芸術

MUGA 芸術から科学まで「無我」表現による革命を

 MUGA表現研究会とは、エゴイズムに基づいた価値観、表現が蔓延している現代世界において、「私」ではなく「世界=無我」という単位からの表現を志す会です。
 文化的価値の転換、革命を目指し、その雛形として無料月刊メルマガ「MUGA」を配信(毎月15日)します。


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MUGA第25号

2013/08/15

MUGA 第25号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇アート

・詩

『季節の詩』     rita

・小説 

超人群像1
 受胎告知 那智タケシ

◇評論

・信ずることと考えること〜〜小林秀雄と無我表現 その2
高橋ヒロヤス

・無垢とはどういうことか 〜能年玲奈とクリシュナムルティをめぐる雑感
高橋ヒロヤス

・数子のマイナーカルチャー探訪「MUGAを探せ!」第3回
「坂本慎太郎」は無為自然            
  土橋数子

◇座談会

無我表現研究会編集会議  2013 7/20   in秋葉原

今、いいものを伝えるために何をすべきか
                                   
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◇アート

★詩

季節の詩     rita 

  【・夏の抱擁・】
  
孤独は圧倒的な生命力をもって 
街にやってきた 
寂しさは蔦に姿を変えて 
木やら蔵やら 
道路標識に至るまで 
誰彼構わずへばりついた 
あれよあれよと緑の気分に埋もれていく 
夏の抱擁 
  
ぼくを行き過ぎる 
自転車に乗った日焼けの子供 
ひときわ華やかに着飾る黒揚羽 
空を踏み荒らすヘリコプター 
やむなくアスファルトに現れた蜥蜴 
魚眼レンズを覗いたような目眩が炎昼にひろがる 
どうにも体はおぼつかない 
夏の抱擁 
  
木々は自省する胸の奥より 
核心に触れんばかりの 
深淵なる色を醸し出していた 
空より降り注がれる光芒の軌跡は 
斜めになったぼくをその急所へと導いた 
円を描いて浮遊するかのように堕ちていく 
夏の抱擁 
  
  
  【・狗尾草・】 
  
えのころぐさを上風が通る 
頭を斜めにする 
  
僕の心はさらさら動く 
  
えのころぐさに陽光が注ぐ 
体を透明にする 
  
僕の心はしずかに開く 
  
  
  【・ひまわり・】 
  
ひまわりは青空を背に 
今の苦しみから逃げないよう 
ぼくにじっと微笑みかけていた 
  
ひまわりみたいに 
もっと顔を大きく上げて 
まっすぐ明日を見つめられますよう 

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◇小説

  超人群像シリーズ1     那智タケシ

「すばらしい人に会ったんだ」
「すばらしい人?」
「そう、すばらしい人。でも、とても不幸な人なんだ」
「不幸なのにすばらしいの?」
「不幸なのにすばらしいんだ。だから、ぼくはその人といなくてはならないんだよ」
                ――カフェで耳にした、とある会話から

    受胎告知

 昼だか夜だかわからない薄暗い部屋で、一人の痩せた女が、バルコニーを背にした窓枠に半身で腰掛けて、うなだれ、黙っていた。三十半ばの疲れた顔をした女で、化粧っ気はなく、顔は土色で、目の下には、染みともくまともつかぬ、淡い黒ずみがあった。その顔はまだ美しさの余韻を残していたが、度重なる不幸と、苦しみ多い運命の中に埋もれかけていた。彼女は、半ば放心したように淡い光の中で浮き上がった、畳のほつれを見つめていたが、ふいに、途方に暮れた様子でつぶやいた。

「何だか、生きているのが嫌になってきちゃった」

 その目の前には、一人の若い男がうつむき、あぐらをかいて座っていた。まだ二十歳をようやく越えた頃に見える、色白の青年で、貧乏学生らしい身なりをしていたが、その面立ちには品があり、姿態はやわらかかった。 

 彼は、ちらりと上目使いで相手の顔を見つめたが、すぐに正視に堪えかねたように、視線を落とした。そして、自分の白い、薄汚れた靴下の余った先っぽをこねくりまわすようにいじりはじめた。まるで、今、何か口にしても、何一つ良い回答が得られないことをあらかじめ知っているかのように。

「ねぇ、どうしたらいいと思う?」女が聞いた。

 青年は、再び、相手の顔をちらりと見上げた。彼の表情は、どこか悪ふざけをしようとする子供のような、悪戯めいたものがあった。彼は、右手の親指を自分の唇にもっていった。そして下唇のあれた箇所を何度も何度もなではじめた。しかし、その顔に深刻さはなく、むしろ楽しいアイデアを考え、反芻している人のようでさえあった。彼は、唇から指を離すと、顔を上げた。そして、言った。

「生めばいいじゃん」

 その顔は、まるで天使のように無邪気で、屈託のないものであった。

「いや、生むべきでしょ?」彼は、軽口を叩くように続けた。

 女は、驚きおののいたように、身を仰け反らせた。そして信じ難いものを見るように、大きく目を見開いて、まじまじと目の前の青年を見つめた。

 この子は何を言っているのだろう? と女は考えた。どうしてそんなにも明るく生めばいいだなんて言えるのだろう? あなたの子だということがわかっているのかしら? 別居しているとはいえ、旦那にばれたらどうなることか? それに、この子は何の経済力もない学生だし、社会常識もなければ、離婚の難しさについても何も知らない。それなのに、生めばいいだなんて?

「そんなに簡単なことじゃないのよ?」

 青年は、どこかすねた様子で、再びうつむいた。そしてまたもや靴下の先をいじりはじめたが、別段、何か迷っているようでも、考え込んでいるようでもなかった。

彼はただただ、時間を計っていたのである。こんな深刻な場面で、一般的な大人がすぐに受け答えしてはならないことをドラマか何かで知っていたので、ぐずぐずとうつむいていただけであった。本当のことを言えば、彼は何一つ迷っていなかったし、思い悩むこともなかった。ただそのことをすぐに口にすることはさすがにはばかられたので、しばし、沈黙の時を作ったのである。

「なんとかなるよ」と彼は頃合を見はからって言った。「うん、なんとかなるし、大丈夫だよ」

「何が大丈夫だって言うの?」女は、悲鳴に近い声で反論した。「あなた、自分が何を言っているのかわかっているの?」

 青年は、どこか冷めた目で相手を見つめた。しかし、相手を怖がらせないように、すぐにその口元に微笑を浮かべた。

「わかってるよ」と彼は優しく言った。「わかってる。だから、生んでよ。いや、生むべきなんだ。生まなくてはならないんだよ」

 女は、怒りに、青い唇を震わせて言った。

「生んだら、どうなるの?」

 すると青年は、突然立ち上がった。彼は、女を見つめるのでもなく、窓の外を見つめるでもなく、右斜め上に視線をやった。そこは天井と壁の境目あたりの何もない場所だった。彼の瞳の焦点はそこにあっていなかった。かと言って、自分の内部を見つめていたようでもなければ、何か考え込んでいる風でもなかった。それは一種、異様な、瞑想的とでも言ってよいような、不思議な目つきだった。彼はただ虚空の中から湧き上がるエネルギーに身を浸して、次に自分の体に起こることを待ち構えている人のようだった。

「生めばわかるよ」と彼はつぶやいた。

「わかるってどういうこと?」女は、ほとんどおびえた様子で聞いた。

「何も心配することはないってことさ」彼は、中空を見つめたまま、ほとんど幸福そうな微笑を浮かべて言った。「すべては上手くいくようにできているんだ」

 女は、目の前の青年が愛すべき、若き不倫相手ではなく、何か異様な、宗教的喜悦にかられた狂人にしか見えなかった。彼女は、それまで青年のエキセントリックな側面を、俗世間に汚れていないゆえの純朴さによるものであり、悪く言えば世間知らずのせいだと侮っていた。俗世間で痛めつけられ、虐げられ続けてきたからこそ、傷ついていないガラス、まだ穢れていない魂に癒され、魅了され、かつ愛してきたのであった。

 しかし今、穢れなき純朴な子供はどこにもいなかった。そこにいるのは、何か奇妙な、言い知れぬ霊感を宿した、ほとんど高慢に見える男だった。もしかすると、彼は自分の子供ができた、という事実に興奮して、こんなわけのわからないことを口走っているかもしれない。現実というものの困難さが見えていないのだ。私たちは今、絶望的な状況にある。そのことがわかっていないのだ。

「何もかも上手くいくわけないじゃない?」女は、相手を哀れむような口調で言った。「あなたは、現実というものがどんなものか、わかっていないのよ」

 すると、青年はどこか冷めた目つきで、目の前の女を見下ろした。そして、しばしうつむいた後、窓の外を見つめた。その表情は、はっとするほどに厳しく、強い意志を感じさせるものであった。しかし、その瞳は澄んでいて、はるか遠くにある地平線をはっきりと見定めているような、硬質の輝きがあった。

 女は、急に自分を惨めに感じた。何の理由も根拠もない希望と確信に満ちた、迷いのない青年と比べ、自分があまりにも小さく、ゆがんでいて、濁っていて、意味のない存在であるように思えたのであった。そして青年を羨望の眼差しで見つめながら、自らの肉体と精神を滅してしまいたいという激しい欲求に駆られた。

 私がいなくなれば、この美しい青年はどこまでも羽ばたいていけるのだ。私が重荷になっているのだ。私なんて、この世界に存在しない方がいいのだ。でも、この子はどうなるのだろう? 私が母親になったばかりに……。本当に、私なんて生まれてこない方がよかったのだ。何一つ、意味がない。誰のためにも、なっていない。生きている意味がない……。

 青年は、女の消え入りそうな姿を認めると、微笑んで隣に腰掛けた。そして、相手のぬくもりが感じられるくらいにぴたりと身を寄せ、そっと頭に手を伸ばすと、髪の毛を触れるか触れないかの強さでなでながら、相手の顔を覗き込んで、こう言った。

「ぼくたちは夫婦になるんだ」

 女はうつむいたまま、身を固くしてじっとしていたが、突然、何かに耐え切れなくなったように肩を震わせ、しくしくと泣き出した。そして、両手で勢いよく顔を覆うと、嗚咽するように慟哭した。これまでの人生があまりにも不幸なものであったので、自分の身に降って来た幸福が理解できなかったのである。その喜びは、肉体的な苦痛とでもいってよいような、圧迫感を伴ったものであった。

 青年は女との結婚を約束すると、子供を堕ろさないことを誓わせて、「試験があるから」と部屋を出た。

 彼は、古錆びた螺旋階段を下りると、黙々と裏路地を歩き始めた。空は曇っていて、世界は、灰色に満たされていた。彼はしばらくうつむいて、無表情で歩いていた。その顔は、どちらかというと陰気で、暗いものであった。しかし、何か思いつめたような様子はなく、実際、彼の頭の中に何一つ言葉は生まれていなかった。ただ、ある巨大な確信のようなものと自らの肉体が接触し、一つになろうとしているような、神秘的な感覚に満たされていた。しかし、彼にはそれが何を意味しているのかはわからなかったし、それを理解することにさして興味もなかった。

 歩いて行く先に、目の覚めるほど真っ赤な服を着た、小さな女の子が立っていた。それは四つくらいの女の子で、民家の壁に左手をついて、寄りかかるようにして体重をかけていた。そのために、右足が浮いていたが、彼女はその不恰好なバランスを楽しみながら、歩いて来る青年の顔をひたすらに見つめていたのだった。青年はその少女の眼差しに気づくと、柔和な表情になった。そして、優しく微笑みかけたが、少女は驚いたように目をまん丸に見開いて、相手を見つめるばかりで、笑い返そうとはしなかった。

 青年は、何かをあきらめたように視線を伏せ、通り過ぎた。そして裏路地を抜けて、駅へと向かう大通りに出た瞬間、顔を上げた。そこは見晴らしのいい場所で、灰色の空が、遠くの街並みや、道路の向こうまで拡がって、上から覆いかぶさるように浸透していた。そして、その灰色の空は彼の体の中にまで入り込み、通り過ぎることによって、すべての葛藤と濁りを浄化し、身体の輪郭を溶かし、彼という存在それ自体を消してしまうように感じられた。そして別段、彼はこのまま消えてしまってもまったく問題ないように感じていた。いや、むしろ消えてしまいたかった。

 いつの間にか、彼は立ち止まり、陶酔感に浸るように、両腕を胸の前に組み、目を閉じていた。彼は深く呼吸をしながら、十秒ばかりそうしていた。そして目を見開いた時、その面には傲慢とも思えるようなアルカイックな笑みが浮かんでいた。自分には何一つ不可能はないのだし、これからも自分を押し留めるものは何もないだろう、と彼は確信した。

 どうにでもなるさ、と彼は心の中でつぶやくと、再び歩き出した。そして、頭の中は、数学の試験のことでいっぱいになっていた。

                                    (了)
                           
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◇評論

信ずることと考えること〜〜小林秀雄と無我表現 その2

高橋ヒロヤス


「人は、神秘などないのにそれを作り上げるか、あるいは、とてつもなく繊細に、躊躇しつつ、そしてためらいがちに近づかなければならない神秘があるかのどちらかです。しかし意識的精神(頭脳)はそうすることができません。それは現にあるのですが、あなたの方からそれに至ること、招き寄せることはできないのです。それはこちら側から向かっていくことによって達成されるものではないのです。確かに何かがあるのですが、しかし頭脳はそれを理解できないのです。」(J.クリシュナムルティ)



以前書評で取り上げた『A』、『オカルト』の著者森達也氏は、「いわゆる超常現象(念視、予知能力、テレパシーなど)を科学的に証明することになぜ成功できないのか?」という問いを再三にわたり投げかけている。

100年以上も前から、超能力や超常現象の類いは定期的にブームとなってきた。その存在が世に知られ、騒ぎを起こすようになってから1世紀以上経過した今も、我々はそうしたものを「科学的に証明」することに成功していない。そして一般に、「証明できないということは、すなわち存在しないということである」という議論が主流であり続けて来た。

この点について、小林秀雄が興味深いことを述べている。『信ずることと考えること』という講演(後にCD化)の中で小林は、当時話題になっていたユリ・ゲラーの超能力について述べた後で、彼が若い頃に読んだ哲学者ベルグソンの講演を紹介している。

(ちなみに、小林秀雄は、親友の今日出海が日本クリシュナムルティの会の初代会長だったことなどもあり、超能力などについての知識が豊富だった。ユリ・ゲラーの念力実験を自宅でやってみたら知り合いの子どもがスプーンを曲げたこともあったらしい。)

さて、ベルグソンの話である。

ベルグソンは、あるパーティで、同じテーブルになったお互い顔見知りの医学者とある婦人が話しているのを聞いたという。

それは夢の話で、いわゆる正夢の話だった。

その婦人は、第二次世界大戦で夫を喪ったのだが、その夫が戦地で戦死するとき、ほぼ同じ時間に、夫が死んで、死ぬ直前に彼が見たのとまったく同じ状況―数人の兵士が夫を取り囲み介抱しているところ―をはっきり夢に見たという話をその医学者にしていた。

ベルグソンは近くでその話を盗み聞きしていた。

するとその著名な医学者はこう答えた。

「奥さん、あなたのことは昔からよく知っているし、わたしもその話は信じたい。あなたが嘘を言っていないのをわたしは信じる。」

「しかしながら、わたしはこう考える。つまり人間にはたしかにそういう夢の正しいものを視ることがある。けれど、その正しい夢の数よりはるかに多い数のまちがった夢を視るでしょう? その間違った夢はいったいどうするんです?」

すると、同じテーブルにいた若い女性がこう言ったという。

「わたしは先生の言っていることは間違っていると思います…。先生は、論理的には正しいことをおっしゃっておられます。だけどわたしは間違っていると思います」

ベルグソンは、その娘が正しいと思った、と講演で述べたという。

小林秀雄、そしてベルグソンがこの話で言いたかったことは、いわゆる超常現象と科学がなぜ必ずスレ違ってしまうのかを端的に示すものだと思う。

婦人は、「自分が見た1回きりの正夢」について語っているのに、科学者は、「正夢(テレパシー的能力)というものが真実に存在するのか否か」について語っているから、両者の話はまったくかみ合っていない。

科学は常に普遍性というものを重要視する。それを「再現性」と言いかえることもできる。仮に超常現象というものがあるとしたら、それは実験室の中で、所与の環境において、一定の条件の下で、必ず再現できるはずだという仮説である。

だから、婦人が自分の身に起こった、夫の戦死という唯一無二の出来事を巡って体験した1回きりの正夢の話を語っているのに対して、科学者は「けれど、その正しい夢の数よりはるかに多い数のまちがった夢を視るでしょう? その間違った夢はいったいどうするんです?」などとピント外れの回答しかできない。


志賀直哉の名作短編『焚火』にも同様のエピソードが出てくる。

友人のKさんの話。

* * *

それは、雪の季節だった。
東京にいる姉さんの具合が悪いというので、赤城をくだって見舞いにいった。東京に3日いたが、思ったほど悪くなかったので、また赤城へもどってくる。

帰ったその日は赤城のふもとに宿泊して、翌日山をのぼるつもりだったが、月がきれいでからだも元気だった。小さなころから雪にはなれていた。Kさんは、その日登ることに決める。

日暮れには、二の鳥居まで来た。しかし、登るにつれて雪は深くなる。人通りがないところなので、雪が柔らかく、一歩あるくと、腰くらいまではいってしまう。子どものころから山で育ったKさんもさすがにまいってきた。

月明りに鳥居峠はすぐ上に見えている。夏はここはこんもりとした森だが、冬で葉がないから上がすぐ近くに見えている。そのうえ、雪も距離を近く見せた。今更引き返す気もしないので、蟻の這うように登っていくが、手の届きそうな距離が実に容易でなかった。もし引き返すとしても、幸い通った跡を間違わず行ければまだいいとして、それを外れたら困難は同じことだ。上を見ると、何しろそこだ。

Kさんは、もう一息、もう一息と登った。別に恐怖も不安も感じなかった。しかし何だか気持ちが少しぼんやりしてきたことは感じた。

「あとで考えると、本当は危なかったんですよ。雪で死ぬ人はたいがいそうなってそのまま眠ってしまうんです。眠ったまま、死んでしまうんです」

それから2時間。Kさんはとうとう峠まで登った。すると、向こうから提灯が2つ見える。今時分、とKさんは不思議に思った。

それは、Kさんを迎えにきた義理の兄さんと、Kさんの家の者たち、3人だった。

「今、お母さんに起されて迎いに来たんですよ」

Kさんは、ぞっとする。母には帰る日を知らせていなかった。

母が「Kが呼んでいる」と、みんなを起したのは、ちょうどKさんが一番ぼんやりした時間と同じだった。

3人が巻き脚絆を巻いているあいだも、Kさんのお母さんは少しも疑うことなく、おむすびをつくったり、火を焚きつけていたという。

「Kさんは呼んだの?」と妻(志賀直哉夫人のこと。以下同じ)が訊いた。

「いいえ。峠の向こうじゃあ、幾ら呼んだって聴こえませんもの」

「そうね」と妻は言った。妻は涙ぐんでいた。

* * *

友人のKさんが語ったこの話に、周囲の友人たちはしみじみと耳を傾けている。

そこにはただ「聞くこと」(拝聴するという行為)があって、批判や仮説や、「普遍性」や「再現性」をめぐる諸々の主張は存在しない。

おそらく、そのような空間でのみ「神秘」は生じるのだ。

冒頭に掲げたクリシュナムルティの言葉は、神秘(超常現象という言葉よりも自分はこの言葉を好む)は二元性を超越したところにあるが、「観察する者と観察されるもの」という二元性が存在する場所―そして科学的実証はこの二元性という前提抜きには成り立たない―からはそこに近付くことはできないことを明らかにしているように思われる。

もちろん、超常現象にもさまざまなレベルがあり、現在の科学の延長によって解決されるものもあるだろう。それでも神秘は最後まで残り続けるだろう。ベルグソンの聞いた会話の二人の当事者(婦人と科学者)の間にある溝が決して埋まることがないのと同じように。


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◇評論

無垢とはどういうことか 〜能年玲奈とクリシュナムルティをめぐる雑感

高橋ヒロヤス

先月に続き「あまちゃん」の話。

「あまちゃん」の放送を見たのは、「NHK朝ドラの主人公が可愛い」という評判を目にしてしばらく後のことだった。テレビの中の能年玲奈を見たとき、「しまった、もっと早く見ておくべきだった」と思った。しかしその時にはすでに日本中で何百万もの人たちが自分と同じことを感じていたのだった。

能年玲奈の魅力を関係者が次のように語っている。

「彼女には作為がない。お芝居もそんな感じで、びっくりしましたし、いまだにびっくりさせられます。すごい才能、すごいポテンシャルだと思う」
(「あまちゃん」制作統括 訓覇圭プロデューサー)

無垢(innocence)とは「何も知らないこと」(無知)ではない。

能年玲奈は、モデルとしてデビューした頃から現在までのブログをすべて公開しているので、中学生から今に至る彼女の内面・外面生活を辿ることができる。

それを読むと、彼女が、お笑い、アニメ、漫画、小説などにとても詳しいことが分かる。しかしそれは、「オタク」的な詳しさとは違う(本人もそう言っている)。

オタクの正確な定義がどういうものか知らないが、おそらくそれは特定の対象(ジャンル)への偏愛を意味すると考えておけばよいだろう。違った表現をすれば、それは「対象に乗っ取られている」状態のことだ。しかし能年玲奈はそうではない。能年玲奈は逆にそれらを乗っ取り、自らの演技の中に血肉化している。

能年玲奈は、共演者から「自分の頭の中にあることを言葉にするのに時間がかかるタイプ」と言われている。確かに彼女が出演したNHKの番宣など見ればそれは明らかだ。
質問の言葉を、いったん自分の中に深く潜らせて、海の底から浮かび上がってくるまでに時間がかかる。

「アキとは、一直線で、ひとつのことに集中すると周りが見えなくなるところが共感できます。私も趣味の絵を描いていると、周りの音とか何も聞こえなくなったりします」

「目ざすのは感性がストレートに流れ込んでくる女優。見る人の皮膚に刺さるような演技が見せられるようになりたいです」


無垢である(innocent)とはどういうことか。

クリシュナムルティは、貧しいインドの家庭に生まれ、幼い頃に両親と別れ、特殊な環境で育てられた。

20世紀初頭に世界最高(?)のスピリチュアル組織であった神智学協会のトップ、リードビーターがクリシュナムルティの中に「利己心のかけらもないオーラ」を見出し、その弟ニティヤと共に引取って育てることにしたとき、二人は家庭の中で、部屋の隅で床に這いつくばって食事させられていた。栄養不良で、衛生状態は家畜並みだった。

その後、クリシュナムルティは、成人するまで、大金持ちに取り囲まれ、英国貴族以上の教育を受けた。オックスフォード大学で学び、鉄道旅行するときは、彼のために専用の車両が用意された。

しかし彼は大人になってから死ぬまで、自分の周囲の環境のいかなる痕跡も精神に残さなかった。

彼は自らそう呼ぶ通り、「空っぽの少年」であり続けた。

無垢であることは、既知のものの手垢がついていないことだ。

能年玲奈が愛読していると公言する作家に、木地雅映子という人がいる。

木地雅映子の小説は、生きづらさや居場所のなさを抱える中高生が、それでも個性的に生きていこうとする風景を綴った作品が多いようだ。そんな『マイナークラブハウスへようこそ』という小説の登場人物の言葉。

「言葉を使うようになる以前の思考は、すべて言葉以外のもの……イメージや、音や、匂い、手触り……そういったものだけで構成されていた。それらの思考を、今、記憶として外へ出すには、まず脳の中で当時の感覚をそのまま再現して、それを言葉に翻訳し直して取り出す、という作業が必要になってくる。」

テレビ画面に映し出される能年玲奈の表情があんな風に無垢に見えるのは、彼女が言葉以前の空っぽのところからダイレクトに演技しているからではないか、とふと思った。

能年玲奈の「無垢」がいつまで続くのかなんて考えても仕方がない。今は彼女の「無垢表現」を毎朝見ることができればそれでいい。


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◇評論 

★数子のマイナーカルチャー探訪「MUGAを探せ!」第3回

「坂本慎太郎」は無為自然               土橋数子

MUGA24号で高橋ヒロヤスさんが、伊福部隆彦著『老子眼蔵』を紹介してくださった。お貸しした立場でありながら、難しそうだからという理由でちゃんと読んでいなかったというこの体たらく。高橋さんの評論にお導きいただいて読み始めたところ、あまりに明快に無について述べてあるので、何度も「うわっ、すごい」と口に出して、いったん本と目を閉じてしまう。そんなわけで、ゆっくり読み進めている。持っているけど借り物なので、もちろん私も復刊希望だ。

さて、老子眼蔵を読みながら頭に浮かんだ今月の原稿ネタは「坂本慎太郎」。1989年に結成されたサイケデリックなロックバンド「ゆらゆら帝国」のリードボーカル&ギターであり、2010年の解散後はソロで活動しているミュージシャンであるが、この人をマイナーカルチャーで括っていいものかどうか。映画やドラマの主題歌にも使われているし、かなりメジャーよね。でもテイストはサイケデリックなトリップ感、ダークサイドなアングラ感満載なので、メジャーといってもチャゲアス的な盛り上がり系音楽ではない。
 
この坂本さんという人は、生まれたときから現象界のゆらぎが見えていた感じがする。そんなことを思わせる、ゆらゆら帝国時代の曲の一部を紹介しょう。
「ゆらゆら帝国で考え中」(アルバム『ゆらゆら帝国?』より)
(前略)だいたい俺は今3歳なんだけど2歳のときにはもう分かってたね 
それは単純だけど少しの目の位置で何にでも見えるってことを(中略)
クレイジーワールド マンガの世界で 
クレイジーワールド これからやっていくわけなんだけど 
クレイジーワールド マンガの世界も 本当は楽じゃないぜ (中略)
俺も 君も そしてみんなも このへんてこな世界でこれからやっていくわけなんだけど
                     (歌詞おわり)

「インドでLSDにハマる」という人生双六ゲームのワンステップを踏まなくても(ご本人が踏んだかどうか知りませんが)、生まれた時からサイケな世界観だったのだろうか。それにしても「少しの目の位置で何にでも見える」という、「知覚で捉えた世界はある意味で幻」であることを見抜いたのが2歳の頃というのは畏れ入る。
マンガの世界といえば、坂本慎太郎は水木しげるのファンだそうだが、そこはさすがファッションを含めた全体のルックスがビシッと妖怪。思わず「あなたも水木しげる先生の作品のひとつですよね!」とお声をかけたくなるほどだ。

そういえば、宮藤官九郎と対談していた記事(音楽系サイト)で、クドカンがよく職務質問されるという話しをふったところ、坂本慎太郎は自分はされないと答えていた。いかにもミュージシャンという格好をしているからでは、との自己分析だった。あんなに怪しいのに。でもわかる(警官の気持ちが)。ちぐはぐさがないのよね。

では、次も同じアルバムから、ゆらゆら帝国の中でいちばん好きな曲の歌詞を全文ご紹介する。
「待ち人」(ゆらゆら帝国?より)
汚れた胸の中には悲しい者や 邪悪な者がいるけど 
扉をあけて奴らを追い出すことは もう諦めてしまった
氷の中で出番をまってるベビー つぼみの中で春が近づくのじっとまっている 
者達 まだかな 咲くかな まだかな
赤土色のバスには昔の君が 昔のぼくを誘って 
遠くの町へ 微かな記憶の町へ フラッシュバック 恋の国へ
後ろの席で出番をまってるギター 音符の中で夜があけるのをじっとまっている
者達 まだかな 鳴るかな まだかな
氷の中で出番をまってるベビー つぼみの中で春が近づくのじっとまっている
者達 まだかな 咲くかな まだかな 鳴るかな まだかな 咲くかな まだかな
                        (歌詞おわり)

「無為」そして「潜態」を想起させてくれる歌ではないだろうか。高橋さんも前回引用されていたが、好きな箇所なのでここでも抜書したい。
(『老子眼蔵』より引用)
春になる、草木が芽を出す、それも無のはたらきである。子供が生まれる、それも無のはたらきである。今まで風がなかったのに急に吹き出した、無のはたらきである。一天晴れ渡った空に雲が湧いてくる、無のはたらきである。われ等の住んでいるこの世界というものは、瞬時も同一状態にとどまっていない、不断に新しい状態が展開して進展している。それは何によるか、それは無のはたらきの為である。老子はこの無のはたらきを無為というのである。無為の為は、「はたらき」の意味なのである。
(引用おわり)

この世の、「有」である現象界のみを見て、そこに人間存在の土台があると信じて、メジャーミュージシャンとして地位を築いたとしても、プレッシャーに押しつぶされてドラッグに走るなんてことはよくある週刊誌ネタかもしれない。でも最初っからラリッている、もとい、「見抜いている」坂本慎太郎は、無から有への現れを歌にするくらいの見性の持ち主なので、浮遊感たっぷりの音楽性だが、本人は動じない、ブレない人だと思う。無から有への、一瞬一瞬の天地創造の上に立脚した表現者なのだ。だから、時代錯誤的なサイケファッションをしていても、まったく古びて見えない。見た目も音も、何年代の表現なのかわかりゃしないが、こちらが捉える時空を超えたところ(時代)で活動しているのだろう。

バンド解散後のソロアルバムは、以前のダークでハードな感じは薄れているが、内容は薄まるどころか、さり気ないところから深みにハマるすごみが増している。その中から、私がこのMUGAメルマガと出会う前から「悟り系ソング」と名付けていた(渋谷系に対抗して 笑)曲をご紹介する。

「君はそう決めた」(ソロアルバム「幻とのつきあい方」より)

一人で 何かを しようとしてる 楽しみとか 苦しみとか 知ろうとしてる 
恋をしたり けんかしたり したい
今日目覚めて 君はそう決めた 突然に
時には 涙を 流してみたり 窓ガラスが 壊れるほど 叫んでみたり
ダンスしたり ジャンプしたり したい
もう疲れた 君は戸をあけて 突然外に 出た
この町で 生きている 宿題を しながら そして単純なうそにドキドキしながら
朝がきて 夜がきて また朝が 夜になって
また朝がきて また夜がきて 朝が
この町で 生きている 行く人を 見ながら
そして肝心なところでしらけてみながら
朝がきて 夜がきて また朝が 夜になって また朝がきて また夜がきて 朝が 
君はそう決めた 突然に
                 (歌詞おわり)

何かに気がついた人が、日々の営みに喜びを見いだし、俯瞰した視点を持って、淡々と生きるというイメージの歌。『老子眼蔵』の下記の箇所を読んでいたら、「朝がきて、夜がきて、また朝が、夜になって…」のフレーズが心の耳に聴こえてきた。
(引用)
「…われ等に認識されるものの上にあらわれる部分を有と呼び、認識できないところに隠れてしまう部分を無と呼ぶのである。従って無も有も、ともに玄としてのはたらきをもつ。それは瞬時も停止しない展開であり、そしてそれは無は有へ、有は無へとゆくところの循環である。この無自体のもっているはたらき、これを老子は無為という。」(引用おわり)

さっき、改めて「君はそう決めた」を聴いてみたら、そこはかとない幸福感に包まれた。まるでこの世に生まれてくることになった赤ちゃんの歌のような気もしてきた。そんな拡大解釈も許容してくれそうな、摩訶不思議さ。坂本慎太郎は無の領域に行ける人で(妖怪だから)、そんな冥くて静かなところから、生きることの愉しさを歌っているのだ。

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◇座談会

●無我表現研究会編集会議  2013 7/20   in秋葉原

今、いいものを伝えるために何をすべきか

那=那智タケシ(ライター・無我研代表)
高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)
土=土橋数子(ライター)

●宮崎駿の誠実さと限界

 土 宮崎駿監督の「風立ちぬ」見に行こうと思っているんですけど、主題歌が「ひこうき雲」で、好きなんですよ。荒井由美は途中まで神がかっていましたよね?
 高 そう、1枚目、2枚目は空気がすごい。
 土 降りてくる感じ。「目に映るすべてのものがメッセージ」とか。無我っていうか、スピっていうか。
 高 途中からちょっと商業主義的になったけど、それはそれですごい。
 土 客観的に自分のことがわかっている人ですよね。アイデアとか感性がなくなった後も、どうやって生きていくかというのを考えている人だからすごいな、と。
 高 そうなんですね。
 土 いろいろ批判されても、覚悟はできてる。
 那 ミュージシャンでも頭のいい人が増えてきましたよね。昔は薬やったり、破滅型が多かったけど。ビジネスシーンの中で、自分の立ち位置を客観的に見ながら、椎名林檎なんかもそうだけど、アーティストとビジネスを上手くやっている人が多い。
 土 椎名林檎は自己プロデュースがね。
 那 いっとき、戸川純なんかと比べられてたけど、全然違いますよね。賢いというか。
 土 純ちゃんは天然かつ天才なんで(笑)
 那 ぼくも戸川純の方が好きですけどね(笑)昔から好きなんですよ。トイレのCMやってる時から。小学生の時にね、好きな女性のタイプは「戸川純」って言ったら親に怒られた。「なんでこんな気持ち悪い人好きなの!」って(笑)音楽とか知らなくても、顔とか雰囲気だけで好きだったのは、この人、人を傷つけないなと思った。そういう顔してる。鳥居みゆき好きとかも同じとこですね。裁かないというか。
 土 テーマはエゴだけど、そこを突き抜けてるから。無我とは言わないけど、エゴを突き抜けてどっかいっちゃってるんで。
 那 今、出てきても売れると思いますね。好き好き大好きって歌っても売れると思う。
 土 世紀末というのもあったのかもしれないですけどね。
 高 今、何やってるんですか?
 土 ライブをやっていますよ。「神聖かまってちゃん」っていうバンドとジョイント組んだりして。
 高 へぇー。
 那 ああいう人、なかなか出てこないですね。今は。
 土 難しいでしょうね。
 那 宮崎駿もたいへんだよね。ポニョ作ったら震災で津波になるし。浸水した場所で、ボート乗ってひなたぼっこしてる映画撮っちゃったらね。悲惨さを描いていないんだから。
 高 作った直後に来た。
 那 でも、あれは元々いろんな人を傷つけてしまう映画だったのかもしれないですね。震災前だとしても、スマトラ沖とかあったわけだから。表現としてはね、だめだと思った。世界中で津波の被害とかあるわけじゃない? 人を傷つける表現になっていた。だからだめだと思っていたんです。あの人は自覚的だろうけれど、難しいですよね。
 この間、テレビでインタビュー見たけど、ファンタジーは撮れないってね。こういう時代になって、魔女の宅急便は撮れないって。時代の流れに合ったものじゃないと。時代の先を行くことはしないけど、時代を表現したものじゃないといけない、と。魔女の宅急便はバブルの頃のもので、努力すれば一人前の大人になれるんだ、みたいな時代背景。でも、今はそんな時代じゃないし、難しいって。
 高 それ以前にポニョはわけがわからなかった。
 那 すごい観念的だよね。頭の中ではわかっているんだろうけど。
 高 いきなりぶっ飛んじゃって。
 土 うちも、あれ見ようとは子供は言わない。トトロはヘビーローテーションですけど。
 高 うちもヘビーローテーションですよ、トトロは。
 土 ポニョはあんまり繰り返し見ない。
 高 うちの子供は意外と喜んだ。子供にはわかるのかな?
 土 でも、ぎりぎりのところでやっているわけですよね? 不幸にもシンクロしちゃうとか。今だって、戦争のこととか、ゼロ戦のこととか、もしかしたら戦争責任を問われるような人のことをぎりぎりのところでやっている。
 那 ただ、本人も自覚しているんだろうけど、突き抜けてはいないよね。考えに考えて、ぼくが表現できるのはここまでです、という風に作ってる。もののけ姫なんか見ると典型だけど、大人が考えた自然観で。文明と自然がどう向き合うか、とか、考えに考えて誠実に向き合っているのはすごいわかる。でも、価値観としてはそこまででカタルシスまでいかない。
 土 でも商業的にはそれくらいでちょうどいいですよね。
 高 子供相手の商業主義としてはそれくらいが限界なんじゃないですか? ぼくは本当にあれで感動するということはないけれど。
 土 子供がいなかったら素通りしていたと思う。35歳過ぎて見始めて、トトロにだけは驚きました。トトロが最高って感じで。
 高 あれはよくできてる。
 那 ぼくは、「千と千尋」が一番いいと思っていた。物語性を超えたな、というか。今、思うとわからないけど、その時は新しく感じた。
 土 世の中の評価も一番高かったし、世界的な反響もありましたね。
 那 表現レベルとしては一番高かったと思う。
 土 もののけ姫より、千と千尋がね。
 那 もののけ姫は疲れちゃう。がんばって作ったんだなっていうのが感じられちゃって。アニメ表現っていうのは難しいよね。フィルムと違って、描いたものだけが映し出されるわけで、そこに深さを出して、現実につながる何かを表現するのは。
 高 見る方のイマジネーションを限定してしまうから。文字だったら、自分の中でイマジネーションをどんどん拡げられるけど。
 那 押井守とかが実写を撮ると大失敗してるよね。タルコフスキーの真似事というか。アニメでは才能あっても、また別ですよね。どういうわけか、深さが出ない。アニメのイメージ映像を実写化しても映画にならないってのがよくわかる。
 土 でも、昔のテレビアニメは良かったですよね? 無我表現かはともかく。
 那 ぼくはガンダムが好きなんですよ。なんであの時代にあんなものができたのかなって。怪物みたいな作品。生まれちゃったんでしょうね。勢いで。今見てもびっくりする。
 土 そうですね、見返したいんですよ、ガンダムとヤマトと、アルプスの少女ハイジ。
 那 ガンダムは人間が描けてるし、宇宙にいったら覚醒するかもしれないというニュータイプのテーマもあり、なおかつその能力は権力と戦争に使われるだけだという哲学的な問答もあり、これなんなんだろう?って。覚醒してわかりあった者同士が敵味方に戦って殺しあってしまうという悲劇もあり。その後のシリーズはニュータイプは超能力になっちゃったけど、すごいよくできてた。子供向けのアニメで覚醒者同士が殺しあうという究極の状況を作りだしてしまった。あのテーマをあそこまで突き詰めるというのは考えてはできないと思います。おたくがいるのもわかります。「俺はファーストガンダムしか認めないよ」みたいな(笑)
 高 世代的にはど真ん中なんだけど、ガンダムは全然知らないんですよ。
 那 映画版だけでも見て欲しいですよね。
 高 無我表現って言っても、対象への熱量が大事だと思うんですよ。頭で「これが自我で」「これが無我で」と考えてやるとおかしくなる。
 那 好きなものを紹介して、その中でこういうところが「無我的」でいいんですよね。ここに書いてる時点で、それっぽいものを選んでるわけで。逆に言えば、好きならAKBでも語れる。高橋さんは好きだから伝えようとして、その中でいい部分を取り出した。そういう切り口で「無我」を語れるのが無我研の武器で、独自性だと思うから、何でもいいんですよね。
 土 AKBを除外したら、選民思想になってしまう。

●「方法」と「存在」は違う

 那 いつも思うんだけど、悟りの階梯とか、いろんな宗教的方法とか論理があるんだけど、それって方法論で、存在の方が大事じゃない? 心美しい人がいたら、その人の存在こそが地球の価値で、瞑想したらこうなるんだ、とかこんな体験したというのは、価値じゃない。一つの手段であってものそれ自体じゃない。そこを混同している人がすごい多くて、私はこういう体験をしたから、今、こういうレベルですとか言ってる人はだめね。
 高 だめですね。
 那 そんなものと無縁に孤島に生きてすばらしい人もいるしね。そういう人の方がはるかに美しかったりする。そういう方法論って世の中が乱れてるから、そこから脱しようという国家的な単位から生まれた宗教だと思う。悪が多いから何とかそこから逃れようという。涅槃にいっちゃおうとか。方法論としては天才的な教祖みたいな人もいたのだろうけれど、その理屈を持ってきて、私はこの理屈でここです、とか、違うよね。モノと方法は違うというのをわかっていない人が非常に多く見受けられるというか。
 土 ええ。
 那 そして方法論というのはだいたい同じものだから、みんな同じこと言う。だから全然創造的じゃないし、面白くない。響かないということになる。じゃあ、本当に響くものは何かって言った時に、そういうものとは全然関係ないとこでさ、今月号の「桐島、部活やめるってよ」っていう映画の中にあったり、日常にあったりする。理屈じゃないんですよね。
 高 直感的な感性を持っているか。
 那 この方法が正しい、とか、この方法でこの境地に達している、とかだめね。自分なりに表現できてるかできてないかで判断されるべきで、この方法が正しいとか、仏教の歴史ではこうだとか、この聖者がこう言っているからこうだ、というのはだめね。上の方にあるものを持ってきて、自分の価値にしても。自分の中にあるものしか、人は表現できないんだから。ないものをさも自分のもののように語っても嘘だし、響かない。体の理になって現れているんなら別だけど、まずいない。
 土 スピリチュアル業界でそういう人がたくさんいて、直に会う機会があったりするんですか?
 那 ないない。
 土 見た感じでね。
 那 見ればわかるから。
 高 本の内容もみんな似たりよったりで。その細かいところで差異化するかしかない。
 那 理屈を共有化しているわけね。
 高 すべては一つとかね。

●ネットワークビジネスの構造

 那 先日、成功哲学のセミナーみたいのに出たんですよ。広告代理店がやっている。見せ方とか、いかに自分を価値づけみせるかという。ライターの仕事がらみでね。スピリチュアル系の人もいましたよ。
 土 楽しそうですね(笑)
 那 いや、仕事だから……
 高 セミナー的な感じでやるんですか?
 那 うん、5時間くらい。
 土 行ってみたい。
 那 高橋さんの事務所くらいのとこだけど。けっこう大きな会議室で、10人くらい集まって。
 土 10人くらいなんだ?
 那 でも、社長とか、起業してる人ばかりで。あと、スピリチュアルカウンセラーみたいな人とか。
 土 その参加者たち全員の本を作るんですか?
 那 違う、違う、その主催者の人の本ですね。こういうことを教えていますってのを体験するために。ホームページとかで、自分の見せ方を勉強する場ですね。ブランディングというか。
 高 そういう中にスピリチュアルの人もいた。
 那 スピリチュアルなお姉ちゃんとも話したけれど、本が作りたいと。どんな本が作りたいのって聞いたら、「はい、何でもいいから売れる本が作りたいです」と。すごいなって(笑)
 土 (笑)
 那 今、ネットワークビジネス系とスピリチュアル系はくっついているわけです。層はあるとしても、ゆるくつながっている。だから、お互いのホームページで紹介しあったり、何々先生が本を出しましたとか宣伝しあったり、ゆるいネットワークでつながっている。つながっていることで逆に、それぞれの固定客を活用できる。コラボしたりね。それでメルマガでこれだけの読者がいるとか、セミナーにこれだけの人が集まるので本企画出版でを出せませんか?となる。そういう助け合い運動なんです。そういう世界。
 高 そこに無我表現研究会として参加するの?(笑)
 那 それはないでしょ。基本、自分を大きく見せたい人の集まりって感じだから。結局、彼らは何も生み出してないのよ。いかにこうやったら儲けれるかとか、すごく見せれるかとか、こう考えたら成功するとかって言ってるだけで、米粒ひとつ作っていない。そういう情報だけで商売してる。まぁ、ビジネスというのはそういうところあるけれど。情報もまた、一つの商品だからね。
 土 ネットワークビジネスでも、自己啓発とか、スピ系は今、カンフル剤みたにいなって、かなりリンクしていますよね?
 那 そういうのが、今、スピリチュアルはともかく、売れてくると雑誌に出たり、テレビに出たりする。本作りの手伝いということでそこに関わっているからあれだけど、そういう流れって、どうなんでしょうね?
 土 そういうのって成功哲学と近いとこあるじゃないですか?
 那 近い、近い。
 土 その源流を辿った時に、神秘主義みたいのがある。生長の家とかでも、そうでしたよね?
 高 いわゆる、80年代にものすごく流行った、自己啓発セミナー。源流を辿るとグルジェフとか、ウスペンスキーとかそういうとこにいく。
 土 やっぱりそうなんですね。
 高 それをアメリカの軍が、ベトナム戦争の時に上手く利用したんです。ベトナムや中国の捕虜になって、共産主義に洗脳された兵士たちをもう一度こっちに引き戻すための脱洗脳メソッドということで開発されたのが今の自己啓発セミナーの源流です。
 那 エリクソンとか、精神科医も基盤になっているよね。NLPとか。だから、他人のためにいいことすれば自分に回ってくるとか。
 高 巧妙なエゴイズムというか。
 那 相手のことを考えて表現すると伝わりますよってことだけど、基本はそんなに悪いこと言ってない。ナポレオン・ヒルとか松下幸之助とか、同じようなこと言ってるでしょ?
 土 いいことを言っているから、心が折れた時に読みたくなる。
 那 ただ、限界がある。例えば、会社のためだけに仕事をすると、東電になってしまう。自分より大きな単位として「相手のこと」だけを考えても道徳観念がない。無為自然的なものがない。原理的には、自分のことだけ考えるよりも、土橋さんのためにこれ作ったんですよ、と言えば相手の気持ちになっているから、自我からは少しレンジが広がっているけれど、全体的な原理からはかけ離れているというか。
 土 でも、ほとんどそんなものですよね? 売れているものって。
 那 だからそれを上手く利用して、売りましょう、成功しましょうってことです。
 土 コンサルタントが出してる本で、同じような儲ける方法みたいの多いですね。
 那 いっぱいある。
 高 本当に儲ける方法知っていたらそんな本書かない。自分で使うよね。
 那 中にはね、こうやったら儲けられると言って、「こうやったら儲けられる」という方法を売りつけて儲けている、ねずみ講に近い人もいますね。
 土 そういうのって、今、普通の企業にも組み込まれていますよね。NLPを利用した営業とか。侵食している。コーチングとか。そういうのでハイテンションにしてイノベーションしなきゃって仕事している。それで「疲れました」と言って、鬱になって辞める人もいる。
 高 虚業ですよね。実体がないものを売るために。
 那 いつも思うの。実体ないなと思って。
 土 普通の企業も思考停止になっているから、そっちにも入り込んでいる。自己啓発のカンフル剤。
 那 下手したらスピ系も入り込んでいる。成功哲学と交じり合って企業に入り込んでいる。
 土 そうですよね。普通の企業で袋小路に入っちゃったとか。時代が悪いとか言って、イノベーションどうすればいいかという時に、そっちに頼ったり。
 那 逆に言えば、今までのやり方が通用しなくなっているんですよね。バブルがはじけた後。昔なら予算1000万円の広告費内でテレビやりましょうか、ラジオやりましょうか、10万部の雑誌に出しましょうか、となる。でも今は100万出したらいくら純利益あるの?って話になっている。じゃなきゃやらないって。昔は作り手は作るだけ作って、はい、知らないと。今は金にならなきゃやらない。マスコミ幻想もない。いろいろな幻想が崩れて、金にならないものは信用できない社会。
 土 でも、昔ながらの価値が信用できなくなったからこそ、いいものを作って・・・
 那 そこなの。「いいものは売れない」って言うわけ。「いいものだと思われたものが売れるんであって、苦節40年でいいものを作っても売れませんよ」というのが今やっている本なんだけど。「いいものは売れない。いいと思われたものが売れる」って昨日、小見出しを書いたばかりなんだけど(笑)
 高 (笑)
 那 それはさ、わかるよ。「これはいいものだから成功報酬で広告作ってください」とお客が言う。すると「いいものは売れませんよ」とその人はお客に言う。相手がぎょっとして「何で?」と言う。「いいと思われたものが売れるんです。だからそのお手伝いをしましょう」と。広告屋としては正論で、それはその通りなんだけど、イメージの勝負っていうの? 想像の世界がどんどんリアルなビジネスを動かしていて。
 土 そうですね。今、いいと思われたもの。あるいは安い、コストパフォーマンスの競争になっていて、本当に技術のある職人の行き場所がなくなっている。でも、そういうところの解決策ってなると、日本の舵取り自体がグローバル化とか言って、そういう風にしているわけで、どうしようもないですよね。
 高 どうしようもないよ。
 那 その渦中にいると、ほんと、どうしようもないと思いつつも、どうしよもないんだよ(笑)ゴーストライターごときじゃ、どうにもできない。むしろそれを助長しているわけだから。生きるためには、そのシステムにはまらざるを得ない。だから相矛盾したことをやっている。でも、それを和らげるような仕掛けはこっそり入れてるんですよ。例えば、芸術には答えがないけど、広告には答えがある、という。答えがないものをビジネスでは作ってはいけない、という。でも、芸術というものは答えがないからこそ素晴らしいんだ、とかね。自分なりの何かを入れているわけ。そこでバランスを取っているつもりだけど……どうなんでしょうね?

●「いいもの」と「いいと思われるもの」の溝を埋めるために

 高 新興宗教の世界でも、スピリチュアルでも、ブランディングを意識的にやって成功しているところがありますよね。
 那 中身がないのにいいと思わせる。ビジネスでも、みんなやっているんだろうけど。
 高 ああいうものは本当の普遍性を持ち得ないよね。
 那 でも、思ったより多くの人が動いてるわけでしょ?
 土 今、ブランディングって重要課題になっているじゃないですか? 広告でもブランディングちゃんとしとかないとみたいな話が普通にされている。
 那 急にみんな言い出した。ぼくも最近知ったんですよ。本で書いていて。ブランディングって。
 土 前は化粧品会社とかで使われていたと思うんですけど、今は個人に対してもそういうことを言うようになった。
 那 整体師なんかでも、こんなに腕のいい安心できる整体師ですよってことですよね。個人事業主とか、ネットで広告をやっている人も多いから必然的にイメージの勝負になる。
 高 弁護士の世界でも同じことを言われています(笑)
 土 出版業界ならそれが当たり前の仕事ですよね。
 那 だから見せ方のテクニックの話はわかるんだけど、肝心の中身をどうするかという話がほとんどない。欠落している感じがする。見せ方とか人脈の作り方。それだけでのし上がれる。イメージだけで。それって怖いことですよね。
 土 でも、本当に売れる本は、やっぱりいいんじゃないですか? 何かを超越しているわけではなくても、何かあるんじゃないですか?
 那 一概になんとも言えない。たまにいいものもあるけれど、どうしようもないのも多い。なんじゃこりゃ?ってものが売れていたりするから。響かない。結局、どれだけハードルを下げれるかってのが売れる要素になっているというか。ロングセラーは別だよ? 残るものは別。ただ出版社はロングセラーなんか求めていないからね。いかに返本される前に売れるか。返本されたらもう商売にならない。すぐに重版がかかって、マスコミで話題になったりして、10万部、20万部いくかというのが勝負の世界。コンビニの商品みたいだよね、回転率がいいものが前に並んでいるだけだから。そういう中で、伊福部さんの本をどうやって復刊するかという(笑)真逆なんですよ、真逆。
 高 潜態論でも、本当に中身のあるものをさ、上手く見せるというのが本当は大事なんだけどさ。
 土 でも、出版社をやっていた親戚が、書物というものは後世の読みたい人のために残すと言っていた。
 高 伊福部さんの本でも、潜態論でも、本当にすごい価値があるものだから、ああいうものこそちゃんとすごいと思わせなくてはいけないんですよね。
 那 ブランディングする。ブランディング力がないと、どんないいものでも消えてしまうというのはあると思う。
 土 そうですよね。
 那 ぼくの本なんかでもさ、ライターだから乗っかろうと思ったわけ。ああいう表紙にしたり、ああいうタイトルにしたりね。外したけど。
 土 いえいえ。
 那 外したと思ってる。なんで外したかと言えばね、スピリチュアルな業界を一切知らなかったから。他の感覚で、こんなイメージなら女子高生も手に取ってくれるだろう、みたいな。そういうとこでハードルを下げて普遍性を持たせたかった。でも、違うんだよね。あそこってさ、こんな軽いノリじゃなくて、自分は何か特別な情報を得たんだって思わせなくてはだめだった。
 高 ああ、わかります。
 那 そこがおれ、わかっていなかった。こんくらいの軽い感じで書いた方がいいだろうって。
 土 不思議な感じですよね。中身と表紙の感じがね。
 那 マッチしていなかった。ライター視点で言うとね、ターゲットというか、マーケティングしていなかったわけ。そこまで意識してもいないし、それこそ熱気があるうちに一気に書いたものだから。でも、業界を知らなかったのね。そしたら、ああ違うんだと。親しみやすいけど、もうちょっとレアなとこ突かないとだめなのがわかった。難しいよね。
 土 そうですね。
 那 あと、特別感がないとさ。こんだけ苦労したとか、絶対書いたらだめだと思っていたけど、私はサラリーマン時代こんなに苦労して、自殺しかけて悟りましたとかね、そういうストーリーが欲しいわけ。ぼくはそういうの書いたら恥だと思っていた。だから消したわけ。普通の人だけどこういう体験しましたっていう方が入りやすいと思って。でも、それじゃだめなのね。それぞれのストーリーというか、苦労話があっての共感なのね。私も同じだ、とか、わかるかわかるって感じにならないと。
 土 今、一人の人の自伝じゃ売れないから、その人の人生から見えてきたルールとかベネフィットのあるものが好まれますよね。時間がないから、功利的で役に立つ本を求めている。20いくつのルールとか。
 那 得するから、人は手に取るわけですよね。
 土 読む人も忙しいから、すぐ役に立つという本が好まれる。
 那 昔だったら、地の文が段落変えなしで20行でも読めた。今は10行まで。ネットの掲示板とかブログとか、テレビコマーシャル的なリズムに慣れていて、短気で長いものが読めない。ぼくなんかも文章指導の仕事もしたことあるけど、10行以上あると今、読まれないよって言ってる。形式自体が時代の急いでいる感覚に合わせていて、伊福部さんとか潜態論とか、まじめにまじめに、安易な説明することなしにしっかり書いているというものが読まれなくなっている。受け手も発信する方も、相乗効果じゃなくて浅くて悪い方にいっている。でも、いいものを伝えるためには、その表現の流れに多少は合わせないと伝わらない。だから、汚れ仕事じゃないけど、あえてそういう流れに乗ることも少しは必要なんですよね。
 高 わかりやすくする努力は必要ですよね。
 那 汚れすぎてもいけないけど多少はね。このメルマガはそういうのから隔絶したところにあるけれど。いずれはね、何かやらねばならないのかもしれないですね。

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★編集後記
◎毎日暑いですね。「暑い」というより「熱い」という感じがしますね。最近はよく図書館で仕事をしているのですが、ノートパソコンを背負って片道20分を歩くだけで、ふらふらで、汗だくになってしまいます。建築現場の側を通りながら、外で働いている人はすごいな、とつくづく思います。みなさまも熱中症等に気をつけて、かけがえのない夏を過ごしてください。(那智)

◎MUGA特集号第3巻(試行版)を作成しました。
以下のアドレスで読むことができます。ダウンロードもできます。
http://p.booKlog.jp/booK/71064/read
今号は第11号から第15号までをまとめました。那智氏と独自のスピ批判を行う「たまちゃん」とのシリーズ対談も掲載されており、濃い内容となっています。
今後もご愛読のほどよろしくお願いします。(高橋)


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創刊日:2011-08-08  
最終発行日:  
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