国際情勢

台湾は日本の生命線!

中国の軍拡目標はアジア太平洋での覇権確立。そしてその第一段階が台湾併呑。もし我が「不沈空母・台湾」が「中国の空母」と化せば日本は・・・。政府・媒体が敢て語らぬ生命線防衛の重要性を訴える。


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【メルマガ台湾は日本の生命線!】日本将兵の生命を守った高砂兵―終戦の日に思いを馳せたい台湾人兵士の奮戦(3)

2011/08/17

日本将兵の生命を守った高砂兵―終戦の日に思いを馳せたい台湾人兵士の奮戦(3)


ブログでは関連写真も↓
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1604.html

日本の軍人、軍属とし支那事変、大東亜戦争を戦った台湾人は二十万人を超え、そのうち三万人が戦死し、二万八千人が靖国神社に祀られている。しかしこの尊い史実を、いったいどれほどの国民が心に刻んでいるだろうか。

偏向教育や己の国史への無関心のため、台湾人がかつて同胞だったことすら知らない者、中国の政治宣伝に染まり、台湾人は中国人の一部だと思い込んでいる者に満ちる戦後社会を、日本国民の一員として日本の国のために散華した台湾人英霊はいかにご覧になるかを思えばただただ申し訳なく、そして日本の民族的道義心の退廃が嘆かわしい。

以下に台湾の軍人、軍属たちの奮闘の一端を伝える記録を掲載したい。モルッカ諸島のモロタイ(現インドネシア)で米軍の侵攻を迎え撃った第三十二師団の将兵たちの回想録「あゝモロタイー春島戦記」(モロタイ戦友会編)に収載されている高砂義勇隊に関する記事だ。

終戦の日に靖国神社を参拝し、あるいは遥拝する国民はぜひ、元同胞のまごころにも思いを馳せてほしい(なお、元同胞には朝鮮人も含まれる)。

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■マカン作戦における高砂兵    元二遊4中小隊長 山口勇三


高砂族と一口に言っても、種族によりそれぞれの特性を持ち、行動面でも異なったものがありました。

彼等は、常に蛮刀一つでなんでも細工した。はびこる蔓を伐開して前進した。又きわめて短時間に小屋を作り技術を持っており、おのおのが作業を分担し蛮刀一つで、物の見事に作り上げた。その技術は、日本人ではとても真似の出来ない芸当であった。お蔭で夜の寒気、スコールなどの雨水から、われわれは助けられた。

絶えず敵の追及を避けるために、棲息拠点を変えて移動しなければならなかったが、彼等は余り苦にもせず、簡単にやってのけた。このため敵襲の犠牲が殆どなかったことは、云うまでもない。拠点の移動は、大変な体力の消耗であった。芋の葉や藤の芯を常食としていた時でもあり、百瓩近い荷物を背負っての移動は、正に死の行進であった。こうした時に活躍して呉れたのが、山間僻地に居住していた、タイヤル族・プヌン族・パイワン族・ツオウ族の諸君で、前額部に縄を掛けて背負い、その強靭な脚腰と健脚に物をいわせて、黙々と搬送した。また私達の荷物も担いで呉れた。上官に対する思いやりには、心の底から感謝した。

蛮刀にもそれぞれ特徴があった。タイヤル族は、刀が反っており長かった。その他の種族は、真直ぐで刀巾が広かったり、狭かったりしていた。アミ族は平地蕃の関係で、早くから皇民化され学校教育を受けた者が多く、知識程度も高く理解力があった。他の種族に比し蛮刀の扱いや山地の行動は、些か劣っていたが、仕事の指図や頭脳的な機転を働かせ、種族間で起こる些細なトラブルをよくまとめ、団結と融和を図っていた。又水中に潜っての魚取りは、すぐれていた。

私共が生きて帰れた大きな要因は、彼等の狩猟のおかげであった。山豚の足跡を発見すると、その大きさやどの方向に逃げたが、何時頃通過したものか、大よその見当がつけられ、一旦狙ったらどこまでも追跡し、必ずと言って良い程射止めて来た。大きな豚を背負って笑みを浮かべながら帰って来る、嬉しそうな姿が目に浮かぶ。私の小隊は、特に豚射ちの名人が揃っていたので、最後まで肉は絶やさなかった。時には、燻製にしたり、腸詰めにしたりして保存食にした。本当に感心したことは、あの最悪の食糧事情下において、罠に掛った野鶏や、苦労の末射止めた山豚を、決して自分一人では口にしなかった。自分達よりも先づ私達に食べさせ、しかもこれを食べれば元気が出るとか、栄養があるとか、この部分が肉として一番美味しいから食べて下さいとか、私達が食べるのを見届けてから、お互いに平等に分け合って食べた。獲物を射止めた苦心談を、面白おかしく聞かせ、お互いの競争心をかきたてていた。

狩猟を得意としたのは、プヌン族であり、パイワン族・タイヤル族のようでした。ジャングル向きの生活能力を、生まれながらに持ち合わせていた彼等のお蔭で、私達は生命をながらえることが出来た。又極めて従順であったため、最後まで命令に服し、指揮系統が維持されたもの(ママ)、上官に対する心服が徹底しており、逆境にもよく耐え抜いて呉れた、高砂兵の日本人幹部に対する忠誠心のたまものであったと思う。

しかしながら、彼等に対しても逐次悪化した食糧事情で、栄養失調に起因する死亡者がかなり出ております。生活力旺盛な彼等が、万一単独で行動して居れば、恐らく中村輝夫君(ブログ註)同様に、よく生きながらえていたことでありましょう。

(註)アミ族の兵士で、モロタイ島に昭和四十九年まで潜伏していた。

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創刊日:2008-04-07  
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