芸術

MUGA 芸術から科学まで「無我」表現による革命を

 MUGA表現研究会とは、エゴイズムに基づいた価値観、表現が蔓延している現代世界において、「私」ではなく「世界=無我」という単位からの表現を志す会です。
 文化的価値の転換、革命を目指し、その雛形として無料月刊メルマガ「MUGA」を配信(毎月15日)します。


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MUGA第27号

2013/10/15

MUGA 第27号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇アート

・詩

『季節の詩』     rita


・小説 

超人群像3

 あなたは誰よりも美しい人なのだから

         那智タケシ

・小説

 ぐるごっこ 番外編 自己啓発セミナー体験記

         高橋ヒロヤス

◇評論

・宮沢賢治「洞熊学校を卒業した三人」を読んで

         高橋ヒロヤス

・海と月と孤独と慈悲の「原マスミ」ワールド

         土橋数子


◇座談会

●無我表現研究会編集会議  2013 9/7   茅場町の喫茶店にて

愛の空間を生み出すために

                                   
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


◇アート

★詩

季節の詩     rita 

 【・夜 長・】 
  
夜のとばりに包まれて訪れる 
今日の終りのかたちとは 
  
夜風に月も影を潜めるこの頃の冷やかさに 
星が一つ二つ姿を見せるだけ 
  
夜のしじまを撫でて奏でる 
虫の声のしわざとは 
  
現実と虚構の柱につないだハンモックの 
心地よさの拠り所となっていること 
  
針の音は萎れていた 
にもかかわらず 
時刻を告げられるたびに 
振り向いてしまう僕 
  
どこからともなく続いてる波の跡は 
永遠の航路の一端なる 
秋のこの夜長にも揺れている 
  
水晶体でイマージュが踊りこぼれ落ちるとき 
空腹を満たすように文字を食らうとき 
鼓膜が振り子の風でため息をつくとき 
  
蛍光灯の明るさに覆い隠されて 
僕はクラゲのように揺蕩うていた 
  
  
  【・ 栗 ・】 
  
かたいお尻にエイッとナイフを付き刺して 
鎧いを削って下着を剥いだら 
ぼくの手の中に 
栗坊やがチョコンと座ってた 
  
いたたまれなくてそわそわしてるの? 
裸んぼうになって 
恥ずかしそうにしてる 
かわいい黄金の栗坊や 
  
緑の大樹に抱かれて 
鋭いイガに守られて 
大切に育てられた栗坊や 
  
食べてもらいたくてウズウズしてるの? 
たっぷりの愛情もらって 
まるまる太った栗坊や 
  
ぼくは栗を口の中に放りこんだ 
  
甘さがほくほく 
やわらかさがほくほく 
幸せがほくほく 
ほくほくほくほくいっぱい食べたよ 
  
  
  【・秋の雨・】 
  
雨は僕らの存在を顧みることなく 
地面へと走り抜ける 
  
天は幾万にも膨れ上がった罪の 
一つ一つを雨粒にして 
全くお手あげの状態だというふうに 
僕らの目の前に投げ捨てているみたいだった 
  
天より止めどもなく浴びせかけられる罪の気色 
幾星霜の人の過ちが 
目下に映る波紋の刹那に 
「あぁ、、」とか「痛い。」とか「このやろう!」とか声を発しては 
広がり消えるを繰り返してる様子を 
眺めてた 
  
秋の雨は何処かさみしくて冷たくて 
心細かったりする 
どうにもならない混沌の世界を 
この季節は 
人の魂が堂々巡りする 
通り道だったりするのかな 
  
もう少し経ったら 
肩の力が抜けてこぼれた涙みたいに 
雨は丸くやさしくなっていると思うよ 
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・小説

超人群像3

 あなたは誰よりも美しい人なのだから

                            那智タケシ

    1

「何でこのデータ入ってないの? 誰がやったのこれ?」

 背後からのヒステリックな叫びを耳にして、木佐貫紀子はびくりとして身を硬直させた。どうやら、またやってしまったらしい。

 この建設業界のプレゼン資料を作る、小さなデザイン会社に入ってまだ一ヶ月。試用期間とは言え、いったい何度目のミスをしたことだろう。自分には技術も足りないし、才能もない。人間関係も下手だし、年もいっているし、美人でもない。何から何までないものづくしなうえ、凡ミスを連発では、お先真っ暗というものだ。

「申し訳ありません」紀子は立ち上がり、上司のM女史の前に行くと、おどおどした様子で頭を下げた。
「申し訳ないじゃなくてさ、どうして入れなかったの?」
 五十を過ぎたオールドミスの上司は、いつものヒステリックな調子で頭ごなしに説教した。
「申し訳ありません」口下手な紀子には、ひたすら謝ることしかできなかった。

 本当は、昨晩、「とりあえず昔のバージョンでいくつもりだから入れないでおいて」という別の先輩の指示をもらったからデータを入れないでおいたのだが、そんなことを言おうものなら、逆鱗に触れるのは間違いなかった。この人を怒らせるとたいへんなことになることは、入社した初日に仕事のやり方で疑問を呈して切れられて以来、つくづく身に染みしていた。

「わからなかったら、ちゃんと聞いてくださいって言いましたよね?」
「はい……」
「クライアントに謝るの、私なんだからね! これからは曖昧なことはほうったらかしにしないで、何か疑問があったら、全部私に聞きなさいね。わかりましたか?」
「わかりました。申し訳ありません」

 紀子は青い顔をして三度頭を下げ、同じ台詞を繰り返した。自分のこんなばか一つ覚えの低姿勢が、ますます相手を苛立たせることは経験上、知っていたが、ほかに処世術を知らないのだから、どうすることもできなかったのである。

 本当に、私には何もない。

 紀子はこの一ヶ月、掃除やお遣い等の雑用や、資料の整理、誰もやりたがらない単純な入力作業を延々とやらされてきた。彼女にとって、こうした雑務は慣れっこだった。どの会社でも、いつも人がやりたがらない仕事を押し付けられてきたし、そういう仕事は嫌いではなかった。なぜなら、どんな仕事であれ、誰かの役に立っていると思うことができたからだ。

 トイレ掃除も嫌いではなかったし、外にお使いを頼まれるのは、息抜きにもなって、むしろ楽しみだった。けれども、ようやく、プレゼン資料の作成の仕事を任されたのに、まったく使えないときては、呆れられたに違いない。自分でコツコツ勉強してきたつもりだけれど、結局、センスが足りないのだ。

 紀子は、悄然とうなだれて自分の席に戻ると、クライアントからのよくわからない修正の指示で真っ赤になった、プレゼン用の資料の手直しに取り掛かった。自分の目からすると、この作業は二度手間で、もっと効率がいいやり方があるように思えたが、ミスだらけでおどおどした試用期間の自分が、ベテラン社員に何か言うことなど、とてもできやしなかった。

 ちなみに木佐貫紀子の外見はというと、自分が思っているほど醜くはなかった。ただし、奇妙な印象を与えた。

 彼女はひょろりとした細身で、どこか幽霊のような、非日常的な雰囲気を持っていた。目が大きく、顎の線は貧弱で、とがっていた。薄幸の少女がそのまま年を取って、老けてしまったような、年齢不肖で、どこか異様な外見だった。少なくとも、中年の女性特有の安定感は、その面のどこにもなかった。その俗世離れした特殊な雰囲気から、何かの新興宗教に入っているといっても、誰も驚きはしなかっただろう。

 髪はポニーテールのような三つ網で、腰まで垂れており、昔の女子高生のように黒い紐で結び、頭には濃紺のリボンが一つ、ちょこんと乗っていた。表情は不安げで、自分に自信がないゆえにすぐにゆがんでしまった。とりわけ、笑うことが苦手であった。醜く、異様な、自分が笑ったりしたら、相手に不快感を与えてしまうのではと思い込んでいたので、申し訳なさでゆがんでしまうのである。ちなみに、彼女は男性恐怖症であり、誰かに突然肩を叩かれたりするだけで、悲鳴を上げてしまいかねなかった。もちろん独身で、男性と付き合ったことは一度もなかった。

 昼休み、いつも通りに一人、デスクでお弁当を拡げて食べようとすると、一人の女性が声をかけてきた。半年ほどばかり前に入社してきたという、辻さんだった。

「木佐貫さん、もしよかったら一緒に外でごはん食べません?」

 紀子は、この会社で唯一、「感じのいい人」と思っていた辻さんに声をかけられたことがうれしくて、しばし、何も言うことができずに、相手の顔に見とれてしまった。

 辻弘美は、美人だった。

 年は三十半ばだが、独身で、背が高くて、目が大きく、柔和な顔立ちをしていた。この会社では、まだ半年ほどしか働いていないらしかった。物静かで、自分の我を通すことはあまりなかったが、仕事ができるのでみなから一目置かれていた。しかし、会社の中核を構成するオールドミスグループとは距離を置いていて、いつも一人で行動していた。ランチにも一人でどこかに出かけているようだったし、みなと飲みに行くこともほとんどないようだった。

 ちなみに、昼飯時に単独で行動している女子は、辻弘美と、会社の隅っこのデスクで一人、黙々と弁当を食べている紀子だけであった。
「でも、私、お弁当だから……」
 紀子は、憧れの辻さんに声をかけられたことが嬉しかったが、残念そうに顔をゆがめた。
 こんなことなら、お弁当を持ってこなければよかった、と心から後悔した。でも、私にはお金がないから外でランチなんかできない……

「大丈夫、いいところがあるの」と弘美は秘密めかした調子でささやいた。「もしよかったら一緒に行きましょう」

 紀子は、相手の屈託のない微笑の中に吸い込まれるようだった。呆然としながら、「はい、ありがとうございます!」と礼を言うことしかできなかった。彼女は、あたふたと弁当のナプキンを結びなおして、長身の女性の後に続いた。

    2

 そこは、会社から歩いて五分ほどの公民館だった。一階の広いラウンジには、長机とパイプ椅子がずらりと並んでいて、サラリーマンや、近くのスーパーのパートさん等が、自由に使っていい場所になっているようだった。しかし、渋谷駅と表参道の間あたりにあるこの周辺には、近くに飲食店がたくさんあるためか、意外に人はまばらだった。

 二人は、テーブルの隅に対面で腰掛れ、それぞれの昼食を拡げた。紀子は自分で持ってきた弁当と水筒のお茶だったが、弘美はコンビニで買ったサンドイッチとウーロン茶だった。

「一日中会社の中にいると、息が詰まるでしょ?」弘美は優しい口調で話しかけた。
「はい、あの、いいえ…」紀子は何か言おうとしたが、上手く言葉にならなかった。

 いつもいつも、自分の口は、私の思いを伝えない。私は、私の思いを形にできないのだ。自分の中にある曖昧なものは、この世界では意味にならない。形にならない。もしもこの曖昧なものを自由に表現して、他人に伝えることができたら、どんなにいいだろう。けれども、私にはそれは決してできないし、もしもできたとしたら、私は私でなくなってしまう気がする。

「私、みなさんにご迷惑ばかりかけていて……」と紀子は自信を失って、つぶやいた。
「迷惑?」弘美は問いかけるような顔をした。
「仕事、できませんから」と紀子は必死に言った。「技術も足りませんし、人と話すのも上手くないですし、みなさんから嫌われるのは当然だと思います。私、使えないですから」

 弘美は、興味深げに相手を見つめていた。その瞳には、何か思慮深い、相手を包み込むような輝きがあった。彼女は頬杖を突き、僅かに首を傾げ、相手の心臓のあたりに視線を落として、透視するような目つきをした。

「そんなことないわ」と弘美は言った。「木佐貫さんのような人がいなければ、この世界は回らないようにできているのよ」

 紀子は、自分が何を言われたのかよくわからずに、きょとんとして相手を見つめていた。

「私、木佐貫さんのような人、好きよ」と弘美はまっすぐに相手を見つめ返して、告白した。「尊敬してるの」
 紀子は、動揺を隠せずに目をきょろきょろさせた。
「私、そんなんじゃありません」と彼女は頑なな調子で言った。「辻さんに尊敬されるところなんて、私には一つもありません、私なんて、全然だめですから。そんなこと全部わかってるんです。私、辻さんみたいな人になれたならって、思う時があるんです。すごいなって」

「すごい?」弘美は眉をひそめ、首をひねった。「私のどこがすごいの?」

「えっ?」紀子は、相手の挑戦的な口調に驚いた。「私から見ると、全部すごいです。仕事できるし、媚びない感じだし、堂々としているし・・・」

「すごくないわ」と弘美は相手の言葉を遮り、まるで自分に言い聞かせるように言った。「私はすごくない」

「辻さん?」紀子は、少しおびえた顔をした。
「本当にすごいのは、あなたみたいな人なのよ」弘美は、確信に満ちた口調で言った。
 紀子は、びっくりして目を大きくした。
「私はね、突っ張っているだけ」と弘美は自嘲するように横を向き、どこか諦めた表情で言った。「何でもないような振りをしているけれど、本当は強がっているだけなの。だからあなたのように、自分のことを低く見積もって、誰かのために一生懸命尽くしている人を見ると、勝てないなって思うの。本当よ?」

 紀子は、辻弘美の美しい横顔に見惚れていた。そのシニカルな表情も、自虐的な調子も、どこか諦めた笑顔も、何もかもが美しく、大人びていて、素敵だった。そんな彼女が、何一つとりえがない私に勝てないというのだ。

「そんなこと……」紀子はすっかり驚いて、言葉に詰まった。「でも、そんな風に言っていただけて、とてもうれしいです!」

 弘美はおかしそうに相手の顔を見ると、突然、声を立ててカラカラと笑い出した。まるで、この世界全体が笑っているような、快活な、楽しくてしようがないといったような笑い方だった。

 紀子が首を傾げて相手を不思議そうに見つめていると、ようやく笑い終えた弘美は言った。

「木佐貫さんって、本当に面白い人ね!」

 紀子は、ただ不思議そうな顔つきで相手を見つめていた。彼女は、自分に自信がないにもかかわらず、ただひたすらに、無心で相手を見つめてしまう癖があった。そんな時、彼女の面には何の感情も表れないのであった。「ロボットみたい」と言われたこともある。自分では意識しないのだが、まるで相手の魂を無機的に観察してしまう風なのである。それを嫌がる相手もいたが、弘美は、まったくなんとも思っていないようだった。

「私、前からこんな風にあなたとお話したいと思っていたの」弘美は、秘密めかした調子で言った。「でも、本当に良かったわ。こうして木佐貫さんとお話できて」
「こちらこそ、ありがとうございます」紀子は、深々と頭を下げた。

 すると弘美はまたもや声を立てて笑って、「木佐貫さんって本当に面白い人ね!」と言った。

    3 

 会社に戻ると、紀子はいきなり上司のM女史に怒鳴られた。彼女の入校したデータの中に、修正前の古いデータが紛れ込んでいたのだ。そのことで昼間、クライアントからクレームの電話が来たということだった。

「どこ行ってたのよ? 新しいデータ探すの、たいへんだったんだからね」
「申し訳ございません」紀子は、あわてて頭を下げた。
「お昼は、一時間って言いましたよね? 少なくとも、試用期間中は守ってもらわないと困りますよ」
 この時、辻弘美が口を出した。
「私が彼女にいろいろと仕事のことを教えていたんです。彼女、肝心なことは何も知らされてないんですね。何も知らなくて、びっくりしました。データの入れる場所だって、最初は教えてあげないとわからないと思いますよ」

 M女史は不満そうだったが、弘美のことは苦手なのか、何か悔しそうな顔をすると、「それなら、あなたがもっとちゃんと教えておけばよかったでしょう!」と捨て台詞を投げ、背を向けて逃げてしまった。
 紀子は、弘美に尊敬と感謝の眼差しを送った。弘美は、ほんの少し微笑み返すと、何事もなかったように席に戻った。

 辻さん! 辻さん! ああ、なんてすばらしい人なんだろう! と彼女は心の底から思った。

 翌日、紀子は辻弘美と話す機会をうかがった。昨日のお礼を言いたかったし、彼女ともっともっと話したかった。しかし、その日、弘美は何やら忙しそうにしていて、ランチもデスクで一人でコンビニ弁当を食べていたし、紀子の方に振り向く気配さえなかった。むしろ、無愛想で、そっけなくなったようにさえ思えた。

 夜十時過ぎ、紀子は一人、帰り支度を始めた。周囲を見回すと、みな、黙々とパソコンに向かい続けていた。気まずかったが、「お先に失礼します」と頭を下げ、一人、会社を出た。彼女は埼玉の外れから渋谷まで通っていたので、遅くまで会社にいることができなかったのだ。

「お疲れ様」と返してくれたのは、辻弘美ともう一人の若い、いつもふざけて、自分をからかう学生アルバイトの若い男だけだった。

 私は遅くまでいることができないし、使えないから、誰も挨拶してくれないのだ、と紀子は思った。猫の手も借りたいような会社だから奇跡的に入社できたものの、きっと、試用期間が終わったら首を切られるのだろう。それはそれで仕方ない。私は、どこにいっても、いらない、不必要な人間なのだから。でも、そうしたらもう、辻さんと会うこともできなくなる。そう思うと、少し寂しかった。

 帰り道、紀子が一人、とぼとぼと駅までの長い裏道を歩いていると、背後から突然、肩を叩かれた。「ひゃあー!」と叫んですくみあがると、「ごめん、ごめん」と言う声が聞こえた。振り返ると、息を切らした辻弘美が、おどけた顔をして突っ立っていた。

「辻さん!」
「ごめんね、驚かしちゃった?」
「いいえ、昨日はありがとうございました」
「何が?」
「いろいろとフォローしていただいて、私、うれしかったです!」
「ほんと、不思議な人ね!」弘美は笑って言って、隣に並んで歩き出した。「あの人たち、いっつもあんな風に責任逃れしてるからさ、ちょっとはいじめてやらないとね。いい気味よ」
「でも、私、やっぱり無理かなって思っているんです」紀子は、暗い顔をして、ぼそりとつぶやいた。
「何が?」
「どうせ、試用期間が終わったら首になると思いますし、その前に辞めちゃおうかな、とか」紀子は卑屈な調子で笑いながら言って、足元の小石を蹴飛ばした。

 すると弘美は立ち止まり、紀子の肩を強くつかんで、振り向かせた。頭一つ近く高い彼女は、紀子を見下ろした。そこは、民家の間を抜ける、暗い、人気のない道だったが、街灯の真下だったので、白い光が長身の女の頭上から降り注いでいるように見えた。弘美はそっと手を伸ばすと、紀子の頬に当てて、そっと撫でた。

「自信を持って」と彼女は、はっきりした口調で言った。「あなたは、誰よりも美しい人なのだから」

 紀子は、何か信じられないものを見るように、相手の顔を見上げた。しかし、逆光になっていて、その表情はうかがい知れなかった。そこにいるのは辻弘美という一人の女性ではなく、暗闇の中から現れ出た、もっと別の、畏怖すべき対象であるようにも感じた。

「辻さん?」と紀子は震えながら聞いた。

 辻弘美は、何も答えずに紀子の手を握ると、「行きましょう!」と力強く言って、歩き出した。

「どこに行くんです?」紀子は、相手の手をしっかりと握り返して聞いた。
「どこにだっていいでしょ!」と弘美は叫んだ。「こんなところでいつまでも油を売っていたら、怖いM女史に見つかってしまう!」

 二人は、女子学生のように笑いながら、暗い夜道を走り出した。
 紀子は、いつまでもこの美しく、真実の力を持ったすばらしい人の手を握っていたいと思った。いつまでも。

 4 

 翌日、辻弘美は会社に来ていなかった。体調でも崩したのだろうか? と紀子は思い、何気なくM女史にそのことを聞いた。すると意外な答えが返ってきた。

「知らなかったの? 辻さん、昨日までだったのよ?」
「えっ?」
「お別れ会やろうと思ったけど、今、ちょっと忙しくて無理だし、辻さんもいいって言うから」
「どうして、辞められたのでしょうか?」紀子は、真っ青な顔をして尋ねた。
「結婚するんだって」そっけない答えだった。

 その日、紀子は仕事でミスを連発し、上司には怒鳴られ、ミスのフォローのために終電ぎりぎりまで働いた。しかし、紀子にとって、それらのことはどうでもいいことであった。上司からいじめられること以上の不幸が、彼女の全身を打ちのめしていたからである。問題はただ一つ、彼女が尊敬し、愛し、自分というちっぽけな存在の価値を認めてくれた世界でただ一人の人間が、目の前から消え去ってしまったことだった。彼女は、幾度となく心の中で祈った。

 辻さん、辻さん、助けてください! 私を見捨てないでください!

 しかし、祈りは届けられなかった。

 私は辻さんの携帯電話番号さえ知らない、と紀子は思った。ということは、もう彼女とは二度と会うことはないし、私の人生にとって、辻弘美は死んだも同然なのだ。実際、あの人にとって、私は通りすがりにからかった、哀れむべき人間の一人に過ぎなかったのだろう。

 終電まで時間がなかった。帰り道、いつにも増して暗い、ひと気ない夜道を一人、小走りで急いでいると、突然、激しく雨が降り出した。ゲリラ豪雨というやつだ。最近、こんな風なおかしな天気が多い。私たち人間があまりに自己中心的になって、好き勝手なことばかりしているから、自然が怒っているのだろうか?

 季節は秋になろうとしていたが、彼女は日傘を持っていたので、ショルダーバッグからそれを取り出し、開こうとした。しかし、百円ショップで買った安物を使い込んでいたせいか、上手く開かなかった。雨脚がどんどん速くなってきたので、彼女は、強引に傘を開いた。すると、骨組みが傘を突き破り、まともに開かなくなってしまった。仕方なく閉じるようとすると、今度は上手く閉じずに、かばんの中にしまうこともできなくなった。

 紀子は、危うく泣き出しそうになったが、それでも歯を食いしばって、壊れた傘を片手に、雨に打たれながら駅へ続く裏道を小走りで急いだ。気づけば、終電まで後十分しかない。渋谷駅のホームは入り組んでいるのだ。このままでは帰れなくなってしまう。

 雨雲に覆われているらしい空には、星がなかった。ただ、ぼんやりとした巨大な満月だけが、彼女の頭上に今にも落ちてくるように、天から釣り下げられて、不安定にゆらゆらと浮かんでいた。その大きな夜の真珠に見守られながら、彼女は必死に走り続けた。

 しかし、足元が暗かったせいか、水溜りで突起につまづき、前のめりに転んでしまった。彼女は、小さな頃に交通事故にあって左足を複雑骨折したせいで、バランスが悪く、元々転びやすい質だったのだ。両手と膝をついたが、痛みはさしてなかった。それよりも、水溜りの中にダイブして、泥水を顔に浴びた瞬間、何かすべてが終わった気がした。落ちるところまで落ちることで、笑い出したい気分にさえなった。

 紀子は、水溜りの中で四つんばいになったまま、うなだれ、しばらくじっとしていた。それから、何かを悟ったかのように急ぐこともなく、ゆっくりと顔を上げた。

 目の前には、一つの顔があった。その顔は、のっぺらぼうではあったけれど、物静かに、泥まみれになった無様な彼女を物言わず見つめていた。豪雨の向こうで、前よりもさらに存在感を増して、より強く、より深く光り輝きながら。彼女は、時が経つのも忘れ、あどけない表情で、その光り輝く白い球体に見惚れ続けた。するとある時、雨に溶けた輪郭の中に、一つの顔が浮かび上がるのを見たのである。

 辻さん、辻さん!

 その瞬間、自分は決して一人ではなく、この世界から見捨てられているわけでもなく、あの満月の反射を通して辻さんが自分を見てくれているのだと確信し、泥まみれの顔をゆがませて、幸福そうに微笑んだ。
                           
                               (了) 
                           
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・小説

ぐるごっこ 番外編 自己啓発セミナー体験記

高橋ヒロヤス

あれは僕が学生だったころ。もう20年以上前の話になる。

当時一部の世界で流行りだった「自己啓発セミナー」を受けたことがある。

自己啓発セミナーというと、当時から一般的にはかなり胡散臭いイメージが付き纏っていた。確かに、やたら高額な受講料を要求して、宣伝や勧誘活動に力を注いでいるグループがいくつも存在したことは事実だ。しかし中には、地道にコアなメンバーを募っている少人数のグループもあった。

そのグループには、官公庁のエリートや、誰もが知っているトップ企業のエリート候補生が数多く参加していた。

そんな、当時一介の学生が加わるには場違いな、どちらかといえば閉鎖的なグループに参加できたのは、とある知人を介してだった。当時の自分はスピリチュアルな分野に関心はあったが、組織的な活動や集団的なセミナーは忌み嫌っていたから、知人に誘われた時にも本気で関わる気はなく、受講したのは専ら好奇心からだった。

もともとあの系統のセミナーは、米軍でベトナム戦争から戻ってきてメンタル的に問題を抱えた兵士たちを日常生活に復帰させるために開発されたものだという。
自分の受けたセミナーもアメリカ発で、某カリスマ・トレーナー系のグループが分化したものの一つらしかった。

そこに参加した人は、ほぼ全員が、自分の人生に新たな動機づけが与えられたような気分になると言われていた。働きすぎて燃え尽き症候群に陥っていた人や、生きることに退屈して軽いうつ状態にある人々も、セミナーの参加後には、見違えるように生き生きと日常生活を送れるようになり、職場でもますますリーダーシップを発揮できるようになる、という評判だった。

いささか先回りして言えば、そのセミナーで用いられた手法の多くは、事実、効果的なテクニックだったと思う。多少のアレンジを加えれば、今社会問題化している「引きこもり」対策になるのではないかとも思えるくらいだ。

「セミナー」の参加者は、男女比は7:3くらい。男性は、先ほど書いたように、官公庁や企業のエリート戦士みたいな人から、定年退職後の年配者、自分のような学生まで幅広かった。女性はみな若く、大企業に勤めるキャリア・ウーマンから芸能界で働く人まで多様だった。

セミナーの内容について詳細は述べない。理由の一つは、内容を第三者に公表することを禁じる条項が受講契約に含まれていたためである。もっとも、20年以上の前の話だし、セミナーについての知識も流布している現在では、実害があるとも思えないのだが。二つめの理由は、セミナーの内容そのものよりも、それを成立させている要素や背景にこそセミナーの核心が含まれているからである。これについては後述する。

約3日間にわたるセミナーの間には、参加者が少人数のグループに分かれて、「話し合い」をする時間が設けられた。「話し合い」とはいっても、実質的には個々人の「独白」に近く、周囲はそれにただ耳を傾けるだけ。何が話されても、決して批判してはならないというのがルールだった。個々人が可能な限り自分と向き合い、徹底的に自分の人格を曝け出すことが求められた。

かなり以前のこととはいえ、公にすべきでないプライバシーに関わる事柄が含まれており、この文章から個人が特定されるようなことがあってはいけないので、詳しいことは書けないが、そこで語られる内容には衝撃的なものが少なからずあり、その多くは、いわゆる年少期のトラウマに関することだった。

セミナーが終了すると、参加者は今後少なくとも他の2名のメンバーと定期的に連絡を取り合うよう求められた。その趣旨は、セミナーで体験した「非日常」の感覚や思考が、日常生活の中で鈍磨し消滅しないよう、仲間どうしでサポートし励まし合うというものだった。

組み合わせは、くじ引きによって決められたが、今思えば、ランダムのようでいてそうではなかったのだろう。自分は、ある女性と連絡を取り合うことに決まった。通常は二人なのだが、なぜか自分が連絡すべき人はその女性だけとされた。

セミナーの終了時には、参加者のほとんど全員が、ある種の高揚感と満足感に包まれているように思われた。それは「カルト的」とか「宗教的」と表現できないこともなかった。

だが、「彼ら」には押しつけがましさや独善的なところはなかった。少なくとも、狂信的な団体が持つ危険な要素は感じられなかった。事実、僕は彼らの多くが今でもきわめて「常識的な」市民として「健全な」生活を送っていることを知っている(いちいちカッコ付きで書くのが僕のいやらしいところだ)。

しかし、僕自身は周囲の出来事に対して最後まで違和感を抱えたままだった。「ポジティブ」に変容していく仲間たちを見ながら、どうしても醒めた見方を手放せない自分がいた。

セミナーを受けているときの様子から伺うと、自分と連絡を取り合うことになった女性も、そんな醒めたところがあったように思う。だからこそ、ペアに選ばれたのかもしれない。

正確な年齢は知らなかったが、彼女は自分より少なくとも10歳は年上だった。ある芸能事務所でモデルやタレント管理の仕事をしているということだったが、彼女自身がモデルをしても通用すると思えるくらい美しかった。

僕は、彼女のある種この世離れしたような美しさと共に、セミナーの間に彼女の口から淡々と語られた身の上話の内容に軽いショックを受けていた。とはいえ、彼女に特に興味を持ったわけでもなく、これ以上積極的に知り合いたいとは思っていなかった。
当時の自分が異性として意識するには彼女は余りにも「大人」すぎた。

そういうわけで、こちらから連絡を取ることには若干の躊躇があったが、連絡しないというのもおかしいので、1週間ほど迷った挙句、先の見通しがはっきりしないまま、知らされた連絡先に電話をかけることを決意した。

彼女は僕からの電話に、意外なほど明るく屈託のない調子で対応してくれた。僕から連絡が来ないから心配していたとも言った。

二人でまともに話すのは初めてだったので、その時の会話は今でもなんとなく覚えている。

「(僕が)もう連絡しないと思いました?」

「う〜ん、・・さん、なんとなく醒めた感じだったから、やめちゃったのかなって」

「・・さんは、どうですか?」

「私も正直、あの雰囲気に馴染めなかったみたいです。なんか違うなっていうか・・・」

「僕もそうなんですよ、実は・・・」

「ひょっとしたら、私たち、“脱落組”だって思われたんじゃない?(笑)」

「そうかもしれませんね〜(苦笑)」

セミナーの同志としてあるまじき会話を交わしながらも、とにかくどこかで会いましょうかという流れに自然になっていった。連絡メンバー同士は、直接会って、セミナーの中で取り上げられたテーマについて話し合うことになっていたのだ。

セミナーには、家族に内緒で参加する人もいる。自己啓発セミナーというものに対する世間一般のイメージを慮って、できれば知られたくないと思うのだろう。そもそも家族関係に問題を抱えている人も結構いた。

彼女はどうなのだろう? 話しているうちに、次第に彼女に対する関心が高まってきた僕が、それとなく探りを入れると、意外な答えが返ってきた。

「娘と二人暮らしなんです」

ますます興味がわいてきたが、あまり長電話も、と思い、とりあえず待ち合わせの日時と場所だけ決めて電話を切った。

待ち合わせたのは、上野駅前の、今はもうなくなってしまった方の「聚楽」だった。
平日の夜で、彼女は仕事が終わって直接来るとのことだった。今のようにお互い携帯は持っていない。

セミナーで与えられたテーマについて話し合うという建前ではあったが、そっちの意識はもはや薄れきっていた。綺麗な大人の女性と夜に待ち合わせ、というだけで舞い上がっていた。

その日の決して忘れられない出来事は、彼女に娘の家庭教師を頼まれたことである。

すっかりセミナーそっちのけの会話が続いた後、彼女がこんなふうに切り出した。

「あの子、学校の勉強に全然身が入らなくって。前から家庭教師をつけたいと思っていたんですけど、もしお厭でなければ・・・」

大学生にとって家庭教師のバイトほど割のいいものはない。僕も入学当初から何件かやっていたが、たまたまその時点では何も入っていなかった。

二つ返事で引き受けたのは言うまでもない。

娘は中学3年生だという。普通なら必死で高校受験に取り組む時期だが、中高一貫のため、受験勉強は必要ない。その代り、単位不足で留年しそうな勢いらしい。

20代と言っても十分通用するであろう、こんな女性に、中三の娘がいるというのもちょっとした驚きだった。しかし、僕が彼女からセミナーで聞いた境遇を考えると、なんとなく納得もできるのだった。

ここから、彼女(母)の方をTさん、娘の方をRちゃん、と記すことにする。

Rちゃんは、Tさんに似た美少女で、確かに勉強はダメダメだった。頭は決して悪くないのだが、まったくやる気がない。宿題を出しても、決してやってこない。

Tさんは、「厳しくやってください」と言うのだが、僕にはどうしても厳しい態度というのが取れず、女の子の扱いに慣れていない僕は、逆に手玉に取られている感じだった。

休憩時間には、彼氏とのプリクラ写真を見せられながら、もっと男としての魅力を磨かないとモテないよ、などとダメ出しされる始末。

挙句は、「どっか遊びに連れてってよ」とねだられ、一緒に遊園地に行くことを約束する。

一方、Tさんは、毎週訪問する度に、やけにお洒落な格好で出迎えたり、終わったらご飯を作ってくれたり、こちらが勘違いしそうなほどの好意的な態度を見せた。

自分は、言ってみれば、本能ではRちゃんを求めていたが、人間的な部分ではTさんに魅力を感じるという状態にあった。

そんな日々が3か月くらい続いたのだろうか。

何度かデートして、血迷っていた僕は、Rちゃんに告白して、振られた。

相手は高校1年生になったばかりである。正直とんでもない馬鹿だったな、と今となれば思う。しかし、それなりに真剣だった僕は、今思い出しても憂鬱になるほど酷く落ち込んでしまった。

もう家庭教師は続けられないと思い、「別のバイトが入ったから」と見え透いた理由をつけてTさんに断わりの電話を入れた。

Tさんはあっさり承知してくれた。もともと僕の「指導」に期待などしていなかったのだろう。Rちゃんから事の顛末を聞いたのかもしれない。

しかしTさんの次の一言には不意打ちを食らった。

「今度、娘のいない時に、家にいらっしゃいませんか?」

「え?!」

「お話したいことがあるので・・・」

僕はどう対応していいか分からなかった。

Tさんが僕のことをどう思っているのか、どんな感情から出た発言なのか。

Tさんが僕に好意を寄せてくれているらしいことは言動の端々から感じていた。でもそれは、娘の家庭教師としての僕に対するものであって、それ以上のものではない、と思っていた。

それでもなんだかある種の期待感と異様な緊張感がないまぜになった感情に襲われたことは否定できない。

電話で告げられた平日の昼間、彼女の家に行くと、Tさんは戸口でとても明るく迎え入れてくれた。

僕がその場で、自分の都合で家庭教師を辞めることになったことに謝罪の意を告げると、Tさんはそんなことは全然問題にしていないようだった。

自分が驚いたのは、リビングに通された時、そこに一人の男性が座っていた事だった。

その人物の顔には見覚えがあった。彼もあのセミナーを一緒に受けていたからだ。

続く

(註)この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。


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◇評論

宮沢賢治「洞熊学校を卒業した三人」を読んで

高橋ヒロヤス

宮沢賢治の童話に、「洞熊学校を卒業した三人」というのがある。
話の内容はざっとこんな感じだ。

蜘蛛となめくじと狸の三人が洞熊学校に入る。洞熊先生の教えることは三つだった。一つは世の中はみんな競争であるということで、二つ目は、誰でもほかの人を通り越して大きくえらくならなければならんということ、三つ目は、大きなものがいちばん立派だということだった。それでみんな一番になろうと一生懸命に競争する。三人はうわべは大変仲よさそうに、洞熊先生を呼んで謝恩会やら自分等の送別会をしたけれど、腹の中では、へん、あいつらになにができるもんかと考えている。

さて、洞熊学校を卒業して三人はどうなったか。続きはぜひ本編を読んでほしい。インターネットの「青空文庫」でも全文が読めるのでぜひお勧めする。

この童話を読めば、宮沢賢治が世の中の汚さやずるさや残酷さをどれほど透徹したまなざしで見抜いていたか、ぞっとするくらいに分かる。

特に非凡なところがあるとしたら、三人のその後を語って行くのと並列して、ストーリーとは無関係に挿入された、季節の流れにしたがった蜜蜂の営みの描写だろう。

洞熊学校で習った通りのエゴに塗れた生き方を追求し、やがて自滅する蜘蛛となめくじと狸の「自我表現」とは対照的に、蜜蜂の無為自然な「無我表現」が対置されることで、物語に一層奥行きが生まれている。

この童話が、現代の競争社会への強烈な風刺であることは明らかだ。洞熊学校の教育は、われわれの作りだした現代社会の基盤である競争原理に基づくものにほかならない。

この競争原理の上に立って、日々「努力」することが現代人の一人一人の課題として重く科せられている。

競争とは常に「あるがまま」の自分からの逃避であり、「あるべきもの」へと向かおうとする動きの現れである。より大きく、より強く、より立派になろうとする「努力」というこの自己中心的な活動はわれわれのいかなる問題も解決しない、ということを認識している人はほとんどいない。解決するどころか、それはわれわれの混迷や不幸や悲しみを増大させているだけだ。

無我表現は努力によって生まれるものではない。それは事実をありのままに知覚することから自ずと生じるものだ。「うわべは大変仲よさそうに振舞っていても、腹の中では、へん、あいつらになにができるもんかと考えている」という現実の知覚そのものが、自己中心的ではない次元の行動を生みだす。

宮沢賢治は、蜘蛛となめくじと狸の生き方を通じて、世の中でのわれわれの振る舞いを赤裸々に描き出すことによって、自己中心的で他人を踏み台にして大きくなろうとするわれわれ自身の生き方に直面させる。そのありのままの姿を見ることなしには、次のいかなる展開もありえない。

教え子が三人とも破滅した後、その様子を見た洞熊先生はどうしたか。この描写にも、賢治のシニカルな洞察が現れている。

「洞熊先生も少し遅れて来て見ました。そしてあゝ三人とも賢いいゝこどもらだったのにじつに残念なことをしたと云ひながら大きなあくびをしました。」

エゴのために生き、競争し、エゴの拡大のために「努力」した三人の生き方と対照的な蜜蜂の生きざまを描写してこの物語は終わる。

賢治の見た社会のありさまは今もまだそのまま存続している。

人類は今世紀中に新たな生き方を見出すだろうか。それとも洞熊先生の教え子たちのような運命を辿るのだろうか。時間はもう余り残されていない。

「このときはもう冬のはじまりであの眼の碧い蜂の群はもうみんなめいめいの蝋でこさへた六角形の巣にはひって次の春の夢を見ながらしづかに睡って居りました。」

以上

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◇評論 

海と月と孤独と慈悲の「原マスミ」ワールド

土橋数子

タイトルに「無我」がないな。すんません、いまいち無我なのかどうかは分からないのだが、無我好き(?)の私がいちばん好きなアーチストなので、無我テイストがきっとどこかにあるだろう。と、心もとない感じで無我を探してみる。(それにしても、無我が「ある」とか「ない」とかって言い方もどうでしょうか? 笑)

原マスミ。男性。ミュージシャン、イラストレーター。1976年よりライブ活動を始め、1982年に「ズッとじっと」でレコードレビュー。二十世紀のうちに3枚のアルバムを発表し、去年の今頃、25年ぶりとなるアルバム『人間の秘密』が出たばかり。ライブ活動も積極的に行っている。イラストレーターとしては、雑誌のイラスト、本の装丁、絵本の出版なども。ナレーションや声優(羊のポー役、コアラのマーチのCMなど)としての活動もあり、ときたまテレビから声が聴こえてくると、「おっ!?」と思う私。

長年のファンなので、どこをどうつかんでご紹介すればいいか迷うのだが、古くは日活ロマンポルノ「ピンクのカーテン」の主題歌および挿入歌として使われていた。高校生だった私は、「坂本龍一のサウンドストリート」というラジオ番組でかかった曲を聴き、普通にレコードを買ってファンになったわけだが、そんな映画に使われるようないやらしい音楽だとは気がつかなかった。(あとになって、ものすごくいやらしい音楽だということに気がついたわけだが。)
もちろん、長年のファンなので、この映画もハタチの時にチェック済み。くら〜い感じの映画の中で、原マスミのさらなる独特の暗さがマッチしていた。(美保純がディスコで踊るシーンで原マスミの曲がかかっていたのには 笑)

ではまず、十代のときにツボにハマった曲の歌詞をご紹介しよう。

「海で暮らす」(セカンドアルバム「夢の四倍」より)
部屋に帰ると君が死んでいた ネズミ色の首スジ まるで魚のように仰向だった
君のその骨と肉と髪の毛を使って 楽器を作って窓のそばで奏でてみよう
ああ 海で暮らしたい ここから海を眺めるんじゃなくて
海の中から首を出して、暮れていく 町や山脈を眺めていたい
七つの海よ 六つの大陸よ 七対六で今夜も海の勝ちだね
いったり来たりする船よ いったきり帰ってこない船よ、あァァァァ
びくともしない海よ 海の底のドロドロよ
ああ 海で暮らしたいな!
(歌詞引用おわり)

 この曲に出会ったとき、私は同級生が病気で亡くなるという経験をしたばかりで、毎日をボーっして暮らしていた。死とは、もう会えないということだということを、初めて知った。「いったいどこに行ってしまったんだ」と思っていた。そんなときに出会った原マスミの音楽は、黄泉の国で鳴っている音楽のように聴こえた。
レコードをかけると、一気に遠い世界に吸い込まれた。死んだ人たちにも「ああ、そこにいたんだね!」、とばったり会いそうだった。そんなゆめうつつの世界に、しばし留まる必要性があった人生のある時期に、誰かが届けてくれた音楽だったのだろう。
 
 歌の主な舞台は、夕暮れから夜。海、月、星、猫、天使、女の人、そして孤独……。温かい癒しの世界でもなければ、稲垣足穂的な硬質な夜とも違う、夜と意識が溶け込んでしまったよう空間を、自由に飛び回っている愉しさ、そして狂気の世界だ。
 
 と、二十世紀の原マスミはざっくりこんな感じだったのだが、待ちに待ったアルバムが世紀を跨いで25年ぶりに発売され、ライブではおなじみの曲を改めてじっくり聴いてみたら、驚いたことに、黄泉の国から、人間界に息を吹き返していた。キャッチコピーに、「孤独の深淵」なんて書いてあるし、まあ、基本は暗いのだが、孤独を知り尽くした人が醸し出す人懐っこさがあり、「これはもう、思い切って、明るい曲だと言ってもいいのではないか?」と思しき曲も入っている。摩訶不思議な独特の世界と評されることが多いけれど、「これなんか、ふつうにいい曲なんじゃないか!?」と興奮した。(笑)

 という原マスミの音楽性に関する紆余曲折は端折り、ここはやはり、彼の哲学がにじみ出ていそうな、珠玉の暗い一曲をご紹介しよう。

「人間の秘密」(最新アルバム『人間の秘密』より)
にんげんはだれも ふかいかなしみを いっこずつもって うまれてきたのだ
つらいよるをやりすごすために でたらめのおまじないをこしらえて
いぬたちにしかきこえないような ほそいこえでうたっているのだ わ〜い!
にんげんはだれも そのからだのなかに かなしいどうぶつがいっぴきすんでいるのだ
こんなあおいつきのよるは たましいがいうことをきかない
しっぽがにくたいからはみださないように ひとはずぼんをはつめいしたのだ わ〜い!
にんげんはだれも ふかいかなしみを いっこずつもって うまれてきたのだ
さるのなかまのなかでひとだけが むかいあってあいしあうのは
あいてのひとみのなかにじぶんと おなじかなしみをさがすから わ〜い!
 (歌詞引用おわり)

人間存在の原理について、意識的か、無意識にかはわからないが、真正面から歌っている。究極の生命の属性である「悲しみ」。もっと正確に言えば、「聖なる悲しみ」。なんだろう、仏教で言えば「慈悲」に近いものだろうか。これが人を人たらしめ、宇宙を宇宙たらしめている原理ではないだろうか。初めてこの曲を聴いたとき、そんな風なことを思いながら、流れる涙と鼻水を、流れうるまま放置していた。
 
 同じく最新アルバムから、歌詞の一部をご紹介しよう。
「教室」(最新アルバム「人間の秘密」より)
僕は立っていた 教室の外、日の射す廊下 水の入ったバケツを両手にさげて
雲が流れて 影がグランドを走る 僕は目を細めて じっと見ていた
(中略)
僕は見つめてた 真冬の夜空を 100年に一度の 流星群のくるその方角を
星座を横切り 流星の数を 10まで数えて、でもすぐに数えるのをやめたんだ 
僕はそのときたしかに 宇宙の中にいた
体の底から 僕は震えていた 僕は学んでいたんだ
震えながら 僕は学んでいたんだ
(歌詞引用おわり)

 最後に無理やりのようだが、なんか無我体験っぽくないですか?(笑)
 
 もう一曲、歌詞の一部をご紹介。
「血と皿」(同上)
君の幸せを 何に祈ろう 神様の名前を 僕は知らないから
月と太陽に祈るよ 地面の下の 虫たちに祈るよ
(歌詞引用おわり) 

以前どこかで「無神論者だ」という発言をしていた原マスミ。それはおそらく「既成宗教における神を信仰していない」ということではないかと解釈している。なぜなら、その歌は祈りで満ちており、すべての命に対する敬意に満ちており、人の孤独と営みと、酒と泪と男と女と生と死と、「生きることの冥利」を歌っているからだ。わ〜い!

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◇座談会

●無我表現研究会編集会議  2013 9/7   茅場町の喫茶店にて

愛の空間を生み出すために

那=那智タケシ(ライター・無我研代表)
土=土橋和子(ライター)
み=みきを(デザイナー・女)
テ=ティモ(アルバイト)
エ=エリナ(占い師・アーティスト)
ハ=ハニー(医療関係)

●観念はもういらない

 ハ 大震災の後に、変なスピリチュアルにはまってしまって、それで逆に混乱していた時に那智さんの本やメルマガに出会ったんです。
 土 変なスピリチュアルって?
 ハ 今って現世利益というか、これすれば儲かるとか、変な感じのが多くて。地震とかで不安になったこの時期にそういうのが増えてしまった。でも、そういうのはよくないんじゃないかっていう那智さんとか、少数派の人たちに共感するなと思って参加させてもらいました。
 那 ああいう世界って外から見ているならともかく、中に入るとついていけないノリになっていたりする。「幸せですか?」「幸せです」みたいな新興宗教的ノリになっている。そのノリについていけないとか、そういう感じ?
 ハ そうです。
 土 大きな団体なんですか?
 ハ すごい大きな団体。そこで元手もかからずに莫大なお金を取っていて。
 エ 私も騙されかけたことあるんですけど。全国一斉にヒーリングをする。日本列島位の大きさのドラゴンをつけてあげるって。
 一同 (笑)
 那 そこまでいくと面白いけど。
 ハ すげー嘘くさい(笑)
 エ それをするには、体毛を剃らなきゃいけないって。だから剃るように言われた。
 ハ 何それ?(笑)
 エ ドラゴンをつけるとあらゆる願いが叶って、世界一になるって。
 ハ 世界一? おいくらだったんですか?
 エ 無料です。
 一同 (笑)
 ハ それはちょっと面白い。
 那 面白いキャラがいっぱいいるね。
 土 みきをさんは、そういうセミナーに行ったことがあるのですか?
 み 私は那智さんと昔から友達で、宗教のこととかいろいろ言われていて。
 那 彼女はそっち系はあまりこだわりないから。10年ちょい前初めて会った時に話したのは、井の頭公演で一人で座禅を組んでいるっていうのね。頭の中にザーっていうノイズがあって、それを消したいって。テレビの砂嵐見たいのがあるから、朝、1人で瞑想してるって。当時は金髪の女の子で、それが面白くて、それ以来の付き合いです。
 ハ メルマガに前に書いてあった?
 那 そう、ネタにもしたけど、彼女が22、3歳だったと思うけど、当時モーニング娘とか流行っていて、モームスにでもいそうな金髪の小さな女の子が、朝、必死に座禅組んで、木の下で瞑想してると思うと、何か胸打たれるものがあるじゃない?
 土 そこがポイントみたいな?(笑)
 那 マジックマッシュルーム食べた、とかね。
 ハ 合法だった?
 那 知らないけど。でも、彼女は今のスピリチュアル系のラインの人とは違いますね。
 エ スピリチュアルな世界って90%偽物の人が多いです。
 ハ もっと、99%って言いたい気もする。
 那 セミナーでお金払って、技術を教えてもらって、というと整体とか、リアルな効果があればわかるけど。でも、ああいう世界もビジネスだからね。仕方ない部分もある。
 土 でも、そういうことをやっている限りは、ちょっとくらい効果があったりするのでしょ?
 那 なんかあるだろうし、ゼロではないと思う。ただ、その場では癒されても、人生全体として捉えるとマイナスになる場合の方が多いかもしれないね。
 エ スピリチュアリズムにはいいものもあると思います。真面目にやっている人もいます。
 ハ でも、真面目にやっている人はすごく少ないなと思う。
 エ だいたいお金に走るから。
 那 顔見ればわかるけど。本物はあんまりアピールしない。
 ハ 形のないものにそこまで大金を、という気がするんです。
 テ 数万円とかお金を取る。万単位。
 エ 最近は、エドガー・ケイシーという人の本を読んで、あの人は、いいのかなと思った。
 土 ある意味、歴史上で一定の評価のある人はね、何かあるでしょうね。
 那 最近、疲れてしまって。こういう批判にエネルギーを使っていいのかなって。そういうのをやりすぎると怨念みたいのもあるし、疲れてしまう。表面とは違って、観念に汚染されている分、逆にピュアじゃない。たまにいい人がいてもね、98%は観念の世界。だからもう何もいらないというか、ぼくは何もない方が絶対、人として強いとわかっているから。麻雀していても、考えたり、観念持っているとだめ。全部落として、触れるというか。
 ハ 妄想するとだめということですか?
 那 観念すべてがいらいなということです。花ってそれだけで完璧でしょ? 花に瞑想とかいらない。咲いて、散って、終わり。それが美しい。余分なものを落とす手段としての瞑想ならわかるけど、付け加えちゃだめだよ。現実っていうものを壊すという意味で、最初のワンアクションとして瞑想というものはあるのかもしれないけれど、基本は落とす方向じゃないと、不健全なものになってしまう。そういう感じがすごいします。
 土 いろいろくっつけると売れるなと思っちゃってるんでしょうね。基本的にね、自然の摂理として、そういう風になるということはあるので、それに多少気づいて、それにいろいろ付け加えると売れるな、みたいな感じで?
 ハ みんなね、不況とか、こういうご時勢だから何かにすがりたいのかなって。那智さんがやっている無我研の映画とかサブカルとか、麻雀とか、音楽とか多岐に渡っているじゃないですか? そういうので心を豊かにしていく活動と言うのは、何かいいなと思って。変なスピリチュアルとか流行っているけれど、逆に芸術とかの方が根源的な、大切なものに触れるような。スピとか関係ないように見えて、那智さんのやっているようなことの方が人間の本質を豊かにするというか。逆にスピ系ばかりやっているとおかしくなるような。

●「東京物語」のすごさ

 那 あのね、愛ある表現が何かという時に、原節子という女優がいるけれど、「東京物語」で原節子が「私、本当はずるいんです」という台詞を言う時があるんです。戦争で帰って来なかった旦那のことをね、忘れている時もあるって。それに対して、義理の父役の笠智衆がね「やっぱりあんたはいい人じゃ」ってうなずくのね。その瞬間にね、みんな泣くの。
 み ああ・・・
 那 通じ合っている、日本的なよさかもしれないけれど、愛の関係がある。空間があるの。小津先生という人はすごくて、箸の上げ下げまでミリ単位で指示した。つまり、調和的な姿勢というか、つながり合い? グラスの位置もここじゃなくてここ(目の前のグラスを少し動かす)。本当に厳しいの。だからああいう画面になった。ある空間が生まれた。
 み うん。
 那 笠智衆がね、ちょっと演じちゃった時があったんだって。そしたら怒ってね、おれの言う通りやれって。小津先生はね、笠智衆の朴訥な人間性とか、良さを知っていたのね。それを生かす演出をしていた。だから余計なものを付け加えた瞬間、怒ったの。原節子もそういう人だったの。いい人だったのね。そういう俳優を選んで、絶妙な調和的関係の中で撮影している。そこにある愛というのは現実世界では、ミリ単位の厳しさがあって、初めて現れるの。
 「東京物語」の最後でね、笠智衆の奥さんがなくなって、血のつながっている家族がみんな遺産のこととか、自分の時間のこととか気にしている中で、義理の娘である原節子が「私、本当はずるいんです」と言う。そこに愛の関係がある。それは表現として最上のものなんです。誰よりも美しい、と感じさせる。国境を越えて、世界でナンバーワンの映画に選ばれた(※注)というのもわかる。生きた人間同士のかかわりの中で、観念ではなくて、メッセージでもなくて、ちょっとした仕草とか、笑みとか、肉体でもって、愛を表現してる。それが最上なんです。原節子に瞑想とか必要あるのかっていったらないわけでね。
 土 ないない。
 那 映画的演出もあるとしても、仕草や表情、笑い方、拝みたくなるくらい神々しいものがある。
 み わかる。
 那 慈悲に満ちた笑みというかね、あれは地から出てきたもので、かなわないよね。外見がいいとかそういうことではなくて。精神性があの顔にすべて現れている。そういう人こそ美しいと言えるような社会にならないと、何かが狂っていく。指針としてね。そういう危機感というのがあって。
 だからスピリチュアルというのは嫌いではないし、それは無形のエネルギーをどう利用するかという話。それは誰にでもあるもので、それを悪用しなければいい。
 土 スピリチュアルという言葉の定義がずれてきたというか。
 エ 宗教が説かなかった死後の世界の説明に活用されているというか。

※2012年度の英国放送協会発行の「サイト・アンド・サウンド」で世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画に小津安二郎監督の「東京物語」が選ばれた。批評家ら846人の投票でも3位だった。2位はキューブリックの「2001年宇宙の旅」とO.ウェルズの「市民ケーン」。4位はフェリーニの「8 1/2」というそうそうたる顔ぶれでの1位である。この投票は10年に1度行われている。

●みんな、うるおいが欲しい

 ハ 現代スピもいい方にいってくれればよかったのに、拝金主義みたいな方にいっちゃったからああぁ、みたいな。
 エ こうやれば開運するとか。パワースポットとかでも怪しいところがある。
 ハ 今、こうすればっていうのがめちゃくちゃ流行っている。
 エ これを待ち受けにすればいいとか。
 み 私もどうしようもない時って厄除けとか行きます。
 那 すごい祈ってる時あるよね? まだやってるよって(笑)
 土 田舎に帰ってもね、子供のために祈ったりするのはよくやっている。
 那 一番いいのは、無心で、調和するようにやればいい。落とす方が一番いい。それが全体につながる。落としてつながったなと思うと一番いい。
 土 田舎の人は4歳のうちの子に「いい子になりますように」ってやるんだよって言う。自分がいい子になりますようにってね。
 那 そういうのが本当のスピリチュアルなのかもね。自分が大きなものに包まれているとか、お任せするとか。そういうエーテルがなくなっているから、みんな欲しいの。ぎすぎすしてるでしょ? ぶつかり合って。うるおいが欲しいわけ。潤滑油というか。だからスピリチュアルにいく。
 み そうそう。
 那 人間ってばらばらではいられないから。
 エ レイキってあるじゃないですか? あれを伝授したいという人がいたんです。カラオケに行って、テストで触らしてくださいって。手が震えてたんだけど。
 ハ 怖い(笑)
 エ 1ヶ月1万円で、10ヶ月の10万円で、と。だから、いいですって断った。人を治してきたというけど、証拠はない。言ってることはまともだけど、いいことばかり言うと怪しい。全部上から言うとか、啓示みたいな。何気なく話している中で名言が生まれればいいけど、名言を重ねる人。そういう人に会うとたいてい・・・
 土 会うんですね(笑)
 ハ ルールとか「すべき」とか、言っていることとやっていることが違う人が多い。そういう人ほど裏がある。
 エ 那智さんの「悟り系で行こう」という本を読ませていただいて、いいなと。話を聞きたいと思いました。
 那 最近、その手の話は全然してないけど。
み あの表紙も斬新で面白い。
 那 業界とフィットしてなかったけど、何か変わった人が連絡してきてくれたから良かったかな、とか。
 土 あれがスピリチュアル本みたいな表紙だったら、意外と埋もれていたかもしれない。
 那 今、読み返すといろいろあるけど、わりと本気な人が来てくれたから、まぁ、あのタイミングでは間違ってなかったかな、とか、思います。
 エ 鳥居みゆきさんに目をつけたのが面白かったです。
 那 神がかっている時があったんです。自我を超えたところでやっている時期があった。そういう具体的表現を評価するというのは、今やっていることとつながっているのかな、と思います。
 (現在のスピリチュアル業界談義が続く)

●無我表現は、2歩先

 那 今のスピリチュアルビジネスの本筋は、対処療法なんです。病気があるとしたら、癒しますよということです。じゃあ、仏教って何かと言ったら、原因療法なんです。苦しみの源にあるものは何か、本当は苦しんでいるあなたはいないよ、ということです。苦しみの源を壊してなくしてしまう。すると苦しんでいる者に対する慈悲というものが生まれるんです。じゃあ、原発どうしようとかね。自分が引き寄せたいとか、幸運になりたいとか、癒されたいというのは対処療法。それは自我を癒してくれるかもしれない。死にそうな人とかもいるから、社会には必要なことなんです。精神病でもね、薬が必要な人もいる。死なれたら困るから。その時は癒される。でも、そこから先の道があって、それは厳しい道。原因療法。その救われたい自分とは何なのか?とか、なぜ愛されたいのか、なぜ引き寄せたいのか、幸せになりたい自分とは何なのかとか、自我の問題になってくる。孤独な戦いになってくるわけです。俺ってこんなに幸せになりたいとか、俺ってエゴだよなとか、卑屈だよなとか、たいしたことないよなって気づいていく。それを打ち壊して、捨てた時に、なくなった時に、見えるものがあって、流れ込んでくるものがある。最初にアートマンというものを想定して、自分が永遠の自己と一体とか、そういう風に思うことはやっぱり違うと思う。本当の宗教性というのは、そういうのは全部いらなくて、それが仏教的なものの見方。でも、それは上手く言えない。上手く言い過ぎることはできるかもしれないけれど、それはやってはいけない気がする。こういうのは本来、本当に絶望した人のためのもので、カルチャーセンターのりでやるようなことじゃないから。
 一人で、自分で自分を見るというのが、最短・最速の道です。誰かにお金を払って教えて、ではなくて、自分の人生の中で、人間関係の中で見出していく。それは師匠とかもいらないし、邪魔になる。自分より大きな断片はない。断片が全体になった時に、オウムであれなんであれ、一人の人間を規定づけてしまう。クリシュナムルティだろうが誰だろうが、全部断片。自分の才能とか、そういうのも断片。じゃあ、何が残るだろうといったときに、慈悲がある。自分が幸せになるよりも、全体への慈悲と行為への欲求が生まれる。人間関係も変わってくる。ジグソーピースの組み合わせ方が。自分と言う断片が大きいわけではない。全体の一部にすぎないと気づいた時に、新しい関係を作るという形が見えてくる。そこからどういう形を作っていくかというのが無我表現。先の先なんです。対処療法を卒業して、原因療法的に人間に、自分にアプローチして、さらにそこから先の表現と社会との関わり方までいって、ようやく無我表現という土地に行く。だから2歩先なんです。でも、2歩先だと理解されないし、社会から受け入れられない。需要もない。本当は、半歩先でなくては表現と言うのはだめなんです。先走っている。でも、時代はそれくらいの速さで動いているから、まぁ、なんとか……
 だからね、宮沢賢治の考え方になってくる。「世界人類が救われないうちは、自分の幸福はない」という法華経の考え方になっていく。その祈りがああいう作品になっている。
 土 宮沢賢治の作品が。
 那 自分が幸せになりたいという人ではない。法華経の問題点とかね、いろいろ言う人もいるかもしれないけど。
 土 宮沢賢治くらいまでいかないと、なかなか無我表現って言い切れない。
 那 トータルな作品としてはね。全体の中でここがいい、というのはあるけれど。
 土 断片でしかないとわかっていても、依存してしまうこともある。
 那 でも、アートマンがどうとか、対処療法とか、原因療法とか、無我表現とかいきなり言っても、理解してくれない。だから言わない。

●罪悪感とお金の問題

 ハ メルマガで那智さんがスピリチュアルな世界がインターネットビジネスの世界とつながってくるという話をしていて、その通りだなと感じます。
 那 その通りです。もっとひどいものはいくらでもありますよ。でも、それはしようがない。
 ハ しようがない?
 那 もう変えられない。癒されたいし、夢見たいから。
 み 世界に何もないと思ったらつまらないですものね? それをすごく思うんです。
 ハ 自然とか、目に見えないもの、違った大事なものがあると思うんです。お金とか欲望系の方にいっちゃうと逆に救われないというか。
 エ 力があっても、お金儲けに使うと神様にその力を取り上げられちゃう。
 ハ あると思う。
 那 罪悪感の問題だよね。スピリチュアルな世界でも自己欺瞞せずに、罪悪感がない範囲なら当然、お金は取っていいと思う。生活もあるわけだし。ただ、ぼくなんかは麻雀やってるから悪いことできない。罪悪感があると勝てないんです。自分の中に余分なものが残っていると運が来ない。反動が来ると思っているから。
み そうそう、罪悪感を持つと仕事で失敗する。
 エ 私も占いで、お金をいくら取るかというのはすごい難しいんですけど、占っているとたまに病んでいる人がいるんですけど、ちょっとでもお金を取ると偽者だとか言われて。でも、元々提示しているから。
 ハ 提示しているのにね?
 エ 何でお金を取るんですか? とか言ってきて。
 那 カウンセリングみたいなところもあるしね?
 エ だから、おかしいです。大金取っているわけじゃないんです。30分で、3000円とか。
 ハ まぁ、普通な感じですよね。
 エ 後は絶対、100%当たるものでもないというか、きっかけになるものだから、後押しできればいいなという感じなんですけど。
 那 エリナさんには何かある。最初からやばいものを感じてる(笑)間が面白いし。
 み うん、すごく面白い。
 エ 私、けっこうインパクトあるって言われることあるけれど、自分ではわからないです。
 那 それでいいと思います(笑)

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★編集後記
◎最近は、仕事ですばらしい方々と出会わせていただいています。「いや、この人、隙がないな、まいったな」と思える人は稀ですが、実際、目の前にいるので「あわわ」という感じです。ただただご縁に感謝と幸運を感じています。少しでも自分を律して、恥ずかしくないように生きていきたいと思う今日この頃ですが、たまには麻雀も打ちたいかな、とか。まだまだ自分には甘いですね。(那智)


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  • 名無しさん2013/10/17

    高橋さんの冒険?話の続きが気になりました