近畿

飛鳥遊訪マガジン

飛鳥地域の歴史・文化・景観が好きな皆さん♪「両槻会」は、そんな皆さんと一緒により飛鳥を楽しもうと活動しています。飛鳥遊訪マガジンでは、歴史だけではない飛鳥の魅力もお届け出来ればと思います。皆さん!ご一緒に、もっと飛鳥を楽しみませんか♪

全て表示する >

飛鳥遊訪マガジン Vol.304

2018/09/28

┏○INDEX‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥┓

   1.両槻会からのお知らせ
   ―――――――――――――――――――――――――――
   2.特別寄稿             あい坊先生
   ―――――――――――――――――――――――――――
   3.咲読               梅前
   ―――――――――――――――――――――――――――
   4.よっぱの素人飛鳥学        よっぱ
   ―――――――――――――――――――――――――――
   5.飛鳥情報
   ―――――――――――――――――――――――――――
   6.編集後記
   ―――――――――――――――――――――――――――
┗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥o○┛
 飛鳥では、彼岸花祭りや光の回廊に多くの方が来られたようです。三連休
の中日が好天になり、各イベントも賑わったことでしょう。読者の皆さんの
中にも、飛鳥を訪ねられた方がいらっしゃるでしょうか。写真が有りました
ら、投稿してくださいね。出かけられなかった私に、見せてください! よ
ろしくお願いします。
 さて、先日行われました藤原宮大極殿院発掘調査の解説記事を、あい坊先
生が書いてくださいました。「旬の話題」をお楽しみください。

o〇━━━
●1.お知らせ                        ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第67回定例会予定

ウォーキング「乙巳の変を歩く」

開催日:11月17日(土)

<コース予定>
    入鹿首塚(槻樹広場)→ 飛鳥板蓋宮跡 → 請安墓 → 朝風 →
    稲渕宮殿跡遺跡 → 東橘遺跡 → 川原寺跡 → 甘樫丘東麓遺跡
    → 甘樫丘豊浦展望台(解散)
ウォーキング距離:約11km 

Googleマップ
https://drive.google.com/open?id=1jxJcg0xHIt2X0nE64d2nuxdxuBF6kU_e&usp=sharing

 集合場所:奈良交通 飛鳥バス停
 集合時間:10:20
 ウォーキングスタート:10:40 入鹿首塚前
 定  員:30名
 参 加 費:1,000円(運営協力金)
 受  付:8月4日(土)より定員まで

 解散予定:16:00 
 解散場所:奈良交通 甘樫丘バス停付近

 9月29日(土)に下見を行います。下見の結果により、予定を変更する
ことが有ります。ご了承ください。

:::::::::::::::::::::::::::::::::

飛鳥遊訪マガジンの連載が本になりました。

飛鳥・藤原の宮都を語る −「日本国」誕生の軌跡−
吉川弘文館
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b372539.html

:::::::::::::::::::::::::::::::::

読売新聞の奈良版に、両槻会の活動や飛鳥遊訪マガジンが掲載されました。
 両槻会フェイスブックに記事が読めるようにしておきますので、是非、ご覧ください。
https://www.facebook.com/asukakaze210/

o〇━━━ 
●2.飛鳥・藤原の考古学             あい坊先生 ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
大極殿院北門はなぜ小さい?
−藤原宮大極殿院北門・北面回廊の調査から−

 奈良文化財研究所は、大極殿院の解明に向けて、ここ数年来調査を継続し
ています。大極殿院は藤原宮の中心部に位置し、周囲を回廊で囲まれた東西
約120m、南北約165mの空間で、その中央には、即位や元旦朝賀など
の儀式が行われる大極殿があります。これまで大極殿院の東面回廊及び内庭
部分の南東地域を中心に進められ、最近は回廊北東部の調査をしています。
 大極殿院の回廊は南面及び東面南半・北東隅が確認されており、礎石建ち
瓦葺きの複廊であることが明らかとなっています。門は南門・東門・西門が
調査され、その規模も判明しました。北門については1977年度の第20
次調査で調査されていますが、遺構の残りが悪く、明確ではありませんでし
た。今回は回廊北東隅部の成果を受けて、北面回廊及び北門を改めて調査し、
その構造を解明することを目的としています。

 今回の調査では、大極殿院北面回廊及び北門を調査しました。北面回廊は
棟通り筋と南側柱筋の礎石据付痕跡12間分を検出しました。北側柱筋の推
定位置は、北側の現道下及びその法面の下になるため、今回は検出できてい
ません。礎石はいずれも抜き取られており、残っていませんでした。残りの
よいところで、直径1.2m、深さ20cmほどの大きさの穴で、下部に根
石として拳大の礫を詰めています。柱間寸法は、桁行4.1m(14尺)、梁
行約2.9m(10尺)等間ですが、大極殿院の中軸線が通る中央間のみ2尺
広くて4.7m(16尺)になっています。中軸線から東面回廊棟通りまでの
距離は58.3m(200尺)となるので、大極殿院の東西幅は400尺とな
ります。一方、北面回廊南側柱筋から大極殿北側柱列までの距離は約72.
8m(250尺)と綺麗な数字になるので、厳密に計画されて造られているこ
とがわかります。しかし、基壇の高まりや基壇外装の据付溝や抜取溝、雨落
溝などは削平されて、すでに失われたものと考えられます。
 北門は、中軸線にあたる中央間のみ2尺広い16尺になっていることから、
ここが北門であったと考えられます。しかし、梁行方向は回廊幅と同じであ
ることから、門の正確な大きさは確認できませんでした。
 大極殿院内庭では、礫敷があったことがわかっています。今回の調査でも
整地土の上に拳大の礫を敷き詰めた状況が確認されました。さらに下層にあ
る運河上面では埋土が沈下しており、整地土の下に、もう一面礫敷があった
ことがわかりました。ただ、この下層礫敷は、中軸線周辺にのみ、敷かれて
いたものと推定されます。
 この他には、下層で朱雀大路の先行条坊や藤原宮造営のための運河など、
これまでから確認されていた、藤原宮造営以前・造営にかかわる溝が確認さ
れています。また、回廊の造営途中にも、水処理のための素掘り溝がいくつ
か見つかっており、工事途中の排水処理の困難さを窺うことができました。

 さて、今回の調査で一番の成果は、北門の確認です。これまで大極殿院の
四辺にある門は、南門が7間(34.5m)×2間(9.8m)で最も大きく、
東・西門は7間(28.9m)×2間(6.4m)でした。これに対して、北門
は確実に扉が開くのは1間(16尺)だけで、門全体の大きさはわかりません。
ただし、梁行が北面回廊と同じ幅なので、東西門よりも格が下がるのは間違
いありません。1間だけの潜り門だった可能性もあります。
 南門が最も大規模なのは、朝堂院に面して建てられた大極殿院の正門であ
ったことから当然と考えられます。これに対して、東西門はどうでしょうか。
門を出るとそこには大極殿にも匹敵するような東楼・西楼があります。『続
日本紀』によると持統太上天皇が崩御したとき、「西殿に殯す」(大宝2年
(702)12月29日条)とあり、この西楼は重要な建物であったことがわか
ります。
 では、北門はどうでしょうか? 北門は、天皇の居住空間である内裏から、
儀式の場である大極殿院に入る時に利用される門です。実用的には、門さえ
あれば問題はないのですが、天皇が通る門であることを考えると、東西門ク
ラスの格がほしいところです。しかし、実際には潜り門程度で、門の体裁は
十分には整っていません。平城宮や長岡宮では大極殿の背後に廊下で繋がっ
た大極殿後殿があります。これは、内裏から出御してきた天皇が、大極殿に
入る前の控えの間でもあります。藤原宮では大極殿後殿は見つかっていませ
んので、内裏から北門を通って大極殿に入ります。内庭の中軸線の下層には、
北門から大極殿に至る礫敷がありますが、まさにここを通っていたのでしょ
う。
 北門が小さいことに関係して、ひとつ注目できる成果があります。それは
飛鳥宮跡内郭です。内郭の南辺には、内郭南門が設けられています。ここを
入ると、内郭前殿と呼んでいる公的儀式を行う四面廂の建物があります。こ
の前殿の背後には、3重の東西塀があり、その北に正殿・脇殿が配置されて
いました。内郭前殿からは北に向かって、幅3mの石敷通路が延びています
が、東西塀には構造門は確認されていません。おそらく潜り門程度の出入り
口だったのでしょう。このことと、今回の藤原宮大極殿院北門が小規模であ
ったことが、関連するのかもしれません。宮殿の建物配置を時系列に並べる
と、飛鳥宮(潜り門)→藤原宮(潜り門)→平城宮(回廊に接続した後殿)→長岡
宮(独立した後殿)となり、北門(大極殿後殿)の格が発展していくことがわか
ります。内裏と大極殿院が一体的に利用されていた時代から、大極殿院が分
離していく過程を表しているのかもしれません。この点を、より具体的に解
明するためには、藤原宮大極殿院の北にある内裏の調査が重要になってきま
す。

o〇━━━ 
●3.咲読                    梅前    ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
「乙巳の変」事件調査報告

【事件概要】
 皇極4年(645)6月12日、飛鳥板蓋宮で行われた三韓進調の儀式の
際、出席していた時の権力者・蘇我入鹿が、中大兄皇子らに襲われ、落命し
た。甘樫丘に居を構えていた入鹿の父・蘇我蝦夷も、翌13日に死亡した。
この事件により皇極は退位、弟の軽皇子が即位して孝徳天皇となり、大化改
新と呼ばれる大改革が行われることとなった。

【現場の状況】
 殺害は「三韓進調」の場であったとされているが、それが実際に韓三国
(百済、新羅、高句麗)揃っての貢調であったかは、当時の半島情勢を考え
るとはなはだ疑問である。うち一国の貢調を拡大解釈したとの説もあるが、
いずれにせよ、外国使節の目の前での重臣殺害が計画・実行されたとは考え
にくいことから、韓半島からの調(みつき)の子細を大王の前で報告する儀
式だったと考えるのが自然か。

【被害者 その1・蘇我入鹿】
 用心深い性格だったらしく、剣を肌身離さず身につけていたが、俳優(わ
ざひと)にうながされ、それをはずして儀式に臨んだ。儀式の最中には、表
文を読み上げる蘇我倉山田石川麻呂の動揺ぶりに不審を抱き、「なぜそのよ
うに震えおののいているのか」と問いかけている。そこに中大兄皇子と佐伯
連子麻呂が襲いかかり、足を斬られた入鹿は、皇極の座る御座にまろび寄り
「嗣の位におわしますのは天子である。自分に一体何の罪があるのか、どう
か明らかにしてほしい」と訴えている。それに対し皇極は、「これは一体何
事が起ったのか」と答えた。中大兄は入鹿が大王の位を傾けようとしている
と訴え、それを聞いた皇極はその場を立ち去った。そののち、佐伯連子麻呂、
稚犬養連網田が入鹿に斬りかかり、それが致命傷になったとみられる。入鹿
の遺体は、折から降り出した雷雨に水びたしになった庭に、席障子(むしろ
しとみ・筵を張った障子の類か)をかけたまま放置された。
 ちなみに、この事件に関してイメージされがちな「入鹿の首が飛ぶ」シー
ンだが、文献史料にその描写はない。首を胴から切り離すのは最も重い刑罰
とされており、それが大王(皇極)の裁可なく行われたとは考えづらい。
「入鹿の首」伝説は、多武峰縁起絵巻や、入鹿首塚、もうこの森(鎌足が入
鹿の首から逃れ、「もう来ぬだろう」と言ったと伝えられる森)の話などか
ら二次的に派生、あるいは相互に作用して発展したものと思われる。

【被害者 その2・蘇我蝦夷】
 入鹿の遺体は、その日のうちに父・蝦夷のもとに届けられた。それを見た
蘇我配下の東漢氏らは一族郎党を集め、一時は決起の意を固めたようだが、
中大兄によって遣わされた巨勢臣徳太の説得により武装を解除、甘樫丘から
去った。殺されると悟った蝦夷は、事件の翌日、天皇記・国記・珍宝を焼い
た。その場に居合わせた船史恵尺が火中からそれを取り出し、中大兄に献上
したとされる。
 蝦夷がどのようにして死に至ったのか、詳しい史料は残されていない。自
害したと考えるのが自然で、そう断定している書物も多くあるが、はっきり
とそう書かれた史料はない。同じように、自邸に火を放ったという記載もな
い。書物や小説によくある「甘橿丘炎上」シーンは、前述の「天皇記・国記・
珍宝を焼いた」という記述からイメージされたものと思われる。
 蝦夷と入鹿の遺体は、墓に葬ることが許された。かねてより造成されてい
た「双墓」(小山田古墳と菖蒲池古墳、あるいは宮ヶ原一号墳・二号墳との
説もあり定まらない)に葬られたか、あるいは別の場所に葬られたか、確か
な記録は残っていない。

【実行犯 その1・中大兄皇子】
 舒明天皇と皇極天皇の間に生まれた皇子。舒明崩時に16歳で誄(しのび
ごと)を読んだという『書紀』の記述を信ずるならば、事件当時20歳。
 共犯の佐伯連子麻呂が逡巡するのをみて、みずから走り出、入鹿に一太刀
目を浴びせた。長い槍を持ったとの記録があることから、槍を使用した可能
性もあるが、「剣を以て入鹿が頭肩を傷(やぶ)り割(そこな)ふ」という
記述からすると、犯行に用いたのは槍ではなく剣だった可能性が高い。その
のち、皇極に対し入鹿の罪を奏上したのは前述の通り。
 不審なのは、両親とも天皇というサラブレッドたる中大兄が、血の穢れに
直接触れる実行犯の役割を演じたことである。『書紀』には事件後、中大兄
が即位を辞退したことにより軽皇子(孝徳)が天皇の位についたとあるが、
当時の慣習からして、いくら純血種とはいえ、弱冠20歳の若者が次期天皇
(大王)候補にあげられたとは考えにくい。中大兄の「謙譲」は、その血を
受け継ぐ者たちの手により編纂された『書紀』の、忖度・脚色の可能性があ
る。

【実行犯 その2・中臣鎌足】
 天智8年(669)に56歳で没したという『藤氏家伝』の記述を信じる
ならば、事件当時32歳。現場では中大兄ら実行犯グループを弓矢を持って
援護したとされる。鎌足の墓の可能性が高いとされる阿武山古墳から出土し
た人骨をX線調査した記録によれば、肘の骨にテニスエルボー様の摩滅があ
ったという。鎌足がまさかテニスを楽しんだはずはないから、これは弓の鍛
錬による可能性が高く、だとすれば弓にはかなりの自信があったか。
 事件後、孝徳天皇のもと内臣の地位についたが、その具体的な職務は不明。

【実行犯 その3・佐伯連子麻呂】
 中大兄とともに入鹿に駆け寄り、その足を斬ったとされる。後述の葛城稚
犬養連網田とともに、いわゆる「鉄砲玉」だったと思われる。襲撃前、水を
かけかきこんだ飯を緊張のあまり戻してしまい、鎌足に励まされたというエ
ピソードが残されている。入鹿に最後のとどめを刺したのは、この人物か葛
城稚犬養連網田のいずれかだった可能性が高い。
 事件の3か月後には、中大兄の命令により、吉野に隠遁していた古人大兄
皇子を、40名の兵を率いて誅殺している。さらに事件から21年たった天
智5年(666)3月、病を得た子麻呂を、即位後の中大兄(天智)自ら見
舞っていることから、中大兄の側近、あるいは近しい友の一人だったと推測
される。

【実行犯 その4・葛城稚犬養連網田】
 中大兄、佐伯連子麻呂とともに入鹿に斬りかかったとされる。葛城という
姓から、中大兄(葛城皇子)の養育に関わった一族の者である可能性がある。
その他の詳細は不明。

【共犯者 その1・蘇我倉山田石川麻呂】
 入鹿の従兄弟。名に倉の字を冠するところから、蘇我の職掌のひとつ、倉
の管理を行っていたと考えられる。
 中大兄からもちかけられ、暗殺場面で表文を読む役割を担った。蘇我の一
族でありながらこの事件に加担した原因のひとつとして、娘(遠智娘)が中
大兄の妃となっていたことがあげられよう。遠智娘と中大兄との間に生まれ
たう(盧+鳥)野讃良皇女(持統天皇)は大宝2年(702)12月に58
歳で崩じているが、逆算するとこの入鹿殺害事件のあった年に生まれたこと
になる。彼女が天皇となる未来を石川麻呂が予測していたはずはないが、孫
娘たちの存在が、石川麻呂加担の引き金となったことは充分考えられる。
 中大兄との事前の打ち合わせでは、石川麻呂が表文を読んでいる最中に子
麻呂らが入鹿に襲いかかることになっていたが、なかなか襲撃が始まらない
ので恐ろしくなった石川麻呂は、全身に汗をかき、声が乱れて手が震えた。
それを入鹿に見とがめられた石川麻呂は、「天皇のそば近くなので畏れ多く、
不覚にも汗が流れている」と答えている。その直後に実行犯らが襲いかかり、
入鹿は殺害された。
 そうした功績もあってか、石川麻呂は事件後、孝徳天皇のもと右大臣に就
任するが、大化5年(649)3月、謀反の疑いをかけられ、自らが建立し
た山田寺で妻子ら8人とともに死を選んだ。

【共犯者 その2・海犬養連勝麻呂】
 中臣鎌足に指示され、箱の中から二つの剣を佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連
網田に授けた。他の場面には登場しないが、板蓋宮内にいて不自然ではない
立場の人間だったと推察される。

【共犯者 その3・俳優(わざひと)】
 ワザヲギとも。宮中にあって、滑稽な仕草で歌舞などを披露することを職
掌としたとされる。
 中臣鎌足から指示を受け、用心深い入鹿が肌身離さず持っていた剣を、巧
妙な冗談(詳細不明)を言って外させた。当時位低かったはずの鎌足から突
然指示されて従うはずがないこと、権力者たる蘇我入鹿に近づき武装解除さ
せるのは相当な胆力が必要なことなどから、事前に実行犯グループと接触を
持っていた可能性が高い。

【共犯者 その4・衛門府(ゆけひのつかさ)】
 中大兄に命じられ、板蓋宮の12の門を閉じ、通行できないようにした。
さらに、彼らを一カ所に集め、禄物を授けようとしたとの記載がある。従っ
て、共犯者は12の門を守っていたすべての人間ではなく、彼らに禄物を授
けるような立場にある、リーダー的な存在の人物だったと考えられる。
 ちなみに「衛門府」はのちの時代の言葉。さらに、板蓋宮に12もの門が
あったかどうかも不明である。

【事件の目撃者 その1・皇極天皇】
 事件時の天皇(大王)。前述したように、斬りつけられた入鹿に「自分に
何の罪があるのか」と問われ、中大兄に「これは一体何事が起ったのか」と
問いかけている。中大兄が入鹿の罪を宣すると、何も言わずに殿の中に入り、
結果として入鹿を見殺しにした。
 事件後、退位。天皇の位は弟の軽皇子(孝徳天皇)のものとなった。これ
がわが国初の譲位である。

【事件の目撃者 その2・古人大兄皇子】
 舒明天皇と蘇我馬子の娘・法提郎女との間に生まれた皇子。次期大王候補
の筆頭であり、蘇我の権勢が続けば確実に大王となっていた。
 『書紀』に「古人大兄侍(はべ)り」と記載されているので、事件の場に
居合わせたことは確実である。凄惨な事件を目の当たりにし、急ぎ自分の宮
に走って戻ると「韓人が鞍作臣(入鹿)を殺した。わが心は痛む」と言って
臥内(ねやのうち・寝所)に入り、門を固く閉ざした。蘇我系の皇子として
身の危険を感じたものと思われる。実際、事件後皇極譲位の話が出た際には
鎌足から「古人大兄は中大兄の兄、軽皇子は中大兄の叔父」と孝徳と同列に
扱われたものの、わずか3か月後には謀反の疑いをかけられ討たれるという
無残な運命をたどった。
 ちなみに、「韓人が鞍作臣を殺した」以下の言葉は、事件の唯一の目撃証
言であるが、この「韓人」については、古来さまざまな解釈がなされ、見解
の統一に至っていない。仮説として、事件が三韓進調の場で起こったことか
ら「韓のまつりごと」を指すという説、現場に実際に韓人が居合わせたとい
う説、さらには実行犯の中に韓人が含まれていたという説など多様な説が唱
えられ、どれが真実か定めがたい。

【事件の目撃者 その3・軽皇子】
 現場にいたとの記録はないが、その立場と、皇極のあとを受け即位した事
実から、事件の場に居合わせたのは確実。「一番得をした人間が真犯人」と
の考えに立てば、事件後、譲位という異例の形で天皇の位についたこの人物
が最も怪しいことは疑いがなく、近年、黒幕説が盛んに取りざたされている。
 急進的な政策のためか、白雉4年(653)には天皇(大王)でありなが
ら難波宮に置き去りにされるという憂き目にあい、翌年10月、失意のうち
にその生涯を閉じた。

【その他関係者 その1・船史恵尺】
 欽明14年(553)、船の賦(みつき)を記録する係として蘇我稲目に
抜擢された渡来人・王辰爾の子孫。従って、蘇我とは関係が深く、それもあ
って甘樫丘に居合わせたと考えられる。彼が火中から取り出し中大兄に献上
したとされる天皇記・国記とは、推古28年(620)に蘇我馬子と厩戸皇
子が編纂を始めたという天皇記及び国記などのことか。
 息子の道照は、白雉4年(653)に送られた遣唐使の一員として入唐し、
玄奘三蔵に師事してのち660年頃に帰国、仏教興隆に寄与した。

【その他関係者 その2・南淵請安】
 推古16年(608)、小野妹子に率いられ渡隋した留学生・留学僧8人
のうちの一人。32年後の舒明12年(640)、新羅を経由し帰国。
 『日本書紀』皇極3年(644)正月条には、中大兄皇子と中臣鎌足が南
淵請安のもとで学び、その道すがら入鹿暗殺の策を練ったことが記されてい
る。二人は周孔の教え(儒教)を受けたとされるが、長い歳月を唐で暮らし、
中央集権化の必要性を肌で感じていた南淵請安が、事件に思想的根拠・示唆
を与えた可能性がある。
 後述の僧旻と高向玄理は大化改新政権において国博士の地位を得たが、南
淵請安にはそうした形跡がない。事件前に隠遁、あるいは死去したか、そう
した地位に執着しない人物だったかのいずれかと考えられる。

【その他関係者 その3・僧旻】
 南淵請安と同じく、推古16年(608)に渡隋した留学生・留学僧8人
のうちの一人。舒明4年(632)8月帰国。
『藤氏家伝』には、僧旻が鎌足に「吾が堂に入る者、宗我太郎(入鹿のこと)
に如(し)くは無し」と言ったと記され、それが事実なら入鹿と鎌足はとも
に僧旻の教えを受けていたことになる。
 大化改新政権において国博士に任命された。白雉4年(653)6月に没
したが、その病床を訪れた孝徳が、その手を取って「もし法師が今日亡(し)
なば、朕従いて明日亡なむ」と言ったとされ、孝徳の精神的支柱であったこ
とがうかがえる。

【その他関係者 その4・高向玄理】
 推古16年(608)、前述の南淵請安、僧旻らとともに渡隋した留学生。
舒明12年(640)、32年間の在唐生活を終え、南淵請安とともに新羅
経由で帰国。
 大化改新政権で、僧旻とともに国博士に就任。主に外交を担当したらしく、
事件翌年の9月には新羅に赴き、新羅との懸案事項となっていた「任那の調」
を取りやめた。任那復興が欽明天皇の悲願であり、欽明の腹心が蘇我稲目だ
ったことを考えれば、この外交政策の転換は、蘇我本宗家滅亡があったから
こそ可能だったものといえよう。逆に言えば、この「乙巳の変」事件はそう
したことをも目的に含むものだった可能性もないとはいえない。事件唯一の
目撃証言「韓人が鞍作臣を殺した」も、それがこうした「韓のまつりごと」
を指すものだったとすれば、存外的を射たものだったとも考えられる。
 白雉5年(654)2月、押使として赴いた唐で客死。年齢からして病死
と考えるのが自然だが、その前年、中大兄皇子らが孝徳を難波宮に置き去り
にして飛鳥に戻るという事件があったこともあり、他殺の疑いも残る。
 調査継続中。

o〇━━━
●4.よっぱの素人飛鳥学             よっぱ   ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「明日香法」って、なに・・・? その2

 「明日香法」は、昭和55年5月に公布・施行され、それに伴い、古都保
存法が改正され、第7条の2が加えられました。
 明日香法は、第1条に記されているとおり、「明日香村の歴史的風土が、
明日香村の全域にわたって良好に維持されていることにかんがみ、住民の理
解と協力の下にこれを保存するため、古都における歴史的風土の保存に関す
る特別措置法(昭和四十一年法律第一号)の特例及び国等において講ずべき
特別の措置を定めること」を「目的」として施行されました。そして、この
法律の特徴は、
 ・ 現状凍結的な土地利用規制の導入
 ・ 県による明日香村整備計画の策定や同整備計画の事業に対する国の補
助割合の特例
 ・ 明日香村整備基金の措置
を3本柱とするものです。視点を変えると、
 ・ 歴史的風土保存のための土地利用規制等
 ・ 歴史的風土保存と住民生活の調和を図るための措置
 ・ 明日香村の歴史的風土と村民の生活環境調和のための財政等の措置
を定めていると言えます。

 では、明日香法の中身は、どのようになっているでしょう。
http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=355AC0000000060
 まずは、「歴史的風土保存のための土地利用規制等」に関する規定です。
 法第2条は、国土交通大臣が明日香村全域を対象とした、行為規制、土地
利用等に関する事項を記した「明日香村歴史的風土保存計画」を定めなけれ
ばならないと規定し、この計画の決定にあたっては、奈良県、明日香村及び
社会資本整備審議会の意見聴取が条件となっています。
 次に、法第3条は、国土交通大臣が決定した「明日香村歴史的風土保存計
画」に基づいて、奈良県知事が明日香村全域について、都市計画に「第1種
歴史的風土保存地区」及び「第2種歴史的風土保存地区」を決定することが
定められています。第1種保存地区は、歴史的風土保存地区上枢要な部分を
構成し、現状の変更を厳に抑制する地域で、第2種保存地区は、歴史的風土
の維持保存を図るため、著しい現状の変更を抑制する地域とされています。
そして、両保存地区は、古都保存法第7条の2の規定によって、同6条の特
別保存地区として扱われることになったのです。以前に「古都保存法」に関
する記事で述べたように、古都保存法では、歴史的風土保存地区と歴史的風
土特別保存地区に分けて指定がなされ、歴史的風土保存地区での開発行為は
知事への届出、特別保存地区での開発行為は知事の許可と定められています。
このことから、明日香法においては、明日香村全域が第1種と第2種の保存
地区に分けて定められるのですが、いずれの地区も、古都保存法第7条の2
と第6条の規定によって、特別保存地区とされ、すべての開発行為等が知事
許可を必要とすることになっているのです。
 ただし、古都保存法第11条の規定が適用され、知事の許可が得られなか
ったことにより損失が及ぶ場合は、その補償や土地の買入れが行われ、国が
補助することとなっています。

 次に、「歴史的風土保存と住民生活の調和を図るための措置」に関する規
定です。
 法第4条は、国土交通大臣が、明日香村における生活環境及び産業基盤の
整備等に関する基本方針(明日香村整備基本方針)について、奈良県、明日
香村及び社会資本整備審議会の意見を聞いて決定し、奈良県知事に示すこと
を規定しています。
 さらに、この明日香村整備基本方針に基づいて、奈良県知事は、明日香村
の意見を聞いて、明日香村における生活環境及び産業基盤の整備等に関する
計画(明日香村整備計画)を作成します。この計画は、道路、河川、下水道、
都市公園、住宅、教育施設などの生活環境の整備、農業、林業、観光などの
産業振興、歴史的風土の保存と文化財の保護を内容とするものです。

 さらに、「財政等の措置」についての規定です。
 法第5条は、明日香村整備計画に基づいて行う一定の村事業の国庫補助率
等をかさ上げし、法第6条は、明日香村整備計画に基づいて行うための地方
債について、特別の配慮をすることを規定しています。そして法第8条は、
明日香村整備基金を設けて行う、歴史的風土保存を図るための事業、土地の
形質、建築物等の意匠等を歴史的風土と調和させるための事業、歴史的風土
保存に関連した住民生活の安定向上、利便増進のための事業に対して、国が
24億円(県6億円、村1億円、総額31億円)を補助することが規定され
ています。

 以上が、明日香法の概略です。明日香法は、村全域を特別保存地区に指定
して、開発行為等については、知事許可による審査をすることによって歴史
的風土を守り、他方では、国の明日香村整備基本方針、県・村による明日香
村整備計画で村民の生活環境の調和を図り、それを国・県による財政措置で
推進しようとするものなのです。

 さて、明日香村全域は、これまで説明しましたように「明日香法」や「古
都保存法」によって、「第1種歴史的風土保存地区」と「第2種歴史的風土
保存地区」に指定されて開発行為の規制などによって保護されていますが、
これらの法律以外にも、明日香村全域は、「都市計画法」や「奈良県風致地
区条例」によって「第1種風致地区」「第2種風致地区」「第3種風致地区」
にも指定し、様々な開発行為の規制(許可基準)を設けています。
https://asukamura.jp/gaiyo/pdf_2/9.pdf
 その許可基準は、実に細かなものです。例えば建物を建てる場合には、建
ぺい率や高さがそれぞれの指定地区別に設けられていますし、屋根の形状や
部材・色彩・仕上げ方法まで決められています。これは建物だけではなく、
塀や擁壁についても同様の基準が設けられているのです。明日香村で生活さ
れている方は、色々な規制の中で暮らしているのです。そのため、明日香村
では、建築物の新築・改築・増築等に対する助成、発掘調査に伴う建築物の
基礎に対する助成、生垣助成、自然石による石積みの築造に対する助成など
の制度により、歴史的風土と調和した環境づくりを進めているようです。
https://asukamura.jp/toshikeikaku/kenchikukyoka.html

 明日香法が制定されて、まもなく40年を迎えます。制定以後、奈良県知
事作成の明日香村整備計画は10年ごとに見直され、現在は、「第4次明日
香村整備計画」に基づく施策が進められています。
https://asukamura.jp/asuka-ho/seibi_kekaku_04.html) 
 この計画と連動して明日香村においても、「第4次明日香村総合計画」が
策定され、村民の意見を取り入れた行政の全分野の基本指針を示して、各種
施策が進められています。
https://asukamura.jp/gyousei/keikaku_4_gaiyo01.html
 そして、平成32年度からは、「第5次明日香村整備計画」「第5次明日
香村総合計画」による施策が進められます。
 
 今年、文化財保護法の改正法が国会で可決成立し、平成31年4月には改
正法が施行されます。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/1402097.html
 地方行政による文化財の保存と活用が叫ばれる一方で、歴史的風土の保存
と生活環境の整備は、今後どのように進められていくのでしょうか。
 もう少し勉強を続けてみます。

o〇━━━
●5.飛鳥情報                        ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 ―――――――――――――――――――――――
 ●三輪山セミナー
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 9月29日(土)
   内 容: 「発掘された神社遺構」
          橋本 裕行氏(橿原考古学研究所企画課長)
   時 間: 14:00〜(受付12:30〜)
   場 所: 大神神社 大礼記念館
   受講料: 200円
   詳 細: http://oomiwa.or.jp/topics/topics_seminar/

 ―――――――――――――――――――――――
 ●葛城市歴史博物館 特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「古代葛城の武人−葛城市兵家古墳群と大和の甲冑−」
   会 期: 9月29日(土)〜11月25日(日)
        (休館日毎週火曜日、第2・4水曜日)
   時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 葛城市歴史博物館
   料 金: 一般200円、高校・大学生100円、小・中学生50円
   詳 細: http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/13,31213,31,130,html

 ≪記念講演会(要申込)≫
   開催日: 10月13日(土)
   内 容: 「古墳時代の甲冑と葛城」
          吉村和昭氏(橿原考古学研究所附属博物館 学芸課長)

   開催日: 10月27日(土)
     内 容: 「古代葛城の武人」
            神庭 滋(葛城市歴史博物館学芸員)

   開催日: 11月10日(土)
   内 容: 「ワカタケル王権の防衛軍」
          千賀 久氏(葛城市歴史博物館館長)

   時 間: 14:00〜
   場 所: 葛城市歴史博物館2階 あかねホール
   詳 細: http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/13,31213,31,130,html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●万葉文化館 特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「マンガで語る古代大和−学術と創造の融合−『天上の虹』にみる創造の世界」
   会 期: 9月30日(日)まで開催中
   時 間: 10:00〜17:30(入館は17:00)
   場 所: 万葉文化館 日本画展示室
   料 金: 一般1000円、高校・大学生500円、小・中学生無料
   詳 細: http://www.manyo.jp/event/detail.html?id=223

 ―――――――――――――――――――――――
 ●飛鳥学冠位叙任試験(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
 「飛鳥版科挙〜入門編、小舎人編」
   開催日: 9月30日(日)
   時 間: 9:00〜16:30
   場 所: 近鉄飛鳥駅〜(正午まで受付)
        飛鳥周遊ウォーク+クイズラリー(ポイント6ヶ所)
        (明日香村全域が会場です)
   料 金: 入門編1000円、小舎人編500円
   詳 細: http://www.asukabito.or.jp/infoDetail373.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●桜井市立埋蔵文化財センター 発掘調査速報展
 ―――――――――――――――――――――――
 「50cm下の桜井」
   会 期: 9月30日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
   場 所: 桜井市立埋蔵文化財センター展示収蔵室
   料 金: 一般300円、小・中学生150円
   詳 細: http://www.sakurai-maibun.nara.jp/tenji/Sokuhou.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●大阪府立狭山池博物館 平成30年度特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「王者のひつぎ−狭山池に運ばれた古墳石棺」
   会 期: 11月25日(日)まで開催中   
   時 間: 10:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 大阪府立狭山池博物館 特別展示室
        (大阪府大阪狭山市池尻中2丁目)
   入場料: 無料
   詳 細: http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/_opsm/exhibition/26.html
    
 ≪歴史学セミナー≫
   開催日: 9月30日(日)
   内 容: 「六世紀の大王のひつぎ
         −継体・安閑・欽明天皇のひつぎを推測する−」
          西川 寿勝氏(狭山池博物館)
        「有明海沿岸勢力と継体天皇時代の大和政権」
          水谷 千秋氏(堺女子短期大学教授)

   開催日: 11月4日(日)
   内 容: 「五世紀の大王のひつぎ−仁賢天皇のひつぎを推測する−」
          西川 寿勝氏(狭山池博物館)
        「古市・百舌鳥古墳群と王統の確執」
          塚口 義信氏(堺女子短期大学名誉学長)

   時 間: 14:00〜16:30
   場 所: 狭山池博物館ホール
   詳 細: http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/_opsm/exhibition/26.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●帝塚山大学附属博物館 企画展示
 ―――――――――――――――――――――――
 「仏教美術のススメ2〜仏画のヒミツ〜」
   会 期: 10月3日(水)〜10月31日(水)
   休館日: 日曜祝日・大学休講日は原則休館
        (学校行事等により、休開館日の変更、一時休館等の場合があります。)
   時 間: 9:30〜16:30
   場 所: 帝塚山大学附属博物館
   入場料: 無料
    
 ≪関連講座≫
   開催日: 10月20日(土)
   内 容: 「密教図像を語る〜一意専心の芸術〜」
          古川 攝一 氏(大和文華館学芸員)
   時 間: 14:00〜15:30
   場 所: 帝塚山大学奈良・東生駒キャンパス2号館2101教室

 ≪ちょこっと学芸員体験2(要申込)≫
   開催日: 10月19日(金)
   内 容: 「やさしい文化財講座−文化財を守る基礎知識−」
   時 間: 14:00〜15:30

   開催日: 10月20日(土)
   内 容: 「ちょこっと学芸員体験−仏像の取り扱い−」
   時 間: 10:30〜12:00

   開催日: 10月27日(土)
   内 容: 「ちょこっと学芸員体験−仏画・巻子の取り扱い−」
   時 間: 10:30〜12:00

   講 師: 戸花 亜利州氏(帝塚山大学文学部講師/附属博物館学芸員)
   場 所: 帝塚山大学附属博物館

   詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/museum/temporary/2018/07/26/12_1.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●帝塚山大学文学部「奈良学」フォーラム(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
 ※申込〆切 〜10/4(必着)

 興福寺中金堂落慶記念
 「祈りと復興」−澤田瞳子氏最新作『龍華記』出版特別講演−
   開催日: 10月14日(日)
   内 容: 開会挨拶
           蓮華 一己氏(帝塚山大学学長)
           多川 俊映氏(興福寺貫首/帝塚山大学特別客員教授)
        ガイダンス
         「興福寺旧境内の瓦窯跡(2017年秋発見)について」
           清水 昭博氏(帝塚山大学文学部長/帝塚山大学附属博物館長)
        朗読
         「『龍華記』より」
           岡崎 ゆう子氏(フリーアナウンサー/朗読家/帝塚山大学非常勤講師)
        拝観案内
         「興福寺国宝館(中金堂再建落慶記念特別展示)を中心に」
           多川 文彦氏(興福寺国宝館学芸員/帝塚山大学非常勤講師)
        座談会
         「『龍華記』誕生の舞台裏」
           澤田 瞳子氏(作家)
           辻 明俊氏(興福寺執事)
           山根 隆徳氏(株式会社KADOKAWA・「小説 野性時代」編集長)
           清水 昭博氏(帝塚山大学文学部長・帝塚山大学附属博物館長)
   時 間: 13:00〜15:00(受付は12:00から)
   場 所: 興福寺会館
   定 員: 200名
   詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/social/lectures/2018/09/10/post-112.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●飛鳥資料館 秋期特別展
 ―――――――――――――――――――――――
  「よみがえる飛鳥の工房−日韓の技術交流を探る」
   会 期: 10月5日(金)〜12月2日(日)
   時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
   場 所: 飛鳥資料館 特別展示室
   料 金: 一般270円、大学生130円
        高校生及び18歳未満、65歳以上は無料
   詳 細: https://www.nabunken.go.jp/asuka/kikaku/post-35.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●橿原考古学研究所附属博物館 秋期特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「古代の輝き−日本考古学と橿考研80年の軌跡2−」
   会 期: 10月6日(土)〜11月25日(日)
   時 間: 9:00〜17:00
   場 所: 橿原考古学研究所附属博物館 特別展示室
   料 金: 一般800円、高校・大学生450円、小・中学生300円

 ≪研究講座≫
   開催日: 10月7日(日)
   内 容: 「木簡から飛鳥宮跡を読み解く」
          鶴見 泰寿氏(橿原考古学研究所附属博物館学芸員)
        「古代国家の形成と飛鳥宮」
          林部 均氏(国立歴史民俗博物館複館長)
   時 間: 13:00〜16:30(開場12:00)
   場 所: 橿原考古学研究所 講堂
   詳 細: http://www.pref.nara.jp/50761.htm

 ―――――――――――――――――――――――
 ●近つ飛鳥博物館 秋期特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「4世紀のヤマト王権と対外交渉−東アジア情勢と古墳の変化−」
   会 期: 10月6日(土)〜12月2日(日)
   時 間: 10:00〜17:00
   場 所: 近つ飛鳥博物館 特別展示室
   料 金: 一般650円、65歳以上・高校・大学生450円、
        中学生以下・障がい者手帳をお持ちの方(介助者1名含む)無料
   詳 細: http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=exhibition/special4

 ≪研究講座≫
   開催日: 10月21日(日)
   内 容: 「日本古代史からみた対外交渉」
          舘野 和己氏(近つ飛鳥博物館館長)

   開催日: 11月11日(日)
   内 容: 「ヤマト王権の政権争奪と軍事」
          田中 晋作氏(滋賀県立大学名誉教授)

   時 間: 13:30〜15:00
   場 所: 近つ飛鳥博物館 地階ホール
   詳 細: http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=exhibition/special4/kanren02

 ―――――――――――――――――――――――――
 ●今城塚古代歴史館・しろあと歴史館 秋季合同特別展
 ―――――――――――――――――――――――――
 「藤原鎌足と阿武山古墳」
   会 期: 10月6日(土)〜12月2日(日)
   時 間: 10:00〜17:00
   場 所: 高槻市立今城塚古代歴史館
        高槻市立しろあと歴史館
   料 金: 一般200円、小・中学生100円

 ≪特別展講座≫
   開催日: 10月6日(土)
   内 容: 「写真記録からみた阿武山古墳の調査」
          今西 康宏氏(今城塚古代歴史館学芸員)

   開催日: 10月8日(月・祝)
   内 容: 「飛鳥寺西の歴史的変遷」
          相原 嘉之氏(明日香村教育委員会文化財課長)

   時 間: 13:30〜15:00
   場 所: 今城塚古代歴史館 2階映像研修室
   詳 細: http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/daio/kodairekishikan/kikaku_tokubetu/1532595311382.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●吉野歴史資料館 公開講演会(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 10月7日(日)
   内 容: 「飽波宮と吉野離宮」
          平田 政彦氏(斑鳩町教育委員会生涯学習課参事)

   開催日: 11月11日(日)
   内 容: 「藤原京からみた吉野」
          竹田 政則氏(橿原市教育委員会文化財課長)

   時 間: 14:00〜15:30
   場 所: 吉野町中央公民館
   費 用: 500円
   詳 細: http://www.town.yoshino.nara.jp/about/post-9.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●飛鳥史学文学講座(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 10月14日(日)
   内 容: 「中大兄皇子の嶋宮(岡宮)と岡寺」
          西本 昌弘氏(関西大学文学部教授)

   開催日: 11月11日(日)
   内 容: 「古墳に副葬された玉類の様相−3〜6世紀の大和地域を中心に−」
          井上 主税 氏(関西大学文学部准教授)

   時 間: 13:00〜
   場 所: 明日香村中央公民館
   詳 細: https://asukamura.com/?p=11407

 ―――――――――――――――――――――――
 ●纒向学研究センター東京フォーラム7(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
 「卑弥呼」発見!「卑弥呼、以に死し、大いに冢を作る」−卑弥呼の墓−
   開催日: 10月14日(日)
   時 間: 10:20〜16:00(開場9:50)
   場 所: よみうりホール(東京都千代田区有楽町1―11―1)
   内 容: 講演
        「箸墓古墳へのアプローチ−調査成果からみた『卑弥呼の墓』−」
          福辻 淳氏(纒向学センター主任研究員)
        「箸墓築造の謎−最古の巨大前方後円墳−」
          苅谷 俊介氏(俳優・日本考古学協会員・京都橘大学客員教授)
        「前方後円墳はいかにして成立したか」
          松木 武彦氏(国立歴史民俗博物館教授)
        「中国学からみた卑弥呼の墓制」
          渡邉 義浩氏(早稲田大学教授)
        シンポジウム
         コーディネーター 寺澤 薫氏(纒向学研究センター所長)
         講 師 苅谷俊介氏、松木武彦氏、渡辺義浩氏、福辻淳氏
   詳 細: http://www.makimukugaku.jp/info/event.html#foram

 ―――――――――――――――――――――――
 ●万葉集をよむ
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 10月17日(水)
   内 容: 「龍の馬も今も得てしか(806〜809番歌)」
          井上 さやか氏(万葉文化館上席研究員)
   時 間: 14:00〜(開場13:30〜)
   場 所: 奈良県立万葉文化館
   詳 細: http://www.manyo.jp/event/detail.html?id=216

 ―――――――――――――――――――――――
 ●高松塚壁画館 秋期企画展
 ―――――――――――――――――――――――
 「古代寺院出土の壁画」
   会 期: 11月30日(金)まで開催中
   時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 高松塚壁画館
   費 用: 一般250円、高校・大学生130円、小・中学生70円
   詳 細: http://www.asukabito.or.jp/

o〇━━━
●6.編集後記                  梅前    ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今回咲読を担当させていただきました。「乙巳の変」を人物別に書き出し
てみましたが、いかがだったでしょうか。だらだらと長くなって申し訳あり
ません(>_<)
 書いてみて思ったのは、この事件は実に大がかりで、とても一人の人物の
「思いつき」で実行できるものではなかったということです。そんな大がか
りな計画が、なぜ入鹿に気づかれることなく実行に移せたのか。よほど用意
周到にことを進めたのか、あるいは入鹿の慢心があったのでしょうか。その
あたりにもこの事件の謎が秘められているような気がします。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2007-11-11  
最終発行日:  
発行周期:隔週金曜  
Score!: 99 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。