近畿

飛鳥遊訪マガジン

飛鳥地域の歴史・文化・景観が好きな皆さん♪「両槻会」は、そんな皆さんと一緒により飛鳥を楽しもうと活動しています。飛鳥遊訪マガジンでは、歴史だけではない飛鳥の魅力もお届け出来ればと思います。皆さん!ご一緒に、もっと飛鳥を楽しみませんか♪

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飛鳥遊訪マガジン Vol.285

2018/01/05

┏○INDEX‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥┓

   1.両槻会からのお知らせ
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   2.寄稿               あい坊先生
   ―――――――――――――――――――――――――――
   3.咲読               よっぱ
   ―――――――――――――――――――――――――――
   4.飛鳥悠遠             梅前
   ―――――――――――――――――――――――――――
   5.飛鳥情報
   ―――――――――――――――――――――――――――
   6.編集後記
   ―――――――――――――――――――――――――――
┗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥o○┛
 明けましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいた
します。飛鳥では、穏やかな正月となりました。皆さんの地元では如何で
したか。
 我が家では、私が年末に痛めた左手首痛と腰痛の中での迎春となりまし
たが、母が穏やかに過ごしてくれたので、自家製のお節や雑煮だけは準備
することが出来ました。
 飛鳥を含めた国中地域(大和盆地南部)で盛んな風習なのですが、白味
噌仕立ての雑煮をいただきます。白味噌雑煮は、関西地域では多いと思う
のですが、大和雑煮は食べ方に特徴があります。白味噌雑煮と別皿にきな
粉を準備します。そのきな粉に、雑煮椀からお餅を取り出して、きな粉に
付けて食べるのです。なんだ! 気持ち悪い! と思われる方も居られる
でしょうが、安倍川餅のようなお餅を思い出していただければ、さほど珍
妙な食べ方ではありません。飛鳥に思いを馳せながら、一度お試しくださ
い。私のように、病みつきになるかも知れませんよ。(笑)

 参考写真リンク  https://www.facebook.com/asukakaze210/                           
                              風人
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●1.お知らせ                        ○o。
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第64回定例会のお知らせ

講演会「飛鳥・白鳳の塑像」

 講  師: 戸花亜利州先生 (帝塚山大学講師)
 実 施 日: 2018年2月3日(土)
 会  場: 飛鳥資料館講堂
 開  演: 13:15(予定)
 終  演: 15:15(予定)
 解  散: 16:00
 募集人数: 40名
 参 加 費: 1,000円 (運営協力金) 学割あり
 受  付: 11月24日(金)から定員まで
 事前散策: 講演内容に関連する遺跡巡りを行います。
       飛鳥駅集合(10時頃) → 定林寺跡 → 川原寺 → 
       川原寺裏山遺跡 → 明日香村埋文展示室 → 飛鳥資料館
       約6km

【講演概要】
「飛鳥・白鳳の塑像」
 塑像は土から造られた仏像で、7世紀から8世紀にかけてのいわゆる飛鳥・
白鳳・天平時代に流行した技法である。古代寺院跡から出土した塑像の多く
は土という脆弱な材質のため破損した状態で見つかることが多いが、中には
形状から尊名や用途について推測できるものも少なからずあり、往時の信仰
形態を考える上で極めて貴重な資料であるといえる。
 今回、我が国における塑像の展開を、川原寺裏山遺跡から出土した塑像片
を中心に考えてみたい。

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●2.寄稿                    あい坊先生 ○o。
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斉 明 朝 の 王 宮 と 王 都 造 営 その4
− 時 を 刻 む 漏 刻 −                               

 現在、6月10日は「時の記念日」とされています。これは日本で時計
(水時計)が作られ、時を知らせた日を記念したものであり、『日本書紀』
天智10年(671)4月25日(旧暦)を新暦に改めたものです。しかし、
漏刻(水時計)の建設記事は、これ以前にもあります。斉明6年(660)
5月「皇太子、初めて漏剋を造る。民をして時を知らしむ。」です。中大兄
皇子が我が国で初めて漏刻を作った記事です。しかし、この記事は660年
5月までしか記載がなく、日付がわからなかったのです。このために時の記
念日は、日本で2回目に時計が作られた日に決められたのです。残念。今回
は、我が国初の漏刻についてみていきたいと思います。

史料からみる漏刻
 漏刻とは中国で発明された水時計です。すでに紀元前から存在していまし
た。しかし、より正確な時間を刻むために改良が加えられ、唐代には呂才に
よって四段式漏壺が作られました。漏刻の基本構造は、上段の水槽から下段
の水槽に水を流し、その量によって時間を測るものです。しかし、上段の水
槽から流れ出る水圧は、貯水量が多いほど水圧が高く、貯水量が少なくなる
と水圧が弱くなります。これでは、一定の量の水を継続的に流すことができ
ません。そこで水槽の数を増やすことにより、流水量を一定にしたのです。
 この漏刻を管理・運営している部署は、後の中務省陰陽寮です。ここでは
陰陽師・陰陽博士・暦博士・天文博士・漏刻博士と、その生徒たちが配置さ
れていました。その人員配置をみると陰陽博士1人に対して陰陽生10人で
すが、漏刻博士は2人で20人の生徒がいます。これは他の部署とは異なり、
漏刻は24時間体制で管理しなければいけないからと考えられます。ここで
測られた時刻を、民に知らせていたのでしょう。
 では飛鳥の漏刻はどこに作られたのでしょうか。残念ながら史料上では特
定できません。ただ斉明6年(660)の漏刻の記事に続けて「又、石上池
の邊に、須弥山を作る」とあり、石上池や須弥山と漏刻が近接してあったこ
とが推定されます。石神遺跡と水落遺跡が隣接してあることは、その意味で
も重要です。

飛鳥水落遺跡の調査
 水落遺跡は昭和47年の発掘調査で、四周を石貼りの溝に囲まれた方形の
基壇上に建つ建物が確認されました。しかし、その性格の特定までには至ら
なかったものの、当時、飛鳥浄御原宮の推定地とされる一画で、石貼りの溝
に囲まれた楼閣風の建物の重要性から史跡に指定され、保護されることにな
ったのです。その後、この遺跡が中大兄皇子が作った漏刻であることが判明
したのは、昭和56年の調査時です。この間の飛鳥の調査では、飛鳥浄御原
宮が飛鳥宮跡であることが有力になり、また、土器編年も精緻化し、水落遺
跡は斉明朝の遺跡であることが推定されるようになっていたのです。
 水落遺跡は、周囲を石貼りの溝を巡らせ、基壇上に総柱建物を建てていま
す。柱の下には基礎石を据えることから、楼閣状建物と推定されました。さ
らに建物内へ東からの地下水路(木樋・銅管)によって給水し、建物内部で
利用していました。余水は北の石神遺跡内へ導水し、または西の飛鳥川に排
水しています。建物中央には漆塗木箱が設置されており、導水構造や建築構
造、出土土器から斉明6年5月に中大兄皇子が作った我が国初の水時計と推
定されました。さらにその後の調査では漏刻建物の周囲には、四隅に楼閣を
建てた回廊状建物が囲むことがわかり、その周囲は石敷・砂利敷舗装であっ
たこともわかっています。

漏刻設置の意味
 漏刻が作られた意味はどこにあるのでしょうか。漏刻が作られることによ
り、時間の概念が明確化しました。それは時間だけでなく、年月日が確立し
たことにもなります。今でもそうですが、私たちは時間に追われた生活をし
ています。すべての人が、共通の時間を持つことにより、正確で規律正しい
生活が送れるのです。このことは最高権力者にとっても重要なことで、人々
を管理する必要上、時間の管理は大切なことだったのです。そして、その時
間を決めることが、最高権力者にのみ許された特権でもあったのです。漏刻
の設置は、単に時計を作っただけではなく、時を司るという政治的な意味合
いもあったのです。
 では、漏刻は王宮ではなく、なぜ飛鳥寺西地域に設置されたのでしょうか。
この当時、人々の居住する範囲は明確ではありませんが、香具山の南あたり
までと推定できます。そうすると飛鳥宮では、山田道あたりまでは時を知ら
せる鐘が聞こえますが、香具山の南辺までは困難です。地理的にみると水落
遺跡が、南北の中間にあたり、過去に行った実験でも、水落遺跡であれば、
鐘の音が聞こえることがわかっています。漏刻が水落遺跡に作られたひとつ
の要因です。そしてもうひとつは、飛鳥寺西地域が飛鳥の中心、天皇が治め
る天下の中心と考えられていたからです。

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●3.咲読                    よっぱ   ○o。
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「仏像(釈迦如来像)の誕生とその後」

 第64回定例会に向けての咲読も4回目となりました。
 今回は、いよいよ仏像についてです。

 現在、飛鳥の地に残されている最古の仏像といえば、安居院の「飛鳥大仏」
です。
 これまでの史料から、この仏像は鎌倉時代(建久7年、西暦1196年)
に火災にあい、残ったのは頭と右手のみとされていましたが、早稲田大学の
銅の比率分析によると、その大部分が造立当時のものだとされています。

 さまざまな種類がある仏像の内、「釈迦」だけは、紀元前5世紀に活躍し
た唯一実在した人物で、仏像造立の最初は「釈迦如来像」だとされています。
安居院の「飛鳥大仏」もこの「釈迦如来像」です。
 仏教は、当初偶像否定思想であり、開祖とまで言われる釈迦の偶像が作ら
れることはありませんでした。そのため、舎利を納めた仏塔(ストゥーパ)
や釈迦の足跡をかたどった仏足石、説法を象徴する法輪、悟りを開いたとき
にいた菩提樹などをシンボル化して崇拝していたようです。
 しかし、釈迦入滅から500年後、現在のパキスタン領のガンダーラで最
初の仏像が作られました。この地方には早くからギリシャ人が侵攻、定住し
て王国を営み、異国の文化を巧みに取り入れて自国の文化と融合させ、いわ
ゆるヘレニズム文化を生み出していました。そして、異国の宗教も排斥せず
に公平に扱ったため、仏教を信仰する者もいたとされます。
 また、ギリシャでは古くからギリシャ神話の神々の偶像制作が盛んだった
ため、ガンダーラに移住したギリシャ人も神像を造って礼拝していたことか
ら、ガンダーラで仏像を求める機運が高まり、タブーは易々と破られ、最初
の仏像が作られたと考えられるようです。

 釈迦は、現在のネパール・タラーイ地方のカピラヴァストゥという王国の
王子として生まれ、29歳の時に地位、財産、係累などを一切捨てて王城を
飛び出した(出家した)と伝えられます。また、釈迦は出家するとそれまで
身に着けていた王侯貴族の豪華な衣装を、途中で会った貧しい修行者の粗末
な衣装と交換し、以後はいわゆる破れ衣一枚を身に着けて修行の旅をつづけ
たと伝えられています。
 そのため、最初に造られた仏像は、この出家した後の釈迦をモデルにした
ため一枚の布だけを身に着けた姿となったのです。そしてこの姿が後の如来
像の原型になったとされています。

 偶像崇拝の気運は、インドの他の地方にも波及し、インド中部のマトゥラ
ーでも東洋的な釈迦如来像が作られました。ガンダーラで造られた仏像はギ
リシャ神話や神像の影響を受けて西洋的な風貌で造られていましたが、マト
ゥラーの仏像はインド的な東洋風の風貌で造られたのです。
 その後、大乗仏教の広まりとともに我が国を含むアジアの広い地域に偶像
(仏像)崇拝は広まったようです。

 「仏像」は、信仰対象として「仏」の姿を表現した像で、「仏」は初期の
仏教では開祖の釈迦を指すものでしたから、仏像も当初は「釈迦如来像」の
みでした。しかし、仏教の発展とともに様々な仏像が考えだされたのです。
 仏像は、その基本的なパターンによって、「如来」「菩薩」「明王」「天
部」に区分され、それぞれに多くの種類の仏像が作られています。如来には、
釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来などがあり、菩薩には、観音菩
薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩などがあります。また、明王には不動明王、降三世
明王、金剛夜叉明王、軍荼利明王、大威徳明王などがあり、天部には、梵天、
帝釈天、四天王、弁財天や鬼子母神、阿修羅などがあります。
 
 如来は、「如去如来」「如来如去」の略です。「如」は真理を意味し、
「真理の世界へ去り、真理の世界より来られし者」という意味で、「悟りを
開いた人」を表します。
 如来像は、出家後の釈迦をモデルにして最初に誕生した仏像です。出家し
た釈迦は、一枚の破れ衣だけをまとって修行の旅をつづけたことから、その
姿をとらえた如来像は、装飾品や宝冠などは一切身に着けていないのが原則
とされています。また、初期の如来像は、基本的には釈迦如来像のみでした
が、大乗仏教の発展に従って阿弥陀如来や薬師如来など、様々な如来の存在
が考えだされたのです。これらの如来像も衣一枚だけをまとった共通の姿に
造られました。このような如来の共通の姿を「如来の通相」といいます。さ
らに大乗仏教が発展し7世紀ころに密教が成立すると、森羅万象を生み出す
と考えられる大日如来が生み出されました。大日如来は他のすべての如来・
菩薩を統括するとされ、他の如来とは姿も異なると考えられたことから、宝
冠や装飾具を身に着けています。

 菩薩は、「菩提薩タ(ぼだいさった タは土偏に垂)」の略で、「悟りを
求める衆生(すべての人々)」を意味します。菩薩は悟りを開いて如来にな
る前の修行時代の姿を現しています。出家する前の釈迦の王子時代の姿をモ
デルにしているとも言われ、きらびやかな装飾品や宝冠を身に着けています。
菩薩は如来の衆生救済を補佐する(手伝う)と考えられるようになり、多種
多様な菩薩が考え出されました。観音菩薩は、33種類の姿に変化して衆生
を救い、地蔵菩薩は六道という六つの世界を行き来して衆生を救うと考えら
れ、生み出されました。

 明王は、7世紀ごろに大日如来とともにその存在が考えられて生み出され
ました。明王はもともとインドのヒンズー教の神々だったのが仏教にとりい
れられたためその姿や性格にインドの神々の特徴を残しています。明王は、
仏教の教えをなかなか受け入れられない激しい煩悩をもったものを、すさま
じい忿怒の相で説き伏せるために、大日如来の命を受けたとも、大日如来が
自ら明王に化身したとも伝えられています。

 天部は、仏教が興る以前、四千年位前から造られ始めた古代インドの神話
に登場する神々が、仏教に取り入れられ、仏教の守護神とされました。天部
には、梵天や帝釈天などのようにはじめから善神だったものもあれば、鬼子
母神や阿修羅のようにもとは悪神だったものが、釈迦に諭されて仏教の守護
神となったものもあります。

 仏像は、上から、如来、菩薩、明王、天部の順で階層が決められ、その役
割が決められています。
 いちばん位が高いのが如来で、政界で言えば、首相か党首に当たります。
 菩薩は、大臣か党三役です。お寺によっては、本堂に三尊像が祀られてい
ます。釈迦三尊像であれば、中央に釈迦如来、脇侍は左に文殊菩薩、右に普
賢菩薩が祀られています。阿弥陀三尊像であれば、中央に阿弥陀如来、脇侍
は左に観音菩薩、右に勢至菩薩が祀られています。菩薩は如来に付き従い、
如来を補佐する役割があります。ですので、三尊像では、中央に菩薩、脇侍
に如来が祀られることはありません。
 明王は、大日如来の化身として、仏教の教えをなかなか受け入れられない
激しい煩悩をもったものを、すさまじい忿怒の相で説き伏せることを役割と
しますので、政界でいえば、特命大臣か特命大使でしょうか。
 天部は、すさまじい形相で門に立つ仁王のように、仏教に危害を及ぼしそ
うな外敵を撃退し、仏教とその信者を守る役割、つまり仏教を守護する護法
善神ですので、ガードマンやボディガードの役目といえます。

 仏像が誕生したときは、実在の人物を偶像化した釈迦如来像のみでしたが、
仏教の発展とともに、色々な種類の仏像とその地位や役割が考え出されたよ
うです。

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●4.飛鳥悠遠                  梅前    ○o。
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「古代の『お正月』」

 飛鳥遊訪マガジンをご購読の皆さま、明けましておめでとうございます。
皆さまどのようなお正月を過ごされましたか?
 現在のような「お正月」の原型となる行事が始まったのは、平安時代に入
ってからと言われています。宮中で行われていた行事が庶民に広まり、土地
の信仰と結びついて、今行われているような正月行事が定着していったもの
と思われます。
 それでは古代のお正月はどのようなものだったのでしょうか。今回はそれ
を考えてみたいと思います。

 もちろん、手がかりとなるのは『日本書紀』などの文献史料のみなので、
一般の人々がどのようなお正月を過ごしていたのか知るすべはありません。
 季節の移り変わりを読み取ることが稲作(農耕)には不可欠なので、正式
な暦が入ってくる以前から、人々は暦に近いものを持ち、それを重視する風
潮があったと思われます。今回のあい坊先生の寄稿にもあるように、そうし
た「暦」や「時」を支配するのが支配者の特権であり、資格でもあったので
しょう。

 『日本書紀』をひもといてみると、正月に行われる「賀正礼」「朝賀の儀」
は、大化2年(646)1月1日の「賀正礼(みかどをがみのこと)」が初
見です。
 それまでにも、清寧4年(483)1月7日に海外の国々の使者たちを饗
応したという記事や、推古20年(612)1月7日の群卿に宴(とよのあ
かり)をたまわったという記事などが見られますが、これは特に正月だから、
ということではなさそうです。

 従って、わが国において「賀正礼」というものが正式に始まったのは、大
化2年からと言えそうです。その後、孝徳在位中に5回、天智在位中1回、
天武在位中6回、持統在位中2回の賀正礼および正月朝賀の儀が行われてい
ます。
 各天皇それぞれ在位年数が異なりますので、在位中、どれくらいの割合で
賀正礼を行ったのか、パーセンテージを出してみました。

 孝徳  9年中 5回 55%
 斉明  7年中 0回  0%
 天智  3年中 1回 33%(称制を加えると10年なので10%)
 天武 13年中 6回 46%
 持統  8年中 2回 25%

ちなみに、「在位中にお正月を迎えた」年数で計算していますので、実際の
在位年数とは異なります。天智は668年即位として計算しましたが、称制
を加えると正月は10回となり、賀正礼を行った割合は10%になります。
また、天武は壬申の乱(672)の翌年2月に即位したので、正月は2回分
(672、673)抜けています。持統も即位は690年1月なので、68
7年から689年までの3年は算入していません。

 これらの数字からまずわかるのは、孝徳と天武の「賀正礼」比率の高さで
す。
 たぶん孝徳は、大化改新にあたって、新しい儀式としてそれを導入しよう
としたのでしょう。改新政権のブレーンだった高向玄理は32年間を隋・唐
で暮らした人間ですから、隋や唐の皇帝が行っていた新年の儀式を、新たな
権威の象徴として日本に持ち込もうとしたのかもしれません。

 それにくらべて斉明の「0%」は、一体どうしたことでしょう。半島情勢
の緊迫と、それに続く西征などで、それどころではなかったのかもしれませ
んが、まったく行わなかったというあたり、なにか彼女の「頑なさ」が透け
て見えるような気がします。唐・新羅と敵対していたとはいえ、西征に向け
ての国威発揚にあたって、賀正礼などの儀式は大王家の権威づけにうってつ
けだったように思えるのですが、斉明はそれをしていないのです。
 私は以前、斉明が建造したとされる「両槻宮」は、中国皇帝が行った「泰
山封禅の儀」を模した儀式を行うための「天宮」として建設したものではな
いかと考えていたのですが、彼女のこの「アンチ唐」ぶりからすると、考え
を改めなくてはならないかもしれません。

 天智の場合は、母・斉明の考えを踏襲したというよりは、白村江の敗戦と
戦後処理に追われ、それどころではなかったというのが実際のところでしょ
う。称制期間を終え、668年正月に正式に即位したのちは、670年に大
射を行い、翌年には蘇我赤兄と許勢臣人に「賀正事」を奏させています。天
智はその年の12月に崩御しているので、もしも彼が長生きし、天皇として
の在位期間が長かったら、それから何回も賀正礼を行ったかもしれません。

 一方、天武は、非常に積極的に賀正礼を取り入れています。行っていない
年には大射(群臣たちに弓を射らせること)や宴を必ず行っています。唯一、
天武11年(682)は何も行っていませんが、これは1月18日に天武の
夫人・氷上娘(藤原鎌足の娘)が薨じているので、それと何か関連があるの
かもしれません。
 壬申の乱に勝利して即位した天武は、そうした儀式を行うことにより、自
らの地位を固め、王権の強大化をはかろうとしたのでしょう。そのあたり、
正統な王位継承者であった天智の、ちょっとおっとりした感じと対照的なも
のを感じます。

 それに対して持統は、そうした王権強化策を取った気配がありません。丸
2年を要した天武の殯のあと、持統3年(689)1月1日、諸国の者たち
を前殿(大極殿か)に集め、「朝(まうこ)しむ」、つまり朝拝をさせ、翌
持統4年(690)1月1日には、即位にあたり、拝朝(みかどをがみ)さ
せたとありますが、その後の正月は、賜位や饗応などの記録はあっても、
「賀正礼」を行った記録がありません。つまり、即位してすぐの2年は賀正
礼を行ったものの、そののちは孫・文武に位を譲るまで、賀正礼はまったく
行わなかったということです。
 想像にすぎませんが、こうした持統の態度は、草壁が生きているうちは草
壁が、草壁が薨じたのちは孫の文武が、天武に比肩する「強大な天皇」とな
るべきで、自分はあくまでもその「中継ぎ」にすぎないといった思いからく
るものではなかったでしょうか。

 持統のあとを受けて即位した文武は、即位の翌年(文武2年(698))
1月1日、朝賀の儀を行います。さらにその2年後、大宝元年(701)1
月1日にも朝賀の儀を行っています。この時の儀式は大変盛大だったようで、
『続日本紀』には、「正門に烏形(うけい)の幢を樹(た)つ。左は日像・
青龍・朱雀の幡、右は月像・玄武・白虎の幡なり」とあります。一昨年、こ
のときの柱穴が確かに7つ、藤原宮跡で出土して皆を驚かせたのは、記憶に
新しいところです。

 中国からやってきたであろう「正月の儀式」。それが王威を高めるために
使われ、次第に形式化していくうちに、宮中から一般の人々のあいだに広ま
り、この国の風土や思想と融和して、今のお正月の風景になったのでしょう。
そう考えると、時にはちょっと面倒に思える正月行事も、時代に合わせ少し
ずつ変化させていくことはあるにせよ、次世代に受け継いでいくことが大切
なのかもしれないと思えてきます。

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●5.飛鳥情報                        ○o。
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 ●有史会東京大和考古学講座(要申込)
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 ※ 申込〆切 〜1/10まで

   開催日: 1月27日(土)
   内 容: 「毛原廃寺の調査と東山中の古代寺院・石仏」
          大西 貴夫氏(橿原考古学研究所指導研究員)
   時 間: 14:00〜16:30
   場 所: 東京国立博物館平成館大講堂
   詳 細: http://www.kashikoken-yushikai.org/

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 ●明日香村・奈良県立美術館連携展示
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 「明日香まるごと博物館−全域に文化財が眠る村とその魅力−」
   会 期: 1月14日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 奈良県立美術館
   料 金: 無料

  ≪関連イベント≫
   開催日: 1月6日(土)
   内 容: 講演「発掘調査から見た日本国創成のとき」
          西光 慎治氏(明日香村文化財課調整員)
   時 間: 14:00〜15:00(開場13:30)
   場 所: 奈良県立美術館レクチャールーム

 ・・・・・・

   詳 細: https://asukamura.com/?p=10501

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 ●飛鳥史学文学講座(要申込)
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   開催日: 1月14日(日)
   内 容: 「遣唐使始末〜飛鳥人の見た世界〜」
          藤田 高夫氏(関西大学文学部教授)
   時 間: 13:15〜約2時間
   場 所: 明日香村中央公民館
   詳 細: https://asukamura.com/?p=9623

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 ●橿原考古学研究所附属博物館 特別陳列
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 「十二支の考古学−総集編−」
   会 期: 1月14日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 橿原考古学研究所附属博物館 特別展示室
   料 金: 一般400円、高校・大学生300円、小・中学生200円

  ≪講演会≫
   開催日: 1月14日(日)
   時 間: 13:00〜15:30(開場12:00)
   内 容: 「(仮)『十二支の考古学』の軌跡」
          重見 泰氏(橿原考古学研究所附属博物館主任学芸員)
        「(仮)犬の考古学」
          宮崎 泰史氏(大阪府立狭山池博物館)

 ・・・・・・

   詳 細: http://www.kashikoken.jp/museum/top.html

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 ●万葉集を読む
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   開催日: 1月17日(水)
   内 容: 「大伴家持と久邇京(770〜774番歌)」
          井上 さやか氏(万葉文化館指導研究員)
   時 間: 14:00〜15:30(開場13:30)
   場 所: 奈良県立万葉文化館
   詳 細: http://www.manyo.jp/event/detail.html?id=180

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 ●帝塚山大学市民大学講座
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   開催日: 1月20日(土)
   内 容: 「物質文化にみる生活事象 −かつての生活文化をみつめる−」
          裏 直記氏(帝塚山大学非常勤講師)

   開催日: 1月27日(土)
   内 容: 「看板にみる広告術−人々を魅了する意匠の形−」
          戸花 亜利州氏(帝塚山大学講師)

 ・・・・・・

   時 間: 14:00〜15:30
   場 所: 帝塚山大学2号館2101教室
   詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/museum/lecture/

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 ●公開講座「葛城学へのいざない」(要申込)
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   開催日: 1月20日(土)
   内 容: 「古墳時代の葛城に馬がいた」
          千賀 久氏(葛城市歴史博物館長)
   時 間: 14:00〜
   場 所: 葛城市歴史博物館2階 あかねホール
   詳 細: http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/13,0,31,136,html

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 ●歴史リレー講座「大和の古都はじめ」
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   開催日: 1月21日(日)
   内 容: 「邪馬台国−初期ヤマト王権と大和川−」
          白石 太一郎氏(近つ飛鳥博物館長)
   時 間: 13:30〜15:00(入場券配布12:15)
   場 所: 王寺町地域交流センター リーベルホール
   詳 細: http://home.oji-kanko.kokosil.net/ja/rekisikouza

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 ●桜井市・田原本町共催シンポジウム(要申込)
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   開催日: 1月21日(日)
   時 間: 10:55〜16:00(開場10:00)
   場 所: 東建ホール・丸の内(名古屋市中区丸の内2―1―33)
   内 容: 記念講演
        「日本の遺跡活用と観光」
          広瀬 和雄氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)
        基調講演
        「弥生研究最前線−唐古・鍵遺跡−」
          藤田 三郎氏(田原本町教育委員会事務局次長)
        「纒向遺跡における調査研究と活用の今」
          橋本 輝彦氏(桜井市教育委員会事務局文化財課長)
        シンポジウム
        「遺跡を活かしたまちづくり−唐古・鍵、纒向の未来−」
         司会・進行
          関口 和哉氏(読売新聞大阪本社地方部次長)
         パネリスト
          広瀬和雄氏、松井正剛氏、森章浩氏、藤田三郎氏、橋本輝彦氏
   詳 細: http://www.makimukugaku.jp/info/event.html#seminar10

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 ●シンポジウム「5・6世紀の葛城と交通路」(要申込)
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 ※ 申込〆切 〜1/21必着(先着優先)

   開催日: 1月28日(日)
   時 間: 13:00〜17:00
   場 所: 葛城市歴史博物館2階「あかねホール」
   内 容: 基調講演
        「5・6世紀の葛城の交通路」
          神庭 滋氏(葛城市歴史博物館学芸員)
        「5・6世紀の大和と紀伊を結ぶ道」
          前坂尚志氏(五條市教育委員会文化財課長補佐)
        「南河内の5・6世紀と大和への道 ―金剛葛城をめぐる交通路―」
          廣瀬時習氏(大阪府立近つ飛鳥博物館総括学芸員)
        シンポジウム
        「5・6世紀の葛城と交通路」
          コーディネーター:千賀 久(葛城市歴史博物館館長)
          パネラー:前坂尚志氏、廣瀬時習氏、神庭 滋
   詳 細: http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/13,29477,31,138,html

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 ●飛鳥資料館 冬期企画展
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 「飛鳥の考古学2017」
   会 期: 1月26日(金)〜3月18日(日)
   時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
   場 所: 飛鳥資料館 特別展示室
   料 金: 一般270円、大学生130円
        高校生及び18歳未満、65歳以上は無料
   詳 細: https://www.nabunken.go.jp/asuka/kikaku/post-33.html

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 ●万葉古代学講座
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   開催日: 1月27日(土)
   内 容: 「飛鳥と地方の往還―地方豪族たちの戦略―」
          吉原 啓氏(万葉文化館研究員)
   時 間: 14:00〜15:30(開場13:30)
   場 所: 奈良県立万葉文化館
   詳 細: http://www.manyo.jp/event/detail.html?id=196

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 ●三輪山セミナー
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   開催日: 1月27日(土)
   内 容: 「(仮)大伴家持と万葉集」
          坂本 信幸氏(高岡市万葉歴史館長)

   開催日: 2月24日(土)
   内 容: 「箸墓古墳とオオヤマト古墳群」
          白石 太一郎氏(近つ飛鳥博物館長)
 ・・・・・・

   時 間: 14:00〜(受付12:30〜)
   場 所: 大神神社 大礼記念館
   受講料: 200円
   詳 細: http://oomiwa.or.jp/topics/topics_seminar/

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 ●纒向学セミナー(要申込)
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   開催日: 1月27日(土)
   内 容: 「倭女王卑弥呼の外交政策−景初三年六月の遣使をめぐって−」
          塚口 義信氏(堺女子短期大学名誉学長・名誉教授)
   時 間: 13:30〜16:00(開場13:00〜)
   場 所: 桜井市立図書館 研究室1
   詳 細: http://www.makimukugaku.jp/info/event.html#seminar10

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 ●吉野町歴史講演会(要申込)
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   開催日: 1月28日(日)
   内 容: 「葛城地域と壬申の乱」
          下大迫 幹洋氏(香芝市教育委員会事務局副主幹)
   時 間: 14:00〜15:30
   場 所: 吉野町中央公民館
   詳 細: http://www.town.yoshino.nara.jp/about/post-9.html

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 ●桜井市立埋蔵文化財センター 企画展
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 「ウチの土器、ヨソの土器 〜古墳時代前期の外来系土器〜」
   会 期: 4月15日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
   場 所: 桜井市立埋蔵文化財センター展示収蔵室
   料 金: 一般200円、小・中学生100円
   詳 細: http://www.sakurai-maibun.nara.jp/tenji/kikaku.html

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●6.編集後記                  梅前    ○o。
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 明けましておめでとうございます。本年も飛鳥遊訪マガジンをよろしくお
願いいたします。
 さて、事務局長の挨拶にもあったお雑煮ですが、わが家は鶏肉と大根、人
参、ゴボウ、干椎茸をすまし汁で仕立て、みつばを散らし、最後に海苔を一
枚のせます。東京のお雑煮は鶏肉とほうれん草だけのごくあっさりしたもの
が多いのですが、わが家のは東京で生まれた母に加え、父方の熊本と、さら
に父の祖母の出身である沖縄のものがいりまじって形成されたもののようで
す。大鍋で作り皆にふるまうと、さあ、今年も一年がんばるぞ、といった気
分になります。
 よい一年にしたいですね。

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創刊日:2007-11-11  
最終発行日:  
発行周期:隔週金曜  
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