トップ > ニュース&情報 > 国際情勢 > 「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」

陸上自衛隊が初めて海外派遣されたカンボディアからイラク復興支援まで、海外に赴いた隊員数十人を直接取材し、彼らが現地で何を体験し、どうやって任務を遂行してきたのか、その実際を聞き書きしたものです。
派遣先での「異文化との出会い」に悩み、戸惑いながら、事態をどう解決してきたのか?知られざる自衛官の活躍を等身大で紹介します。

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陸軍史あちらこちら(141) 荒木肇 『戦車と日本人(31)番外編「陸軍97式戦闘機」(2)』

発行日:12/7

□はじめに

 ノモンハン事件は、陸軍が「空地一体」の作戦として取り組んだものでした。着々と勢力を増強し、国民生活を犠牲にして近代化に取り組むスターリン政権。その個性から膨張主義をとる独裁者スターリン、その強引な性格に恐怖をおぼえていたのはわが国だけではありません。当時の満洲の防衛、警備の責任者だった関東軍の緊張感は、現在からはなかなか測り知れないものだったでしょう。

 日本陸軍中央は対ソ連戦を、最終的には昭和17年度以降と判断し、それに間に合うように装備体系、教育訓練計画を立てていました。97式、99式といわれる各種の装備がそれでした。「航空優先、地上絶対」という奇妙なスローガンがありました。
 航空勢力は重要である。何をいっても航空戦備を優先しよう。さらには海軍航空と手を結んで「空軍」として独立しようではないか。そんな声が、陸海航空の中堅将校たちから出たほどです。とはいえ、陸海航空の連携は不十分であり、空軍独立もできませんでした。それでも、開発経費や兵力増強には「地上絶対」といわれながら、優先的なあつかいもされていました。

 97式やその前後の航空機群には、対ソ連戦用の陸軍航空隊の特質がよく表れています。大東亜戦争は、そうした基本的計画がすべてご破算になったところから始まったのです。
 97式といわれた航空機には、戦闘機(キ27)、司令部偵察機(キ15)、重爆撃機(キ21)、軽爆撃機(キ30)、輸送機(キ34)の各機種がありました。また、翌年制定になるのは98式軽爆撃機(キ32)、同直協偵察機(キ36)、その次の年の99式双発軽爆(キ32)、同襲撃機・軍偵察機(キ51)などがあげられます。また、100式までも入れれば、重爆(キ49)、司令部偵察機(キ46)、輸送機(キ57)などがあり、ほとんどが昭和12(1937)年から13(1938)年にかけての計画でした。

 それらはどんな思想のもとに開発、生産されてきたのか。戦車という国家技術の最先端を考えるとき、同じく、航空技術や装備の思想を考えてみよう。それが、この番外編のねらいです。

□好著のご紹介『坂の上の雲 5つの疑問』(ゲームジャーナル編 並木書房)12月の新刊

 『司馬遼太郎を読んで育った』と、著者たちのあとがきにありました。そして、司馬さんの描く歴史が、『歴史そのものと思った』とも書いてあります。その筆者たちが、傑作『坂の上の雲』にまつわる疑問、「ほんとうに史実通りだったのか」を5つにしぼって書きこみました。第1は「旅順要塞戦」、2番目は「日本海海戦」、以下「秋山兄弟伝」、「児玉源太郎」、「奉天大会戦」という中味です。いずれも、当時の文書や回想記などを丹念に捜査し、司馬氏の作家的手腕を敬しつつ、的確な批判を加えています。

 楽しく読みやすいのはふんだんに用意されたコラムです。悪玉扱いの伊地知幸介第3軍参謀長の実像や、解任された将軍たちのエピソードなどが満載。どこから読んでも楽しい本です。とりわけ興味深かったのは、『書かれなかった結末』のシリーズでした。ぜひ、戦争という事実を正確に学びたい方におすすめです。


▼大正末ころの夜間飛行訓練とエンジン

 前回は丁式爆撃機の話を出した。関係者の懐旧談を読むと、いろいろ面白い。たぶんと、小川小二郎はいうが、『夜間飛行はたしか大正11(1922)年頃だった』。珍談・奇談ばかりだったそうで、『はじめての夜間飛行に離陸して、すぐに着陸してきた練習生があった』。事情を聞いてみると、発動機が燃えております!という。夜間飛行で、真っ暗の中、排気管からハデに火炎が出るのを見てびっくり。あわてて着陸してきたという。地上運転でも排気炎は見えるはずだろうと大笑いになった。

 このころのエンジンはまさに軽量、低出力だった。詳しくない方もおられると思うので、エンジンの話をしよう。わたしも昔、大学の先輩でもある黒田光彦氏から教わった。

 まず、日本陸軍最初の初飛行は、1910(明治43)年12月19日に代々木練兵場で行われた。今のNHK本社があるあたりである。つまり、原宿駅にも近い。私の父が中学生のころには、軍事教練でけっこう出かけたらしい。泥だらけの教練服に銃をになって、銃剣をさげ、山手線に乗ったという。

 飛んだ機体は、アンリ・ファルマン。パイロットは徳川好敏大尉、同日、日野大尉もドイツ製のグラーデという機体で空を飛んだ。どちらが最初かはいろいろな説があるらしい。このファルマン機のエンジンはグローム・ル・ローンのロータリーだった。言葉は同じでも、マツダ(東洋工業)のシリンダーをなくしたロータリーエンジンとはだいぶちがう。エンジンのクランクシャフトが機体に固定されていて、エンジンとプロペラが一体で回るメカニズムである。われわれの考える空冷星型とは、まったく逆だった。

 なお、星型エンジンとは、プロペラ飛行機のプラモデルをつくった方にはすぐわかるだろう。真ん中にプロペラのシャフト(軸)があり、そこから放射状にシリンダー(気筒)が取り付けられているものをいう。液冷式エンジンはふつう縦にシリンダーがおかれる。だから、細長く、正面からシリンダーが見られることはない。英国のスピットファイアや、ドイツのメッサーシュミット、主に欧州空軍が採用していた。対して、わが国のゼロ戦(零式艦上戦闘機)や陸軍1式戦闘機などは空冷星型である。

 わが国にも液冷式エンジンの航空機がなかったわけではない。陸軍では3式戦闘機(キ61)や、海軍の「彗星」艦上爆撃機などは、野心的な設計のもとに液冷式エンジンを積んだものだ。

 スミソニアン協会(半官半民のアメリカの研究団体)の研究者、サミュエル・ラングレーのつくった飛行機も、職人マンリーのつくったロータリーをのせていた。そのエンジンは、見たことはないが、一説に5気筒、星型の回転エンジンだった。冷却はしない。30馬力は出たというからライト兄弟のエンジン(直列4気筒水冷)より高出力だった。

 なんでそんなエンジン自体が回るようなものをつくったかというと、1つはガソリンエンジン、とくに4サイクル機関の性質である。この4サイクルというのも説明しておく。吸気・圧縮・爆発・排気の4つの行程を、ピストンの2往復で完了する形式をいう。

 出力を発揮する2分の1回転の工程に対して、1回転半のエネルギーをまかなうためには、巨大なフライホイール(はずみ車)が必要だったからだ。その回転質量をエンジンそのものにやらせようと考えたのだ。もっとも、後に、航空エンジンはフライホイールの代わりをプロペラがするから、特に考えなくてもよいことが分かった。

 2番目の理由は、ピストンは往復運動をする。その不平衡力と、不平衡トルクといっしょに出る振動をさけようとした。ピストン、クランクシャフト、コネクチング・ロッドなど、エンジン本体に対して、動く部分を、エンジンの主運動部分と呼んでいる。これらはそれぞれ、上下左右、勝手な方向に動く。だから、エンジンとはもともと派手に振動をするものなのだ。

 星形にエンジンをつくるとコネクチング・ロッドが大きなクランクシャフトの一点に集中する。だから振動をへらすための平衡おもりはずいぶん大きくなる。しかも、振動は必ず残ってしまう。もしも、それを回転式にすると、エンジンの本体には不平衡質量はどこにもないから完全にバランスの取れたマシンになる。しかも、エンジン固定式の場合に絶対に必要になる大きな固定おもりも要らなくなる。軽くなるのだ。

▼空冷星型回転式のよくなかったところ

 回る部分には遠心力がかかる。そこで運動部分であるシリンダーの吸排気弁には平衡おもりを取りつけることになる。潤滑用のオイルも外側に飛ばされる。クランクケースで集められないから、外に漏れっぱなしである。だから、エンジンの上部にはカバーが付けられているが、あれは後の空気の流れをよくするためのカウリングではない。油の飛沫をよけるためのものだった。第1次大戦の記録映画で、パイロットがゴーグルの部分だけが白い顔を見せる。あれは日焼けではなかったんだ、そう知ったのは父から聞いたからである。

 クランクシャフトやコネクチング・ロッドの軸受けは焼きつきを防ぐためにボールベアリングにする。だから、ガソリンと空気のまざった燃料は、中空になっているクランクシャフトの機体取りつけ部から吸いこむ。この混合気はクランクケースを通って、ピストンのてっぺんにある吸気弁から、やっとシリンダーに入る。

 こんな長旅をするものだから、ガソリンの粒子はあっちこっちにへばりついて、適正な混合比にはなりにくかったという。だから、かなり濃度の高いものだった。そうなると、昔のクルマやバイクを知っている人には分かりやすいが、点火プラグのカブリである。つまり、ガソリンによって火花を出すスパーク・プラグの先っぽが濡れてしまう。急に気化器を絞ると、何が起きるか。不整発火になって、エンジンはボッボッボッと、息をつくと私たちは言ったが、しまいにはストップする。

 第1次大戦の航空映画を見ると、それがうまく再現されているな〜と感心することがある。回転式エンジンを積んだ航空機の着陸の場面。ちょっと吹かしてブーッ、プロペラが空転するパラパラ、またちょっとスイッチを入れてブー、そしてパラパラという音をたてて降りてくる戦闘機。ううむ、やっぱり航空映画は欧米ものにかぎる……などと感じてしまう。

 潤滑用のオイルといったが、ロータリー式ではひまし油だった。ガソリンとあまり混じらないからだそうだ。問題は、この油、数時間で固まってしまう。だから、しょっちゅう、エンジンはオーバーホールに出されていた。このエンジン形式の代表選手が、わが国の輸入機に多くついていたグノーム・ル・ローン・エンジンである。

▼甲式3型戦闘機(ニューポール27)

 甲式とはニューポールのことである。乙式はサルムソン、丙式がスパッド、丁式は前に述べたファルマン、戊式とはコードロンのことをさした。己式はアンリオ。戊式は前回登場した丁式爆撃機が到着する前に買い入れた練習用の双発機である。たぶん、双発で、しかも欧州では最新型である。おそらく操縱が難しいだろう。練習用に買っておけと導入が認められた。ただ、実際には丁式のコントロールは簡単で、戊式はあまり使われなかったという。現在の財務省主導の予算執行ではとても認められないに違いない。

 甲式ニューポール戦闘機は世界大戦でフォッカーE3を圧倒したフランス製。なにぶん軽かった。フォッカーの630キログラムに対して、初期型の11型でたった480キロしかなかった。後期型の17型でも560キロしかなく、110馬力の回転式エンジンを積んだ。これ(27型)をライセンス生産し、ル・ローンのロータリーエンジン120馬力は、東京瓦斯(ガス)電気工業でつくった。

 フォール教育団が操縱教育に使ったのが、ニューポール81E2型、これを1型といった。つづいて2型、3型と用意されていた。1型は「80馬力23平方メートル複座」であり、2型は「80馬力18平方メートル複座」、3型は「80馬力15平方メートル単座」の練習機型と、「120馬力15平方メートル単座」の戦闘機型があった。エンジンの出力、主翼の面積、座席数の順である。

 練習生は、まず1型に乗せられた。複座だから教官が同乗する。『これはなかなかクセのある飛行機だった。これを乗りこなせれば他のたいていの飛行機はだいじょうぶということになるが(今川一策氏談)』。えっと驚かれないだろうか。今の発想の逆じゃないかと、つっこみたくなる。まず、易しい機体から乗せて、だんだんと順を追って難しくするというのがふつうだろう。

 『なかなか単独飛行までいかずに落第してしまう練習生も多かった』(前同)。この思い出を語る今川氏は陸士28期生、騎兵少尉から機関学生、操縱学生の課程をおえた生粋の戦闘機乗りだった。のちに戦隊長、飛行団長などを歴任、航空審査部飛行実験隊長などの経歴もあり、終戦時には陸軍少将。

▼甲式のむずかしさ

 『クセの第一は離陸の時に首をふるクセで、まず右へ、それから左へと首をふるのにうまく方向舵を踏みかえて対処しなくてはならない(今川氏談)』
 飛行機の操縦装置の説明が要るだろう。操縦稈(そうじゅうかん)というよりスティックという方がいい。金属でできた一本の棒で、前後に動かすと水平尾翼についている昇降舵(エレベーター)が動く。左右にふれば、翼についている補助翼(エルロン)が動いて、機体を左右にかたむける。足はフットペダルにのせておいて、機首を右にふりたければ、右足をふみこむ。垂直尾翼についている方向舵(ラダー)がこれで動く。

 首をふるというのは、進行方向が勝手に変えられてしまうということである。プロペラが回転トルクを発生するから、当然、エンジン付きの重い機首は曲がって行く。これをフットペダルで尾翼を動かしてまっすぐに進路を安定させようとする。踏みこみすぎれば、修正のためにもう一度反対に踏みなおす。

 難物はそれだけではない。着陸時である。『速度の落とし方が少々まずいと、接地してからクルクルッと回る、いわゆるグラウンド・ループをやる』。当時の今川大尉らは、その『クルクルバタバタ回って、片翼をついてひっくりかえる格好がニワトリに似ているので、ああ、またコケコッコーをやったといっていた』そうだ。

 初歩練習機としては、モ式(モリス・ファルマン機)やアンリオ式、のちの95式3型などと比べたら、非常に操縦がむずかしい機体だったらしい。回転式エンジンをつけた機体は多少なりともクビをふるクセがあったというが、甲式1型よりひどいものはなかったそうだ。

▼かんたんに通り過ぎた2型

 1型で飛べるようになると2型に進んだ。これは形式的なものだったらしい。訓練時間はとても短かった。1型は少ない人で100回、多い人で170〜180回くらい教官の同乗飛行を経験し、単独飛行にうつった。問題は、この2型は複座だが、複操縦装置がついていなかった。教官はただの同乗者にされてしまうのだ。これでは、恐ろしくて、なかなか教官が乗る気になれなかったらしい。だから、原則として単独飛行になった。座席には教官の代わりに砂嚢(さのう)がのせられた。
 『ヘタな学生は、砂嚢教官同乗といわれ、敬礼させられていた(笑)』

 そして、いよいよ晴れて単独飛行。3型への移行である。3型の80馬力で教えられるのは、いきなりアクロバシー(曲技飛行)である。大正の末期、飛行少年たちならぬ、陸軍航空青年たちは、何を悩み、何に苦労し、喜びを味わっていたか。次回以降にします。


▼お詫びとお知らせ

 年末になり、公私多用のおりから、しばらく休載の運びとさせてください。皆さま、いつもお励ましや、ご教示、ありがとうございます。KM様、イスパノスイザがスペインのスイスという意味とのこと。ありがとうございました。それでは、新年になりましたら、またお目にかかります。


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http://www.namiki-shobo.co.jp/

日本人の精神史の語り部、日本で唯一の宗教ジャーナリスト。「斎藤吉久の天皇学研究所」代表。著書に『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』など。

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