演劇

週刊マガジン・ワンダーランド

小劇場演劇やダンス、パフォーマンスを取り上げるレビュー&ニュースマガジンです。このマガジン版とwebサイト「ワンダーランド」で現代日本の舞台芸術の流れを伝えます。

全て表示する >

週刊マガジン・ワンダーランド 第174号

2010/01/20

【目次】

◇韓国演劇見学記
 充実した環境、日本を圧倒
 鈴木アツト

◇燐光群「ハシムラ東郷」
 研究は創作であってはならないが、創作は研究からも生まれる
 松岡智子

◇燐光群「ハシムラ東郷」
 ここはどこ? あの人はだれ?
 都留由子

□web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/ 
◇シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー『聖なる怪物たち』
 身体と言葉によって語る、美しき2人の「怪物」
 中野三希子
◇リミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」
 現実と対峙する演劇
 松岡智子
◇特集企画「振り返る 私の2009」
◇ガールズ・トーク「4.48 サイコシス」
◇テレビで見る演劇‐2010年1月
◇3人で語る「2010年1月はコレがお薦め!」

◇ワンダーランド支援会員を募集中!
http://www.wonderlands.jp/info/members2009-1.html

=====================================================================
◇韓国演劇見学記
 充実した環境、日本を圧倒
 鈴木アツト

「日本の小劇場より、韓国の小劇場のほうが進んでるよ」

 韓国人の友人からこんなことを言われた。これがイギリス人から言われたの
ならよくわからなくても納得してしまっただろう。そうかイギリスは進んでる
んだね。なるほどね。って。悲しいかな、僕の中にも偏見はある。日本がアジ
アで一番だと思いたいのだ。でも、もし韓国の小劇場が日本のそれより進んで
るのだとしたら何が進んでるのだろう?つい気になってしまった。だから実際
に見てくることにした。年末に。韓国の演劇を。韓国の小劇場を。というわけ
で、2009年12月21日から一週間だけ韓国に滞在し、かの地のお芝居や稽古、劇
場を自分の目で見てきた。だからこの原稿はその一週間のレポートである。

 今回、僕がお世話になったのは、演戯団コリペという劇団だった。コリペは、
韓国の蜷川幸雄と言われるイ・ユンテク(李潤澤)氏が主宰する劇団である。
なにせ韓国の蜷川幸雄だ!劇団の宿舎に僕をタダで泊めてくれた。太っ腹(イ
・ユンテク氏は本当にお腹がちょっと大きかった)!ただし、あくまで個室で
はなく六畳ほどの部屋(写真A)を、3〜4人で使うということだった。だか
ら、僕は韓国の劇団員たちとドキドキしながら共同生活をすることができた。
なにせ言葉も通じないし、反日感情をぶつけられたらどうしようなんてことも
考えていた。

 コリペは演劇で食べている劇団である。助成金もたくさん得ているのだろう。
韓国各地に拠点がいくつもあり、僕が知り得た限りでも、ソウル、プサン(釜
山)、ミリャン(密陽)のそれぞれに事務所、宿舎、劇場があり、劇団員は常
に演劇をしている。たとえばその日、公演の本番があっても、直前まで次の公
演、次の次の公演ための稽古をしている。ソウル公演の休演日が、地方での公
演日だったりする。日本でこんな演劇生活をしているのは歌舞伎俳優ぐらいな
んじゃないだろうか?

 ちなみに、僕が一緒に過ごしたスケジュールを箇条書きすると、
 8:30 朝食
10:00 朝の稽古開始
12:30 朝の稽古終了と共に、昼食
14:00 昼の稽古開始。(マチネがある劇団員は本番)
17:30 昼の稽古終了と共に、夕食
19:00 ソワレがある劇団員は本番
22:00 公演のあるなしに関わらず飲む。幹部の飲みは打ち合わせの時間も兼
ねてる。
27:30 就寝(もっと遅いことも頻繁)

 他の仕事は、稽古と飲み以外の時間にするので幹部ほど寝ない。別の劇団の
人に聞いたところ、コリペは寝ないことで有名な劇団らしい。食事は若い劇団
員の当番制の自炊で、当番の人は時間になると稽古を抜けて、みんなの分の食
事を作る。ちなみに、部屋は幹部もイ・ユンテク氏さえも相部屋。若い劇団員
は10人ぐらいで大部屋の雑魚寝。ただし、ソウルに実家がある者は、実家から
通うことも許されているようだ。

 それから、韓国の小劇場界では、大学の演劇学科を出ていないと役者にはな
れない。だから大学の演劇学科受験のための演技予備校みたいなものもあるら
しい。日本で言えば、音大に入るみたいな感じか。総じて、役者の基礎レベル
は、日本よりも高いと思う。

 僕がとても羨ましかったのは、昼間、能の稽古に参加していた役者が、夜、
ミュージカルに出演するということが当たり前に成立していることだった。
(能の稽古は、コリペの海外公演の準備のため。2010年にルーマニアで開催さ
れる演劇祭に、能の様式を取り入れた東洋的な「ハムレット」を上演する企画
があり、僕が今回無理やり参加させてもらったのは、その公演のためのプレ稽
古。日本から能楽師の先生が講師として招かれていた。)

 僕が見たコリペのミュージカル「真夏の夜の夢」はかなり型破りなものだっ
たのだが、20代の役者たちが見せたその歌や踊りは堂々たる力強さで、日本の
四季と比べても遜色がない。何しろ言葉がわからない僕が笑い転げていたので
ある。台詞がわかる観客席のはしゃぎっぷりは、すごかった。そして、そんな
ミュージカルに出演している俳優が、昼間は余所の国の伝統芸能を真剣に学ん
でいるのである。古典に対するリスペクトがあり、ジャンルにこだわらない頭
の柔らかさがあり、体系的に演劇教育を受けているから基礎力がある。引き出
しの多さは、日本の平均的な小劇場の役者と大きく違う印象を持った。もちろ
ん、僕が稽古まで見れたのはコリペだけだから他の劇団がどうかはわからない
けれども。

 一週間の滞在の間、毎晩お芝居を見るようにした。コリペのソウルの宿舎は、
ソウル東部にあるテハンノ(大学路)のはずれにある。テハンノは言わずと知
れた韓国演劇のメッカで、大小80の劇場が密集している。(一説には劇場の数
は100以上だという話もある。)僕はテハンノは、外から見ると表参道、中に
入ると渋谷という印象を持った。

 街の広さは原宿駅から表参道駅ぐらいまでの距離で、道幅もほぼ表参道のそ
れと同じくらいだろう。ただ、飲み屋やショップ、露天商が多い感じは渋谷の
センター街の雰囲気だ。そして、表参道や渋谷と圧倒的に違うのは、デートで
演劇が当たり前であることだ。

 滞在していた期間はちょうど、クリスマスとかぶっていた。驚いたことにク
リスマスのマチネが大体どこの劇場も満席。日本では、それなりに人気の劇団
でもクリスマスの客席を埋めるのは大変なんじゃないだろうか?が、こちらで
はそれが普通。羨ましいっ!とにかく、一般客にとって、小劇場演劇が日本よ
りもずっと身近なのだ。

 前説が、観客へのプレゼント・クイズタイムになっているお芝居が珍しくな
いのにも驚いた。開演前にこれから上演されるお芝居にちなんだクイズが、前
説のお姉さんぽい人から出され、え?え?と思ってると、観客の何人かが挙手
をしている。その内の一人が指名され回答。正解!プレゼントを渡される。な
んだこのインタラクティブな感じは?劇団が、企業に宣伝に行くと、お金は出
せないけどということで商品を何個かくれるらしい。で、その商品が前説プレ
ゼントクイズの景品になるみたいなのだが、またしても客席との距離が近い。

 "演劇の公共施設"も充実していて、例えばソウル演劇センター。立地的には
テハンノの真ん中にあるこの三階建ての公共の施設では、80ある小劇場の全て
の公演情報を調べることができる。表参道で言えばラフォーレがあるようなと
ころに、誰でも利用できる演劇の情報センターがある。街の中心に"演劇"があ
る。一階には各チラシが置かれているラック、小ステージ(宣伝のためのミニ
芝居がやられてたりする)、カフェがあり、二階は演劇図書館、三階は託児所
になっている。もちろん、入館は無料。一階は待ち合わせにも使われていて、
大変賑わっている。外のチケットボックスでは、当日まで売れ残った各劇場の
チケットが半額で売っている。客が入らないよりは入るほうがいいという哲学
がシステムにまで浸透しているのだ。他に日本にはないおもしろい返金システ
ムがあって、一度買った前売りチケットでもキャンセル料を払えば、返金して
もらうことができる(キャンセル料は30日前はチケット料の10%、10日前は30%、
2日前は50%といった具合)。

 小劇団なのに、パンフレットを売っていたところも多かった。値段は大体チ
ケットの10%以下、2000円の公演ならパンフレットは200円。安い!カラーで役
者のプロフィール、そして、必ずあらすじが載っている。日本だとネタばれを
嫌い、あらすじをできるだけ事前に明らかにしないようにしている風潮がある
が、こちらは内容を観客に敢えて提示しようとしている気がした。

 観客側の目線に立って見た時の演劇を取り巻く環境は、韓国のほうが日本の
それより圧倒的に進んでいる。一言で言えば、演劇が密室化していない。僕が
たった一週間の滞在で感じたプラットフォーム的な差異は以上のようなものだ
ったが、他にも細かい工夫がたくさんあるという話を聞いた。

 最後に。滞在中、韓国人の仲間はみんな優しく僕を迎えてくれて、嫌な思い
をすることは全くなかった。けれども、韓国人の心の中には確実に反日感情が
ある。この日本人とは深く付き合おうと思った時に、彼らは試金石としてそう
いった問題を投げてくる。こいつはどれぐらい韓国を知ってるのか?朝鮮を知
ってるのか?歴史を知ってるのか?と。ただの通りすがりに対しては、とにか
く親切に接してくれる。みんなお節介なくらいに面倒見がいい。

 やはり、一週間は短かった。できるだけしっかり見てきたつもりだが、勘違
い、見間違い、聞き間違い、多々あるかもしれない。そして、知ることのでき
なかったこと、出会うことのできなかった仲間も多いかもしれない。だから、
近いうちに韓国にはまた行こうと思っている。日本の演劇人が学ぶことは多い。
それだけは間違いない。

【筆者紹介】
 鈴木アツト(すずき・あつと)
 1980年東京生まれ。脚本家/演出家。劇団印象-indian elephant-主宰。慶
応大学SFC卒業。CM制作会社を経て、2004年4月から演劇活動に専念。blog
『ゾウの猿芝居』(http://www.inzou.com/blog/
・ワンダーランド寄稿一覧 :http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=28

===============================================================
◇燐光群「ハシムラ東郷」
 研究は創作であってはならないが、創作は研究からも生まれる
 松岡智子

 チラシを一見しただけでは、坂手洋二作・演出による燐光群の新作だとは気
がつかなかった。そして観に行きたいとも思わなかった。白地にあっさりとモ
ノトーンのイラストがあしらわれたチラシは地味だし、「ハシムラ東郷」とい
う題名も地名なのだか人の名前なのだか意味不明。燐光群といえば現実の社会
問題を真正面から捉えた、どちらかというと硬派な作風という印象を持ってい
たが、「百年前、アメリカでもっとも人気のあった日本人を、知っていますか」
というキャッチコピーからは、単なる過去の人物の伝記のように思える。全然
面白そうに思えなかった。料金も決して安くはないし、おそらく劇評セミナー
の課題に挙げられなければ観に行かなかっただろう。でも、観劇が進むにつれ、
この作品に立ち会えたことに感謝した。でも、全編夢中になって見入ったとい
うわけではなく、正直なところ、膨大な台詞のシーンに意識が遠のいてしまう
こともあった。それなのになぜか、決して良く眠れたからとかではなく、観劇
後の気持ちが爽快だった。なんだか「演劇」という表現方法の自由奔放さがと
ても痛快だったのだ。

 ハシムラ東郷とは、1907年にアメリカの風刺作家ウォラス・アーウィンが仕
立てあげた架空の在米日本人コラムニストのこと。当時のアメリカの一般家庭
に多く居候していた「日本人学僕(=苦学生兼家内使用人)」の一人で年齢は
35歳、新聞や雑誌にたびたび投稿してくる文章が面白いことから、逆に依頼さ
れ、日本人学僕でありながら各誌に連載コラムを担当するようになったという
設定だ。アーウィンはハシムラ東郷という、文化の違いからとんちんかんな言
動を行う架空の日本人の目を通して、逆にアメリカの一般家庭や社会をからか
った。からかいの対象になった読者たちもまた、自虐的に喜び、ハシムラ東郷
は一時アメリカにおいて大人気だったという。第二次世界大戦を背景に、ハシ
ムラ東郷の存在はいつしか歴史の中に埋もれ、日米双方において忘れ去られて
いたが、最近になってアメリカ文学研究者の宇沢美子によって発掘された。坂
手は彼女が発表した著作に想を得てこの作品を書いたという。

 公演会場は座・高円寺ホール1。間口いっぱいに舞台端から階段が数段作ら
れ、その上に主舞台が設けられている。最前列の客席からは、かなり見上げる
姿勢での観劇になる。奥には主舞台を取りかこむように天井まで届く縦長の壁
が数枚配置されている。この会場にはこれまでも何度か訪れたことがあるが、
どの作品も、広すぎる空間をどこか持て余している印象を受けていた。しかし
今回は、さすがこの劇場を拠点とする劇作家協会会長の坂手洋二。演出家の腕
の見せ所というか、舞台美術家の功績というか、空間的な密度の薄さは感じさ
せなかった。

 出演者は階段を登ったり下ったり、主舞台までを行き来しながら演技をする。
最近は若い俳優の日常生活の延長線上のような演技を見ることが多かったので、
燐光群の俳優達の芯のしっかりとした発声と立ち姿には、久しぶりにはっとさ
せられた。劇団以外の作品への客演でもよく見かける顔ぶれだが、さすがにホ
ームグラウンドというか、個性の強い顔ぶれの俳優たちが互いに牽制しあうこ
となく、燐光群らしいキビキビと体育会系な舞台(といっても私が観たことが
あるのは3作品ほどだが)を体現していた。客演の3名の女性、特にハシムラ東
郷の女主人など3役を務めた田岡美也子の演技がチャーミングで印象的だった
けれど、彼女たちも、キャスト表を見るまでは劇団員かと思うほど、よく作品
に溶け込んでいたと思う。

 “溶け込んでいた”というならば、もう一点、この作品ではコンテンポラリ
ーダンスカンパニー「ニブロール」の矢内原美邦が振付で参加していたが、彼
女の振付もまた見事に溶け込んでいた。「ニブロール」の作品には、独自の音
楽と映像を駆使しながら、舞台を縦横無尽に走り回り、時に叫び声を発しなが
ら都会に生きる若い世代の等身大の葛藤を描く、というものが多い。でも「ハ
シムラ東郷」からはいわゆる矢内原らしい振付は見出されず、むしろ、どこに
振付が施されているのかもわからないほどだった。(後日セミナーで聞いたと
ころ、矢内原による振付は、ハシムラ東郷と同時代のフェミニズム活動家であ
るシャーロット・ギルマンをめぐる挿話における二つの場面で為されていたと
いうことだ。)

 個々の要素が溶け込む、ということが演劇作品にとって良いことか悪いこと
か、それはケースバイケースだろう。化学反応的な面白さはなくても、全体的
な安定感と作品としての完成度は高まる。坂手の演出はそれを目指しているの
かもしれない。

 話を内容に戻すと、作品には、ハシムラ東郷とシャーロット・ギルマンと、
彼らを取り巻く同時代の人々のほか、現代の日本人女性・美子が登場する。美
子は作品冒頭から登場し、「シャーロット」という女性との出会いを通してい
つしか歴史を遡り、作品の進行役を兼ねていく。美子とは、この作品の原作者
ともいうべき「ハシムラ東郷」の研究者である宇沢美子その人だ。フェミニズ
ム研究を専門とする宇沢にとって「シャーロット・ギルマン」は特別な存在で
あるらしい。研究者とその研究対象との関係がどのようなものなのか、研究と
いうものに縁のない一般の人々にとってはわかりにくいけれども、きっと、相
当切実なものなのだろう。作品設定を理解しないでまま観ると、宇沢は本当は
ギルマンの子孫なのではないか、とか余計な解釈を抱いてしまいそうになる。
子孫が自分のルーツを求める話は演劇でもテレビドラマでもよくありがちだ
が、研究者が研究対象を追い求める話というのは、考古学者の話くらいであま
り観たことがない。

 場面は次々と入れ替わり、コラムの中で繰り広げられるハシムラ東郷と女主
人とのほとんどコントのような会話、鬱で幻覚症状に陥ったシャーロット・ギ
ルマンによる『黄色い壁紙』の挿話、ウォラス・アーウィンの仕事風景、ギル
マンと彼女が手放した実の娘との会話、女性だけが存在するフェミニストたち
の理想郷、などのシーンが繰り広げられていく。その中で、アーウィンとギル
マンが出会い、ギルマンと美子が出会い、そして最後の場面では、ギルマンと
架空の人物であるはずのハシムラ東郷が出会う。このように登場人物が時空を
超え、現実には遭遇しえない者同士が出会い、めくるめくように様々な場面が
展開していく手法は、以前観た燐光群の『だるまさんがころんだ』や『チェッ
クポイント黒点島』にも共通するもので、坂手洋二作品の特徴の一つと言える
だろう。世界の重層性を想わせられて、いやがうえにも胸に迫る。

 この作品において、様々な挿話の要となっているのは美子にほかならない。
ハシムラ東郷も、シャーロット・ギルマンも、共に宇沢美子の研究対象だ。上
演後のアフタートークで触れられていたが、宇沢は一時、精神的に追い込まれ
シャーロット・ギルマンの研究に行き詰まったことがあり、別の切り口から同
時代を研究しようとした時に、ハシムラ東郷を発見したのだという。ギルマン
が女性というマイノリティの権利を主張した活動家であると同時に、ハシムラ
東郷は当時のアメリカの日本人蔑視、すなわち人種差別の象徴と捉える見方も
ある。宇沢の中では、同時代のマイノリティ研究として、ギルマンとハシムラ
東郷は矛盾することなく共存している。しかし、実際には、ギルマンが人種差
別問題、ましてハシムラ東郷に関心を持ったというような史料は発見されてい
ない。ハシムラ東郷とギルマンの邂逅は、現段階では何の根拠もない夢物語と
いっていいだろう。

 こんな事実があったらきっと面白い、という仮説を立てることはできても、
(立ててはいけないかもしれないが)それを証明するために、研究者は多大な
労力と年月を費やして調査を行わなければならない。また、その結果辿りつく
事実が期待はずれのものであるかもしれない。そうした研究活動は、はた目に
見るととても地味だが、人間の生き方としてドラマティックなものに違いない
と想う。坂手洋二がこの作品で描こうとしたのは、ハシムラ東郷という知られ
ざる架空のキャラクターというより、むしろ宇沢美子という研究者の研究活動
そのものだったのではないだろうか。

 これもアフタートークでのことだが、宇沢は坂手に対して、笑い半分に「ネ
タを盗まれた」と言っていた。でも、彼女は自分自身ではとうてい発表できな
いハシムラ東郷とギルマンの交流という仮説を、軽々と演劇で実現してしまう
坂手が愉快だったのではないだろうか。

 化学や物理など理系の研究の成果は、医薬品の開発につながったり、生活の
質を上げたり、比較的わかりやすいと言えるかもしれない。でも、なかなか成
果がわかりにくい地味でマイナーな文系の研究だって、着実に人間の創造を豊
かにしていっている。また、演劇をはじめ芸術と呼ばれるものは、一人の研究
者が探り当てた些細かもしれないが紛うこともない真実を、想像力と創造力で
ふくらませ、よりたくさんの人の心に訴えかける作品に発展させる可能性をも
つのだという、そんな確信を持たせてくれる作品だった。
(劇評を書くセミナー2009「座・高円寺」コース作品から)

【筆者略歴】
 松岡智子(まつおか・ともこ)
 1977年生まれ。慶應義塾大学文学研究科修士課程(美学美術史学専攻アート
マネジメント分野)修了。出版社を経て2002年、財団法人東京都歴史文化財団
に入団。助成金制度の事務に係わる中、劇評に関心を持ち、2008年より度々
ワンダーランド「劇評を書くセミナー」に参加。現在、東京芸術劇場管理課に
勤務。


【上演記録】
燐光群「ハシムラ東郷」(日本劇作家協会プログラム)
座・高円寺1(2009年11月16日-30日)
http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=52

作・演出:坂手洋二
美術:島次郎
照明:竹林功
音響:島猛
衣裳:宮本宣子
舞台監督:森下紀彦

出演:田岡美也子 平栗あつみ 植野葉子 中山マリ 鴨川てんし 川中健次
郎 猪熊恒和 大西孝洋 樋尾麻衣子 杉山英之 安仁屋美峰 伊勢谷能宣 
いずかしゆうすけ 西川大輔 武山尚史 鈴木陽介 矢部久美子 渡辺文香 
横山展子 根兵さやか 橋本浩明

☆ポストトーク
24日(火):宇沢美子(慶応義塾大学文学部教授)
25日(水):斎藤憐(座・高円寺館長)

一般3,600円 ペア6,600円(※劇団予約・燐光群オンラインチケットのみ扱い)
大学・専門学校生 3,000円 高校生以下 2,000円

===============================================================
◇燐光群「ハシムラ東郷」
 ここはどこ? あの人はだれ?
 都留由子

 さすがに現在ではどうかわからないが、ちょっと前なら、アメリカの子ども
向けカトゥーンなどを見ていると、めがねをかけて、歯が出ていて背の低い、
細い目がつり上がった男性が、着物とも何ともつかないものを着て、下駄を履
いて登場することがあった。それはもちろん「日本人」で、妙な格好に加えて、
刀やヌンチャクを振り回したり、空手や少林寺拳法の技を繰り出したりして、
おいおい、なんだこれは? と思うことも多かった。

 アメリカ人にとっての、そういう「日本人」のイメージを最初に作ったのが、
100年ほど前、アメリカで新聞や雑誌にコラムを書いていたハシムラ東郷とい
う「日本人」だという。苗字をふたつ並べたような妙な名前から容易に推測さ
れるように、彼は本当の日本人ではない。実在の人物でさえない。アメリカ人
の作家ウォラス・アーウィンが作り出した架空の人物で、学費を稼ぐためにア
メリカ人家庭に寄宿して下僕として働く日本人学僕という設定である。この架
空の日本人ハシムラ東郷のコラムは人気を博し、掲載媒体を変えつつ、35年の
長きにわたって続いた。

 そのハシムラ東郷の芝居を観た。燐光群によるその芝居のタイトルは、「ハ
シムラ東郷」である。

 100年前のアメリカでこんなに人気があったのに、今ではすっかり忘れられ
てしまった「ハシムラ東郷」を研究し、日本に紹介した宇沢美子という慶応大
学の研究者が、お芝居の幕開けに登場する。狂言回しみたいな役割かと思って
観ているとこの人物は、お芝居の内容にどんどんコミットしてきて、立派な登
場人物であった。
 話は少々込み入っていて、いくつかの筋がからみあいつつ進行する。
 主な筋は四つある。まず、研究者宇沢美子が関わる筋。宇沢は「ハシムラ東
郷」というコミュニティを立ち上げ、そこで、シャーロットというハンドルネ
ームの女性と知り合う。この女性と宇沢を中心にした話。現代の日本でのこと
と思われる。
 次に、もちろん、ハシムラ東郷の活躍。架空の日本人ハシムラ東郷の書いた
コラムの中のエピソードが舞台の上で再現される。つまり、100年前のコラム
の中の話である。
 ハシムラ東郷のコラムを書いているアメリカ人作家、ウォラス・アーウィン
の話。自身も日本人学僕のように苦学して作家になったアーウィンが「ハシム
ラ東郷」のコラムを書き始めたころから、第二次世界大戦のころまでが描かれ
る。100年前のアメリカでの話。
 そして、宇沢が「ハシムラ東郷」を取り上げる前に研究していたアメリカの
フェミニスト、シャーロット・ギルマンの筋。結婚生活を捨て、家を出てフェ
ミニストとして活動するギルマンが描かれる。ギルマンとアーウィンは同時代
に活動していて、ふたりが会ったという証拠はないらしいが、アーウィンの兄
が、ギルマンのフェミニスト仲間と結婚したことから、ふたりはニューヨーク
で出会う。

 主な筋だけでも四つもある話が、特別な説明もなく、時間も空間も現実も虚
構も飛び越えて進むのだ。観終わって頭を整理した今だから四つの筋があると
思えるのだが、客席に座っているとき、どれがコラムの中の話で、どれが実在
の人物の話か、どれが今の話で、どれが過去の話か、ちゃんと把握していた自
信はない。
 しかも、舞台上に現れる役者たちはひとりで何役も兼ねていて、ある場面で
出てきた役者が、次の場面では全く別の役で現れたりする。予備知識もなく観
ているこちらとしては、え? これは誰? さっきの人とは違う人? え? 
え?の連続となる。少なくとも筆者は何度かわからなくなった。実際、最初か
ら最後までひとつの役のみ、というのは、宇沢美子だけなのだ。その宇沢も、
最後になって実は本人ではないと分かるのだが。
 その上、ウォラスとウィリー、ギルマンとギルモア、ハンドルネームのシャ
ーロットと本物のシャーロットなど、頭が混乱するような名前のオンパレード。
さらにご丁寧なことに、作品全体から見て名前が特に必要ではないような役も
ちゃんと名前で呼ばれるので(きっとチクリと風刺の効いた名前なのだろうが、
それと認識する暇もなく話は進んでいってしまう)、カタカナの名前で頭が破
裂しそうになる。

 この作品の情報量は半端ではない。シャーロット・ギルマンの人生も、小説
「イエロー・ウォールペーパー」も、彼女が夢見た女性ばかりの国ハーランド
も描かれる。フェミニストのギルマンが、性差別には敏感だが人種差別には鈍
感で、自分の小説が黄禍論的に読まれ得ることを全く予想もしていなかったと
いう場面はとても印象的だ。主な筋以外にも、アメリカで日本人学僕として過
ごしたのち(たぶん故郷に錦を飾って)帰国し、今では引退した日本人学僕
「グランパ」の家庭が登場し、大逆事件で死刑になった幸徳秋水を探す日本人
も現れる。ギルマンとアーウィンが出会う場面には、なぜか現代人のシャーロ
ットがいて、ギルマンとも友人になる。そして、死の床に就くギルマンを東郷
が看取る。東郷のコラムは大人気で、早川雪舟主演で映画も作られたそうだが、
その映画の内容も再現される。ハシムラ東郷のサイトに集う人たちも描かれる。

 溢れるほどの情報を与えつつ、それを観客がちゃんと消化しているかどうか
にはあまり関心がないかのようにどんどん進んでいく舞台に、なんでこんなに
分からないんだろう、このままで最後までたどり着けるんだろうかと心細く舞
台を眺めていたことを、筆者は潔く告白しよう。しかし、心許ない気持ちでい
たのは、舞台上の役者たちも同じだったかもしれない。口跡もよく動きもきっ
ぱりしていて舞台俳優として一流だと思われる役者たちが、口ごもったり、言
い間違えたりする場面が何箇所かあった。言いやすい台詞ではなかったのだろ
う。でも、それとは矛盾するようであるが、同時に、どんな台詞でも持ってい
らっしゃい、ちゃんと舞台に乗せてやろうじゃないの、とでも言うような、幕
が開いてしまえば誰の助けも得られない、舞台に立つ者のプライド、みたいな
感触もあって、筆者にはその感触は悪くないと思えた。

 それにしても、圧倒的な情報量にもかかわらず、一向にわかった気にならな
いお芝居って、どういうことなんだろう?わかりやすいお芝居を目指したのに
失敗してしまったのだとは思えない。作・演出の坂手洋二は「わかりやすいお
芝居」は作りたくないと思った、または、「わかりやすいお芝居」でなくても
いいと思ったのだろう。

 舞台の上で起きることには、普通は、ちゃんと納得のいく説明があり、あと
になって「ああ、さっきの台詞はここで意味をもつわけね」と思う伏線があり、
お客は「こういう話だった」と思って劇場を出る。一方、現実の世界では、出
来事は説明抜きで起きる。それが架空の話ではなく真実なのかどうか、どうい
う背景があるのか、誰にとって利益になり、誰にとって損になるのか。当事者
以外にはわからないことが多い。にもかかわらず、わたしたちがそれを「わか
った」と思うのは、誰かが説明してくれて、誰かが解説してくれて、誰かが教
えてくれて、誰かが情報を取捨選択してくれるからだろう。

 とすると、もちろん「ハシムラ東郷」は意図的に作られたお芝居ではあるが、
情報だけを浴びせるように並べ、そこに十分な「てにをは」や意味や説明をつ
けないというのは、そういう親切だらけの現状や、そういう親切に慣れ切って
いるわたしたちを撃つものだったのだろうか。世の中って、もっと意味不明で、
わかんないことがそのまま並んでるもんじゃないの、なんでそれを分かったと
思ってるのと言っているのだろうか。

 いちばん初めに新聞紙上に登場したとき、ハシムラ東郷は、サンフランシス
コで日本人排斥運動に巻き込まれ、レンガでなぐられて負傷、入院中であった。
彼はいつもすぐに解雇されて、常時失業中の身の上である。
 東郷がすぐに解雇されてしまうのは、アメリカの文化や習慣に無知で、よか
れと思ってする行動がとんちんかんだからである。彼の珍妙な言い回しととも
に、コラムを読んだアメリカ人は大笑いしたに違いない。しかし、笑いは笑っ
た者に返ってくる。清潔を至上とする女主人にハエを取るよう命じられた東郷
は、そのために何枚も皿を割り、夜中にたった一匹のハエを追いかけて家中を
叩き起こす。東郷は滑稽である。それを命じた女主人もまた滑稽である。客席
のわたしたちはその両方を笑う。そして、女主人の向こうには、除菌除菌と大
騒ぎする現代のわたしたちがいて、さらに、そこにつけこんで除菌グッズ大繁
盛の今が見えてくる。笑いは笑った者に返ってくる。

 100年前に日本からアメリカへ渡るくらいだから、日本人学僕は日本でもそ
れなりの教育を受け、向学心に燃え、野心を持っていたのだろう。しかし、き
ちんとした英語がしゃべれず文化や慣習に無知であるために、専門的な仕事で
はなく誰でもできる家内労働に就き、日本にいれば馬鹿にしていた、主婦の指
図に従う下僕として毎日を送った。観ているわたしたちは、それを笑い、ある
いは不当と思うかもしれない。しかし今、日本にいる外国人にも、もしかした
ら日本人学僕と同じような人たちがたくさんいるかもしれないことにハッとす
る。笑いは笑った者に返ってくる。

 そう、部分を取れば、面白かったのだ。それなのに、全体としてのこのちん
ぷんかんぷんさは何なのだろう。坂手洋二は、何か、これまでとは違うことが
したかったのだろう。そのことはわかる。でも、何をしたかったんだろう?わ
かりやすさを求めるわたしたち、本当はわかってもいないのに解説を聞いてわ
かった気になるわたしたちを批評しているのだろうか?

 たしかに、わからなくても面白い作品はある。でも、せっかくハシムラ東郷
やシャーロット・ギルマンといった面白い素材を持ち出したのだから、もっと
面白くても、全然差し支えなかったのになあ。よくわからなかったけど、何だ
か面白かったよ、と言いたかったなあ。

 黄禍論にも負けず活躍していた東郷だが、第二次世界大戦突入後は、アンク
ルアドルフ(もちろんアドルフ・ヒットラーのことだ)の遣う傀儡人形マック
東郷となるかと思うと、リクルートされて中国大陸に行き、戦場での悲惨な状
況に亡命してアメリカに逃げ帰る。彼は、ひっそり暮らすことだけを求めるが、
仕事もなく、親切にしてくれる人は東郷に悪事を持ちかけ、東郷には穏やかな
日は訪れない。マック東郷も、中国大陸での東郷も、亡命してアメリカへ戻っ
た東郷も、グロテスクでみじめで、かつて日本人排斥運動の中で、負傷しなが
らもおかしな言葉遣いで元気にやっていたあの東郷とは別人のようだ。
 悪戦苦闘した末にがっくりする東郷の姿は、今回の客席の筆者の姿だった。
(劇評を書くセミナー2009「座・高円寺」コース作品から)

【筆者略歴】
 都留由子(つる・ゆうこ)
 大阪生まれ。大阪大学卒。4歳の頃の宝塚歌劇を皮切りにお芝居に親しむ。
出産後、なかなか観に行けなくなり、子どもを口実に子ども向けの舞台作品を
観て欲求不満を解消、今日に至る。お芝居を観る視点を獲得したくて劇評セミ
ナーに参加。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=81

【上演記録】
(同上)

===============================================================
【編集日誌】
☆ 「越境する」というのは魅力的な言葉です。未知への戦慄と期待と。出発
の朝の冷たい空気を感じさせる言葉、越境。その魅力ゆえでしょう、最近この
言葉を冠した演劇イベントがありました。活きのいい若手のグループが多く出
て、実に楽しかった(つまんないのもあったけど)。イベント自体には満足で
した。ただ、東京周辺で活動する団体ばかりのこの催しで、果たしてどんな境
界線が越えられたのかは必ずしも明らかではありませんでした。
  鈴木アツトさんは昨年末、ソウルに行ってきました。一週間という短期間で
はありますが、日本と全く違う演劇、劇団、役者、観客の在り方をしっかりと
目に焼き付けてきました。そこには確かに、越境の手ごたえがあります。その
成果をワンダーランド読者と共有しようと、見学記を寄稿してくださいました。
 それにしても、飛行機で一時間のところに、これほど魅力的な演劇の世界が
あるとは。この事実を見ないで「東京の演劇シーン」を語り、その最先端をう
んぬんすることに、どれほどの意味があるのか。そんなことを考えさせられる
鈴木さんの体験記です。

☆ 昨年秋から冬の劇評セミナーの作品の掲載は今回が最後になります。燐光
群の「ハシムラ東郷」を松岡智子さんと都留由子さんに論じていただきました。
ワンダーランドでは今年も数回のセミナーを予定しております。劇評を書いて
みたいと思われる方々、奮ってご参加ください。

☆「『梁山泊』代表ら脱税で逮捕」。えっ、金守珍さんが?と思ってみたらパ
チンコの会社「梁山泊」の話でした。14億円あまりの所得隠しとか。それほど
のお金が演劇界にあれば…。本来何の関係もないニュースに、どきどきしたり
ため息をついたり。
(水牛健太郎)

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2006-07-18  
最終発行日:  
発行周期:毎週水曜日  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。