演劇

週刊マガジン・ワンダーランド

小劇場演劇やダンス、パフォーマンスを取り上げるレビュー&ニュースマガジンです。このマガジン版とwebサイト「ワンダーランド」で現代日本の舞台芸術の流れを伝えます。

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週刊マガジン・ワンダーランド 第173号

2010/01/13

【目次】

◇新年ごあいさつ

◇リミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」
 現実と対峙する演劇(体験記)
 松岡智子

◇シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー『聖なる怪物たち』 
 身体と言葉によって語る、美しき2人の「怪物」
 中野三希子

□web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/ 

◇ガールズ・トーク「4.48 サイコシス」
◇テレビで見る演劇‐2010年1月
◇3人で語る「2010年1月はコレがお薦め!」

◇維新派「ろじ式」
 小劇場演劇としての可能性垣間見せる
 中西理
◇岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍−いまだ天に昇らざる龍」
 黙して花
 金塚さくら
◇岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍−いまだ天に昇らざる龍」
 見事な技を見た、しかし。
 宮武葉子

◇ワンダーランド支援会員を募集中!
http://www.wonderlands.jp/info/members2009-1.html

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◇新年ごあいさつ

松の内はとっくに過ぎましたが、2010年第1回目の発行となります。読者の皆
様、あけましておめでとうございます。今年もワンダーランドをよろしくお願
いいたします。

とりあえず、皆様、演劇、最高ですか?盛り上がってますか?楽しくて仕方が
ないですか?

何の迷いもなく「最高です、盛り上がってます、楽しくて仕方がありません」
とおっしゃる方も少なからずいらっしゃると思います。それは結構なことだと
思うんです。私はほんとうに、思うんですが、人生、幸福な瞬間は少ないんで
すから、もし楽しくて仕方がないことがあったら、それはぜひ大切にすべきで
すよね。

実際、これほどいろいろな人がいろいろな試みをしている時代もないのかもし
れません。それは定着して久しい「本当にやばいこと以外なら何でもあり」と
いう「常識」のせいかもしれないし、晩婚化やパラサイトシングル現象の副産
物だったりもしますが、いずれにせよ慶賀すべきことなのでしょう。ますます
たくさんの個性あふれる人たちが演劇人という素敵な生き方を選択しているわ
けです。

結局何にいら立っているのか自分でもわからないまま、すっきりしない感じの
ごあいさつを書き連ねることになってしまっています。私は感性が鈍く、無教
養で、演劇の知識がなく、文化的素養にも乏しいため、いま周囲で素晴らしい
演劇がどんどん花開いているのに気づいていないだけなのかもしれません。

ただ、人間は自分以外には決してなれないし、私は批評というものの一番の意
味は正直ということだと思っています。そこで、いま演劇というものに対して
愚かな私がどう思っているかと言えば、「なんだかすごく面白いですね、いや
あ、今年も楽しみです」とは書けないなあと感じました。それを書くと嘘にな
る。嘘を書いたら、何の意味もなくなってしまいます。

そんなわけで、危なっかしい感じのあいさつになりましたが、今年もいろいろ
な芝居を見に行くでしょう。編集長という仕事を通じ、さまざまな方の原稿を
読んだり、お話をうかがったりする機会もあります。せっかくですから、さま
ざまな折に、自分のいら立ちの核について、そしていま演劇が置かれている状
況について、突き詰めて考えてみたいと思っています。
(水牛健太郎)

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◇リミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」
 現実と対峙する演劇(体験記)
 松岡智子

2009年12月2日水曜日天気は晴れ。天王洲アイル駅を地上に出て、午後の穏や
かな日差しの中、出発地点となる東品川のクリスタルヨットクラブ隣接の駐車
場に向かう。運河と東京湾に挟まれた倉庫街は人通りが少なく、空も都心部よ
り広く感じられ、非日常感が増す。受付で公演プログラムと赤い荷札を受け取
り、出発時刻の15時近くなってからシンプルな外装の巨大なトラックの荷台に
乗り込んだ。

乗車口は荷台の歩行者側の面の前方後方2ヵ所に設けられており、中に入ると
車道側の面には窓が設けられ、その前に白い幕が降りている。客席は横長3段
に設けられており定員は50名ほど。各自乗車順に着席し、シートベルトをしめ
る。

運転手の一人、畑中力さんが観客全員の乗車を確認し今回の作品の概要を説明。
畑中さんは少し強面の、いかにもベテラントラック運転手といった風情だ。こ
れから「新潟」を出発し横浜へ向かうとのこと。なぜ新潟なのか? という疑
問が頭をよぎるが、どうやら通常は6時間ほどかかる新潟から横浜までの貨物
輸送の行程を約2時間に凝縮し、観客に貨物の目線で疑似体験してもらう、と
いうのがこの公演の趣旨らしい。荷札は各自腕にでもつけた方が良さそうだ。
畑中さんの愛想のない口調になんだか可笑しくなる。畑中さんの姿が運転席に
消えてからもスピーカーを通して声が荷台へ流れてくる。もう一人の運転手は
青木ミルトン登さん。畑中さんと青木さんが交替で運転とナビゲーター役を務
めていく。

デンマーク製だというトラックが進み始めると、正面がスクリーンとなり映像
が映し出される。その内容は流通業界の歴史や関係者へのインタビューの様子、
またリアルタイムの運転席の畑中さんや青木さんの様子など。乗り心地は意外
と静かで、外界から遮断されどこを走っているのかわからない感覚は、例える
なら救急車で運ばれているときに似ている。おもむろにスクリーンが上がり、
ガラス越し一面に外の景色が見渡せるようになる。真正面に隣の運転手の横顔
や信号待ちの通行人。ガラス面には外からは見えないよう加工が施されている
らしく、外の人々は荷台の観客からみつめられているとは思いもよらないよう
だ。また、タバコを吸いながら運転している人がとても多くて、車という場所
が個室であることを改めて感じさせられて、無断で覗き見をしているような後
ろめたい気持ちになる。ただ時折、中の見えない巨大なガラス面が珍しいのか、
不審そうに凝視してくる人もいて、ふと外からも荷台の中が見えたとしたら、
それも面白いのではないかと思った。この作品の意図するところではないかも
しれないが、見る者と見られる者の関係は一瞬にして入れ替わり、荷台の中の
観客は文字通り、貨物としてのパフォーマーにならざるを得なくなるだろう。
“参加型演劇”だとしたら、観客もそれくらいのリスクを負っても良いかもし
れない。

ガラス面中央には幅10センチメートルほどの白い線が縦横にひかれ、窓枠の一
部かとも思われたそれには、時折小さな電子音が鳴るとともに、物語の状況設
定や日本の物流業界の歴史などを説明するテロップが映し出される。他にも、
湾岸道路を進んでいくトラックの行程とともにさまざまな仕掛けが工夫され、
東京湾野鳥公園横を通過するときは野鳥の声がどこからともなく聞こえてきた
り、湾岸線の料金所を通過するため一時停止しているときには新潟、横浜間の
渋滞ポイントである地名がテロップに流されたりする。さらに仕掛けはトラッ
クの外にも及び、自然渋滞でトラックがスピードを落とす中、目の前にゆるや
かなカーブを描く歩道を走る一台の自転車が、ぐんとスピードを上げてトラッ
クを追い越していく。運転している外国人女性のどこか周囲の景色とは異質な
雰囲気に、もしかしたらと様子をうかがっていると、しばらくしてスピーカー
から、すでに姿の見えなくなった自転車のベルの音が得意気に流れ込んできた。
日常ではありえない状況でガラス越しに外の世界を眺めるたけでも観客にとっ
ては充分事件だし、現実社会をそのまま舞台としたドキュメンタリー演劇だと
主張できるかもしれない。しかし、リミニ・プロトコルはあえてそこには踏み
とどまらず、演劇的なフィクションを意識的に加えている。

トラックは途中湾岸線をはずれ、大井ふ頭周辺の物流センターやコンテナヤー
ドの間を進んでいく。日常生活で馴染みの深い企業名を冠した殺風景で巨大な
建物が立ち並び、中に何が入っているのか想像もつかない重そうなコンテナが
目に入る。たくさんの商品であふれかえっている東京の市場を支えているのが、
この場所なのだと気づかされ、自分が暮らす日常がいかに表層的なものなのか
と思い知り、途方もない気持ちになる。まるで社会科見学だ。昼夜関係なく働
くトラック運転手のための郵便局や銀行なども備えられているというトラック
ターミナルでは、車道脇に数多くのトラックが縦列駐車し、窓越しに仮眠をと
っているのだろう運転手の、ダッシュボードに乗せた足やうつむき加減の横顔
が見える。畑中さん曰く「ターミナルの中には宿泊施設もあるが滅多に使わな
い。睡眠はたいていトラックの中で済ませてしまう」とのこと。過酷な労働に
違いない。しかし自分にとっては物珍しく非日常でしかないこの光景は、畑中
さんや青木さんをはじめとする物流業界関係者にとってはまぎれもない日常
だ。その事実が胸に突き刺さり、ふと、この「Cargo Tokyo-Yokohama」という
演劇作品に参加するということはどんな行為なのだろう、という思いが頭を過
ぎった。私は高みの見物でもしているのか。

畑中さんと青木さんの会話は彼らの趣味や家族の話にも及ぶ。青木さんは日系
ブラジル人で20年前に来日した。ボサノバと演歌が好きで、奥さんの誕生日に
は花を贈る。また、畑中さんの趣味はスキーや登山。山で仲間たちと楽しそう
にワインをあけている畑中さんの映像がスクリーンに映る。どちらも地に足の
ついた幸福そうな人生だ。それを手に入れるまでに数多くのハードな仕事をこ
なしてきたのだろうが、少なくとも今の彼らの姿に悲壮感はない。また何より
車と運転が好きでこの仕事を続けている。スピーカーから流される演歌に重な
って、またどこからともなく歌声が聞こえてきたと思ったら、今度は路上の一
角で、先ほどの外国人女性がマイクに向かって歌っていた。あきらかに異物と
して挿入される女性歌手が歌うのは、職業如何に関係ない普遍的な人生賛歌に
も思えた。恐らく、トラック運転手の労働環境の苛酷さを知ることだけが、こ
の作品のテーマではない。ある種の問題提起ではなく、あくまでも社会に普段
とは別の角度から光を当てることに徹し、多様な人生を浮かび上がらせること
がテーマなのではないか。

ふいにトラックが止まり方向転換を始める。どうやら車庫入れでもしているよ
うだ、と思ったらスクリーンがあがり、トラック前方から順にガラス面に洗剤
と水が吹き付けられていく。洗車されているとしか思えないのだが、車内テロ
ップには「荷物をスキャン中」の表示。空港の手荷物検査でもあるまいし意味
不明に思えたが、これも観客を楽しませるためのアトラクションなのだろうか。
あるいは新潟から横浜までの実際の陸路にはこうした関所が本当にあるのかも
しれない。ともかく巨大なトラックの荷台にいながらにして洗車機に入ったの
もまた稀有な経験だった。

トラックは湾岸線に戻り、一路横浜に向けて走行する。ガラス越しを荷台の全
面に夜叉や骸骨などの豪華絢爛なイラストを施したトラックが追い越してい
く。「すごいね」「あんなトラックには乗ったことないな」という畑中さんと
青木さんの会話。しかしトラックの正面には高々と「芸術丸」という号が掲げ
られている。日々走行車数の状況が変わる高速道路での追い越しは危険そうで、
まさか、とは思ったが、案の定大黒ふ頭を降りた先の広場で「芸術丸」が待ち
伏せていた。さらに先ほど平然と前を通り過ぎていった運転手も降りてきて
“デコトラ”と呼ばれるそのトラックの解説をしてくれる。イラストは彼自身
の手によるもので、歩道側は歩行者の目を楽しませることを、車道側は隣を走
行する車から格好良く見えることを、背面は後続の車に安全運転を促すことを
コンセプトに描いているそうだ。しかし最近では規制が厳しくなり、デコトラ
を高速道路で走らせることもなかなか難しくなってきているという。「芸術丸」
の内側はキャンピングカーになっていた。

「芸術丸」と別れしばらく埠頭を走る。空には大きな満月。夕闇に沈む流通セ
ンターに入っていくと、今度は実際に職員の方が解説をし、フォークリフトで
コンテナを運ぶ様子を見せてくれる。先ほど「芸術丸」の運転手にしてもそう
だが、マジックミラー越しに見えない観客に話しかける、というのはどんな心
地がするのだろう。「無事に運ばれてください」という言葉に送られて、その
後流通センターの螺旋状の傾斜路を上り詰めると、眼下に貨物船の点在する横
浜湾が広がった。暗闇の一角にライトが立てられ、ここでも外国人女性が情感
たっぷりに歌い上げていた。陸側には夕焼けを背景に富士山の黒いシルエット
が見えている。畑中さんによると、大晦日には年明けとともに湾内の貨物船が
一斉に汽笛を鳴らすのだそうだ。

横浜ベイブリッジを渡り、本牧方面に高速を降りると、クリスマスのイルミネ
ーションに彩られた元町の商店街に出迎えられる。中華街を経て桜木町方面に
進み、みなとみらい地区に到着すると時刻は17時半。トラックが停車すると、
横に「芸術丸」も姿を見せて同じように停車する。どうやらずっとトラックの
後についてきていたらしい。(もしかしたら出発地点から?)青木さんも畑中
さんも「芸術丸」の運転手も降りてきて、外国人女性も一緒に大観覧車やラン
ドマークタワーを背景に「新潟から運んできた日本酒」で乾杯。参加者にも飲
み物がふるまわれ、流れ解散となった。

2時間半というのは、劇場内で行われる通常の上演スタイルの演劇公演の公演
時間とほぼ同じだ。この短い時間内に、現実世界がぴたりと切り取られ、それ
だけでなく各所に様々な脚色が施されていたことに、リミニ・プロトコルの創
作に対する気概を感じた。彼らは決して既存の演劇の上演スタイルを見かぎっ
て劇場の外に飛び出したのではなく、現実社会の手ごわさを認識した上で、そ
れに対峙していくための演劇という手法に信頼を寄せているのではないだろう
か。この公演は「言葉」と「身体」による芸術ではなかったかもしれないが、
人間の生きざまを多かれ少なかれ創作者の感性を通して再表現するという演劇
の根底にある動機に基づいているように思う。圧倒的な現実世界に演劇はかな
わない、という諦観ではなく、現実社会に演劇は必然的に生まれるという確信
だ。

日常生活で接点のない他者のことを知るという意味で、
「Cargo Tokyo-Yokohama」は、一種のツーリズムとも呼べるかもしれない。ツ
ーリズムすなわち観光とは“国の文化を観る”ことだという。それはまた劇場
内での演劇を見るという行為にも共通することなのではないか。この作品で私
は確かに新たな光を観たように思った。それがたとえ安全を約束された状況で
行われる仕掛けを施された擬似体験であったとしても。他者との出会いと経験
により、着実に個々人にとってのリアルは深化していく。

【筆者略歴】
松岡智子(まつおかともこ)
1977年生まれ。慶應義塾大学文学研究科修士課程(美学美術史学専攻アートマ
ネジメント分野)修了。出版社を経て2002年、財団法人東京都歴史文化財団に
入団。助成金制度の事務に係わる中、劇評に関心を持ち、2008年より度々
wonderland「劇評を書くセミナー」に参加。現在、東京芸術劇場管理課に勤務。

【上演記録】
リミニ・プロトコル「Cargo Tokyo-Yokohama」
構成 シュテファン・ケーギ
演出 イェルク・カレンバウアー 
製作 HAU劇場ベルリン
出演 青木ミルトン登、関口操、畑中力、サブリナ・ヘルマイスター ほか 
日本版テキスト構成・通訳 萩原ヴァレントヴィッツ健
制作 ウルリケ・クラウトハイム 小島寛大 (急な坂スタジオ)
テクニカル・コーディネート 遠藤豊(ルフトツーク) 
テクニカル・スタッフ ミカエル・レナッシア(ルフトツーク)、堤田祐史
(レイー)、細川浩伸 (急な坂スタジオ) 
主催 フェスティバル/トーキョー、急な坂スタジオ(NPO法人アートプラット
フォーム) 
共催 アーツコミッション・ヨコハマ(横浜市開港150周年・創造都市事業本
部/横浜市芸術文化振興財団)  
助成 平成21年度文化庁国際芸術交流支援事業 
協力 ドイツ文化センター 
後援 ドイツ連邦共和国大使館 

公演期間
11月25日(水)〜12月21日(月)1日1回公演 (乗車人数45名)

開演時間
全公演 15:00開演  受付 14:30〜14:55
全23回公演 日曜日は休演

公演時間
約2時間

公演場所
出発地点 クリスタルヨットクラブ 駐車場(「天王洲アイル駅」 徒歩5分
/「品川駅」からバスで10分)
到着地点 横浜市内・みなとみらい地区(みなとみらい線「馬車道駅」徒歩
10分、JR「桜木町駅」徒歩15分)

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◇シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー『聖なる怪物たち』
 身体と言葉によって語る、美しき2人の「怪物」
 中野三希子

ダンスにおいて、舞台上で言葉を用いることは難しい。ダンサーは、言葉では
なく身体を表現の媒体として選んだ者たちだからだ。まして、相手は世紀のバ
レリーナ/ダンサーと言われるシルヴィ・ギエムである。誰もが最高の「身体
による表現」を期待するであろうダンサーに、「言葉」を語らせること。この
壁をアクラム・カーンは見事に打ち破り、言葉と身体とが密接に絡み合う素晴
らしい舞台を見せてくれた。

『聖なる怪物たち(原題:Sacred Monsters)』は2006年9月、ロンドンの
Sadler’s Wells 劇場初演。振付はカーンのみならず、ギエムのソロをクラ
ウド・ゲイト舞踊団の林懐民が、カーンのソロをインドの伝統舞踊カタックの
第一人者であるガウリ・シャルマ・トリパティが担当している。舞台で生演奏
をするバンドメンバーも複数の国を跨ぐ。弦楽器とパーカッション、そしてヴ
ォーカルを中心として、東南アジアの民族音楽のような、北欧の民謡のような、
不思議で心地のいい音楽を奏でていた。

幕が開くと、白が基調のシンプルな舞台。 中央のみを切り取ったように空け
た壁が、上下から舞台をゆるやかなカーブで覆う。閉ざされた孤高の洞窟か、
観客席までを一緒にくるむような柔らかな空間か、という印象だ。

しばらくの静寂。動きが始まるまでの緊張感の後、女性の歌い手が舞台を静か
に歩きながら歌い始める。そして、鎖状につながれた鈴に囚われていたギエム
とカーンが、ゆっくりと鎖を脱ぎ落とし、身体を解放してゆく。舞台は、全体
を通して台詞と踊りを交互に繰り返す形で進む。まずは各々のソロだ。

最初にカーンが、幼い頃のギエムのことを語る。クラシック・バレエという厳
格な世界で、彼女にどのような選択肢があったのか。彼女はルール通りにバレ
エを生きることを拒否し、「自分で答えを見つけ出すこと(注1)」を選んだ、
という。彼女のソロは、見つけたその「答え」を示すものであった。伝統に縛
られた世界をとうに抜け出した彼女は、鋭く脚を上げて舞台を横切る。武術の
ような気迫さえ感じられる動きだ。かと思えば、一点に定まり、顔の前に高く
脚を上げる。高く上げた片足を徐々におろしながら腰の後ろに回す(敢えてバ
レエ用語でいえば「アチチュード」の姿勢を取る)のだが、その一連の流れの
危ういまでのボディのバランスを、微動だにしない上半身がしっかりと支えて
いる。しかも、これをルルベ(爪先立ち)でやってみせるのだ。しかしだから
こそ、そのままフッと次の動きに進む流れが美しい。全身にとてつもない張力
が生じている分、次の動きの鋭さが増して全体が力強くなる。ギエムの身体の
強靭さを、冒頭からこれでもかというほど目の当たりにした。

同じく、カタックという伝統の世界の中に居たカーンのソロ。最初はたしかめ
るように床を踏みしめ、だんだんとスピードを増して、下手奥から上手前方へ
と向かってくる。足裏で床を激しく叩くリズム、それに重なる鈴のリズム。エ
ネルギーを放出するようなギエムのソロとは対照的に、エネルギーを身体に内
包し、息を吐く間もないほどにステップを踏み続ける。彼の身体が、リズムそ
のものなのだ。そして最後は糸が切れたあやつり人形のようにだらりと前に倒
れる。ゆっくりと座り込み、脚に巻いていた鈴を外すためにズボンをまくるカ
ーン。グングルと呼ばれる、カタックで用いられるこの鈴を、くるくると外し
て床に置き、再び語り始める。

彼はインドの神クリシュナを演じる際に生じた自己の中での問いを、ユーモア
を交えながら語る。しかしここでグングルを外すのは、彼がカタックの伝統か
ら抜け出たサインだ。この後カーンはギエムと出会い、2人の対話とデュオで
の踊りが始まるのである。

2人は向き合い、つないだ手をゆるやかに波打たせる。エネルギーの流れが両
者の身体の間で完全に1つになっているかのような、なめらかな動きだ。クリ
シュナは人間味にあふれた神であり、しばしば「弧を描く動き(注2)」によ
って表現されるという。ユーモアに満ち、人間味に溢れるカーンと、髪が長く、
美しいギエムが作り出す曲線。カーンは「怪物になる」ことで自己の内面にあ
るクリシュナを表現しようとした。そしてここでは、彼が選べなかったと自身
で語る「美しいイメージ」をギエムが支え、同時に、彼の内面にあるクリシュ
ナの本質を補完し合うように、2人が一体となってクリシュナを描いていた。

後半のデュオではギエムがカーンの腰に脚を回し、それのみで身体を支えて、
2人が鏡のように上下対照のユニゾンをみせる。下半身の動きを封じ、ほぼ腕
の動きのみで踊られるシーンだ。しなやかに左右へ伸ばされる2人の腕の動き
の、静けさと厳かさ。作品中、emerveilleというフランス語を説明するギエ
ムに対して、カーンは「わからないよ」と答えて観客の笑いを誘う。しかし彼
は当然その感覚を知っているのだ。このシーンでギエムと共に彼が見せたもの
が、まさにemerveille‐「何かが本当に美しい時、その美しさを認識できるこ
と」を伝えるものだったのだから。

それから再び彼らの動きは加速していき、互いに動きを仕掛け合うようにして
作品が進む。時に挑戦的な、時にはチャーミングな、言葉と身体による対話が
続いていく。テンポを増す音楽に合わせて2人の笑顔がほころび、跳び跳ねて
面白がる子供のような無邪気な表情を見せながら、暗転し、終幕となった。

あれほどにギエムが言葉を語る作品は恐らく初めてだろう。そして、あれほど
にただただ楽しそうに踊る彼女の姿も初めて観る。いい意味で弛緩し、壁を少
し取り払った、生のギエムだ。しかし彼女が作品中で語る思いは、個人的なも
のでは全くない。創作過程としてまず行ったというインタビューを経てカーン
がそれを共有し、作品に仕上げたのだ。

初演時のプログラムにあるDr Sunil Kothari(注3)のコラムによれば、カタ
ックとはパフォーマーそのものを指す言葉でもあるという。kathaとは
「物語」を意味し、その語り手がkathakである。kathakはダンサーであるの
みならず、語り手でもあるのだ(注4)。アクラム・カーンは、語り、踊ると
いう多面性を持った古典ダンスであるカタックに開かれた可能性を、見事にコ
ンテンポラリー・ダンスの世界に引き込んでみせた。アーティストというもの、
コンテンポラリー・ダンスというものが孕んでいる、思考と試行、そして苦悩
が、2人の言葉と動きによって舞台上に見えてくる。語られた言葉が、知らず
知らず、踊りを裏づけするものとして読めてくる。背景が見えるから、踊りに
込められ、言葉にされない彼らの思いを、何倍もよく感じることができるのだ。

ギエムはイタリア語を覚えるために手にしたチャーリー・ブラウンの絵本につ
いても語る。縄跳びをしていて、満面の笑みを浮かべていたのに突然「むなし
くなったの」と泣き始めるサリーに、自分も同じように感じることがある、と
いう。好きなこと、楽しいことに没頭していていいのだろうか、と。そしてギ
エムが考えたのは「間違いではないのだから、ネガティブではない」という答
えだ。彼女のような大スターでさえ、むなしさを感じることがある。しかしそ
のむなしさに対する「ネガティブではないのなら、ポジティブ。そうなんだ
わ!」という彼女の言葉は、我々にその繊細な内面を見せるだけでなく、勇気
を与えてくれたようにさえ感じた。最後のシーンで縄跳びをしているように飛
び跳ねながら顔を見合わせて笑い合うギエムとカーンの姿は、このサリーのエ
ピソードを思い出させる。たとえ「むなしさ」が襲ってくることがあっても、
彼らは舞台に立つ喜びというものを、この上なく楽しんでいるのだ。

「聖なる怪物」と呼ばれ、パーフェクトであることを期待されるスターの内面
を、観客達は知る由も無い。だがこの作品を通して、ギエムとカーンの、アー
ティストとしての、そして私たちと同じ人間としての感情を、我々観客は垣間
見ることが出来たのである。

2005年にギエムがモーリス・ベジャールの『ボレロ』の日本での上演を封印す
る際のインタビューで彼女は、「観客に他の作品を発見する機会を与えること
が芸術家の義務だと考えています。(中略)日本の観客はマッツ・エックやア
クラム・カーンの作品などももっと頻繁に観るべきだと思います(注5)」と
語った。それからの4年の間にカーンは別の公演で二度の来日をし、いずれも
素晴らしい作品を見せたが、日本ではまだ十分な認知を得ていなかったのでは
ないだろうか。しかし今回は、絶大な数のファンを集めるギエムの力によって、
アクラム・カーンというコレオグラファーの魅力が改めて、より多くの日本の
観客に知らしめられた。今後また彼の作品が日本で紹介され、多くの観客を集
めることを、心から楽しみにしたい。

(注1)以下「 」にて引用した台詞は全て、日本舞台芸術振興会主催『聖な
る怪物たち』2009年公演パンフレットより。
(注2) 同公演パンフレット、ギィ・クールズのコラムより。(原文:
“…prefers to be represented with circular movements. ”
(注3)カタックを含め、インド古典舞踊の権威。本文で触れたコラムは
Sadler’s Wells “Sacred Monsters” 2006年公演パンフレットより、
“Kathak, an open-ended classical Indian dance form”
(注4)原文:“In short, he is a versatile storyteller and a 
dancer/musician.”
(注5)日本舞台芸術振興会主催「シルヴィ・ギエム最後の『ボレロ』」
2005年公演パンフレットより、「シルヴィ・ギエム スペシャル・インタビュ
ー」

【筆者略歴】
中野三希子(なかのさきこ)
1984年生まれ。東京大学文学部思想文化学科美学芸術学専修過程卒業。第15、
16回日本ダンス評論賞佳作入賞。クラシック・バレエを中心に劇場通いを始め
るが、在学中の1年間の渡英以後は、コンテンポラリー・ダンス、演劇等、他
ジャンルの舞台にも魅かれてやまない。

【上演記録】
シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー『聖なる怪物たち』
芸術監督・振付:アクラム・カーン
ダンサー:アクラム・カーン、シルヴィ・ギエム
振付(ギエムのソロ):林懐民
振付(カーンのソロ):ガウリ・シャルマ・トリパティ
音楽:フィリップ・シェパード
照明:ミッキ・クントゥ
装置:針生康
衣裳:伊藤景
構成:ガイ・クールズ
演奏:アリーズ・スルイター(ヴァイオリン)、コールド・リンケ(パーカッ
ション)、ファヘーム・マザール(ヴォーカル)、ジュリエット・ダエプセッ
テ(ヴォーカル)、ラウラ・アンスティ(チェロ)

東京公演(会場:東京文化会館)
2009年12月18日(金)午後7時
     19日(土)午後3時
     20日(日)午後3時
S席14,000円、A席12,000円、B席9,000円、C席6,000円、D席4,000円、E席
3,000円  エコノミー席2,000円、学生1,500円

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【編集日誌】
☆ 新年第一号をお届けします。フェスティバル/トーキョーの目玉の一つで
あったリミニ・プロトコルの「Cargo Tokyo-Yokohama」ですが、昼間の公演
で一回の参加人数も少なく、また日曜休演でした。トータルの参加人数は約
1,000人に上りますが、それでも誰でも見られるというものではなかったと感
じ、通常のレビューではなく、珍しい公演形態に焦点を絞った体験レポートを
松岡智子さんに書いていただきました。松岡さんはワンダーランドの劇評セミ
ナーに参加いただいた方で、メールマガジンへは初登場となります。「要する
にどういうものだったの?」という好奇心に十分こたえていただいたと思いま
す。
 それにしても、よほど時間が自由になる人以外は参加できないようなスケジ
ュール設定と、社会に開かれた演劇を意図しているらしい内容とのずれはどう
したことでしょう。この演目についてF/Tの劇評コンペに寄せられた堀切克
洋さんの批判も極めて興味深いものです。
http://festival-tokyo.jp/gekihyo/2009/12/cargo-tokyo-yokohama.html#more
 一見面白そうなことをしている割には、一歩立ち止まって考えると疑問の多
い公演だったと思います。

☆ また、シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニーの『聖なる怪物
たち』を、こちらも初登場の中野三希子さんに論じていただきました。ワンダ
ーランドは舞台評の新人発掘も大きな役割と考えています。今年もさまざまな
新しい書き手に登場していただこうと思っています。

☆ 厳冬が続いています。正月を過ごした郷里ではマクドナルドも二重扉でし
た。こちらのお店は自動ドアなので、冷たい風が入り込みます。こう寒いと二
重扉のような小さな工夫も大切なものに感じます。くれぐれも暖かくしてお過
ごしください。
(水牛健太郎)

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最終発行日:  
発行周期:毎週水曜日  
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