出産・育児

最前線の子育て論byはやし浩司(メルマガ版)

子育て最前線で活躍するお母さん、
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●子育て最前線の育児論byはやし浩司・メルマガ(虚の世界)

2013/02/22

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2013年 2月 22日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
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【1】(謎の点と線)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【美しい曲線】(『謎の点と線』)

190 Beautiful Lines (美しい曲線)
+Mystery of Bohai Cultureand Khabnka Lake(渤海文化とハンカ湖の謎)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/Ad02ufZRLvM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

http://youtu.be/Ad02ufZRLvM

Often while I have been examining the mysteries of the world, I have happed to find beautiful lines. This is the video about the lines.
And also I’d like to talk about the mysteries of Izumo Taisha Shrine in Japan (Video No 130) together with the Video No. 190.)

時として美しい曲線に出会います。
今日はその曲線についてです。
ついでに出雲大社のビデオ(No.130)を、追加しておきます。
どうかお楽しみください。

アイデア&セオリーの転作、盗用、転用、流用は、禁止です。
No one is allowed to use my theories and ideas in any case without my consent.


Khanka Lake,Bohai,Izumo,IzumoTaisha,文明,ハンカ,ハンカ湖,渤海国,渤海,出雲,出雲大社,謎の出雲大社,Mystery of Japan,謎の古代文明,Hiroshi Hayashi,Hamamatsu,Mystery,Ancient Civilizations,Aliens,文明の謎,異星人,宇宙人,神々,Ancient History,歴史の謎,謎の歴史,Mysterious Lines.林 浩司


Hiroshi Hayashi+++++Feb.2013+++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【虚の世界】(生きる目的と、その意味。私たちはなぜ、ここにいるのか?)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

精神活動も、肉体活動の一部。
肉体活動を離れては、精神活動はありえない。
東洋医学(黄帝内経)では、そう教える。
平たく言えば、肉体活動が停止すれば、精神活動も停止する。
さらに平たく言えば、「霊魂」と呼ばれる、実体不明のものは、存在しない。
「スピリチュアル」でもよい。
それについて、今夜は、考えてみたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

○魂魄(こんぱく)

 東洋医学では、魂(こん)と魄(はく)は、分けて考える。
「魂」は、「精神活動」。
「魄」は、「肉体活動」。
合わせて「魂魄」。
一体して、人間の生命維持を司(つかさ)どる。

それについては、何度も書いてきた。
要するに、精神活動も肉体活動の一部。
肉体を離れての、精神はない。
つまり最近よく話題になる、「スピリチュアル(霊)」なるものは存在しない。
肉体が滅べば、精神も滅ぶ。
精神活動も停止する。

 スポリチュアルなどというものは、人間の想像力が生んだ、幻(まぼろし)にすぎない。
はっきり言えば、ただの「思い込み」。
それもそのはず。
最近では、人間の感情も、脳内ホルモンによって引き起こることがわかってきた。
たとえば人に親切にしたりする。
その信号は、脳内の辺縁系にある扁桃核(へんとうかく)に伝えられる。
その扁桃核が、その信号を受け、エンドロフィン系、エンケファリン系のホルモンを分泌する。
ともにモルヒネに似たホルモン。
それが脳内を、甘い陶酔感で満たす。
その人を、気持ちよくする。

それが(心)のメカニズムということになる。
「よいことをしたあとは、気持ちがいい」となる。

○性欲

 人間は、あらゆる場面で、性欲に支配されている。
これについても、何度も書いてきた。
あのジークムント・フロイトも、「性的エネルギー」という言葉を使い、それを説明している。
つまり私たちのもろもろの精神活動は、その結果として起こる。
男性がスポーツ選手となり活躍するのも、女性が懸命に化粧を重ねるのも、その奥には、性的エネルギーがある。
これについても、何度も書いてきた。
で、ここでは、その先について考えてみたい。

○霊

 映画では、よくシーンが出てくる。
たとえば人が死ぬ。
するとその死体から、モヤモヤとした霊体が出てきて、空へと去って行く。

 が、こういうことは、論理的に考えてもありえない。
仮にあったとしても、そのモヤモヤとしたものは、(あなた)ではない。
たとえば今、あなたの脳を、そっくりそのままコピーしたとしよう。
パソコンでいう、データの保存を想像すればよい。
そのコピーは、あなたであって、あなたではない。
あなたはやはり、あなたとして、そこに残る。
コピーされた(あなた)は、「これは私だ」と言うかもしれない。
しかし元のあなたではない。

 そこでコピーにコピーを重ねる。
10回、コピーすれば、あなたとは別の(あなた)が、10人、生まれることになる。
が、どの1人も、(あなた)ではない。
100回コピーしても、1000回コピーしても、(あなた)ではない。
あなたとは別の、(あなた)である。

○死後の世界

 実は、私は今、死後の世界について、書こうとしている。
つまり死ぬ前に、もし、私たちが自分の脳をコピーできたら、どうなるか、と。
超高性能のコンピューターを想像すればよい。
そのコンピューターに、自分の脳をコピーする。
が、そのままでは、ただのデータの集合体。
記憶の記録。

そこでそのコピーされた脳に、マイクとスピーカーをとりつける。
マイクは口。
スピーカーは耳。
そうすれば、あなたはそのコンピューターと、話しあうことができる。

このとき、中身は、まったくあなたと同じだから、そのコピーされた脳は、(あなた)ということになる。
少なくとも、遺族にとっては、そうだろう。
コピーされた脳に話しかければ、その脳は、生前のままのあなたとして、反応する。
記憶された思い出は、すべて、同じ。

遺族「若いとき、新婚旅行にどこへ行ったか、覚えている?」
コピーされた脳「覚えているよ」
遺「どこへ行ったか、話して」
コ「タイのバンコクだよ」と。

 が、それでも、そのコピーされた脳は、あなたであって、あなたではない。
あなたという肉体は、そのとき死んでいる。
遺族が話しているのは、コピーされた脳にすぎない。

○感情 

 この先、いくらがんばっても、コンピューターが感情をもつことはない。
先にも書いたように、感情は、ホルモンの作用によって生まれる。
(今では、この説は常識。
たとえば若い母親が、赤ん坊の泣き声を聞いたとする。
そのとき若い母親の脳内では、麻薬によって反応するのと同じ部分が反応するという。
同時に、脳内ホルモンが分泌される。
それが「かわいい」という感情を引き起こす。)

 が、コンピューターには、そういったホルモンの分泌器官がない。
ホルモンそのものがない。
だからいくらアホな計算をさせても、怒りだすようなことはない。
反対に、難解な問題を解いたからといって、「ああ、すっきりした」などとは言わない。
先のコピーされた脳も、つぎのように答える。

遺「バンコクで食べた料理、おいしかったわね」
コ「……?」
遺「楽しかったわね」
コ「……?」と。

 つまり仮に霊体なるものがあったとしても、肉体から離脱したモヤモヤしたものには、感情はない。
つまり東洋医学でいう魂魄は、スピリチュアルなものではない。
「魂」という言葉だけが、俗説の中で、ひとり歩きをしてしまった。

○「虚」の世界

 では、人は死んだら、どうなるか。
答は簡単。
「消えてなくなる」。
その一語に尽きる。

 反対に生まれてきた赤ん坊を見ればよい。
あるいは10年後に生まれるかもしれない、赤ん坊を想像すればよい。
もし霊体なるものがあるとするなら、そうした赤ん坊の霊体は、すでに存在することになる。
が、そんなものは、存在しない。
そのことは、あなた自身の過去を見れば、わかるはず。
あなたの過去は、少なくとも、精子が卵子に着床する以前には、ない。
わかりやすく言えば、死ねば、あなたは、生まれる前の状態にもどる。

 そこは物体も、時間もない世界。
「虚」の世界。
億年の億倍……とか、数字で言うのも無駄なほど、何もない世界。
その世界に戻る。
「戻る」という主体性もない状態で、戻る。
(つまり死ねば、「戻る」という意識すら消える。)

○生命の無駄

 こうした世界を認めることは、自らを断崖絶壁に立たせることを意味する。
つまり「死ねば、すべてが終わる」。
前世も来世もない。
天国も地獄もない。
何もない。

 が、悲しむことはない。
まただからといって、生きていることが無駄と書いているのでもない。
その逆。

その分だけ、生きることを大切にする。
懸命に生きる。
生きることのすばらしさを、実感する。
生きていること自体が、「奇跡」(アインシュタイン)。

その(すばらしさ)を実感したら、それこそ、その夕べに死んでも悔いはない。
まずいのは、ありもしない来世(天国)に望みをかけ、その日、その日を、ダラダラと生きること。
それこそ、生命の無駄ということになる。

○性欲の力

 人間というより、あらゆる生物が共通してもつ欲望の力には、ものすごいものがある。
先に書いた性欲も、そのひとつ。
生物は、DNAレベルで、種族を保存するようにプログラムされている。
それが性欲ということになる。
(性欲がすべてではないという意味で、フロイトの弟子のユングは、「生的エネルギー」という言葉を使った。)

 が、その渦中にいるときには、それがわからない。
それが(すべて)と思い込む。
映画『タイタニック』のジャックとローズを、思い出してみればよい。
たった数日会っただけ。
それだけで生涯の愛を誓いあう。
だいたい、そこらの若い人たちに、愛の深さなどわかるはずもない。
はずもないが、それが「愛」と思い込んでしまう。
生涯、それがつづく。
「……go  on……」と。

(もしそうなら、離婚問題など、ないはず。
みな、愛を誓いあう。
それでも離婚する人は、離婚する。
わかりやすく言えば、ローズはそのあと、自分勝手に(思い出)を美化しつづけたにすぎない。)

言い換えると、人間がもつ性欲は、それほどまでに強いパワーをもっている。
大脳の前頭連合野で、コントロールできるような代物(しろもの)ではない。

○解放

 私は50数歳のとき、性欲からの解放を経験した。
それはあとになってわかったことだが、男にも更年期というのがあるらしい。
そのとき私は生まれてはじめて、女性の肉体が、豚肉のラードのように見えた。
「どうしてこんなものを、今まで美しいと思ったのだろう」と。

 が、同時に、それはすがすがしいほどに解放された世界だった。
性欲はもちろん、名誉欲、出世欲からも解放された。
私の心をがんじがらめにしている、もろもろの鎖から解放された。

 もっともそれは、一過性のものだった。
そのあとまた少しずつだが、私は「男」に戻ってきた。

(基本的には、今も、その状態がつづいているが……。)

○本能

 私は私である。
簡単なことのようだが、それを実感するのは、たいへんむずかしい。
若いときはもちろんのこと、ほとんどの人は、本能に操られるまま、それを「私」と思い込んでいる。
「私のことは、私がいちばんよく知っている」と。
が、その実、何もわかっていない。

 たとえば卑近な例だが、「私の子どものことは、私がいちばんよく知っている」という親ほど、自分の子どものことを知らない。
たとえば教育の世界では、こんな例がよくある。

○場面かん黙児

 「場面かん黙児」と呼ばれる子どもがいる。
家の中では、つまり親たちとは、ごくふつうの会話をする。
が、一歩、外へ出ると、貝殻を閉ざしたかのように、沈黙してしまう。
たとえば保育園や幼稚園では、まったくしゃべらない。
口を閉ざす。

 先生が懸命に指導すれば、たまに小声で話すことはある。
が、実際には、そこまでもっていくのが、たいへん。
発現率は、5%前後。
20人に1人程度はいる。
もちろん程度の差はある。
適切な指導で、しばらくするうちに治ってしまう子どもも少なくない。
が、5%前後の子どもは、そのままの状態を保つ。
中学生になっても、大声で笑ったりすることができない。

 が、そういう親から、「どうしてうちの子は、声を出さないのですか」と質問されることほど、つらいことはない。
私の立場では、口が裂けても診断名を言うことができない。
さらに「この教室は、うちの子に合っていない」と、そのまま去っていく親もいる。
さらに「お前が、うちの子をだめにした」と怒鳴り込んできた父親もいた。
(ホントだぞ!)
多くは、「うちの子は、まわりの子どもに圧倒されている」と誤解する。

 で、そう言われるたびに、心の中で、私は、こうつぶやく。
「そうではないのだがなア……」と。

 誤解がないように書いておく。
場面かん黙児などというのは、幼児教育のイロハ。
「情緒障害児」に、分類されている。
10年も経験すれば、そこらのドクターよりはるかに正確に診断することができる。
が、それでも診断名を口にすることは、できない。
タブー中のタブー。

○心の問題

 で、親はそれでよい。
診断名など知らなくても、よい。
大切なのは、それが自分の子どもと割り切り、子どもの幸福だけを考えればよい。
が、問題は、その子ども。
子どもという、(あなた)。

 ……というのも、私たちおとなは、みな、何かの心の問題を引きずっている。
問題のない、あるいは問題のなかった人は、い・な・い。
絶対に、いない。

 自閉症、自閉傾向にはじまり、敏感児、過敏児などなど。
俗にいう、家庭崩壊児まで含めたら、それこそすべての子どもが、何らかの問題をかかえている。
が、子ども自身がそれに気づくことは、まずない。
集中力欠如型多動性児(AD・HD児)にしても、そうだ。
おとなになり、教職か何かにつき、それを知っても、自分がそうだったと気づく人は少ない。
みな、どの人も、自分は(まとも)と思う。
「ぼくは、まともだった」と。

○I君

 印象に残る男児に、I君という子どもが、いた。
本当に、たいへんだった。
どうたいへんだったかといえば、要するに、手に負えなかった。
学校でも、私の教室でも、授業を破壊するだけ。
そういう姿を見て、ほかの子どもたちは、みな、去っていった。

 で、その子どもが中学3年生になった。
そのときそのI君に、私はこう聞いた。
「君は幼稚園児や小学低学年児のとき、みなに迷惑をかけたが、覚えているか」と。
が、I君は、こう答えた。
その答えに、私は驚いた。

 「先生、ちがうよ。ぼくはだれにも迷惑なんか、かけていない。
みなが、ぼくを勝手に、目の仇(かたき)にして、怒っただけ」と。

 私はそのとき、自分を知ることがいかに困難な作業かを、知った。
ソクラテスの言葉を借りるなら、まさに『無知の知』。
それを知ることが、いかに困難な作業かを、知った。

○私であって私でない

 話を戻す。

 「私は私」と思っている、その「私」は、精神活動の一部に過ぎない。
私など、どこにもないと言った方が、適切かもしれない。
たとえばあなたの肉体を見てみればよい。
私たちは、手一本、自分の意思で作ることはできない。
形を変えることもできない。
怪我をしても、自分の意思で、それを治すことはできない。
勝手に自分の肉体はでき、老化する。
勝手に血液が反応し、細菌を退治する。

 同じように、精神活動も、私であって、私でない。
私は、最近、こんな経験をしている。

○ぼたんインコ

 ぼたんインコを飼うようになって、もう10か月になる。
成長が速い。
メスだったが、1か月ほど前には、産卵した。
その前から、おかしな行動を繰り返すようになった。
「?」と思っていたら、産卵。

 で、今でも、羽を広げ、交尾を促すような行動(踊り)を繰り返す。
それを見て、私は、こう思う。
「この鳥は、どこでそれを学んだのか」と。
というのも、私の家に来たときには、まだ幼鳥。
ほかのぼたんインコのことは、まったく知らない。
見たこともないだろう。
が、行動パターンは、同じ。
YOUTUBEでは、ほかのぼたんインコを紹介している。
が、行動パターンは、同じ。

 それを見たとき、「人間もそうなのかなア」と。
私も、「私は私」と思って行動してきた。
しかし考えること、あるいはその原点にあるものは、同じ。
出世欲にしても、名誉欲にしても、またそれから派生するもろもろの行動にしても、同じ。
日本人もアメリカ人も、ない。
1000年前の人間も、現代人も、ない。
つまり、その共通部分を取り除いたら、何も残らない。
それが「私」と。

○一定の範囲

 もうそろそろ、結論が見えてきた。
つまり、そんな「私」に、霊など、残らない。
残っても、意味はない。
それぞれに個性はあるだろうが、その個性とて、一定の範囲での個性でしかない。
一定の範囲というのは、水泳でがんばる人も、野球でがんばる人も、同じということ。
美しいドレスで身を飾る女性も、化粧に1時間もかける女性も、同じということ。
さらに言えば、1000年前の軍人が武勲を立てようとしたのも、現代の大企業の社員が昇進しようと思うのも、同じということ。

 人間はDNAにプログラムされているように、それに従い、もろもろのドラマを展開する。
が、基本的には同じ。
私の家のぼたんインコは、机の中が好き。
どこかのぼたんインコは、本箱の奥が好き。
それぞれが個性をもっているようだが、その実、一定の範囲での個性でしかない。
つまり、人間も、また然(しか)り。

○DNAのプログラム

 が、唯一の例外がある。
DNAのプリグラムの影響を受けないもの。
それが「思想」ということになる。
「考える力」ということになる。

 が、その考える力は、「霊」ではない。
またそういう形では、残らない。
唯一方法があるとするなら、その人の言葉や作品となって残る。
脳から脳へ、情報として、残る。
つまりそれが「私」という私の中身ということになる。
言い換えるなら、来世に望みを託すくらいなら、いかにつぎの世代の人たちに情報を残すか、それを考えたほうがよい。
またそれが「私」ということになる。
「生きる」ということになる。

 もちろん「中身」の問題もある。
高尚な中身もあれば、低劣な中身もある。
が、一般論からすれば、真・善・美の追求ということになる。
それが結果として、つぎの世代に残る。

○ソクラテス

 なぜ私はここにいるか。
これがその答ということになる。
(こう断言するのは、危険なことかもしれない。
しかし今の私は、そう考える。)

 つぎの世代の人たちの脳に、いかに、自分の考えたことを伝えていくか。
その前に、その考えを、いかに、作りあげていくか。
それが「生きる」ということになる。
たとえば私は、先に、ソクラテスの話を書いた。
『無知の知』という言葉を引用した。

 つまりこの時点で、時代や国を越え、ソクラテスは、私の脳の中に生きていることになる。
ソクラテスという肉体は消えた。
精神活動も、消えた。
が、思想は残る。
残って、今の私の脳の中で、生きている。
これからもソクラテスの言葉は、世界中の人たちによって、繰り返し引用されるだろう。
つまりこれが「永遠に生きる」ということになる。

 それを思えば、個人の霊魂などというものは、仮にあったとしても、ちっぽけなもの。
庭を這う、アリほどの価値もない。
(だからといって、人間の命に、価値がないと言っているのではない。
その逆。
どんな人間でも、努力によって、その思想を残す可能性を秘めている。
その可能性こそに意味がある。
尊い。)

 ……さて私に与えられた時間は、あまりにも短い。
よくて10年。
あるいはそれ以下。
この間に、いかに私は「私」をつかむことができるか。
一瞬一秒、無駄にできる時間は、もうない。
懸命に生きて生きて、生きぬく。
そのあとのことは、考えない。
考えても、意味はない。
結果は、いつもあとからついてくる。

○奇跡

 「アインシュタインが言ったように、生きているという事実だけでも、本当に奇跡なんだなア」と。
最近、よくそう思う。

父の精子と母の卵子が、ほんの少しすれ違っていたら、「私」は生まれなかった。
そのことは一卵性双生児をみれば、わかる。
結果として、別の男児が生まれ、外の世界から見れば、同じ「はやし浩司」が生まれていたかもしれないが、それは「私」ではない。

 わかりにくいかな?

 同じような組み合わせで、同じように生まれ、同じような環境で育てば、私と同じ「はやし浩司」になっていただろうということ。
が、それは「私」ではない。
別の「私」ということになる。
一方、精子の生存競争に敗れた「私」は、相変わらず、「虚」の世界から「虚」の世界へと、消えていただろうということ。

○終わりに……

 「生きる」ということは、同時に、孤独との闘い。
いつもそこに絶壁があり、私を支えてくれるものは、だれもいない。
荒野をひとりで、さまよい歩くのに似ている。
死後の世界を否定すれば、なおさら。

が、その孤独も、それを前提として生きれば、何でもない。
逃げるのではなく、受け入れる。

 逃げようとすれば、孤独はキバをむいて、襲いかかってくる。
が、受け入れてしまえば、シッポを巻いて逃げていく。
あとはその日が来るまで、がんばる。
ふんばる。

と、書きながら、一方で、私は、3度、すでに臨死を経験している。
が、3度とも、実に心安らいだ状態。
一度目は、はっきりとこう自覚した。
「これで、ぼくも死ねるのか」と。

 それはまったく恐怖とは、別の世界。
生暖かい、穏やかな世界。
だから今の私は、こう思う。
「死だって、受け入れてしまえば、何でもない」と。
死のほうが、にこやかに笑いながら、私を受け入れてくれる。
死ぬことを恐れる必要はない。
そのためにも、今を、懸命に生きる。
生きて生きて、生きまくる。

 それが今夜の結論ということになる。
かなり荒っぽい文章で、ごめん。
近く、もう一度この文章を読みなおし、推敲してみたい。

(2013年02月10日、午前01時24分記)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2013++++++はやし浩司

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