経営

"成果給”・・・新戦略の核心か?ガン細胞か?

 日本の給与制度を席巻しつつある“成果給"!
 グローバリズムの下、導入不可避とされるこの制度の功罪を、報道される各社の人事問題等を題材に徹底検証してみたい。

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No.118  わが懺悔録・俳句篇ー戦中末期派の憂国句集ー

2018/11/21

はじめに
 冒頭から恥かしい話だが、筆者の句作は盗作から始まった。終戦二年後
新憲法発効日の五月三日に新たにスタートした新教育制度六・三・三制の
一期生で、校舎は借物だが教科書は新鮮で香り豊かな内容が新聞紙大の紙
に印刷され、各自で製本する状態で民主教育を開始した時代に遡る。
 世上「野球ばかりが巧くなり」と馬鹿にされる程、このスポーツに没入
した世代で、冬休みの宿題の提出期限が迫り窮した挙句、親父殿の机上の
罫紙に並ぶ句作から冒頭の三句を失敬、提出した。三句目は忘れたが二句
は「陽炎」の二文字を辞書で確かめた経緯から、未だに脳裡に鎮座する。
     渡船待つ   人影薄く   陽炎へり
     陽炎や   並べて干せし  問屋傘
 休み明けから半月ほど後の全校集会で、宿題だった書初めや絵画の秀作
の作者が発表され、その後突然、自分の名を呼ばれて仰天した。運の悪い
ことに校長の担当が国語であったため、作品のコメントで感に堪えぬ如く
「大河の畔で船を待つのどかな春先きの風景が眼に浮かぶようだ」と激賞
され、初めて「阿呆なことをした」己れ自身への強い自己嫌悪に襲われ、
当惑した。当時満12歳。自白する勇気がなく、頬被りを通した。
 二年後、人生初の競争試験を経て入学した?新制高校”で級友が校長の
子息と判り、多分背景を百も承知でコメントに込めたであろう「戒め」を
改めて痛感、新制度下の教育者の『優しい思い遣り』に心から感謝した。

俳句との邂逅 
 だが後日、何故俳句に手を出したのかを考えると、思い当たる背景はあ
った。犯行?の二年半前つまり終戦の年の7月上旬、既に戦局は敗色濃厚
で、守備隊の玉砕(全滅)で占領されたサイパンから飛来する米機B29の
空爆で全国の主要都市の大半が被害を蒙った。生産力の徹底破壊と国民の
厭戦気分醸成が狙いで、殊に東京空襲(3月)での多数の非戦闘員殺傷へ
の国際批判?に配慮したのか、四国では前日に爆撃実行を予告する下手な
日本語のビラを播き、県庁所在4市を連夜焼夷弾で攻撃した。
 隣接の徳島市の炎上で真昼のように明るい深夜、四歳の弟を背負い稲穂
が出始めた青田の中を約一里、父の教え子だった近隣の農家に避難した。
学校の全焼を確かめた兄からの「一升瓶が熔けていた」話と、翌日、焼け
出されて訪れた親戚の親娘のモンペ姿の "防空頭巾”の下から覗いていた
「煤で汚れた蒼白い顔」が忘れられない。
 海軍の航空基地があった筆者の郷里は「次回の襲撃必至」とみられたた
め、一家で祖父の郷里の吉野川畔の農村へ疎開を余儀なくされ、一カ月半
後に終戦を迎えた。快晴の夏の日の記憶は、陰々滅々で不明瞭だったラジ
オの敗戦の詔勅よりも、毎朝かなり離れた特攻中継基地(現・徳島空港)
を襲撃する艦載機グラマンの定期便(土佐湾遊弋中の米・機動部隊から)
が終った安堵感の思い出が、遥かに強い。米機は執拗・残忍で時折超満員
の通勤列車を長い鉄橋上で銃撃、学生に犠牲者が出た。母と共に食糧補充
のシジミ採りの最中、突如轟いた爆音と機銃弾が橋梁に当る甲高い音に、
文字通り肝を冷やしたこともあった。
 
 坂東太郎(利根川)、筑紫二郎(筑後川)と並んで四国三郎の異称を持
つこの大河は、古来屡々氾濫し下流に肥沃な三角州を形成。藩政(寛永・
徳島藩)の庇護の下三百年、この地で栽培された特産の『阿波藍』で産を
成し水害を避ける高い石垣の上の御殿さながらの豪農の屋敷が点在、彼ら
を中心に武士階級をも凌ぐ教養豊かな階層を生む土壌も提供していた。
 元来国・漢の教師だった父は、疎開後これらの知識人の末裔の旦那衆を
誘って、旧町内の旧家の初老で日本画にも長じる俳人を中心に、俳諧グル
ープを組成した。この師匠への謝礼にと農家から拠出される?闇米”三升
ー当時一人一日二合三勺の配給以外の米の売買は全面禁止、違反は警察の
臨検で即時没収ーを、高徳線・吉成駅頭まで運搬するのを手伝ったのが、
想えば筆者の『俳界』ヘの意図せざる「支援行動」的邂逅だった。
 だが間もなく、進駐米軍司令部が決定した「農地解放」政策で大地主が
消滅、「藍の句会」も終熄した。戦後の混乱、とりわけインフレ阻止のた
めの通貨改革の影響と食糧不足は深刻で、米や甘藷の調達は専ら物々交換
(衣類や書籍などと)が常態となり「筍生活」―竹は皮を落して生きるー
なる語が流行した。里芋数キロを得るため母が婚儀の際に着たという鶯色
の訪問着との別れを惜しむ姿を、兄と複雑な思いで見守った記憶がある。
  活字に飢えた国民学校の 5~6年時代が、戦後の書籍入手が至難だった
時期で、父の蔵書を漢籍の邦訳まで片ツ端 から乱読したが、後年ーと言っ
ても40年後だがー意外な場面で役立つた。

戦後教育の日々 
   長過ぎる記述となるが、筆者の人格形成と俳諧論の基盤となる風景なの
で、お許しいただきたい。
 高校一年の晩秋の雨の日、国語で即興の俳句作りの授業があり、真っ先
に「露光る 落ち葉の色や 雨静か」と片付けたところ「仲々旨いゾ!」
と褒められたが、中学の苦い思い出もあり格別嬉しくもなかった。
  前年の初秋体験した兄の早逝も、ショックだった。野球で鳴らした徳島
商業で野球部のマネージャーと新聞部(スコアラー)を兼任。藩政時代練
兵場だった「西の丸」球場での四国大会決勝で、期待の新チームが高知・
城東中の前田ー後の慶大監督ーの快投に完封負けを喫した後、大麻下ろし
と呼ばれる県境からの寒風を兄に庇われつつ、夕闇迫る吉野川の長い橋と
堤防の上を無言で帰った辛い思い出がある。このチームは翌春、戦後初の
センバツ大会で小倉中を破り優勝したが、兄はこれを見届け、卒業・就職
の直後から少年野球の普及に没頭中、過労による突然の死に見舞われた。
 だが臨終に立ち会い決意した筆者の医学志望は、高校三年の新緑六月に
来徳された隣県・香川出身の南原繁・元東大総長の講演を聴き一変する。
 
 朝鮮動乱を契機に激化した冷戦の最中で、政府は西側諸国を中心の対日
講和条約の締結(単独講和)で早期の国際社会への復帰を急いだが、南原
さんは?新生日本”の将来のためにも共産圏のソ連や新生中国を含む全て
の関係国が参加し、彼らからも祝福される『全面講和』が絶対に必要と強
く主張され、当時の吉田茂首相から『曲学阿世』( 学問の道理を歪め人気
を得ようと世俗におもねている)と非難された。南原さんは戦争責任を巡
り「昭和天皇の退位」論者だった。
 当日、「独立日本の将来」と題し、長期かつ国際的視点からその重要性
を説く気迫ほとばしる堂々の論陣が、講堂の窓まで鈴生りの聴衆を完全に
魅了した。明晰で選び抜かれた言葉が一語また一語、脳裡に「ズシン」と
響く感じで、葉書大の白いカードを片手に語る白髪で小柄な容姿が、時折
仁王さながらにも思えた?ド迫力”に 17歳の魂を揺さぶられる感動を覚
え、社会科学を学ぶ必要を痛感。初めて「人生の目標」を意識した。
 南原さんの予言は的中した。戦後73年を経た現在、中国との国交回復
には33年を要したが、今なお円滑な関係に至らぬ一方、ソ連(ロシア)
とは未だに法的には交戦状態で「北方領土」問題も未解決のままである。
 
 宿願が実って翌春から経験した大学での日々は、全く俳句に無関心で過
ごし、戦後暫く剣道と並んで禁止され講和条約を機に復活していた「柔道」
と、ゼロからスタートした「ドイツ語」の習得に没入した。
 とりわけ柔道部での寮生活2年は、才気が溢れ個性豊かな仲間に恵まれ
大きな感化を受けた。驚いたのは同期の中の二人が夫々、日比谷と受験で
全国の覇を競った灘や光圀公以来の尚学の気風を誇る水戸の首席で、既に
鋭い切れ味の技を具える「有段者」、それも教育大(現・筑波大)の柔道専
攻生チーム相手に揃って一本勝ちする、文武両道の猛者だったことだ。
 ドイツ語は教える側が旧制高校の流儀そのままで、3カ月の文法の叩き
込みが終わると、二学期からはゲーテの「若きヴェルテルの悩み」をテキ
ストにする破天荒振り。全員?消化不良気味”で音を上げたが博識の級友
が神田で「対訳本」を見付け名訳で凌ぐ妙案を開発した結果、お次は邦訳
の存在しない作品が選ばれた。まるで師弟間の知慧比べだ。
 先ずナチの台頭で米国に亡命したトーマス・マンが、終戦直後に行った
格調高い?ドイツ自己批判”の講演「ワーグナーとニーチェ」全文、さら
にH・ヘッセの「ガラス玉演戯」からの抜粋だ。共に反ナチ姿勢を貫き、
ノーベル賞を受賞したドイツ文学界の双壁だが、文体も思索展開の方向も
全く対照的で、強い印象を受けた。
この旧制高校の3年分を?教養学部”の1年半で仕上げる即製教法には正
直驚いたが、後年現地で「発音は良くないが、中身は濃い。奇妙だナ」と
評されたわがドイツ語は、新「強要」学制の?落とし種”  かもしれない。
発音や聴取の訓練は、教授が一回読むだけで「省略」だったが、このため
後遺症的後日譚*がある。
(*註:27歳で留学したベルリンで、一人息子を対ソ戦 (ウクライナ)で喪
ったインテリ女流作家の家主から「ドイツ人の演劇志望者も必ず受講する
のよ!」と再三奨められた午前のPhonetik (発声学) の講義を、首都の夜
の魅力には勝てず徹底してサボったため、お別れの記念に頂戴した貴重な
「ベルリン・オリンピック写真集」に? Verkommener Bursch ( 堕落した
学生サン ) へ ” と記される破目と相成った。後日日本の実情との対比
などでスピーチを求められる機会が急増。忠告無視を痛く後悔した。)
 その上、柔道部の旧制のOBからは「オマエ達?新制の徒”は、俺達が
3年学んだ法律「学」を2年半で誤魔化すのだから、卒業しても?法学士” 
ではなく?法士”だよ!」と嘯かれる始末。内容把握の速度を最優先する
開国以来の『西欧文明移植』の伝統を「無茶苦茶だ!」と怨んだが、半ば
納得もした。明治以降のモットーは常に?追付け追い越せ”だったのだ。        
 因みに英語は[海潮音] で名高い上田敏氏の御子息・上田勤教授が担任で
テキストはA・ハックスレーの小品集? Little Mexican" 親父さん張りの
流麗な訳を懸命に速記し、期末試験にヤマを掛けた難訳個所が、3問とも
ズバリ的中。寸分違わぬ名訳答案で優どころか「秀」だろうと思ったが、
『良』だった。要は「自力でやれ! 」らしく、同室の先輩にボヤいた処、
「馬鹿だな!1〜2か所表現を変えて騙さなきゃ!」。初めて高校教育と
の差を認識した。         ・・・・・
 法学部では「象徴天皇制」に至ってクールというより、批判的ー天皇の
権力は全て否定ーだった憲法の宮沢さんや、不法な取り調べの多い起訴前
の「被疑者の地位」の擁護を、期末試験に出題までして強調した刑訴法の
団藤さん、「法は常識であるべき−守られぬ法は悪法」と再三説いた商法
・労働法の石井さんなど、何れも「学問・言論の自由」が奪われた時代の
経験が滲む印象深い講義を聴いた。官僚志望者の多い学生達への?戒め” 
でもあったのだ。後年ドイツでの留学や勤務時、東独はじめ専制的な社会
主義体制下の東欧諸国の動向に強い関心を持ち続けたのは多分この影響だ。
「我妻民法」を駆使して定年延長を実現された我妻さん(三月末日生まれ)
の最後のゼミでは、自ら「講義よりも座談が得意」との言の通り、難問を
巧みな誘導尋問の積み上げで『解』に導かれる至芸に感服した。当時の岸
首相と小数点以下の同点で卒業総代を争い譲った経緯を懐かしく語られた
が、三年後女子学生が圧死する安保改訂騒動で苦境の首相に「また伊豆で
魚釣りをしよう!」と新聞へ投稿して引退を呼びかけた、変わらぬ友情が
記憶に残る。
 卒業の際には、南原さん同様、軍部ファッショの圧力に抗して「言論の
自由」のため学者生命を賭して闘ったキリスト者の矢内原学長(昭12 軍部
や右翼の非難で教授辞任・昭20 敗戦で復帰)から、「諸君は真理のための
戦士たれ!」と肝に銘じる『告別の辞』で励まされた。
 学んだのは「批判の自由の絶対的価値」と「価値観を磨くための不断の
努力」に尽きる。

俳諧との再会 
 時日の記憶は不確かだが、或る日曜の午後、 NHKのTVで観た俳句番組で
の一句とその批評に注目した。
         姫椿 肉親絶えし 兵の墓
 この句を選んだ年配の宗匠が一瞬見せた痛切な面持ちが、実に印象的だ
った。筆者の郷里・徳島の連隊が所属した四国の善通寺師団は、全国屈指
の精鋭で、日露戦争の旅順攻略戦で屍の山を築きつつ、最期の突撃で陥落
させた戦歴を誇った。このため太平洋戦争でも苛烈なグアム(玉砕=全滅) 
と印度を狙ったビルマ国境作戦で致命的打撃を蒙り、残りは満洲で終戦を
迎えてソ連に長期抑留された。生還者数を凌ぐ多数の犠牲による壮丁の激
減が、戦後の県下で深刻な社会問題となったこともあり、この句の訴求力
は「強烈」だった。戦後暫く全校で何度も駅頭で英霊の帰還を迎え、同じ
列車の進駐軍兵士が投げるガムを生徒達で争って拾った?屈辱”の記憶が
甦った。
  だが明確な俳句との復縁の契機は、朝日新聞が毎週掲載する読者の短歌
と俳句への投稿欄で偶然眼にした上記と同じ選者・金子兜太氏のコメント
だった。選ばれた句は  
    シベリアの墓標の数の赤蜻蛉  (横浜市〉 大井 実
 同氏の短評は『十句目大井氏。「ハバロフスクにて」とあり。戦後抑留
の残酷な記憶が静かに如実に。』 (朝日俳壇 2009. Oct.26. 朝刊 P.21)
 選者ご自身が戦時中、南太平洋の日本海軍最大の拠点ラバウルで補給を
絶たれ完全に孤立。終戦で飢餓地獄から辛うじて生還しただけに、酷寒の
地の強制労働で同じ苦しみを味わい、多くの戦友を失った作者の心情に、
共感を禁じえなかったのだ。生あるうちにと訪れた地の、おそらく粗末な
墓標の上を舞う赤蜻蛉の一つ一つに、漸く再会を果した多くの友の面影を
偲んだのであろう。
 この句とその評に、短詩形特有の「さりげなさ」に秘められる「抑えた
迫力」を改めて痛感した。同時に戦中・戦後の国内・外の変化に弄ばれた
自らの世代独特の感性ー不正への鋭い嗅覚ーの表現にも適する「可能性」
を自覚、『禁断』の筈の好餌?への食指が再稼働し始めた。

俳句への姿勢
 最近、若手で女流俳人のホープ・神野紗希さんが、日経夕刊のコラムで
「俳句は座の文学と呼ばれる。親しい仲間が集い、批評や添削をして、共
同の場で言葉を磨いてゆく。ものを書くとは往々にして孤独な営みだが、
俳句はその孤独のあとさきに、連衆の笑い声がひびくのだ。(『鐘つけば、
柿くへば秋』( 毎週連載の「プロムナード」欄 Sep.19.2018  P.5 ) 」と、
「漱石・子規の松山時代」を語る味わい深い文章で作句による『共楽』の
愉悦に触れておられる。だが筆者の俳句は、発端の動機が『不純』であっ
ただけに、元々?連衆”  と楽しむスタイルには馴染めない。
  想定外だった偶然の成り行きで、日銀マンだった金子宗匠と同様に金融
業界で社会人化。滞欧計15年を含め、不況と外国語と為替相場に悩まされ
つつ、クールに世の中の動きを見極める癖が身に付き、専ら孤独でスピー
デイー な判断を再三強いられた。尤も学生時代の後遺症?の「権力批判」
体質は抜けず、銀行勤務最後の香港海運界の危機回避交渉の際、中国政府
の責任を力説し、「九仭の功を一簣に虧く」つもりか?と漢文由来の諺で
揶揄した処、苦笑を誘って遂に北京の?已むなき救済のための主導権発揮” 
受諾に漕ぎ着けたこともある。歴史に富む語の『説得力』は予期以上と痛
感した(金融関係者は体験を語るのに慎重であるべきだが、将来 "中国的
な発想” の理解に役立つ数少い例と考え、ブログNo.75に詳述した)。
 
 蛇足序でに、勤務の長かったドイツでの想い出も。その一つは、入社後
ベルリン留学中に鄧小平の率いる訪ソ・チームが党の本質を巡る理論闘争
でソ連側を論破した画期的事件。コミュニズム発祥の地ベルリンの新聞は
讃嘆、欧州のアジアを見る眼が一変した。さらに同じ頃ベルリンを訪れ、
全独を熱狂させたケネディ大統領の演説の印象がある。壁構築の2年後だ。
それだけに僅か半年後の同大統領暗殺の報は「キューバ危機」以上に市民
の失望とソ連の戦車やロシア兵の蛮行再現への恐怖を増幅し、東独の中の
「陸の孤島」だった西ベルリンと西独間の電話線は、数日間、恐慌状態の
市民の声が独占した。爾来筆者は、格別「反米」ではないが、?国際感覚
の鈍さ”と?目的のためには手段を選ばぬ没理性”が同居する米国社会の
政治的体質への、諦めに近い不信感が未だに拭えない。
  戦前日本勢が留学したベルリン大はソ連占領下の東地区の中心地にあり、
一方ベルリン自由大はこれに対抗し、戦後フォード財団の寄贈により米国
の支配する西ベルリンのオリンピック・スタジアムに近い風致地区で発足。
筆者は同大学付属の東欧研究所の講義を聴いたのだが、東独政府の官報が
翌朝には届いていたり、東での理論物理の講座を西地区に住む囲碁名人の
デュバル老(6段。戦前鳩山一郎文相との電報碁は有名・大倉伯爵が囲碁
留学に招聘)の子息(3段)が通勤し出張講義で埋めている?分裂国家の
実態”は不可解だった。さらに氷河期の湖水が水源の全ベルリンの飲料水
を、東独が独占的に管理していた事実がある。『断水』を強行すれば西べ
ルリンは消滅していたろう。『壁』の問題が茶番に思える欧州流社会主義
と、馬鹿正直に戦乱で夫々数百万の犠牲者を生んだアジア流の解決(朝鮮
・ベトナム) の余りに大きい「分別の差」を、慨嘆すること頻りだった。 
                 ・・・・
『時事俳句』ジャンルの提唱                         
 気が付くとわが俳句は、川柳と紙一重の「世情分析とその批判」をこね
上げ凝縮する途を辿っていた。共通の職業意識の副産物らしく、金子スタ
イルに近親感がある。だが、根底に「真理のための戦士」意識が横たわる
ためか、遠慮会釈抜きとなり、殺伐として情意に欠ける。所詮「かわず跳
び込む水の音」の境地とは無縁で、その上、川柳の「軽妙さ」とは異質の
主題の「重さ」が絡む。エレガントな処方に手を焼く所以である。
 もう一つの悩みは、季語とテーマのニュース性だ。叙景の説明抜きでは
十分に意が伝わらず、かつ『豪雨』や『土石流』のごとき、近来続発する
「新季語」候補ー未だ熟し切らぬが、無視できぬ存在ーへの対応、つまり
没季語性で否定される?創作リスク?”に屡々直面することだ。尤も最近
?季語墨守” への批判も強い  (「五七五の向こう側」2018/2 角川書店) 。
また評価の基準も世相並みに多彩化し、近頃の朝日俳壇でも四人の評者が
一致して推す句は、以前と異なり滅多に無い。
  兎も角季語に拘る限り、俳句は日本の自然環境や日本人特有の感性を前
提とする「民族の文芸」の域から脱皮出来まい。一方短詩形に潜む魅力を
俳句的発想を通じて知覚し普遍化を試みる世界的風潮は、後戻りはしまい。
既に?日本語以外の言語による俳句”が存在し始めている現実を、肯定的
に捉えるべきか否かー俳諧の国際化への姿勢や判断を迫られているのだ。
 つまり現代の日本人は、俳諧という文化遺産の国際化を通じた更なる発
展に協力し、?俳諧の精髄”なるものを誤りなく伝えて国際社会の評価と
共感を得る機会に恵まれたのだ。間違いなく日本人の自然観や感性の一層
の理解にも役立つだろう。たとえ伝統的な花鳥風月派からは外道視されよ
うが、「俳諧の近代化と国際的発展には有望なジャンル開拓かも?」と、
昨今秘かに期待する心境に至った所以だ。「柔道」発展の先例にも通じる
面がある。優れたものは、万国共通に評価される筈である。
 本音は「押し売り」を承知で『時事俳句』と呼びたい処。だがトランプ
先生の『類』を扱うと「品位の維持」が新たな悩みの種にはなりそうだ。
 時事俳句の要領は、ニュースの選別・消化能力に通じる感受性、例えば
ブログ作成時のタイトル決定と同様の対応で間に合い、後は短詩形ゆえの
制約からリズム感のある夫々の言語の箴言や故事成語の活用などが決め手
かも知れぬ。季節性の活用は何ら妨げにはならず、寧ろその辺りの『隠し
味』的巧拙が?時事俳句の醍醐味”と言うべき「挑戦に値する新たな境地」
にもなる筈だ。 
 もう一点重要なのは、冬眠状態だった米・朝関係が最近急展開し、着地
の時点と範囲は不透明だが北東アジアの安全保障体制は朝鮮半島を中核に
激変。再軍備強化を巡り対米・対中関係も絡んで、わが国へのインパクト
も戦後最大級となるのは必至の雲行きだ。既に実質制式空母も進水予定の
「新防衛大綱」策定が進行中で、風流な話がキナ臭くなるが、時事俳句は
「内外の政治・社会情勢への感度と理解力の錬磨」に時宜を得た手段の誕
生となり、来春以降の懸念が高まるデフレ・ショック対策にも、予防注射
的に些か貢献するだろう。
 説得力不足のカバーには「論より証拠」で、最後に厚顔にも?名付け親” 
面して自選の『時事俳句』の秀作?十句を披露したいが、ドイツの諺にも
七五調で「?自惚れは鼻持ちならぬ”(Selbstlob  stinkt.) 新俳句」とい
う目下の小生には?痛し痒し”  の名文句もあるようです。ご参考まで。

Blog No. 日付     時事俳句                 タイトル/副題  
64 2011 Feb. 如月の烈風凌ぐ舌の鋒      最近腹に据えかねること 
                     ー戦中末期派の破邪顕正ー 

66 2011 Jun.   破壊(はえ)の址偲ぶ面影     フクシマの元兇は最高裁?
                    花一枝   ー 司法が侵害する国民の権利ー

72   2011 Dec.  これも世の定めならむや  プライドが招く「大」英
              ?歳”の暮          帝国の終焉   
                     ー孤立は頓死へのプロローグー

75   2012 Apr.  花吹雪血湧きし日々の     温故知新の効用
                遠かりき ー日・中のしがらみ活用法ー

82   2012 Dec.  海鳴りの遠く去りゆく    蒙御免 政界閻魔帳 II
                             初時雨     ーウーマン・リブが産み落とす
                            政局の混迷ー

84   2013  Feb.  梅が香の健やかなるを        新聞を叩く
                祈りけり  ー「社会の木鐸」の存在感?ー
  
86   2013  Sep.  わだつみの彼方に果てる    五輪賛歌と軍靴の響き 
                流れ星    ー堪航能力が疑問の安倍政権ー

101  2016  Jun.  爆買いも黄塵も運ぶ      『ガラパゴス』化する中国
                初夏の風  ー不可避の世界観偏差解消努力ー

104  2016  Dec.  木枯しに吹かれ舞う葉の       国論分裂に伴う凋落の気配
              Quo Vadis (主よ何処へ?) ー不透明な米新政権下の
                                                           帝国以後』ー 

116  2018  Jan.  人狂い天地(あめつち)も     北東アジアに『真の戦後
                狂う新世紀         体制』は生まれるか?
                         ー?同床異夢” が直面する
                               米・中対立への序曲ー

番外 2018  Nov. 木蘭が腹に一物木槿           面子意識に曇る国家像
             (むくげ)賞(め)で   ー苦肉の?半島統一案” 模索ー       
                  
                                    (註:木蘭は北朝鮮、木槿は韓国の国花)                  

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