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飛鳥遊訪マガジン

飛鳥地域の歴史・文化・景観が好きな皆さん♪「両槻会」は、そんな皆さんと一緒により飛鳥を楽しもうと活動しています。飛鳥遊訪マガジンでは、歴史だけではない飛鳥の魅力もお届け出来ればと思います。皆さん!ご一緒に、もっと飛鳥を楽しみませんか♪

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飛鳥遊訪マガジン 改元特別号

2019/05/01

┏○INDEX‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥┓

   1.両槻会からのお知らせ
   ―――――――――――――――――――――――――――
   2.特別寄稿             あい坊先生
   ―――――――――――――――――――――――――――
   3.編集後記
   ―――――――――――――――――――――――――――
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 本日、皇室典範特例法の規定に基づき、我が国では202年ぶりになる今
上天皇の前日の退位(4月30日)と皇太子徳仁親王の即位の儀が執り行わ
れました。この皇位の継承を受けて、元号法の規定に基づいて、本日、元号
が「平成」から「令和」に改められました。

 新元号となる「令和」の典拠は、『万葉集』の巻五、梅花の歌三十二首の
序文「梅花の歌三十二首并せて序」だとされています。我が国の元号として
は初めて漢籍ではなく日本の古典から選定されました。
 『万葉集』関連の書籍が売れ、明日香村にある万葉文化館を訪れる人も増
えていると聞きます。飛鳥を訪れるきっかけの一つになれば良いのですが、
一時のブームで終わるのは寂しいように思います。
 私は、梅の木(観賞用として)は、奈良時代からだと思っていました。遣
唐使が、唐で大流行していた梅の木を持ち帰り、貴族たちの間に広まったの
だと理解していました。しかし、一方では、飛鳥京苑池遺構から梅の種が出
土しています。苑池の梅は、薬用だったのではと思うのですが、皆さんは、
どのように考えられますか。観賞用なら飛鳥時代にも『万葉集』に1首でも
詠まれていていても良いと思います。子供の頃に、「梅干しの黒焼き」や
「烏梅(うばい)」を食べさせられた記憶があります。風邪引きの薬として
だと思うのですが、明確な記憶はありません。「烏梅」は、梅の実を燻製に
したものです。

 また、元号に「令」の漢字が使われるのは初です。そして、「れい」の音
が先頭に来る元号としては奈良時代初めの霊亀(れいき)以来2例目で13
00年ぶりになるそうです。

 平成が終わり、令和が始まる本日、一つの時代の区切りを迎え感慨を覚え
ます。平成を振り返り、新しい時代への思いが募ります。
 両槻会も平成に始まり、今、新しい令和という時代を迎えました。また新
たに、一歩ずつ歩みを刻んで行こうと思っています。どうぞ、令和でも、両
槻会をよろしくお願い致します。

 令和での第1歩は、第69回定例会です。5月18日(土)に「渡来人の
寺」を実施しますので、お申し込みをお待ちしています。詳細は、下記「お
知らせのコーナー」をご覧ください。

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●1.お知らせ                        ○o。
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両槻会第69回定例会
帝塚山大学考古学ゼミ・両槻会共催イベント(第6回)

「飛鳥時空旅 −渡来人の寺編ー」

実施日 5月18日(土)

ウォーキング 約10km 説明ポイント9ヶ所
  近鉄壺阪山駅 → 子嶋寺 → 観覚寺遺跡 → 檜前遺跡群 → 
  檜隈寺 → 呉原寺 → 定林寺 → 橘寺 → 坂田寺 → 飛鳥寺
   飛鳥寺境内にて解散します。

コースマップ
https://drive.google.com/open?id=1eJ_CbPZnWiE-AOI9PLd135FvirZ_qFSp&usp=sharing
各ポイントでの説明は、考古学ゼミ生と両槻会事務局スタッフが行います。

  集合場所:近鉄壺阪山駅
  集合時間:10時10分
  定  員:30名
  参 加 費:1,000円 
  受付開始:4月8日(月)より定員まで

参加申込は、両槻会事務局宛にメールでお申し込みください。
asukakaze2@gmail.com

第69回定例会参加希望とお書きください。H.Nで申し込んでいただいて構
いません。
参加資格は、インターネット環境があることのみです。


 参加申込をされた皆さんには、昨日より詳細案内の送信を開始しました。
申し込んだのに受信されなかった方は、事務局までお知らせください。

o〇━━━
●2.飛鳥・藤原の考古学           あい坊先生   ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
新元号「令和」と 元号・暦・時間
−元号から読み解く国家の誕生−

はじめに 〜「令和」改元〜
 初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭香珮後之薫

 平成31年4月30日をもって、天皇陛下が退位され、今日5月1日には
新天皇が即位、元号が「令和」元年に変わりました。「大化」から数えて、
実に284番目の元号となります。
 この元号は、我が国最古の歌集『万葉集』からの典拠です。これまでは中
国古典からの出典が多かったのですが、今回は国書、しかも『万葉集』から
の出典というところも注目されました。
 今回の出典は万葉集の歌そのものではなく、歌の序文にあたる文章です。
 天平2年(730)正月13日、大宰府の長官である大伴旅人の家に集ま
って、梅花の宴を催しました。「時あたかも新春の好き月、空気は美しく風
はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾
った香の如きかおりをただよわせている」(現代語訳:中西進)という意味
になります。人々が美しく、心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという思
いが込められているそうです。

元号のはじまりと改元
 そもそも元号とは中国を中心とする漢字文化圏での紀年法で、紀元前14
0年の前漢の武帝の時代に始まりました。日本でも8世紀はじめに、本格的
にはじまります。
 その元号のはじまりは、「大化改新」でも有名な645年の「大化」です。
その後、断続的に「白雉」「朱鳥」と続きますが、701年に「大宝」の元
が建てられ、以降、今回の「令和」まで続く元号文化が始まりました。その
意味で、日本最初の元号は「大化」ですが、現在まで継続的に続く元号のは
じまりは「大宝」ということになります。
 このような元号の改元理由には、いくつかのパターンがあります。孝徳天
皇や元正天皇・聖武天皇などは、天皇の即位に合わせて改元をする「代始改
元」です。また、在位中に希少な亀や鳥などの吉瑞が出現すると、天皇に徳
があるからとして、「祥瑞改元」をすることもあります。白雉・大宝・和銅・
霊亀などがこれにあたります。平安時代になると、祥瑞とは反対に災異が天
の戒めとみての「災異改元」もありました。
 このように、改元の理由は様々ですが、飛鳥・奈良時代においては、「代
始改元」「祥瑞改元」が多いという傾向があります。これに対して現在は、
元号法によって、皇位の継承があった場合に限り改める、つまり「代始改元」
だけで、「一元一世」となっています。

考古資料からみた年紀表記
 元号を使うまで、我が国の年紀はどのように記されていたのでしょうか? 
埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣「辛亥年七月中記」(471)や和歌山県の隅
田八幡宮所蔵人物画像鏡「癸未年八月」(503)のように、5〜6世紀の
銘文には十干十二支による表記がされています。これは飛鳥時代になっても
同様で、難波宮跡で出土した「戊申年」木簡(648)や飛鳥池工房遺跡出
土の「丁丑年十二月三野国刀支評次米」木簡(677)、藤原宮跡出土「庚
子年四月 若佐國小丹生評」木簡(700)などが見つかっています。
 しかし、701年を境に、木簡や文書の年号が干支から元号に変わります。
例えば、藤原京跡から出土した「大寶二年八月十三日」(702)や「太寶
三年十一月十二日御野国楡皮十斤」(703)からもわかります。これは大
宝令の儀制令で、公文書には元号を記せとされていることを忠実に実行して
いたことを示しています。
 ここで注目されるのは、「大化」の元号です。難波宮跡で出土した648
年の「戊申年」木簡は干支で記されています。元号でいえば、「大化4年」
となりますが、政権中枢の難波宮の近くで出土した木簡でも、干支年紀が記
されていたことは、「大化」の元号が一般には広まっておらず、宮廷内の一
部だけで利用されていたものと考えられています。これは「白雉」「朱鳥」
と断続的にしか続かないことからも窺えます。この理由は、元号が国家の独
立性を示すことから、対外的には公式に使用せず、唐の意向を意識して、配
慮していたのかもしれません。

元号と暦と時間
 古代の制度で、元号をはじめ、暦の作成や時間を管理管轄する役所に中務
省陰陽寮があります。現在でいうと、国立天文台の役割を果たしており、こ
れに加えて、占星術も行っていました。
 天武4年(675)には占星台を建設しており、キトラ古墳石室の天井に
は、東アジア現存最古の本格的な天文図が描かれていることは有名です。天
体を観察し、その天からのシグナルを陰陽師に報告して、陰陽師がこれを占
います。これらの星の運行は、暦の作成にも反映されました。実際、石神遺
跡では持統3年(689)の具注暦木簡が出土しています。そして、日々の
時間の管理と時報は、漏刻(水時計)で行われました。斉明6年(660)
5月に中大兄皇子が「初めて漏剋を造る」と記されています。

時を司る
 元号・暦・時間を管理・発布するのは、天皇にのみ許された特権です。時
を司ることにより、民を同じ時間で管理していたのです。このことは、天皇
を頂点とする国家を造ることを意味しています。そして、元号を使用するこ
とは、東アジア世界の中で、独立したひとつの国家であることを、国内外に
表明しているのです。まさに「日本国」の誕生を宣言しているようなもので
す。
 中国ではじまった元号文化ですが、現在まで1300年も継続して使用し
ているのは日本だけです。今後も人々が美しく、心を寄せ合う中で、生まれ
たこの日本文化を大切にしていきたいと思います。

o〇━━━
●3.編集後記                   ●●   ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「令和」の典拠である『万葉集』の、最後に収録された歌は、天平宝字3
年(759)正月に因幡国で行われた宴で詠まれた大伴家持の歌です。
『新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)』
(新しい年の初めの初春、今日この日に降る雪のように、いよいよ積りに
積もれ、佳きことよ)
 この歌のように、これから始まる新しい時代によいことがたくさん起こ
りますように。
 改元の日に、日本人に生まれた幸せをかみしめつつ。

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創刊日:2007-11-11  
最終発行日:  
発行周期:隔週金曜  
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