近畿

飛鳥遊訪マガジン

飛鳥地域の歴史・文化・景観が好きな皆さん♪「両槻会」は、そんな皆さんと一緒により飛鳥を楽しもうと活動しています。飛鳥遊訪マガジンでは、歴史だけではない飛鳥の魅力もお届け出来ればと思います。皆さん!ご一緒に、もっと飛鳥を楽しみませんか♪

全て表示する >

飛鳥遊訪マガジン Vol.279

2017/10/27

┏○INDEX‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥┓

   1.両槻会からのお知らせ
   ―――――――――――――――――――――――――――
   2.咲読               風人
   ―――――――――――――――――――――――――――
   3.飛鳥時遊録            風人
   ―――――――――――――――――――――――――――
   4.飛鳥悠遠             梅前
   ―――――――――――――――――――――――――――
   5.飛鳥情報
   ―――――――――――――――――――――――――――
   6.編集後記
   ―――――――――――――――――――――――――――
┗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥o○┛

 22日に襲ってきた台風は、大変な大雨になりましたね! 台風21号の
被害を受けられた皆さんに、お見舞いを申し上げます。
 秋雨前線の雨が降り止まない上に襲ってきた台風。飛鳥周辺の川も次々と
危険水位を超えました。緊急エリアメールが鳴り続け、不安を一層煽るかの
ようでした。奥飛鳥では避難勧告が出され、多くの方が避難場所に詰めかけ
たようです。
 今号では、第64回定例会のお知らせを掲載しました。まだ、打合せが終
わっていませんが、飛鳥での久しぶりの開催になります。ご期待ください!

o〇━━━
●1.お知らせ                        ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第63回定例会のお知らせ

「廃寺に行こう!
 −夏見廃寺・毛原廃寺・飯振薬師摩崖仏・駒帰廃寺−」

【満席になりました】
 これからお申込みの方は、早い順にキャンセル待ちとなります。
 ご了承下さい。

講  師:大西貴夫先生 (橿原考古学研究所 指導研究員)
実 施 日:11月18日(土)
集合場所:近鉄名張駅西口前
集合時間:10:30頃
詳細は、参加者に送信済み。

:::::::::::::::

第64回定例会のお知らせ

テーマ:講演会「(仮)飛鳥の塑像」
講 師:戸花亜利州先生(帝塚山大学講師)
実施日:2018年2月上旬予定

詳細は、11月中旬を目途に決定し公開します。


o〇━━━ 
●2.咲読                     風人   ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 3回目の咲読は、毛原廃寺から始めようと思います。

 毛原廃寺は、奈良県山辺郡山添村大字毛原に所在した大規模な寺院跡です。
大きさに関しては、平城京内の大寺院に匹敵する規模を誇りますが、全く文
献史料に登場しないことで、創建経緯や建立者は分かっていません。このよ
うな事情から、現在も所在地名に廃寺を付けて毛原廃寺と呼ばれています。

毛原廃寺金堂 東西7間(24.3m)× 南北4間(13.3m)
唐招提寺金堂 東西7間(27.8m)× 南北4間(14.5m)
夏見廃寺講堂 東西7間(20.4m)× 南北4間(11.4m)

 毛原廃寺には、礎石が数多く残っています。その数はおよそ70個ほどと
言われています。集落の中に民家と混在して残されており、不思議な世界が
広がっています。
(毛原廃寺イラストマップ)
https://www.facebook.com/asukakaze210/

 奈良時代の大寺院であったと考えられるこの寺院は、東大寺の大仏殿建立
のための勅施入によって発展した板蝿杣(いたばえのそま:板蝿の地に在り、
東大寺の用材を伐採・植林する場所)の中心に位置することから、東大寺の
杣の管理所でもあったと考えられてきました。
 『東大寺文書』の中に「板蝿杣」という名が初めて書かれたのは、孝謙天
皇の時代、天平勝宝7年(755)12月28日、伊賀国名張郡に板蝿杣の
四至を限り、東大寺領に施入されたことが書かれています。このことから東
大寺との関連が考えられてきました。

 しかし、両槻会でもお馴染みの近江俊秀先生などが書かれた論文には、
「毛原廃寺からは東大寺式あるいは東大寺出土瓦と強い共通性を有する瓦は
確認できない。」と述べられており、また「むしろ毛原廃寺出土の三種類の
軒瓦は天平初年頃を中心とした聖武天皇即位に際して行われた造営事業に用
いられたとされる瓦との共通性を持つ」と考えられて、東大寺板蝿杣の成立
に先行する時期に作られた瓦が、創建時に使われていたと述べられています。
 では、何の目的で毛原廃寺は建てられたのでしょう。この時代、仏教によ
る鎮護国家を目指すという思想、また政策がありました。先の論文を引用す
ると「奈良東部山間に仏教の聖地を求めようとした当時の国家の政策と、山
林修行者の管理の為、建立されたと想定した。」と考えられています。
 推古32年(624)の調査では僧816人、尼569人を数え、白雉2
年(651)、宮中での一切経読誦時には僧尼の数は2100余人に達して
います。政府は増加する僧尼を統制するために推古32年(624)、僧尼
の犯罪に科断権をもつ僧正・僧都の設置と、僧尼と諸寺の実態を調査してい
ますが、これが後の大宝律令の僧尼令に継承されて行きます。古代の僧尼は、
律令国家により僧尼の身分が保障され、僧尼令の適用を受ける一方で、諸税
が免除され生活が保障されていました。これによって、苦しい生活から逃れ
るために僧尼になるものも少なくなかったようです。

 奈良時代の初期になると、義淵僧正の活躍などもあり法相宗の唯識思想を
背景に山林修行を求める僧が増え、あるいは呪法の獲得を目指して山に入る
者たちが現れてきます。それらの山林修行を管理する目的で僧尼令が作られ、
義淵の五箇龍寺を始めとする山林寺院の建立が盛んに行われるようになりま
した。

 山林寺院は、山寺・山林寺院・山岳寺院と、色々な呼ばれ方もあるようで
すが、山岳寺院ほども高山・深山でもなく、丘陵上や山麓に立地するお寺を、
このように呼びます。
 山林寺院は、丘陵上や斜面の小高い所や谷の奥などにも立地し、行場とな
る地形(滝や岩窟など)や、信仰の対象に繋がる岩や水源などが近くにあり、
同じ時代の都城や集落・交通路、また墓地などと一定の距離を保つ場所に建
てられました。
 例えば、岡寺です。また、飛鳥周辺で見てみると定林寺、朝風廃寺、龍福
寺、南法華寺、観音院、興善寺、大窪寺、青木廃寺、高田廃寺、上宮寺を上
げることが出来ます。
 また、名前を知られるお寺としては、長谷寺、室生寺、小附廃寺、駒帰廃
寺、掃守寺、地光寺、戒那山寺、二光寺廃寺、朝妻廃寺、高宮廃寺、比曽寺、
龍門寺などを上げることが出来ます。
 これらの寺院を思い浮かべていただければ、山林寺院のイメージが掴みや
すいのではないでしょうか。

 毛原廃寺も、これらの寺院の一つとして建立されたのかも知れません。先
の論文には以下のようにあります。「毛原廃寺に関して言えば、天平勝宝7
年(755)の板蝿仙・東大寺施入により、当然毛原廃寺も東大寺に施入さ
れたものと考えられる。これ以後、東大寺は板蝿杣を足掛りとして伊賀国へ
の寺領の拡大を行うわけであるが、毛原廃寺は街道からも離れており、また
杣のほぼ中央にある事から、東大寺の方針上で無意味なものとなったのでは
なかろうか。」
 こうして、毛原廃寺は創建からそう遠くない時期に廃絶を迎えたのではな
いかと考えられるようです。それは、所用瓦が僅かな形式しか出土しない点
においても同様な結論を導けるようです。

 次回は、毛原廃寺の瓦窯と駒帰廃寺を見てみたいと思います。


o〇━━━
●3.飛鳥時遊録                  風人   ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 第63回定例会に向けての咲読で夏見廃寺に関連して書き進めてきました
大来皇女について、コーナーを替えて続けたいと思います。

 まず、お断りをしなければなりません。夏見廃寺は大来皇女が建てた昌福
寺だと、考古学的に断定されているわけではありません。現在、その確率が
高いと推測されているにすぎません。その点を抑えておいていただいた上で、
今号では、大来皇女の生涯を追ってみたいと思います。

 大来皇女は、斉明天皇7年(661)正月8日、百済への援軍出兵(白村
江の戦い)途上の大伯海に至った時に船内で誕生しています。「御船、大伯
海に到る。時に大田姫皇女、女を産む。仍りて、この女を名づけて大伯皇女
と曰ふ。」『日本書紀』
 大伯の海というのは、現在では岡山県瀬戸内市牛窓町の辺りの海だとされ
ているようです。
 当時の皇子や皇女の名前には、養育に当たった氏族の名前やその経済基盤
などが付けられることが多かったようですが、大来皇女や弟の大津皇子の場
合は、生誕の地の名が付けられており(大津皇子の誕生記事はありません。)、
その由来が『日本書紀』にも書かれています。(大津皇子は那大津で誕生し
たと思われます。)同時期に生まれた草壁皇子は、従来の名付け方をされて
います。
 なにかこの姉弟には、特別な理由が存在したのでしょうか。戦乱の地へ赴
く天皇や大海人皇子たちは、大来皇女や大津皇子の誕生を、戦勝への吉事と
して士気高揚のために利用しようと、その停泊地や途上の地名を寿ぐ意味で
名前としたのかも知れません。

 その後、その願いは届かず白村江の戦いに敗れ、敗戦処理や近江遷都を目
前にしての混乱の中、天智6年(667)2月27日 「これよりさきに、天
豊財重日足姫天皇(=斉明天皇)と間人(はしひと)皇女を小市岡上陵に合
葬したが、この日、皇孫大田皇女を以って、陵の前の墓に葬った。」
 大来皇女の母である大田皇女の死亡記事は、『日本書紀』には書かれてい
ませんが、白村江の戦いの最中の慌しい中で亡くなったのではないかと思わ
れます。この時、大来皇女は7歳、弟の大津皇子は5歳だと思われます。

 当時は、夫婦とは言え同じ家に生活していたわけではなく、基本的に通い
婚であったように思われます。子供の養育も母方の手によるものだったとさ
れていますので、幼くして母をなくした姉弟は、どうしたのでしょう。大田
皇女の父は、天智天皇です。『日本書紀』には、大津皇子の才を愛でたとい
うような記事もありますので、二人の姉弟は天智天皇の側近くで養育された
と考えるのが自然なようにも思われます。
 天武天皇の元年(672)6月、天智天皇の崩御からおおよそ半年後、壬
申の乱が勃発します。
 近江宮も、大来皇女にとっては安住の地ではなくなりました。大津皇子は、
大海人皇子が吉野宮を出立してから2日後に近江宮を脱出して、鈴鹿関で合
流しています。
 しかし、大来皇女の様子を伝える記事は全くありません。皇女は、近江宮
に残されたのでしょうか。大来皇女12歳、大津皇子10歳の時のことです。

 壬申の乱は大海人皇子の勝利となります。天武天皇は、戦勝祈願をした天
照大神を神の頂点に高め、自らをその皇孫となします。その中で、初代斎王
に抜擢されるのが大来皇女と言うことになります。皇女は、天武天皇の長女
になります。天武天皇の思惑からすると、自らの長女を遣わす事によって天
照大神の権威を高め、またそうすることの意志や決断を臣下へ示すには、こ
れ以上無い人選であったのかも知れません。
 父・天武天皇の崩御と弟・大津皇子刑死という二つの忌事により、斎王を
解任されるのは大来皇女26歳の時でした。

 幼くして歴史の大きな流れに翻弄された皇女が、何をどう感じながらその
後の14年の人生を過ごしたのかは分かりません。しかし、皇女がその半生
に係わった人々を想いながら、伊勢と大和の中間点であり、後の斎宮上路と
呼ばれる道のほど近くに、小さな寺院を建立しようとしたのではないかと思
います。

 私は、大来皇女が晩年、名張の地で余生を過ごしたのではないかと思って
いたのですが、飛鳥池遺跡からこのような木簡が発見されていたことを知り
ました。「大伯皇子宮物○大伴□…□品并五十□」藤原宮期の地層からの出
土木簡なのですが、藤原京内に大来皇女が宅地を持っていたことが分かりま
す。名張の夏見に昌福寺を建立したのが694年だとすれば、これはどう言
うことになるのでしょう。(笑) 予定が狂ってしまったので、話を一度立ち
止まらせることにします。(^^ゞ


o〇━━━
●4.飛鳥悠遠                   梅前   ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
「『磐余』を歩く」 (前編)

 「磐余」という場所に行ってみたい、とずっと願っていました。
 そこに何があるのか。どんな土地なのか。どのような風景がそこに広がっ
ているのか。それらをこの目で確かめたい、と願いつつも、今まで一度もそ
の機会に恵まれませんでした。

 皆さんご存知の通り、わが国の初代天皇とされている神武天皇の名は「神
日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)」で、尊称を取り除けば「磐余彦」、
つまり「磐余の男」ということになります。
 東征伝説がどこまで史実を伝えているかはわかりませんが、最終的に磐余
に拠って立った男が、わが国の初めての王だったという伝承が根強く残って
いたことだけは、ほぼ間違いのないところでしょう。

 その後、磐余地域に宮を構えたとされる天皇は6人。神功皇后を含めると
7人です。古い順に書き出すと以下のようになります。

・神功皇后の磐余稚桜宮
・履中天皇の磐余稚桜宮
・清寧天皇の磐余甕栗宮
・継体天皇の磐余玉穂宮
・敏達天皇の訳語田幸玉宮
・用明天皇の磐余池辺雙槻宮
・舒明天皇の百済宮

 ちなみに、神武天皇の橿原宮は畝傍山の東南にあったとされていて、そこ
は磐余ではありません。「イワレヒコ」なのになぜ磐余に宮を構えなかった
のか、というのも気になる問題ではありますが、私にはそれに関する知識が
ないので、ここでは触れません。

 最後にあげた舒明天皇は、即位当初から磐余に宮を構えていたわけではあ
りませんでした。彼の最初の宮は、雷丘付近にあったとされる岡本宮で、そ
こが舒明8年(636)に焼失したあと、舒明は一旦、橿原市田中町にあっ
たとされる田中宮に遷っています。
 この舒明8年という年は、敏達天皇の子と伝えられる大派王が、蘇我蝦夷
に対して官吏の朝参時刻の乱れを指摘し、それを無視されるという事件があ
ったことからもわかるように、書紀のいうところの「蘇我の専横」があらわ
になった年でもあります。書紀が主張する通りの蘇我の専横があったのかど
うか、今となってはわかりませんが、その3年後の舒明11年(639)、
舒明は磐余に百済大宮と百済大寺を造営せよとの詔を発しています。
 蘇我の専横が事実だとすれば、この、舒明による百済大宮と大寺の造営は、
蘇我に集中した権力を大王家の手に取り戻すため画策されたものと考えるこ
とも可能でしょう。
 飛鳥は、蘇我が整備した土地とされています。そこに建てられた巨大寺院・
蘇我氏の氏寺である法興寺に対抗するため、舒明が打ち出したのが、それを
上回る規模だったとされる百済大寺の建造だったのかもしれません。『大安
寺縁起并流記資財帳』によれば、皇極元年(642)に百済大寺の造寺司と
して阿倍倉梯麻呂が任命されています。蘇我本宗家が滅ぼされた乙巳の変の
あと、阿倍倉梯麻呂が左大臣という地位についたことを考えれば、この百済
大寺と大宮の造営が、蘇我に対抗するためだったのではないかという推測も、
あながち間違いではないようにも思えます。
 残念ながらその百済大寺は完成には至らなかったとされていますが、近年
の発掘調査により、磐余にある吉備池廃寺が、その百済大寺の跡地である可
能性が高いことがわかってきました。

 ではなぜ舒明は、そうした意図を持つ大寺と大宮を建造する地として「磐
余」を選んだのでしょうか。
 それは、磐余という土地が持つ「ブランド力」ゆえのことだったように思
われます。
 伝説の初代の王が、その名を冠した「磐余」。
 そこに宮を構えることは、王の威厳を高める効果を持っていたのではない
でしょうか。舒明は、蘇我の影響力から逃れるために、磐余という土地の持
つ力を利用しようとしたようにも思えます。

 そう考えつつ、先ほど書き出した「磐余に宮を構えた大王たち」をあらた
めて見てみると、彼らには、なにかうっすらとした共通点があるように感じ
られます。
 神功皇后は、実在はともかく、その華々しい業績は伝説と考え、ここでは
除外することにします。
 書紀の編年によれば、神功皇后から約130年の時をおいて彼女と同じ場
所に宮を構えたとされる履中天皇は、系図を見ると、彼の代から「兄弟相続」
が始まった人物であることがわかります。それまではほとんどが親から子へ
と大王の位が受け渡されていると書かれているのに、履中の代になると、履
中の次は彼の弟の反正、次はその弟の允恭へと大王の位がめぐっているので
す。実際は兄弟相続が主だったと考えられる古代において、この履中あたり
から確実な歴史が伝えられていると考えることもできますが、逆にいえば履
中は、「子がありながら大王の位を子に継承させることができなかった初め
ての大王」という伝承が残る大王だったということもできるでしょう。
 次の清寧天皇は、あのワカタケル大王・雄略天皇の息子ではありますが、
アルビノだったという説もあるように、あまり丈夫ではなかったようで、子
をもうけることなく崩じています。
 継体天皇は、ご存知の通り「応神天皇五世の孫」という怪しげな肩書をも
って大王の位を手にした人物です。大王になれたのは彼の手腕によるもので
しょうが、豪族たちの中には反発もあったことでしょう。
 次の敏達天皇の訳語田幸玉宮は、異論もあると思いますが、磐余からちょ
っと離れているので、ここでは除外することにします。
 用明天皇は、ご存知聖徳太子の父親ですが、彼は敏達7年(578)、伊
勢の祠に侍っていた菟道皇女を犯し、解任に追い込んだ「池辺皇子」と同一
人物とする説があります。もしそれが事実だったとしたら、彼の即位にあた
っては、相当な逆風が吹いたことでしょう。

 つまり、磐余に宮を置いた大王たちは皆、大王としての資質に疑問がある
気配が感じられる、という点で、共通しているように私には思えるのです。
 そうした「資質に疑問のある」大王たちが、権威を高め、力を得るために
宮を置いた神聖な土地……、それが「磐余」だったのではないでしょうか。

 ここで問題になるのは、磐余の範囲についてです。どこからどこまでが磐
余だったのか。用明の訳語田幸玉宮は本当に磐余に含まれないのか。あるい
は、舒明の百済大寺と百済大宮は、本当に磐余の範囲内にあったのか。
 磐余の範囲については、諸説あるようです。宮名に磐余が含まれる宮が営
まれた地域、すなわち香具山に連なる尾根の北側の、非常に狭い範囲のみを
「磐余」とする説(「小磐余説」とでもしておきましょう)から、高田市
(畝傍山のさらに北西)にも磐余神社があるそうなので、それを含む広大な
範囲を「磐余」と称したとする説(こちらは「大磐余説」ですね)まで。
 「大磐余説」の場合、極端な話、奈良盆地の南端がほとんどその範囲に含
まれてしまうので、「神武天皇=イワレヒコ」の説明には都合がいいのです
が、そこが特別な土地であったという私の説は成り立ちません。
 逆に「小磐余説」をとると、舒明が建造した百済大寺と大宮は、その地域
に含まれないことになってしまいます。含むと仮定したとしても、そのよう
な特別な地域に、なぜ百済人を入植させていたのかという疑問が残ります。
 私個人としては、どちらかというと「小磐余説」に近い、限定された地域
を磐余と呼んだと考えています。そして、その限られた範囲には大規模な寺
院や宮を造る土地がなかったために、舒明はそこに隣接した百済の地を選定
したのではないかというのが私の考えです。異論もあろうとは思いますが、
そうした考えを前提とした上でのこのレポートとご承知おき下さい。

 その磐余を歩くことがようやくかなったのは、今年10月上旬のことでし
た。
 少々長くなりましたので、ウォーキングの具体的な内容は、次回書くこと
にいたしましょう。


o〇━━━
●5.飛鳥情報                        ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 ―――――――――――――――――――――――
 ●帝塚山大学市民大学講座
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 10月28日(土)
   内 容: 「狙われる仏像−仏像盗難被害の現状と対策−」
          大河内 智之氏(和歌山県立博物館主査学芸員)
   時 間: 14:00〜15:30
   場 所: 帝塚山大学2号館2101教室
   詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/social/lectures/2017/07/17/391.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●三輪山セミナー
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 10月28日(土)
   内 容: 「(仮)日本における須恵器生産の開始と展開」
          植野 浩三氏(奈良大学准教授)
   時 間: 14:00〜(受付12:30〜)
   場 所: 大神神社 大礼記念館
   受講料: 200円
   詳 細: http://oomiwa.or.jp/topics/topics_seminar/

 ―――――――――――――――――――――――
 ●飛鳥資料館 秋季特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「高松塚古墳を掘る−解明された構築過程−」
   会 期: 12月3日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
   場 所: 飛鳥資料館 特別展示室
   料 金: 一般270円、大学生130円
        高校生、18歳未満、65歳以上は無料(年齢のわかるものが必要)
   詳 細: https://www.nabunken.go.jp/asuka/kikaku/post-32.html

  ≪講演会≫
   開催日: 10月28日(土)
   内 容: 「高松塚古墳の構築技術を解明する」
          廣瀬 覚氏(奈良文化財研究所主任研究員)
   時 間: 13:30〜
   場 所: 飛鳥資料館講堂

 ―――――――――――――――――――――――
 ●史跡藤ノ木古墳石室特別公開
 ―――――――――――――――――――――――
   会 期: 10月28日(土)〜10月29日(日)
   時 間: 9:30〜17:00
   場 所: 史跡藤ノ木古墳
   詳 細: http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/cgi-bin/events/details.cgi?pid=1460337089

 ―――――――――――――――――――――――
 ●斑鳩文化財センター 秋季特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「国宝藤ノ木古墳出土品里帰り展−藤ノ木古墳のお宝−」
   会 期: 10月28日(土)〜11月26日(日)
   時 間: 9:30〜17:00(入館受付は16:30まで)
   場 所: 斑鳩文化財センター(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西1-11-14)
   料 金: 大人300円、高校・大学生100円、中学生以下無料
   詳 細: http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/cgi-bin/events/details.cgi?pid=1475884737

 ―――――――――――――――――――――――
 ●奈良まほろば館 講座(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
 「大和川と亀の瀬」
   開催日: 10月28日(土)
   講 師: 岡島 永昌氏(王寺町教育委員会 学芸員)
   時 間: 16:30〜18:00
   場 所: 東京都中央区日本橋室町1−6−2

 「王寺町おもしろ歴史講座&講談『聖徳太子と雪丸』&『愛犬ゆきまる』ライブ」
   開催日: 10月29日(日)
   講 師: 川本 三栄子氏(王寺町観光・広報大使、講談師・歌手)
        平井 敬人氏(シンガーマルチクリエイター)
        岡島 永昌氏(王寺町教育委員会 学芸員)
   時 間: 14:00〜16:00
   場 所: 東京都中央区日本橋室町1−6−2

 ・・・・・・

   詳 細: http://www.mahoroba-kan.jp/course.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●橿原考古学研究所附属博物館 秋季特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「黒塚古墳のすべて」
   会 期: 11月26日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 橿原考古学研究所附属博物館 特別展示室
   料 金: 一般800円、高校・大学生450円、小・中学生300円

  ≪研究講座≫
   開催日: 10月29日(日)
   内 容: 「黒塚古墳出土鏡の意義」
          水野 敏典氏(橿原考古学研究所資料課係長)
       「黒塚古墳とヤマト王権保有の銅鏡」
          森下 章司氏(大手前大学総合文化学部教授)

   開催日: 11月12日(日)
   内 容: 「古墳時代前期出土刀剣の諸問題−黒塚古墳出土刀剣を通して−」
          持田 大輔氏(橿原考古学研究所企画課主任研究員)
        「鉄(くろがね)の威風 −武装からみた黒塚古墳とその時代−」
          阪口英毅(京都大学大学院文学研究科助教)

 ・・・・・・

   時 間: 13:00〜16:15(開場12:00)
   場 所: 橿原考古学研究所講堂
   詳 細: http://www.kashikoken.jp/museum/top.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●近つ飛鳥博物館 秋季特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「古墳出現期の筑紫・吉備・畿内―2・3世紀の社会と経済―」
   会 期: 11月26日(日)まで開催中
   時 間: 10:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 近つ飛鳥博物館 特別展示室
   料 金: 一般650円、65歳以上・高校・大学生450円
        中学生以下・障がい者手帳をお持ちの方 無料
   詳 細: http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=exhibition/special2

  ≪講演会≫
   開催日: 10月29日(日)
   内 容: 「中国鏡からみた倭王権の成立」
          岡村 秀典氏(京都大学人文科学研究所教授)

   開催日: 11月5日(日)
   内 容: 「倭王権はなぜ畿内に成立したか」
          白石 太一郎氏(近つ飛鳥博物館館長)

   開催日: 11月26日(日)
   内 容: 「ヤマト王権の成立と土器の移動」
          森岡 秀人氏(関西大学大学院非常勤講師)

 ・・・・・・

   時 間: 13:30〜15:00
   場 所: 大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール
   詳 細: http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=exhibition/special2/kanren02

 ―――――――――――――――――――――――
 ●歴史に憩う橿原市博物館 秋季企画展
 ―――――――――――――――――――――――
 「シリーズ千塚2 寺口忍海古墳群」
   会 期: 12月17日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 歴史に憩う橿原市博物館 特別展示室
   料 金: 一般300円、高校・大学生200円、小・中学生100円

  ≪講演会≫
   開催日: 10月29日(日)
   内 容: 「韓鍛冶(からかぬち)の墓 寺口忍海古墳群」
          千賀 久氏(葛城市歴史博物館 館長)

   開催日: 11月4日(土)
   内 容: 「古墳からひもとく忍海の歴史」
          神庭 滋氏(葛城市歴史博物館 学芸員)

 ・・・・・・

   時 間: 10:30〜12:00(開場13:00)
   場 所: シルクの杜(歴史に憩う橿原市博物館東隣)
   詳 細: http://www.city.kashihara.nara.jp/hakubutsukan/29autumun.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●纏向学研究センター 東京フォーラム(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
 「卑弥呼発見!親魏倭王卑弥呼に制詔す−卑弥呼の外交−」
   開催日: 10月29日(日)
   内 容: 講演
        「卑弥呼の外交−男弟の役割」
          刈谷 俊介氏(日本考古学協会員)
        「卑弥呼以前の伊都国の外交」
          柳田 康雄氏(國學院大學教授)
        「卑弥呼への回賜の品々とそのゆくえ」
          福永 伸哉氏(大阪大学大学院教授)
        「卑弥呼と韓の辰王、燕の公孫淵」
          東 潮氏(徳島大学名誉教授)
        シンポジウム
         コーディネーター 寺澤 薫氏(纏向学研究センター所長)
   時 間: 10:20〜16:00(開場 9:50)
   場 所: よみうりホール(東京都千代田区有楽町1−11−1)
   詳 細: http://www.makimukugaku.jp/info/event.html#foram29

 ―――――――――――――――――――――――
 ●香芝市二上山博物館 特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「香芝市文化財25年」
   会 期: 11月26日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
   場 所: 香芝市二上山博物館
   料 金: 一般200円、高校・大学生150円、小・中学生100円

  ≪特別展記念講演≫
   開催日: 10月29日(日)
   内 容: 「古代大坂越えの道〜大和と河内を結ぶ交通の要衝〜」
          近江 俊秀氏(文化庁文化財部記念物課文化財調査官)

   開催日: 11月19日(日)
   内 容: 「古墳世界を読む〜馬見古墳群の新研究〜」
          辰巳 和弘氏(元同志社大学教授)

 ・・・・・・

   時 間: 14:00〜16:00(開場13:00)
   場 所: ふたかみ文化センター1F市民ホール
   詳 細: http://kashiba-mirai.com/602

 ―――――――――――――――――――――――
 ●帝塚山大学附属博物館 企画展示
 ―――――――――――――――――――――――
 「仏教美術のススメ1〜仏像のひみつ〜」
   会 期: 11月3日(金・祝)まで開催中
   時 間: 9:30〜16:30
        (講座等学校行事のある場合は一時的に閉館することあり)
   場 所: 帝塚山大学附属博物館
   料 金: 無料
   詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/museum/temporary/

 ―――――――――――――――――――――――
 ●橿原考古学研究所公開講演会
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 11月3日(金・祝)
   内 容: 「黒塚古墳の最新研究成果」
          岡林 孝作氏(奈良県教育委員会文化財保存課 課長補佐)
        「纏向遺跡と纏向古墳群からみた初期ヤマト王権と黒塚古墳」
          橋本 輝彦氏(桜井市教育委員会 文化財課長)
        「東アジアにおける初期ヤマト王権と黒塚古墳」
          菅谷 文則氏(奈良県立橿原考古学研究所長)
   時 間: 13:30〜(開場 12:30)
   場 所: 奈良県社会福祉総合センター 大ホール(橿原市大久保町320番地)
   詳 細: http://www.kashikoken.jp/20170919/

 ―――――――――――――――――――――――
 ●古代歴史文化協議会講演会(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
 申込〆切 〜11/10必着

   開催日: 11月18日(土)
   内 容: 基調講演
        「玉類研究から古墳時代像を見直す」
          菅谷 文則氏(奈良県立橿原考古学研究所所長)
        パネルディスカッション
         テーマ1「古墳時代の玉飾りの世界」
          三重県、兵庫県、奈良県、岡山県、広島県、佐賀県の研究担当者
         テーマ2「古墳時代の玉類」
          伊藤 雅文氏(石川県)、吉田東明氏(福岡県)
   時 間: 13:00〜17:00(開場12:00)
   場 所: よみうり大手町ホール(東京都千代田区大手町1−7−1)
   詳 細: http://www.pref.nara.jp/item/184142.htm#moduleid73461

 ―――――――――――――――――――――――
 ●桜井市立埋蔵文化財センター 特別展
 ―――――――――――――――――――――――
 「桜井市を作った七人の人々」
   会 期: 12月3日(日)まで開催中
   時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
   場 所: 桜井市埋蔵文化財センター展示収蔵室
   料 金: 一般200円、小・中学生100円
   詳 細: http://www.sakurai-maibun.nara.jp/tenji/tokubetsu.html

  ≪特別展関連イベント≫(要申込)
   遺跡ウォーク
   開催日: 11月11日(土)
   内 容: 「纏向から三輪山西麓へ」

   開催日: 11月18日(土)
   内 容: 「戒重城から脇本、外鎌山へ」

   開催日: 11月25日(土)
   内 容: 「磐余地域を巡る」

 ・・・・・・

   時 間: 9:00〜16:00
   定 員: 50名(申込先着)
   詳 細: http://www.sakurai-maibun.nara.jp/event/event.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●吉野歴史資料館 歴史講演会(要申込)
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 11月11日(土)
   内 容: 「花笠行事の来た道
         −伊賀・甲賀の花奪(はなば)い行事と伊勢南街道の祇園祭り」
          池田 淳氏(吉野歴史資料館館長)
   時 間: 14:00〜15:30
   場 所: 吉野町中央公民館3・4研修場
   定 員: 80名(先着順)
   詳 細: http://www.town.yoshino.nara.jp/about/post-9.html

 ―――――――――――――――――――――――
 ●万葉集を読む
 ―――――――――――――――――――――――
   開催日: 11月15日(水)
   内 容: 「田村大嬢と坂上大嬢(756〜761番歌)」
          吉原 啓氏(万葉文化館主任技師)
   時 間: 14:00〜15:30(開場13:30)
   場 所: 奈良県立万葉文化館
   詳 細: http://www.manyo.jp/event/detail.html?id=180




o〇━━━
●6.編集後記                  梅前    ○o。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 天高く馬肥ゆる秋、ですね。お芋や栗、きのこなど、美味しいものが沢山
です。あ、収穫したての新米も! ピカピカつやつやのお米に、腹八分目、
と唱えつつも、ついつい満腹になるまで食べてしまい、後悔することしきり
です。でも、美味しいものでお腹をいっぱいにできるなんて幸せなことです
よね。皆さんもどうか食欲の秋をお楽しみください。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2007-11-11  
最終発行日:  
発行周期:隔週金曜  
Score!: 99 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。