近畿

飛鳥遊訪マガジン

飛鳥地域の歴史・文化・景観が好きな皆さん♪「両槻会」は、そんな皆さんと一緒により飛鳥を楽しもうと活動しています。飛鳥遊訪マガジンでは、歴史だけではない飛鳥の魅力もお届け出来ればと思います。皆さん!ご一緒に、もっと飛鳥を楽しみませんか♪

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飛鳥遊訪マガジン Vol.255

2016/11/11

 ┏○INDEX‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥┓

   1.両槻会からのお知らせ
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   2.飛鳥咲読            風人
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   3.特別投稿            sachiさん
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   4.特別投稿            yukaさん
   ────────────────────────────
   4.飛鳥情報
   ────────────────────────────
   5.編集後記
   ────────────────────────────
 ┗‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。o○┛

   早くも、立冬が過ぎましたね。カレンダーの残りも、わずかになりま
  した。この早すぎる時間の流れに、ちょっぴりブレーキを掛けたいもの
  です。
   さて、第59回定例会が近づいてきました。訪れます談山神社の紅葉
  情報も聞こえてきます。19日あたりが真っ盛りになりますように。
                            (風人)

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 ●1.両槻会からのお知らせ                  ○o。
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  ●第59回定例会予定
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   第59回定例会は、紅葉の奥飛鳥を歩きます。

    第59回定例会「天空の里(尾曽) 再び」

    開催日 : 11月19日(土)
    ウォーキング予定
     桜井駅(バス) → 談山神社 → 冬野 → 畑 → 尾曽 →
     上 → 細川 → 石舞台公園 解散
    ウォーキング距離 : 約7〜8km
               *アップダウン有 やや健脚コース
    定 員 : 30名
    運営協力金:1,000円(バス代別、傷害保険料含む)
           *学割有り
    受 付 : 受付中
    備 考 : 備考 : 参加申し込みをいただいた皆さんには、詳
          細案内を送信しています。
          お申込みをいただいた方の内、詳細案内が届いていな
          い方は、事務局までご連絡願います。


  ────────────────────────────────
  ●第60回定例会予定
   ───────────────────────────────
   第60回定例会は、奈文研 小田裕樹先生をお迎えして講演会を開催
  します。詳細は、次号にて発表します。


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 ●2.飛鳥咲読                 風人     ○o。
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  第59回定例会に向けての咲読も最終回になりました。今回は、定例会
 のポイントの一つになる「良助法親王」の特集を組みました。たぶん、良
 助法親王に関する、もっとも詳しいネット記事になるのではないかと思い
 ます。

  「良助親王冬野墓」は、明日香村冬野集落の直ぐ西に在ります。宮内庁
 が管理をしているお墓の一つとなっており、いつも手入れが行き届いた綺
 麗なお墓です。(写真1)
  良助法親王(1268〜1318)は、亀山天皇(1249〜1305)
 と、藤原(三条)実平の娘の間に誕生しました。亀山天皇の第8子とも第
 4子とも言われますが、11歳で青蓮院に入り、尊助親王(1217〜
 1291))の元で得度しています。31歳で天台座主を務め、後に青蓮
 院門跡を継承しました。享年は50歳だそうです。

  このような略歴の親王が、どうして京から遠く離れた冬野に葬られるこ
 とになったのでしょうか。中世好きのsachiさんとサポートスタッフの
  yukaさんの良助法親王考を是非お読みください。冬野への興味を、更に増
  していただけるのではないかと思います。

  ちなみに、「法親王」という称号は、日本の男子皇族が出家して僧籍に
 入った後に親王宣下を受けた場合の身位・称号です。これに対して、すで
 に親王宣下を受けている親王が出家した場合は「入道親王」と呼んで区別
 されます。
  良助法親王も、1279年に僧籍に入った翌月、親王宣下を受けていま
 す。(ただ、このころは僧籍にある男子皇族を一般的に「法親王」と呼んで
 いたとも思われます)
  飛鳥遊訪マガジンでは、文中に「良助法親王」「良助親王」が混在して
 いますが、投稿者の原文に任せています。

  良助法親王墓の前には、「良助親王冬野墓」と書かれた墓標が設置され
 ているのですが、榊莫山さん(書家)がご覧になり感動したというエピソ
 ードがあるそうです。私には字の良し悪しは分かりませんが、他の墓標や
 石標とは違うことは確かです。この機会にご覧になってみてはどうでしょ
 うか。(写真2)

  写真1・2は、こちらのリンクをクリックしてください。
  https://www.facebook.com/asukakaze210
  両槻会公式Facebookには、11月3日に私が下見に行った時の写真や、
 関連の写真を多数掲載しています。合わせて、ご覧ください。


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 ●2.特別寄稿

   中世史ファンが気になる良助親王の謎    sachiさん   ○o。
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  今回の定例会で、久しぶりに冬野を歩くということで、思い出したこと
 がありました。
  最初に飛鳥をうろうろするようになった頃、多武峰に近い冬野という場
 所に、親王のお墓があると知り、とても不思議だったんです。どうしてま
 た、そんな山奥にひっそりと葬られた親王さまがおられるのか?しかも、
 飛鳥時代ではなく、中世の時代に。むくむくと、中世好きの好奇心が頭を
 もたげてきました。
  あれこれと調べていくうちに、もしかしてこの親王さまって、かなり特
 殊な境遇だったのではないか?そんな風に思えたんです。以前にそうして
 メモしてあったものを、今回のウォーキングにあたって、引っ張り出して
 みることにしました。少々長くなりますが、お付き合いください。

  皆さま、持明院統と大覚寺統ってご存知ですか?天皇家が北朝と南朝に
 分かれて争った南北朝時代。その、おおもととなったのが、この持明院統
 (北朝)と大覚寺統(南朝)の対立でした。
  発端は、鎌倉時代。後鳥羽上皇が鎌倉幕府と争って敗れ、流罪になった
 承久の乱ののち。後鳥羽上皇の孫にあたる後嵯峨天皇が、息子の後深草天
 皇に皇位を譲って、上皇となりました。
  当時は、上皇を治天の君といって、実際の政(まつりごと)は天皇では
 なく、上皇がおこなうものとされていました。
  ところが後嵯峨上皇は、皇位を譲った後深草天皇よりも、その弟の皇子
 のほうを可愛がり、兄の後深草天皇を無理に譲位させ、弟を即位させます。
 これが、亀山天皇です。
  しかもそのあとの皇太子に、後深草上皇の皇子ではなく、亀山天皇の皇
 子を立てたことから、兄弟の対立は決定的となってしまいました。
  この、後深草上皇の系統を持明院統、亀山天皇の系統を大覚寺統として、
 以後の対立が続くことになります。ちなみに、持明院も大覚寺も、それぞ
 れが上皇として居住した寺院の名前です。

  さて、対立する兄弟の父、後嵯峨上皇にはさらにもう一人、お気に入り
 の息子がいました。身分の低い女性の生んだ、長子の宗尊親王です。
  宗尊親王は皇位に就けない代わりに、11歳で鎌倉幕府の第六代将軍とし
 て、東国へ下向します。
  天皇の皇子の多くが、臣籍に降るか僧籍に入るかするなかで、親王とし
 て将軍位に就くということは、よほど後嵯峨上皇が可愛がって気に掛け、
 しかるべき地位に就けたかったのでしょう。

  そしていよいよ本題。良助親王です。
  良助親王は、亀山天皇の皇子が立太子したのと同じ1268年、亀山天
 皇の第四皇子(第八皇子という説もあり)として誕生します。この2年前、
 鎌倉幕府から謀反の罪を着せられた宗尊親王が、将軍位を息子の惟康親王
 に譲り、追放されて京へ戻っていました。その後どういった経緯なのかは
 わかりませんが、良助親王はその宗尊親王の猶子(後見人としての養子関
 係)となっています。
  もしかすると、鎌倉を追放されて拠り所をなくした宗尊親王に、父の後
 嵯峨上皇が、宗尊親王には甥にあたる良助親王の後見人という立場を与え
 たのではないかと、そんな風にも思えます。
  良助親王が選ばれたのは、母親が中級貴族出身でさほど政局に影響せず、
 しかし何人も皇子を生んで亀山天皇に寵愛されていたと思われ、その皇子
 の後見となれば宗尊親王の立場も安定するのではないかということ、あと
 は良助親王がまだ幼く、ちょうど後見を選ぶ時期だった、等が考えられま
 す。しかしその宗尊親王も、後嵯峨上皇が亡くなると出家し、亀山天皇が
 皇子の後宇多天皇に譲位して上皇となったのと同じ年に、亡くなっていま
 す。1274年、第一次の元寇、文永の役のあった年でした。

  良助親王は、1279年に11歳で出家します。皇位に就けない皇子とし
 て、定められた道なのでしょう。そうして修行に励む年月の間に、周囲の
 情勢はさらに変化していきます。
  良助親王の父、亀山上皇が院政を行うようになると、その兄の後深草上
 皇は実権がなく、不満が募っていました。そこで、関東申次(鎌倉幕府と
 の折衝役)である西園寺実兼を通じて鎌倉へ働きかけ、自分の皇子を皇太
 子とすることに成功します。
  亀山上皇は西園寺実兼とは折り合いが悪く、幕府との交渉も持明院統が
 有利となり、結果、大覚寺統と持明院統が交互に即位するという、両統迭
 立がなされることとなってしまいました。
  1287年、後深草上皇の皇子、伏見天皇の即位により、後深草上皇に
 よる院政が始まります。その2年後には、伏見天皇の皇子が皇太子に立ち、
 さらには、鎌倉幕府の将軍もまた、宗尊親王の息子である惟康親王を廃し
 て、後深草上皇の皇子である久明親王が第八代将軍に就くことになりまし
 た。これによって持明院統の勢力が増大し、後深草上皇が亡くなったあと
 も、引き継いだ伏見天皇と大覚寺統との確執が一層深まっていきます。
  そんな中、関東申次だった西園寺実兼が、息子に役を譲り、太政大臣と
 なります。もともと持明院統寄りだった実兼はその後、伏見天皇の側近だ
 った京極為兼と不和になり、結果として伏見天皇とも折り合いが悪くなっ
 てしまいました。そこで実兼は、今度は大覚寺統に近づいていきます。

  大覚寺統の亀山上皇もまた、出家して法皇となったのちも、なんとか実
 権を取り戻そうと画策していました。伏見天皇の皇子が後伏見天皇として
 即位したことに対し、亀山法皇は鎌倉幕府に両統迭立を訴え、孫である大
 覚寺統の皇子の立太子、さらにはそのすぐ3年後の即位に成功したのは、
 少なからず西園寺実兼の働きがあったと思われます。

  そんな西園寺実兼の養子に、どうやら良助親王がなっていたらしいので
 す。後見される立場としての猶子ではなく、あえて養子となったのはなぜ
 なのでしょうか。
  良助親王は、1299年から1303年まで、比叡山の天台座主を務め
 ています。実兼の養子となったのが、その前だったのか、それともあとだ
 ったのかはわかりません。
  ただ、良助親王が天台座主になった1299年の前年に、西園寺実兼の
 働きで大覚寺統の皇子が立太子しています。さらに天台座主在任中に、そ
 の皇子が即位し、後二条天皇となることで、ふたたび大覚寺統による院政
 が復活します。

  比叡山は、どちらかというと大覚寺統に近い勢力です(ちなみに大覚寺
 自体は真言宗なので比叡山とは宗派違い。あくまでも皇統としての名称で
 す)。もしくは、比叡山を取り込むために、亀山法皇が良助親王をはじめ、
 大覚寺統の皇子を天台座主に就けていた、とも考えられます。余談ですが、
 そののちの時代に、大覚寺統の後醍醐天皇もまた、皇子を天台座主として
 比叡山勢力を味方につけ、鎌倉幕府と戦ったり、さらに持明院統である北
 朝勢力と対立したりしています。持明院統の皇子が天台座主に就くように
 なるのは、後醍醐天皇の皇子よりもあとのことです。

  良助親王が天台座主を降りたその同じ年、亀山法皇も亡くなります。父
 の法皇の後ろ盾を失った良助親王が、天台座主を降りたのちに頼ったのは、
 西園寺実兼ではなかったでしょうか。
  実兼にしてみても、亀山法皇の皇子であり、後二条天皇の叔父にあたる
 徳の高い法親王を身内としておくことは、大覚寺統とのつながりを持つた
 めに必要だったのかもしれません。
  そこで不思議な話がひとつあります。良助親王が天台座主から降りたの
 は、かつての後見人宗尊親王の、幕府に対する謀反の罪に連座したためだ
 った、というのです。実際には、宗尊親王が鎌倉を追放になったのは良助
 親王が生まれる前のことで、関連があったとは思えません。さらには、天
 台座主のあとも、青蓮院門跡を務めたりと、法親王としての役割は果たし
 ているので、罪人として扱われた形跡はないように見えます。
  良助親王が天台座主を降りた5年後、後二条天皇が亡くなり、再び持明
 院統の花園天皇が即位することで、伏見上皇の院政が再開されます。宗尊
 親王の事件とは関わりないとしても、西園寺実兼にとっても、その養子と
 なった良助親王にとっても、居心地の悪い状況が続くことになります。

  そののち、良助親王は妙楽寺(多武峰)に移ります。天台座主を務めた
 親王が比叡山の末寺である妙楽寺に入るのは、さほど不自然ではないよう
 にも思いますが、それでもやはり、京から離れて多武峰にこもることにな
 ったのは、持明院統と大覚寺統の争いに嫌気がさしたのか、それとも持明
 院統勢力から疎まれて追いやられたのか、そんなことを考えてしまいます。
 多武峰に引きこもった良助親王は、仏教に関連する著作に励むようになり
 ます。著作に必要な経典や書籍などの援助も、西園寺実兼によるものだっ
 たようです。

  良助親王は、ちょうど大覚寺統の後醍醐天皇が即位した1318年、50歳で
 亡くなったとされています。別の説では、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒すこ
 ろまでは生きていたとも言われるようですが、どちらにしても晩年は、多
 武峰にこもったままで、多くの仏教書を残しています。
  現在、冬野でひっそりと眠る良助親王は、幼少から仏の道を定められ、
 法親王として全うした一方で、持明院統と大覚寺統の争いによって、やは
 り少なからず翻弄され続けたと言えるかもしれません。

  中世好きの私としては、冬野という地にそんなにも中枢に近い人物が埋
 葬されていると知って、いろいろ興味深く調べることができました。歴史
 の中心となる人物たちと非常にに近いところにいるにもかかわらず、表の
 歴史にはほとんど出てこないからこそ、あれこれと想像も膨らみ、面白く
 感じます。今度の両槻会で冬野のお墓を訪れるときは、ひとときその場に
 足を止めて、そんな良助親王の生きた時代に思いをめぐらせていただける
 と嬉しいです。

  余談。
  今回、後深草上皇や亀山天皇を調べていて、その時代を舞台にした古典
 文学があることを知りました。『とはずがたり』。後深草上皇に仕えた女
 官、二条という女性の書いた日記文学です。二条自身の恋愛遍歴、紀行文
 を綴っています。
  私もまだちゃんと読んではいませんが、後深草院、亀山院、西園寺実兼
 などとの男女関係が、かなり過激な表現と内容なのだとか(笑)。あまり
 にもドンピシャな時代、ドンピシャな人物たち過ぎて、この時代を描いた
 物語は本当に珍しく、思わず紹介してしまいましたが、読むには相応の覚
 悟(?)が要るようです。
  読みやすい口語訳や小説、漫画などもあるようなので、ちょっと試して
 みたいとは思っています。


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 ●3.特別寄稿

    伝説としての良助法親王      yukaさん       ○o。
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  日本中世における実像としての「良助親王」についてはsachiさんが詳述
 されていますが、私は主に伝説の側面から良助法親王について、簡単にでは
 ありますがみていきたいと思います。ただの思いつきにすぎないので、ごく
 簡略にいきます(笑)

  誰もが不思議に思うのは、やはりなぜ多武峰冬野に良助法親王の墓がある
 のかということでしょう。
  彼は、天台座主を辞したのち、青蓮院門主となっています。青蓮院門主は
 通常、西山か華頂山に葬られる例が多いといいます。
  多武峰は青蓮院の配下なので、あり得なくはないですが、少し不自然とい
 うか、異例であるように思えます。

  私は当初、墓の所在地について、気になっていたことが2点ありました。
  1つは、この冬野墓がある場所というのは、彼が天台座主を務めた比叡山
 延暦寺からほぼまっすぐに南下した地点であるということ。(正確には、延
 暦寺よりも若干東寄りになっていますが)
  2つめは、妙楽寺からみて南西、つまり裏鬼門にあたる位置になるという
 こと。

  これだけではもちろんここに葬られた理由にはならないですし、だから何
 だと言われればそれまでなのですが(笑)、なにか関連があったら面白いなぁ
 とはぼんやり思っていました。

  ところが、いろいろ調べていくうちに、歴史に翻弄された親王としての良
 助ではなく、中世日本に発生した仏教的イデオロギーの象徴となった伝説の
 姿について興味をもったので、少し紹介したいと思います。

  彼の著になる『与願金銅地蔵菩薩秘記』の「良助座主私記」によれば、良
 助法親王は天台座主在任中の嘉元元年(1303)、養父宗尊親王の謀反連
 座の嫌疑で鎌倉方に追捕され、その後多武峰に逃れて冬野で延文年間
 (1356〜1361)まで生き、多くの著述を書き残したとされています。
  もちろん、『本朝皇胤紹運録』や『諸門跡譜』といった史書からすれば、
 年代的にも矛盾があり虚構であることは明らかで、作られた「伝説」といっ
 ていいでしょう。

  伝説と言えば、談山神社所蔵の「日輪御影」という一幅の絵画に描かれた
 勝軍地蔵の化身とされる人物を、良助法親王に比定する説があります。

  「日輪御影」は、円光の中に浮かぶ藤原鎌足がメインで描かれたものです
 が、そのすぐ下に配された人物は、束帯の上から甲冑を着用して笏を持ち、
 両眼のほかに額にも第3の目があるという異様な様相を呈しています。まる
 で、四天王や十二神将といった仏教の守護神を思わせる姿です。それが、勝
 軍地蔵=良助法親王というわけです。

  寺院に僧兵が出現すると、寺社や天皇家・公家・武家はそれぞれ神仏を掲
 げて戦をおこない、中世(13〜14世紀)において最も典型的な軍神だっ
 たのが勝軍地蔵だったといいます。
  良助法親王は後半生、その著書等で勝軍地蔵信仰を宣揚していたといい、
 『与願金銅地蔵菩薩秘記』では、藤原鎌足が勝軍地蔵の化身であると説いて
 います。
  良助法親王がそうした信仰を喧伝するようになった背景には、彼が隠棲し
 ていた冬野が日輪出現の地であったということがあります。正和元年
 (1312)閏六月、蕗野竹原に日輪が出現し、大織冠藤原鎌足・八幡大菩
 薩・気多大明神の三神が影向したという史料が残っています。
 「蕗野」は「冬野」を指すとし、正和元年に閏月はないため応長元年(1311)
 の誤りとされていますが、ちょうどこの頃は興福寺との多武峰合戦が起きて
 おり、冬野を含む多武峰一帯が激戦地でした。
  山城遺構(冬野城跡)が残ることからもわかるように、冬野は有事の度に
 合戦・防衛の舞台となってきました。
  三神影向伝説や日輪御影の奇瑞はそこから生まれたもので、良助法親王が
 それに一役買っていたという推測もできます。

  ちなみに、集落に鎮座する波多神社は、「気多社」の別称をもち、さらに
 は「冬野八幡」と記した史料や、貞享2年(1685)の湯釜に「談山之別
 所北大明神」との刻銘が存在するそうです。つまり、影向した三神に所縁を
 もつ神社ということがいえます。

  ところが、この良助法親王の著書の多くは、良助法親王に仮託されたもの
 であるとみる説があります。養父の西園寺実兼が提供したという参考文献に
 も、実在が疑問視されるものがあるともいわれているようです。
  天台本覚思想の神仏観が、各著作において整合性に欠ける部分や混乱がみ
 られる箇所があり、仏教・神道界での通説と比べると、特異なものであると
 いうのですが、具体的な内容までは難解すぎて読んでいません;
  簡単にいってしまえば、もし著作が本当に良助法親王によるものだとすれ
 ば、かなり先進的な思想を持った人物であり、仮託であるとするならば、鎌
 倉〜南北朝期に生まれた日輪イメージと勝軍地蔵信仰を結びつける役割を与
 えられ、伝説化した人物であるといえるかもしれません。

  いずれにしても、冬野に足跡を残したことは確かな事実です。冬野城跡や
 波多神社など、かつての多武峰の姿やそこで起きたこと、伝承の痕跡をじっ
 くり見ていただけたらと思います。



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 ●4.飛鳥情報                        ○o。
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  ●帝塚山大学附属博物館 第27回特別展示
  ────────────────────────────────
  「赤き瓦たち−高句麗瓦の世界−」
    会 期: 11月20日(日)まで開催中
    時 間: 9:30〜16:30
    休館日: 日曜・祝日(11/20日曜日は大学祭開催につき開館)
    詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/museum/special/2016/07/26/27.html

  ≪展示解説≫
    11月12日(土)15:45〜

  ≪関連講座≫
    開催日: 11月12日(土)
    内 容: 「高句麗瓦の歴史とその世界」
           清水昭博氏(帝塚山大学教授)
    時 間: 14:00〜15:30
    場 所: 帝塚山大学東生駒キャンパス2号館2101教室
    詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/social/lectures/2016/07/27/37427.html

  ────────────────────────────────
  ●明日香村記念講演会
  ────────────────────────────────
  「明日香村制60周年・高松塚壁画館開館40周年記念講演会
   −新研究 飛鳥檜隈の終末期古墳−」
    開催日: 11月12日(土)
    時 間: 10:50〜16:10(開場10:00)
    場 所: 明日香村中央公民館1階ホール
    内 容: 「飛鳥の終末期古墳の被葬者像」
           前園実知雄氏(奈良芸術短期大学教授)
         「天皇陵の兆域と古墳の墓域−飛鳥時代の古墳を中心に−」
           相原嘉之氏(明日香村教育委員会文化財課長)
         「律令国家形成期における大王墓の実像
              −飛鳥地域の終末期古墳の新知見−」
           西光慎治氏(明日香村教育委員会文化財課調整員)
    詳 細: http://www.asukabito.or.jp/information/2016/10/6040.html

  ────────────────────────────────
  ●帝塚山大学 第4回市民大学ウォーク(申込要)
  ────────────────────────────────
  「地光寺跡と葛城市歴史博物館特別展『葛城古寺探訪−二上・葛城・金
   剛山麓の古代寺院−』の見学」
    開催日: 11月26日(土)
    時 間: 13:00〜16:30(予定)
    場 所: 葛城地域
    講 師: 清水昭博氏(帝塚山大学教授)
    詳 細: http://www.tezukayama-u.ac.jp/social/lectures/2016/07/30/370-1.html

  ―――――――――――――――――――――――
  ●葛城市歴史博物館 第17回特別展
  ―――――――――――――――――――――――
  「葛城古寺探訪−二上・葛城・金剛山麓の古代寺院」
    会 期: 11月27日(日)まで開催中
    時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
    会 場: 葛城市歴史博物館
    入館料: 一般200円 高校・大学生100円

    詳 細: http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/13,25328,31,130,html

  ────────────────────────────────
  ●二上山博物館特別展
  ────────────────────────────────
   尼寺廃寺跡整備記念
   「尼寺廃寺跡とその時代−尼寺廃寺跡の造営とその背景−」
    会 期: 11月27日(日)まで開催中
    時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
    場 所: 二上山博物館・特別展示室
    休館日: 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
    入館料: 大人200円
    詳 細: http://www.city.kashiba.lg.jp/kanko/0000003666.html

  ────────────────────────────────
  ●近つ飛鳥博物館秋季特別展
  ────────────────────────────────
  「大王と豪族−6世紀の大和と河内−」
    会 期: 11月27日(日)まで開催中
    時 間: 10:00〜17:00(入館は16:30まで)
    場 所: 近つ飛鳥博物館地階・特別展示室
    休館日: 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
    入館料: 一般600円
    詳 細: http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=exhibition/special2

  ≪展示解説≫
    11月27日(日)14:00〜14:30 地階特別展示室にて

  ≪ミニシンポジウム≫
    開催日: 11月20日(日)
    内 容: 基調講演
         「6世紀における馬具の変化とその背景」
           諫早直人氏(奈良文化財研究所研究員)
         「6世紀の副葬品にみる装身具の意義」
           廣瀬時習氏(近つ飛鳥博物館総括学芸員)
    討 論: 進行 近つ飛鳥博物館学芸員
    時 間: 13:00〜16:20
    場 所: 近つ飛鳥博物館 地階ホール
    定 員: 200名
    受 付: 10:00〜 整理券配布

  ≪講演会≫

    開催日: 11月23日(水・祝)
    内 容: 「古墳からみた6世紀の物部氏」
           白石 太一郎(近つ飛鳥博物館館長)
  ・・・・・・
    時 間: 13:30〜15:00
    場 所: 近つ飛鳥博物館 地階ホール
    定 員: 200名
    受 付: 10:00〜 整理券配布

  ≪土曜講座≫
    開催日: 11月26日(土)
    内 容: 「摂津の古墳からみた6世紀」
           森本 徹氏(近つ飛鳥博物館 副館長兼学芸課長)
    時 間: 14:00〜15:00
    場 所: 近つ飛鳥博物館 地階ホール
    定 員: 200名

  ────────────────────────────────
  ●桜井市立埋蔵文化財センター 特別展示
  ────────────────────────────────
  「拓かれた扉〜桜井の郷土史研究はいかにして始まったか〜」
    会 期: 12月11日(日)まで開催中
          ※月曜休館 祝日開館翌日休館
    場 所: 桜井市立埋蔵文化財センター
    時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
    入館料: 一般300円、小中学生150円
    詳 細:http://www.sakurai-maibun.nara.jp/SakuraiCity60th/60thTenji.html

  ────────────────────────────────
  ●大和桜井の古墳探訪(申込要)
  ────────────────────────────────
  「特別企画 わくわくドキドキ 大和桜井の古墳探訪!」
    開催日: 12月3日(土)
    集 合: 13:00 桜井市立埋蔵文化財センター
    時 間: 13:15〜16:00
    内 容: 講演「古墳の宝庫!桜井の古墳」
          橋本輝彦氏(桜井市教育委員会文化財課)
           埋蔵文化財センター展示室案内
          桜井市文化財協会学芸員

    開催日: 12月4日(日)
    集 合: 9:00 桜井駅南口バス停付近
    時 間: 9:00〜15:00(安倍文殊院で解散予定)
    内 容: 現地探訪(鳥見山周辺の古墳を探訪)
   ・・・・・・
    定 員: 先着50名
    詳 細: http://www.sakurai-kanko.com/イベント/
                  ページ2段目の情報

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  ●桜井市制60周年記念プロジェクト
  ────────────────────────────────
  ≪シンポジウム≫(申込要)
  「国家誕生の地、桜井を語る〜マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道〜」
    開催日: 12月11日(日)
    場 所: 桜井市民会館
    時 間: 9:00〜16:20
    記念講演: 「纒向王宮から磯城・磐余の大王宮への道のり」
            石野博信氏(香芝市二上山博物館名誉館長)
    基調講演: 「オオヤマト・イワレ地域における古墳時代前期の集落と古墳」
            橋本輝彦氏(桜井市教育委員会文化財課主幹)
          「倭王権誕生と祭政分権王政」
            岸本直文氏(大阪市立大学大学院教授)
          「古代王権と山−穴師山・三輪山・忍阪山など−」
            千田 稔氏(奈良県立図書情報館館長)
    コーディネーター: 寺澤 薫氏(桜井市纒向学研究センター所長)
    総合司会: 塩見智子氏(フリーアナウンサー)
    詳 細: http://www.sakurai-maibun.nara.jp/SakuraiCity60th/60thTalk.html

  ≪遺跡ウォーク≫(申込要)
    開催日: 11月19日(土)
    時 間: 9:00〜16:00
    内 容: 「イワレの大王とそのゆかりの地を巡る」
    出 発: 桜井駅南口交番前
    解 散: 近鉄大福駅

    詳 細: http://www.sakurai-maibun.nara.jp/SakuraiCity60th/60thWalk.html

  ────────────────────────────────
  ●飛鳥資料館秋期特別展
  ────────────────────────────────
  「祈りをこめた小塔」
    会 期: 12月4日(日)まで開催中
          ※月曜休館
    場 所: 飛鳥資料館 特別展示室
    時 間: 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
    料 金: 一般270円(170円)
    主な展示品(予定):
     百万塔(奈良文化財研究所)・百万塔未製品・百万塔(法隆寺)
     銭弘俶八万四千塔(金胎寺) 重要文化財
     銭弘俶八万四千塔(黒川古文化研究所)
     銭弘俶八万四千塔(金剛寺)・泥塔経(奈良国立博物館) ほか
    詳 細: https://www.nabunken.go.jp/asuka/kikaku/post-22.html

   ≪講演会≫
    開催日: 11月26日(土)
    時 間: 13:30〜
    会 場: 飛鳥資料館講堂
    内 容: 「銭弘俶八万四千塔について」
           服部敦子氏(帝塚山大学講師)
         「データ分析からみた百万塔(仮)」
           森本晋氏(奈良文化財研究所企画調整部長)

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  ●橿原考古学研究所附属博物館 秋季特別展
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  「蘇我氏を掘る」
    会 期: 11月23日(水・祝)まで開催中
          ※月曜休館 祝日開館翌日休館
    場 所: 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 特別展示室
    時 間: 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
    料 金: 大人800円、高校・大学生450円、小・中学生300円

  ≪研究講座≫
    開催日: 11月13日(日)
    内 容: 「飛鳥大仏をめぐって」
           藤岡 譲氏(大阪大学大学院文学研究科教授)
         「蘇我氏の寺」
           大西貴夫氏(奈良県立橿原考古学研究所指導研究員)
   ・・・・・・
    時 間: 各回 13:00〜(開場12:00)
    会 場: 奈良県立橿原考古学研究所 講堂

  ≪遺跡見学会≫
    開催日: 11月12日(土)
    集 合: 11:00 博物館玄関前(解散 石舞台古墳)
         ※申込不要、参加費無料、昼食持参

    詳 細: http://www.kashikoken.jp/museum/top.html

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  ●歴史リレー講座 大和の古都はじめ
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    開催日: 11月20日(日)
    内 容: 「百済滅亡と高安城建城」
           菅谷文則氏(奈良県立橿原考古学研究所所長)

    開催日: 12月18日(日)
    内 容: 「考古学から見た法隆寺の創建と再建」
           前園 実知雄氏(奈良芸術短期大学 教授)
   ・・・・・・
    時 間: 13:30〜15:00
    場 所: 王寺町地域交流センター リベルテホール
    詳 細: http://www.oji-kanko.jp/master/rekisikouza.html


 o〇━━━
 ●5.編集後記                     風人 ○o。
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  明日12日は、行きたいイベントが多数重なります。皆さんは、何処
 へ? σ(^^)は、帝塚山大学考古学研究所主催の市民大学講座を聴講し
 ます。他の講座・講演会・シンポジウムなどに参加された方は、感想な
 どお聞かせください。


 

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創刊日:2007-11-11  
最終発行日:  
発行周期:隔週金曜  
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