芸術

MUGA 芸術から科学まで「無我」表現による革命を

 MUGA表現研究会とは、エゴイズムに基づいた価値観、表現が蔓延している現代世界において、「私」ではなく「世界=無我」という単位からの表現を志す会です。
 文化的価値の転換、革命を目指し、その雛形として無料月刊メルマガ「MUGA」を配信(毎月15日)します。


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MUGA第53号

2015/12/15

MUGA 第53号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇小説

 アンニュイな女
             那智タケシ

◇エッセイ

SNS(さらにはインターネットにおける表現一般)と無我表現はやはり食い合わせが悪いのか? 悪いとしたらどうすればいいのか? を考えてみる

高橋ヒロヤス

◇座談会

テロリズムの時代における情報の受け止め方について

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◇小説

 アンニュイな女

             那智タケシ

 目の前に座っている女は、無愛想だけれど、堂々としていて、自信に満ち溢れているように見えた。都心ではなかなか見つけることのできない喫煙コーナーのあるカフェに、新庄綾乃は一週間前にやって来た派遣社員の畑中和泉と初めてランチに来たのである。しかし、彼女はアボガドと海老が入った麦芽サンドイッチを食べ終わると、けだるげにメンソールの煙草を吸って、ろくろく話をしようともしないのだった。まるで一人で店にいるように、誰の目も気にせず、ほとんど眠たげでさえあった。

「畑中さん、仕事ができるからうらやましいです」と綾乃は声をかけた。「でも、いろいろと面倒な会社で申し訳ないです」

 すると和泉はようやく何かに気づいたように目の前の小柄な女に視線をやった。唇から煙草を離し、空中で止めると、僅かに切れ長の目を大きくして、興味深げに相手を見つめた。その表情は、どこか面白がっているようでもあり、侮蔑しているようでもあり、慈悲深い大人のものであるようでもあった。それから彼女はなぜか天井の方に視線をやると、焦点の合わない瞳で空中を見据え、しばらく何か考え込んでいたが、ようやく口を開いた。

「何が申し訳ないの?」

 綾乃は少し驚いて目を瞬かせた。この人は何とも思っていないのだろうか? 女社長が彼女の後ろであれこれといらぬ指示をするせいで仕事が滞っていることや、お局様のヒステリーや、深夜まで強制的に働かされていることなど、ブラックとはいかないまでも限りなくグレーな会社に派遣されてきたというのに、何とも思っていないのだろうか?

「だって、いらぬことばかり言う人もいるでしょう?」

 すると和泉は相手を見透かすように目を細めたが、僅かに微笑んだだけで何も言わなかった。ふいに目を伏せると、煙草を灰皿でもみ消し、斜め上を見つめ、おなかの前で手を組んで考え込むようにした。それから何か楽しいことを思いついたように微笑むと、子供のように目をきらきらさせてこう言った。

「どうってことないわ。世の中、いらぬことばかりだものね!」

 綾乃は、相手の発言の意図を汲み取りかねて、ぎこちなく笑い返した。彼女には、この一つ年下の派遣社員の言いたいことがいまいちわからなかったし、なぜ何ともない様子で堂々としていられるのか、なぜ今、こんな風に子供のように笑ったのか、理解できなかったのである。ただ一つ確かなことは、このアンニュイな仕草で煙草を吸っている女性が、自分の中にはないある絶対的な自信のようなものを持っているらしいことで、その秘密を彼女は知りたいと思ったのであった。

「畑中さんは、どうしてそんな風に堂々としていられるのかしら?」

 和泉は、意外な質問を耳にしたように実を仰け反らせ、醒めた目つきで相手の顔を見つめた。それから左斜め下に目をやると、どこか不機嫌そうな顔つきで黙っていたが、おもむろに二本目の煙草を取り出し、よくわからないアニメの絵がプリントされた安物のライターで火を点けると、一服した。顔を横に向けて細めた唇から煙を吐き出し、陶酔した面持ちで心行くまでその後味を味わった後、横を向いたまままつまらなそうに言った。

「どうってことないのよ、こんなことは」

 綾乃は相手のふてぶてしいまでの傲慢な態度にすっかり驚いて、もしかすると自分は勘違いをしていたのではないだろうか、と思った。自分の技術と経験に自信を持った、自主独立したキャリアウーマンとしてこの女性を見ていたが、もしかするとこの人は全然そういう人間ではないのかもしれない。もしかすると他人に関心がない、冷たい人間なのかもしれないし、あるいは限りなく傲慢な人間なのかもしれない。その証拠に、会社で不条理なことを言われても気にしている様子はないし、上司の悪口を言っても共感するでもないし、私が気を遣ってもありがたがる様子もないではないか。そう、この人はただ単に、心が冷たい人間なのかもしれない。

「今、私のことを心が冷たい人間だと思ったでしょ?」突然、和泉が質問してきた。

 考えていることを言い当てられて、綾乃はぎょっとして目の前の女を見つめた。しかし、派遣社員の表情は決して意地悪なものではなく、どこか相手をいたわるような、心配するような優しいものであった。それは、彼女が初めて見せた繊細さのようにも見えた。和泉は、寂しげな微笑を浮かべたまま二本目の煙草を吸い終えると、タバコのボックスを鞄にしまい、極めて誠実な表情で、正面から正社員を見つめて言った。

「あなたはとてもいい人、それがわかるわ。私はあなたのような人のために生きたいし、あなたのような人のために死にたいの。でも、この世界ではまだどうしていいかわからないのよ、今のところ。だからこんな風にしているしかないの。私は、そういうこと意外、何の興味もない人間なの。だからどうってことないの、会社のことなんて」

 綾乃はすっかり驚愕して、その突然の告白めいた台詞を聞いていた。様変わりした誠実な顔つきや口調にも驚いたし、何より、彼女の口にしていることが自分への愛の告白のようにも、世界への慈悲に満ちた宗教者のそれのようにも感じられたからだ。しかし、彼女にはなんと言っていいかわからなかったので、口を子供のようにぽかんと開けて、相手を見つめ返すだけでせいいっぱいだった。それでも、彼女は自分の思いを必死に伝えた。

「私、勘違いしていました。もう、あなたのことを冷たい人だなんて思っていません!」

 すると和泉は何も言わず、半ば目を伏せると、静かに微笑んで立ち上がった。

 店を出ると、先ほどまで雲っていた十二月の空はすっかり晴れ上がり、冬の青い光線に世界は満ち溢れていた。和泉は両手を広げて大きく伸びをすると、目を閉じたまま、成層圏まで拡がる透明な空に向かって微笑んで見せた。それから自分の後ろに続くおとなしそうな女性の方へ勢いよく振り返り、輝かんばかりの笑顔を見せてこう言った。

「さぁ、行きましょう! このままでは遅れてしまう」

 綾乃は高揚した面持ちで一つうなずくと、早足で歩き出した背の高い女性の後に続いた。彼女は、自分がこれから会社に向かうのではなく、もっと別の、未知の世界に向かって誘われている気がした。しかし、その未知なる世界において、自分がいつまでこの美しく、自信に満ち溢れた女性といられるのかはわからなかった。それでも、私たちがこれから向かう先は、あの葛藤とエゴに満ちた閉鎖空間ではなく、今までに見たことも聞いたこともないような、まったく新しい世界なのだ――そのことだけは確信していたのである。

                               (了)

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◇エッセイ

SNS(さらにはインターネットにおける表現一般)と無我表現はやはり食い合わせが悪いのか? 悪いとしたらどうすればいいのか? を考えてみる

高橋ヒロヤス

このところジャズ・ミュージシャンで文筆家の菊地成孔関係の作品ばかりに漬かっている。自分の関心が向かっていることしか書けないので、今月は菊地成孔のことについて書く。
とはいっても、彼自身について(あるいは彼の作品について)というよりも、彼が主張している極めて興味深い持論についてだ。

菊地成孔はジャズ・ミュージシャンであるが、ウェブ上で書いていたバンドのライブ告知文が大手出版社の編集者兼ジャズ評論家の目に留まり、紙媒体での出版デビューを果たした(『スペインの宇宙食』)という経歴の持ち主で、近時も映画『セッション』を巡って映画評論家町山智浩氏と熱い論戦を繰り広げるなど、ネット言論(?)には影響力の強い人物だが、そんな菊地成孔は「SNSは法規制すべき」論者でもある。

少しインタビューの発言(日本経済新聞WEB版2014年8月29日より)を引用する。

(引用はじめ)
「現状が特別窒息的に見えるとしたら、その理由はSNSにある。日々、人がエッセイスト、あるいは批評家、文学者として、疑似的なものとして、聞きかじりの情報をいろいろとコメントしている。あれは大変な自己表現。あんなものは昔はなかったわけで、『こいつこうだよね』と思ったら、友達と飲んでしゃべるとか、腹に一物もって映画館に行って帰ってくるとか、昔はそうして人のバランスが保たれていた」
「物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいる。なのにSNSで毎晩、毎分のようにコメントしていたら、時間なんか作れない。好きでやっていると思っていたら、いつのまにかドラッグのようにコメントを強要されている。
そのうえ素人なのに『こんなこと書いたら嫌われる、たたかれる』とか、まるで玄人のように自己規制をしている。『キジも鳴かずば撃たれまい』ということわざがあるが、『鳴きたい(書きたい)けど、撃たれ(たたかれ)たくない』という感じになっていて、結局いらいらして鳴いて(書いて)しまって、撃たれる。つまり、ネット上でたたかれて炎上する。
こんな繰り返しの中でクリエーティビティーなんて生まれるわけがない。
SNSにもいいところはあるが、若者は発信することに疲れ果て、発信して批判されることにも疲れている」
(引用終わり)

この発言自体、彼の生の発言を元にして日経の記者が編集したものであるから、微妙なニュアンスは失われているが(それはどんなインタビュー記事でも避けられない現象ではある)、菊地成孔の表現活動は、その「微妙なニュアンス」のもつ「引っかかり」の中に生命が宿っているというような類のものであるところに最大の特質がある(これはジャズという表現形式自体の特質でもある)。

だから本当は彼自身が発信しているブログや著書の文章を読むのが一番良いのだが、彼の文章は長くて一読して文意が明確に伝わりづらい場合があり(もちろんちゃんと読めば分かるように書いてあるのだが)、上記の発言は彼の言わんとしていることを比較的端的にまとめていると考えたので引用した。

今年、無我表現研究会はフェイスブックのページを作った。作ったと言ってもただアカウントを設けてページを登録しただけで、それ以上の発信は特にしていないため、「友達」の数も極めて少数に留まっている(ミクシイのページについても同様の状態である)。

ご存じのとおり、ミクシイやフェイスブックには「いいね!」ボタンというのがあり、現実に始めてみて、これの予想を超える「ウザさ」が少し分かった。

菊地成孔は、「基本的にはインターネット全般、特にSNSはその機能をドラッグに純化した大変に危険なメディアで、魅力も依存性の強さも、例外的に生じる、ヘルシーで創造的な効力や利便性も十分意識した上で言いますが、できれば各国家が法的に規制すべきだと考えています」と主張する。

さらには、「現在、あれほど国家による国民の去勢に便利な装置は他に見当たらない」とまで言う。理由は、上記の発言にもあるように、24時間いつでも書き込めるというSNSの持つ性質により、人間として必要な、思考の「溜め」が奪われるからである。一日中お菓子をダラダラ食べ続けて寝転んでいる幼児のように、気がつけば腹は空かないわ、かといって腹は満たされないわ、ふんばりは利かないわ、いざという時に行動や発言をする力が失われるというのである。

菊地成孔が自分のラジオ番組で1時間かけて朗読した筒井康隆の『中隊長』という短編小説がある。これは臨床的にはある種の精神病と診断されるかもしれない或る軍人の脳内モノローグを延々と綴った珍品だが、彼は高校自体に読んで決定的な影響を受けたという。
ネット上のブログなどを読んでいると、笑いごとではなく、この中隊長のような人格に「リアルに」出くわすことがある。他人のそうした文章を読んでいる分には、その人自身は無害であり別に問題はないのだが、実は僕自身がネットに毒された結果、というよりもいびつな表現欲求が転じてそのような状態になってしまうことを恐れているのかもしれない。

しかし現実にSNSがここまで蔓延してしまい、法規制も当分行われそうにもない状況で、一体どうすればいいのか。

個人としてできることは、まずは情報ドラッグに手を出さないこと、つまりSNSを止めることであろう。それができないのなら、せめて使用を必要最小限度に控えて、思考の「溜め」の時間を作るべく努めることだ。

無我表現との関係で言えば、一般にSNSの利用はエゴ(自我)の強化にしかつながらず、百害あって一利なしといえるだろう。SNSの中に「無我表現」が見つかるとは思えないし、現にこの1年間、少しは注意深く見て来たつもりだが、そのような表現を見つけることはできなかった。

ではまったく止めてしまうべきかというと、「そうだ」と断言してしまっていいような気もする。が、ごく稀に貴重な出会いがあったりする可能性も残されているため(例えば今年行われた『アウェアネス・リトリートセンター』の船江霊基氏との対談はフェイスブックでこちらから友達申請したことがきっかけで実現したものである)、扉を閉ざさないという範囲で残しておくことに意味はあるのではないかと思っている。

法規制は当分行われそうにないと書いたばかりだが、ヨーロッパ諸国やアメリカで相次ぐテロ襲撃事件で、SNSがテロリストによる民間人の洗脳ツールと化しているのではないかという認識が先進諸国の間に広まることにより、今後少なくとも政府機関による監視の動きは強まっていくことが予想される。一見匿名の陰に隠れて無責任な言論をまき散らすことが可能に思われるSNSも、監視機構による特定は容易に可能であり、一皮むけば全く匿名などではありえないことはすべてのユーザーが認識しておくべき前提条件だろう。この意味で、SNSは「国民を去勢するためのガス抜きツール」であると同時に、「反体制的な(政府にとって都合の悪い)思考の持ち主を炙り出す」ためのツールでもある。

11月13日にパリで起きたテロ襲撃事件の後、新宿で菊地成孔のバンドdCPrGのライブが行われた。冒頭で菊地成孔が語った短いMCについて「イーグルス・オブ・デス・メタルのライブを襲い、今はもう死んでしまった犯人の御霊に日本語で言いたいことがあるとすれば」の後に『神はいない也』と言ったのか『神は偉大なり』と言ったのか、SNSで話題になっているのを知った彼はこう述べた。

(引用はじめ)
ライブでも発言が問題になっていますが、ワタシは「テロリストの、自爆してしまった人々に、日本語で言う事があるとしたら」という部分で。

  「神は偉大なり」

   と言いました、ワタシはハンパなインテリでもありますが、造物主の存在は信じています。無神論者は、斜に構えたハンパなインテリで、大嫌いです(ウッディアレン除く)。神がいない訳が無い。じゃなかったら、人類に「愛」という概念が生じる訳が無い。「愛」は、その評価はともかく、神が与えた以外に考えられません。これだけ愚かで、これだけバカな人類にとって、愛以上に大切な概念をワタシは考えつきません。愛し合いましょう。21世紀の仮題はそれしかない。イスラムの人々をクラスの不良みたいに、みんなで悪者扱いしてかこってはならない。「テロリストと戦う」と、バカは言いますが、アメリカだって日本だって、定義によってはテロリストです。我々は、彼等を悪者扱い出来るほど、正しき人ではないです。
(引用おわり)

SNSはせめて、こういうまっとうな認識が広まるための場であってほしいと願う。

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●編集会議  2015 12/9  四谷の事務所にて

テロリズムの時代における情報の受け止め方について

那=那智タケシ(ライター・無我研代表)
高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)
み=みきを(主婦・元デザイナー)
テ=ティモ(会社員)
エ=(占い師・アーティスト)

●一断片を信じすぎることは暴力につながる

 み 霊能者の言葉を信じて男の子が死んじゃった事件あったよね。
 那 糖尿病の? 変な事件ばかりでわからない。
 エ 靖国神社の事件もありましたね。
 那 あれも洗脳だよね。国家的な教科書レベルから反日教育をやっているわけだから。
 高 日本のネット民もああいう事件には食いつくよね。ネトウヨとかさ。
 那 国家レベルでやっているのは確かだけど、ネットが助長しているのは確かだよね。イスラム国だってネットがなかったら絶対存在していない。
 高 あれはまさにSNSを意識的に使っているよね。
 那 だからあそこをいくら叩いても意味がない。ネットで情報が広まっているんだから、自分探しとか、これでおれは自己実現するという、ムスリムで認められない若い奴らがいたるところで起こしちゃう。テロを。
 高 最近のアメリカの銃乱射事件もSNSの影響だと言われてるよね?
 那 それでムスリムの社会というのは横社会だから流れてくるわけ、資金が。テロ起こしたいと言ったら、どこからともなく資金が流れてくる。だからビン・ラディンを殺そうがタリバンを叩こうが、イスラム国を空爆しようが、だめなんです。もっと、地下水脈みたいに流れているものだから。だからトップがいるピラミッド型の組織ではないわけ。あそこをボコボコに叩けば壊滅して終わりだと言うのは嘘で、思想がある限りどこにでもつながってどこからでも湧き出てくる。だからああいう武力行使というのはますます、今度日本だって危ないとかね? やればやるほどモグラみたいに出てくる。
 エ 戦争というのはなくならないでしょ、どうやっても。
 那 だから新しい形の戦争だし、新しい形のプロパガンダだし、イスラム国という幻想、共同体があるというのもネット上の幻想だよね。
 高 国家じゃないものね。
 那 だからあれを利用しようとしている人は、アメリカの中にもイギリスの中にもいっぱいいるし、混濁としてわけわからないよね。金儲けのために、武器を売ろうとして支援しているアメリカ人もいるだろうし。ベトナム戦争の時からそうだけど、もっと情報が混濁してるから、人間の観念とか欲とか、二千年来のものが、汚泥が溜まっちゃったような場所というか、そういうことになっているね。だから一概にあそこを叩いてテロ撲滅で終わったーとかさ、そういうことではないんだよね。
 み うん。
 高 シリアをいくら集中砲火したって、イスラム国が滅びるとは思えないしね。
 那 それを利用して政治家が選挙に勝とうとか、アメリカだけではなくて極右的な政党がフランスでは爆発的に得票数を伸ばしたり、みんな政治利用しようとして持ちつもたれつというか、それでは解決策がないのかというと、それを話し合うのがこの場ということで。
 テ はい。
 那 例えば、ぼくは今回、超人をテーマに小説を書いたのですけど、既存の価値観に捉われない新しい人類というか、新しい世代を書きたいなと思っているんだけど、例えば煙草吸って、「どうってことない」と。この世の積極的な価値観を信じていない人というのがいると思う。「これがいいんだ」「これが絶対だ」という価値観はいっぱいあるけど、「そんなのたいしたことないじゃん」という――情報に踊らされない、まさに安心立命というかさ、「私の方が上だよ」っていうくらいの、どんな価値観よりも。それを統合したのが自分なのだから。ただまだどんな風に行動していいかわからないけれど、とりあえずそれに踊らされない? イスラム的価値観だろうが、キリスト教的価値観だろうが、資本主義だろうが、会社の上下関係だろうが、そういうものを超えた状態にあるというのかな。断片を再統合した具体的な人物像を描きたいなぁ、くらいでやっているんだけれども。そこに手ごたえというのかな、あれ? この人何か違うとか、この人冷たいのかな? ああ、でも何か違うんだという、「何かがある」「何かが宿っている」という、そういう具体的存在が、特に日本から出てくることによって、いろいろな条件付けから自由な、とりわけ宗教的条件付けから自由な人々が何か出口というのかな、混沌とした時代にさ、そういうものを表現の中に見出せないかな、というのを曖昧ですけどぼくは考えているということで、それを試行錯誤していくうちに、徐々に手ごたえが出てくるというのは自分でわかるじゃないですか? 人がどう思おうが。それが楽しいというか。そういう感じはあるんだよね。だから、そういう時間をもう少し作りたいな、とか思いますけどね。
 高 どうしても絶対的なものを持ちたいというのは人の性(さが)だもんね。
 那 だから、それを利用して、人と金を動かす人々が出てくる。スピリチュアルにこだわるわけじゃないけど、スピリチュアル業界というのはそれがすごくわかりやすいんだよね。例えば「私のところは絶対的なメソッド持ってます」とか、「あるすごい導師から直伝です」とか、「ヨーロッパでムーブメントが起きています」とか権威付けをして、「ああ、この人一番すごいんだ」と「これが正統なんだ」と「五万円払えばそれが受けれるんだ」と。ある一断片を絶対化して、権威付けして人を集める。この断片にすがれば幸福になれますよ、安心立命がありますよ、悟りがありますよ。それがだから、非常にわかりやすいんだよね。すべてがすべて、実体がないという諸法無我と真逆なんです。
 まぁ、すがりたいのはわかるし、安心したいのもわかるけれど、それが行きすぎちゃうと、インシュリンを打たなくても糖尿病の子供が助かるとか、ある断片を信じすぎることによって、大事な人が死んでしまうようなことにもなる。洗脳されてしまう。だからイスラム国の思想、一断片を信じることによって、他の断片を殺すことができる。信じすぎることによって。同一化することによって。その断片を超えるというのかな、すべての断片を等価に見て、自分の中で再統合して創造していくというのがこれからの人間のあり方だと思うけれども、一旦は壊さなくてはいけないと思うの。そういうものがありすぎるから。千年前とかと比べたら。中世ヨーロッパとかなるとキリスト教的な縛りがあるとしても、江戸時代の日本なんかもう少しお気楽に生きていたと思うし、そういうものが少なかった。平和だったのもあるけれど。今は情報がありすぎちゃって、太陽がいっぱいになっている。違う太陽同士で殺しあったり、否定しあったり、どちらがすごいとなっている。「そういうものよりもあなたの方が上だよ」って言った時に自由と責任が生まれる。誰かの思想によるものではなく、自分自身の言葉と振る舞いが生まれるわけで、それこそトラブルとか、わけのわからない情報とかを乗り越える力? 桜井章一じゃないけど揺れない心が生まれる。
 今はあまりにネットの情報が多すぎるからそれを超えるためにはやっぱり、一断片にこだわりすぎないというか、自分がそういうものに執着しているということに気づいていく、一つひとつ落としていって身軽になってゆくという作業が必要だと思う。みんな洗脳されていないと思い込んでいるけれど、ムスリムの世界に生まれればムスリムの条件付けがあるわけだし、社会的条件付けがあるわけじゃないですか? だからムスリムの国の価値観と日本の価値観は全然違うよね。イスラム国じゃなくても。当然、ムスリムの世界にもいい人も謙虚な人もたくさんいる、貧困層は特に。だから日本的なものの見方だけでは解決できないし、アメリカ的なものの見方だけでも解決できない。

●イスラム原理主義の怖さ

 高 イスラム原理主義的な学者(N氏)の本の編集をしたことがあるんだっけ?
 那 昔、編プロにいた時にね。今は別のムスリム関係の本をやっているけれど。
 高 紀伊国屋にこの間行ったら、N氏の特集やっていたよ。
 那 あの人は本当にやばい人だから。あの人は、「ビン・ラディンがやっていることは正しい」という人だった。日本人なのにムスリムでしかも原理主義者なわけ。彼が言うにはコーランをちゃんと読めば、異邦人が自分たちの土地に侵略してきて軍事的な拠点を作ったりしたら、殺していいということになっていると。テロを起こしていいという風に解釈できると。昔はしようがないじゃん。異民族が入ってきたら自分たちが全員滅ぼされちゃうかもしれないから戦えというのは。砂漠の宗教だから、日本みたいに確固とした国境がないんだから。
 エ じゃあ、なんでそのコーランというものに、イスラム教は教えの通り動いているわけなのに、普通に信仰している人と過激派と別れるんですかね?
 那 だから文字通り原理主義的に、その通り、アメリカ軍の戦車がイラクに駐留していたら戦争状態じゃなくても文字通り殺していいという人と、それは昔のその時代にあった教えだったんだから、騎馬同士で戦っててさ、ちょっとでも油断したら自分たちの家族が皆殺しにされちゃう? 十字軍が来たら。そういう世界で生まれた宗教なんだから、砂漠の宗教なんだから、日本みたいに海に守られていないんだから。異民族、異宗教の人が他の宗教の人を殺すのが当たり前の世界で、千年前に生まれたものをそのままやっちゃったら、イスラム国になっちゃう。だって、石油資源のために先進国が入ってくるじゃない? それを文字通り解釈したら原理主義の過激派になってしまう。ただ文字通り解釈する人がインテリの中にもいるということ。日本でも東大卒の学者みたいなNのような人がいる。本当のインテリなんだけど、完全にそれに条件付けられている。ものすごい膨大な知識がある中でこれが絶対だとなった時に、「ビン・ラディンは正しいんですよ」と真正面から言えるようになる。彼の学術論文を一般向けにまとめる仕事だったのね。でも、ビン・ラディンが正しいとはもちろん表立っては書けなかった。911の後だったし。だから日本から北大生を斡旋してイスラム国に兵士として送ったじゃない?
 み いたいた。
 那 あれはN氏がパイプ役になっている。要は、完全な原理主義者だから向こうの原理主義者と人脈があるわけ。
 み テレビで見た見た。
 高 後藤さんが捕まった時も自分なら交渉できると会見してたよね。
 那 そう、自分だったら助けられると。だから人脈があるんだよね。ムスリムの世界では自分たちと同じ価値観を有しているものは家族として迎えるという風潮があるから、我々の感覚とは全然違う。横のつながりがある。でも、おれが会った時よりもっとエスカレートしてる。昔から異質だったけど、あそこまでじゃなかった。でも、時代の寵児になる可能性があるよね。あそこまで過激にさ、日本人であそこまでイスラム原理主義を肯定している人はいない。しかも、有名大学の教授だった立場のような人だよ?
 み 怖いね。
 那 怖いよ。でも、すごい原理主義に関しては詳しいことは確かだし、日本人であそこまで向こうの内情を知っている人もいないだろうから、注目は集めるだろうね。要は、カリフ制度でまとめたイスラム世界の統一国を夢見ているわけです。シオニズムのイスラム版みたいなもので。
 高 コーランって日本で言うと古事記とか、日本書紀の時代のものだよね、六百年代。日本で言うと、古事記を絶対聖典にして、文字通りのことをやっているようなものでしょ? まぁ、旧約聖書とかになるともっとすごいけど。
 那 ぼくは断片と統合というものの見方をするけれど、断片を尊重するのはいいよ? でも、一断片を絶対化して信じた時に暴力性が生まれる。一断片というのはあくまで断片であって、全体にはなりえないということ。全体になるのは自分だけという。それがぼくの超人思想というかね。超人というと傲慢に聞こえてしまうかもしれないけれど、今はもう傲慢くらいでもいいかもしれない。ティモ君の方が原理主義なんかよりも全然大きいんだから気にすることないんだよ、とかさ。すごい先生がいるとしても、すごい先生よりも君の人生においては君の方が大きいと言った時に、自由になるのね。だからいろんな人がいろんなことを言って来るよね。このグルがすごいんだ、とか、これは絶対だと。でも、これが絶対だ、本物だと謳っている時点でおれはまがいものだとわかるから相手にもしない、ということなんだよね。
 み なるほど。
 那 だからそれが諸法無我ということ。すべてが実体がない、ないから諸法無我。すべてが縁起で成り立っていて、実体がない。その関係性の網を自分でたぐり寄せて再統合して、何か美しいもの、束の間の絶対を生み出すというのが芸術ではないですか? バレエでも音楽でも。個人の自由において、神を実現しようと試みるのは崇高な行為だけれど、一断片を絶対化して、別の断片よりも上だとか、こちらが本物だとか、あなた間違っているとなった時に戦争になるわけだから。仏教思想にぼくの感覚は一番近いんだけれども、実は、虚無主義にも近いんだよね、ある種。何も信じない。
 高 絶対なるものを完全否定するという、ある意味究極の相対主義だからね。
 那 ただ虚無主義が反転することによって、一切が何も意味がないのかと言った時に、すべての断片が意味になるというか、全体に寄与する。それが自然のあり方じゃないですか? 石ころ一つだって何かの役に立っているわけだし、蜘蛛だって気持ち悪く見えるけれど役に立っているわけでしょ? 
 高 すべてのものに役割がある。
 那 蚊だって刺されたらかゆいけどトンボの餌になっていたりさ、ボウフラはヤゴの餌になる。トンボを鳥が食べてみたいのあるわけじゃない?
 エ 昨日見たドラえもん思い出すよね。
 那 自然の良さみたいのやってたの?
 エ いやいや、進化論です。大長編の。
 テ 映画で観たんです。
 高 のび太の恐竜とか?
 エ 創世記です。
 テ ドラえもんが世界を作れる道具をのび太に渡して。
 み へぇー、世界を作る?
 テ のび太が地球創造みたいな天地創造をするんです。
 (笑)
 テ 私は神であるとか。
 エ すごい真剣に観てたんですけど。
 テ けっこう面白い。
 高 最後どうなるの?
 テ 人類とは別に昆虫も人間と同じように進化しちゃって。
 高 へぇー。
 テ 昆虫が地底世界に追いやられたんですけど、人間にうらみをもって、今度、昆虫が人間に戦争を仕掛けて地上を取り戻すという話になった時に。
 那 何、その壮大な話(笑) ドラえもんどうしちゃった?(笑)
 テ それでのび太が神様だから、のび太が責任を感じて、昆虫用にもう一個世界を作って解決する。
 那 パラレル?
 み すごい。
 高 壮大だ。
 エ ジャイアンとかスネオが最後味方になって、一緒になって。
 テ 面白かったです。

●大事なものはつかめない

 み 高橋さんの菊地成孔の記事の最後のコメントで、「神は偉大なり」と叫んだ後のインタビューで、何か、愛があるのに、無神論者をぼくは信じないみたいなことを。
  高 ぼくは特定の宗教は信じていないけれど、無神論は嫌いです、と。
 み でも、神はいる、みたいな。
 那 極めて日本人的な感性だよね。ロジックでもって無神論になるなんてさ、一神教の考え方。
 高 まさに、特定の断片を信じているわけじゃないよっていうこと。
 み 八百万の神的な。
 那 そういう感じだよね。ユダヤ人の発想だと信仰の裏返しで、ロジックで無神論になってしまったりする。
 高 彼らの無神論は強烈な信仰の裏返しだからね。
 み なるほど〜、そういうことか。
 那 理屈なんだよね。オールオアナッシングになってしまうわけ。オールを信じているわけだから。悪霊(ドストエフスキーの小説)だってそうじゃん。無神論者が何も信じていないから世界を破壊してやれ、唯物論的な平等な世界が生まれるだろう、ということになってしまう。
 高 イスラム原理主義はもちろん無神論ではないけれど、何なのだろうね? 彼らのやっていることはある意味の自己犠牲だよね。
 那 あそこまでやることの重みを考えた方がいいよね。単なる戦争とも違うよね。
 高 神に殉じるというかさ。
 那 でも、怖いのは子供がやらされている。
 み ねぇ? 何もわからないのに。
 那 やっぱりだめだよ。
 高 でも、フランスでは最初、カミカゼと言われていたんだよね。
 那 違うんだけど、国家レベルでカミカゼはともかく、人間魚雷とか作っていたわけで。
 み 宗教ではないよね?
 高 ある種、天皇絶対主義という宗教ではあった。国家に殉じるというさ。そういうメンタリティはイスラム原理主義に通じるかもしれない。
 エ コーランは通しで読んでみたいですね。
 那 日本語版なら読めるでしょ?
 高 古事記と同じ時代のものだからね? あれを一字一句文字通りに受け止めるというのはちょっと。もちろん、いい書物だとは思うけどね、おれもちゃんと読んだことないけど。
 エ 最初の原版から変化してきたんですか?
 那 原版そのままだとしても、内容が時代に沿っていないところがあるのは致し方ない。当時の環境や風紀に影響されているから今と合わないところは当然ある。
 高 あと、コーランと言えば那智さんは知っていると思うけれど、当時はいろんな宗教があってさ、詩(うた)が一つのシンボルだったでしょ? ポエムね。日本で言えば短歌みたいなもの。その完成度で競っていたところがあって、コーランの韻の踏み方とか、詩としてのクオリティがものすごく高いの。(コーラン=クルーアン。「クルーアン」という名称はアラビア語で「詠唱すべきもの」を意味する。Wikipedia)
 み なるほど〜。
 高 字の美しさとかね、そういう芸術的な価値で圧倒していたというね、当時。
 那 それを文章にまとめたのが誰かは知らないけれども、元々は吟じるものだったんだよね。聖書と同じでまとめて、国家権力に利用した時に国家宗教が始まる。
 高 日本の稗田阿礼みたいな感じで、マホメットが吟じたんじゃないの? 芸術作品ですよね。内容より形式が大事だというのが無我研の考え方の一つだけど、形式としてめちゃくちゃ優れていたから、そういう意味でも魅力があると思う。
 那 旧約聖書もそういうところがあるけれどね。あれは物語として読むとすごいと思うし、芸術作品として捉えることもできる。
 高 福音書もそうだしね。
 那 それを国が利用する。
 高 それを組織化して宗教にすると、どうしても、そういう面が生じますよね。
 エ 進化論と旧約聖書を考えて葛藤してしまった時期があるんですけど。
 高 聖書というのは象徴的に書かれているからね。
 那 だからどうとでも解釈できる。神は宇宙人だったとか言う人もいる。何を信じてもいいけど、それを押し付けないで欲しいってことかな。
 み 最近、読んだ本の中で桜井章一が言ってた。「何で太陽の光はつかめないの?」と子供が聞いたの。
 那 うん。
 み 「大事なものはつかめないんだよ」って子供に教えて、煙草の煙をふーっとやって「つかんでごらん?」「つかめなーい」「ほらね、つかめないでしょ?」
 (笑)
 み 「煙草というのは人にとっては有害なものだけど俺にとっては大事なものなんだ、つかめないでしょ」って。ちょっと話がずれたけど、何か大事なものが目に見えないというのは星の王子様でもあったよね。
 那 確固としたものとしてできないってことだよね。束の間の、通り過ぎてゆくものを観念で固めるからおかしくなる。人間というのはつくづく不思議な生き物だよね。

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★編集後記
◎すっかり寒くなってきましたね。今年は状態の上がり下がりを経験しつつ、いろいろと自分の中で準備する年だったと思います。世界の情勢は不安定ですが、座談会のテーマにもあるように情報に惑わされることなく、少しずつ自分の中の確かなものを育くみ、開花させてつながっていくという方向がいいかな、と。よいお年を。(那智)

◎2015年最後のMUGAということになりますが、今年は色々あったような、何もなかったような年で(笑)、無我研の動きとしては、初対面の方々との対談が色んな意味で(ここに書けないこととかも含めて)刺激的でした。読者数は横這いから若干名の増加がある程度で、ネットという大海の中で相変わらず「無」に等しい存在ですが(そもそもこれだけネット批判していながらメルマガのみという活動形態も自己矛盾のような気もしますが 笑)、聖書に言う「一粒のからし種」(※)のようであれたら、と願いつつ年を越そうと思っています。(高橋)
※「天の国は、一粒のからし種に似ている。ある人がそれを取って畑にまいた。それは種のうちでいちばん小さいものであるが、成長したときは、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来てその枝に巣を作るほどの木になる」。(マタイ伝13:31,32)


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