文学

【殺気ある文学】……見沢知廉を読む

稀代の純文学作家見沢知廉を顕彰し追悼するファンクラブのメールマガジン。見沢知廉の未発表作品に関する最新情報や、見沢文学への書評などを掲載する。

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【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.8

2006/07/16

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      【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.8

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  「<文学>は、遊戯やツールではなく、まさに<殺気>である」

   見沢知廉著『日本を撃て』(メディアワークス刊)より

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 [H18.7.7]7.16配信
 <目次>
 ■巻頭言
 ■一年祭について、ファンクラブの方針
 ■引き続き…見沢知廉に関する情報提供のお願い
 ■見沢知廉の最新刊!作品社より『愛情省』絶賛発売中
 ■雨宮処凛わくわくおたのしみ会vol.2(結城司)
 ■異色作家 故・見沢知廉との事ども [連載5](思川清風)
 ■見沢知廉とキャンディーズ [連載2](朱斑羽)
 ■編集後記
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【巻頭言】
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 新しくメールマガジンに登録してくださいました皆様、真にありがとうござ
います。このメールマガジンは、見沢知廉ファンクラブ「白血球團」が発行し
ています。ファンの視点から、見沢文学を掘り下げて読んでいこうという主旨
です。内容は全て会員からの投稿によるものです。見沢作品を初めて読んだ、
という方でも歓迎します。どうぞ感想文をお送りください。

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【一年祭について、ファンクラブの方針】
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 皆さんこんにちは!編集人の朱斑羽です。
 私はこの4月から新社会人となり、会社の人事部に関東への配属希望を出し
ていたのですが、残念ながら郷里の福岡支店勤務と相成りました。
 というわけで、私や白血球團が主催してイベント等を大々的に開催すること
は困難な状況です。

 しかし!見沢知廉の命日にはみんなで集まって墓参します。その後は懇親会
を行います。(私は有給休暇をとって上京します!)

 今回は自然発生的な集まりとなります。直前に号外で出欠確認メールを要請
しますので、その際はご返信をお願い申し上げます。

 集まりの名称も引き続き募集します。
 (例:蒼白忌、白蓮忌、七号忌、極悪忌、囚人忌)

 神道式であれば「〇〇祭」ですが、今回は菩提寺参集のため仏式となります。


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【引き続き…見沢知廉に関する情報提供のお願い】
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 著名人による見沢知廉追悼本の企画に関し、これまで数度に渡って協力を呼
びかけた結果、複数の情報を寄せていただくことができました。この場を借り
て深く御礼申し上げます。

 追悼本出版に向けて深笛先生などが奔走しておられますが、一周忌に間に合
うかどうかは難しい情勢であるようです。しかし出版自体は必ず実現されます
ので、白血球團としては引き続き情報提供を呼びかけていこうと思います。

※メールの宛先はこちら!→[ chiren@sejp.net ]
(白血球團運営委員会)


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【見沢知廉の最新刊!作品社より『愛情省』絶賛発売中】
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 「これはもう正岡子規か、ベケットの境地である。
  残された書き手の誰にこのような作品が書けるだろうか?」
  ―――島田雅彦氏

 夭折の鬼才の壮絶なる遺作!
 見沢知廉『愛情省』(作品社)税別1500円

 収録作「愛情省」…月刊新潮(2005/11)に掲載された遺作
    「ニッポン」…未発表、初出作品
    「天皇ごっこ」…新日本文学賞を受賞した初出篇

 作品社の公式サイトはこちら→[http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/]

 紀伊国屋書店・ジュンク堂他、各大型書店にて平積みされています!


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【雨宮処凛わくわくおたのしみ会vol.2】
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by 結城司(ゆうき・つかさ)

 遅ればせながら、去る5月31日に行われたイベントのレポートを書こうと
思います。この日は革命家に悩み事を相談し、悩み事に答えて貰うというとて
も素晴らしい企画でした。悩み事を持参するとイベント参加費がオフになると
いう嬉しいサービスまで!!勿論私も悩み事を持参した次第であります。
 パネラーは雨宮さん、土屋さん、鈴木さん、塩見さん、平野さん、、と超豪
華!残念ながら木村さんは欠席でした。鈴木さんは壇上から私の存在に気付き
お茶目に舌を出しにっこり笑って下さいました、ありがとうございます!!土
屋さんが悩み事を読み上げ、雨宮さん、もしくは雨宮さんがふった人が答える
といったような形式でした。悩み事は深刻なものから面白いもの(失礼)まで
様々。1つの悩み事に対するパネラーの皆さんの答えも様々で面白い。特に塩
見さんと鈴木さんの絡み。鈴木さんは会場の色々な場所を見渡している。その
間塩見さんが悩み事に答えている。雨宮さんが鈴木さんに

「鈴木さん、今の塩見さんの意見についてどう思いますか?」

とたずねると鈴木さんは

「何?聞いてなかったよ。」

と(笑)途中、風俗嬢の子から仕事の事を彼氏に隠しており、その事を墓場ま
で持っていく自信がないという相談になると塩見さんと鈴木さんは「墓場まで
持っていかなければならない秘密があるか」という事について議論になりまし
た。塩見さんは奥さんに内緒でピンクなお店に出入りしているなどの暴露トー
ク(笑)塩見さんは秘密を墓場に持っていかず彼氏に打ち明けろと言い渡しま
した。しかし鈴木さんの「僕は墓場まで持って行かなきゃいけない秘密が沢山
ある、相談者も秘密を彼に打ち明けず墓場に持って行きなさい!」という意見
が出ると何故か塩見さんも秘密を墓場まで持っていくという意見に賛同。妙な
光景でした(笑)

 その後鈴木さんが壇上から降りた後、団体名などはは伏せていましたが明ら
かに一水会の方と思われる人から「顧問の著書が事務所に溢れ事務所が窮屈に
なって困っている」との相談があり、会場からいきなり鈴木さんが現れるとい
う事が起きたり会場は笑いが絶えませんでした!!
 あぁすみません、少し前の事なので鮮明に覚えているのはこのくらいで、間
違いがあるといけないので今回はここらへんで。2次会もあり、朝方までロフ
トプラスワンは盛り上がっていました。私は1番最後まで残っていました。私
に声を掛けてくれた皆さん、ありがとうございます。そしてあの場で知り合い
私の話を聞いて下さりメルマガに登録して下さった皆さん、本当にありがとう
ごさいます。このような楽しい企画を立てて下さった雨宮さんに心から感謝し
ます(´ε` )chu!!
(結城司)


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【異色作家 故・見沢知廉との事ども】連載(5)最終回
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by 思川清風(おもいがわ・せいふう)

 昭和58年、野村秋介氏は戦線復帰後、全国各地の集会で講演し、著書を出
版。又テレビなどのマスコミにも顔を出すなど、精力的な活動をこなしていっ
た。横浜での復帰第一弾の講演の際「これからの10年で俺の死に様を見せて
やる…」と言い放ったが、それを気留めている者は居なかった。

 清水浩二=高橋哲央=見沢知廉が獄中に下ってからの統一戦線義勇軍は、特
に画期的な活動として、神奈川県逗子市の米軍池子住宅建設反対などの闘いを
実践した。火炎瓶処罰法で逮捕される者や、現・議長の針谷大輔氏は、拳銃を
隠し持っていた事を通報され、銃砲刀剣類不法所持で逮捕されるなど過激派ぶ
りが受け継がれている 
 昭和61年(1986年)千葉刑務所の高橋哲央=見沢知廉は27歳になっ
ていた。少年の頃から獄中生活に免疫の無い彼は、若さゆえもあって、自由の
効かない刑務所のもどかしさや、全てが規則でがんじがらめにされ、行動規範
のひとつひとつが看守の命令によらねば進まないロボットのような生活。囚人
とはいえ、人を人とも思わないような所業の看守らの多くの言動に我慢の限界
を覚えていた。彼の苦悩は大きかった。何よりも、獄中において、彼と心を通
わせて話の出来る相手は皆無だった。時々冷やかし半分に話しかけて来る同じ
工場の囚人はいたが無視する事にしていた。
 彼は刑務所での反抗を開始する。そして、この後、出所まで看守の目をかい
くぐり執筆活動を続けた。その文章は手紙に巧妙にしたため母に送った。それ
を母親が清書し文学賞に応募した。                                             

 ことごとく看守に反抗するうち、これまでの、夜間独居、工場出役(朝から
各種工場での作業。夜、政治犯など一部の処遇者は、三畳ほどの一人部屋=独
居房で生活する)という快適?な筈の生活から、一転、昼夜独居専門舎の「1
1舎」へ強制的に移された。この昼夜間独居は、夜間独居と同じ三畳ほどの空
間ではあったが、一日中座ったまま袋張りなどの軽作業をしなければならない。
担当看守や掃夫(そうふ)と呼ばれる、食事の配給や、洗濯物の出し入れなど
身の回りの世話をする一部の囚人としか接する機会が無い。話などは出来ない。
刑務作業中は、歩いて二〜三歩の距離にあるトイレ(用便)に立つのも許可が
必要で、作業を終了しても、横になったり、立ったり、壁に寄りかかったり、
足を投げ出したり、声を出したり、歌を唄ったりすれば、全てが規則違反であ
る。当然、足腰が弱くなり、ほとんど人と話さないため拘禁病にかかる。早い
者で、三日から一週間ほどで、奇声を発したり、泣き出したり、気が狂う者さ
え出る。壁に頭をぶつけて、保護房へ行く者も居る。勿論、冷暖房などは無い
から夏は暑く、冬は極端に寒い。刑務所の中でもこの昼夜間独居は特別劣悪な
環境で、まさに「煉獄の苦しみ」ともいうべき場所なのである。この頃高橋哲
央=見沢知廉の手になる『民族派暴力革命論』が小部数刊行された。   

 私は、昭和61年にこの刊行されたばかりの『民族派暴力革命論』を、東京
拘置所の独房で読んだ。鈴木邦男氏からの差し入れだった。去る4月29日の
午前一時前、東京赤坂の檜町公園で爆発事件があり、一人の若者が両眼喪失両
手指数本切断という大怪我を負った。翌日「内外タイムス」紙に、「昭和勤皇
党」名による犯行声明が出された。
 この年は、昭和天皇の「ご在位60年奉祝」行事と、先進国首脳会議「東京
サミット」が予定されていた。昨年から、新左翼過激各派は、「東京サミット
爆砕」を叫んでしのぎを削っていた。暮れには、革共同・中核派が開発したロ
ケット砲により、アメリカ大使館に向けて火炎弾が発射される事件が起きてい
た。中曽根総理はおろかにも、本来、11月10日に行うべき奉祝行事と東京
サミットを、警備上の理由で短期間に終わらせる計画を立てた。前者を天皇誕
生日の4月29日に、サミットを、都内が静かになるゴールデンウイーク中に
することが決まって、新左翼過激各派、特に、中核派、戦旗派、社青同開放派
の三派は、互いにゲリラ行動で、この二つの行事をつぶすと機関紙などで豪語
していた。

 昭和60年暮れ、国内は丁度クリスマス騒ぎで浮かれていた頃、私はサイパ
ン島に出かけた。到着するなりゴルフに出かける者たちを尻目に、友人と二人、
貸し切りのタクシーで、大東亜戦争戦没者の慰霊に回った。日本語の流暢な現
地人運転手が懇切丁寧に案内し説明してくた。中でも、バンザイクリフといわ
れる絶壁の断崖に立った時には、とめどなく涙が溢れて来て運転手を驚かせた。
戦況が悪化し、すでに玉砕の状況にあった当時、島に残っていた大半の日本人
が、祖国を向いて「ばんざい」を叫び、つぎつぎに飛び込んで行ったという悲
しい現実を知らされて込み上げて来た嗚咽を止める事が出来なかったのである。
 新しい年になって何故か心が落ち着かなかった。三月半ば、「神宮参拝禊会」
の誘いを受けた。前日、故・阿部勉、故・松本効三両氏と岐阜の大夢館へ行き、
すでに来ていた同志たちと合流し気炎を上げ酒盃を酌み交わした。その夜は、
護国神社の会館に宿泊。翌日、外宮へ参拝し神宮会館へ。夜、禊作法の講習が
行われた。翌早朝五時、五十鈴川で禊を行った。三月半ばとはいえ気温は低く
水も冷たい。当時、すでに70歳を過ぎておられた故・中村武彦先生が「大祓
詞」を奏上されていたのを思い出す。朝食後、神宮(内宮)へ正式参拝した。
何故か心身ともにすっきりして、心のもやもやもいつの間にか消え去っていた。
 禊から帰って間もない、3月25日(だった?と思う)皇居に火炎弾が打ち
込まれたというニュースを、機関紙の校正作業をしていた六本木の軽食喫茶の
テレビで見た。次いで、3月30日には、迎賓館(だった?かな)に火炎弾が
打ち込まれた。共産同・戦旗派と社青同開放派(だった?と思う)の仕業であ
る。
 25日の時点ですでに心は決まっていた。私は、常々左翼(反日主義者)の
目的には賛同できないが、時々の政策や、戦術には幾分同調できる部分もある
し、ある意味反面教師的に勉強にはなる・・・と感じていた。天皇にとって日
本国民はすべて赤子(せきし)である。我々は兄弟姉妹なのである・・・が、
ただ彼らは、今、考えが狂っているか、反抗期なんだ・・・そんな気持ちもあっ
た。しかし、親に金属バットを振りかざすような兄弟姉妹は、許せない・・・。
そして、作戦が始まった。三月末には、埼玉県蕨市内の共産同・戦旗荒派の本
部へ、関東周辺の右翼団体が押しかけた。私も行ったが、公園での集会も、本
部前での抗議も空しく感じていた。   
 苦悩があった。いろいろ調べた結果、新左翼過激三派は、「天皇ご在位60
年」奉祝日の4月29日、今上(きんじょう)天皇誕生日当日に集会を予定し
ている。ここが一番狙いやすい。しかし、昔から「天皇誕生日には、血を流す
ような忌まわしい事をするな」という不文律がある・・・と聞いた事があった
のだ。それを破って、たまたま一番警備の手薄だった、社青同開放派(狭間派)
の集会場所である、赤坂の檜町公園に、手製の時限爆弾を仕掛けに行かせたの
が失敗だった。大事な門下生を身体障害者にしてしまった。彼は、その上実刑
三年である。
 私も爆発物取締り罰則違反で懲役6年の刑で獄中に下った。この年は、この
事件の他にも、右翼と左翼の衝突が是までになく発生した。61年暮れ、横浜
刑務所へ移管され、夜間独居に落ち着いた。平成4年8月に出所するまで、一
水会の機関紙「レコンキスタ」が、千葉刑にいる高橋哲央=見沢知廉の事を教
えてくれた。彼もまた、私の事件と、その後時々掲載される横浜刑の私の記事
を読んでいた。共通の情報源だったのだ。  

 高橋哲央=見沢知廉の苦悩は益々続いていた。昭和62年秋、昭和天皇が下
血され入院。全国の刑務所に恩赦騒ぎが起こった。私は、毎朝の味噌汁を三ヶ
月間絶って「ご平癒」祈願を込める行を行った。昭和63年(1988年)天
皇陛下は一旦は回復され退院された。8月15日「全国戦没者追悼式」にご出
席された天皇陛下は、秋になり再び入院された。再び、恩赦騒ぎが起きる。横
浜刑務所でも、昨年同様、私のところへ恩赦が出そうか聞きに来るものが後を
絶たず、あまりに煩くて、静かに「ご平癒」を祈る事もできないため、昼夜間
独居へ入る。昭和64年(1988年)1月7日、昭和天皇崩御。が、やはり
私の言うようにほんの一部の者以外恩赦は出なかった。私は、工場へ戻れとい
う刑務所側へ、神道式で50日祭まで喪に服す事を認めさせた。
 一方、高橋哲央=見沢知廉は、情報も少ないため恩赦を当てにしていた。当
てが外れた分余計に苦悶が大きかった。元号は「平成」となった。7月頃反抗
のため、八王子医療刑務所へ。あまりにもジタバタじていた彼を心配し、お母
さんが野村秋介先生に相談。しかし、親族ではないため手紙などは出せない。
「レコンキスタ」に彼に当てたメッセージが載った。「熱い風呂に入ってる時
はじっとしていろ。ジタバタすると余計に熱く感じる・・・」私には、よく理
解できたが、はたして彼には届いたか判らない。
 平成2年(1990年)高橋哲央=見沢知廉は、31歳。千葉刑務所の11
舎へ戻る。この年、コスモス文学賞を受賞。私は、40歳。考えがあって、出
所までの二年間昼夜間独居へ入る。平成3年(1991年)高橋哲央=見沢知
廉は、32歳。獄中決起未遂。執筆禁止などを巡りハンスト(絶食)。39キ
ロまで痩せる。

 平成4年8月5日朝、私は、横浜刑務所を満期で出所した。42歳になって
いた。最後の二年間昼夜間独居暮らしで、拘禁病が進み、アルツハイマーと変
わらない症状があった。おまけに目は老眼。頭髪も薄くなり足腰は力なくガタ
ガタだった。足腰も頭も一応まともになるまでに一年間を費やした。 
 平成5年(1993年)10月20日晴天の霹靂ともいうべき事件が起きた。
朝日新聞東京本社役員応接室で、野村秋介氏が拳銃自決したのである。獄中の
高橋哲央=見沢知廉にも、出所後のリハビリ中であった私にもショックであっ
た。昨年出所した私は、翌日赤坂の野村事務所を訪れ留守中家族と弟子がお世
話になった御礼を述べたのであった。又、野村事務所の忘年会が蒲田の「ブル
ー愛」で催され、それに参加して「少しは、娑婆に慣れたか」と言われた言葉
が最後になってしまった。  

 平成6年(1994年)4月1日、朝日新聞東京本社籠城占拠事件が起きる。
高橋哲央=見沢知廉は、35歳。春より、本省派遣の幹部、看守などに拷問の
限りをつくされる。小説執筆もまた、禁止となる。10月、新日本文学賞受賞。
12月8日満期出所。出迎えた私と彼は初対面(たぶん)であった。
「ゆっくりリハビリしろよ」という私に、彼は深く頷いた。二人にしかわから
ない見つめあいには誰も気づく者は居なかった。
 平成7年(1995年)高橋哲央36歳。出所後彼は、メディアに登場。
見沢知廉と名乗る。この年の暮れ、彼から『天皇ごっこ』が贈られて来た。見
沢知廉の真価はこれから表れる。合掌。    

※訂正・・・連載(その1)で、国内政治は…云々のくだりで、「…日本赤軍
の台頭」と記載したが、京浜安保共闘のメンバーなどが連合赤軍を結成し、革
命資金調達のためのM作戦などを敢行する過程で逮捕者が相次ぎ、徐々に、警
察に追い詰められて、山岳アジトへと後退を余儀なくされた。その後、同志間
のリンチ殺人事件などを起こし、あさま山荘事件へと破滅の道を辿るのに比較
して、日本赤軍は、活動の拠点を海外(特にパレスチナ解放闘争)へ移したの
であり、正確には「国外での台頭」である。しかし、彼らは、後には、日本国
内の獄中にいる同志を、航空機のハイジャックによって救出、糾合するという
快挙?的行動を展開して日本国民ばかりか世界中を震撼させた。 
※義勇軍時代の見沢知廉(清水浩二=高橋哲央)氏についての詳細は、一水会
機関紙「レコンキスタ」又は、義勇軍機関紙「義勇軍報」のバックナンバーを
参照されれば、不足の分は、かなり補うことができます。でも「義勇軍報」は
あるかどうか自信はありません。  
※この連載記事中、不明確な箇所が多く見受けられると思うが、ご勘弁願いた
い。小生は現在、病気療養中であり、手元に資料が全く無い。そのため、多少
後遺症の残った頭をフル稼働?させて、記憶を呼び起こし、可能な限り真実に
近いものを書いたと思っている。疑念があれば、読者諸賢が調査して頂き、編
集部を通じて間違いを訂正してくれたら幸いである。 
(思川清風)


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【見沢知廉とキャンディーズ】連載(2)
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by 朱斑羽(しゅ・はんう)

 <右翼にはランちゃんのファンが多い。日学同元委員長のゴトウ君も、義勇
軍議長の木村君も、鈴木さんもランちゃんを絶賛する。これは思うに、キャン
ディーズと右傾化との間の、微妙な一致とも無関係ではない>
 =中略=
 <階級の再分化が進んでいる。ホワイトカラーの神話が崩れつつある。それ
は凄まじいスピードだ。キャンディーズの解散と、それに続くピンクレディ、
山口百恵の登場と消滅は、当然一つの時代的象徴であった。/キャンディーズ
の解散は、中流階級の崩壊と没落を暗示している。それに続くピンクレディの
登場は、階級の分化と変動。山口百恵は分化され、変動した階級の不安を暗示
している>
 =中略=
 <この時点において、キャンディーズ再来の幻想が囁かれた事が興味深いの
だ。これは、《分化、没落の揺り戻し》を願望する声に他ならない。即ち、右
傾化ファシスト性なのである>
 一水会機関誌レコンキスタ S59.1.1 「清水浩司のラジカルボイス」より

 最近ある方から、レコンキスタのバックナンバーを提供していただくことが
できた。作家・見沢知廉が文筆活動を始めたのはかなり若い頃からで、見沢知
廉の人格を形成したのは政治よりも文学が先であった。そして見沢知廉は、評
論・社会時評においても卓越した洞察力を発揮した。
 上記に引用した文章は、見沢知廉が東京拘置所から寄稿した連載の一部であ
る。文中での「日学同」は日本学生同盟という右派学生の最大組織であった。
そして義勇軍議長の「木村君」とは他ならぬ、現・一水会代表の木村三浩氏だ。
 実際にキャンディーズの伊藤蘭が右翼青年にばかり人気があったかというと、
そんことはないと思うが、単にアイドルというトピックから、社会の大きな変
動を見抜く目を見沢知廉はもっていたのである。

 さて、平成18年4月に私は上京し、伊藤蘭ファンサイトを運営するSEE
D女史と会った。実は女史とは過去にも一度会っている。日本出版クラブ会館
での「見沢知廉を偲ぶ会」においてである。
 ※偲ぶ会についてはこちら→[http://chiren.sejp.net/club-repo.html]

 再開した私達は正狩炎氏の地図を頼りに文京区の光源寺へ向かい、見沢知廉
の墓前に花を供えた。その道すがら、私は女史と見沢知廉の出会いのきっかけ
を聞くことができた。見沢知廉が大の伊藤蘭ファンであることは周知の事実で
あるが、出獄後の堰を切ったようなコレクション収集はキャンディーズ関連に
も当然及んだ。そして新しいもの好きの見沢氏は普及し始めたインターネット
にも飛びつき、伊藤蘭ファンサイトを運営する女史にコンタクトを取ったので
ある。

 SEED女史は当初、見沢という作家を知らず後に本人が新進気鋭の作家で
ある事を知って非常に驚いたという。それから女史と見沢知廉はメールや電話
を通じて情報交換と交流を続けた。女史の許には見沢氏からキャンディーズ関
連の貴重な品などが大量に送りつけられ、女史からも伊藤蘭等身大パネル(!)
等を贈呈したという。
 しかし女史と見沢知廉はついに直接面会することがなかった。実はこの時期、
見沢知廉は頻繁にドタキャンなどを繰り返す不安定期に入っていたのである。
おそらく見沢知廉は、かつて憧れた伊藤蘭などを通じて青春時代に立ち返る事
で、精神バランスを取り戻そうと苦心していたのではあるまいか。

 墓参を済ませた私と女史は、神保町に移動しレトロな喫茶店に腰を据えた。
薄暗い店内で女史が取り出したのは、ぼろぼろでやけに大きな版の封筒であっ
た。宛先と宛名はひどく書き殴ったような文字で、差出人名もとても知らなけ
れば見沢知廉と読める状態ではなかった。そして何より異様なのは、封筒の表
面を四割方占拠したようにぎっちりと不規則に貼られた何十枚もの切手である。
小包としての郵便料金を満たすために多数の切手を貼ったものだが、いったい
何円分貼られているのか数えるのは容易ではない。切手収集家でもあった見沢
氏ならではのことであろう。その上、なぜか皺くちゃの封筒はガムテープによっ
てグルグル巻きに封をされていたのである。

 女史は、このような「怪しい」小包を(ポストに入る大きさではないので)
配達員から直接受け取らねばならなかった。しかし、よく届いたものだと関心
するほどの物体である。見沢知廉という男の、破天荒さ、自由気質が存分に反
映された一品であると言える。次にS女史が取り出したるは、見沢知廉の膨大
な便箋である。その文章は、原稿用紙の罫線を殆ど無視したような状態で、し
かもキャンディーズに関する略語・専門用語が満載であったので、女史の解説
なしに私が内容を理解することはまったく不可能であった。
[以下次号に続く]
(朱斑羽)

☆SEEDさんからのお知らせです!来る7月17日はキャンディーズの解散
宣言の日でありますが、NHK・BSにてキャンディーズ特集が放映されます!
詳細は下記をご参照ください。

BSエンターテインメント わが愛しのキャンディーズ(BS2)   
           7月17日(月)後8:00〜9:30
伝説のアイドルグループ「キャンディーズ」。新しいアイドル像の確立から、
社会現象を巻き起こした解散劇まで、秘蔵映像を交えながら、輝いていた彼女
たちの活動の軌跡を描く。
[http://www.nhk.or.jp/bs/navi/music_td.html]より
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
【編集後記】
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 今号は配信が大幅に遅れてしましました。私はこの7月から勤務先の配置転
換があり、新しい部署が朝6時起床・夜0時就寝というハードさで、直射日光
の下を一日中歩き回るため疲労が取れず、ほとんど自分の時間をもてない情況
だったのです。ごめんなさい!
 しかし!なんぞこれしき。大東亜に散華した兵隊さんたちや、厳正独居を耐
え抜いた見沢知廉にくらぶれば、まさに天国。こんなことで挫ける朱斑羽では
ございません。
 鍛え抜かれた営業スマイルを、今年の9月には東京で皆様にお見せしませう。

 さて今号で思川清風氏の連載が完結を向かえました。まさに怒涛の連載、お
楽しみいただけましたでしょうか。過去の記事は白血球にてもお読みいただけ
ます。連載途中で同志が獄死されるなど、残念なこともありました。同じ熱い
時代を走ってきた思川氏の回想が、見沢知廉含め、志士たちの追悼になったこ
とと思います。思川氏へ感想メッセージなど送りたい方は、気軽に編集部まで。

 このメールマガジンでは原稿を求めています。だれか連載して!
(朱斑羽)

※バックナンバーをお送りするお約束の皆様へ
大変申し訳ありません。今号まで含めてまとめたものを数日中にお送りします
ので今しばらくお待ちください。

 このメルマガへの寄稿はこちら↓
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   公式サイト http://shimpu20.jugem.jp
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   発行責任:見沢知廉ファンクラブ【白血球團】運営委員会
   見沢知廉ファンサイト・白血球 [http://chiren.sejp.net]
   このメールは送信専用です。お問い合わせは[chiren@sejp.net]迄
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創刊日:2005-11-13  
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  • りん2006/08/01

    ?m?lから見沢?m廉さんの事を聞いていましたが?Aどんな?lなのか?cまったく?mりませんでした?B



    今日?Aこちらの?yー?Wを見てほんの少しですが?Aわかったような?Cがします?B



    ?m?lを通じて?H事でも?cとお?Uいがあった時に?sっておくんだった!という?C持ちです?c



    これから本を読んでみようと?vいます?B