場しのぎにはなっているかもしれないけどね。
 T まぁ、そうですね。
 那 母子家庭でしたっけ?
 T はい。
 那 なかなか、かまってあげる時間も難しいかもしれないし、まぁ、これからどんどん大きくなっていくとやっぱり1人で、自分の世界を作って自分で生きていかなくちゃいけないわけじゃないですか? そういう時に、今、できることって限られていると思うんですけど、その才能なり、何か表現欲といのうかな? その発散するものを表現欲に変えていく場というか、それは絵でも音楽でもダンスでも何でもいいんだけど、そのエネルギーを注ぐ何か。単に合わせられないからマイナスではなくて、それをプラスにする方向性を、親ができることって作ってあげるくらい。習い事でも、この子こういうこと興味ありそうだ、この子ここに特化しているなと気づいたら、ちょっとこういう教室行ってみるとか。お金のこともあるでしょうけれど。
 T すごいいろんなことやらせてるんですけど。
 那 何をやってるんですか?
 T えっと、最初公文やらせて、プール、バスケ、野球、サッカー、ダンス、今、塾に行っているんですけど。
 土 進学塾? 個別の?
 T 少人数の。でも、最初行ったその日とかは、体験で行ったりして、すぐに「やりたい」って言うんですけど、自分よりすごい子がいるとそこで心折れちゃって、プライドがたぶん高いんだと思うんですけど、何かちょっとすると「やめたい」ってすぐ言うんですよ。だから何やっても続かないというか。今、何をやらせたらいいかと自分でもすごく考えている状態で。ある程度サッカーだったり、野球だったりみんな好きなことがあるんですけど、うちの子は本当に何もなくて、ただ図工とかはすごい好きで、物を作ったりとか、何か地道にやること? 薬を飲んでいるから集中力がアップしているので。
 土 薬を飲んでいるから、集中力がアップしている?
 T はい、逆にもう、動かないでじっとできる。
 高 コンサータってすごい集中力を高めるというか、意識を覚醒させる。
 土 リタリンとかが入っているんですよね?
 T はい、そうです。
 土 リタリンは、飲ませない方がいいっていうのがあって。どちらにお住まいでしたっけ?
 T 渋谷区です。
 土 私、前、スクールオブスクールズって言って、習い事なんですけれども、勉強のやり方を学ぶ、勉強ではなくて勉強のやり方を学ぶ塾の先生の本をやったことがあって、ずいぶん昔なんですけど。そこで発達障害のお子さんもいらしていて、例えば学習障害とか発達障害というのもいろいろあって、本がまったく読めなかった子は、頭が悪かったんじゃなくて、目の動かし方が違ったから。
 T ああ……
 土 こういう線みたいな、その字のところだけが浮かび上がるような定規をしただけで読めたり、目の動かし方をしただけで本読めるようになったりとかいう。
 T でも、何かこう学校の中だけではなくて、渋谷区の方から療育みたいのを受けた方がいいというのを2年生の頃から言われていて、今、ずっと続けているんですけど、今、1週間に1回、金曜日に先生に来てもらって、普通の授業から1人だけ抜けて、1対1で先生と迷路みたいのやったりとか、体感トレーニングとか、マット運動したりとか1時間やってもらっている授業があるんですけど、その時にすごい言われるのが、目で見て書くことがすごく遅い、と。だからそれをトレーニングするために、こっちに書いてある数字で、こっちに書いてない数字はどれだとか、何か遊びみたいな感じなんですけど、そういうのをずっと見てくれている感じなんですけど。

●ストレスのほとんどは、社会からやって来るもの

 高 あと、お子さんに自分がどうストレスを感じずに家で過ごしたらいいか、という問題があるんですよね?
 T 土日すごい疲れるんです。土日は薬飲ませないようにしているので、基本的に月曜日によっぽど大事なテストがあるとか、そういう時以外は飲ませないようにして自由にさせているんですけど、すごい動くので。街中に出ても、さっきのような状態なので、誰かにぶつかって怪我させたらたいへんだ、とかずっと見ていなくちゃならない状態で、すごい疲れるんですよ。
 高 お母さんのストレスは半端ないと。
 土 お肉とか魚とかって食べる子ですか? たんぱく質や鉄分を取るのが、産後うつや多動の子にもいいと聞いたんですけど。
 T 元々食に対する興味がまったくない子で。薬を飲んじゃうと本当に食べれなくなっちゃうので、お昼ごはんは普通の子の半分くらい? で、夜は、薬が切れるので6時、7時、8時くらいなのでそれ以降だと食べれるんですけど。
 土 薬の副作用であんまり食べれないんだ?
 高 食欲がまったくなくなってしまう。
 那 そうなんだ。副作用としてはそれくらいですか?
 T そうですね。
 那 その薬を使い続けるともっと飲まなくちゃならないとか、そういうことはないのですか?
 T それはたぶん今は、そんなにないと思います。ちょっと最初の頃より量は増えたんですけど。ただ本人も、「今日、ちょっと飲まないで行ってみる」とか、本当は学校の先生の方から「飲ませた方がいいと思います」みたいなことを言われているんです。「飲ませてください」とは言えないじゃないですか?
 土 ああ・・・
 T 「飲んだ方がいいと思います」とやんわりと言われるので。でも、本人が、「今日、カレーだから飲みたくない」とか、飲まなかったりする時があるんですけど、そうすると連絡書も全然書いてなくて、宿題が何だったかもわからないとか、出さないといけなかった宿題も○が付いていないとか。
 土 飲まなかったら?
 高 飲まないで行くと暴れまくっちゃうから。
 高 そういう落ち着きのない子にずっと付き合っていかなくてはいけないストレス? それを何とかね。
 那 ご自身の、いろいろな人生のストレスもあるでしょうから。
 T (笑)
 那 それをまず見つめるのは大事ですよね。そのストレスの原因を見つめて、自分自身から外していく。実は、ほとんどのストレスや病は、社会のひずみとか、いろんなゆがみをもらっちゃうことから来ているんです。弱い立場の人とか、ある特殊な性格の人とか、ブラック会社に勤めちゃった人とか、弱い人が請け負ったり、立ち位置によって、傷を受けちゃったりしていることから生じる。でも、「自分が弱いから駄目なんだ」ではなくて、「ああ、もらっちゃっているから、これを抜かなきゃな」という風に外から来たものぐらいに思っておくと、意外とそこから自由になれる。そうすると、自然と自分らしくいられるようになるし、自分らしくいられるという落ち着きは、必ずお子さんにも伝わると思うんです。
 T はい。
 那 まぁ、専門家でも何でもないぼくが言えることはそれくらいのことなんですよね。「自分が悪い」とか、「この子は病んでいるから社会に合わせなきゃ」じゃなくて、この子はこの子らしく生きていけば、自ずと落ち着きも出てくるだろうし、自分らしく才能も発揮していくだろうから、あんまり合わせよう、合わせようとか、私が病んでるとか、何とかしなきゃ、じゃなくて。社会より自分の方がえらい、ぐらいでよくて。
 T (笑)
 那 社会なんかたいしたことないんだからって。そしたら、そんな葛藤もなくなってくると思うんですよね。

●人に合わせられないことが、悪いわけではない

 高 学校でそれだけね、落ち着きなくて、浮いているかって言ったら、あんまりそうじゃなくて、割と人気者らしいんですよね。
 那 ああ、そうなんだ。
 高 で、友達からもすごく面白くていいってみんなに言われているらしくて(笑)
 那 じゃあ、いいじゃん。
 土 先生、ちょっと厄介ですよね。お薬飲んだ方がいいとか。
 那 先生が固定観念でね。「生徒っていうのはおとなしくしなきゃいけない」とか、「おとしなくできないから、この子はちょっと異常あるんじゃないか」って目で見ると、差別なんだよね。その時点で。
 T うちの子は、一つに没頭するタイプじゃなくて、薬を飲んでないと、おしゃべりとか、お友達にちょっかい出したりとか、何だろ? 学校に来て教室入りました。普通、自分の机にランドセル置くじゃないですか? それすらしないで、ランドセルしょったまま、あの子のとこに行ってしゃべって、別の子のとこに行ってしゃべって、先生が入って来てもしょったまま、いろんな子のとこに行ってしゃべって挨拶をしている。
 那 いい子じゃんね。
 T (笑)そんな感じなので。
 那 社交的でいい子。
 T 先生からしたら、この子をつぶしとかないと、回りにちょっかい出しちゃうから、回りもうるさくなっちゃう。
 高 コントロールできなくなる。
 那 管理できないと不安なんだろうね。
 高 まぁ、抑える方向に行っちゃうよね。
 T 一時期、先生にみんなと席を離されて、給食の時も一人で食べさせられたりする状態が続いたらしくて。
 那 それはやばいね。
 高 実際問題になったんだよね?
 T はい。
 高 学校の側も謝罪したんだよね?
 那 それはやばいよ。
 T PTAの教育委員会みたいな人が来ちゃって、校長と副校長と担任から謝罪とかされちゃって。
 高 議員の人が来て、これひどいじゃないかって怒っちゃって。
 土 それはどなたが教育委員会に?
 T 同じクラスの生徒のお父さんに議員さんがいて、その人が話を聞いておかしいじゃないかって教育委員会に言ってくれて、けっこう大きい問題になってしまって。
 土 でも、それをおかしいじゃないかって言ってくれる人がいてよかったですよね?
 高 だからその問題は一応解決したんですよね。ただ・・・
 那 だからね、あんまり学校とか社会に合わせなきゃいけないんじゃないかって、親としてもあんまり思いすぎちゃうと、子供にストレスを与えてしまう。「自分だめな子なんだ」って思っちゃうかもしれないから、そこですよね。もちろんね、やっぱり親としては心配じゃないですか? 「合わせられないのかな、この子大丈夫かな?」って。でも、それによって、もしかしたらお子さんが「俺ってだめなのかな?」って思い始めちゃったら、それこそものすごい抑圧というか、ストレスになってしまうと思うから、「あなたはあなたでいいんだ」って言い続けてあげた方が、むしろ落ち着く気がします。
 T はい。
 那 まぁ、やれることはね、食事療法でも何でも、専門的なことはやってもいいと思うけれど、根本的に「あなたは間違っていて合わせなくちゃいけない」という目で見ない方がいい。そういうストレスを絶対与えない方がいいと思います。その子はその子で才能があって、特別な何か――まぁ、みんな特別だという見方の方がいいと思うけれども――、その子はその子の個性があって。ただ最低限、迷惑かけるとかっていうね、ぶつかっちゃってどうとかいうのはあると思うから、そこは物言いですよね。「落ち着かないから、あなたは悪い子」じゃなくて「もしかしたらこういうことになっちゃうかもしれないから、そこだけは気をつけなさいよ」っていう風な、その落ち着きのなさも含めて愛してあげるじゃないけども。
 T (笑)
 那 包み込んであげるぐらいで接してあげれば、お子さんも安心感が出てくると思うし、お子さんが「ぼく悪い子なんだ」「だめな子なんだ」なんて思ってしまったら、それはこれから思春期になっていく時に、大きな精神的な問題を抱えてしまう可能性がある。
 高 そうだね。

●社会のシステムは、人間の本質とは無関係

 土 家の子と同級生の子がボーダーラインの発達障害で療育も行っていて、小学校は東京は無理だと言って沖縄に引っ越したんですね。それで何か幸せに暮らしているらしくて。
 高 沖縄は大らかだから?
 土 沖縄に琉球大学のある先生がちゃんとした方針で運営している小学校があるらしくて、インクルージング。いろんな子がいて。
 那 子どもはこうあらねばならない、という固定観念がたぶん緩いんだろうね。
 土 東京だと、もしかしたらその子は特別学級とかに行かなくていけなかったもかもしれないと。
 那 東京だと小学校時代から受験とか、ある種、みんなが平等に情報を得て、偏差値を上げていかなくてはならない、という固定観念があるからそれを乱すような子は問題児になるという、競争社会の弊害があると思うんですよ。個性も含めてこの子を伸ばしてあげよう、じゃなくて、「みんながおとなしく聞いてないと授業が進まないじゃないか」ってなった時に、先生からしたら管理したいから、「この子は特別学級だ」となる。でも、それって別に全然正しいとか、人間としての正しいあり方ではなくて、単にシステムだからね。そこに人間の本質があるわけでもないし、合わせ過ぎる必要もない。
 T テストも100点ばっかりなんですけど、通知表も「よくできる」があんまりなくって、授業態度が悪いから。
 那 態度で決まっちゃうの?
 高 100点なんだから。
 T よくできる子は、みんなのお手本になるような子?
 那 そんな主観でいいの?
 T そう言われたんですよ。なんでこんなに「よくできる」がないんだろ?と思って先生に電話して聞いたんですけど、やっぱりみんなのお手本になる子だと。
 那 その先生問題あるんじゃないですか?
 T それが学校の決まりらしいんです。「よくできる」が何%。「できる」「できない」が何%で別れていて。
 土 相対評価?
 那 中学校になれば点数で決まるから。
 高 だから、子どもからの評価は高いらしいんですよね。女の子にももてるし。
 那 じゃあ、言うことないじゃん(笑)
 T (笑)

●社会主体ではなく、自分主体で生きる

 T 本人に、朝、机の上のわかるところに薬を置いといて、前は「はい、飲みなさい」と言って飲んだところを確認していたんですけど、もう3年生だし、飲みたくないなら飲まなくていいし、自分で苦労して帰って来たらいいんじゃないのってちょっと思うようになってきたので、さっと置くくらいで、今は飲むところを確認するわけじゃないんですけど、自分から飲んでいます。だから飲んだ方が過ごしやすのは過ごしやすいのでしょうね。
 土 ちょっと切ないですよね、それね。何か飲まないで・・・実際の苦労がわかっていないから言っちゃうとあれなんですけど……。
 那 でも、そういう風に子どもに選ばせるというのはいいと思いますよね。
 高 うん。
 那 飲んで、合わせなくちゃいけないんだ、というとストレスだけど。「あなた今日はそれでちゃんと勉強したいんだったら飲めば?」とか。だから別に学校に合わせることが絶対じゃなくて、「自分が勉強したいんだったら飲めば」って、自分主体で最初からそういう風に親が接していれば、「ぼくが主体でいいんだ」っていうか、「合わせ過ぎる必要もない、自分のために飲めばいいんだ」ってなれば、自ずとだんだんコントロールできるようになっていくんじゃないでしょうか? 自立の精神も育つと思うから、強さも出てきて、落ち着きも出てくると思うんですけどね。
 ぼくはあんまり機能的なものとか、先天的なものとか信じてなくて、やっぱり環境とか、後天的なものの方が大きいと思っているから、自分次第で人間の精神なんてどうにでもなるわけで、一番怖いのは固定観念ですよね。「こうしなきゃいけない」「社会に合わせなくちゃいけない」「学校に合わせなくちゃいけな」という風に教えたら、それはもうずっと戦いですよ。
 T はい。
 那 最初から「あなたはあなたでいいんだよ。でも、あなたが社会の中でどう生きるかというのはあなた自身の問題だから、自分に選択肢があるんだよ。だから少しずつ自分で減らす方向でやっていけば」って完全に信頼してあげれば、それは絶対に伝わるから。「ぼくが悪いんじゃないんだ」っていうさ。
 T うん。
 那 そういう視点が一番子どもからしたら、安心する。「ぼくはぼくでいいんだ」って感じていれば、戦いがない分、痙攣的な発作というのが徐々に減っていくと思うんです。
 高 まぁ、そうね。ここ何年かで落ち着きが出てくればね。
 那 信頼してあげることじゃないですかね。その子の可能性というか。存在価値を。
 高 後は、お母さんにすごい甘える。
 T (笑)
 高 とんでもないベタベタ君なんだよね?(笑)
 土 3年生だから。
 高 多動でベタベタしてくるから、余計お母さんがすごいストレスになる。
 T (笑)
 那 小学時代までは甘えさせてもいいんじゃないの? 中学になれば子離れ親離れも必要だと思うけど。お母さんの側も「いいんじゃない、これくらいで」と思っている方が伝わらないから。「あんたはあんたでいいよ」って信頼して思ってあげれば家庭関係の中で気づくこともあるだろうし、それが外に出てもね、徐々に徐々に、焦らずにやっていけばいいんじゃないかなって。あんまり「この子、ADHDでたいへんなんだ、何とかしなきゃ」ってずっと思って――まぁ、肉親だからそう思って当然でしょうけど、――思い過ぎちゃうと、それが子どものストレスに絶対なっちゃうから、むしろ子どもを信頼して「この子はこの子で素晴らしいんだ」って思ってあげれば、それが一番の薬かもしれないですね。
 T はい。
 土 ねぇ、楽しみじゃないですか?
 T ありがとうございます。
 高 すごいユニークな子だと思いますよ。いい方にね、伸ばしてあげれば楽しみな子だと思うんですけどね。
 土 甘えるのもいいと思いますけどね。
 T まぁ、そのうち離れちゃうと思いますけどね。
 土 すごい甘えている方が、「基地意識」というんですか? そこに戻る基地があるというか、それでどんどん遠くに行けるんですって。

●立派な社会人になることが幸福ではなく、自分らしくあることが幸福

 T 私、厳しすぎるのかなって、自分で。
 高 ちょっと神経質になったりとか、厳しくしつけなきゃって意識があるのかもしれないね。
 T すごい厳しく育てられたので。
 土 しっかりしたご両親で?
 高 厳しかったんでしょ?
 T すごく厳しかったですね。
 高 どうしても自分が育てられたように子供を育てちゃうというか。
 那 でもさ、我々の親の世代っていうのはやっぱり社会というものを絶対的に信じていて、「社会で生きるにはこうしなきゃ」「大人はこうならなきゃいけないんだ」っていう道徳があった時代の人たちなんですよね。
 T はい。
 那 ある種、高度経済成長で、お金があれば幸せになれるという時代の人たちだから、そういう意味で厳しいんですよ。「立派な社会人にならなきゃいけない」「迷惑かけちゃいけない」「立派な大人にならなくちゃいけない」「そうやって立派な社会人になれば幸せになれるんだ」という確固とした信念なり固定観念があって、だから厳しくしつけるというのがあったと思うんです。でも、もうそういう幻想も崩れていて、立派な社会人になっても中々幸せにはなれないですよね、今は。
 社会というものは何かと言ったら、競争社会で、格差社会でさ、弱者が、能力のない者はどんどん底辺に追いやられて、苦しい生活で、しかも価値がない存在とみなされて、ないがしろにされていく。この社会っていうのは、実は、人間を幸せにする本質というものはなかったわけで、だから、今の子たちが、そういう教育をされても苦しくなっていくだけだと思うから、社会に合わせるんじゃなくて、自分らしくある方が全然幸せだとみんな気づき始めていて。
 T うん。
 那 だから、やっぱり「社会人としてはこうありなさい」っていう最低限のね、マナーとかルールは必要だけれども、それは人間の本質ではないってことだよね。社会に合わせることが幸せではなくて、自分らしくあることが幸せなんだから、社会に合わせよう、合わせなくちゃいけないんだってしつけるよりも、自分らしくあることを優先させる。人間の本質は幸せになることだから。「幸せになりなさい。自分らしく生き生きと生きなさい」と言う方が、むしろ精神病にとって一番の薬になると思うし。
 T はい。
 那 親が「社会に合わせること=幸福」ではなくて、「自分らしくあること=幸福」という風にものの見方をシフトチェンジするだけで、子どもとの関係とか、学校、社会との関係が自由になっていく。そうやって子ども主体、人間主体で捉えていけば、その方が子育てする上でも楽だと思うんですよね。「ああ、またこの子問題起こしちゃった、どうしよう?」「もっと薬飲ませなくちゃ」なんて思って、専門家のところばっかり行く。いろいろな情報に飛びつく。そうじゃなくて、子どもの方が大事なんだから、「まぁ、最低限は合わせる方向で育てればいいか」ぐらいの方がたぶん、ご自身も生きていて楽だと思うし。
 T そうですね。
 那 あんまり、「合わせるためになんとかしなくちゃ」と思っていると永遠に悩みはなくらないですよね、それは。
 高 うん。
 那 その子はその子でいいじゃん、と俺は聞いていて思ったけれど。
 高 俺もそう思う。
 那 もしここにその子がいたら、「君、けっこういけてるからいいよ」って。勉強できて、もてているんなら一番いいよ、それは(笑)
 T (笑)

●誰か一人でも認めてくれるだけで、人間は救われる

 T 進路のこととか考えると、どうしてもプレッシャーで。
 高 お医者さんから言われるんだよね? 「もっと偏差値高いところ目指せ」みたいなことを。麻布開成とか。
 T 「頭は良いんだから、病院の先生にならせさない」とかすごい言われます。
 高 だから、そういうとこ行かせたらいいのかな、とか。
 土 聞いてたら、すごくいい悩みですよね?
 T 全然ですよ。プレッシャーで。
 高 小学生だし、あんまりこうしなきゃ、ああしなきゃって今、考えない方がいいと思う。
 那 俺もそう思うね。あんまり。
 高 話を聞いているとほんとに、じっとできない、という以外はいい子だし。
 那 あんまりひねらない方がいい。
 高 さっき言ったみたいに、「ぼくはだめなんだ」という気持ちを持っちゃうのが一番よくないと思うんだよね。
 那 才能を生かすというのも大事だけど、医者になるのが偉い、というのは大人の価値観ですよね。「この子はせっかく頭良くて才能あるかもしれないんだから、こういう学校行かせなさい」というのは社会の物差しなんです。親もついついそう思っちゃうのはわかるんですけど、「この子、医者になれるかもしれない」「高橋さんみたいに東大入って弁護士になれるかもしれない」「何とかやんなきゃ」「今から受験のこと考えなくちゃ」とかばかり親の方が思っていると、たぶん違ってくる気がして。それも社会の物差しなんだから、むしろお子さんが医者になることよりも、お子さんが幸せになることの方が大事だから。
 今は伸び伸びと自分らしくさせて、自己肯定感を持たせないと。社会人になってからも、自分が肯定されている感覚というのがないと何をやっても肩書きと関係なく問題になってくると思うんです。だから、まず絶対的な信頼感で見守ってあげるのが大事で、「自分というものは間違っていないんだ」「存在自体は合っているんだ」というのが根付いた上で、徐々に自分が行きたい方向に行くのをアシストしてあげる方がいいんじゃないでしょうか?
 T うん。
 那 小学校時代はそういう子は、大人からネガティブなものをもらいがちだから、そういうものから守ってあげるというのが一番の親の役割なんじゃないかなって思いますね。ぼくなんかは子どもいないけど、思いますけどね。
 ぼく自身は高校時代から病んでいて、誰も救ってくれなくて、いろいろ読んだり、考えたりして、自分で乗り越えたというのはありますけど、やっぱりそういう時に誰かが肯定してくれたり、「あなたはあなたで個性的で素晴らしいんだ」って言ってくれるだけで全然違ったと思う。大人になってからですもん。誰かが時々、「あなたちょっと違うよね」って気づいてくれる人がいる。たまに「すごい人来た」っ言ってくれる人もいたりする、別にすごいわけではないですけど、ちゃんと見てる人は見てくれているんだなって、感じるし、それってすごい励まされる。あっ、ちゃんとわかる人はわかってくれるんだって。単純だけど、それって一番うれしいことなんです。誰かが一人二人でも、見つけてくれたり、認めてくれるって、それだけで人って、救われたりする。
 T ええ。
 那 みんな認めて欲しくてやってるかもしれないけれども、成功したから認めるとか、肩書きで認めるのではなくて、存在自体を認めてあげるのが一番なんです。その子の個性とか精神のあり方自体を認めてあげるだけで、伸びしろとしては、すごい。どんな職業に就いても伸びていくというか。生き生きと、もしかすると人のために何かすることが喜びになる人間になっていくかもしれないし、自分と似たような立場の人を励ましてあげたいという仕事をするかもしれない。そうなるためには、やっぱり自己肯定感を持つということが一番大事で、それがベースになっていれば何をやってもいいと思うんです。それなくして、社会で成功するために「この子の才能を何とか生かさなきゃ」とやっているとどこかで何かが違ってしまってきてしまうような気がします。やっぱりベースとしては、自体を、個性自体を認めてあげるというのが一番じゃないでしょうか。
 T はい。
 那 社会が上ではなくて、この子がこの社会でどう自己実現するか、という観点が大事で。弁護士になるのも医者になるのもたいへんだけど、結局、なってからどうするかだからね?
 高 それはそうだね。
 那 自分という存在に自信がない限りは人も救えないし、肉体も精神も救えないと思うから。結局、自分自身を救わない限りは。
 高 今、たぶんお母さんに認めて欲しい、ママに認めて欲しいというのが一番強いと思うんだよね、彼の中でね。だからお母さんが認めてあげるというのが、彼にとって一番大事なこともかもしれないね。今言った、自己肯定感というのを持つうえでね。
 那 先生から「この子、また問題起こして」とか、そんな目でいつも見られていたらそれはきついですよ。子どもって全部わかってるから。「ああ、こういう目で見られているんだ」とわかったら、「俺ってだめなのかな」って絶対思っちゃう。一見、その子が元気よくて、普段、そういうのを見せないとしても、やっぱり感じてますよ、それだけ敏感な子なら。そういう時にね、一番身近な人が、「そのままでいいよ」って言ってくれたら、それはすごいうれしいというか、救いになると思うんです。
 T はい。
 那 大人もやっぱり、その問題で今、すごく悩んでいる。「おまえなんかだめなんだ」「会社で使えないんだから」と言われるのが怖くて、みんな必死ですよ。一見、上手くいっているように見える人や、社会で成功しているように見える人でも、みんな必死です。競争して、会社や他人に認められようとね。でも、ほんとは「元々人としては素晴らしいんだから」って、誰かが言ってくれるだけですごい救われたりする。たった一人でも、たった一言でもいいんです。誰か一人でも、素の部分の良さを認めてくれたら、それが生きていくことの糧になる。
 今、「愛の不足」というのが一番の精神病とかの問題だと思うんです。異性の愛ではなくて、人間として存在を認めてあげるという愛ですね。エゴを認めるんじゃなくて、その人自身のあり方というか、存在それ自体をどこかで肯定してあげないと救われないんですよね、人ってね。今、いいこと言ってるね(笑)時々はね。
 T (笑)
 那 具体的なことはね、いろんな情報があるから参考にするのはもちろんいいと思います。でも、そうしたものに踊らされ過ぎずに、何よりもまず、お子さんを信頼して、愛してあげることではないでしょうか。
 T ありがとうございます。

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◇エッセイ

カウンセリングで治して社会に戻るということ

土橋数子

この2月に小沢健二の新曲が出るそうだ。映画『リバーズ・エッジ』の主題歌でもある。16日のミュージックステーションが楽しみだ。とはいえ、私のオザケン熱は、実は2012年がピークで、その後の数回のライブ通いは、ある意味、消化試合。2012年のオザケンが未来への予感に満ち満ちた、きらめく過渡期であったことに、同感する方がいらっしゃれば語り合いたい。(笑)

さて、以前も取り上げたことがあるが、小澤俊夫(オザケン父)が発行する『子どもと昔話』にオザケンが連載している『うさぎ!』の番外編として発刊された『企業的な社会、セラピー的な社会』という冊子がある。ずいぶん前の本だが、グローバル資本主義的(もはや古い言い方だが)な企業的な社会をつかさどっているものを『灰色』と名付けており、セラピーというものは、その灰色が現代のような企業社会を維持していくため、人々に社会を変えようなどという気を起こさせないためにあるという。

(『企業的な社会、セラピー的な社会』より引用)
「『気分が落ち込む人はセラピーを受けてください』という宣伝が流される。気分が落ち込む人、つまり『灰色のシステムの中でつらさや痛みを感じて、システムから外れそうになっている人』は、セラピーに行かされて、システムの中にはめ込みなおされる。」
(引用おわり)

で、これも以前にも書いたことだが、臨床心理学者の小沢牧子(オザケン母)の著書である『心の専門家はいらない』(洋泉社刊)には、上記のような文章を書いたオザケンが依って立つ考え方が示されている。
小沢牧子は、臨床心理学者ではあったが90年代頃から言われ始めた「モノではなく心の時代」、また「心のケア」という言葉に違和感を抱いていた。モノの時代ではなくなったとしても、それはモノの商品価値が変化しただけで、ついぞ「心」も商品化されているのではないかと危惧したのだ。その時代日本にもカウンセラー資格制度(臨床心理士)ができるとことになったのだが、そのカウンセリング手法も含めて、異を唱えて学会を離脱した。
手法というのは、カウンセラーは「話をよく聞いて、それをおうむ返しにする」というやり方に終始し、その人の抱える問題を周りから切り離して、「本人の心の問題」に持っていく。そして上から目線でカウンセリングしてやっているという態度にも疑問を呈している。

「相談という商品」を「一緒に考え合う日常の営み」に戻していくことが大切だと小沢牧子は主張している。
相談できる人間関係が希薄になっているというのもあるのかもしれない。しかし、相談相手は必ずしも家族や親友でなくとも、ゆるいつながりの中で「この人は何と言うだろうな」という人と話をして、一緒に考え合うことこそが、大切なのだと思う。例えば、新聞のコラムなどにある識者への人生相談などの場合は、「生き方が見える人」に対して、「この人だったら何て言ってくれるかな」という気持ちで相談するわけなので、それは「一緒に考えあう日常の営み」の中に入ってくるのではないだろうか。
この本が出てから15年以上を経過しているが、「専門家のカウンセリングを受ける」ということに私たちはさほど疑問を持っていないように思う。
少なくとも、「相手の言ったことをおうむ返しにして話を聞く」というカウンセリングスキルにお代を払うのは、1〜2回でやめておいたほうがいいような気もする。そして、「心の状態が“治った”ら、“社会復帰”」という道筋ばかりにこだわらないことが大切な気がする。

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◎編集後記
 オリンピック真っ只中ですね。高梨沙羅選手はじめ、トップアスリートはみんな、いい顔しているな、と思います。外野の戯言や雑念を振り払って、自分自身でいる顔ですね。嫌なニュースばかり見ていると、そういう人間らしい顔をもっと見ていたいと思いますね。(那)



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