演劇

週刊マガジン・ワンダーランド

小劇場演劇やダンス、パフォーマンスを取り上げるレビュー&ニュースマガジンです。このマガジン版とwebサイト「ワンダーランド」で現代日本の舞台芸術の流れを伝えます。

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週刊マガジン・ワンダーランド 第171号

2009/12/24

【目次】

◇維新派「ろじ式」
 小劇場演劇としての可能性垣間見せる
 中西理

◇岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍−いまだ天に昇らざる龍」
 黙して花
 金塚さくら

◇岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍−いまだ天に昇らざる龍」
 見事な技を見た、しかし。
 宮武葉子

◇「振り返る私の2009」年末回顧 今年の3本

▽連載【レクチャー三昧】
 第71回 シアターX(カイ)
 高橋楓

□web wonderland から===================== http://www.wonderlands.jp/ 


◇ハイリンド『華々しき一族』/『お婿さんの学校』
 古典喜劇の時代錯誤と普遍性の両方を味わう 
 片山幹生
◇大型影絵芝居 「スバエク・トム」
 驚き、不思議、カンボジア 影絵芝居で神に逢う
 岡野宏文
◇日本劇作家協会新人戯曲賞は横山拓也「エダニク」
◇ポストメインストリーム・パフォーミング・アーツ・フェスティバル2010
(ニュース&報告)
◇劇団東京ミルクホール「水晶の夜『グーテンターク!私たち、日本のとある
 元祖有名少女歌劇団です。』」
 宝塚でも上演ありそうな歴史喜劇へ
 杵渕里果
◇タカハ劇団「モロトフカクテル」
 現代っ子と「あの時代」
  金塚さくら
◇タカハ劇団「モロトフカクテル」
 時代を超える翼をください
 大泉尚子
◇劇団印象-indian elephant- 第12回公演「父産(とうさん)」
 消費社会揶揄する自己物語
  風間信孝

◇ワンダーランド支援会員を募集中!
http://www.wonderlands.jp/info/members2009-1.html

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◇維新派「ろじ式」
 小劇場演劇としての可能性垣間見せる
 中西理

  維新派の新作「ろじ式」(松本雄吉作・演出)を大阪・難波の精華小劇場で
見た。維新派はこのところ野外ないし大劇場の空間で「<彼>と旅をする20世
紀3部作」と題して、「nostalgia #1」(2007、大阪・ウルトラマーケッ
ト、さいたま芸術劇場)、「呼吸機械 #2」(2008、長浜市さいかち浜野
外特設舞台)を連続上演してきた。それは南米や東欧の動乱の歴史を取り上げ、
20世紀という壮大な時間の流れをモチーフに物語性を強く打ち出したものであ
った。今回の「ろじ式」は本公演とは位置づけられてはいるものの、その続き
というわけではない。

 フェスティバル/トーキョーの一部として東京ではにしすがも創造舎、大阪
は精華小劇場とともに廃校となった学校の跡地利用をした維新派としては珍し
い小劇場空間が今回の会場となった。事前情報では「20世紀3部作の番外編」
とも紹介されていたが、ここには物語もそれに付随するスペクタクル性もない。
小規模かつミニマルなパフォーマンスの羅列といった形で構成され3部作とは
方向性が明確に異なる作品だ。

 ただ、「それがどういうものか」となると説明することはそれほど簡単でな
い。見終わった直後の印象は当惑であった。この舞台は場面と場面の連関性が
明確ではない。それゆえに統一された全体としての構造が読み取れず、散漫な
印象が残り「失敗作ではないか」と思ったのも確かなのである。

 だが全体の流れではなく個々のシーンそれぞれをを単独で取り出して考えて
みると素晴らしい場面も少なくはなかった。白眉ともいえたのは10のシーンの
うち最後から2番目の「木製機械」である。維新派独自の動きのバリエーショ
ンをダンス的に構成した「動きのオペラ」の次の進路を垣間見せるもので、
「動きのオペラ」のひとつの到達点となった前作「呼吸機械」を超えて、この
集団の身体表現の方法論がいまも進化しつづけていることを証明するような刺
激的な場面であった。これまでは維新派は一部の場面だけを取り出して評価す
ることは避けてきたが、この「木製機械」は「2009年のダンス・ベストアクト
(ベスト10)」に入るべき「ダンス」であったと思う。

 内橋和久作曲の変拍子の音楽に合わせて単語を羅列したような大阪弁ラップ
調のセリフをパフォーマーたちが群唱するのが維新派のヂャンヂャン☆オペラ
である。しかし、現在の維新派はそれだけではない。新国立劇場で上演された
「ノクターン」あたりから(私は便宜上「動きのオペラ」と呼んでいるが)パ
フォーマーの動きだけでセリフがないダンス風のパフォーマンスがもうひとつ
の柱となってきた。「キートン」(2004)、「ナツノトビラ」(2005〜2006)
でその傾向は次第に強まった。

 「ナツノトビラ」についてのレビューを以前にAICT関西支部の批評誌ACTに
書いた時に「舞台を見ていればそこには既存のダンステクニックとは違う身体
語彙が意識的に獲得されるための継続的な訓練や試行錯誤が日常的に行われて
いることが分かる。例えば今回の作品では音楽に合わせて、数歩すばやく歩い
た後、そこで突然ぴたっと静止するということを大勢のパフォーマーが同時に
やる場面がでてくるが、これなども普通のダンスにはあまりない身体負荷であ
り、日常的な身体訓練がなされていないとこれだけ大勢がシンクロして群舞的
にそれを行うことは簡単なことではない。タップダンスのようにステップで音
を出す場面も足の裏に空き缶のようなものをつけてやる場面をはじめ複数でて
くるが、全員が同時に踏むというだけでなく、楽器の演奏のようにパートに分
かれていたりするわけで、タップダンスやアイリッシュダンスのように超絶技
巧のものではないにしても、内橋の変拍子の音楽に合わせてそれを正確に行う
のは相当以上のリズム感覚が要求される」と書き、維新派はダンスシアターに
近づきつつあると明言した。

 そうした新たな流れはその後「nostalgia」で一層明確なものとなり、前作
の「呼吸機械」ではダンスシーンを作品の冒頭とラストのそれぞれ15〜20分ほ
ど、作品の中核に当たる部分に持ってきて、「それありき」で作品が組み立て
られていた。「動きのオペラ」のひとつの到達点を示した作品であったといえ
よう。びわ湖の湖面に向かって、少しずつ下がっている舞台空間、その上を流
れていく水のなかに浸かりながら行う。パフォーマーの動きだけでなく、野外
劇場だからこそ可能な水の中の演技で飛び散る水しぶきさえ、照明の光を乱反
射して輝き、50人近い大人数による迫力溢れる群舞とともにほかに比較するも
のが簡単にはないほどに美しいシーンを展開した。巨大なプールを使ったダニ
エル・ラリューの「ウォーター・プルーフ」、ピナ・バウシュの「フルムーン」
などコンテンポラリーダンスにおいて水を効果的に使った作品がいくつかある
が、「呼吸機械」もそれに匹敵する強いインパクトを残した作品で、特にラス
トは維新派上演史に残る珠玉の10分間だったといってもよいだろう。

 それ以来の待望の新作ということもあり、「ろじ式」では身体表現としてど
んなことをやってくれるのだろう。舞台を見始めた時の期待感は大きかった。
だが、その期待ははぐらかされた。冒頭の「標本迷路」から「地図」「可笑シ
テタマラン」と続いていく場面がいずれも変拍子のリズムに合わせて複雑な身
体所作を繰り返す「動きのオペラ」ではなくて、ヂャンヂャン☆オペラとして
はむしろ古いスタイルでかなり昔に多用されたようなシンプルな群唱に近かっ
たからだ。

 開演以前から狭い精華小劇場の空間は舞台の下手、上手、天井近くとさまざ
まな骨格模型が収められた600個もの標本箱で埋め尽くされていた。標本箱は
一辺が60センチほどの立方体の枠を、積み木のように多様に並べたものでこ枠
の中には、現生あるいはすでに絶滅した生物の骨や化石を模した標本が固定さ
れ、それがまるで迷路のような空間を形成していく。表題の「ろじ式」の通り
に、標本箱は積み重なり互いが簡単には見渡せない「ろじ」になる。

 今回の維新派のパフォーマンスは野外での開放された空間とは対極のような
この閉ざされた空間で展開された。作品が始まって最初の場面「標本迷路」で
は役者たちが標本箱を舞台袖から運んできて、まるでテトリスのゲームのよう
に舞台上に積み重ねていく。ここでの台詞が「デボン紀、白亜紀……」などと
時代を下りながら、少年たちがいまは滅びてしまった古生物を単語として羅列
していく。この部分で舞台装置に使われている骨のイメージと合わせて、「そ
うか今回の主題は進化論なのか」とはや合点してしまう。が、その次の場面、
その次の場面と舞台が進行していくたびに疑問ばかりが膨らんでいく展開とな
る。

 2番目の「地図」では3人の少年が公衆電話で何事かを問い合わせる昭和を
思わせる郷愁をさそうイメージが提示される。「可笑シテタマラン」は雰囲気
が一変して女の子たちの大阪弁の口調がおかしさをさそう掛け合い的な群唱
だ。「海図」では再び犬島で上演された「カンカラ」を連想させるような島づ
くしの地名連呼となる。ここでは「標本迷路」とむりやり合致させて、人類の
進化ならびに島づたいに渡る日本列島に行き着いたの日本人の歴史を展示した
場面かも、と思うがシーンが進むごとにそのような統一した解釈には無理があ
ることが露呈していく。やはりここにはそういう共通項のようなものはないの
だ。

 この作品のもうひとつのモチーフはつげ義春の「ねじ式」であるが、これも
「夢のような、あるいは悪夢のようなイメージの羅列」という構造に共通点は
あっても作品との直接のつながりは希薄だ。小学校卒業後はメッキ工だったと
いうつげ義春へのオマージュとして作られたと思われる「鍍金工」という場面
はあるものの、作品中のイメージにそのまま「ねじ式」から取ってきたと思わ
れるようなものは少ない。つまり、舞台の進行に連れて分かってきたのはこの
作品には物語のような筋立てがないばかりか場面同士にはこれといった連関性
がなく、オムニバスに近いのではないのかということであった。

 バレエなど物語性の強いものを除くとコンテンポラリーダンスなどダンス・
パフォーマンス作品の上演時間は長くても1時間強のものが多い。演劇のよう
に2時間近い作品は少ない。これが私が常々思っていたことなのだが、物語性
がない場合、2時間近い時間集中力を持続するのが生理的に困難であることに
その理由があるのではないか。今回の維新派の舞台は個々の場面の完成度は高
いが、20世紀3部作にはあった物語の要素がまったくないため、観客にとって
は集中力を維持するのは簡単ではない。個人差はあると思うが、少なくとも私
には中盤あたりの「鍍金工」「金魚」といった場面は比較的ミニマルな要素が
強く構成に起伏が少ないことも相俟って、少し集中力を欠き何度も睡魔におそ
われそうになってしまった。

 実は冒頭に書いた「木製機械」と昨年の「聖・家族」で上演されたものを作
り直した「かか・とこ」という舞台後半の2シーンが維新派のこれからを思わ
せる複雑な構造のダンスならびに群唱の最新形を示した場面だったのだが、せ
っかくの刺激的な場面がそれまでに集中がキレかけていたせいでそれを入り込
むのにかなりの努力を必要とした。2時間近い上演時間は長いと感じられた。

 「これは構成の失敗ではないか」と考え、実は公演後すぐに松本雄吉本人に
もそう話してしまったのだが、そう考えることにどこか違和感も感じていた。
まず考えたのは本公演とは称していたが、実はこの「ろじ式」は「呼吸機械」
の前に準備公演として上演した「聖・家族」と同様に本公演に向けてのワーク
・イン・プログレスにすぎないのではないかということだ。しかし、アジアあ
るいは日本が主題となるはずの「20世紀3部作#3」との直接のつながりがあ
りそうな場面はあまり見当たらないという問題もあった。

 「通常の演劇とは異なる構造をどうも確信犯として強い意志で試みているよ
うだ」。観劇から時間が経過するにしたがい次第にこんな印象が強まってきた。
「博物館演劇」というこの作品のもうひとつのモチーフにこの作品の構成のヒ
ントはあるのではと考えてみた時、この作品についてひとつの仮説が生まれて
きた。それはこの「ろじ式」は演劇がよくとる物語の構造(ナラティブ)でも
なく、ある種のダンスや音楽がそうである構造の統一感や形式美でもない。そ
れまでの舞台にあまりなかった「博物館の展示のような舞台」として構想され
たのではないかということである。

 「ろじ」のような空間に博物館の展示のように個々のパフォーマンスを配置
し、提示していく。そして個々の場面には主題において、あるいは登場人物や
物語において同一性があるのではなく、それは互いにゆるやかに響き合いなが
ら並置されていく。もし、そうであれば構成上、観客の生理的な問題への対応
において、もう少し全体をコンパクトにまとめるなど、若干の修整の余地がな
いではないけれども、小劇場パフォーマンスにおけるあらたな形態としての可
能性を感じさせる試みではないかと考えさせた。

 維新派は来年(2010年)夏には瀬戸内芸術祭に参加して、「<彼>と旅をす
る20世紀3部作 #3」を岡山・犬島で野外劇として上演する予定。ひょっと
すると前回の準備公演「聖・家族」と「呼吸機械」のようにこの新作に「木製
機械」など一部の場面が使われる可能性はないとはいえないが、この新作は日
本あるいはアジアの20世紀という壮大な歴史を取り上げ、3部作の完結編とも
なるという意味で、今回の「ろじ式」とはまったく異なる方向性の舞台となる
ことは間違いない。そして、その新作は来年末ごろに劇場版として作り直され、
さいたま芸術劇場で上演された後、再来年の夏にはエジンバラ・インターナシ
ョナル・フェスティバルで上演されることになっている。来年の南アフリカ
W杯に参加する岡田ジャパンが目標通りベスト4に入り、「世界を驚かす」こ
とができるかどうかは未知数(個人的に期待はしてるのだけれど)だが、(鳩
山政権が仕分けにより国際交流基金を解散するというような暴挙がない限り)
この維新派の新作が世界の演劇の本丸であるエジンバラに乗り込み、「世界を
驚かす」のは間違いないと思っている。その時にはぜひその場に出掛けて生で
そのさまを体験したいものだと考えている。

 それとは別に今回の「ねじ式」で姿を現した「小劇場演劇としての維新派」
も今後どんな風に展開していくのかが楽しみ。「ねじ式」ではその実現におい
て十全ではない部分もあったとは思うが、可能性の片鱗は垣間見せてくれたと
思う。
(11月20日ソワレ 大阪・精華小劇場で観劇)

【筆者略歴】
 中西理(なかにし・おさむ)
 1958年愛知県西尾市生まれ。京都大学卒。演劇・舞踊批評。演劇情報誌
「jamci」、フリーペーパー「PANPRESS」、AICT関西支部批評誌「ACT」などで
演劇・舞踊批評を掲載。演劇、ダンス、美術を取り上げるブログ「中西理の大
阪日記」主宰。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=4

【上演記録】
作・演出 松本雄吉

出演  岩村吉純 藤木太郎 坊野康之 森正史 西塚拓志 金子仁司 中澤喬弘 貝
田智彦 石本由美 平野舞 稲垣里花 中麻里子 尾立亜実 境野香穂里 大石美子 
大形梨恵 土江田賀代 田口裕子 沙里 近森絵令 吉本博子 市川まや 今井美帆 
小倉智恵 木下なず奈 桑原杏奈 ならいく 松本幸恵 森百合香 長田紋奈

スタッフ
音楽 内橋和久
美術 柴田隆弘
照明 吉本有輝子
音響 佐藤武紀
映像 山田晋平
舞台監督 大田和司
屋台 白藤垂人
制作 山崎佳奈子、清水 翼
製作 維新派
共同製作 フェスティバル/トーキョー

 場面

M1「標本迷路」
M2「地図」
M3「可笑シテタマラン」
M4「海図」
M5「おかえり」
M6「鍍金工」
M7「金魚」
M8「地球は回る、眼が回る」
M9「木製機械」
M10「かか・とこ」

10月23日(金)〜11月3日(火・祝) にしすがも創造舎
11月13日(金)〜11月23日(月) 精華小劇場

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◇岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍−いまだ天に昇らざる龍」
 黙して花
 金塚さくら

  目に美しい舞台であった。 
  開演を待つステージ上はまるで神社の内陣のようだ。暗がりの深い空間に小
さな賽銭箱が置かれ、その奥にはつつましく祭壇が設えてある。とぐろを巻い
て口をカッと開いた、それでいて格別の迫力があるというわけでもない小さな
金色の龍の像が、祭壇の中央にちょんと鎮座していた。 
 中空には淡く橙色に光る提灯が、ほよんほよんと四つばかり浮かんでおり、
五色の幟も注連縄も、重力を無視したようにふんわりと宙に浮いたきり静止し
ている。ころころと丸い提灯がオレンジ色に浮かび上がる社殿は、神域であり
ながらも、神秘的というには妙に親しみやすく、幻想的というにはやけに可愛
らしい。暖かみのある色合いとやわらかいフォルムは、まるで絵本の挿画の一
枚のようで美しかった。 
 この小さな愛らしい社は、日本の最北端、青森県は下北半島の「ご在所村」
にあるのだという。そこで年に一度行われる、地元消防団による龍神様への奉
納芝居という形をとって、空を飛べない小さな龍・蟠龍の数奇な運命がユーモ
ラスに描かれる。主に踊りと語りと時々歌とで綴られる飛べない龍の物語は、
とても素朴で懐かしい。滑稽な中にアイロニーと教訓を混ぜ込んで、ほのかな
説教臭さが何とも“伝承”的で、いかにも“民話”らしくつくられている。 
 とはいえ、「土地の伝説」といった土着のモチーフを扱いながらも、その作
風に泥臭さは皆無だ。舞台美術も振付も、和風でありながら可愛くスタイリッ
シュで、今どきの感性にぴったりとフィットする。言うなれば「和モダン」風。
「昔話」というよりは、極めて洗練された「民俗ファンタジー」とでも呼ぶべ
きかもしれない。 
 和モダンな振付で龍の遍歴を綴っていく若い演じ手たちの踊りがまた素晴ら
しい。地元消防団の防災訓練の踊りから始まって、京の都での「西の蟠龍」の
災難、東北に渡って田舎芝居の役者・龍之介になった龍の“活躍”とその末路、
さらに消防団のこの先の運命までを、ダイナミックかつパワフルに見せてゆく。
農村の伝統芸能のような滑稽味ある素朴な振付を随所に取り入れつつも、今風
の「かっこよさ」を外さない。 
 男性も女性もよく訓練された手足は表情ゆたかで、しなやかに伸びては、ぴ
たりと正確にポーズを決める。「殴られ蹴られて腫れ上がった顔」を力技で表
現する顔面筋まで含めて、その全身は隙なく鍛えられている。シャープな身の
こなしで鮮やかに情景を描き出す彼らの身体は、エキサイティングで観ていて
飽きない。 

 しかしここにひとつ、非常に奇妙な現象がある。 
 かくのごとく目に美しいこの舞台は、しかし耳の方はなんだかいまいち重要
視されていないように思われるのだ。いや、音楽はこちらもたいそう美しかっ
た。和楽器を使ってスマートに奏でられるポップな楽曲の数々は、和モダンな
舞台を強力にサポートして、民俗ファンタジーの雰囲気作りに大いに一役買っ
ている。 
 問題は台詞だ。演じ手の口から発される、言葉の響きだ。 
 音楽に乗せて舞い踊る彼らを見ながら、絵本のように愛らしい民俗ファンタ
ジーの不思議ワールドをたゆたっていた私は、彼らが台詞を喋りだすと途端に
2009年高円寺の現実へ引き戻される。彼らの台詞回しは、その視覚的な完成度
と比べてあまりにも洗練の度に差がありすぎはしまいか。
 決して声量がないわけではない。発音が不明瞭ということもない。ただその
語り口調は、不可思議な昔ばなしを物語るには生硬にすぎるのだ。とってつけ
たような方言のぎこちなさや、時代劇風の会話のつたなさは、作品の世界観を
補強するよりはむしろ解体させているようだ。
 美しく動く特別製の肉体は、いつともどことも知れない昔ばなしの世界を舞
台の上につくり上げようとする。しかし台詞が発された瞬間、彼らがごくごく
普通に日々を暮らす生身の若者であることが露呈するのだ。洗練された寂び感
のない、どこか尖りのある若い声が懸命に台詞を叫ぶのを聞くと、居酒屋等で
元気にバイトする彼らの幻影が生々しく脳裏をよぎりそうになったりもして、
どうにも切ない。 
 一方で視覚情報としては完璧なまでに美しく、しかしもう一方で聴覚情報が
なんだか雑。それぞれの感覚器官が受け取る刺激はあまりに乖離していて、極
北の二つに引き裂かれた私はどうしたものか判らなくなる。自分は果たして、
この舞台を悦んでいるのかそうでもないのか。どちらに決めていいのかまるで
判断がつかず混乱する。 
 たとえばこれが、彼ら自身が語るのではなく、専任の語り手が市原悦子か常
田富士男ばりの完璧さでもって聞かせてくれていれば。絵本のようなビジュア
ル風景とあいまって、どんなにか鄙びた不可思議空間が現出したことだろう。
あるいはいっそのこと、この舞台が台詞のない踊りの作品であったらどれほど
楽なことか。祈るように何度も思ったが、むろんそれは今更どうにもなりよう
がない。 

 舞台では劇中劇のかたちで落ちこぼれな龍の一生が描かれるが、真の主役は
決して「西の蟠龍/龍之介」ではないだろう。どちらかというならこれは実は、
劇中劇としてこの奉納芝居を演じている、ご在所村の村人たちの物語に他なら
ない。 
 過疎に悩み財政赤字に苦しむ地方自治体は、核産廃の最終処理場など危険な
施設を受け入れ、国から助成を受けることでなんとか暮らしを成り立たせてい
る。作中ではそんな村の先行きが、小龍の愚かな選択に重ね合わせて、ややブ
ラックなアイロニーを込めて浮き彫りにされる。自分の身体を切り売りして当
面の利を手に入れる、それは果たして、真実妥当な取引なのだろうか、と。 
 都でうだつの上がらなかった小龍は、流れ流れて最北の地へいたり、神様に
願掛けをして田舎芝居の役者としてデビューする。飽きっぽい観客を相手に、
どうにかして人気をつなぎとめたい役者・龍之介は、願掛けをしてはその都度
自分の身体を代償として、人々の注目を買い取ってゆくのだ。はじめは右脚。
続いて左脚。最後には、残りの腕と胴体すなわち、首から下を全部。 
 足のない役者が義足をつけて見得を切り、胴のない頭が後見に抱えられて台
詞を喋る。確かに観客は沸くだろう。しかしそれは「役者」として、その芸を
賞賛されているわけでは決してないのだ。芝居ではなく、「見世物」と同じ扱
いをされたにすぎない。片脚がないのはけなげだが、両脚ないと物珍しさにお
ぞましさがやや混じる。首だけとなれば、それはもはや化け物だ。怖いもの見
たさに集まって、「龍之介の芸」ではなく「芸をする龍之介」を冷やかしてい
るだけなのだ。どれほどの観客を動員し、どんなに喝采を浴びようとも、そん
なのはまことの花にあらず、と世阿弥先生なら言うに違いない。
 ある程度見慣れて飽きれば、人々はあっさりと他所に流れ、さらなる刺激を
要求する。無名の観客役の台詞に、義足の龍之介がいつ転ぶか、失敗を観に来
ているのだという一節がある。残酷なまでに、それはひどく真理だ。
 しかし龍之介は「まことの花」など思いもかけず、客が離れてゆくのを恐れ、
冷やかしと野次を熱狂と思い違い、道を踏み誤ってゆく。一本足が飽きられれ
ば両足とも差し出し、それにも客が退屈すれば首だけの化け物になる。それに
も見慣れてきたとなれば、頭ひとつで「東の蟠龍」と決死の対戦だ。
 最初の一歩を踏み出せば、その後の転落は坂道を転がるように簡単だ。この
蟠龍の「悲劇」の構造は、ご在所村の在りようと相似形を成している。ご在所
村の村長は、苦しい財政の中、村民の暮らしを守るためと言って危険な施設の
誘致に手を出してゆく。助成金やら何やらで、確かに一時は潤うのかもしれな
いが、果たしてそれは真の解決と言えるのであろうか。暮らしを守る、その守
り方が、本来の取るべき道から離れてしまっているのではないか。
 一時の花ではない、まことの花を得るべし。世阿弥先生のありがたい教えは、
いつの世にてもいまひとつ活かされない。

 しかしそれにしても、「核廃棄物再処理工場」だの「高レベル放射性廃棄物
最終処分場」だのといったどこか社会派な響きを持つ単語が、決して巧みとは
言えない台詞回しで発されると、なんだか必要以上に説教めいて聞こえて少し
ばかり鬱陶しい。 
 作中では決して明らかな批判や糾弾がされるわけではないし、ご在所村に何
が起こったのかはあくまで暗示するに留めてある。西の蟠龍の運命に重ねるこ
とで、何らかの悲劇の可能性を浮かび上がらせるその手法は、押しつけがまし
くなく巧みだ。 
 にもかかわらず、この蟠る気分は何なのか。 
 のどかな昔ばなし風の光景の中に唐突に侵入してくる「核廃棄物」等のやけ
にリアルな社会派言語が、強烈な違和感を醸して面白い――はずなのに、なん
だかわざとらしく作為が鼻につく気すらする。村を襲う事故の暗示は、現代社
会に必要な警告のはずなのに、作話上のご都合主義にも見えたりして、そんな
風に感じる自分が少々嫌だ。もっと手練れた語り口調であったなら、この蟠り
は解消したのだろうか。
 いかにも寓話的で鬱陶しいこのご在所村のラストシーンは、しかしやはり目
にはすこぶる美しかった。 
 暗やみに、天の一点から射し込む淡い橙色の光の中、死の灰なのかプルトニ
ウムの結晶か、白い切片が光を反射してきらきらと明滅しながら降り注ぐ。そ
れはどこまでも明るく無垢で、だからこそ、そこに潜む死の可能性がひどく残
酷だ。そしてその残酷さゆえに、きらめく切片はおそろしく美しい。何かを降
らせるラストシーンはいくつもあるが、この作品は格別に印象的だ。照明の色
も角度も、降らせる位置も分量も、この上なく絶妙で完璧な計算が働いている。
 ならばいいか、とその美しさに思う。この際台詞の巧拙など。目の前の美し
さに流されて、佳い舞台を観て至極満足だったのだと後々吹聴してしまっても、
別にいいではないか。それくらい言いきってしまえるほど、確かに目に美しい
舞台であったのだ。
(2009.11.3 観劇)

【筆者略歴】
 金塚さくら(かなつか・さくら)
 1981年、茨城県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、浮世絵の美術館に勤務。
有形無形を問わず、文化なものを生で見る歓びに酔いしれる日々。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/index.php?catid=3&subcatid=76

【上演記録】
岡安伸治ユニット公演「2008年版『BANRYU』蟠龍−いまだ天に昇らざる龍−」
(日本劇作家協会プログラム)
http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=51
作・演出 | 岡安伸治
座・高円寺1(2009年11月13日-11月15日)
出演 | 
Aプロ:池内亮太、池田あい、清水ゆり、立浪晴子、中井沙織、浜田真梨子、
山田隆
Bプロ:一平杏子、大瀧麻世、佐々木絵梨花、柴田菜穂、嶋拓哉、平山佳延、
藤田ゆみ

企画・製作:岡安伸治ユニット公演
後援:杉並区
提携:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク

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◇岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍−いまだ天に昇らざる龍」
 見事な技を見た、しかし。
 宮武葉子

 日本劇作家協会プログラム岡安伸治ユニット公演「2008年版『BANRYU』蟠龍
−いまだ天に昇らざる龍−」を観た。93年に劇団世仁下乃一座で初演され、以
降、形を変えながら数多く上演されてきた作品ということだが、評者はこれが
初見である。

 「蟠龍」とは、地面でとぐろを巻き、天に昇れていない状態の龍のこと。本
作はこの「蟠龍」をメインモチーフに、人の欲や愚かしさ、舞台役者のこっけ
いさ、寒村の経済状況からエネルギー問題をも描く諷刺劇である。7名の若い
役者が、パーカッション、三味線、尺八による音楽(素晴らしかった!)にあ
わせ、高度な身体パフォーマンスを交えて複数の役を演じている。

 正直なところ、「とても上手い学生の発表会を見た」という気がした。
 実際には、出演者は学生ではない。いやそれ以前に演者が学生だからイカン
という法はなく、しかも技術的には上手かったんだからなんら問題ない、はず
なのだが、何かすんなり楽しめなかったのだった。
 理由を考えた。
 話が出たので、まずは出演者の話から。
 彼らの身体能力の高さには心底驚いた。
 アクロバティックな動きをするのに最適ではないだろう(自分でやったこと
がないから断言は出来ない。以下同様)着物で激しいアクションをこなし、使
い慣れない(だろう)民話調の言葉を使い、普段聴いているのとは違う(だろ
う)リズムを持つ民謡を歌う。しかもこれを1人でなく、複数で行うのである。
よほどに稽古を積み、タイミングを合わせなければ、そして互いへの信頼関係
を築かなければ、この舞台は成立しない。
 ゆえに。パフォーマンスとして価値がないということでは決してない。ダブ
ルキャストの一方しか見ていないが、おそらくもう一方のチームも同じぐらい
のレベルだったのだろうと思う。
 それでも、彼らは「プロの演者」であるように見えなかった。
 実のところ、ダンスやパントマイムといった身体表現にはあまり詳しくない
のだが、それでも、
・この動きは日舞でない。
・この歌は民謡でない。
ということは分かったので。

 ここで、歌舞伎のことを考えてみる。
 評者はわずか20年の観劇歴で、天井桟敷のベテラン観客と比較すればほんの
20年ばかり、書くのもはばかられる短さなのだが、本当に幼い時から日舞や長
唄やらを稽古しているはずの歌舞伎役者の中にも、たいそう下手な人がいるこ
とを知っている。腰の位置が高い、決めの形がカッコ悪いなど、素人目にも分
かるレベルでヘロヘロしているのである。何十年とやっているはずなのに。も
ちろん鍛錬は大事だが、それだけではダメなのだろう。下手な人は一生下手な
のだろうと思う。残念なことだが。
 それでも、彼らを見て腕組みし「下手だなぁ」とタカビシャに思うことはあ
っても、違和感を覚えることはない。あくまで「下手な歌舞伎」として受容出
来る。彼らの肉体には染みついて離れなくなっている何かがあり、たとえブサ
イクであっても、それは彼らが消化した彼ら自身のものであると考えられるた
めである。
 逆に、2008年版「蟠龍」出演者はアクションもこなせば民舞もやり、傘を使
っての踊りもこなす。詳細は分からないが、着地の位置も正確であった、よう
だ。にもかかわらず、「身体能力の高い人が、日舞っぽい動きをしている」よ
うに見えた=何となくまがい物のように思えてしまったのだった。

 何が違うのかと問われたら、明確に言語化することはできない。説明も出来
ないことを書くなといわれそうだ。自分が読む側なら確かにそう思う。
 けど、違うのだ。実のところ客席にいた1時間40分の間、舞台を眺めながら
も頭の中では演じ手の動きのことばかり考えていた。一体何が違うのか、と。
 「演じ手の表現になっていない」
 かなり無理矢理だが、多分そう思ったのだと思う。曖昧でスミマセン。
 動きのことも歌のこともその他もろもろのことについても、彼らは「知らな
い」のではないか。
 もちろん、個々の動きについては、知らないどころではなく熟知しているだ
ろうと思う。並ならぬ稽古を積んで本番に臨んだのであろうから。
 そうではなくて、舞台上でこなした数々の技は、彼らにとって「近しいもの
ではない」のではないだろうか。
 体を意のままに動かせる人であれば、立ち回りにせよ踊りにせよ、ある程度
「らしさ」を表現することは可能だろう。けれど、着物が、なんちゃって東北
方言が、民舞が、もっといえば「蟠龍」が描く民話の世界そのものが、演じ手
の身についたものであるとは思いにくい。
 「学校の発表会を見た」と思ったのは、そのためだったような気がする。
 演じ手は与えられた課題をキレイにこなした。テストに合格したといっても
いい。が、それはあくまで課題であり、越えるべきハードルである。きちんと
消化され、肉体化されたようには見えなかった。
 半端なく高いハードルを一度越えるというのは凄いことである。それだけで
も価値があるといえばそうだ。でも、観客は役者のステップアップ現場に立ち
会うために劇場に足を運ぶ訳ではないのだ。

 そうはいっても、引っかかった点が役者の動きだけだったら、もっと楽しめ
たのではないかと思う。出演者は伝統芸能の人ではないのだし、彼らの芸が無
残な出来ということでは全くなかったのだから、満足しない観客の方が贅沢な
んだよ、ということで。
 しかしながら本公演、物語そのものについても疑問がある。むしろそちらの
不満の方が大きいといってもいいかもしれない。

 「蟠龍」の寓話は、「村の発展のために原発を受け入れた、東北のある村の
奉納芝居」という形で展開される。しかも、念の入ったことに、「奉納芝居を
演じるのは村の消防団のメンバーで、彼らは専業(つまりプロの消防士)では
なく、普段は村でそれぞれの生活をしている普通の人々」であるという凝った
設定だ。
 これ、奉納芝居だけではなぜいけなかったのだろう?
 劇中劇と現代の場面の繋がりが見えにくく、気分的に納得しづらいものがあ
った。「なるほど過去と現代はここで結びつくのだな」というポイントが、な
いとは言わないけれども分かりにくい。イヤ、別に消防団が演じようが普段は
運送屋だろうがカラオケバーをやっていようが問題がある訳ではないのだが、
逆に言えば消防団じゃなくてもよかったし、兼業でなくてもいいのではないか。
(ついでに言えば、過疎といいつつ、こんなスーパーな肉体をもつ村人がいる
ならいいじゃないか、とも思った。それは言いっこなしですね)
 もちろん、消防団が出てきたのは本作がエネルギーの問題を扱っているから
だろう。だがそれは後からつけられた理屈程度の必然性で、絶対消防団でなき
ゃならない、とまでは言えないと思う。
 そもそものところを言えば、幕開きで、観客は消防団の訓練シーンを見せら
れる。演じ手はのっけから高い運動能力を遺憾なく発揮して、見る側の度肝を
抜く。この場面、身体パフォーマンスとしては立派なものだったと思うが、
「この人たち、誰?」「いったい何が始まったんだ?」という疑問は残る。当
然見せてもらえるだろうと思っていた龍の話がなかなか始まらないため、正直
ひどく長く感じた。
 観客にとって、「先を予測できない」ことと、「今どんな状況におかれてい
るのかが分からない」ことは違うと思う。作品世界に入り込むためのデータは、
早めに与えて欲しかった。こんなところから、見る側は冷めてしまうのです。
エエ。

 そしてもう一つ、原発の描かれ方がありがち過ぎると思う。
 村長は温暖化防止と村の経済発展のために放射性物質の最終処分場候補地に
応募したと語り、原発をさんざ持ち上げる。この持ち上げ方が、まずアヤシイ。
絶対後で何か起こるぞと思わせる。で、思った通り火災が起こり、人々が右往
左往するところで終わる。全然意外じゃない。むしろがっかりである。
 原発を受け入れる地方の現実のようなものが伝わらないのも、寓話なんだか
ら細かいことはいいんだ、といわれそうではあるが、社会問題を取り上げるか
らにはきちんと描いて欲しかったなと思う。

 さらにいえば(まだある)、蟠龍の物語は、
1 人生の意味について悩む西の蟠龍が、ネズミに欺されて海にたたき込まれ

2 人に生まれ変わった西の蟠龍が役者となり、人気欲しさに足を切り胴を切
り、最後は首ひとつになってしまう。挙げ句の果てに、東の蟠龍に食われて果
てる
という2つの話から成るが、これもまた「元は別物だった物語をあわせた」よ
うに思えた。
 確かに蟠龍はあまり利口ではなく、1や2のようなバカな真似をしそうでは
あるものの、1は2の伏線でも何でもなく、1から2にいたる流れが今ひとつ
分からなかったのである。ついでに、2の、役者の体のパーツが失われていく、
というのは三世澤村田之助がモチーフと思われるが、彼のもつ妖艶かつ陰惨な
イメージ(悪婆ものが得意、脱疽で四肢切断、精神を病んで33歳で死去etc)
と、やたら若々しく爽やかなこの舞台が重ならなかったことも指摘したい。い
くら面白いエピソードであっても、合わないものは合わないと思う。といって
しまっては身もフタもないか。
 1で蟠龍を欺したネズミは、2では龍之介を東の蟠龍に食わせてしまう弟子
の銀三として登場する。とはいえ、両者の繋がりもまた緩く、ゆえに悪役とし
てのインパクトに欠ける。というか、銀三は無茶な師匠に振り回された犠牲者
のように見えたのだが……

 ここまで書いてふと気づく。
 奉納芝居は「十二支の動物の中で、唯一龍だけがこの世に存在しないのはど
うしてか」というところから始まっていたのだ。
 悪賢いネズミに欺された蟠龍が人に化けた仲間を食らってしまい、神の怒り
を買ってこの世から追い出されてしまったのだという話が、村長の挨拶の中に
あった。思いだした。
 仲間を食ったのは東の蟠龍である。食われたのが西の蟠龍=龍之介である。
 だが、奉納芝居は西の蟠龍の視点で進む。東の蟠龍は声しか出てこない。
 これは東の蟠龍の話ではなかったのか、主役は一体誰なのか。
 こういった視点の混乱は意図的なものなのかもしれないが、少なくとも評者
は、物語への共感を大きく妨げられた。

 我ながら言いたい放題書いてしまったが、とどのつまりは「高度なものを見
たはずなのに、イマイチ楽しめなかった」ということである。残念な気持ちで
劇場を後にした。

【略歴】
 宮武葉子(みやたけ・ようこ)
 1968年、兵庫県生まれで東京育ち。慶應大学法学部&早稲田大学文学部卒。
前者では歌舞伎研究会、後者では早宝会(宝塚のサークルです)に入り、バラ
ンスを取ったつもりでいる。今のところ会社員。古典からアングラ、ミュージ
カルから翻訳劇まで、ジャンルを問わず何でも観るが、観たあとは突っ込まず
にいられない体質。2009年9月より「劇評を書くセミナー」に参加。

【上演記録】
(上記参照)
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「振り返る私の2009」年末回顧 今年の3本

 ゼロ年代最後の年もはや大詰め。ここ数日は冷え込みがぐんと厳しくなって
います。毎年恒例の年間回顧企画「振り返る私」をお送りします。現行のアン
ケート方式になって5回目。「記憶に残る今年の3本」を選び、2009年の小劇
場演劇とダンスに多様な光を当てようという試みです。掲載は到着順です。
(編集部)

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▽カトリヒデトシ(エムマッティーナ主宰)
HP「カトリヒデトシ.com」(準備中)

1.滑川五郎×鈴木シロー「図南の翼」(那須・なぱふぇす2009−水際たつ−)
2.KUNIO06「エンジェルス.イン.アメリカ−第1部 至福千年紀が近
づく」(京都)
3.第七劇場「班女/葵上」(北海道・紋別)
3.柿喰う客×三重県文化会館 スポーツ演劇『すこやか息子』 

 「いまここ」こそがライブの魅力だが、「その時そこ」へ体を運ばせる「期
待」という原動力がなければ観客は足を運ばない。
 サッカーやアイドルに負けない力が「演劇」にはあるだろうか。
 膨大な劇場があり、星の数ほどの作品が上演されている「東京」が演劇の中
心と思われがちだが、「優れた演劇」はどこにでもある。
 東京外演劇にこだわり、「新幹線や飛行機に乗る時から、演劇は始まってい
る」と期待で胸が熱くなる舞台を求めて、西へ東へ奔走した1年だった。そう
いう観客がいてもいいだろう。
 4本とも今どうしても立ち会わなくてはと足を運ばせ、観劇後今までの演劇
観が覆され、ショックで熱を出し寝込んでしまうような作品であった。
 年間観劇本数 450本(11月まで)


▽高木 登(演劇ユニット鵺的主宰・脚本家)
http://www.nueteki.org/

一、THE SHAMPOO HAT『沼袋十人斬り』
二、tsumazuki no ishi『トランスフォーム・ゴーホーム』
三、studio salt『あの日僕だけが見られなかった夜光虫について』

 今年も例によって数をこなせなかった。お恥ずかしいかぎりだが、そのなか
でも珠玉の三本を選んだ。一はただ「すごい」としか言いようのない傑作であ
る。不慮の公演休止によって観劇の機会を失った方々のためにも早々の再演を
期待する。二は感動的なまでのわけのわからなさに打たれた。語れない、語り
ようがないのに面白いというのは、もうそれだけで賞賛に値すると思う。三は
端正な演出もさることながら、戯曲の力こそが作品の源であることを再認識さ
せてくれた逸品である。見終えて猛然と執筆意欲をかき立てられた。これすな
わち秀作の証である。
 年間観劇本数 約50本


▽柳沢望(白鳥のめがね)
http://d.hatena.ne.jp/yanoz/

1.劇団どくんご「ただちに犬 Deluxe」
2.キレなかった14才りたーんず
3.ジエン社「コンプレックス・ドラゴンズ」

 劇団どくんごの舞台は無条件ですばらしかった。どくんごをこそ演劇の基準
とすべきだ。良心ある観客は、最低限どくんごだけは見逃さないようにしてお
けばそれで十分だろう。あとは趣味の問題だ。りたーんずは個々の作品でなく
フェスティバルの全体をひとつの演劇作品として評価したい。演劇史的な画期
となりえるイベントだった。その趣旨はワンダーランドに書いた。ジエン社は、
現代口語演劇のENDをその限界の内で示したことが、ある時代の驥尾を飾った
ということを、ここに演劇史的に印付けておきたい。その未熟さも含めて、あ
えてここに名前を晒しておこう。だが、期待すべきことは何もない。あとの優
劣は解きがたい趣味の問題だ。
 年間観劇本数 約50本


▽藤原央登(『現在形の批評』主宰)
http://plaza.rakuten.co.jp/playplace83/

1.地点 『あたしちゃん、行く先を言って-太田省吾全テクストより-行程1』 
2.青年団リンク ままごと 『わが星』
3.唐組 『盲動犬』
 
 容易には手の届かぬところへ。どこまでも遠くへ。そのために身の丈以上の
ものを常に志向する。だがまずは、自らの立ち位置を冷静に見つめ、受容する
ことから始めなければならない。
 そうでないと、次なる一歩を踏み出す先が分からないばかりか、その累積が
生み出す思わぬ飛躍など望むべくもないからだ。受苦的積極性。
 どこまでも飛躍せんがため、地に足の着いた現実的思考を踏まえた作品を中
心に選んだ。
 
 故太田省吾の孤高の実践を引き継ごうとする地点。いつくかの試作を踏まえ
ていよいよ東京公演だ。地球と惑星の途方もない距離を人と人の間のアナロジ
ーに見立てた青年団リンクままごとは、現代のファンタジーとして秀逸だった。
73年初演の『盲導犬』は、全盲の人間と盲導犬の関係が行き先不明の我々の似
姿として突き刺さる。作品の色あせない強度を存分に感じさせた。


▽矢野靖人(Theate Company shelf 代表、演出家・プロデューサー)
個人ブログ http://ysht.org

1.SPAC 、静岡県文化財団 オペラ『椿姫』(飯森範親/指揮、鈴木忠志/
演出、振付/金森穣)
2.SPAC『転校生』 (平田オリザ/作、飴屋法水/演出)
3.SCOT Summer Season 2009、アティス・シアター 『アイアス』 (作/ソ
フォクレス、演出/テオドロス・テルゾプロス)

1.には小劇場作品ではないが、どうしても鈴木忠志演出の新作オペラ『椿姫』
を挙げたい。最高の観劇体験だった。“総合芸術”とはこういうことをいうの
だ。鈴木演出は今や演劇よりもオペラのほうがハマっているのではないかとさ
え思った。2.3.は同位。2.には、飴屋法水の復活という“事件”に立ち会
うことの出来たSPAC『転校生』の、二度とあり得ないであろう奇跡的な再演を。
3.は、同じく再演でありながらこちらは再演の度に新たな発見をさせてくれ
るテオドロスの『アイアス』を。徹底して無駄が削ぎ落とされたストイックで
ミニマルな装置と演出でありながら、その圧倒的な演劇的強度。利賀の野外の
闇の深さが忘れられない。
 年間観劇本数 69本


▽詩森ろば(風琴工房)

1.「わが星」 ままごと
2.「転校生」 飴屋法水 演出
3.「昏睡」 青年団若手企画

素晴らしい作品に多く出会った2009年でした。3つ選ぶのが難しいのは幸福な
ことです。多くの方が挙げるでしょうが、見たこともない新しい感性で、普遍
を鮮やかに切り取った「わが星」を素直に筆頭に挙げたいです。そして、こん
なにも曖昧な命を私もまた必死で生きているのだということを叩きつけられた
「転校生」。エロスとタナトスという使い古された言葉が俳優の身体を通じて
立ち上り、こんなにもそれに飢えていた、と気づかせてくれた「昏睡」。どれ
も劇場を出たあとも家に辿り着いたあとさえも、そして今これを書いていると
きも、鮮やかに輝きつづける観劇体験でした。その他にはまた新しい扉を開い
たTHESHAMPOO HAT 「沼袋十人切り」、丁寧な劇作に好感をもったサスペンデッ
ズ「夜と霧のミュンヒハウゼン」、俳優ふたりの演技に釘付けだった燐光群
「BUG」、リミニプロトコルの春と秋の2本が印象に残りました。
 年間観劇本数 85本


▽谷賢一(DULL-COLORED POP主宰、新宿タイニイアリスプロデューサー)
個人ブログPLAYNOTE http://www.playnote.net/

1.パスカル・ランベール作・演出『演劇という芸術』『自分のこの手で』
2.サンプル『あの人の世界』
3.該当作なし

自分の脳味噌が衰弱しているのか現代演劇がマンネリ化しているのか、過去の
手法の焼き直しが目立ち、目ん玉飛び出るエクスタシーが感じられなかった一
年。
そんな中でアゴラが招聘したフランス人演出家パスカル・ランベールの2作品
はテキストの詩情性といいセクシーで危うい身体表現の美しさといい出色。
サンプル作品は『伝記』『通過』『あの人の世界』いずれも素晴らしく、松井
周という異才の美学とフェチズムがもはや安定感すら漂わせる昇華を見せた一
年。
次点は柿喰う客『悪趣味』、五反田団『生きているものか』、青☆組『午后は
すっかり雪』、イキウメ『関数ドミノ』、チェリーブロッサムハイスクール
『愛妻は荒野を目指す』。
いずれもここまでのキャリアを総括する完成度を持った作品群でビートルズで
言えば『Help!』に当たる傑作だが、新たな革新を予感させる『Rubber Soul』
や『Revolver』、『Sgt. Peppr's〜』ではなかったため次点とした。
 年間観劇本数 120本前後


▽因幡屋きよ子(因幡屋通信/因幡屋ぶろぐ主宰)
http://inabaya-k.mo-blog.jp/inabayakmoblogjp/

心に残った舞台は以下の作品です(上演順)。
1,elePHANTMoon公演 マキタカズオミ作・演出『成れの果て』
2,ミナモザ公演 瀬戸山美咲作・演出『エモーショナルレイバー』 
3,こまつ座&ホリプロ共催 井上ひさし作 栗山民也演出 小曽根真音楽『組
曲虐殺』

後味最悪の結末が逆に快感になった『成れの果て』、微妙だが着実な作者の歩
みが嬉しかった『エモーショナルレイバー』、絶望から希望につながる道を開
いてくれた『組曲虐殺』に出会えた幸運に感謝する。反面、とても丁寧に作ら
れているのに、どうしてこの題材を選んだのか、何を描こうとしたのかが伝わ
ってこないものが少なからずあった。何かが足らない、どうにも違う。そうい
うときこそ自分の心の奥底の声に耳を澄ませ、ひとことでもいい、言葉にした
い。みているのは目の前の舞台だけではなく、過去に理解できなかった舞台を
読み説く思いがけない手がかりや、これから出会う舞台への備えを与えられる
可能性があるのだから。
 年間観劇本数 12月27日までに99本を予定


▽高野しのぶ(現代演劇ウォッチャー/「しのぶの演劇レビュー」主宰)
http://www.shinobu-review.jp/

1.サスペンデッズ『片手の鳴る音』(作・演出:早船聡)
2.モモンガ・コンプレックス『初めまして、おひさしぶり。』(構成・振付
・演出:白神ももこ)
3.渡辺源四郎商店『ココロとカラダで考える差別といじめ-7日で作る「河
童」-』(作・演出:畑澤聖悟)
 (上演順)

 シアタートラム・ネクストジェネレーション、F/T09春&秋、キレなかった
14才 りたーんず、SPAC春の芸術祭、東京芸術劇場・芸劇eyes(開催順)など、
フェスティバル形式で若手および先鋭作品を紹介する企画が充実していた。今
年の3本は敢えてそれら以外から選出。ストレート・プレイ、ダンス、ワーク
ショップ発表会と多彩になったのは、作り手と観客との関わり方がより自由で
幅広くなったのを実感したからだと思う。
 2009年は『四色の色鉛筆があれば』『わが星』を作・演出した柴幸男(まま
ごと)の活躍なしには語れない。来年も新世代のアーティストが、舞台芸術と
社会との新しいつながり方を示してくれる気がする。
 (注)今年の3本は客席数300席以下の小劇場公演から選出。3作品の並び
は上演順。
  年間観劇本数 289本の予定(2009/12/18時点)。


▽谷杉精一(グラフィック・デザイナー)
1.「声紋都市」マレビトの会
2.「4.48サイコシス」演出:飴屋法水
3.「フォト・ロマンス」演出:ラビア・ムルエ、リナ・サーネー
(次点として)4. 「個室都市 東京」Port B

って、気がつけばF/Tのプログラムばかり。
1と2は極めて私的な物語から普遍的な場所を照射することに成功した作品。
1は「痛み」としか表現できないサラ・ケインのけっしていい出来とは思えな
い戯曲を飴屋が多様なイメージ・解釈を想起させる作品に。これは本当に驚い
た。
3と4は政治的な場所から「私」の場所を見つけることに成功した作品。出来
自体はビミョーだが可能性を感じる。
4本に共通して感じるのは難解な事をやっているかに見えながらちゃんと大向
こう受けを狙ってるギリギリの下世話具合。その匙加減の絶妙さ。
泣いたり笑ったりする良くできた演劇にはもう興味はない。と、はっきり自覚
でき意味のある2009年だった。2010年はモアベターよっ!(と、しておく)
 年間観劇本数 95本


▽片山幹生(早稲田大学非常勤講師)
主宰ブログ「楽観的に絶望する」http://d.hatena.ne.jp/camin/

1.リミニ・プロトコル「カーゴ 東京─横浜」
2.ゴキブリ・コンビーナート「にぎやか動物横丁」
3.シアター・トライアングル「Four Seasons」

 リミニ・プロトコルの公演では、綿密な取材によって得られた素材が巧みに
構成されることで、散文的な日常が発見の喜びに満ちた奥行きの深い劇的世界
へと変貌する。ゴキコンは強烈な独創性と過激な娯楽性で常に楽しませてくれ
る。「にぎやか」ではタイニイ・アリスに本物の動物が何匹も投入されて、劇
場は狂騒の坩堝と化した。シアター・トライアングルは、パントマイム演者、
ピアノ奏者、人形劇操者の三名のユニット。大小様々な三角形を使って日本の
四季が象徴的に再現された。三者の異なる属性がたぐいまれな調和を生み出し
た美しい舞台だった。ファミリー向け公演だったが、一般の演劇ファンにもこ
ういう世界の存在を知って欲しい。
 年間観劇本数 約100本


▽桜井圭介(ダンス批評、「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザー)

・チェルフィッチュ「ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨 拶」
(※ベルリン公演へ向けての日本での最終通しリハを観ました。)
・ままごと「わが星」
・篠田千明「アントン、猫、クリ」

innovativeな果実。ホントは飴屋法水「顔に味噌」、Line京急「吉行和子ダブ
ver.」、いとうせいこうfeat. 康本雅子 with Dub Master X「Voices」、捩子
ぴじん「syzygy」、矢内原美邦「青ノ鳥」なども挙げたいが手前味噌になるの
で。さらにホントのホントを言えば今年は□□□「Everyday is a Symphony」
がマイ・ベスト。CDアルバムだけどw
 年間観劇本数 約120本(記録を取ってないのでよくわかりません)


▽山田ちよ(演劇ライター)
サイト「a uno a uno」 http://cjyamada.hp.infoseek.co.jp/

1. 庭劇団ペニノ「太陽と下着の見える町」
2. 桜美林大学プルヌスホールプロデュース 群読音楽劇「銀河鉄道の夜2009」
3. ミズノオト・シアターカンパニーPLUS「枝わかれの青い庭で」

 「太陽と下着の見える町」に出演した笹野鈴々音の舞台は、10年ぐらい前か
ら見ている。今回は天使とか妖精のような、人ではない存在を演じた。笹野の
声質のもつ透明感のようなものを大切にしながら語ったせいか、タニノのせり
ふで笹野の声の魅力が生かされた、と感じた。群読音楽劇「銀河鉄道の夜」は
3回目となる今年、初めて見た。オーディションで選ばれた学生や一般市民な
ど20数名が出演、その渦の中から、脚本・演出の能祖将夫の描きたいものがく
っきりと浮かび上がった。「枝わかれの青い庭で」は、美術館のレクチャーホ
ールという演劇には不向きな空間が、リアルなシンポジウムの場面に使われた
結果、逆に舞台効果を高めたことに感激した。
 年間観劇本数 150本


▽飯塚数人(人形劇研究家)
個人ブログ「聖なるブログ 闘いうどんを啜れ」http://oudon.at.webry.info/

 国内劇
1毛皮族「社会派すけべい」
2悪い芝居「嘘ツキ、号泣」
3売込隊ビーム「星が降り、夜が来て」

 海外劇
1ロメオ・カステルッチ演出「Hey Girl!」
2ブロードウェイミュージカル「CHICAGO」
3ゲイル・ラジョーイ無言劇「スノーフレーク」

 個個の感想は聖なるブログをご参照下さい。
 年間観劇本数 40本ぐらい
 
 
▽杵渕里果(テレアポ)

◇『田園に死す』原作:寺山修司  演出:天野天街
◇南河内万歳一座『S高原から』作:平田オリザ 演出:内藤裕敬
◇ピーピング・トム『Le Sous Sol/土の下』

<放課後、私は階段に腰掛けていた。階段の窓からは、雁が帰ってゆくのが見
えた…私は、たぶん二度死ぬのである>、「誰が故郷を想はざる」読むそばよ
り舞台二重写し。<私は一生かくれんぼの鬼になって、彼らとの時間の差をち
ぢめようと追いかけつづける>、幽鬼寺山をジャックしたか天野天街。死ぬの
かしら、どうかいな、わからへんがなん〜なこと。南河内万歳一座、期せずし
て平田オリザ換骨奪胎、アゴラに夏日のうだる黄泉。ほか何みた今年も暮れる。
木の根張る地底の穴ぐら、土まみれ跳ね繰る白人の男か、二匹、シデ虫。ベル
ギーのダンス『Le Sous Sol/土の下』は、遥か二月。薔薇の花束、喪服の老嬢。
記憶から音は消え。
 年間観劇本数 22本


▽鈴木アツト(劇団印象-indian elephant- 劇作家・演出家)
個人ブログ「ゾウの猿芝居」http://www.inzou.com/blog/

1.「春琴」(再演)
2.シス・カンパニー「楽屋」
3.快楽のまばたき「星の王子さま」

 1には、昨年の初演にも衝撃を受けたが、今年のほうがさらにおもしろかっ
た。2時間の上演時間の間、出演者全員休むことなく、小道具大道具を動かし、
何役も演じるのに見慣れてくると、他の芝居の役者が何かをさぼってるように
見える。役を演じる者ではなく、人で非ず優れているもの(つまり、ある時は
物にさえなれる者?)。俳優の仕事とは何かを改めて考えませんか?
 2は、キャスティング、特に蒼井優が素晴らしかったです。
 3は、終幕のこだわりのなさが残念。しかし、その不完全さが僕に虚構とは
何か?幻想とは何か?大人が見る夢とは何か?を考えさせるきっかけをくれま
した。
 次点に、イ・ユンテク演出の「授業」(作・イヨネスコ)。
 年間観劇本数 80本程度


▽三橋 曉(ミステリ・コラムニスト)
「a piece of cake!」http://d.hatena.ne.jp/apismellifera/

1.山の手事情社「drill」
2.サスペンデッズ「夜と昼のミュンヒハウゼン」
3.DULL-COLORED POP「プルーフ/証明(Reprise)」

順位ではなく、観た順です。山の手といえば古典だが、こんなに面白いんだっ
たら、「もっと現代ものも見せろ」と言いたくなる1。劇場に一歩足を踏み
入れた途端、まんまと作者の劇世界へと連れ去られてしまった2。そして、
やっとアンコール上演をキャッチし、神がかり的な舞台と接することができた
3。もちろん、心を揺さぶられたり、底抜けに楽しかった舞台は、まだまだ沢
山あって、ここに書ききれないのが実にもどかしい。若手では、ナカゴーやカ
ムヰヤッセンを見つけたのが収穫。関西からやってきた悪い芝居も面白い存在
で、舞台は荒削りだが、吉川莉早の存在感に目を奪われた。中堅どころのハイ
バイや五反田団の大きな飛躍も印象に残った一年でした。
 年間観劇本数 150本前後


▽高木龍尋

・MONO「床下のほら吹き男」
・空晴「いってきますの、あと」
・売込隊ビーム「徹底的に手足」

 どうやら今年の私は「家」というものに意識が向いているようである。「家
族」と言ってもいいのであろうが、縁ある者がひとつ屋根の下に暮らすその場。
MONOと空晴の作品はともに「家」が舞台であった。MONOの公演では家に発見さ
れた秘密の空間が暴かれるとともに家族の秘密が次々と暴かれ、空晴の公演で
は家という場から離れていった家族の存在=不在が家にいる家族に強い繋がり
を確認させていた。どの「家」にもありそうだが、舞台の上に十分なリアリテ
ィと技術のよって展開されると、いい意味でも悪い意味でもゾッとする。最後
に挙げた売込隊ビームの公演は全く空想的な作品なのだが、そこに提示された
「国家」の意思のリアリティにゾッとした。と、「家」に意識が向かった今年
の私に素直に従ってこの3本としたい。
 年間観劇本数 約60本ほど


▽堤広志(舞台評論家)

1. ロメオ・カステルッチ演出『Hey Girl!』および「神曲3部作(地獄篇・煉
獄篇・天国篇)」
2. Shizuoka春の芸術祭2009/ナンギャール・クートゥーの至芸(ゴーパル・
ヴェヌ演出/カピラ・ヴェヌ主演) 『半人半獅子ヴィシュヌ神』
3. カンパニー マリー・シュイナール  『オルフェウス&エウリディケ』

以下は、4.「オーストリアダンス、パフォーマンス」2本立公演(松根みちかず
&デーヴィットすばる『ワンアワー スタンディングフォー』、リキッドロフト
『ランニング・スシ/回転寿司』)、5.toi『四色の色鉛筆があれば』、6.梅田
宏明新作横浜公演、7.ピエール・リガル『プ・レ・ス』、8.平田オリザ作・飴
屋法水演出『転校生』、9.ヤン・ファーブル『寛容のオルギア』、10.世紀當
代舞團&矢内原美邦『Chocolate,APAF2009 version』。昨年のベジャールに続
き、今年はピナ・バウシュ、カニングハム、マイケル・ジャクソンや森繁久彌
の死で一つの時代の終焉を感じた年でした。世界同時不況の中、朝日舞台芸術
賞やトヨタアワードも打ち切りが決まり、政権交代で事業仕分けと、企業・行
政・芸術文化のすべてが刷新を迫られていると思います。舞台ではダイナミズ
ムを奪還するようにボーダレスなコラボや無茶ぶり的な製作がなされています
が、小劇場のヒットほど中・大劇場には決定打がない。そこが問題だと思いま
す。
 年間観劇本数 329本(年内予定338本)


▽竹重伸一(舞踊批評)

・OM-2「作品No.6―LIVING!)―」
・上杉満代「ベイビーメランコリア夢六夜―夢三夜―」
・大駱駝艦壺中天公演 村松卓也「穴」
(観劇順)

 結局今年も去年と同じようにダンスのグループ作品、ソロ作品、演劇作品と
いう妙にバランスの良い組み合わせになってしまった。OM-2の作品ではテキス
トを書いた佐々木治巳の抽象的で乾いた感性がこの劇団の情念への過剰な傾斜
を上手くコントロールして、ロメオ・カステルッチが描いた以上の現代の地獄
を舞台上に出現させた。上杉満代はテルプシコールでの6回連続公演の試み自
体がダンス史に残る壮挙だが、中でもテキストと舞踏の新たなコラボレーショ
ンの実験を試みた3回目の公演が強く印象に残る。「穴」のラスト、自分の個
人史に関わる雑多なモノを全身にぶら下げてふらふらと踊り続ける村松卓也の
肉体は、現代を生きる我々一人一人の生に潜む欲望と悲惨を滑稽な美しさを伴
って見事に浮かび上がらせていた。
 年間観劇本数 150本程度


▽スズキマサミ(カメラマン、デザイナー)
「見聞写照記」http://kenbunsyasyouki.blog98.fc2.com/
「藝能往來」http://geinou-ourai.com/

1 錦秋特別公演「芯」(中村勘太郎・七之助、高橋竹童、林英哲)
http://www.zen-a.co.jp/kinshu/

 面白い作品にも沢山出会えたが、興奮した作品となるとこの一作のみ。舞踊
と和太鼓と津軽三味線のコラボレーション。それぞれの心技体を持ち寄り全く
新しい物をイチから作るという、正しい藝への取り組みが正しく結晶した作品
だった。これは古典藝能とは言えない。これこそコンテンポラリー(現代)ダ
ンス(舞踊)だ。
 今年は沢山観た。もっと観たかったが体力と財力が追いつかなかった。そし
て自分にとって必要な舞台と、ちょっと違うぞ、もういいや、という舞台の選
別も出来た。来年はゆっくりじっくり観よう。でないと破産する〜(泣)。
 年間観劇本数 演劇70作、ダンス・舞踏26作、演芸・話芸38作。


▽鈴木励磁

「キレなかった14才 りたーんず」
時間堂「smallworld’send」
黒田育世『矢印と鎖』

表現行為が人と人とを繋ぐ力は計り知れない。「りたーんず」という現象は、
演出家や俳優や技術者や制作者が結びつくのを何年早めたろうか。演劇は踏
み込んでこそ実りを味わえる。逃したって人にも「りたーんず」の実りは白
神×神里のユニット鰰(はたはた)のみならず、あちこちでお裾分けがある
はずだ。
王子スタジオでの時間堂の試演の場には、なんと近所の小学生が遊びに来てい
た。彼女たちは本公演にも! 観ていたのは『奴隷の島』!!
一昨年福岡でのWSで黒田育世と空間再生事業の菊沢将憲が繋がり、派生する
ような極上の作品が観られたのも嬉しいことだった。
劇場という場や舞台表現という装置が人と人を繋ぐのは、幸せなことである。


▽徳永京子(演劇ジャーナリスト)

1. シアターコクーン『雨の夏、三十人のジュリエットが還って来た。』
2. ままごと『わが星』
3. 埼玉県障害者アートフェスティバル 近藤良平と障害者によるダンス公演
『突然の、何が起こるかわからない』

単に素直でないだけですが、劇場の客席で泣くことに強い抵抗があります。く
だらないこだわりですが、もし泣いてしまっても客電が着いて席を立つ時には
その痕跡は消す、と決めています。が、そんな見栄とか意地とか理性とかをス
ルスルッと突き破って、とても深いところにある単純で大切な感覚をわしづか
みにされた3作を選びました。『雨の夏』は、元歌劇団のスターを通して、誠
実に全力で老いていくこと(老いたことをいかに忘れ、同時にいかに自覚するか)
を厳しく問われ。『わが星』は私がとっくに失ってしまった“誰かに必死に手
を延ばす”感覚をまっさらな状態で見せられ。『突然の、』は、出演者があん
なに幸せそうなカーテンコールに初めて出合って。いずれも頭と涙腺に大きな
一撃を受けました。
 年間観劇本数 220本


▽山下治城(映像プロデューサー・ブログ「haruharuy劇場」主宰)
http://haruharuy.exblog.jp/

1.フェスティバル/トーキョー プロデュース「転校生」(@東京芸術劇場
中ホール)
2.フェスティバル/トーキョー BATIK「花は流れて時は固まる」(@に
しすがも創造舎)
3.二騎の会「一月三日、木村家の人々」(@こまばアゴラ劇場)

今年の演劇のトピックスは、フェスティバル/トーキョーが春と秋の二回、大
々的に行われたことだろう。そして、その中の公演がベスト1,2に入ってい
る。それ以外にも刺激的な舞台が多く、とても楽しめるものだった。また、池
袋芸術劇場の芸術監督に野田秀樹が就任。池袋の演劇状況が俄然面白くなった。
これからは、公共ホールが主体となって日本の演劇環境をさらに多様で深いも
のして行けば、と思う。ベスト3は、二騎の会、青年団から出てきた多くの作
家や演出家がどんどん育ってきており、今後ますます目を離せない状況が続く
だろう。こうして、公共性の強いスタイルで作られた演劇が人の中に深く入り
込む。平田オリザさんには、是非、行政の方からも後押しを頂き、この国がさ
らなる文化芸術の国になっていくことを希望します。文化芸術は、生きていく
ことに本当に必要なものの一つと信じている。
 年間観劇本数 138本(12月20日現在)


▽中西理(演劇舞踊評論)
「中西理の大阪日記」http://d.hatena.ne.jp/simokitazawa/

1.ミクニヤナイハラプロジェクト「五人姉妹」(吉祥寺シアター)
2.ロマンチカ・横町慶子SOLOACT VOL.1「かわうそ」(原宿ラフォーレ)
3.SPAC「夜叉ケ池」(静岡芸術劇場)

 ミクニヤナイハラプロジェクトは新作「五人姉妹」とNHK企画で再演の「青ノ
鳥」とベストアクト級の舞台が2本。チェルフィッチュ、ポツドールに次を感
じさせる新作がなかった今年。やはり「いまが旬」をもっとも感じさせたのは
ニブロールの矢内原美邦によるミクニヤナイハラプロジェクトであった。
  一方、ベテラン健在を感じさせたのが横町慶子SOLO ACT VOL.1「かわう
そ」によるロマンチカの復活劇。レビュー的な公演はとびとびでやっていたけ
れど、ちゃんと筋立てがある演劇といっていい公演はいつ以来だろう。しかも、
SOLO ACT VOL.1ってわざわざ銘打っているってことは次もあるということです
よね。SPAC「夜叉ケ池」も魅力的な新ヒロイン、たきいみきを擁して泉鏡花を
「崖の上のポニョ」にした宮城演出に脱帽。
 年間観劇本数 220本


▽大泉尚子(ライター)

1.F/T春「火の顔」
2.ミクニヤナイハラプロジェクトvol.4「五人姉妹」
3.F/T秋 Port B「個室都市 東京」

家族の話はもううんざり…と思いつつ、上位2本はその物語。粉々に砕け散る
ものを見せることで、それらをつないでいた靭帯のごときものを幻視させた。
とりわけ「火の顔」では悲惨とも壮絶とも言える結末が、突き抜けるような痛
快さにも転化し得ることに、驚きを禁じえなかった。家族や非家族が生きる
〈街〉を描いた「個室都市 東京」。個室ビデオ店はチープな佇まいで、人や
土地の物語を奇妙なほどいきいきとさせる。番外のF/T春「blueLion」でも、
動物や人間の家族がモチーフとなり、ダンスの色彩感を豊かなものにした。
F/T秋 グルーポ・ヂ・フーア「H3」の圧倒的な加速感、東京デスロック「その
人を知らず」の強い圧力感も忘れ難い。
 年間観劇本数 120本


▽田口アヤコ(演劇ユニットCOLLOL主宰/演出家/劇作家/女優)
blog『田口アヤコ 毎日のこまごましたものたち』http://taguchiayako.jugem.jp

・フェスティバル/トーキョー09秋『4.48サイコシス』演出:飴屋法水

「今年の3本」に挙げるのは、1本のみとさせていただきます。Shizuoka春の芸
術祭2009の『じゃじゃ馬ならし』(トネールフループ・アムステルダム @静
岡芸術劇場)がとても良かったのですが、日本、という国で制作された作品に
こだわりたい。現代日本、に興味があります。よい俳優(ダンサー・パフォー
マー)の演技はいろいろと見ることができ、幸福でした。potalive『百軒のミ
セ』企画内の、伊東沙保による「クロージングアクト」を今年の名演として記
しておきたいと思います。フェスティバル・トーキョー、Shizuoka春の芸術祭
などの大規模のものに限らず、「演劇祭」というものの流れに、今後とも注目
します。
 年間観劇本数 73本


▽田中綾乃(哲学研究・演劇批評)

リミニ・プロトコル『Cargo Tokyo - Yokohama』
劇団SCOT『廃屋長屋のカチカチ山』
『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』

 今年は秋以降、日々流れ去る生活の中で、一週間前に観た芝居さえ、もうど
んな芝居だったか思い出せないぐらい。しかしその中でも確実に私の記憶に残
る芝居がある。記憶に残る芝居の特徴を一言で示すならば、それは<劇的>な
るもの。上記の3本は、どれも私にとって<劇的>だった。
 リミニは、トラックでの移動型演劇ということだけですでに<劇的>なのだ
が、それだけではなく、これまで何気なく見ていた東京や横浜の風景が、全く
違う世界として立ち現れる、という貴重な体験をした。その世界観の呈示、演
劇的趣向のこだわりに深い感銘を受けた。
 『廃屋長屋』は、雨が降りしきる利賀の野外劇場で、現代社会の闇を祝祭的
な手法で描いた作品。鈴木忠志にしかできない大作である。
 一方、蜷川演出の『雨の夏』は、鳳蘭という存在そのものが強烈に<劇的>
だった。20年以上前の清水邦夫の戯曲が、宝塚の元スター達によって現代劇と
して蘇った希有な作品。
 年間観劇本数 163本


▽玉山悟(王子小劇場代表)

1(ロロ)「いつだっておかしいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校」
2(ナカゴー)「短篇4本だて公演『山など』の中の『告白』」
3(バナナ学園純情乙女組)「PRIFIX3」全プログラム終了後のおまけプログラム
「帰りのホームルーム」

あげた3本はみたあとに得体の知れない高揚感に包まれた、幸福を感じた作品。
それ以外の印象に残った作品はパラドックス定数の「東京裁判」、劇団ガソリ
ーナの「秘密のアッコちゃん」、演劇企画集団London PANDAの「君の顔をうま
く思い出せない」、spacenoidの「Goodwill」といったあたり。今年もよくみ
た。意識して話題作はみないようにしてたくさんみた。いま注目している若手
はロロの三浦、ナカゴーの鎌田、シンクロ少女の那嘉、PLAT-formanceの岡、
範中遊泳の山本、国分寺大人倶楽部の河西といったあたり。グリーンとか明石
とか早稲田とか新宿あたりとかの移動しやすいとこで多くみてる。
 年間観劇本数 200から300のあいだ


▽山内哲夫(100字レヴュー)
http://d.hatena.ne.jp/review100ji/

青年団リンク・ままごと「わが星」
Project Natter(脚本:別役実、演出:ペーター・ゲスナー)「赤色エレジー」 
モモンガコンプレックス「初めまして、おひさしぶり。」

82年組に感服の1年。GW企画もよかったが、柴幸男の活躍が目立った。toi
名義の「四色の色鉛筆があれば」も素晴らしく、カニクラ作もヒット。また、
モモコンの台頭も嬉しい限り。期待のカンパニーだっただけに自然分解の危機
を乗り越えての最前線登場は喜ばしい。神里雄大もりたーんずでは持ち味出し、
公園に連れ出した朝公演もさすがに面白かった。ベテラン勢では飴屋法水の復
活、というより多作ぶりが目立った。特に「転校生」と吾妻橋作品は持ち味を
発揮し興奮した。また、下北沢の復活も印象的。うずめのペーター・ゲスナー
が70年代を舞台上に復元した「赤色エレジー」の質感にも圧倒された。年末は
「田園に死す」のラストに尽きた。
 年間観劇本数 250本程度(ダンス公演含む)


▽ハセガワアユム(劇作・演出家、MU主宰、プロデュー サー、俳優・ナレーター)
MU公式サイト
「MU」http://www.mu-web.net/
レビューサイト
「MUの裏側」http://mucolumn.blogspot.com

1.ミナモザ『エモーショナルレイバー』
2. 該当無し
3. 該当無し

 振り込め詐欺の裏側をマンションの一室で描く会話劇。フライヤーの藤沢と
おるの漫画のように、台詞はフキダシの如く細かく繊細、なのに舞台上では大
胆な異人種交流が行われる。ギャル、ネカフェ難民、元高学歴、自意識過剰系
の地味な女など、接点が無いだろう人種が「犯罪」で繋がることで、彼らが自
分の「セカイ」に居ただけでは起こりえない会話が生まれる。演劇村では擁護
されることが多い「自分探してます」的なネカフェ難民を、ギャルが「この人
の話つまんなーい」と一言で砕くエッジってすごいじゃん。演劇村崩壊だけど、
それがリアル。しかもこのギャルが「男達は銃の代わりに携帯電話を持って戦
争をしている」と「セカイ」を越えて「世界」まで踏み込んで来てキリキリす
る。年一回のスローペースなので未見の方も多いだろうが、だからこそ僕は推
す。いまだに自意識が蔓延する「セカイ」的な演劇が多い中、「世界」の夜明
けを感じる。この光に馴れないと。
 年間観劇本数 50本


▽北嶋孝(ワンダーランド編集発行人)

1.「キレなかった14才 りたーんず」(6人の演出家による連続上演)
http://www.komaba-agora.com/line_up/2009_04/kr14.html
2.フェスティバル・トーキョー09春「転校生」(平田オリザ作、飴屋法水演出)
http://festival-tokyo.jp/09sp/program/transfer/
3.渡辺源四郎商店「どんとゆけ」
http://xbb.jp/wgs/dontoyuke/index.html

 「キレなかった14才 りたーんず」は企画が日ごとに膨らみ、参加者の裾野
も広がる自主自発、創意発展のひな形バージョン。この企画全体が劇場であり
舞台であり作品だったと言っていいだろう。特に「14歳の国」の杉原邦生演出
には新鮮な強度を感じた。
 「転校生」は飴屋演出の切れ味もさることながら、最初に彼を引き出した
SPACの宮城聡芸術監督、再演を企画した相馬千秋FTプログラムディレクターの
「発見」が光る。
 柴幸男、神里雄大の作品や劇団堀出者の公演も記憶に残るが、最後の枠に小
細工なしの「どんとゆけ」を選んだ。東京公演は昨秋だが、今年2月に広島公
演、12月にNHKBSで放映された。軽い言葉と華奢な論議に決着を迫る凄みの一
作。
 年間観劇本数 約150本



▽水牛健太郎(ワンダーランド編集長)

南河内万歳一座「S高原から」
BATIK「花は流れて時は固まる」
(観劇順)

演劇との縁は深まり、毎日何かしら演劇に関することをしているのに、観劇本
数は減り、そして不機嫌な観客になったような気がする。「うれしい」「楽し
い」ことが減り、「苦しい」そして何より「眠い」ことが増えた。そうした中
で文句なく見る楽しさ、興奮を味わわせてくれた作品を選んだ。
 年間観劇本数 約50本

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 連載【レクチャー三昧】第71回 シアターX(カイ)

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 ふとシアターX(カイ)のウェブサイトを見て、どわっ、と思いました。
なかなかインパクトあるトップページです。壁紙にしたら、PCを立ち上げる
のが楽しくなるかもしれません。http://www.theaterx.jp/
(高橋楓)

*無料でも予約が必要なことがございます。必ずウェブサイトでご確認下さい。
*各情報の真偽・変更・取消・思想信条背景等につき一切の責任を負いません。
各自ご確認の上お越しください。
*【レクチャー三昧】カレンダー版(ウェブサイト)もご活用下さい。
ただし、当「マガジン・ワンダーランド」でお知らせした催しが全て転載され
ているわけではありません。
http://www.wonderlands.jp/info/lectures.html


▽上海話劇の現状
2009年12月24日(木)14:00〜16:00 
早稲田大学早稲田キャンパス6号館318教室(レクチャールーム) 
日本語通訳有
無料、予約不要
講師は喩 栄軍氏(上海話劇芸術センター・脚本家)、飯塚容氏(中央大学教
授・GCOE研究協力者)、中尾薫氏(早稲田大学演劇博物館助手・GCOE研究員)
http://www.enpaku.jp/event/host/event20091224.html

▽平成21年度国際民俗芸能フェスティバル
2010年2月9日(火)12:00開演、2月10日(水)18:30開演
(両日同一プログラム)
新国立劇場中劇場
文化庁主催
無料、要申込(往復はがき)、申込締切2010年1月15日(金)消印有効
演目は、エストニア共和国「キフヌ島の歌と踊り」、タイ王国「タイ東北部の
モーラム」、宮城県仙台市「秋保の田植踊」、奈良県奈良市「田原の祭文」、
愛媛県今治市「高部の獅子舞」
http://www.jfpaa.jp/

▽フェアユース規定を巡る課題と展望
 JASRAC連続公開寄附講座「著作権法特殊講義」第6回
2009年12月19日(土) 13:00〜14:30 
早稲田大学早稲田キャンパス8号館-B107教室(予定) 
無料、要申込
講師は 椙山敬士氏(弁護士) 、平嶋竜太氏(筑波大学大学院ビジネス科学研究
科准教授)
ご参考URL:http://www.globalcoe-waseda-law-commerce.org/rclip/reservation/kifukouza_form.html

▽参加型演劇フオーラムシアター2009「これって、ハラスメント?」 
2010年1月14日(木) 16:30〜18:00 
早稲田大学戸山キャンパス学生会館地下2階 多目的ホール 
無料
ご参考URL:http://www.waseda.jp/stop/event/Forum_Theater2009.html

▽アイルランド伝統音楽入門
2010年1月14日(木) 16:30〜18:00 
早稲田大学戸山キャンパス36号館演劇映像実習室 
無料、予約不要
講師は守安功氏(アイルランド伝統音楽演奏者) 
http://waseda-events.jp/?y=2010&m=01&d=14

▽歴史的ストックの活用のいま
2010年1月16日(土)13:30〜16:30(13:00開場)
法政大学市ヶ谷田町校舎5階マルチメディアホール
無料、 要申込、定員120名
歴史的建築物の活用について考えるシンポジウム
http://chiikizukuri.gr.jp/blog/2009/12/116.html

▽面白い日本の私 ロジャー・パルバース氏講演会
2010年1月16日(土) 14:00〜16:00
ジャパンファウンデーション(本部) JFICホール[さくら](2階)
非会員500円
講師はロジャー・パルバース氏(作家、劇作家、演出家、東京工業大学
世界文明センター長)
http://www.jpf.go.jp/jfsc/member/event/1001.html

▽右派と左派:そこにまだ意味はあるか
2010年1月21日 (木) 19時00分 - 21時00分
日仏会館
フランス語・日本語、同時通訳付
無料
講師は ドゥニ・ティリナック氏、犬塚直史(参議院議員、民主党)
http://www.institut.jp/ja/evenements/9408

▽Das Labyrinth der Welt. Kafkas Roman “Der Proces” 
 (「世界の迷路 ― カフカの小説『審判』について」)
2010年1月25日(月)16時〜18時
東京大学文学部人文社会系研究科(本郷キャンパス) 文学部3号館4階3401室
ドイツ語、通訳なし
講師は ハンス=ディーター・ツィンマーマン氏(ベルリン工科大学名誉教授)
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/report.cgi?mode=2&id=228 
======================================================================
【編集日誌】
☆ 維新派の「ろじ式」を中西理さんに論じていただきました。維新派と長く
伴走してきた中西さんならではの深い内容になっています。また、劇評セミナ
ーの収穫として、岡安伸二ユニット「2008年版『BANRYU』蟠龍」を金塚さくら
さん、宮武葉子さんに論じていただきました。知的で端正な文体が印象的な金

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