芸術

MUGA 芸術から科学まで「無我」表現による革命を

 MUGA表現研究会とは、エゴイズムに基づいた価値観、表現が蔓延している現代世界において、「私」ではなく「世界=無我」という単位からの表現を志す会です。
 文化的価値の転換、革命を目指し、その雛形として無料月刊メルマガ「MUGA」を配信(毎月15日)します。


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MUGA第28号

2013/11/15

MUGA 第28号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇アート

・詩

『季節の詩』     rita


・小説 

超人群像4

それで、君は超人になれたのかな?

      那智タケシ

・小説

ぐるごっこ 番外編 自己啓発セミナー体験記(2)

      高橋ヒロヤス

◇評論

堀江貴文『ゼロ』を読んで

高橋ヒロヤス

★数子のマイナーカルチャー探訪「MUGAを探せ!」第6回

「江戸アケミ」が希求した無我的ダンス

     土橋数子

                                   
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◇アート

★詩

季節の詩     rita 

  【・山茶花・】 
  
色褪せゆく木々の絶え間に赤く歌い初む 
山茶花がひとつ 
なんてペーソス 
山茶花がふたつ 
さてもリフレクション 
山茶花がみっつ 
そっとアクセプト 
  
うち霧らす午後より時雨に降らる生け垣 
こぢんまりな葉がゆれる 
ほろりとハンドベル 
雨粒の指先が奏でる 
つやりとなる音色 
人知れず僕は聞いている 
冬と向かい合う 
  
  
  【・11 月・】 
  
歩を緩めてこの頃の移ろいを探してみるの 
琥珀色に色づいた葉に光が煙って揺らいだら 
この並木道をアンバーの風路って呼びたいよ 
  
11月のまろやかな熟成に酔いしれてるの 
エピローグに香り立つ季節に包まれたら 
時の経過を天使と分け合っている気分になったよ 
  
ベンチに座って秋をゆっくり見送っているの 
ユリノキが巨人になって公園をパトロールしたら 
中空に潜む魔女を見つけることができるかもしれないよ 
  
  
  【・ハナミズキ・】 
  
僕の窓のハナミズキ 
冬の到来をもてなしている 
まるでランプをいっぱい提げてほろほろと 
窓を灯している姿だよ 
  
僕の庭のハナミズキ 
命の炎は燃え尽きる 
まるで火の鳥が翼を広げてようようと 
庭を飛び立つ姿だよ 
  
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・小説

超人群像4

 
 それで、君は超人になれたのかな?

                        那智タケシ

    1

 何もやる気が起きなかった。崇志は、このま木乃伊のようにひからびて、ベッドの上で死んでしまいたかった。誰一人に気づかれることなく、誰一人に哀れまれることもなく、誰一人に触れられることなく――存在をなかったことにしたかった。

 彼は自分を取り囲む、すべての人間を嘘くさく、厭わしく、不潔に感じていた。それが生身の人間ではなく、ネットの向こう側にうごめく虚像たちであっても、同じことだった。何もかもが曖昧で、みだらで、浅はかで、真実ではないようだった。彼は、何か手に取ることのできる、確かな、絶対的なものが欲しかったが、どこにもそんなものはないように思えた。真実を標榜して恥じない者たちはたくさんいたが、彼の目からするとすべてが茶番で、張りぼてのように見え、信じるに値するものなど、この世には何一つないように思えた。だからこそ彼はベッドから身を起こすことなく、寝てばかりいて、命の時を無駄に費やしていたのだ。彼には、起き上がる理由がなかったのである。

 崇志が自分の部屋に引きこもり、ニートというやつになってもう三年が経つ。そこそこの四年生大学を出たものの、一年ほどで営業職の仕事を辞めてからは再就職にも失敗し、バイトも嫌になり、何もかも上手くいかずに部屋に引きこもった。親からのプレッシャーは尋常なものではなく、常時ストレスにさらされた状態になった。このストレスから開放されるためなら、働いた方がよっぽどましなように思えたが、彼はもはや社会それ自体を信用していなかったし、ほとんど憎悪さえしていたので、その中に再び踏み込んでいく気にはどうしてもなれなかった。

 金さえあれば、誰にも文句は言われないだろうと、ネットに踊る濡れ手に泡の情報に飛びつき、アフリエイトや、ねずみ講紛いのネットワークビジネスに手を出した。要は、楽をして稼ごうとしたのだが、成功者の話と違って、楽して得ることのできるものなど何もないことを知った。彼は、再び毛布の中にもぐり込んだ。

「俺が起き上がれないのは怠惰だからではない」と崇志は考えた。「今の所、起き上がる理由が何一つないからだ」

 起き上がる理由――それさえあれば、自分はどんなことだってできるし、人生を意味あるものに形作ることさえできるし、社会的に成功することだってできるだろう。会社の社長にも、芸術家にも、何にだってなれるだろう。なぜなら、自分の中にはわけのわからぬ異形のものたちがたくさん巣食っているからだ。途方もない、底知れないエネルギーがあるからだ。このわけのわからぬものを有効に利用すれば、何だってできるに違いない。崇志はそう考えていた。しかし、問題は理由がないことなのだ。取っ掛かりが――自分は何も信じていない。何も。

 崇志の携帯に、鏡子からメールが届いたのは、深夜の二時を回った時刻であった。しかし、彼は夜昼がすっかり逆転していたので――というよりも、気まぐれに寝たり起きたりの彼にとっては昼も夜もない生活になっていたので――、すぐに気づいて、枕元の携帯を手に取った。彼は密かに憧れていた、三つ年上の、サークル(超常現象研究会という怪しげなサークルであった)の先輩からの三年振りの連絡に、心ときめかせた。

 鏡子さん、こんな時間にいったい何だろう? 高揚した気持ちで受信フォルダをクリックすると、そこには、次のような文言が記されていた。

「お久しぶり。昨日、ビルマから二ヵ月振りに帰って来ました。とは言っても、修行ではなく、ビジネスです。それで、あなたの噂を聞きました。私はあなたが今のようになることを予見していました。けれども、それは必要なことだったのです。必要な時に必要なことが人生には起こります。でも、そろそろモグラごっこは止めて、日の光の下に出てきませんか? コーヒーぐらいはおごりますよ。  鏡子」

    2

 久々にサークルのたまり場であった、高田馬場駅の近くにある地下の喫茶店「白ユリ」に行くと、鏡子は三年前と同じ壁際の席に陣取って、眉間に皺を寄せ、気難しい顔をして新聞を読んでいた。とは言っても、喫茶店に置いてあるスポーツ新聞であった。妙齢の女性がいかがわしい記事に顔を近づけ、真剣に読んでいる姿は、どこか滑稽で、微笑ましいものがあった。
 崇志が近づいてゆくと、鏡子は顔を上げた。そして、何やらおかしそうに大きな声で叫んだ。

「まるで幽霊みたい!」

 崇志は傷ついたが、「お久しぶりです」とぺこぺこ頭を下げて、対面に座り、十一月の寒空の下を歩いてきて、冷えた体を温めるために、ココアを頼んだ。鏡子は、昔と同じく紅茶を飲んでいた。そしてスポーツ新聞を畳むと、足を組み、背もたれに身をもたせ、顎を上げ、見下ろすように引きこもりの青年を見つめた。その顔つきはどこか冷淡で、分析的で、ややもすると傲慢にさえ見えた。彼女は、ふいにつぶやいた。

「予想通りね」

 崇志は、卑屈な笑みを浮かべて視線を落とした。彼は、目の前のキャリアウーマン然とした、自信に満ち溢れた美しい女性があまりにもまぶしく、高貴な存在に見えたので、自分を卑屈に感じたのであった。

 彼女が輸入ビジネスで成功していることはフェイスブックで知っていたし、自分とはあまりにも異なる世界の住人であるように感じていた。今、その憧れの存在が目の前にいる。しかも、二人きりで。いったい、この人はそれほど親しくもなかった自分を、何の目的で自分を呼び出したのだろう? 励ましてやろうとでもいうのだろうか? だとしたらお門違いだ。自分は、励まされたところで何も変わらない。叱咤激励など必要ない。今の自分に必要なのは……

「私ね、あなたの書いた詩を覚えているの」鏡子は突然、崇志の思考を遮って言った。

「詩?」

「詩というか、宇宙論? みたいなもの?」

「ああ……」

 崇志は、サークルの同人誌に奇怪な哲学論を寄稿したことがあった。それは、真実は、常に覆されるという抽象的な宗教的哲学であり、覆され続けた先にあるものを体得することこそが、人間が超人になり、神人に至る道であるというほとんど新興宗教の経典めいた、怪しげな宇宙論であった。絶対的なるものを求めるがゆえの思春期の異常な妄想と、果てのない演繹的思考が生み出したその産物を、彼はすっかり忘れていた。タイトルは、確か「超人教道」だったと思うが、自分で書いたにもかかわらず、内容はうろ覚えであった。しかし、若気の至りとしか思えないその病的な代物を、この聡明な女性は何故か覚えていたというのである。

「それで、君は超人になれたのかな?」鏡子は、微笑して言った。

 崇志は、ふいの質問に驚いて、相手の顔をまじまじと見つめた。鏡子は、どこか哀しげな、優しい顔をしていた。それは目の前の対象を哀れむようでもあり、慈しむようでもあったが、その黒い瞳は、彼の根幹にあるものを容赦なく射抜くのであった。彼は、その問いかけるような凝視に耐え切れず、視線をずらすと、隅の方を見つめながら、卑屈に「へへへ」と笑って、「自分は今、ニートですから」と言った。

「私は、あなたに超人になって欲しかった」と鏡子は相手を真っ直ぐに見つめたまま言った。「すべての価値を覆し、乗り越えた、超人のような人になって欲しかった」

「鏡子さん?」

「あなたは、何一つ信じていなかった。だから、もしかするとあなたなら本当に超人になれるかもしれない、と思っていた。本当よ? 私は期待していたの」

「どうしたんです?」崇志は、ほとんどおびえて聞いた。

「でも、あなたは引きこもりのニートになっていた」鏡子は、言葉を包むことなく言った。

「期待に沿えずにすみません」崇志は、自分でも嫌になるくらい低俗な笑みを浮かべ、相手を上目遣いでちらりと見た。

「そんな目で見ないで」と鏡子は嫌そうに言った。「でも、あなたは悪くないわ」
「悪くない?」

「いい線いってる。だから、後もう少しだけがんばってみない?」

「どういうことです?」

「私ね、あなたをスカウトしにきたの」と鏡子は急にビジネスライクな口調になって言った。「今度、新しく事務所作るから、誰か信用できる人いなかなって思っていたの。それで思い出したのね。崇志君、あなた、私の所で働いてみる気ある?」

 崇志は、突然の展開に戸惑った。心の準備ができていなかった。

「ありがたいんですけど、少し考えさせてください……」

「もうね、まごまごしている暇はないのよ」と鏡子は呆れた様子で言った。「あなたはいつまでも寝てちゃだめなの。それに、私に誘われたことが嬉しいのだったら、素直に嬉しいと言いなさい。私はもう、まごまごしたのはうんざりなの。わかる?」

 崇志は、すっかり相手に飲まれて、「嬉しいです。ありがとうございます」と言った。

「それでよろしい」と鏡子は言って、満足げに目を閉じた。それから、静かな顔になった。ほとんど眠たそうな、半眼になって、両手をおなかの辺りに組み、しばらく沈黙していた。

「でも、何でぼくに声をかけてくれたのです?」崇志は、不思議に思って尋ねた。

「だって、あなたは少なくとも嘘は言わないでしょう?」鏡子は、少し目を見開いて答えた。「ニートだろうが何だろうか、私は嘘吐きじゃなければいいの。だから、あなたは私に真実でもって接してちょうだい。あなたに望むことはそれだけよ。嘘を言わないこと――こんないい条件、他にある?」

「ありません」と崇志は言って、恭順の意を表し、深々と頭を垂れた。

 それからは、ほとんど話らしい話はしなかった。鏡子は、疲れているらしかった。どうやら、ビジネスパートナーに裏切られて様々なトラブルが続き、ここ数ヶ月、まともに眠る間もなく働いていたそうだ。

 その細面には、よく見ると、苦痛の刻印が皺になって刻まれていた。時々、何かを諦めたように自嘲気味に笑ったが、それは学生時代にはない、シニカルな影を宿したものであった。それでも、彼女は非凡な気質からやってくる、生来の美しさを損なっていなかった。それどころか、その美は影を宿すことでさらに深みのあるものになり、強靭で、しなやかで、ざらついた樹皮に覆われた樹木のように、手触りのある、確かなものとなったかのようであった。

 ぼくは、この人のために働くだろうと崇志は思った。何があろうとも、どんな苦しみが待ち受けていようとも、傷つけられ、痛めつめられ、嘲けられようとも、この人を信じ、この人のために立ち上がり、盾になり、無言の忠誠でもって尽くすことだろう――どういうわけか、彼は受難を予感し、身震いした。しかし、その身震いには、ようやく運命を見つけたという喜びが伴っていた。

 今、起き上がるに十分な理由が目の前にあった。彼にとって、どんな思想や理屈よりも、この疲れ、傷ついてなお美しい女性こそが信じるに値するものであり、祈りと行為を捧げる対象であった。そして、それは彼の人生に唐突に訪れた祝福であり、恩寵であった。

    3

 茨城町の何もない土地は、夕闇に沈もうとしていた。自宅までのひなびた道を歩きながら、彼は自分を覆い尽くしていた曖昧な霧のようなものが消えうせ、世界が明晰さを取り戻しているのを感じていた。

 駅前の色褪せた商店街を通り過ぎると、空き地と畑が目立つ、曲がりくねった田舎道になった。空き地には、様々な種類の黒々とした緑が生い茂っていたが、オレンジ色の大気の中で風になびき、うごめくそれらは、自らが発見されたことに喜び踊る名もなき生命たちの躍動であるように見えた。

 空には、ムクドリの大群が飛んでいた。紫と赤の薄いベールがかかった空に、黒い三角巾がかかった。その黒い三角は、西を目指して飛んで行った。まるで一刻も早く、沈もうとする光の中に埋没して、夜の世界から身を隠したいかのように。

 道の向こうから、人目を忍ぶようにしてうなだれて歩く、陰気な顔をした中年の小男が歩いて来た。男は、何か小さな紙袋を大事そうに抱えていたが、その中には、光の下では決して開示することの許されぬ、異形の生物が存在しているのかもしれなかった。男は、ちらちらとこちらを見たが、目が合うと面を伏せて、逃げ隠れるように早足で通り過ぎて行った。

 コンクリートの壁際を歩いていると、何か奇妙なものが、くねくねとした動きで下から上へ素早く這い上がるのが目の隅に飛び込んできた。びくりとして身を反らし、正体を見定めると、ヤモリであった。こんな生き物を見るのは久しぶりだったが、目覚めた者に対して、「私もいるよ」と自己紹介をするために、地の底から現れたように感じた。

 少しずつ、少しずつ闇が深まっていった。にもかかわらず、生物の息吹はより強く、より生々しく、より明確な輪郭を備えて目の前に浮かび上がってくるように感じられた。新たなる光の中で祝福され、愛され、意味を持った生き物たちが、新たなる神話を生み出すために、人知れずにつながり合う活動を始めたのであった。

「世界よ、世界よ!」と崇志は思った。

 その偉大な世界に埋没し、名もなき一員となり、再び祈り、闘い、生きることができることの喜びにむせて、彼は陶酔するように目を閉じた。

                               (了)
                           
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・小説

ぐるごっこ 番外編 自己啓発セミナー体験記(2)

高橋ヒロヤス

Tさんの家のリビングに座っていたその男性は、自己啓発セミナーで僕のすぐ前に座っていた人物だった。

ここで、セミナーの形式について簡単に説明すると、基本的にはファシリテーターとかコーチとか呼ばれる人物(正式名称は忘れた)が前に立ち、向い合せに3,40名の受講生がパイプ椅子に座って講義を受けるという形が取られた。

椅子を円形に並べて話をしたり、一人一人が皆の前で自分の意見や体験を発表したりする(シェアする)という時間もあった。5,6人の小グループに別れて対話するという時間もあった。

その男性(以下、「Kさん」と呼ぶことにする)は、セミナーの期間を通じて、だいたい僕と同じグループの中にいた。互いに個人的な話をすることはほとんどなかったが、その生活ぶりは発言を通じてなんとなく知っていた。

年齢はたぶん30代、中央官庁に勤めるキャリア官僚だった。セミナーの中で彼の話したことで覚えているのは、20代の頃、連日深夜残業が続き、ストレスが溜まっていたとき、家まで乗ったタクシーの運転手を殴って逮捕されたという話だった。それはエリート官僚の失態としてニュースにもなり、彼は懲戒処分を受けた。

それでも数年間地方都市に出向して戻って来た後は、元通り出世階段を歩み始めた。それほど優秀であり、組織にとって得難い人材だったと言うことだろう。彼は若気の至りの失敗から、謙虚であることの大切さを学んだというようなことを話していた。

それ以外に、Kさんがセミナーを受けた目的を皆の前で発表したとき、「人生の意味」を取り戻したいからだと言ったことを覚えている。そんなことを言う人は他にいなかった。ほとんどの人は、仕事のモチベーションを高めるためだったり、ダイナミックに生きるためだったりなどと話していた。僕は、「好奇心から」とはとても言える空気ではなかったので、なんだか抽象的な、曖昧な事を言ったような気がするが覚えていない。

セミナーには、僕が受けた「ベーシック・コース」の後に、さらに高度な「アドバンス・コース」が用意されていた。僕はもちろん「アドバンス・コース」は受けていなかった。何より学生の僕にとっては受講料が高額すぎたし、セミナー自体にそこまで深入りするつもりはなかったからだ。

Kさんが「アドバンス・コース」を受けたのかどうかは知らなかった。僕との連絡パートナーに指名されたTさんとは、僕が娘のRちゃんの家庭教師をするようになってからは、セミナーに関する話はほとんどしなくなっていたので、Tさんはセミナーを続けていないと思っていた。

TさんのリビングでKさんを見たとき、僕はTさんとKさんが男女の関係にあるのだと直感した。年齢的にも、お互いの雰囲気も相応しく思われたから、そう想像することに特段の抵抗はなかった。

しかし、なぜ自分が今日ここに呼ばれたのかについては見当がつかなかった。
真っ先に思い当たったのは、「アドバンス・コース」への勧誘だった。セミナーのメンバーにとって、最も重要な活動とは、他のメンバーを勧誘すること(エンロールすること)であった。

セミナーを通じて得た素晴らしい体験を他者と分かち合い、できるだけ多くの人々とそれをシェアすることが、世界に対する最大の貢献であり、そのための勧誘活動は最も価値あるものとされていた。

僕はその考え方自体に馴染めなかった。そこには、本当に素晴らしいものを他者と共有したいという純粋な善意だけではなく、特定の集団・組織の利益を最優先させるという「邪心」が混じっているように思えた。

そう思った根拠の一つが、セミナー主催団体が要求する高額な受講料であった。セミナーの中では、その利益は世界の貧困や飢餓をなくすための活動に寄付されているのだと言われていた。実際そうだったのかもしれないが、彼らの勧誘活動とその正当化にかける情熱は、当時の僕に一種異様な感覚を与えた。その部分に関しては、セミナーには狂信的な新興宗教を思わせるところがあった。

今日、Tさんが、Kさんと一緒になって自分を勧誘する目的で家に呼んだのだとしたら、僕は頭から拒絶するつもりだった。もともとKさんが同席するなどと言われてもいないしそんな事態は想像もしていなかったから、僕にはTさんに裏切られたような気持ちもあった。

少し憤りの混じった気持ちを抑えながら、Kさんとぎこちなく挨拶を交わした後、Tさんがおもむろに意外な事を口にした。

「Kさんは・・さん(僕)の高校の先輩なんですって?」

そのときにはすっかり忘れていたが、確かにKさんは僕の高校の卒業生だった。セミナーの間に気付いたのだが、向こうが話題にする風もなかったので、こちらも敢えて伝えなかった。

Kさんはきっと極めて優秀な学生だったに違いない。今の彼の社会的地位からもそれは明らかだろう。Tさんが改めて明らかにした事実は、僕を一層気まずい思いにさせるだけだった。

Kさんも会話に加わり、しばらく世間話のような会話が続いた。最近の学生がどうとか、Tさんがマネージメントしているタレントがどうしたとかいう話題がひとしきり続いた後で、Kさんが、いよいよ本題に入るという調子で、こう口にした。

「ところで・・君は、『アドバンス』は受けないの?」

ほら来た、と思った。

「そんなお金がありませんから」

「受けたいけれどお金がないという意味?」

「正直言うと、受けたいとも思いません」

「どうして?」

Kさんは、まるで理解できないという調子で尋ねた。

「セミナーが役に立つ人たちがいることは否定しませんが、今の自分には必要がないと思っています」

「君はそんなに今の自分に自信があるの?」

「そうではありませんが、自分に自信を持つためにセミナーを受けるという行為自体に疑問を感じているのです」

「それが君の問題だと思うな」

そう言いながらKさんは半ば同情的な表情を見せた。
ちなみに、セミナーでは、特定の個人が抱えている問題(その人の自己実現を阻んでいる要因)を特殊な専門用語で表現していた。Kさんはこのときもその表現を用いたのだが、その用語が思い出せない。

「君の弱点は何でも考え過ぎるところだ。慎重になることも時には必要だが、人生には『見る前に跳ぶ』ことでのみ突破できるタイミングというものがある。君にとって、セミナーで自分の可能性に気付いた今をおいてそのタイミングはないと思う。『今』を逃すと、次の機会が巡って来ることはない。来たとしても、もはや踏み出すだけの勇気も勢いも失われている」

「突破する」という表現はまさにこのセミナーの主要テーマであった。

Kさんの言っていることは典型的な勧誘の常套句だ、と感じた自分には、その時点で彼の言葉を受け入れる余地はまったくなかった。目の前のKさんと、自分を騙すようにして家に呼んだTさんに対する怒りがふつふつと沸いてきた。

「以前から僕は自己啓発セミナーというものについては懐疑的でした。それが存在することに反対しているわけではありませんし、一定の効果を挙げていることも否定しません。でも、僕にはどうしてもしっくりこないのです。そもそも、啓発される『自己』というのは何なのでしょうか? セミナーとは所詮エゴの欲望を満足させるための洗練されたツールにすぎないのではないでしょうか? Kさんはセミナーを通じて『人生の意味』を掴むことができたのかもしれませんが、僕には掴めませんでした。というよりも、この方法によって掴むことができる『人生の意味』に価値があるとは思えませんでした」

僕は、こんなことまで言うつもりはなかったのだが、怒りにまかせて不必要に踏み込んだ発言をしてしまったと後悔した。

だがKさんは特に驚いた顔も見せず、僕の言うことに冷静に耳を傾けた後で、静かにこう言った。

「君はまたもや考え過ぎている。君の頭の中には『セミナーは自我の欲望を満足させるためのツールにすぎない』という固定観念がすでにあって、それに自分がセミナーで見聞きしたものをあてはめているだけだ。そんな態度では決して自我の殻を『突破』することはできない。他人をエゴイストだと批判しながら、実は自我の殻に閉じ込められているのは君の方だと思うね」

「アドバンス・コースを受ければそれを『突破』できるというのですか?」

「そうだ」

「それは別の罠にすぎないと思います」

「大事なのは議論することではなく、実践することだ」

「Kさんのいう『実践』とはアドバンス・コースを受けることを意味するのでしょう。しかしセミナーを受けることは実践ではないと思います。真の実践とは、普段の生活の中で自我の動きを絶え間なく凝視し続け、自我の用いる巧みなごまかしや罠を見抜くことです。それを実践する“方法”を他人に教えてもらう必要はありません。なぜなら方法というのはエゴの用いるトリックにすぎず、方法に従うことは思考を一定のパターンに閉じ込めることでしかないからです。所詮は自我の投影にすぎない“トレーナー”達の指導を受けることは結局、真の実践である自己観察を妨げるものでしかないと思います」

僕は、当時読んでいたクリシュナムルティの受け売りみたいなことをこんな風に言い終えると(もちろんこんなに流暢に弁じたわけではないが)、Tさんを見た。彼女は黙って二人のやり取りを聞いていたが、無表情で、どちらの味方にも見えなかった。

「こういう話のためだったのなら、もう帰ります」

そう言って僕が席を立とうとしたとき、Tさんが口を開いた。

「実は、今日はお願いしたいことがあるんです」

「セミナー関係のことなら、お断りします」

「違います。Kさんに来てもらったのは、セミナーとは関係がないんです」

僕はまだ半信半疑だったが、一応話を聞いてみることにした。

つづく

(註)この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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◇評論

堀江貴文『ゼロ』を読んで

高橋ヒロヤス

堀江貴文氏(元ライブドア社長、通称ホリエモン)が、刑務所に入る前だけでなく、出て来た後も、今の日本で非常に影響力のある人物であることに異論がある人はあまりいないだろう。

僕は彼の本を何冊か読んだことがあるが、今回出版された『ゼロ』という本は、彼の数多い著作の中でも異色と言ってよい、幼少期からの自叙伝であり、彼自身もとても思い入れのある作品であることが分かる。

1年8か月の服役を終えて社会復帰した堀江貴文氏(以下敬称略)が、自分の生い立ちから内面生活まで、これまでになく深く語る内容になっている。

自分にとって、ホリエモンは、自分とは真逆の感性の持ち主という印象だった。しかし、日本中を騒がせたあのライブドア騒動のときも、なぜか嫌いになれず、好印象を持ち続けていた。

それは、以下に引用するような彼のとことんポジティブで前向きな性格に惹かれていたのかもしれない(基本的に引用はすべて前掲『ゼロ』からのもの)。

(引用始め)

ひっそりと静まりかえった、長野刑務所の独居房。僕の脳裏に、恨みや絶望といったネガティブな感情がよぎることはなかった。強がりでもなく、善人ぶっているのでもなく、これは嘘偽りのない話だ。
 収監されてから仮釈放されるまでの1年8ヵ月間、僕の心を捕らえて放さなかった言葉、それは次のひと言に尽きる。
「働きたい」
 そう、僕は働きたかった。とにかく僕は働きたかったのだ。

(引用おわり)

ホリエモンは、とにかく自己主張する。どんな環境にあっても、自分の考えを貫き通すことでやってきた。彼の思考は極めてクリアで、コンピューターのようにとことん合理的に物事を処理しようとするため、「人間的」な周囲との間に必然的に軋轢が生じる。

しかしホリエモンは、高性能マシンのような冷徹な印象ではなく、そのニックネームからも分かる通り、むしろ親しみやすい人間的なキャラクターで知られている。それは彼の次のような性格とも無縁ではあるまい。

(引用始め)

隠すことでもないだろう。僕は無類の寂しがり屋だ。
 よく「ひとりになれる時間が必要だ」とか「誰にも邪魔されない時間を持とう」といった話を耳にするけど、その気持ちがまったく理解できない。これまでの人生で、「ひとりになりたい」と思ったことがないのだ。できれば朝から晩まで誰かと一緒にいたいと思うし、たとえそれがインターネットや携帯電話であっても、誰かとつながっていたい。
 そんな僕にとって、東京拘置所での独房生活は、まさに地獄の日々だった。
 その後移送された長野刑務所のほうがずっとマシだ。刑務所の中であれば、工場での仕事を通じて、受刑者との交流が、多少はある。たとえ私語が禁止されていようとも、気に食わない受刑者がいようとも、独房でひとり孤独に震えているよりはずっといい。

(引用おわり)

僕自身はいつも「ひとりになりたい」とばかり思っているような性格なので、ホリエモンとは正反対だ。でもよく考えてみたら、「ひとりになりたい」という思いこそエゴの欲求で、「誰かとつながっていたい」という方が無我的なのではないか。

ホリエモンには遠慮や屈託というものがまるでない。基本的に「他人からどう見られているか」ということに関心がないように見える。それは裏を返せば、ほとんどの人々の積極的な行動の妨げとなっている妙な自意識から解放されているということでもある。
(実は唯一女性に対してはこれが当てはまらなかったことが本書で告白されているが。)

この本のタイトルは、『ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく』という。

「ゼロ」という言葉には、逮捕され実刑判決を受けて刑務所に収監され、ライブドア社長という地位をはじめ何もかもを失ったという意味が込められている。

しかしホリエモンは、この「ゼロ」を決してネガティブな状態とは捉えていない。彼にとって、「なにもない自分に小さなイチを足していく」ことが働くことの喜びである。

この本のテーマは、「はたらくこと」でもある。ホリエモンは、本の中で働くことの意味を何度も追及している。彼にとって、働くこと(労働)は、自由を手に入れることに直結している。自分の食いぶちを稼ぐため、他人の奴隷となって自分の時間と労力を犠牲にするという発想は、彼にはない。

そういう話をすると、「それは堀江さんのように才能と能力があるから言えることだ」という反応が返ってくる。しかしホリエモンはそうではないという。要は自分に対する「自信」の問題だと。

この本の中で語られる堀江の生い立ちから見えてくるのは、愛情のない家庭に育ち、これといって目立つところもない、どちらかというと自信の根拠を感じさせるものを欠いた少年の姿である。ここからは私の憶測になるが、彼の自信は環境から生まれたものではなく、「ゼロ」である自分への天性の信頼感に起因している。

ホリエモンは、その一般的なイメージとは逆に、お金や地位や権力といった外的要素にはまるで依存していないように思われる。「ゼロ」である自分を楽しめる才能、ゼロに小さな一を足していく作業に心からの喜びを感じることのできる才能が、彼という人間の根源にある。そしてそれは、決してホリエモン一人が持つ特殊な才能ではない。

彼がこの書物に込めたメッセージは、いくつも読み取ることができるだろうが、無我表現研究会的に言えば、それは「無への絶対的信頼」というところに行きつくのではないかと思う。


参考文献:堀江貴文著『ゼロ―なにもない自分に小さなイチを足していく』ダイヤモンド社 (2013/11/1)


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◇評論 

★数子のマイナーカルチャー探訪「MUGAを探せ!」第6回

「江戸アケミ」が希求した無我的ダンス

土橋数子

前号に続いて女みたいな名前の男の話を書いてみる。
「JAGATARA じゃがたら」という80年代に活動したファンクバンドがあり、そのリーダーであったのが江戸アケミ(本名は別)。バンドは1979年に活動を開始し、80年代を駆け抜けていった。アケミ氏は1990年に入浴中の事故で亡くなり、バンドも今はない。
ただ、その音楽について語り継ぐ人たちはいる。バブル華やかりし時代の中にあって「原発なんか作って、10年後、20年後には大変なことになるよ」という言葉を発していた江戸アケミ。その発言が予言的だったという人もいる。まあ、じゃがたら自体は「ニセ予言者ども」というアルバムも出していたわけだが。
奇抜で過激なステージ、活動の途中では精神病院に入院するなど、世間からは狂った人だと見られていたと思うが、実際は「炭鉱のカナリア」のように繊細は人で、世の狂躁から嗅ぎとった暗部にやられて力尽きたのだと思う。

私はじゃがたらというバンドについて語ることができるほど、リアルタイムのディープなロックファンではなかった。本格的に聴き始めたのは、90年代に入ってからだ。
1990年1月28日、九州から本州のある都市へと転勤することになり、職場の仲間が新幹線のホームに見送りに来てくれた。涙・涙のお見送りシーンが展開されたわけだが、そのときに音楽の趣味が近かった同僚が「昨日、アケミさんが亡くなった」と教えてくれた。(同じ日に、アラーキーの奥さんも亡くなったという)
そんなことを聞いたおかげで、新幹線が出発してからも、名残惜しさ、これから先の不安、アケミさんが亡くなったといういろんなことが綯交ぜになって、座席でしばらくしゃくりあげて泣いていた。

新しい職場は保守的な土地柄だったせいか、馴染むのに時間がかかった。20代前半の平社員で、自ら希望して転勤するような女は、つかみどころがないと見えたのだろう。それでも、ただ毎日懸命に働いた。周りに認めてもらえるような仕事ができるようになるために。「自分のやりたいこと」などというようなことについて、考える余裕もなにもなかった日々。毎朝この曲を聴いてから、出勤していた。

「つながった世界 FUCK OFF!!NOSTRADAMUS」(アルバム「それから」より)
もしも君が過去をたずねうらやんでみても 
もしも君が過去をたずねなつかしがってみても
あの頃はまだあの頃でいろいろあったもんさ 君は毎日どろんこで家に帰ったものさ
お母さんはうれしいやら困ったやら すぎ去った日々は皆それぞれ美しいけど
今が最高だと言えるようになろうぜ 今が最高だと言えるようになろうぜ
もしも君が未来を見つめため息ついても もしも君が未来を見つめ悲しみにくれても
その時はまたその時でどうにかなるもんさ やがて現れる荒廃したテクノポリスよ
君はその残骸を手に取りキスをする そして恋人と共に夜明けをむかえる
だから今が最高だと転がって行こうぜ 今が最高だと転がっていこうぜ

果てしない空よ この願い聞いておくれ 
そびえ立つビルたちよ いったい何を物語る
土深く眠るものよ 息をふきかえす頃

次々へとわき出るリズムが 前に進めとささやく
次々へとわき出るリズムが 前に進めと俺にささやく
のるかそるか逃げ出すのか のるかそるか逃げ出すのか
無数のガラス玉が 無数のガラス玉が 宇宙に はじけ飛び出す
(繰り返し略)
やがて現れる荒廃したテクノポリスよ
君はその残骸から赤ん坊をとり出すのさ そして新たな一ページを書きとめていく
だから今が最高だと転がって行こうぜ 今が最高だと転がっていこうぜ
幻を追うより夢を育むのさ 幻を追うより夢を育むのさ
今が最高! 今が!今が!今が! 今、今、今、今、今、今が最高
(歌詞引用おわり)

昨今の「いまこ○」とは質が違うので、そこんとこよろしく。(笑)
最後の「今、今」の合間に「玄関じゃないぜ」と聞こえる。「居間」とかけたオヤジギャグと思われる。こんなテレが彼らしいと思う。時空を超えてつながった世界を描くうた。ひとりの人間の心情と、その環境である宇宙を描写した歌詞。「次々へとわき出るリズム」は、内なる躍動、生命の証のことだろうか……。これを聴けば、一日なんとか乗り切れた。

江戸アケミは敬虔なカトリックの家に生まれ、中学で洗礼を受けてから、熱心に信仰していたそうだが、後に懐疑的になり、「聖書の中には大きな間違いがある」と神父に抗議してやめたそうである。既存の宗教以外に「救い」を求めて、リズムの中にそれがあると目して、音楽の活動をしていたように見受けられる。
じゃがたらは、横浜・寿町という寄せ場で行われていたフリーコンサートに度々出演し、特にロック好きとは思えない労働者のおじさんたちを躍らせていた。音楽の玄人がうんぬんするファンクのリズムのことではなく、人が自然に持っているリズムを躍動させて、楽しませたかったのかもしれない。
あまり深掘りできなくて恐縮だが(いつもしてないけど)、好きな歌をご紹介していく。

「ある平凡な男の一日」(アルバム「それから」より)
今朝は何だか知らないけれど すがすがしくて 東の空にゃ 
お陽さまゆらりゆらりゆらり
玄関で見送る平凡なオレの女房 今朝は何だかあいつがフェイダナウェイにも見える
今日はとってもよい日だ  会社では上司に逆らったけれど
人間関係なんて自然が一番さ 
午後は何だか知らないけれどすがすがしくて、
スモッグの空にもお陽さまゆらりゆらり ゆらり
受付けの可愛いあの娘にちょっかい出して、劇画タッチであの娘を後からせめてやろか 
本当にとてもよい日だ 有り金みんな使いはたしたけど
オイラの女房はきっとゆるしてくれるさ 
オイラの女房はきっとゆるしてくれるさ 
オイラのフェイダナウェイはきっと 喜んでくれる
(歌詞おわり)

 過激なファンクバンドらしからぬ、きれいなギターのアルペジオで始まる、ゆったりと静かな曲。歌詞もそのまんま、平凡な男の一日を歌っている。どこにでもありそうな、かといってどこにもない、モヤに包まれて、そこだけ透明な、おとぎ話のような世界だ。波乱万丈の人生を送った本人を思うと、なんだかせつなくなる。

「都市生活者の夜」(アルバム「ニセ予言者ども」より)

人々が眠りにつくあいだに もう一人の自分がゆらり起き出す
人っ子一人居ない月夜の道を ただひたすらに走りつづける

さあ飛びのろう夢の列車に 夜のしじまに輝く星を
昨日は事実 今日は存在 明日は希望
うしろからしがらみが追いかけてくるけれど そんなことは少しも問題じゃない
同じように月夜の下で 同じように足をならし
今は午前四時少し前 朝焼けを待ちわびながら 終わりのないダンスはつづく

絆を失った砂漠の街で 小鳥たちのさえずりさえも消えて
都市生活者は笑いころげた 悲しいほどにただ笑いころげた
さあ飛びのろう夢の列車に 夜のしじまに輝く星を まわりは宇宙的レベルで
少しずつ変ってゆく オレの言葉も空に舞ってゆっくりと弧をかき始める

昨日は事実 今日は存在 明日は希望
子供たちの明るいざわめきが 街じゅうに響きわたるその日まで
オレは決して忘れはしない あの日のすべての出来事を
同じように月夜の下で 同じように足をならし
今は午前四時少し前 朝焼けを待ちわびながら 終わりのないダンスはつづく

ほら もう少しで君のゴールが あの娘が笑いながら近づいてくる
君の手を振ってみてごらん きっとわかってくれるはずさ
あの娘が笑いながら近づいてくる 人生は軽いフットワークさ 
(歌詞おわり ※繰り返しは略)
 
 「銀河鉄道の夜」を下敷きにしたと思われる「都市生活者の夜」。
ここでも「足をならす」「終わりのないダンス」という、リズムのことを歌っていると思しき歌詞がよく出てくる。
ふと思い出したが、三木成夫の「内臓とこころ」という本の中に、「胃袋などの内蔵のリズムは1日、1年のリズム、そして宇宙的リズムと、天体相互の運用法則に従って動いている。胃袋そのものが太陽系の運行に共鳴している。私たちの内蔵には、宇宙リズムがもっとも純粋なかたちで宿るところと考えている。消化器系は天体リズムを失いつつあるが、卵巣だけは健在。卵巣そのものが一個の”天体”というよりない」というようなことが語られていた。
江戸アケミが自身の音楽の歌詞の中で「リズム」(またはダンス)というとき、それは「拍子」や「ビート」を含みつつも、この内蔵リズムに近い言葉のような気がする。
語録の中には、「お前はお前のロックンロールを踊れ」という言葉がある。小賢しい音楽雑誌のロック批評に対しても「なんぼのもんじゃい」という感じだった彼は、思考(自我)ではなく、天体法則に則った内臓リズムからわき起こるそれぞれのダンス、無我的ダンスを求めたのではないだろうか。

参考文献『それから 江戸アケミ詩集』(思潮社)
    『内臓とこころ』三木成夫(河出書房新社)
 
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◎編集後記
最近、知人から「騙されたと思って見てみろ」と言われ、『魔法少女まどか☆マギカ』の劇場版をテレビで見ました。前後編で「はじまりの物語」と「永遠の物語」です。萌え系の絵柄はまったく趣味ではなかったのですが、ちょっとはまってしまい、最近、一人で映画館に「まどマギ」の新作を観に行ってしまいました。美容院の店長に勧めたり、無我研のメンバーに勧めたりして、引かれています。みなさん、愛想笑いはしてくれていますが・・・やばいです。(那智)


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創刊日:2011-08-08  
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  • 名無しさん2013/11/17

    ほりえもんの本は前から気になっていたので読んでみたいです