出産・育児

最前線の子育て論byはやし浩司(メルマガ版)

子育て最前線で活躍するお母さん、
お父さんのための育児マガジン+育児エッセーほか。    
★★★★★2007年10月、
60000誌の中で、TOP-ONEに
評価されました!★★★★★

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●子育て最前線の育児論byはやし浩司・メルマガ(血縁という確執)

2009/09/04





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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 9月 4日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【年収と学力】(Parent’ s Income and their Children’s Ability of Studying)

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予想されてはいたことだが、平たく言えば、
金持ちの親の子どもほど、成績は総じてよいということ。

文科省は、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)
をもとに、このほど、そのような調査結果を公表した。

+++++++++++++++++++++

●年収200万円層

 時事通信(8月5日)は、以下のように伝える。

 『年収が多い世帯ほど子供の学力も高い傾向にあることが、2008年度の小学6年生
を対象にした全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)を基に行われた文部科学省の委
託研究で4日、分かった。学力テストの結果を各家庭の経済力と結び付けて分析したのは
初めて。

 委託研究では、5政令市にある公立小、100校を通じて、6年生約5800人の保護
者から家庭環境などのデータを新たに収集。個人名が分からないよう配慮した上で、学力
テストの結果と照合した。

 学力テストには、国語、算数ともに知識を問うA問題と活用力を試すB問題があるが、
世帯年収ごとに子供を分類すると、いずれも200万未満の平均正答率(%)が、最低だ
った。

 正答率は年収が多くなるにつれておおむね上昇し、1200万円以上1500万円未満
だと、200万円未満より20ポイント程度高まった。ただ、1500万円以上では正答
率が微減に転じた』(以上、原文のまま)と。

●数字の整理

 数字を整理してみる。

(1)年収200万円未満の平均正答率が、最低だった。
(2)年収が1200万円〜1500万円の層は、200万円未満の層より、20ポイン
ト、高かった。
(3)ただ1500万円以上では、正答率は、微減に転じた。

 つまり金持ちの子どもほど、成績はよいということ。
しかし年収が1500万円を超えた層では、正答率が微減に転じた、と。

 が、この調査ほど、納得がいくというか、矛盾を感じない調査はない。
年収1500万円以上の子どもたちの正答率が微減したということについても、
妙に納得がいく。
その分だけ、子どもがドラ息子しているとも解釈できる。

 しかし親の年収で、子どもの学力に(差)が出るということは、本来は、あってならな
いこと。
しかし現実には、ある。
「金持ちの親の子どもほど、学力が高い」と。
が、ここで新たな疑問が生まれる。
親の年収と、子どもの学力を、そのまま関連づけてよいかという疑問である。

●学歴と親の年収

 それ以前の問題として、親の学歴と、親の年収との間には、明らかな相関関係がある。
学歴が高ければ高いほど、年収も高い。
言い換えると、このことから、親の学歴が高ければ高いほど、子どもの正答率も高くなる
と言えなくもない。

(親の学歴が高い)→(年収が多い)→(子どもの正答率が高くなる)、と。

子どもは、いつも親の影響を受けながら、成長する。
つまり年収だけをみて、「親の年収が子どもの学力に影響を与える」と考えるのは、少し、
短絡的すぎるのではないのか?
(もちろん今回の調査では、そんなことは一言も述べていないが……。)

 つまりもっと正確には、(親の学歴が低い)→(その分だけ、家庭における知的環境レベ
ルが低い)→(子どもの知的学習能力も低くなる)→(正答率が低くなる)、ということで
はないのか。

 もし親の年収が子どもの学力に直接的に影響を与えるものがあるとするなら、塾などの
学外教育費用、あるいは学外教材費用の面である。
年収に余裕があればあるほど、子どもの学外教育に、親はお金をかけることができる。

●親の知的レベル

 「知的レベル」という言葉を使ったので、それについて補足。

 親の知的レベルが、子どもの知的レベルに大きな影響を与えるということは、常識と
考えてよい。
(ただし親の学歴が高いから、親の知的レベルが高いということにはならない。
反対に、親の学歴が低いから、親の知的レベルが低いというこにもならない。)

 「知的レベル」というのは、日々の生活の場で鍛錬されて、決まるもの。
学歴のあるなしは、それに影響を与えるという程度のものでしかない。
要するに、親のものの考え方次第ということ。
それが子どもに知的好奇心、問題の解決能力に大きな影響を与える。

●知的レベルの怖ろしく低い親

3、4年前のことだが、私はこんな場面に遭遇したことがある。
その家の長男(当時、35歳)に愛人ができ、離婚騒動がもちあがった。
そのときのこと。
その長男の父親は、一方的にどなり散らすだけ。
「テメエ、コノヤロー、オメーモ、男だろがア!」と。
 
 が、これでは会話にならない。
話し合いにもならない。
もちろん騒動は解決しない。
私はその父親の言葉を横で聞きながら、その父親のもつ知的レベルのあまりの
低さに驚いた。

 別のところで話を聞くと、その父親の趣味は、テレビで野球中継を見ること。
雨の日はパチンコ。
晴れの日は海釣り。
本や雑誌など、買ったこともなければ、読んだこともないという。

 子どもに直接的に影響を与えるのは、親の知的レベルである。
学歴ではない。
年収ではない。

●ともあれ……

 ともあれ、(親の年収)と、(子どもの学力)との間に、相関関係があることは、
これで確認できた。
しかしこんなことは、何もあえて調査しなくても、わかりきったこと。
ゆいいつ意味があるとするなら、「20%」という数字が出されたこと。
要するに、平均点が20点ほど、低いということか。

 年収が1200〜1500万円の親の子どもの平均点が、80点とするなら、
200万円以下の親の子どもの平均点は、60点ということになる。
そうまで単純であるとは思わないが、かみくだいて言えば、そういうことになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 親の年収と子供の学力 親の知的レベルと子供の学力 子どもの
学力調査 はやし浩司 全国学力調査)

(付記)

 都会地域へ大学生を1人送ると、平均して、月額17万円前後の費用がかかる。
それを12倍すると、年額204万円。
つまり年収200万円以下の親の子どもが大学へ通うのは、事実上、不可能。
文科省の今回の調査では、「年収200万円以下」を問題にしているが、この数字そのもの
が、少し極端すぎるのでは?
仮に年収100万円以下ということになれば、「家庭」そのものが、成り立たない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家族、そして親戚づき合い】(Families and Blood Relatives)

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家族にもいろいろある。
親戚づきあい。
それにも、いろいろある。
人それぞれ。
みな、ちがう。

家族にせよ、親戚づきあいにせよ、
たがいに良好なら、まだよい。
救われる。
そうでないなら、そうでない。

しかしひとたびこじれると、親戚であるがゆえに、
他人以上の他人になる。
ささいなことでも、はげしく衝突するようになる。
憎しみあい、ののしりあうようになる。

++++++++++++++++++++++++++

●姉妹の確執

 最近、A子さん(40歳)は、姉のB子さん(42歳)と縁を切った。
一切、行き来は、なし。
しかしその理由を知る人は少ない。 
A子さんも、それについては、人に話さない。

 A子さんの夫が、姉のB子さんと、不倫関係をもってしまった。
夫のほうが、B子さんに言い寄った。
悪いのは夫、ということになる。
が、いろいろ事情があって、A子さんは、離婚にまでは踏み込めないでいる。
A子さんの心中は、複雑。

●親子の縁
 
 C氏(55歳・男性)は、この10年以上、母親に会っていない。
その母親が、昨年、脳梗塞で倒れた。
伯父から連絡を受けた。
が、C氏は、見舞いにも行っていない。
が、それにも、理由がある。

 C氏は、母親と別の男性との間に生まれた、不倫の子だった。
気がついたのは、学生時代のことだった。
ほかの3人の兄弟(兄2人、妹1人)と、血液型が符合しなかった。
で、念のためにと、DNA鑑定をしてもらった。
結果、C氏だけは、別の男性の子であることがわかった。
C氏はこう言う。

 「父はもう死んでいるから、本当のことを話してほしい。
しかし母は、いまだにとぼけている。
私はそれが許せない」と。

●外面(そとづら)と内面(うちづら)

 外面と内面が、まったく異なる人は、珍しくない。
外の世界では、神のような人物を演ずる。
しかし家の中では、まったくの別人。
わがままで、自分勝手。
Dさん(80歳、女性)も、その1人。
「超」の上に、さらにもうひとつ「超」がつくほど、わがまま。
自分勝手。

 嫁がつくる食事を、「まずい!」と言っては、嫁に投げつける。
息子には、「遺産(=土地)がほしければ、今、お前の貯金をよこせ!」と怒鳴る。
あるいは泣き声で、懇願する。

 が、他人の視線を感じたとたん、豹変する。
表情まで、別人になる。

●親子関係

 その家には、その家の人たちだけにしかわからない、裏の事情というものがある。
外の人には、それはわからない。
が、外の人は、表面的な部分だけを見て、判断をくだす。
自分の意見を添える。
しかしこういう判断や意見は、当事者たちを、とことん傷つける。
ある人(男性、50歳)は、こう言った。

 「それは心臓をえぐられるような苦しみです。
そういう経験のない人には、理解できないでしょう」と。

 とくに親子関係というのは、本能に近い部分にまで刷り込みがなされている。
それを断ち切るのは、容易なことではない。
実際には、不可能。
だから、もがく。
苦しむ。

 親戚関係にしても、そうだ。
そこに至るまでには、長い歴史というものがある。
かさぶたの上に、かさぶたが重なり、傷口にしても、原型をとどめないほどまでに、
複雑になっている。
そういうケースは多い。

●神経戦

 「村八分」という言葉がある。
「今では、死語になっている」と説く人もいる。
「遠い、昔の話」と。
しかし現実には、残っている。
ここにも、そこにも、どこにでも残っている。
「村」という単位ではなく、「親戚」という単位となると、もっと多い。

 が、「八分」にする人も、またされる人も、とことん神経をすり減らす。
すり減らしながら、神経戦を繰り返す。
果てしない消耗戦と言ってもよい。
それが5年、10年単とつづく。

●ダカラ論
 
 要するに、たとえ親戚であっても、家族の問題には、首をつっこまないこと。
相手の側から相談でもあれば、話は別だが、そうでなければ、そっとしておいて
やる。
それが思いやりというもの。
まちがっても、安易な『ダカラ論』や、『スベキ論』で、相手を責めてはいけない。

 私もいろいろあって、この『ダカラ論』や、『スベキ論』に苦しんだ。

 「お前は、子だろ」「お前は、大学まで出してもいらっただろ」「産んでもらった
だろ」「育ててもらっただろ」と。
「いくら事情があっても、親は親だからな」と言ってきた人もいた。
「だから、お前は〜〜すべき」と。

●「親戚」という呪縛

 今、「親戚」という足かせの中で、もがき、苦しんでいる人は多い。
こうした原稿をBLOGなどで発表すると、ものすごく多くの人たちから、反響が届く。
「私も……」「私も……」といった感じである。

 「正月に実家へ帰ると考えただけで、頭が痛くなります」といったレベルの
人まで含めると、3人に1人くらいはいるのでは?
つぎのような原稿があるのを思い出した。
日付を見ると、06年となっている。
今から3年前の原稿である。

++++++++++++++

【親子の確執】

フロッピーディスクを整理していたら、

こんな相談が出てきた。



そのときは相談してきた方の立場になって、

それなりに返事を書いたつもりでいる。



しかし、記憶というのは、いいかげんな

もの。「そういうことがあったな」という

程度には、思い出せるが、そこまで。

もし偶然であるにせよ、その相談を見ることが

なかったら、私は、そんな相談があった

ことすら、思い出すこともなかっただろう。



+++++++++++++++++



 何枚かのフロッピーディスクを、整理していたら、こんな相談が出てきた。パソコンか
らパソコンへの原稿の移動には、私は今でも、フロッピーディスクを使っている。



 まず、そのときの相談を、そのままここに転載する。当時、相談をしてきた方から、転
載許可をもらった記憶だけは残っている。



+++++++++++++++++



【YDより、はやし浩司へ】



 以前にもご相談させていただきましたYDです。 今回は私と実父とのことで、ご相談
をお願いしたいと思いました。 



18歳のときに、私は、今の主人とつきあい始めました。そのときは、私が進路未定の状
態だったので、私たちの交際は、猛反対されました。 



 幼稚だった私は当時、交際を隠し続けていたのですが、結局、親が知るところとなり、私
は家を飛び出し、主人の所に転がり込む形で、家族との縁を切りました。そのときから体
の不調が始まり、主人と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の
服用をしました。(主治医の先生によると、「おびえ」という症状との見解でした。)



 実家とは絶縁状態のまま結婚、出産し、4年が過ぎたころ、実母が亡くなり、家の敷居
をまたぐになりましたが、実父との関係は、今でも修復されないままでいます。



 母は子供の頃から誰にも言えない胸のうちでも、私には話せるようで、愚痴の聞き役の
ような感じでした。家を出てからも、父に隠れながら、毎日のように電話をくれました。
しかし私の話より、自分の愚痴や不安を聞かされ、私が励ます内容の電話が多かったと思
います。そのせいか、私は心のどこかで、父を軽蔑していると自分では思っています。

 

 母が亡くなった事で、法事などで実家に行くこともありますが、主人は父を嫌って極力
実家には近づこうとしません。父にはそれがもの凄く不満のようで、「もっと先祖(=私)
を大事にしてくれ」と訴えるのですが、主人は、自分の両親・姉でさえとも一線を引くよ
うなところがあり、自分と合わない人間とは付きあわないところがあります。主人の気持
ちも考えると、どちらにも強く言えないでいます。 



 このお正月に母のお墓参りに行きましたが、場所が北海道と遠いこともあり、また車で
行くということもあり、雪も降ったあとだったので、詳しい日程が立てられないまま行き
ました。



 結局、予定より2日も余裕ができたので、叔父達に会いに行くことができましたが、事
前に詳しく連絡を入れていなかったことで、父に迷惑がかかり、怒られる結果となりまし
た。



 父は「相手の立場に立って思いやりを持って行動すべきだ。相手にも都合がある。正月
という時期だから、余計に考えるべきだった。自分(=父)が何も知らせないで、勝手に
決めすぎだ」と言われましたが、今回は行き当たりばったりで、皆に迷惑をかけたのは確
かだと、自分では思っています。 



 事前に父に密に予定を話しておけば良かったことなのですが、私自身ごちゃごちゃ言わ
れたくないから、最低限のことだけ伝えればいいやと、父とのコンタクトを避けてしまっ
た結果だと、自分では思っています。 



 父は、私の家族であるリーダーは主人だから、私に言っても仕方なく、主人が考え、行
動すべきことであり、主人と話をすることを考えていると言っています。私は主人の性格
を考えると、余計に父を疎ましがるのではないかと思い、まずは私が父とコミュニケーシ
ョンを取れるようにならなければ、今の関係の改善は難しいと思うのですが。



 また、私たち家族が出向くことによって父が、叔父達に「よろしくお願いします」「お世
話になりました」と動けるように、私たちから働きかけるべきなのでしょうか? 父にそ
の必要があるのなら、父から聞いてくればいいのにと、どこか反発心もありながら、社会
を見ないまま家庭に入った身として、常識に欠けているのか判断ができずにいます。まず
何から改善すべきか見出せない現状です。



 文章が支離滅裂でお恥ずかしいのですが、先生はどう感じたでしょうか? 聞かせてい
ただけるととても嬉しいです。



++++++++++++++++++



当時のことを思い出すために、

YDさんからの相談を、自分の

原稿集の中で、検索してみた。



で、さらに驚いたことに、この相談を

もらったのは、(06年 FEB)とある。



つまり今年の2月!



私はたった9か月前のことすら、

もう忘れてしまおうとしている!



ついでにそのときYDさんに書いた

返事を、そのままここに載せる。



+++++++++++++++++



●「家族」とは何か?



 多くの人にとっては、「家族」は、その人にとっては、(心のより所)ではあるが、しか
し一度、歯車が狂うと、今度は、その「家族」が、重圧となってその人を苦しめることが
ある。ふつうの苦しみではない。心理学の世界でも、その苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。



 そういった「家族」全体がもつ、束縛意識、結束意識、連帯意識を総称して、「家族自我
群」と呼ぶ学者もいる。こうした意識は、乳幼児期から、親を中心とする家族から本能に
近い部分にまで刷りこまれている。そのため、それから自らを解放させることは、容易な
ことではない。



 ふつう、生涯にわたって、人は、意識することがないまま、その家族自我群に束縛され
る。
「親だから……」「子だから……」という、『ダカラ論』も、こうした自我群が背景となっ
て生まれる。



 さらにこの日本では、封建時代の家督制度、長子相続制度、権威主義などが残っていて、
親子の関係を、特別視する傾向が強い。私が説くところの、「親・絶対教」は、こうして生
まれたが、親を絶対視する子どもは、少なくない。



 が、ときに、親自身が、子どもに対して、その絶対性を強要することがある。これを私
は「悪玉親意識」と呼んでいる。俗に言う、親風を吹かす人は、この悪玉親意識の強い人
ということになる。こういう人は、「親に向かって、何てことを言うのだ!」「恩知らず!」
「産んでやったではないか!」「育ててやったではないか!」「大学まで出してやったでは
ないか!」というような言葉を、よく口にする。



 もともと権威主義的なものの考え方をする傾向が強いから、人とのつながりにおいても、
上下意識をもちやすい。「夫が上、妻が下」「男が上、女が下」と。「親が上で、子が下」と
いうのも、それに含まれる。さらにこの悪玉親意識が強くなると、本来なら関係ないはず
の、親類の人たちにまで、叔父風、叔母風を吹かすようになる。



 が、親子といえども、基本的には、人間対人間の関係で、決まる。よく「血のつながり」
を口にする人もいるが、そんなものはない。ないものはないのであって、どうしようもな
い。観念的な(つながり)を、「血」という言葉に置きかえただけのことである。



 で、冒頭に書いたように、(家族のつながり)は、それ自体は、甘美なものである。人は
家族がもつ安らぎの中で、身や心を休める。が、それには、条件がある。家族どうしが、
良好な人間関係を保っているばあいのみ、という条件である。



 しかしその良好な人間関係にヒビが入ると、今度は、逆に(家族のつながり)が、その
人を苦しめる、責め道具になる。そういう例は、多い。本当に多い。子ども自身が、自ら
に「親捨て」というレッテルを張り、生涯にわたって苦しむという例も少なくない。



 それほどまでに、脳に刷りこまれた(家族自我群)は、濃密かつ、根が深い。人間のば
あい、鳥類とは違い、生後、0か月から、7〜8か月くらいの期間を経て、この刷りこみ
がなされるという。その期間を、「敏感期」と呼ぶ学者もいる。



 そこで、ここでいう家族自我群による束縛感、重圧感、責務感に苦しんでいる人は、ま
ず、自分自身が、その(刷りこみ)によって苦しんでいることを、知る。だれの責任でも
ない。もちろんあなたという子どもの責任でもない。人間が、動物として、本来的にもつ、
(刷りこみ)という作用によるものだということを知る。



 ただ、本能的な部分にまで、しっかりと刷りこまれているため、意識の世界で、それを
コントロールすることは、たいへんむずかしい。家族自我群は、意識の、さらにその奥深
い底から、あなたという人間の心を左右する。いくらあなたが、「縁を切った」と思ってい
ても、そう思うのは、あなたの意識だけ。それでその刷りこみが消えるわけではない。



 この相談を寄せてくれた、YDさんにしても、家を出たあと、「体の不調が始まり、主人
と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしました」と書
いている。また実母がなくなったあとも、その縁を断ち切れず、葬儀に出たりしている。

 

 家族自我群による「幻惑」作用というのは、それほどまでに強力なものである。



 で、ここで人は、2つの道のどちらかを選ぶ。(1)家族自我群の中に、身を埋没させ、
安穏に、何も考えずに生きる。(2)家族自我群と妥協し、一線を引きながらも、適当につ
きあって生きる。もう1つ、本当に縁を切ってしまうという生き方もあるが、それはここ
では考えない。



 (2)の方法を、いいかげんな生き方と思う人もいるかもしれないが、自分の苦しみの
原因が、家族自我群による幻惑とわかれば、それなりにそれに妥協することも、むずかし
くはない。
文字が示すとおり、「幻惑」は、「幻惑」なのである。もっとわかりやすく言えば、得体の
知れない、亡霊のようなもの。そう考えて、妥協する。



 YDさんに特殊な問題があるとすれば、あくまでもこのメールから私がそう感ずるだけ
だが、それはYDさん自身の、依存性がある。YDさんは、親に対してというより、自分
自身が、だれかに依存していないと、落ち着かない女性のように感ずる。そしてその依存
性の原因としては、YDさんには、きわめて強い(弱化の原理)が働いているのではない
か(?)。



 自信のなさ、そういう自分自身を、YDさんは、「幼稚」と呼ぶ。もう少し精神的に自立
していれば、自分をそういうふうに呼ぶことはない。YDさんは、恐らく幼いときから、「お
まえはダメな子」式の子育てを受けてきたのではないか。とくに父親から、そう言われつ
づけてきたように思う。



 そのことにYDさん自身が気づけば、もっとわかりやすい形で、この問題は解決すると
思われる。



 あえてYDさんに言うべきことがあるとするなら、もう親戚のことや、父親のことは忘
れたほうがよいということ。YDさんがもっとも大切にすべきは、夫であり、父親ではな
い。いわんや、郷里へ帰って、親戚に義理だてする必要など、どこにもない。それについ
てたとえYDさんの父親が、不満を言ったとしても、不満を言う、父親のほうがおかしい。
それこそまさに、悪玉親意識。YDさんは、すでにおとな。親戚にまで親風を吹かす父親
のほうこそ、幼稚と言うべきである。詳しくは、このあとそれについて書いた原稿を添付
しておく。



【YDさんへ……】



 お元気ですか。ここまでに書いたことで、すでに返事になってしまったようです。



 私のアドバイスは、簡単です。あなたの父親のことは、相手のほうから、何か助けを求
めてくるまで、放っておきなさい。あなたがあれこれ気をもんだところで、しかたのない
ことです。またどうにもなりません。



 父親が何か苦情を言ってきたら、「あら、そうね。これからは気をつけます」と、ケラケ
ラと笑ってすませばよいのです。何も深刻に考えるような問題ではありません。



 あなたの結婚当初の問題についても、そうです。いつまでも過去をずるずると引っぱっ
ていると、前に進めなくなります。



 で、もっと広い視野で考えるなら、そういうふうにYDさんを苦しめている、あるいは
その原因となっているあなたの父親は、それだけでも、親失格ということになります。天
上高くいる神なら、そう考えると思いますよ。



 本来なら、そういう苦しみを与えないように、子どもを見守るのが親の務めです。あな
たの父親は、結果としてあなたという子どもを苦しめ、悲しませている。不幸にしている。
だから、あなたの父親は、親失格ということになるのです。



 そんな父親に義理立てすることはないですよ。



 今は、一日も早く、「ファーザー・コンプレックス(マザコンに似たもの)」を捨て、あ
なたの夫のところで、羽を休めればよいのです。あなたの夫と、前に進めばよいのです。
あなたの夫が、「実家へ行きたくない」と言えば、「そうね」と、それに同意すればよいの
です。



 私は、あなたの夫の考え方に、賛成します。同感で、同意します。



 では、今日は、これで失礼します。



 出先で、この返事を書いたので、YDさんとわからないようにして、R天日記のほうに
返事を書いておきます。お許しください。



【YDさんより、はやし浩司へ】



++++++++++++++++++



私が返事を書いた、翌日、

YDさんより、こんな

メールが届いた。



++++++++++++++++++



はやし先生



 先ほど楽天日記を読ませていただきました。



心が楽になりました。ありがとうございまいた。



 家族自我群にあてはまるのだと教えて頂き、とても感謝しています。先生のホームペー
ジから勉強させて頂きマガジンからも勉強させていただいていますが、私は自分の都合の
良い情報ばかりを集めて自分を正当化しようと思っているのではないかと思っていました。



 先生のお書きになった通り、私は依存性が強い人間です。主人と付きあい始めた当初は
自分でも思い出したくないくらいです 苦笑。そして父から褒められた記憶はありません。



 父は「言って聞かないなら殴る。障害者になってもいいんだ」という教育方針で、私が
何か悪いことをすると、殴られるのは当たり前でした。お説教の最中に物が飛んでくるの
もよくあることでした。なので、父からのお説教があってしばらくはもう二度と可愛いと
思ってもらえないかもしれないという恐怖心は強かったと、今になると思います。



 それでも、学校をさぼったりしていたのは、何でだったのか、まだ当時の自分を自己分
析できずにいますが・・・。



 「大切にされた記憶がない」と話すと、父は、「毎週(月曜日に剣道に通っていたのです
が、終わるのが夜の9時でした)、迎えに行っていたのになぁ」と言われた事があります。
私が父の愛情に気付いていなかっただけなのか、自分がされた嫌な事だけしか覚えていな
いから私は自分を悲劇のヒロイン化させているのかと思っていました。



 その反面、(私は中学生でしたが)、当時の心境は、「夜遊びに走らないように監視されて
いる」のが本当のところではなかったのかと思います。きっとその頃からひずみはすでに
始まっていたんでしょう・・・。



 自分では私は「アダルトチルドレン」に入るのではないかと思っています。社会との繋
がりがうまく持てない焦りから、今の自分のままでは子供達の成長に良くないのではない
かと焦っています。父に「親や、その親、親の兄弟あってのお前なんだから、まわりを大
切にすべきだ」と強く言われる事で、自分を見失ってしまいました。



 父の事を思い起こすと未だに震えが起こるので、きちんと文章になっているのか不安で
すがお時間を割いて頂きありがとうございました。



 追伸・「ユダヤの格言xx」という本の中で、「父親の生き方から夫の生き方に変え、逆
境のときは夫を支え、喜びを分かち合い、女中を雇う余裕があっても怠けることなく、話
をしてくるものにはわけへだてなく対応し、困っている人には手を差し伸べる」(ユダヤ人
の伝統的な良き妻の像)と言う説を手帳に書き写したことがあります。楽天の日記を読ませ
ていただきこの事を思い出しました。 



 個人的なのですがこの本の先生の見解にとても興味があります。

 長々と読んでいただきありがとうございました。



++++++++++++++++



●悪玉親意識



悪玉親意識についての原稿を添付しておきます。



++++++++++++++++



●悪玉親意識



 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子
どもを自分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、こ
れまた二種類ある。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。



 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分
の価値観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしよ
うとする。子どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をす
る。



 これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもを
その「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなってい
るため、たいていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育て
てやった」と言い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきました」
と言う。



 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ
姿」という)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子ども
の歓心を買いながら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。



 「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子ど
もにするのが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに気
に入られようとするのが後者ということになる。



 以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、
先生の方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それも
ここでいう後者ということになる。

 これらを表にしたのがつぎである。



   親意識  善玉親意識

        悪玉親意識  非依存型親意識

               依存型親意識   押しつけ型親意識

                        コビ売り型親意識

 

 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようにな
る。それは当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。
はたしてあなたの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分
析してみると、おもしろいのでは……。



+++++++++++++++



もう1作……



+++++++++++++++



●子育て、はじめの一歩



 先日、あるところで講演をしたら、一人の父親からメールが届いた。いわく、「先生(私
のこと)は、親は子どもの友になれというが、親子にも上下関係は必要だと思う」と。



 こうした質問や反論は、多い。講演だと、どうしても時間的な制約があって、話のあち
こちを端(はし)折ることが多い。それでいつも誤解を招く。で、その人への説明……。



 テレビ番組にも良質のものもあれば、そうでないのもある。そういうのを一緒くたにし
て、「テレビは是か非か」と論じても意味がない。同じように、「(上下意識のある)親意識
は必要か否か」と論じても意味はない。親意識にも、つまり親子の上下関係にも、いろい
ろなケースがある。私はそれを、善玉親意識と、悪玉親意識に分けている。



 善玉親意識というのは、いわば親が、親の責任としてもつ親意識をいう。「親として、し
っかりと子どもを育てよう」とか、そういうふうに、自分に向かう親意識と思えばよい。
一方、悪玉親意識というのは、子どもに向かって、「私は親だ!」「親に向かって、何だ!」
と、親風を吹かすことをいう。



 つまりその中身を分析することなく、全体として親意識を論ずることは危険なことでも
ある。同じように「上下意識」も、その中身を分析することなく論じてはいけない。当然、
子どもを指導し、保護するうえにおいては、上下意識はあるだろうし、またそれがなけれ
ば、子どもを指導することも、保護することもできない。しかし子どもの人格を認めると
いう点では、この上下意識は禁物である。あればじゃまになる。



 親子の関係もつきつめれば、一対一の人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだか
ら……」と、「だから」論で、たがいをしばるのは、ときとしてたがいの姿を見失う原因と
なる。日本人は世界的にみても、上下意識が強い民族。親子の間にも、(あるいは夫婦の間
ですら)、この上下意識をもちこんでしまう。そして結果として、それがたがいの間にキレ
ツを入れ、さらにはたがいを断絶させる。



 が、こうして疑問をもつことは、実は、子育ての「ドア」を開き、子育ての「階段」を
のぼる、その「はじめの一歩」でもある。冒頭の父親は、恐らく、「上下関係」というテー
マについてそれまで考えたことがなかったのかもしれない。しかし私の講演に疑問をもつ
ことで、その一歩を踏み出した。ここが重要なのである。もし疑問をもたなかったら、そ
の上下意識についてすら、考えることはなかったかもしれない。もっと言えば、親は、子
育てをとおして、自ら賢くなる。「上下意識とは何か」「親意識とは何か」「どうして日本人
はその親意識が強いか」「親意識にはどんなものがあるか」などなど。そういうことを考え
ながら、自ら賢くなる。ここが重要なのである。



 子育ての奥は、本当に深い。私は自分の講演をとおして、これからもそれを訴えていき
たい。

(はやし浩司 親意識 親との葛藤 家族自我群 はやし浩司 幻惑 はやし浩司 家庭
教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 悪玉親意識 善玉親
意識 親風を吹かす親 上下意識)



【付記】



 今回、ここまでの原稿を再読してみて、いくつか気がついたことがある。



 そのひとつは、ここでいう「悪玉親意識」というのは、(親子の間)だけの話ではないと
いうこと。



 悪玉親意識、つまり親風を吹かす人は、あらゆる場面で権威主義的なものの考え方をす
る。
たとえば弟や妹に対しては、兄風、姉風を吹かす。甥(おい)や姪(めい)に対しては、
叔父風、叔母風を吹かすなど。



 あらゆる場面で上下意識が強く、そのわずかな(差)の中で、人間の優劣を決めてしま
う。



 で、本人は、それでそれなりにハッピーなのかもしれない。また多くの場合、その周囲
の人たちも、それを認めてしまっているから、それなりにうまく(?)いく。兄風を吹か
す兄と、それを受け入れる弟との関係を想像してみればよい。



 こうした上下意識は、儒教の影響を受けた日本人独特のもので、欧米には、ない。ない
ものはないのであって、どうしようもない。はっきり言えば、バカげている。この相談を
してきたYDさんの父親にしても、ここでいう悪玉親意識のたいへん強い人だということ
がわかる。「親は親だ」「親は偉い」という、あの悪玉親意識である。YDさんは、父親の
もつその悪玉親意識に苦しんでいる。



 が、ここで話が終わるわけではない。



 今度はYDさん自身の問題ということになる。



 現在、YDさんは、父親の悪玉親意識に苦しんでいる。それはわかる。しかしここで警
戒しなければならないことは、YDさんは、自分の父親を反面教師としながらも、別のと
ころで自分を確立しておかないと、やがてYDさん自身も、その悪玉親意識を引きついで
しまうということ。



 たとえば父親が、亡くなったとしよう。そしてそれからしばらく時間がたち、今度はY
Dさん自身が、なくなった父親の立場になったとしよう。すると、今度は、YDさん自身
が、なくなった父親そっくりになるという可能性がないわけではない。



 ユングが使った「シャドウ」とは少し意味がちがうかもしれないが、親がもつシャドウ
(暗い影)は、そのまま子どもへと伝播(でんぱ)していく。そういう例は、多い。ひょ
っとしたらあなたの周辺にも似たようなケースがあるはず。静かに観察してみると、それ
がわかる。



 で、さらに私は、最近、こういうふうに考えるようになった。



 こうした悪玉親意識は、それ自体がカルト化しているということ。「親絶対教」という言
葉は、私が考えたが、まさに信仰というにふさわしい。



 だからここでいう悪玉親意識をもつ親に向かって、「あなたはおかしい」「まちがってい
る」などと言ったりすると、それこそ、たいへんなことになる。だから、結論から先に言
えば、そういう人たちは、相手にしないほうがよい。適当に相手に合わせて、それですま
す。



 実は、この私も、そうしている。そういう人たちはそういう人たちの世界で、それなり
にうまく(?)やっている。だからそういう人たちはそういう人たちで、そっとしておい
てやるのも、(思いやり)というものではないか。つまりこの問題は、日本の文化、風土、
風習の分野まで、しっかりと根づいている。私やあなたが少しくらい騒いだところで、ど
うにもならない。最近の私は、そう考えるようになった。



 ただし一言。



 あなたの住む世界では、上下意識は、もたないほうがよい。たとえば兄弟姉妹にしても、
名前で呼びあっている兄弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよいという調査結果もあ
る。



 「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼びあうよりも、「ヒロシ」「アキコ」と呼びあうほうが、
兄弟姉妹は仲がよくなるということ。



 夫婦についても、同じように考えたらよい。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG 09++++++++++はやし浩司

●2009年8月5日に……

YDさんとのやり取りをしたのが、2006年の2月〜。
それからすでに3年。
改めて自分の書いた原稿を読み直してみる。
「おもしろい」と思うよりも前に、それ以後の私が、ほとんど進歩していないのを知る。
ここに書いた「悪玉親意識」(これは私が考えた言葉)にしても、今では、あちこちで
使われるようになった。
(ためしに、「悪玉親意識」で検索してみるとよい。)

 今回は、「悪玉親戚意識」ということになる。
何かにつけて、年長者が、年長風を吹かす。
たった1、2歳、年上というだけで、相手に向かって説教したりする。
一方、たった1、2歳、年下というだけで、自分は、それをだまって聞く。

 こうした傾向は、地方の田舎へ行けばいくほど、強くなる。

●決別

 私も今回、親類とは、決別することにした。
もちろん、中には親しく交際している人もいる。
そういう人はそういう人で、大切にしたい。

 ただ意識の上から、「親戚」というものを、はずす。
はずした上で、交際する人とは交際し、交際しない人とは、交際しない。
親戚であるとかないとか、そういうことで、相手を判断したくない。
江戸時代の昔なら、いざ知らず。
今は、そういう時代ではない。

 ついでに兄弟、姉妹についても、そういった意識とは決別する。
といっても、私には実姉は、1人しかいない。
大切にしたいとは思うが、今では他人以上の他人になってしまった。
たがいに歳を取りすぎたこともあるが、それ以上に、人生観がまったくかみ合わない。
……というより、実姉にも、どこか認知症の気配が出てきた(……と思う)。
会話そのものが、まったく、かみ合わない。

 ワイフの兄弟たちとは、うまく(たぶん?)、付き合っている。
みな、この浜松市内、およびその周辺に住んでいる。
たがいの行き来もある。
私にとっては、親類というよりは、友だち。
ワイフ自身も、そう思っている(?)。

 で、今、世の中が、急速に変化しつつある。
旧態依然の義理とか、人情とかいう世界が、音をたてて崩れ始めている。
冠婚葬祭にしても、質素になってきた。
驚いたのは、このあたりでも、初盆すらしない家庭がふえていること。

 正確な数字を改めて、拾ってみたい。

●初盆はしない

 ワイフの実母が、浜名湖畔にある、I村という、村の出身である。
昔から何かとしきたりが、きびしい土地がらである。
そんな村で、昨年(08年)、15世帯の家の人たちが、初盆を迎えることになった。
しかし実際、初盆の供養(僧侶、親戚を呼んでの儀式)をした家庭は、7世帯
だけだったという。

 この数字は、私が改めて確認したものなので、正確。

 浜松市内のような都会での数字ではない。
I村という、(昔からのしきたりが、きびしい土地)での話である。

 私はその話を、直接、喪主から聞いた。
加えて、驚いた。

●これからの日本

 で、それがよいことなのか、悪いことなのかは、私にもわからない。
どういう方向に向かっているのかも、私にもわからない。
わからないが、今、この日本も、大きく変わりつつある。
それだけは事実。

 で、来週あたり、私は、実兄と実母の、一周忌の法要をすることになっている。
(私の宗派では、盆供養はしない。
その代わり、一周忌の供養はすることになっている。)

 それについて、「私は、それが最後」と心に決めている。
私も、今年、満62歳になる。
自分の哲学や人生観をねじまげてまで、世間に迎合するのも疲れた。
もとはといえば、『地蔵十王経』。
鎌倉時代にできた、まっかなニセ経。
そんな経典に従って、何年も何年も、供養(?)をつづけることに、どういう意味が
あるのか。
それがはたして、仏教と言えるのか。
(教え)と言えるのか。
 
 簡単に言えば、日本の仏教そのものが、カルト化している。
カルト化したまま、日本の風土の中に、定着してしまっている。

●人それぞれ

 頭が熱くなったが、親戚づきあいにしても、そのカルトの上に乗っている。
もちろん、たがいに濃密な世界を築いている人もいれば、希薄な人もいる。

 私の実家は濃密だが、それと比べると、ワイフの実家は希薄である。
また同じワイフの兄弟、姉妹でも、濃淡には、大きな違いがある。
だから最初の話に戻る。

「親戚づきあい。
いろいろある。
人それぞれ。
みな、ちがう」と。

 たがいにうまくいっているなら、それはそれでよい。
何も私のような他人がとやかく言う必要はない。
ただこれだけは、覚えておいてほしい。

 自分たちがうまくいっているからといって、その尺度で他人を見てはいけない
ということ。
自分の価値観、あるいは価値基準を他人に押しつけることだけは、避けてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親類づきあい 親戚付き合い 親類との確執 親子の確執)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【働くしか能がない】

++++++++++++++++++++

AS首相は、「(老人たちは)働くしか能がない」と言う。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
が、しかし(働く)ということは、とても大切なこと。
今日も、こんな経験をした。

++++++++++++++++++++

●昼寝

 ここ数年、ちょうど昼ごろ、昼寝をすることが多くなった。
とくにこの1年、それが日課になりつつある。
朝、早く起きるということもある。
それもあって、一仕事したあと、時刻的には、午前10時〜11時ごろ、
もう一度、床に入って、眠る。

 昼寝といっても、1時間以上、眠ることは、めったにない。
たいてい静かに目を閉じているだけ。
が、ときに30〜40分間くらい眠ることがある。
今日もそうだった。
午後1時ごろ、いつものように、ふとんの上に横になった。

 で、仕事に行く時刻になった。
時計を見ると、1時45分。
少し眠ってしまった。
夢の残像が、まだ残っていた。

 が、私は血圧が低い。
目を覚ましたからといって、すぐには起き上がれない。
そのままの姿勢で、5分前後、まわりを眺めたりして、過ごす。
が、そのとき、ワイフが心配して、私を起こしにきた。
私は体にぐいと力を入れて、体を支える。
その勢いを借りて、起き上がる。

 そのときのこと。
私は、こう思った。
「もし、仕事がなかったら、私はどうなるのだろう?」と。

●選択

 「仕事に出かけなければ……」という思いがあるからこそ、私は起き上がる。
無理をしてでも、起き上がる。
が、もし仕事がなかったら、私はだるい体になまけて、そのまま眠ってしまうに
ちがいない。
ワイフも起こしには、こないだろう。

が、そのまま眠ってしまったとしたら……。
そんな生活を、毎日のようにつづけたとしたら……。

 私はそのまま老人の仲間入りをしてしまうことになる。
だから起き上がるとすぐ、私はワイフにこう言った。
「仕事があるということは、それだけでも、ありがたいことだね」と。

 ……たしかに、つらい。
だらけた体にムチ打って、起き上がるのは、たしかにつらい。
しかしその(つらさ)があるからこそ、私には、(今日)がある。
(健康)もある。
これはお金(マネー)の問題ではない。
仮に、つぎうちのひとつを選べと言われたら、私はまちがいなく、(2)の
ほうを選ぶ。

(1)年金を30万円もらって、遊んで暮らす。
(2)給料を30万円もらって、働く。

 もっとも仕事といっても、ハードなものはできない。
(そこそこの仕事)ということになる。
もっと言えば、収入に見合った、楽な仕事ということになる。
そうであるなら、遊んで暮らすよりは、働いていたほうがよい。

 それがつぎの(健康)へとつながっていく。

●働く喜び

 (働ける)ということは、それ自体が、大きな喜びである。
働くことによって、生活に緊張感とリズムが生まれる。
で、その私がもし働かなくなったら、どうなるか。
想像するだけでも、ぞっとする。
そのことは、現に、仕事から引退して、日々を無益に過ごしている人を見ればわかる。

 もっとも人は、ふつうの精神状態であるなら、何もしないで過ごすことはできない。
(退屈)は、それ自体が、(苦痛)。
その苦痛に、人はそれほど長くは耐えられない。
だからほとんどの人は、退職したりすると、何かの運動や、ボランティア活動を
始めたりする。
孫の世話や、庭いじりをする人もいる。
が、それにも限界がある。
やがて虚(むな)しさに襲われるようになる。

たいていは何かの病気や事故をきっかけに、運動をやめたり、ボランティア活動から
遠ざかったりする。
が、一度中断すると、もとに戻るのは、至難のわざ。
たいへん難しい。
そこであとはやがて、お決まりの老人メニューに沿って、そのまま死の待合室へ……。

 であるとするなら、できるだけ現役時代を、つづける。
延ばす。
限界の、そのまた限界を感ずるまで、働く。
そしてここが重要だが、(死)がそこにきたら、いさぎよくそれを受け入れる。

 これは口で言うほど簡単なことではないかもしれない。
それはわかっている。
しかしもしそうなったら、いさぎよく、運命を受け入れる。
それが(死)であるなら、それもしかたのないこと。
今の私は、(本当のところ、自信はないが)、そう考える。

●「働くしか能がない」

 そんなわけで、確かに、「働くしか能がない」かもしれない。
ほかにやりたいこともない。
できることもない。
少なくとも、今の私には、働くしかない。
一方、「遊べ」と言われても、私は、すぐそのつぎを考えてしまう。
「遊んだからといって、それがどうなの?」と。

 AS首相は、失言をカバーするため、「歳をとってから、新しい遊びを見つける
ことはできない」と言った。
これも、たしかにそうかもしれない。
そうでないかもしれない。

しかし私は、遊びたくない。
遊んで、時間を無駄にしたくない。
繰り返すが、遊んだからといって、それがどうなのか。
今の私にとって、そして多くの老人にとっては、(時間)イコール(命)。
その命を、無駄にしたくない。
今さらゴルフ(AS首相)ができるようになったからといって、それがどうなのか?

私「どんなことがあっても、最後の最後まで、ぼくは仕事をするよ」
ワ「それがいいわね」
私「何も仕事をしなくなってしまったら、ぼくは、気が変になる」
ワ「そうね」と。

(補記)

●老後の生きがい

 生きがいなくして、老後を生きるのは、むずかしい。
心豊かに生きるのは、さらにむずかしい。

私の知人(現在85歳、男性)に、こんな人がいる。
満55歳で役所を定年退職をしたあと、この30年間、ほとんど家の中に
引きこもったまま。
妻が薬剤師をしていたこともあり、自分では、それ以後、仕事をしたことはない。
ただの一度もない。
人づきあいも、まったくといってよいほど、しない。

 その知人を、この30年間の様子を、10年単位で輪切りにしてみると、
ますます変人かつ、がんこになっていくのがわかる。
その一例だけをもって、こう結論づけるわけではないが、私は、ああはなりたくない。
いくら年金生活といっても、そんな年金生活に、どんな意味があるというのか。
10年を1日にして、生きているだけ。

 しかも10年ごとに、より賢くならまだしも、ここに書いたように、ますます
おかしくなっていく。
軽い認知症も起こしている。
一度、脳梗塞か何かで、救急車で運ばれたこともある。

 もっとも当の本人は、他人のそれと比較することもない。
自分の生活がどういうものであるか、それを知ることはない。
病気にたとえるなら、病識そのものがない。
で、私はいちばん恐れるのは、そのこと。
自分が変人になりつつありながら、それに気づかないというのは、恐怖以外の
何ものでもない。
それこそ私が、(私)でなくなってしまう。
(すでにその兆候が現れつつあるのかもしれないが……。)

 どうすれば、自分の変化を知ることができるか。
またどうすれば自分が変化することを、食い止めることができるか。
そのためにも、仕事をつづけることは、重要なこと。
社会との接触を保つこと。
仕事そのものが、社会につながる(窓口)ということになる。

 だから、みなさん!
私たちは働こう。
最後の最後まで、働こう。
お金(マネー)のためではない。
私たち自身のためである。
「働くしか能がない」と言われても、構わない。
気にすることはない。
そんなことは、どこかのバカに言わせておけばよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 老後の生きがい 老後の生き方 統合性)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG・09++++++++++はやし浩司

【離婚・補記】

●ある離婚

 先ほど、ある夫婦の離婚問題について、意見を書いた。
東北地方のある県に住む人から、相談があった。
自分なりに、意見をまとめた。

が、人との出会い、別れは、この世のつきもの。
それはわかる。
が、離婚は、別。
最大の別れということになる。
その深刻さには、想像を絶するものがある。
敗北感もある。
挫折感もある

たとえば「離婚」にしても、「明るく、さわやかに」とはいうものの、そう簡単には
いかない。
ほとんどのばあい、それに先立って、はげしい騒動、あるいは冷却しきった
夫婦関係がつづく。
神経を、互いにとことん、すり減らす。
その結果の離婚ということになる。

 また離婚したあとも、たいへん。
先日も、ある夫婦が離婚した。
夫は、養子縁組をしたあと、その家のひとり娘と結婚した。
ついでに戸籍の筆頭者になった。

こういうケースのばあい、離婚したといっても、養子縁組は、そのまま残る。
戸籍の筆頭者になっているから、養子縁組を解消するためには、また別の手続きが
必要となる。

 元夫は、「離縁しない」とがんばっている。
元妻は、「先祖の財産は、1円も渡さない」とがんばっている。
こうなると、離婚騒動も、泥沼化する。
家庭裁判所での離婚調停という方法もあるが、実際には、怒鳴りあいになって
しまうという。
話しあいにならないという。

●夫婦とは何か 

 こうした離婚劇をみていると、(「劇」という文字を使うこと自体、失礼なことだが……)、
「では、夫婦とは何か」と、そこまで考えてしまう。
どの夫婦も、結婚するときは、それなりの覚悟をもって、結婚する。
多くは、家族や親類に祝福され、また多くは、その夫婦の年収分以上のお金をかけて、
結婚式をあげる。

 が、離婚する人は、離婚する。
その結果、日本人の離婚率は、20数%ということになっている。
が、その一歩手前で、ふんばっている夫婦となると、その数倍はいる。
ほとんどが、そうではないか。

 つまり夫婦を維持するためにも、それなりの努力が必要。
その努力なくして、夫婦は、夫婦でありえない。
結婚というのは、そういうもの。
その(努力)を前提として、成り立っている。

●夫婦としての努力

 共働きといっても、夫婦で同じ仕事に取り組んでいるようなケースでは、離婚率は、
ぐんと低くなる。
たとえば農業経営者。
私が知るかぎり、農業を営んでいる夫婦で、離婚した人はいない。
あるいはたいへん少ない。
商店経営者、理髪店経営者も、そうだ。

 夫婦が、生活の歯車の中に、がっちりと組み込まれているため、「離婚したくても、
離婚できない」という現状が、そこにある。

 一方、これも私が知るかぎり……という話になるが、離婚する夫婦というのは、
夫がサラリーマンであるケースが、ほとんど。
「熟年離婚」となると、とくにそうである。
結婚したときから、別々の生活が始まる。
重なり合う生活そのものが、少ない。

 そこでひとつのヒントだが、仮に夫がサラリーマンであっても、夫婦は、共に、
同じ生活の場をもったほうがよいということ。
(同じ生活の場)をもつという意味で、努力が必要となる。
「あなたは、あなた」「私は、私」という夫婦もいるが、そういう夫婦は、ささいな
きっかけでも、離婚ということになってしまう。

 夫婦には、その(ささいなきっかけ)が、つきもの。
毎日が、その連続と言ってもよい。
 
●私たち夫婦

 私たち夫婦のばあい、基本的には、サラリーマン家庭ということになる。
(仕事)という面で、ワイフとの接点は、ほとんど、ない。
ここ4、5年になってはじめて、何かと手伝ってくれるようにはなったが、それ以前は
というと、まったくと言ってよいほど、接点はなかった。

 が、それではいけない。
それがわかったから、最近は、できるだけワイフにも仕事を手伝ってもらうように
している。
講演に招かれることも多いが、できるだけいっしょに行くようにしている。
趣味も、運動も、できるだけいっしょにするようにしている。
ワイフにとっては、私はうるさい夫かもしれないが、そうでもしないと、私たち夫婦は
バラバラになってしまう。
そういう危機感は、いつも、ある。

 理由がある。

 私は、愛情の希薄な家庭で生まれ育っている。
とくに私の脳みそには、ちゃんとした父親像が入っていない。
ワイフも、4、5歳のとき、母親を亡くしている。
ちゃんとした母親像が入っていない。
ときどきワイフの中に、ぞっとするような(冷たさ)を感ずることもある。
だから「努力が必要」ということになる。

●結論

 『子はかすがい』とはいうが、子どもを理由にして、離婚を思いとどまる必要はない。
大切なのは、離婚の仕方。
できれば「明るく、さわやかに」となる。
子どもに与える影響を考えるなら、それが正しい。
子どもに与える影響は、最小限にとどめたい。
またそれが夫婦の責任であり、子どもへの愛ということになる。

 が、これも実際には、むずかしい。


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  • 名無しさん2009/09/06

    久しぶりにメルマガを読ませていただきました。自分の状況と重ねて読んでいます。心に沁みました。