芸術

MUGA 芸術から科学まで「無我」表現による革命を

 MUGA表現研究会とは、エゴイズムに基づいた価値観、表現が蔓延している現代世界において、「私」ではなく「世界=無我」という単位からの表現を志す会です。
 文化的価値の転換、革命を目指し、その雛形として無料月刊メルマガ「MUGA」を配信(毎月15日)します。


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MUGA第3号

2011/10/15

MUGA 第3号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ
 
●「MUGA」発刊にあたって  

 自然からの分離、エゴの恐るべき肥大化によって、人類は戦争、テロ、飢餓、自然破壊、核の問題等、恐るべき問題を生み出し続けてきました。そして3月11日の福島原発の事故によって、私たちは新たな道へと歩き出さねばならないことが明白になりました。
 エゴイズムに汚染された現代文明から、自然の摂理と合一した「無我」的な文明への転換の道――しかしその道を選択し、実際に人々が歩み出すためには、まず「無我」というものを積極的価値観として、社会の中に根付かせてゆく必要があると強く感じています。
 「私」中心の価値観から、「世界=無我」中心の価値観へ。無我表現研究会では、機関紙『MUGA』を月刊(毎月15日)で発行し、芸術、自然科学、評論、エッセイ等、様々なジャンルで「無我」の側からの表現を発信してゆきます。
  
無我表現研究会


◆目次

◇アート

・詩
『季節の詩』     rita

・詩
『心身脱落』     那智タケシ

・小説
『きみの涙を恥じるなかれ』3   那智タケシ

◇自然科学

『潜態論入門』第3回   河野龍路


◇評論
これがそれだ(This is It !) 〜ハーディングの実験とマイケルジャクソン
 高橋ヒロヤス

◇エッセイ
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 
『おはぎを頬ばり、空を見上げて』   長岡マチカ

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◇アート
★詩
季節の詩     rita 

   【・秋の色々・】

栗が笑ってる
イガイガ鬼の子が口を大きくあけて笑ってる
笑い声はカラメル色
愛らしく透き通って 朝が微笑むよ
僕も上を向いて 笑ってるの

彼岸花はお彼岸の頃
短い命を盛んに燃やして 赤く赤く呼び掛ける
「ここに魂の降りてきてますよ」 って
道行く人々の足元に
遠目にも気づいてもらえるように
 
オレンジ色のコスモスが
いっぱい咲いてると
夕陽がアブクになったみたい
オレンジ色の湖の中を 泳いでるの
だんだんと穏やかな気持ちが浮かび上がってきたよ

月影は白い指を伸ばして
草むらの茂みに
虫の音のタクトをとる
リンリンと鳴る銀色のハンモックに
ぼくの体は包まれてるみたいだった


   【・トンボ・】

そこのけそこのけ人間様のお通りだい
羽音をひとつ打って 石畳より剥がれゆくトンボ
 
ベランダの物干し竿にとまってるトンボに尋ねたよ

「ガスマスクつけてるの?」

窓ガラスは萬の虚像となってトンボの命を奪う
星がとんで星になったトンボ

 
   【・十五夜・】

赤鬼と青鬼が 雲漢にあぐらをかいて
まん丸のお月さまをおもてなし

酒の香りに 月光が緩やかに潤むと
鬼は対酌をはじめたよ
「さて月の相伴にあずかろう」

酒の肴は這い星の珍味
風が唸り出せば調子をとって
百斗をあおる 一杯 一杯 また一杯

面白おかしく天を昇る月の面
炙り絵をにじませて 
西の星に謎をかけたり斜視したり

「層雲の投網でその黄金からめとらん」
ほどなく今宵の月は 時の盗賊に奪い去られてしまったの

それではお開きにしようと
二体の生酔いは 顔を合わせて大笑い

赤鬼は青くなってた
青鬼は赤くなってた

 
   【・弓張月・】

しばらく姿を見ないと
月のように遠く寂しく思えるの

仰ぎ見る弓張月を
君の心と思ってみよう

ここにあるぼくの心を
そっと合わせたら
丸く満ちて
一つになった心強さ

闇の中で輝いてる


★詩
『心身脱落』     那智タケシ

花の美を楽しむ「私」はいない

ただ花があり、美があるだけである

宇宙と一体の「私」などない

ただ宇宙があるだけである

苦しむ「私」も存在しない

ただ苦しみがあるだけである

喜ぶ「私」も存在しない

ただ喜びがあるだけである

喜びとは、「私」がないことで

「私」がないということはすなわち

「私の苦しみ」という個別性は存在しないことである

肉体的苦痛であれ、精神的苦痛であれ、

「私の苦しみ」は存在しない

それはこの世界に蓄積され、浄化されることのなかった苦しみであり、悲しみなのだ

一切の悲しみ、痛み、苦しみを自分のものではなく

誰か他人のもの

見知らぬ子供のもの

これから生まれてくるであろうすべての人々のものとして真に感じ取れた時

慈悲が生まれる

なぜなら今のあなたの苦しみは、

あなたがこの世界を浄化するために担わされた苦しみであり、悲しみだからだ

個人的な苦しみは存在しない

個人的な悲しみ、痛みは存在しない

それは誰かの悲しみであり、万人の苦の総体である

この真実を本当に理解した時、あなたは、未来の子供たちのために、

喜んで苦しみを受け入れ、喜んで悲しみを味わいつくすことができるだろう

この時、「苦」は「苦」でなくなり、喜びとなる

心身脱落、心身脱落

一切の苦が排除されず、

あなたが担うべき責務として、あなたの中に受容されることで

苦しみは浄化され、足元に抜け落ちて消えてゆく

肉体的苦痛も、精神的苦悩もまた、

すべて自分の内部に留まらず、足元に消えてゆく

何一つ、経験はあなたの中に留まるところはない

すべては下へ、下へと流れ落ちる

時には雨だれのように

時には滝のように

葛藤を留める底蓋は外れてしまった

そして一切が抜け落ちてゆくと、そこに「空」があり、慈悲のエネルギーだけがある

心身脱落、心身脱落

あなたは常に、誰かの苦しみ、悲しみ、苦痛を浄化している

そして、世界は透明に澄み渡り、

喜びはあなたのものになる


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★小説
『きみの涙を恥じるなかれ』      那智タケシ

     9 マリア

 新聞社を出るなり、智子は目撃者の家に電話をかけた。少しばかり緊張したが、かつてない不思議な力が、自分を後押ししているように感じられ、迷いはなかった。電話に出たのは中年の女で、応えは「今すぐにでもいらしてください」という、どこかせっぱつまったものであった。おそらく、行方不明になった少年の母親だろう。相手が何者かすぐに理解したらしかった。
 もう、日も暮れかけているし、正直、ホテルでゆっくりして明日にでも出直したかった。長旅で疲れてもいる。けれども、ここまできたら、引き返すことも躊躇することもできない。行くところまで行くだけだ。智子は駅前でカーナビ付きのタクシーを選んで乗ると、運転手に住所を告げ、目撃者の家に向かった。K神社の近くなら、30分もかからないだろう。
 タクシーの窓から、暮れなずむ盛岡市内の街並みを眺める。すっかり近代化された駅前の光景が過ぎ去ると、たちまちにして、広大な平野と黒ずんだ小山、みすぼらしい民家が点在する岩手独特の寂寞とした光景が広がる。西の地平線には濃縮されて真紅になった太陽が、最後の力を振り絞るように燃えている。しかし、世界は仄かなオレンジ色の光の中に埋没し、消えてゆく。何一つ、何一つ、残らないのだ。人間の恐ろしい歴史も、悲しみの蓄積も、憎しみの連鎖も――するとそこには唯オレンジ色の光だけがあり、その柔らかく浸潤するうねりの中に、超越者の意図が感じられた。
 不思議な瞑想に耽っていると、タクシーは市街地に入り、見慣れた故郷の光景が現れた。盛岡市のベットタウンとして発展したS市は、岩手の田舎町としては住宅が密集している。けれども、その薄暗い街並みは、彼女が見知ったものとはまるで違っていて、どこか余所余所しく、無個性で、陰気に見えた。私は、こんな不気味な町は知らない。迷路のような曲がりくねった小道に入ると、冥界に下りてゆくような気持ちになった。私は、もしかするととんでもない所に運ばれて行っているのかもしれない。そこに下りて行ったら最後、二度とは戻れない無明のテリトリーに。でも、もう後戻りはできないのだ。あとは鬼が出るか蛇が出るか、知ったこっちゃない。私には今、すべてを受け入れる力がある。でも、その力とは何だろう? 智子にはそれが「運命」であるとしか言いようがなかった。
 坂の下の一軒家の前で、タクシーは止まった。農家独特の雑草が生えっぱなしになっている荒涼とした広い庭があり、その向こうに、古ぼけた日本家屋が幻影の建築物のように沈んでいた。料金を払い、敷地の中に入ってゆく。石段をそろりそろりと歩いて行くと、薄闇の中、一人の老婆の姿が浮かび上がってきた。腰の曲がった、骸骨のようにやせ細った女が、玄関の前の石段の上に、1人、何するでもなく突っ立っていた。しかし近づくにつれ、そのしなびた女は老人というにはまだ若く、60歳前後にも見えた。
「智子さんでいらっしゃいますね?」と老婆は上目遣いで相手を見つめて言った。
「はい、私が布村智子です」と智子は立ち止まり、挨拶をした。
「お待ちしておりました」老婆は深々と頭を下げた。「どうぞ、お入りください」
 彼女は引き戸を開けると、遠方からやって来た客を誘った。智子は、少しばかり躊躇したが、ある種の使命感に駆られて潔く敷居をまたぎ、老婆の後に続いた。

「おきれいになられて」
 10畳ばかりもある和式の居間で、智子は老婆と2人きりで向かい合っていた。老婆の名は、漆沢時子といった。案の定、行方不明になった少年の母親であったが、推定できる年齢と外見のギャップに驚かざるを得なかった。きっと、恐るべき苦悩が彼女をこのような姿に変えてしまったのだろう。
「私は、あまり昔のことを覚えていないのです」と智子は言った。「何だか、記憶が曖昧で…」
「いいのですよ」と時子は優しく言った。「私は、何もかも存じておりますから」
「何もかも?」
「そう、何もかもです」
「話によると、10年前、私は息子さんと行方不明になり、私だけが帰って来たということですが?」
「その通りです」
「息子さんは、行方不明のままなんですか?」
「行方は、知れておりますよ」時子は、奇妙なまでに明るい笑顔で言った。
「知れている?」智子は、注意深く尋ねた。
「ええ、時男は今もここに、私どもの間にいるのです。ほら、そにこいますでしょう?」時子は、右斜め手前を指差した。
 智子は、背筋が寒くなるのを覚えつつ、目だけでそちらを追った。座布団が敷かれていたが、むろんのこと、その上には誰もいなかった。
「それは、霊のようなものですか?」智子は、勇気を振り絞って尋ねた。
「霊ですって?」時子は、きょとんとした顔つきで聞いた。「ああ、あなたは死後の霊のことをおっしゃっているんですね? 大丈夫。時男は死んでおりませんとも」
「死んで、ない?」歪んだ笑みを浮かべつつ、智子は聞いた。
「ええ、あなたもご存知のはずでしょう?」時子は心外そうに言った。「時男は今、偉大なる宇宙の意志と一つになって、私たち人類を導く役目を果たしているのです。かといって、決して固体としての意識を捨てたわけではありません。固体意識としての時男は、私が呼び出せばいつでも現れますし、こうして話をすることもできるんですもの。ねぇ、時男? あなたも何か言ったらどうなの?」
 智子は、身を引きながら、時子の視線の先を追った。もちろん、そこには誰もいないのだ。かと言って、霊的な雰囲気があるのでもなく、ほとんど唯物的と言ってよいほどの虚空があるばかりに感じられた。ここにいてはいけない。動物的本能からやって来る恐怖が、彼女の全身を支配し始めた。
「あの、私、そろそろ…」
「智子さん」突然、時子は厳しい口調で叱責した。「あなたもいい加減、眠った振りをするのはやめにしなくてはいけませんよ。もちろん、私にはわかっています。智子さんが偉大な使命を担って大宇宙の意志の集団から遣わされ、この世に降り立った存在でいらっしゃることを。あなたは一切の無明を晴らし、偽物の光を駆逐なさって、真実を語ることができるお方です。ええ、あなたには大きな使命があります。それはとてもたいへんな道でございましょう。現時点においては誤解も多く、理解者も少ないかもしれません。この世界の霊的レベルというものを推し量れば、あなたがまだ、その時でないと判断なさるのも無理からぬことです。でも、もういいのではありませんか?」
「いいって?」智子は不安げに聞いた。
「真実は、世に顕されるべきなのです」と時子は力強い口調で断言した。「だってあなたは、真実を握っていらっしゃるのですから」
 瞬間、智子はあの緑色の石のことを思い出していた。
「もしも、私が真実を握っていたとしたら」自分でも思っていない言葉が生まれてきた。
「握っていたとしたら?」時子は、小さな目を輝かせて身を乗り出した。
「私はすべての幻想を剥ぎ取るでしょう」と智子は冷徹に答えた。「その後には、何も残らないのです。あなたを守る大宇宙の意志も、息子さんもいなくなるのかもしれません。それでも構わないのですか?」
「いなくなるってどういうことです?」突如、時子は立ち上がって智子をにらみつけた。「息子は、いなくなっておりません。今も、私たちと一緒にいるのです。あなたにはこの大宇宙の摂理が見えなくなってしまわれたのですか? 垢にまみれた俗世の暮らしによって、真実を忘れられてしまったのですか? だから東京になぞ行くものではなかったのです。私はずっとあなたの動向を見ていたのですよ。そして、ずっと期待していたのです」
「見ていた?」智子は、眉根を寄せた。
「ええ、あなた様のことはいつも監視しておりました」と時子は答えた。「偉大なる宇宙の巫女が覚醒するまで見守るのが、私の使命でございましたから。あなた様が中野のアパートに暮らしていることも知っていますよ。煙草を吸っていることさえもね。煙草はやめなくてはいけません。いずれ、あなたは救世主を生む大事なお身体の持ち主でもあるのですから。それに、パチンコなんかに現を抜かして。恋人も友達も作らないのはいいことですが、趣味がパチンコというのはいただけませんね。ああ、パチンコではなく、パチスロっていうものでしたっけ。とにかく、居眠りするのにもほどがありますよ」
「狂ってる」智子はひとこと吐き捨てると、バッグを持って立ち上がり、老女をにらみ返した。「こんなことは何もかも狂っています。私、お暇させていただきます」
「逃げるのですか?」時子は、立ち去ろうとする長身の女の背中に向かって叫んだ。「あなたはどんなに逃げても、いずれ真実に立ち向かわなくはならないのです。そして私たちと共に、この三千世界に満開の花を咲かせるのです…」
 智子は、もはや耳を貸さずに部屋を出た。法に訴えてでも、この狂った女を何とかしなくてはならない。きっと、息子がいなくなって頭がおかしくなってしまったのだろうが、自分の人生がこんな形で監視され、干渉され続けていたなんて、ぞっとする。彼女は、早足で玄関に向かった。一刻も早く、この磁場が狂った病的な空間から逃げ出したかった。と、暗い廊下で、1人の小柄な少年と出くわした。
「あれ、智子さん?」利発そうな少年はうれしそうな様子で言った。「来てたんだ?」
「あなた、誰?」智子は相手を見下ろし、怪訝に思って尋ねた。
「ぼくは、すべての真実を知る者です」と少年は答えた。

    10 アイドル

 智子は、2階にある少年の部屋に案内された。母ちゃんは絶対に入ってくるなよ、という息子の言葉に、時子が怯えている風なのが印象的であった。どうやら、この家の絶対君主は、この生意気そうな少年であるらしい。部屋は6畳ほどで、ベッドとデスク、そしてパソコンと本棚があるだけの都会のワンルームマンションといった体であった。壁には一面、今、一番人気のある女性アイドルグループのポスターが貼ってあり、部屋の主が俗人であるらしいことが智子をほっとさせた。ただ、その中の最も大きな一枚、目の大きな色白の女性の顔が、こちらをじっと見つめているポスターにはどういうわけか胸騒ぎを覚えた。何となく、その女性の面立ちや雰囲気が、自分に似通ったものである気がしたからかもしれない。16、7歳くらいの少年の名は、光次と言った。この家の次男坊ということであった。
「さて、何から話しましょうか?」
 光次はデスクの前の回転椅子に腰掛けると、くるりと客人の方に振り向いた。しかし、智子が部屋の入り口で突っ立ったまま、アイドルのポスターとにらめっこをしているのを見ると、笑いながら声をかけた。
「あなたに似てるでしょう?」
「別に、似てるとは思わないわ」智子は、勧められるままベッドの隅に腰掛けた。
「ぼくの、趣味なんですよ」と光次は、ポスターをうっとりと見つめながら言った。「こういう、何か問題がありそうな顔をした子がタイプなんです。内に秘めた力ってやつですか? こういう子は、下手をすると大化けしますからね。先物買いをしているというわけです。今に見ててくださいよ、ぼくの目に狂いはありませんから」
「アイドルとか、好きなんだ?」智子は、少しだけくつろいだ気分になって話しかけた。
「ぼくはアイドルが好きなわけではありません」と光次は得意げに答えた。「ぼくが好きなのは真実だけです。これからはね、智子さん、真実がまがいものを駆逐する時代なんですよ。本物だけが、正しく評価され、浮かび上がる時代になる。上っ面だけじゃね、もう通用しないんですよ。人はみな、本当は絶対的に深いもの、確かなものを求めているんです。アイドルに偶像を求める時代は終わりました。人はこれから、アイドルに人間の真実を求めるのです。人間の真の理想像、あるべき姿をこそ偶像とするのです。なぜなら、ぼくらは偽物を崇拝するには、あまりにも不幸すぎる存在に成り下がってしまったからです。絶体絶命の崖っぷちにまで追い込まれてしまったからです。ええ、人はアイドルに神の存在を重ね合わせるんですよ。現代においては、アイドルこそが生きた神となるのです。偶像崇拝の時代は終わりました。これからは、生き神が至る所に現れますよ。ええ、主は、意外なところから現れるってわけです。ぼくはそうにらんでいるんですがね、どうでしょう?」
 ぺらぺらと馴れ馴れしくしゃべるこの少年に、智子は不信感を抱きはじめていた。
「そんなことはどうでもいいわ」と彼女は話を切り替えて言った。「それよりあなたのお母さん、どうなってるの? 私のことを監視しているみたいだし、わけのわからないことばかり言って。頭がおかしくなっているじゃないの? これは全部、あなたが仕組んだことなの?」
「どうして、ぼくがすべてを仕組んだだなんて思うんですか?」光次は偽悪的に両手を広げ、にやついて尋ねた。「こんなアイドル好きな少年に、何の悪さができるんです?」
「食えない子ね」智子は嫌気が差してきた。「あなた、ちょっと普通じゃないわ。だいたい、なんで私のことを知っているわけ? どうせ探偵かなんかに私のことを探らせたのも、あなたの仕業なんでしょう?」
「まぁ、細かいことはどうだっていいじゃないですか」光次は、くるりと回転椅子を反転させ、背を向けた。「ぼくはね、あなたに憧れてきたんですから。ええ、あなたこそはぼくのアイドルであり、崇拝の対象なんですよ、智子さん」
「何を言っているの?」
「ほら、これ見てください」光次は再び椅子を反転させ、振り返った。その手には、数枚の写真があった。「智子さんの生写真ですよ。ほら、これなんか、表情に影があってすばらしいし、これなんか目がいっちゃってるでしょう? もう、神様みたいじゃないですか? ぼくにとって、あなたは神なんですよ。崇拝しているのです。熱烈な愛と尊敬の対象なんです。あなたこそ、真のアイドルなんですよ」
 智子は、漆沢時子と対峙していた時よりも、さらに深い恐怖を覚えた。一瞬、部屋から飛び出し、逃げ出したい衝動に駆られた。この少年は危険だ。もしかすると、私は殺されてしまうのかもしれない。それでも、ただ真実を知りたいという頑なな欲求が、彼女の身体をその場に留めていた。
「いや、安心してください」光次はにこりとして言った。「ちょっと、あなたを驚かせたかっただけですよ。ええ、ぼくは今、猛烈に感動しているのです。考えてもみてください。自分のアイドルが目の前にいるんですからね。しかも、自分の部屋に二人きりなんて、心臓が飛び出しそうですよ。もう、どうしていいかわからないくらいに興奮しているんです。余裕をこいてはいますがね。ほら、手が震えているでしょう? 自律神経が興奮している証拠です。昂ぶっているんですね。アイドルというのは、ファンにとっては神ですからね。ああ、でも、安心してください。ぼくはキモオタじゃありませんから。常識をわきまえているし、何も変なことはしやしませんよ。ただ、あなたとのこの貴重な時間を1分1秒でも長く楽しみたい、充実したものにしたいと、そんな風に心から願っているだけです」
 智子は、頭を抱えてしばらく考え込んだ。どうしたら、このいかれた子供から真実を聞きだすことができるのだろう?
「私は、本当のことが知りたいだけなの」彼女は何とか気持ちを落ち着かせると、祈るように懇願した。「10年前、いったい何があったのか教えてちょうだい。それに、どうしてあなたたちは私のことを監視しているのかも、ね。教えてくれるまでは帰らないわ」
「それなら、教えられませんね」光次は楽しげに笑った。「真実を教えなければ、智子さんとずっと一緒にいられるわけでしょう?」
「いい加減にして!」智子はベッドの上を手のひらで思い切り叩いた。「正直、あなたたちは異常だわ。そうは思わない?」
「何が異常か正常かなんて、いったい誰が決められるんです?」光次は立ち上がり、高慢な面持ちで女を見つめた。その瞳が、妖しく光っていた。「この世の中は狂っているんです。いまや、何もかもが異常なんですよ。そのことに気づいた人間だけが、正常でいられる。当然のことながら、真に正常な人間は、この社会では異常者として扱われるわけです。ぼくは、正常でありたいと願っただけです。この家では、異常が正常であり、正常が異常なんですよ。そんな空間を作り上げたわけです。すべては、ぼくの脳みそが作り上げた幻想かもしれない。けれども、この幻想世界には、少なくとも救いがある。そうは思いませんか?」
「救い?」
「なんで母さんがあんな風に生きていられると思いますか?」光次は再び椅子に腰掛けると、右に左に回転させながら軽妙な調子で話を続けた。「ぼくが彼女を洗脳したからですよ。兄が行方不明になり、父さんが自殺し、おかしな噂が立って村八分の扱いを受ける中で、ぼくが彼女を救ったんです。この家を何とか守ったんです。あなたを救世主のように仕立て上げてね。実を言えば、この近所やネットの向こう側に、信者もたくさんいますよ」
「信者?」
「ぼくは、その世界ではある種のヨハネでしてね。つまり、救世主のために道を整える預言者の役回りを演じているのです。あなたは宇宙から使わされた処女マリアとして、未来に救世主を生むという重要な役どころです」
「子供の妄想ね」
「妄想ではなく、ビジネスですよ」光次は目を輝かせて続けた。「あなたの生写真はブロマイドとして信者に売られていますし、あの事件とUFOカルトの混交物のストーリーは、有料メルマガで大変な人気になっています。ええ、あなたはその世界ではちょっとした伝説で、スターってわけです。あなたが煙草を吸いだしたことに関しては読者の意見は賛否両論ですが(こういう時代ですからね)、いつ宇宙的真実に覚醒するのかと、みんな待ちわびている次第です。おかげでぼくも母子家庭ながら大学に行く学費が稼げてますし、進学塾にも行ける。頭のおかしな母さんの面倒を見ることもできる。何か文句ありますか? ぼくは、自分の過酷な運命を最大限に利用して、人生を切り開く少年実業家なんですからね。ある意味、頭いいでしょう?」
「こっちは、頭が痛いわ」智子は、右手で自分のこめかみをつかんだ。ここまでくると、どうしてよいのかわからなかった。
「いずれ、あなたにはそれ相応のお返しをさせていただきます」光次は、心から楽しそうに言った。「場合によっては、ここは一つ割り切って、ぼくとビジネスパートナーになってもらえると最高なんですがね。しがないOLをやっていたって、埒が明かないでしょう? 手取りで二十万ももらってないようじゃないですか。そんなことより、ぼくと一緒に、ビジネスをやりましょうよ(ぼくの月収がいくらかご存知ですか?)。ええ、宗教ではなく、ビジネスです。怪奇的な物語と幻想を売りにするんですよ。みんな、そういうのに弱いんです。陰影が必要なんですよ。あなたには充分にカリスマがある。このアイドルよりはるかにリアルですしね。それこそ、本物のアイドルになれますよ。ぼくが保障します。あなたこそ新世代のアイドルの形なんです。誰もが、あなたの生き方に共感し、見本とすることで更正するんです」
「いいから黙って」智子は、片手を上げ、相手の言葉を制した。「あなたが商売上手ってことだけはわかったわ。頭の回転も速いし、奇妙な才能もある。というか、その年で怖いくらいだわ。でも、一つだけ教えてちょうだい。あなたのお兄さんを殺したのは、私なの? それともあなたのご両親? それだけ教えてちょうだい。そうしたら、これまでのことは見逃してあげるわ。もちろん、これ以上私の生活を詮索しないって約束でだけど」
「あなたとこうして知り合えたわけですから、もちろん、探偵なんかに盗み撮りさせたりしませんよ」光次は、うれしそうに言った。「でも、すみません、ぼく、知らないんです」
「知らない?」智子は、呆気に取られた。
「ええ、だって10年前と言ったら、ぼくは7歳ですよ。あの事件から漆沢家がおかしくなったのは本当ですが、母さんに事件のことを聞いても天罰だというばかりでしてね。たぶん、あなたに乱暴しようとした兄さんを父さんが殺し、どこかに埋めた、といったあたりが相場だと思います。調べると、当時、兄は強姦未遂事件を何度か起こしていたようですしね。両親も相当に悩んでいたのでしょう。でも、暴走する兄をどうすることもできなかった。あなたの神隠しの真相は、ショック症状にあったあなたを、父さんがどこかにかくまっていたか何かだと思います。結局、父さんは警察に疑われて死んでしまいましたが。UFO? それは誰かのでっち上げでしょう。知りませんよ、何があったかなんて。ああ、そんな過去のことはもうどうだっていいじゃないですか? それより、これからのことを考えましょうよ。ダークなものにこだわってると、心まで暗くなりますよ。ぼくらの未来には、明るい光が差し込んでいるわけですからね」
 智子は、苦笑して片手を振り、「あなたとはこれ以上付き合えないわ」と言って、立ち上がった。
 部屋を去り際、ふと、壁に貼られたアイドルのポスターを眺めた。その少女の憂いを帯びた巨大な瞳は、これまでの茶番劇をやさしく、どこか悲しげに見守っていたかのような、深みと慈悲を感じさせるものであった。
 この子は本当に売れるかもしれないな、と智子は思った。

                                    (つづく)

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◇自然科学

潜態論入門 第3回           河野龍路

1 潜態
 現象の本質である潜態とはいかなるものなのかについて、直感的な切り口から説明していくことにします。
 
 あらゆる現象は、それを生み出した宇宙と繋がっている側面を必ず持っていなくてはなりません。簡潔な言い方をすれば、それが潜態です。
 山に咲く草花は、空気中から二酸化炭素および酸素を吸収し、土壌からは水分や栄養分を得て成長していきます。その土壌の成分はさらに周囲の土壌や岩盤、さらに深い地質から補給され、その繋がりはついには山全体にまで及びます。そして山は地殻を超えてこの地球と繋がって刻々とその姿を変えつつあることは地質学が保証してくれています。草花を囲む大気という環境をとってもそれは地球全体の気象現象の影響下にあることは気象学的にも否定できないはずです。もちろん大気現象と地殻現象も相互に無関係ではいられません。さらにこの関連性はさらにどこまでも果てしなく広がってしまいます。これが、草花が宇宙と繋がっているという側面です。この連携なくして草花が生まれることはありえません。これは草花などの生命現象に限らず、化学反応にしろ、単純な力学的な運動にしろ、すべての現象がこうした側面を持っていなかったとしたら、それは宇宙とは無縁の不可思議な存在となってしまいます。
 草花の実態は上述のように、広大な繋がりのなかにあります。早い話が、もし地球がなければ草花も気象もありえません。それはへ理屈であって、科学にしても地球の存在を前提にして語っているつもりである、そういわれるかもしれませんが、それは前提ではなく、本論でなければ意味がないのです。
 草花という現象の持つ二面性についてもう一度確認します。
 
 (1)「草花」としてわたしたちの認識の対象となっている側面
 (2)「草花」が他の一切の現象と繋がりを持つ側面
 
 譬えて言えば、水道水には蛇口をひねってわたしたちの口を潤す面とその大元の水源に繋がっている両面があるように、この両面を兼ね備えているのがありのままの現象の姿で、どちらかが欠如するときにはそれは現象であることを否定することにつながります。
 ところが(2)の草花の姿を感覚や意識でとらえることは絶対に不可能です。したがって正確には、(2)は「草花」ではありません。「草花」として切り取られる前の状態ですからそれはまだ「草花」ではありません。すなわち、それが潜んでいる状態「潜態」です。生物学的には、その草花が生息している理由は、土壌や大気環境という観測可能な領域から判断されるのでしょうが、ひとたびその関連性を認めてしまったら、その連絡はどこまでも際限なく広がっていってしまうはずで、それを途中で断ち切るのは自然の側ではなく人間の主観です。

「・・・科学に於いては常に考察の対象を設定するが、事実上は対象と環境の遮断は不可能であって、観念上の境界設定に過ぎない。深く考察する人にとっては両者は常に全く疎通状態にあって、いわば辛うじて系の内外の定常的外見が保たれているに過ぎない。」
(「科学解脱」p14)

2 潜態の原理  融重、自閉(半開)
 上記の例をもとに潜態の基本的原理を簡単に説明していきます。
 
 (1)「草花」としてわたしたちの認識の対象となる側面=現象
 (2)「草花」が他の一切の現象と繋がりを持つ側面  =潜態
 
 草花の実態とは潜態であり、そこではすべての現象と繋がっていると述べました。
 これを潜態の「融重」といいます。潜態ではすべてが干渉しあっているということでもあります(因干渉)。潜態が感覚や意識にかからないのは、この融重の原理があるためです。どんな精密な観測機器をもってしても潜態をとらえることはできません。観測とは潜態の融重を断ち切ることにほかならないからです。
 一方、潜態にはこの「融重」に反して、認識にかかって切り取られるという側面も内包されていなくてはなりません。この性質は潜態が草花などの特定の現象に「閉じる」作用ということができ、それを「自閉」といいます。したがって潜態には「融重」と「自閉」という相反する性質が潜んでいることになります。
 
 (1)現象=「自閉」
 (2)潜態=「融重+自閉」
 
 すると、(1)の現象は(2)の潜態における自閉的側面のことであって、両者が別ものでないことがわかります(これを小田切は「現象即潜態、潜態即現象」と表現しています)。「自閉」とはいっても、現象は潜態の融重から独立して完全に閉じることはできません。つまり現象はある程度「開いて」いなければならいということで、これを現象の「半開」といいます。「半開」とは完全に現象に閉じられていないということ、明確な輪郭を持たないとうことです。
 草花も土も大気も日光もすべての現象は「半開」であるからこそ相互作用を起こすのです。例えば、地球がひとつの循環システムであるということがよく取り上げられますが、そこではばらばらな現象を相互作用によって結び付けて、現実の循環に合わせるように合理的な説明がなされています。しかし、本当の循環はそれぞれの要素が「半開」であるからこそ起こるのであって、しかもその現象の半開性は潜態の「融重」という繋がりに由来するのです。
 以上からわかるように、(1)の現象とはわたしたちの感覚上の現象つまり科学の対象とする現象とは異なります。それ以前の現象そのもののことです。ここが少しややこしいところですが、対象となる現象そのものはわたしたちの感覚を離れてもそこになくてはなりません。それが(1)です。いま、この(1)の現象をいわゆる通常の現象と区別するために「潜態論的現象」と名づけておくことにします。わたしたちの認識に先立って存在する先方の「草花」がそれです。
「潜態論的現象」が認識にのぼってわたしたちの知る現象となるわけです。したがって科学的な客観現象というものは認識を離れてそこに実在するものではありません。
 
  認識上の現象(草花の像)
    ↑
(1)潜態論的現象(草花そのもの)
(2)潜態(草花の本質)
 
 前回述べたように上段の二つが同一であると考えるのが、科学が暗黙の前提としている哲学です。しかし実際にはこの二つは異なるのであって、潜態論的現象とは認識によって摘み取られる前の草花のことです。そして(1)は(2)の潜態なくしてはありえません。(1)の原因はすべて(2)にあるからです。ここが他の現象に原因を求める科学とは異なるところです。現象上のあらゆる真因は潜態に遡らなければ理解することができないのです。ですから潜態は現象の命ともいうべきものであって、生物においては万人が認めているところのものにほかなりません。
 
3 潜態の記述
     
 ・「草花」の認識像=科学的な現象
 ・「草花」そのもの=潜態論的現象
 ・「草花」の本質 =潜態
 
 潜態論の記述の説明にあたって、まず最上段にあたる既成の科学の記述について確認しておきたいと思います。ためしに科学的書物あるいは教科書をひもといてみてください。そこで見出される科学理論を構成する要素はどれもそれ自身で独立した存在あるいは物質であるはずです。例えば、
 
・生物学における各種個体あるいはその構成員である細胞
・化学反応における二酸化炭素(CO2)などの分子、鉄(Fe)、H水素(H)などの元素
・素粒子物理学における電子(e)、陽子(p)…

 上記はいわば存在についてですが、それらの相互作用を記述する数学的記述についても同じく、数式を構成する各要素はすべて独立した要素からなります。
 潜態論的な言い方をすれば、科学の記述は現象に「閉じている」とういことです。鉄(Fe)は独立してそこにあり、それは鉄以外の何物でもありません。つまりこの鉄(Fe)にはそれ以外の現象が付随していません。完全に「自閉」した姿として描かれています。物理学では、鉄原子が周囲の酸素や水分また諸種の電磁波や素粒子などの環境からの影響を認めているではないか、そう反論されるかもしれませんが、まさにその相互作用の可能性がこのFeという閉じた記号にはないのです。草花、土壌、空気、といった断片を組み合わせても、私たちが目の当たりにしている生きた現実を再現することはできません。なぜなら、閉じられた現象には相互作用をする力がなく、わたしたちとも無縁の存在となるからです。
 この科学的な対象としての自閉した現象をいまかりにA、土壌や大気などの環境現象をEで表すとします。
 すると半開の「潜態論的現象」の記述は、以下のような閉じられた現象を断ち切る表現となります。

・ A  ,  E
・ (A|A) ,(E|E)

 カッコが閉じられていないことで現象の半開を表し、AとEの相互作用も可能となります。(AとA)  が完全に閉じてAとなるという意味です。
 現象が半開であるとは、潜態が閉じきれないということで、半分(量的な半分ではない)は潜態であるということです。言い換えると現象が潜態を付随させているとういことで、それは潜態論的記号の白紙の余白部にあたります。
 この半開の現象の記述の重要な点は、A,Eが断ち切られることにより、その内外の余白部も記述領域となっていることにあります。(A|A) ,(E|E)は、その内面をさらけ出すとともに環境的外部との疎通をも記述しているということです。電磁力や重力という相互作用が、現象の内面から発して相手の内面に及ぶことからすれば理にかなった表現となっているわけです。
 それでは次に潜態の記述です。
潜態は認識しえない本質ですから、白紙全体がそれにあたるのですが、そこには(A|A) ,(E|E)という現象の原因を潜ませているはずですから、以下のように記述されます。

・|A),(A|  ,  |E),(E| 
 カッコが向き合っていないことで、それが潜態で他のすべてに向き合っていること、つまり融重していることを表示しています。
 潜態にはAもEもなくそれらの相互作用もありません。ただそれらの原因となる状態があるだけです。|A),(A|  ,  |E),(E| が A,Eの原因であり余白部が相互作用のいわば場となります。植物が成長して花を咲かせるのも、種を風に託すのも、ある日しおれて一生を終えるのも潜態で繋がっているからであるということです。
 比喩的に表現すると、通常の現象は実線――、半開の現象は点線……、潜態は紙全体となります。
 
 科学が宇宙の本質に基いていないとすれば、それほど根本的な欠陥が科学体系のほころびとして見出せないはずはありません。
 潜態論的記述の要旨を確認しながら、「存在」と「変化」という縦糸横糸で織り成されている科学的世界像という織物のほころびを見ていくことにしましょう。

●存在
 ご存知のように、自然界は微細な素粒子から巨大な天体に到るまで壮大な階層構造をなしています。
 それら無数の存在も最終的には100種あまりの元素の結びつきからなり、元素は陽子、中性子、電子などの素粒子によって構成されます。こうした多様な自然界の姿が、ミクロな世界から階層的にできあがっている事実を明らかにしたことは永年の科学的研鑽の成果にちがいありません。
 素粒子、原子、分子、高分子、細胞、多細胞生物と複雑な現象となるにつれて、物理学、化学、生物学の考察対象となる実体が登場しますが、それぞれの実体の間にはどのような関係があるのでしょうか。例えばH, H, Oという原子が結びつくと水分子H2Oという別の実体が現われるのはなぜなのか。水素原子という実体と水分子という実体の間にはどのような関係があるのかについて、科学では暗黙の了解事項とされているように思われます。
 結論から述べると、この科学的対象としての実体というものは、現実には存在しないものであるというのが潜態論の見解です。
 
 複雑で巨大な現象ではわかりにくいので、電子を例に説明してみます。
 電子現象として確認される主な属性には以下のようなものがあげられます。
・質量
・電荷
・磁気モーメント
 これらの属性を一身に背負っている実体、本体が存在していると考えられ、その本体を電子と名づけているわけです。ではその本体とはいったい何でしょうか?
 当然これも科学の考察対象でなければならないはずですが、それが客観的対象として観測されたことはいまだかつてありません。質量、電荷、磁気モーメントといった属性の全体が本体だといわれるかもしれませんが、その全体というものが存在するためにはこれらの属性を一つにまとめる何かがなければなりません。だとすればこれらの性質を一つにしているものは何者なのでしょうか?この問いは、りんごや地球でも一緒です。 わたしたちはそこにりんごや電子の全体を見ていると確信しています。しかしそれらを記述しようとすると、ばらばらな属性を列挙することができるのみであって、電子の本体については提示しえないことがわかるはずです。
 つまりわたしたちは、自然界の階層構造の骨組みである実体というものの正体を知らないのです。このばらばらに観測される性質をひとつにしている対象がそこにはあるはずで、わたしたちの意識もその本体を志向しています。それにもかかわらず、その本体が認識できないのです。なぜ認識にかからないのか?それは潜態によるものだからです。

 いまaおよびbという属性を持った現象Pがあったとすると、それらの属性は潜態論的に
 (a|a) ,(b|b)
と半開表示されます。それらが一つの現象をなしているということは当然、潜態において密接な融重の関係にあるということで、以下のように記述されます。

| P) = | a) + |b)
(P| = (a| + (b|

+は融重の記号です。
これらの各項が相互に干渉しあっていますから、潜態論的現象は以下の要素の集合となります。
(P|P)={(a|a) , (a|b) ,(a|b),(b|b)} 
右辺の真ん中の二つの項は互い違いに閉じていますが、これを両端の自閉に対して「他閉」と呼びます。潜態において融重しあう性質が現象上で統一されるのは当然ですが、それが具体化されるにあたっては半開の属性間の相互干渉を通じてなされます。(a|b) ,(a|b)の他平項は(a|a) ,(b|b)を結合する役目をするとともに、a , bとは異なる属性ともなります。
 この記述をご覧になれば、各属性がひとつに結ばれ(P|P)という現象を呈示する理由がわかるかと思います。現象Pの本体というものがあるのではなく、属性をつないでいる本体の正体は潜態だということが明確になります。
 さらに(P| P) は(Q| Q)と結びつけば、そこにまた統一的現象の発生を見ることになりますが、このように階層的に現象が大きくなりうるのもそこに実体がないからだということができます。すなわち自然界が階層構造をなしているという現実は、それらが潜態を原因としてそこから浮かび出たものであることの大きな証拠とも考えられるのです。

●変化
 自然のもうひとつの顔である「変化」についても同じようなことがいえます。
 
 自然界の事物は例外なくその姿を変えていきます。
 科学的世界観ではそうした自然界の変化を、化学的変化と物理的変化に置き換えて理解します。
 
 化学的変化とは、例えば炭素が燃えて二酸化炭素が発生するという場合、
 C + O2→CO2  
という化学反応式で表されます。
 C, O2, CO2は先に述べたように閉じられた記号です。これらの記述から変化を読み取ることはできません。C, O2, CO2という無変化の固定的な現象を→で結んで変化の記述としているのです。この反応式において「変化」と呼ばれるべき要素は→をおいて他にはありません。最初の出発点と最終地点を結んで変化としているわけです。もちろんより詳細にわたる途中経過も考察されていますが、それはより細分化されたa→bの組み合わせに分析されるだけだといえます。反応式には、C, O2, CO2相互の内面的なやりとりも、環境からの影響もありませんし、時間的要素も見当たりません。しかしすべてのものが変化を免れない自然界において、そのような固定像を持つものが許されるでしょうか。
 要するに変化とは、C,O2,CO2自体にも付随していなければならないということです。 それはC,O2,CO2という存在があってそれに変化が伴うというのではなく、常に生まれ変わっているものが存在そのものだとうことです。
 
 変化とはいうまでもなく、前とは幾分異なった状態に移行することです。
 朝日が昇り、鳥が鳴き、草木が風にたなびき、りんごが落下する・・・いまそれらの変化を代表してaからa’ に移り変わるとし
 ・・・・a→a’・・・・・
と表すとします。
これは先に述べたように、固定像間の移行です。
 もちろん科学はこの間を無限に狭めていって微分法という数学的手法でもって流動的な量的変化を記述していると考えられています。しかしどこまで細かくしていっても、この固定像の間の移行という前提には変わりありません。しかも何ゆえ異なった現象が次々と現われ来るのかという変化の本質についての疑問には答えていません。つまりaがa’ に変わらなければならない必然性はないわけで、逆回転も可能と見なされるのはそのためです。自然界の変化を止めることができない理由が数式には含まれていないということです。
 aがあるときはa’ はまだありません。逆にa’があるときはa はもうありません。したがってその二つを結んで現実の変化を表すことは不可能です。潜態論的には、はそれぞれ(a|a)、(a’|a’)と半開の現象となります。したがってそこには流動的な変遷が可能となるのです。これを言い換えると、去り行く側面(a|a)と立ち現われる側面(a’|a’)の両面を潜態論的現象は同時に持っているということです。したがって、aを見たということはすでにa’ への移行をそこにはらんでいるということで、それが変化の必然性をもたらすわけです。潜態論では去り行く面(後退面)をl(エル)で、立ち現われる面(生成面)をr(アール)で表し以下のように記述します。
(al | al)、(ar | ar)
 物理的な観測における瞬時に等しい現在でも、わたしたちの日常におけるような幅のある現在であっても、それが現象である限りはこの両面を具有しているということです。そして、この両者が統一的な現象となる理由は潜態にあることはいうまでもありません。潜態では以下のように融重として記述されます。
|al)(al | 、| ar)(ar |
これらの各要素は互いに干渉しあうことによってひとつの現象を呈示しますから、現象化に際しては以下の4種の要素が出現することになります。
(al | al)、(ar | al)、(ar | al)、(ar | ar)
 中の2要素は互い違いに閉じている「他閉」となっています。これらの要素があるために対象はひとつの存在として感知され変化を余儀なくされるわけです。潜態論ではこの集合をひとまとまりの行列の形で記述するのですが、ここではかりに{   }でもってその代わりとしておきます。
{(al | al)、(ar | al)、(ar | al)、(ar | ar)}
 これが、ここまでの現象a の潜態論的表示となります。

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◇評論 

これがそれだ(This is It !) 
〜ハーディングの実験とマイケルジャクソン

              高橋ヒロヤス

「意識」は創造を通して自らを表現する。
僕たちの住むこの世界は,創造主のダンスだ。
ダンサーは瞬きの間にやって来ては立ち去るが,ダンスは続く。
多くの場合,僕がダンスするとき,僕は何か神聖なものに触れる。
そんな瞬間,僕の精神は高く舞い上がり,僕は存在するすべてのものと一つになる。
僕は星になり,月になる。僕は愛する者になり,愛される者になる。
僕は戦いに勝ち,征服される。主人になり,奴隷になる。
僕は歌う者になり,歌になる。僕は知る者になり,知られるものになる。
僕はダンスを続ける。それから,それは創造の永遠のダンスになる。
創造主と創造されたものは一つの全体の歓びの中に融合する。
僕はダンスを続ける。ダンスし,踊り続けて・・・遂には唯「ダンス」だけが残る。
―マイケル・ジャクソン

【悟りを開くのには指一本あれば足りる?】

ダグラス・ハーディングという人がいた。
あまり知られていないが、「私とは何か」について、とてもユニークな角度から探究した哲学者だ。

彼は、あるとき自分に「頭がない」ことを発見した。つまり、自分の周囲の世界はすべて形と色を持っているのに、それを見ている「ここ」には形も色もなく、全世界をその中に含みこむ虚空が存在しているだけだ、ということに気づいたのである。

このことは「実験」により誰もが体験することができる、と彼は主張する。
実験のやり方は、インターネットの動画でも見ることができる。

僕も彼の言う「指差し実験」をやってみた。はじめはピンとこなかったが、何度かやってみて、何日かたって、その意味することが分かったときは、愕然とした。

それを英語で言うとこうなる。

This is It ! これがそれだ!

この感覚は、自分で体験するしかない。

いったんこれを体験すれば、あとはふだんの生活の中で、ちょっと「練習」するだけでいい。
ハーディング自身は、こう言っている。
「私が思うに、あなたがそれを練習することで、それは自然になるのです。自分が決して去ったことがない場所へ、ただ戻ることで。少なくともそれが、私の印象です。人は、自分が何から見ているのか、見ているその源泉に戻るのです。」

何度も書いてきたように、「悟り体験」について語ることは本意ではないので、あまりくどくどは述べない。
要は、21世紀の現代世界において、「悟る」ためには、指一本あれば足りるのであって、何万円あるいは何十万円も払ってセミナーに通う必要はないし、禅寺に籠ってパシパシ叩かれながら修行する必要もない、ということが言いたかっただけだ。

この実験がどんな環境でもできることを示すために、以下に感動的な文章を引用したい。

クリスマスのちょうど前、私の娘が鎮痛剤を一瓶のウォッカといっしょに150錠飲みこんで、自殺をはかった。意識不明の状態から、病院で意識を回復したとき(彼女の友人が彼女を発見し、911に電話した)、彼女は自分がまだ生きていることを知って、打ちのめされた。
 
この自殺の試みは、彼女の弟の死(彼女の一番の友人だった)に始まって、破滅的な結婚生活の終わりにいたる過去3年間の彼女の憂鬱の集大成だった。彼女にはまだ自殺願望があるので、彼女の友人は、私を訪問しないようにと彼女を説得しようとした。というのは、もし彼女が私を訪れれば、それは私との「別れ」になるだろうと確信していたからだ。しかし、彼女はやって来た。その訪問の最中、私自身も絶望的な気分になってしまったとき、私は彼女に、ダグラス・ハーディングの「指差し実験」を見せることにした。私がなぜそんなことをするのか、彼女にその理由をどう言ったのかを思い出せないのだが、たぶん、「ゲーム」か興味深い何かとして説明したのだと思う。
 
この刑務所の面会人室は、いつも込み合っていて、テーブルは窮屈に所狭しと置かれていた。私は、娘がほとんどどんなことでも試みるだろうとわかっていた。だから、私は彼女に、近くの椅子を指差し、その形、色、不透明さ、そして、それが向こうの外の物である意味に気づくように頼んだ。次に彼女は自分の足を指差し、それもまた色と感触のある固い「物」であることに気づいた。それから膝、腿、お腹、そして、最後に胸を指差し、それぞれ、形ある物の質、「物性」に気づいたのである。
 
それから彼女は、自分がそこから見ているところを指差し、私は彼女に、注意を180度転換し、何が見えるか――彼女が見ていると思っているものでも、彼女が学んだことでもなく、彼女が実際、今現在見ているものを――私に教えてほしいと頼んだ。
 
彼女は、「私の鼻?」と言った。私は、「OK、ぼやけた鼻だね。他には?」と答えた。 彼女は、一呼吸おいて、当惑しながら言った。「私の顔?」私は、「自分の顔を見ているかい?」と答えた。そして、次に起こったことは、私の人生でも実に最も感激の瞬間であった――彼女は、氷ついて、驚愕し、それから、涙が目からそれこそあふれ落ちてきた。彼女は手で顔を覆って、あえぎ、そして、再び顔を上げたときに、「ああ、何ということ、これってずっとここにあったのね!」と言ったのである。
―「故郷からの手紙」by J.C.Amberchele with Berieより
   
【マイケル・ジャクソンという存在】

さて、ここからが今回のメインテーマとなる。
3年前に亡くなったマイケル・ジャクソンについて。
言わずと知れた20世紀最大のポップミュージックにおけるスーパースターであるが、これほど毀誉褒貶の激しかった人物もいない。
ここで彼の人生について詳しく語るスペースはない。はしょって言えば、彼には子ども時代がなく、その反動として子どもと一緒に過ごすことを愛した。それが仇となって幼児虐待で刑事裁判まで受けるハメになった(結果が無罪だったのは周知のとおり)。
彼は主に子どもたちに向けた数多くのチャリティー活動を行ったことでも知られる。その金額と規模は、単なる売名行為では済まされないレベルに達していた。

ちょっと脱線するが、よく芸能人が行っているチャリティー活動を偽善だとかいって非難する人たちがいる。たとえば杉良太郎という人は、もう50年以上全国の刑務所や少年院への慰問活動を続けている。その他の福祉活動にも多くの資金を投じていて、本業に支障が出ることも度々だったという。今回の東日本大震災でも被災地に10台以上のトラックを派遣し大規模な炊き出しを行う様子がメディアにも報道された。ある時、彼に対して、「杉さん、売名活動も大変ですね」と声をかけた政府高官がいたらしい。杉氏は、この手のことで皮肉を言われると、「ああ、売名行為ですよ。でもあなたも同じことができますか」と答えることが多いそうだが、さすがにこの政府高官には開いた口が塞がらなかったという。芸能人のチャリティーを非難する者のうち、自分自身で困っている人のために指一本でも動かした人間がどれくらいいるだろうか、僕は常々疑問に思う。

僕がここで言いたいのは、マイケルの出自ゆえの悲劇的な人生や、その人格の美しさ(あるいはその逆)について語ることではない。
彼が、その世界一強力なアーティスト・エゴにもかかわらず(そうでなければ世界一のスーパースターにはなれない)、「無我表現」をやってのけたということが言いたい。

「私たち」=「世界」

皆さんご存じだろう、We Are The Worldという曲がある。1985年に、アフリカの飢餓を救うためとして、信じられないほど多様なスーパースターたちが一堂に会した空前絶後のチャリティー・ソングである。
作詞作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーだが、主要な部分はマイケルが書いた。

このプロジェクトを取りまとめプロデューサーの大役を務めた『スリラー』の立役者クインシー・ジョーンズは、大物アーティストたちが勢ぞろいするスタジオの入口に、「ここでエゴを捨てて中にお入りください」と書いた紙を張ったという。

この曲のタイトルで、サビの歌詞でもある「We are the world」というフレーズの意味は、なんとなくは分かるが、突き詰めていくとよく分からないという人も多いのではないか。

常識的に訳すならば、「私たちは世界と一体だ(世界の一部だ)」ということだろう。僕も当時から最近までそう思っていた。
しかし実は違っていた。
彼は、「私」などというものは存在せず、ただ世界(=私たち)があるだけだと言いたかったのだ。
冒頭に掲げた彼の「ダンス」という詩を読んでそのことを確信した。

クリシュナムルティがよく使うフレーズに、「You are the world(あなたこそが世界だ)」というものがある。
Kは「あなたから切り離された『世界』という場所で問題が起こっているのではない。世界の問題は、あなた自身の問題なのだ」と言う。

マイケルがクリシュナムルティを読んでいたかどうかは知らない。
しかし、このような言葉を発するためには、エゴを突き抜けていなければならないし、「We are the world」というような言葉は「無我」でなければ出てこない。

マイケルが悟りを開いていたなどと言いたいのではない。それはどっちみち重要なことではない。確かなこと、そして大切なことは、彼の表現が「無我」に開かれており、それが全世界の何億もの人間によって共有されたという事実だ。

「あの頃、僕はよく妹のジャネットに、『ねえ、ちょっと来ておくれよ』と頼んでは、クローゼットやバスルームのような音が響きやすい場所に連れて行って、歌の一節やリズムを歌って聞かせたものです。といっても、ちゃんとした歌詞はなくて、ただ喉でハミングするだけです。『ジャネット、何が見える? この音を聞いて、どんなものが見える?』と聞いたのです。すると彼女は言いました。『アフリカの死にそうな子供たちが見えるわ』。『その通りさ。僕の魂から湧き上がってくるのは、まさにそれなんだ』
こうして、『ウィー・アー・ザ・ワールド』は生まれたのです。暗い部屋に入り、僕が彼女に歌って聞かせた歌。歌手にできることはこれなんだ、と思いました。たとえ暗い部屋の中でも僕らは歌うことができるし、そのことで何か影響を与えることができるのですから。僕らはテレビのおかげで多くのものを失ってしまいました。ああいう発達したテクノロジーがなくても、映像を使わなくても、音だけで人を動かすことはできるのです。」(マイケル・ジャクソン自伝『ムーンウォーク』河出書房新社、p247、田中康夫訳)

We are the worldには、マイケルが一人で歌っているバージョンというのがあって、彼のKing of Popというベスト盤(日本版)に収められている。こちらの方がマイケルの「魂から湧き上がってきた」ものに近いと思われるので、機会があれば、こちらもぜひ聞いてもらいたい。

参考文献
『Dancing the Dream』(詩集)Michael Jackson
『顔があるもの 顔がないもの』ダグラス・ハーディング著 高木悠鼓訳、マホロバアート
『ムーンウォーク マイケルジャクソン自伝』田中康夫訳
『マイケルジャクソン裁判 あなたは彼を裁けますか』アフロダイテ・ジョーンズ著、押野素子訳、P−VineBooks
『新しいマイケルジャクソンの教科書』西寺郷太、ビジネス社
『あなたは世界だ』J.クリシュナムルティ、UNIO



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 ◇エッセイ
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―

『おはぎを頬ばり、空を見上げて』
 長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)

 アラスカ州最北端の町バローでは夏の間日が沈まない、逆に冬には日が昇らない。一日中光の中か一日中闇の中、そんな日が一年の半分ほどを占める。バローから千キロほど南に下がったここアンカレッジでは、白夜こそ見られないが一年を通しての明るさと暗さにはやはり圧倒的な違いがある。夏には真夜中まで日が沈まないのに対し、冬には昼食を終えしばらくすると夕焼けが辺りを染め始める。夏は眩しさの中で外を駆け回り、冬は月明かりの中暖炉の?に温まる。日照時間は夏至を境に一日五分ずつ短くなっていくのだけれど、その規則正しさも九月に入るとまるで闇に向かって加速しているかのように感じる。冬へのカウントダウン、街には人々の決意のようなものが漂い始める。
 九月終わりになると朝食を用意する頃でもまだ暗い。朝からテーブルの上にキャンドルを灯してみる。湯気の上がるポリッジを口に運びながらまだ半分寝ぼけた顔をした子どもたちの頬を、窓の外から徐々に差し込む朝日が照らしていく。玄関を出ると芝生は霜で真っ白。車を走らせる前にはまずエンジンをかけ車窓の霜を解かす必要もある。日の光が空に満ちる頃になると、もうすぐ裸になるだろう木々が最後の輝きを放ち始める。頂にうっすらと雪をかぶった山々を背景に、辺り一面黄金色に。
 そんな秋の終わり、日本人の友人たちと「おはぎ」を作った。遠く離れた日本ではちょうどお彼岸の時期。一晩水につけた餅米を炊く。炊飯器の蓋を開けると目の前が真っ白。まるで朝玄関の扉を開けたときのように。餅米をボールに移し、どっどっ、どっどっ、と突く。一口で食べてしまうにはちょっと大きすぎるくらいに丸め、煮ておいた小豆で包んでいく。
 日本にいた時分は当たり前のように通り過ぎていた行事、こうして北の果てにいながら共に祝える友人たちの存在がありがたい。自分たちの手で行事の形を整えていくうちに、改めてその意味や由来は?などという興味も湧いてくる。お彼岸は日本だけの行事だと聞く。梵語『波羅蜜多』の訳『到彼岸』を略した言葉を元にしていて、仏教の世界では『彼岸=あちら側』即ち『悟りの境地』に到ることを見つめ直す日ともされているという。昼と夜がちょうど半分になる時期、光と闇とが半分となり彼岸へ至るにはちょうどよい時期だとされてきたようだ。
 学校から戻りおはぎを頬張る子どもたちにそんなお彼岸についての説明をしてみる。
「あちら側に着くと、もう悩みや苦しみや悲しみなんかもなくなるって考えられててね」
「ふ〜ん。今日がそのあっち側に行きやすい日ってこと?」
「あちら側を思い出すのに最適な日ということみたいだね。でもこの日だけあの日だけとか、ここだけあそこだけとかいうのではなくてね、あちら側っていうのは実は一人一人の内にいつだってあるものなのかもしれないね」
「ふ〜ん。何だか分かるような分からないような」
「こうやっておはぎみたいに手にとって触って、というような話じゃないものね」
「そっか。おはぎおいしいね」
「あちら側はあの世でもあると考えられててね。おはぎはあの世に一番近いとされるお彼岸の日に先祖にお供えするためとされてきたのよ」
「先祖? 僕たちの先祖は世界中に散らばってるね」
「人のDNAをたどっていくと元はひとつと言われているよね。枝分かれした先にママやあなたたちがいるんだろうね」
「元をたどると皆同じなのかな、大きな木の幹みたいに」
「そうね、あちら側で皆ひとつになっているのかもしれないね」
 白い正方形の皿におはぎを並べ、窓のそばにそっと置いてみる。そして西の空に浮かぶ太陽のその赤さにはっと息を呑む。人々が真西に沈む太陽を見、遙か彼方の浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりだったという。黄金色だった葉は夕陽に照らされ今は赤みがかったオレンジ色に。闇の広がりつつある空を見上げると、一番星が輝いていた。


アラスカの写真満載! マチカさんのHP↓ 

http://blog.goo.ne.jp/nmachika/c/79220ec91589f5da5a40980d388a46f6


★編集後記
・最近は、日常生活やさまざまな関係性の中において、「無心」であることの大切さを感じています。けれども「無心」とは、最初からあるものではなく、葛藤を受け入れ、落としてゆくプロセスの中でこそ実現するものだと思います。それは固定的なものではなく、絶え間ざる創造行為なのです。MUGA第3号いかがだったでしょうか。「無我」を実現する試行錯誤、プロセスを感じていただけたら幸いです。(那智)




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