ジャーナリズム

ゲンさんの新聞業界裏話

新聞拡張員ゲンさんが、悪質な勧誘員から身を守る方法、営業理念や人生勉強に役立つ情報、新聞業界の裏話などを語りかけます。全編関西弁で語られているゲンさんの軽妙で面白く、含蓄の深い世界をお楽しみください。


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第480回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■太平洋戦争の記憶 その1 撃沈された、ある輸送船生還者の証言

2017/08/18

■太平洋戦争の記憶 その1 撃沈された、ある輸送船生還者の証言


8月15日は「終戦記念日」。

それくらいのことは、すべての日本人が常識として知っているはずやとばかり
思うていたが、必ずしも、そうではないのやないかと考えさせられる報道があ
った。

NHKが終戦の日に関して「全国の18歳と19歳を対象に行った世論調査」
というのが、それや。

……………………………………………………………………………………………

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170809/k10011094771000.html   より引


終戦の日 14%が「知らない」 18歳と19歳世論調査


今月15日の終戦の日を前に、NHKが全国の18歳と19歳を対象に行った
世論調査によりますと、日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」
と答えました。

専門家は「危機的な数字だ」としていて、若者の意識を社会や歴史に向けさせ
る教育の重要性を指摘しています。

NHKは、去年、選挙権年齢が引き下げられ18歳以上となったのを踏まえ、
平和に関する意識を探るための世論調査を行いました。

調査は、6月21日から先月25日にかけて、全国から無作為に抽出した18
歳と19歳、合わせて1200人を対象に郵送で実施し、42%にあたる50
3人から回答を得ました。

この中で、いま日本が平和だと思うか聞いたところ、「思う」が74%、「思
わない」が25%でした。「平和だと思う」と答えた人に、その理由を尋ねた
ところ、「戦争をしていないから」が50%、次いで、「治安が良いから」が
41%などとなっています。

「平和だと思わない」と答えた人に、理由を尋ねたところ、「戦争やテロに巻
き込まれる危険があるから」が58%、「貧富の格差が大きいから」が13%
などとなっています。

また、現在の世界の情勢から考えて、日本が戦争やテロに巻き込まれたり、他
の国から侵略を受けたりする危険性がどの程度あると思うか聞いたところ、
「非常に危険がある」が29%、「ある程度危険がある」が62%、「あまり
危険はない」が8%でした。

一方、戦争を実際に体験した人から直接、戦争に関する話を聞いたことがある
か尋ねたところ、「聞いたことがある」が76%、「聞いたことはない」が2
4%でした。

そして、日本が終戦を迎えた日を知っているか聞いたところ、「知っている」
が86%、「知らない」が14%でした。

さらに、広島と長崎に原爆が投下されたことを知っているか尋ねたところ、
「知っている」が99%でした。日本が核兵器を保有してもよいと思うか尋ね
たところ、「保有してもよい」が14%、「保有すべきではない」が86%で
した。

終戦を迎えた日を14%が「知らない」と答えたことについて、長年、高校の
現場で社会科の教師を務めた経験を持つ、明治大学の藤井剛・特任教授は、

「危機的な数字だと思う。中学高校の歴史の授業が戦争まで行かないことが多
く、必然的に8月15日が終戦の日だと知らないことが多くなっている。若者
たちのニュースソースが携帯電話などになると、8月15日が終戦の日という
のが表示されていてもクリックしなかったら意識できない。こうした若者たち
がますます増えていくことは、容易に想像がつく。若者たちの意識を社会や歴
史に向けさせる必要があり、そのためにも学校現場の教育が大事になる」と話
しています。

……………………………………………………………………………………………

と。

18歳と19歳の人たちの中に『日本が終戦を迎えた日について、14%が
「知らない」』と答えたことに関して『専門家は「危機的な数字だ」』と言う
てるが、よくよく考えれば、そうであってもおかしな話やないという気がする。

今年で太平洋戦争が終わって72年。18歳と19歳の人たちにとっては53、
4年も前の出来事ということになる。

彼らの親御さんたちでさえ、40代、50代が大半を占めとるさかい、生まれ
た時から20数年も経っている。

ワシとハカセは、その10年ほど前に生まれとったということもあり、あちこ
ちに、まだ戦争の痕跡、爪痕が色濃く残っている場所が数多くあった。

空襲で爆撃され、天井が焼け落ち、廃墟化した工場跡や米軍の戦闘機による機
銃掃射の跡が生々しく残っているビルのコンクリート壁などが、あちこちで見
かけられた。

建築工事現場から不発弾が見つかったてな話は、それこそ日常茶飯事で新聞や
テレビで、ひっきりなしに報道されてたもんや。

もっとも、ワシらより年下の『18歳と19歳の人たち』の親御さんたちも、
それぞれの親御さんから多少なりとも戦時中の話を聞かされて育っているやろ
うから、戦争がまだ身近な存在やったと認識していたものと考えられる。

少なくとも「終戦記念日」を知らんような日本人は、その頃までは皆無やった
はずや。

それには、新聞やテレビで、この時期になると毎年のように終戦に因んだ記事
や番組が数多く報道、放送されるさかい、忘れ去られることがなかったという
ことが大きい。

ただ、その親御さんたちの親、つまり『18歳と19歳の人たち』にとっての
祖父母たちとは、現代社会特有の「核家族化」によって同居しているケースが
少なくなったということもあり、戦争の体験談を直接聞く機会に恵まれなかっ
たやろうと思う。

加えて、現在、新聞は言うまでもなくテレビに至っても若い人たちが、あまり
見なくなっているということもあって、「終戦記念日」に関する報道にも触れ
にくくなっている。

今の若者たちはスマホやPCによるネットからの情報を得るのが主やさかい、
例えスマホやPCに『8月15日が終戦の日というのが表示されていてもクリ
ックしなかったら意識できない』ということになるのやと思う。

その結果、『日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」』という
ことになっているのやと思われる。

とはいえ、『日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」』という
ことは、86%の若者は「終戦記念日」を知っているわけやから、今はまだ
『危機的な状況』とまでは言えんのやないかとは思うがな。

まだ、十分救いはあると。

そんなことを考えていた「終戦記念日」が近くなったある日、常連の読者の方
から、

……………………………………………………………………………………………

今年も戦没者を偲ぶ季節がやってまいりました。

古い拡張員の中には、空襲・疎開・勤労動員等で戦争を経験された方も居られ
ると思います。

実際に軍人・軍属として戦地に派遣された方も居られる事でしょう。

もしゲンさんが、そのような方々から戦争に纏わる話を伺っておられるのなら
ば、この場にて書き記してください。

……………………………………………………………………………………………

というメールが届いた。

『古い拡張員』もそうやが、ワシらは仕事柄、日々無数の人と接する機会が多
いため、当然のように『空襲・疎開・勤労動員等で戦争を経験された方』や
『実際に軍人・軍属として戦地に派遣された方』も数多くおられ、その方たち
から、それこそ山のように体験談を訊いている。

今までは新聞やテレビ、関連の無数の書籍があるため、わざわざワシらが、そ
の伝聞を披露する必要もないやろうと思うていたが、『日本が終戦を迎えた日
について、14%が「知らない」』ということを知って、そういうわけにはい
かんのかも知れんなという気にはなっている。

今後も、その傾向が加速する可能性が高いさかいな。

意外に思われるかも知れんが、ワシらのサイトやメルマガには若い読者のファ
ンが結構おられる。

その入り口は、どこかの新聞勧誘員と揉めたことで、その対策を知りたいから
というのが大半のようやが、キッカケはどうであれ、その若い人たちの多くが、
ワシらのサイトやメルマガを読んで頂いているという事実は無視できんと思う。

新聞やテレビ離れをしている若い人であってもワシらのサイトやメルマガを見
る可能性があるのなら、それを活かすべきかも知れんしな。

ただ、いくら『もしゲンさんが、そのような方々から戦争に纏わる話を伺って
おられるのならば、この場にて書き記してください』と言われても、多すぎて
そのすべてを語り尽くすのは、とても無理や。

そこで、ここでは、ワシらが実際に訊いて知り得た最も印象的な話をしたいと
思う。

……………………………………………………………………………………………

1943年(昭和18年)12月5日。東洋汽船の大型輸送船、総洋丸は、同
じく大型輸送船、秋葉山丸と船団を組み、フィリピンのトラック島を出発した。

サイパン経由で横須賀港に向けて航行中、7日の午後2時頃、アメリカ軍の潜
水艦から、突然、魚雷攻撃を受け轟音と共に船体が大きく揺れ、燃料の重油に
引火し、火災が発生したのである。

「右舷、機関室に敵潜水艦魚雷被弾! 火災発生! 消火を急げ!」

緊急事態を知らせるサイレン音が響き渡ると同時にマイクで怒号混じりの命令
が飛び交い、総洋丸の船内は騒然となった。 

結局、火災は8日の深夜午前1時30分頃になって、ようやく鎮火するものの、
同午前2時30分頃、執拗に追って来たアメリカ軍の潜水艦による2度目の魚
雷攻撃を受けた。

多数の魚雷が総洋丸を襲い、船体の前中後部の3ヶ所に被雷した。

「機関室、被害状況を知らせろ!」

船長のオガタが、そう怒鳴るも芳しい報告は届かなかった。

「船長!」
 
乗組員のマツシタが指示を仰いだ。しかし、船長のオガタが首を縦に振った。
このままでは沈没は免れないし、敵潜水艦を振り切ることもできない。

この場合に取れる方法は限られている。

「全速前進!」
 
このまま進めば浅瀬に突っ込む。浅瀬に突っ込めば座礁の危険は伴うが、敵潜
水艦を振り切れる可能性は高い。今はそれしか手がない。

案の定、敵潜水艦の船足が鈍った。潜水艦は浅瀬になるほど海底から伸びてい
る岩礁が邪魔をしてスピードが出せないのである。逃げ切れる。

そう思った次の瞬間、またもや爆音と共に船体が大きく揺れた。

「左後部被弾。浸水あり」
 
艦橋の司令室に、そう報告が上がった。
 
その司令室に参謀本部の大佐だという人物が、部下を伴って入って来た。

戦時中、船舶の大半は軍の支配下にあり、総洋丸のような民間の大型輸送船に
も軍の高官が責任者として乗船しているのが普通だった。

ちなみに、幹部乗組員たちも立場に応じてそれぞれ海軍の階位を与えられてい
た。それもあり、船内は軍の規律に縛られていたのである。

そして、軍の責任者として乗り込んでいた大佐には絶大な権限が与えられてい
た。むろん、船長以上である。

「状況は?」

大佐が、そう訊いた。

「あまり芳しくありません。この場は浅瀬を利用して何とか逃げ切れたとして
も、このままだと、いずれ……」
 
船長のオガタが、「撃沈する」という言葉を呑み込み、そう答えた。

約2時間後、総洋丸は沈没し、乗組員の大半が死亡した。マツシタも海に投げ
出され死を覚悟したが、近くを航行していた漁船に運良く助けられ生還を果た
したという。

ただ、この時の出来事は、時化のために転覆した海難事故として公式に発表さ
れている。実際、その記録は今も残っている。

その後、総洋丸の生き残りだったマツシタたちは軍と会社から、その真実の口
外は固く禁じられていたということや。

……………………………………………………………………………………………

軍と会社から口止めされたことに関しては、当時の日本では「大本営発表」に
より戦勝気分が国内に蔓延していたため、例え輸送船であっても敵に沈められ
たという事実を伏せておきたかったのではないかとマツシタ氏は言っておられ
た。

しかし、それだけではないとハカセは言う。

ハカセは、戦時中を題材にした小説を書いたことがあって、その当時の状況を
事細かに調べていた。

日本人の多くは戦後、戦争は日本の軍部の暴走が原因だと信じてきた。もちろ
ん、それも否定できんが、アメリカを中心とした欧米諸国が、日本を戦争に追
い込んでいったという側面があったのも、また事実や。

日本とアメリカの関係が悪化し始めたのは1919年頃からだと言われている。
その年の2月13日に開催されたパリ講和会議、国際連盟委員会において、日
本代表が「人種的差別撤廃提案」を行ったことがキッカケだと。

国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は世界中で日本が最初だっ
た。それは、当時のアメリカを中心とした欧米社会には「人種差別」、「奴隷
制度」が公然と行われていたため、日本が、それらの国々を公の場で糾弾した
形になったわけである。
 
日本がそうした背景の一つには当時、アメリカやカナダで問題になっていた日
系移民排斥の機運があったからだと言われている。

「人種的差別撤廃提案」は参加国の過半数を超える国々の賛成が得られたもの
の、当時のアメリカ大統領トーマス・ウッドロウ・ウィルソンが全会一致での
賛成による採択を強硬に主張したため結果的に否決されてしまった。
 
アメリカは、この一件で日本を仮想敵国と見なすようになり、1924年7月
1日には、アメリカ合衆国でジョンソン=リード法が施行された。

日本人移民のみを排除した法律ではないとアメリカは主張していたが、アジア
系の移民を禁止する条項が設けられたことにより、当時アジアからの移民の大
半を占めていた日本人が排除されるようになったのは確かである。

そのため日本国内では、このジョンソン=リード法を「排日移民法」と呼んで
いた。この頃から次第に、日本でも反米感情が高まり始めた。

その後、アメリカはイギリスを抱き込んで日英同盟を破棄させ、日本を追い込
む戦略を開始したのである。

1929年10月にアメリカを起点とする世界恐慌が起き、その翌年には日本
に波及し、生糸などの価格暴落から金融恐慌を招くことになり、多くの日本国
民が貧困に喘いだ。

当然のように日本はアメリカを恨みに思い、反米感情が一段と高まっていった
のである。そして、お互いの溝は、さらに拡がることになった。

それにつれて、日本の国内事情も変わっていくことになる。

1935年2月19日。天皇機関説事件というのが起きた。

天皇機関説とは、当時の大日本帝国憲法下で確立された憲法学説で、統治権は
法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として統治権を行使すると説いたも
のや。

統治は国家主権、国家意思最高決定権は天皇にあると唱えるものだった。
 
わかりやすく言えば、政治は議会の方針で進められるが、最終的な判断が必要
な場合は天皇が決定できるということである。

つまり、完全なる君主独裁政治ではないという考えが、その根底にあったわけ
や。その説は、1900年代初頭から1935年頃までの30年以上に渡り、
憲法学の通説とされてきた。昭和天皇もそれを認められていたのである。
 
しかし、2月19日の貴族院本会議において菊池武夫議員が、天皇機関説は国
家に対する緩慢なる謀叛だと演説したことから状況が大きく変わった。

この演説以降、軍部や右翼による機関説排撃運動(国体明徴運動)が始まった
とされている。

天皇を主権者とすることで、当時の政治団体や軍部、右翼たちは権力を手に入
れられると考えたのである。実際にも、そうなった。

古から天皇は時の権力者によって都合良く操られてきたという歴史がある。例
えそうではなくても「天皇が決めた事」だと言えば、多くの日本人は逆らえな
いからだ。
 
本当に天皇の一存で政治が決められていたのなら、まだ良かったが、不幸なこ
とに天皇を利用する輩は、いつの時代も悪辣な者たちだと相場が決まっている。

天皇が主権者だというのが悪いのではなく、それを利用しようとする人間がい
ることが悪いのだとハカセは言う。

そして、そういう人間の台頭を抑えるのは過去の歴史を紐解いても不可能に近
いと。

アメリカと日本が戦争になるのは関係の悪化もさることながら、国体明徴運動
の影響も大きかったと言える。
 
事実、日本は、この時を堺に一気に戦争への道を突き進むことになる。自由な
言論が封殺され、軍国主義化がより強固なものとなっていった。 

1937年7月7日、日中戦争(支那事変)が勃発したことによって、日本は
一気に第二次世界大戦(太平洋戦争)へと突入していくことになる。
 
日本が中国本土へ勢力を伸ばしていくことに憂慮した英米仏が揃って警告を発
するが、効果がなかった。

直後、アメリカが航空機用燃料や鉄鋼資源の対日輸出制限などをしたことによ
り、関係の悪化が決定的になった。

英米仏に対抗するため日本は1940年、ドイツ、イタリアと日独伊三国軍事
同盟を締結した。
 
その後、数度にわたる日米交渉も難航し、アメリカは1941年11月26日、
ハル・ノートを日本側に提出した。

その内容は中国からの即時撤退しろという、当時の日本政府にとっては無条件
降伏に等しい受け容れ難いものだった。日本政府はそれを最後通告だと受け止
めた。
 
日本はその年の12月1日の御前会議で日米交渉の打ち切りと日米開戦を決定
した。

同時に択捉島からハワイ真珠湾へ向けて出撃していた大日本帝国海軍連合艦隊
に12月8日の戦闘行動開始命令が伝えられた。世に言う「真珠湾攻撃」であ
る。

太平洋戦争開戦後、最初の1年半は日本の快進撃が続いていたが、1943年
(昭和18年)6月5日から7日にかけてのミッドウェー沖の海戦で日本の空
母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍が失われるという初めてとも言える手痛い敗北を
喫した頃から、急速に戦局が悪化していった。

その頃から、アメリカは潜水艦を大量に生産し、続々と太平洋に投入し始めた。

狙いは日本の輸送船だった。目的は日本を兵糧攻めにし、資源や食糧などの流
入を遮断するためだ。昔から行われている最も効果的な戦法である。
 
実際、南洋の大半で制空権、制海権を失ったことで無防備な状態になったため、
アメリカ潜水艦の魚雷攻撃で日本の輸送船が次々に沈められたのである。

今回紹介した体験談も、その頃の話である。

それによって、日本国内は危機的な物資不足状態に陥っていった。

南方の占領地から米が届かなくなったために、政府は米に代わって「芋」を主
食にするよう国民に命じたほどだった。
 
すでに日本は開戦前から、米、味噌、醤油、塩、マッチ、木炭、砂糖などの1
0品目に対して切符制度(配給制度)を実施していたため、一般国民の生活は
困窮を極めていた。

昭和17年4月からは米の配給が大人について1日二合三勺(約330グラム)
と決められた。茶碗2杯程度の量である。

それが輸送船の減少により、さらに減らされ「芋」を食えとなったわけだ。
 
そこまでの状態になっているのだから戦争に勝っているはずなどないと考える
のが普通だが、政府や軍はそれすら国民を鼓舞するための動機付けに使った。

「戦争に勝つためには全国民一丸となって、この苦境を乗り切らなくてはなら
ない。兵士は敵と銃火を交え命をかけて戦っている。国民はその支援をするた
めに我慢しなければならない」と。
 
有名な「勝つまでは欲しがりません」というやつだ。さらに国民の鼓舞を高め
るために、ありもしない戦果を新聞で報道させて、日本が勝っていると信じ込
ませていたのである。

その戦果は国民の我慢の上に成り立っていると思わせるために。それが「大本
営発表」の真の狙いだった。

そのため、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没したにも関わらず、時化
のために転覆した海難事故として公式に発表されたのである。その事実を知る
生き残りの乗り組員たちの口を封じて。
 
輸送船が減少した影響は食糧の配給だけでは済まなかった。そもそも日本軍が
東南アジアに侵攻したのは、南方の豊かな資源を手に入れるためだった。

広大な国土を有し、豊富な物資を持つアメリカと戦争する以上、南方の資源を
確保しておくことが絶対の命題だった。

日本政府、および軍の上層部もそれでないとアメリカには勝てないことを知っ
ていたからだ。

当時の政府高官や軍の有力者たちは、国民に「芋」を食えと言っておきながら、
毎晩のように高級料理を食らい、酒を飲み女遊びに耽っていたのである。しか
も、自分たちだけは絶対安全な所に身を置いて。
 
戦争で犠牲になるのは、いつの時代でも一般市民と下級兵士たちだと相場が決
まっている。

それでも戦争に勝つか、それに近い状態で和平が成立すれば、まだ救われたか
も知れないが、そうはならなかった。

資源不足は食料だけではなく鉄鉱石や石炭といった軍需工場で必要な原材料の
供給にまで深刻な影響を及ぼすようになっていた。

戦艦や航空機などの兵器や武器弾薬の増産ができなくなった。作る材料が届か
ないのだから当然である。

武器がなければ戦えない。日本は負けるべくして負けたのである。

何でもそうやが、怖いのは、その出来事が忘れ去られた時やと思う。人は哀し
いかな、悲惨な状況に遭遇しなければ分からないことが多い。

阪神大震災や東日本大震災が、そうであるように、その悲惨な状況に出会した
人間、またそれを見聞した人間の責任として、後世に役立つ教訓を残していか
なあかんと思う。

現在でも、中東などの戦争行為やテロ行為のニュースは伝わってくるが、実際
の惨状はテレビなどで見る映像の数十倍は悲惨なものやと思う。放送倫理とか
で放映できんだけの話でな。

多くの日本人は、それらの悲惨な戦争を対岸の火事くらいにしか考えてないよ
うやが、このまま戦争の記憶が薄らいだ若い人たちを中心とした戦争を是認す
る風潮が強くなれば、日本がその渦に巻き込まれる日も、そう遠くはないやろ
うと思う。

そうなってからでは遅い。

戦争当事者に正義などない。どちらがということではなく戦争に関わった指導
者のすべてが悪いのは明白や。

しかし、戦争とは勝利した側が「正義」となって君臨し、敗者は常に「悪」と
して裁かれる運命にある。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」というのは、いつの時代にも当て嵌まることや
と思う。

そして、戦争は悲惨な結果しか招かない。多くの人が死に傷つき、心を病む。

当然やが、そんな戦争はない方がええ。

そのためには、この日本で戦争があって多くの人たちが悲惨な状況に陥ったと
いう事実は、けっして忘れてはいけない。

確かに、今の若い人たちにとって「太平洋戦争」は、単なる歴史かも知れんが、
その歴史は、遠い過去の出来事とは違う。

その戦争の記憶をなくさないようにするためにも、これから、毎年、この時期
に、ワシらが今まで訊いた体験話をシリーズ化して話していきたいと思う。


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