文学

【殺気ある文学】……見沢知廉を読む

稀代の純文学作家見沢知廉を顕彰し追悼するファンクラブのメールマガジン。見沢知廉の未発表作品に関する最新情報や、見沢文学への書評などを掲載する。

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【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.7

2006/06/07

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      【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.7

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  「<文学>は、遊戯やツールではなく、まさに<殺気>である」

   見沢知廉著『日本を撃て』(メディアワークス刊)より

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 [H18.6.7]
 <目次>
 ■巻頭言
 ■見沢知廉の雑誌寄稿に関する情報提供のお願い
 ■ついに刊行!作品社の『愛情省』絶賛発売中
 ■真の愛国者を探せ…鈴木邦男著『愛国者は信用できるか』(結城司)
 ■異色作家 故・見沢知廉との事ども [連載4](思川清風)
 ■見沢知廉とキャンディーズ [連載1](朱斑羽)
 ■特別寄稿・人間自主論からみる見沢文学(砂)
 ■編集後記
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【巻頭言】
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 新しくメールマガジンに登録してくださいました皆様、真にありがとうござ
います。このメールマガジンは、見沢知廉ファンクラブ「白血球團」が発行し
ています。ファンの視点から、見沢文学を掘り下げて読んでいこうという主旨
です。内容は全て会員からの投稿によるものです。見沢作品を初めて読んだ、
という方でも歓迎します。どうぞ感想文をお送りください。

 見沢知廉ファンクラブ「白血球團」では、命日である9月7日に追悼イベン
トを開催すべく模索しています。企画案などありましたらお気軽にお知らせく
ださい。ご意見ご要望は [chiren@sejp.net] 迄。

 白血球團としては「見沢知廉追悼一年祭・蒼白忌」の企画案を次号にて発表
致します。どうぞお楽しみに!


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【見沢知廉の雑誌寄稿に関する情報提供のお願い】
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 雨宮処凛さんや深笛義也氏を中心として、見沢知廉追悼本が制作されること
になりました。まだ詳しい企画内容や出版会社は決まっていませんが、一周忌
をめどに出版を目指すそうです。

 そこで、見沢ファンクラブ・白血球團としても協力することになりました。
 ズバリ、「見沢知廉・全仕事年表」の制作です!

 すでに略歴等は各所に掲載しておりますが、今回は「完全な年表」を目指し
ます。何年にどの作品を発表した、というような内容になります。

 これがなかなか大変で、機関誌等も含めると御遺族でも把握できません。遺
品が膨大で整理するのが難しいようです。そこで、インターネットを通じて協
力を呼びかけることにしました。お手持ちの雑誌等に見沢知廉の寄稿・連載等
ありましたら白血球團運営委員会までお知らせください!どうか宜しくお願い
致します。成果は次号以降、順次公表します。

※メールの宛先はこちら!→[ chiren@sejp.net ]
(白血球團運営委員会)


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【ついに刊行!作品社の『愛情省』絶賛発売中】
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 「これはもう正岡子規か、ベケットの境地である。
  残された書き手の誰にこのような作品が書けるだろうか?」
  ———島田雅彦氏

 夭折の鬼才の壮絶なる遺作!
 見沢知廉『愛情省』(作品社)税別1500円

 収録作「愛情省」…月刊新潮(2005/11)に掲載された遺作
    「ニッポン」…未発表、初出作品
    「天皇ごっこ」…新日本文学賞を受賞した初出篇

 作品社の公式サイトはこちら→[http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/]
 今すぐ注文しよう!!

 全国のVILLAGE/VANGUARD(雑貨と本の店)の一部店舗に見沢知廉コーナーが
あるそうです。『愛情省』が手に入るかも!?


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【真の愛国者を探せ…鈴木邦男著『愛国者は信用できるか』を読む】
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by 結城司(ゆうき・つかさ)

 鈴木邦男さんの「愛国心は信用できるか」を読みました。そのままの感想に
なってしまいますが、愛国心について考えさせられました。

 私は右翼時代(今も右翼気分、朱様には右翼趣味の少女と言われる)、思想
の右も左も分からずただただ上の人に着いていくだけでした。体の弱い自分は
「右翼に必要なのは知力と体力だ。」と教えられました。活動をしていれば愛
国心は自然と付いてくるものだったのです。そういえば隊に入るまえに当時の
福島支部書記局長に読めと渡された本が田原総一郎さんらの『愛国心』でした。
私は理由もなく愛国心と云う言葉が好きになりました。右翼っぽくて。

 ココで云う愛国心の国は日本国。私は愛国者、日本が好きだ。でも、総理大
臣が好きかとか、政治家が好きかとかを問われたらイエスとは言えない。それ
は本当に日本が好きなの?と自分に問いかけた。愛国、というものが解からな
くなり、右翼である自分に自信が持てなくなり、泣いた事もありました。

 この本を読んで、私は「ふ〜ん、ふ〜ん、」の連発でした。ひよっ子右翼の
私にも解かりやすい本。見沢知廉の名前が出て来ただけで興奮したり。鈴木さ
んが君が代を5千回歌った?私は何度歌っただろう。計算し始めたりもしまし
た、あと何回歌えば鈴木さんを越えられるかな、なんて。そして君が代を口ず
さみました。日本最高の愛国者になってやりたい!そんな闘争心に火がついた
のです(笑)

 とりあえず私は毎日部屋にある日の丸をピンと伸ばしています。よれた日の
丸はかっこわるいし日本に失礼。ちっぽけな私はそれくらいの事でしか愛国心
を表現できませんでした。でも本を読んで思いました。この本には歴史的な事
も沢山書いてある、私には歴史の勉強が足りないな、と。どんなに頑張っても
鈴木さんには勝てない、当たり前すぎて失礼にあたる発言かな。私は愛国者を
名乗るためにはやらなければならない事が沢山ありすぎる。

 本を読み終えて時計を見ると出勤時間。携帯電話の待ち受けを日の丸にし、
着メロを君が代にし、私は職場へと足を急ぎました。

 今年の目標。鈴木さんに「愛国者」の称号を貰う。(笑)
(結城司)

※編注 鈴木邦男氏の新刊『愛国者は信用できるか』は、講談社現代新書から
絶賛発売中です。詳しくは下記URLにてご確認ください。
  [講談社BOOK倶楽部  http://shop.kodansha.jp/bc/ ]


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【異色作家 故・見沢知廉との事ども】連載(4)
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by 思川清風(おもいがわ・せいふう)

 昭和53年暮れ、私は、突然二人の訪問を受けて一瞬驚いたが、話してみる
と非常に共感するところが多かった。三人は、今後団体の枠を超えて共闘する
ことを申し合わせた。年が明け、54年2月11日、建国記念日に、「紀元節
奉祝某県大会」の名称で日の丸行進をおこなった。約30名の若者が県庁所在
地の目抜き通りを大中小の日の丸を翳して練り歩いた。この行事は、昭和60
年まで続き、年々団体も参加者も増え、61年に「日本を守る某県民会議」主
催の行事に合流するまで続いた。      

 昭和54年5月25日、私にとって衝撃的な事件が起きた。大東塾の影山正
治塾長が、「一死以って、元号法制化を熱祷し奉る」「民族の本ついのちのふ
るさとへはやはやかへれ戦後日本よ」の辞世を残し、東京青梅の大東農場内で、
割腹の上猟銃で自決されたのである。つい先日の4月3日に、昭和20年8月
25日、東京代々木で父上の影山庄平翁はじめ集団自決された、いわゆる「大
東塾十四烈士」の御霊を祀る「大東神社」が創建されたばかりであった。私は、
これまでなかなかお会いする機会に恵まれなかったが、共闘関係にある塾関係
者のN氏が、そろそろ合わせてくれる手筈になっていたので殊の外落胆が大き
かった。  

 昭和56年「反米愛国・抗ソ救国・民族自決・反権力」を掲げた新右翼の連
合体である急進組織「統一戦線義勇軍」が結成され、木村三浩氏が初代議長に
就任した。義勇軍は、それまでの右翼各派とは異なって、マスコミ戦略にも長
けていた。政策も、日本のアメリカからの独立を求める「ヤルタ・ポツダム体
制打破」を掲げて、数々の行動を提起し、一水会と共にマスコミにも頻繁に取
り上げられるようになった。 

 昭和53年の建国記念日に「紀元節奉祝」の統一行動を行って以来、私達三
人は、毎月定例の会議を開き色々話し合った。自分の団体独自の行事に加え、
共同して街頭宣伝も行った。また、「日本主義研究会」という勉強会を毎月開
催し、鈴木邦男、阿部勉、犬塚博英氏など、新進気鋭の新右翼や、右翼の長老、
荒原朴水翁、教科書訴訟の半本茂事務局長、大日本旭心団、副団長・松本効三
氏、大東塾訓育班長、川田貞二氏など、多彩な講師を招いて県内の若手活動家
育成を行った。神奈川県維新協議会の事務局長で、後に大悲会の二代目会長に
就任する蜷川正大氏や、統一戦線義勇軍の木村三浩議長なども来県して応援し
てくれた。それに応える様に県内の若手を義勇軍に参加させた。私の所属する
団体も、茨城県水戸市で開かれた日教組の教研集会反対運動の際や、県内の共
産党・赤旗まつり開催反対などに統一行動を計画した。初めの頃は活気の無かっ
た県内も、毎月色々な行事を継続することにより、53年頃には、ほとんど右
翼活動の無かったこの地方も、54年、55年、56年と徐々に活気が出て来
た。しかし、私は、ポスターの掲示や、勉強会、定例会議は別にして、宣伝車
による活動に重点をおいた運動の限界を感じ始めていた。

 経団連事件を契機に、新右翼など若手世代の同志を中心に「新しい日本を創
る青年集会」という緩やかな運動共闘関係も生まれ各地で集会が開催された。
また、既成の右翼運動でも、これまでの全愛会議や青年思想研究会などの連合
体や各団体が個別に行ってきた運動とは別に、核防条約批准阻止のための共闘
後、民族革新会議(山口申議長)が提唱し、北方領土返還統一行動などのテー
マごとに「民共闘」という形でデモ行進するなどの一日共闘がたびたび行われ
た。

 新右翼組織に入った高橋哲央=見沢知廉は、これまでの新左翼とはっきり決
別し自己の意識変革を図るため、今後は、活動家名を「清水浩司」と名乗るこ
とにした。

 昭和57年(1982年)初頭、清水浩司(本名・高橋哲央=見沢知廉)は、
「統一戦線義勇軍」とその中核「一水会」へ入る。彼は、義勇軍機関紙「義勇
軍報」を発刊し、一体化されていなかった義勇軍の組織改革を断行し武装闘争
を指導した。その後、義勇軍書記長に就任すると共に一水会政治局長に就任。
活動も益々先鋭化させ、ロシア大使館、アメリカ大使館に対する火炎瓶攻撃な
どのゲリラ活動を自ら率先して敢行した。フォークランド紛争勃発後、<有色
人種対白人><反英米>を掲げ、イギリス大使館を火炎瓶で放火した。しかし、
アメリカ大使館の圧力により警察当局十八番のマスコミへの情報提供がなされ
ず犯行声明はもみ消されてしまった。そこで、義勇軍は4人の要人テロを計画
した。必死になった公安警察は、一水会の会員や義勇軍の幹部を24時間尾行
し、これまで新左翼にしか行って来なかったアパートローラー作戦をかけ、ス
パイを送り込んだ。 

 これは、戦前の内務省特高警察が、右翼や左翼組織に常套的に行った手段で
あったが、戦後は、あまり見られなかった。まれには、新左翼過激派組織に警
察のスパイが入り込んでいるという噂が流れることはあったが、それが露見す
る事はなかった。連合赤軍事件で粛清された者の中に、警察の送り込んだスパ
イが居たと言う情報もあるが想像の域は出ない。

 思い余った義勇軍は、9月、同志9人と共にスパイを査問し粛清して、山梨
県の富士山樹海へ遺体を埋めた。メンバーの3人は逮捕されたが、清水(高橋
=見沢)は1人だけ全国指名手配の警備網をくぐり抜け神奈川県内に潜伏した。
しかし、彼は、このまま逃走するするよりは、裁判闘争により世間の目に訴え
た方が良いと考え、9月27日、出頭し逮捕された。警察署のブタ箱(留置場)
に叩き込まれ、取調室と地検を何度も往復し、警察官と検事による取調べで調
書が作成され彼は起訴された。木枯らしの吹き始めた11月、小菅の東京拘置
所へ移管された。裁判や面会などの無い日々は退屈で、些細なことでも喧しく
「規則・・・規則」の拘置所生活を快適に過ごすため、政治論文や小説を書い
て過ごした。

 一方、某県内では「全国植樹祭」開催が予定されていたが、某国立大学の正
門前に「天皇植樹祭爆砕」の大看板が張り出され、それを見つけた若者が駆け
込んで来た。成田空港反対運動でも過激な活動を行ったことで知られる、三派
系全学連の社青同開放派学生組織、反帝学評がこの大学自治会を牛耳っている
事は知っていた。大学側に抗議したがしどろもどろで話しには成らず看板の撤
去もされなかった。まず夜陰にまぎれて大看板を壊した。そして、熟慮の末、
自分の団体の若者を中心に突撃隊を編成し、当時流行していたCB無線を使い
直接命令指示を出し、実質的には反帝学評のアジトになっていた某大学の学生
寮を襲撃させた。襲撃は成功し、敵は狼狽した。

 植樹祭前日、ご臨席予定の天皇、皇后両陛下がご来県され市内のグランドホ
テルにご宿泊された。我々は、当日ホテルを出て植樹祭会場へ向かわれる天皇、
皇后両陛下を万歳の声でお出迎した。社青同開放派・反帝学評はデモを予定し
ていたので、このデモ隊を直接襲撃する計画を立てていた。しかし、彼等が実
力行動に出ず、デモのみで終わった場合は、襲撃はしない事にしていた。当日
は何事も起こらなかった。しかし、今後のこともあり、その後も県内の新左翼
組織の情報収集を行った。部落開放同盟の都道府県連は、中核派の所属する革
命的共産主義者同盟(革共同)がほとんどの地連を押さえていたが、この県連
は、社青同開放派(狭間派)が入り込んでいるのも解かった。幹部連中の所在
もできる限り調べた。 

 昭和58年(1983年)3月、統一戦線義勇軍の「査問粛清事件」の裁判
は結審した。求刑は無期懲役だったが、最終弁論で「政治的な事件」の主張が
認められ実刑は12年の懲役刑となった。二週間の控訴期間の後、初犯房であ
る新舎から送り房である南舎へ移された。初犯で24歳の彼は、年齢制限が考
慮され川越少年刑務所へ送られた。その後、予定通り長期受刑者の収容先であ
る千葉刑務所へ移送された。過去、ここには、数多くの政治犯が収容された事
は知っていた。面識は無いものの、道の先輩である、新右翼の教祖と目される
野村秋介氏も12年間の獄中生活をここで送ったのだと感慨深かった。 

 その野村秋介氏が府中刑務所を出所した。「野村秋介戦線復帰記念・新しい
日本を創る青年集会」第一弾・横浜集会(蜷川正大氏らが実行した)を皮切り
に、第二弾は、私が立案し、県内の護国神社会館で開催した。その後、この集
会は各地で開催され。これを契機に右翼運動は、新しい時代に入っていった。 
(思川清風)


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【見沢知廉とキャンディーズ】連載(1)
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by 朱斑羽(しゅ・はんう)

 <左翼時代、成田の「管制塔襲撃事件」に臨んだ俺たちの心の歌は『微笑み
返し』だった。(中略)伊藤蘭は俺の永遠のアイドルなのだ>
 見沢知廉著『獄の息子は発狂寸前』より

 見沢知廉にとって「伊藤蘭」とは何だったのか——。それ以前の問題として、
キャンディーズとは何だったのか、昭和57年(1982年)生まれの私にと
ってこの事は大きな謎であった。ちなみに昭和57年は見沢知廉がスパイ粛清
事件を起こし、長い獄中生活を開始した年である。キャンディーズとは197
8年4月4日に解散したアイドルグループであり、見沢知廉という作家はキャ
ンディーズの伊藤蘭というヴォーカリストをこよなく愛していた。

 <数万の男なり女が、一人の女なり男に陶酔するのである。考えてみれば、
こんなニヒリズムはない。鉢巻をしめ、変な制服さえ着て声をからしてアイド
ルの名前を絶叫するのである。(中略)これほどまでに現代人は、絶望的な
「信仰」「偶像」に満足しているのである>
 見沢知廉著『民族派暴力革命論』より

 彼は獄中において、苦労して入手した伊藤蘭のグラビア写真を崇拝していた
ことを正直に告白している。それは精神病理学においていうところの強制儀礼
という形でも現れた(というのはフィクションだが、実際の作者もそれに近い
状態だったのではないかと思われる)。この21世紀の日本にも、アイドルと
呼ばれる芸能人は存在する。また洋の東西を問わず、古今を問わず、大衆を熱
狂させる偶像(アイドル)は出現する。しかし正直、現代日本において本来の
意味に合致したアイドルが存在するかというと非常に疑わしい。「鉢巻をしめ、
変な制服さえ着て声をからしてアイドルの名前を絶叫する」連中は今でもいる
し、私もそんな現場を目撃したことがある。私は高校時代、友人に付き添って
「モーニング娘。」のコンサートへ行ったことがある。モー娘は或るテレビ番
組で募集からオーディションからレッスンからデビューまで、観察日記的に経
緯を公開され爆発的に人気が高まったアイドルグループだった。その宣伝手法
は新鮮だったが、視聴者に感情移入させることでファンを獲得するという戦略
自体はそう特別だったとは思えない。結果的に熱烈なファンを生んだわけだが、
コンサートに参加した私は完全に冷め切っていた。「所詮アイドルなんてこん
なもんだ。こんなものに熱狂するなんて理解できない」と高校生の私は思った。
その印象がながらくあって、見沢知廉の云う「キャンディーズはすごかった」
が殆ど理解できなかったのだ。

 しかし、見沢知廉の文学・政治・思想を理解するうえで「キャンディーズ」
「伊藤蘭」という単語は避けて通れないものであることに気づいた。見沢氏の
古い友人である深笛義也氏はこう述べている。

 <現地に行ってみると、本当に野戦病院だった。そこに見沢もいた(中略)
怪我人が来ない間も、皆一所懸命に三角巾の使い方とか鍼灸の打ち方の練習を
した。私と見沢はしばしば抜け出して、寝そべりながらキャンディーズや岩崎
宏美の話に興じていた>
 [http://chiren.sejp.net/giya.html] より

 1978年、見沢知廉は中央大学法学部に入学。同時期に成田3・26管制
塔闘争に左翼学生運動家として参加している。成田空港開港反対派は、一度は
管制塔を占拠して開港を延期させた。その後も成田付近に陣取り、土地を奪わ
れた農家と協力して反対闘争を続けた。見沢氏と深笛氏の出会いは、まさにそ
の闘争の渦中にあったのである。当時の若者にとって政治運動は巨大なムーブ
メントであった。日米安保反対闘争をはじめとする学生の動乱は、否応なく若
き見沢知廉を魅した。しかし時代は革命を実現させることなく、管制塔闘争勝
利のその後は衰退傾向を見せ始める。まさにその時期、キャンディーズは若者
に熱狂的に支持されるのであるが、その特殊な経緯を私は知ることになった。

 私は昨年9月の見沢知廉の訃報を受けて、急遽「追悼ファンサイト」を開設
した。現在の「見沢知廉ファンサイト・白血球」である。何より、唯一愛読し
ていた現代作家の死は私にとって衝撃であり、その死の原因を知るには報道に
よる情報が少なすぎた。だからインターネットに情報収集のホームをつくるこ
とは私に取り得る唯一の手段であった。その中で、SEEDと名乗る女性から
連絡をうけた。彼女は伊藤蘭のファンサイトを運営する人物であり、見沢知廉
とも親交があったという。私達は数度メール等でやり取りし、4月に上京した
際、連れ立って見沢知廉の墓に参拝した。その日、SEED女史が持ってきて
くださった資料の中に、膨大な量の書簡があった。見沢知廉の手紙である。
[以下次号に続く]
(朱斑羽)


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【人間自主論からみる見沢文学】特別寄稿
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by 砂(すな)

  本小文中で引用する塩見孝也氏をはじめとする、文壇が没落した今、いま
  やもっとも明治期の文壇のごとく輝かしき、塩見孝也氏を中心とする文学、
  思想壇?のオリンポスの神々のごとき諸賢哲の方々に限りなき憧憬と尊崇
  の念をもっていることを表明いたしますと同時に、文中敬省略なることを
  お詫び、お断り申し上げます。
  
 人間が自殺する、あるいは自殺衝動、死にたいという感情しかし、人間が観
念的に死ななければならない状態というものがあるだろうか?そりゃあ、こん
な悪いやつ外道鬼畜は死ねばいいのにという人間は多々存在する、そういう人
間ほど憎まれっ子世にはばかるかしらないが絶対に自ら死のうなどとは思わな
いものだがそういう人間のことではなくむしろ様々な状況下において社会ある
いは個人に攻撃されて死にたくなっている人間のことだが、まずもって観念と
は基本的に在る物のうえに備わるのであり、ゆえに在る物がつねに観念の絶対
的前提であり、そのところのものである観念からくだって実在的人間存在が否
定すなわち死が要請されなくてはならない観念が存在するということは論理的
にありえない。

  つまり死にたいという感情はそれ自体、論理矛盾しており、人間が論理的思
考できぬほど精神が追い込まれ破綻した末の混乱的状態における一発想、観念
なのである。デュルケームのいうように自殺する人間というのはその時点にお
いてもはや頭がおかしくなっているのである。いわば自殺観念は脳のオーバー
ヒートというかまともに機能しなくなった状態で産出されるバグリのような観
念である。人間が死ななくてはならない状態というのは論理上存在しない。む
しろ人類が築きあげてきた観念(ex天皇、平和)に対する在る物としての主人、
人間自主としての立場でいかなる残酷な状況を突きつけられ投げ出されてもむ
しろ人間は生き続けることが自由、権利としてあるのである。

 であるからしてわれわれはどのような脳が受け取る観念に対しても観念の主
人としての在る物としての人間の人間自主的態度で静かに動じることなく伸び
やかに生命を荘子的な開放感でたゆみゆらねき在りさせよう。

(人間の基底のメカニズムについていうなら社会の資本主義へむけての産業的
発展に対する人間の上述した自然性から生まれる反発、グローバリズムに対す
る民族の反発に通じる、が自主性ということである。このあたりはきちんとマ
ルクス主義の考え、つまり支配階級と労働者階級人民ということをあわせて考
えていかないと足元をすくわれる。つまりそんなの観念、幻想じゃないという
発想はまったくの無理解であり、資本主義への産業的進展により自然の子であ
る人間は観念を引き出されそこからのであり、まったく人間が一アトム的に観
念のポツリと幻想という物言いは的外れでありマルクス主義という真理へのベ
クトルを有する真理への過程と真理そのものの側面のある思想の軽視からくる
誤ったマルクス主義から逃避した末の発想)

 「完全自殺マニュアル」の鶴見済の近年の言葉「人間関係の外側」や「人間
界以外」という概念は人間自主論とスパークし「死ぬことの自由」をさらに押
し進めた「死ななくてもよい自由」(単なる死んじゃだめ!という観念の押し
付けでなく身体を基点、重要な基底としたうえでの、むろん死ぬことの自由を
否定するのでなく、パンパンに詰まったチューブに穴を発見開けて水路を発見
とイメージされたい、自己否定せずに済む自由、観念の上位、絶対的存在の在
る物の自然物であるがゆえに観念から自由で、自然物としての自己を肯定する
がゆえに他の自然を征服することに陥らず)へと到達するのである。ようする
に80年代の観念から90年代の身体ときてこれらのことが最終的な総括的段
階にきているということではないか。80年代がオウムを生み、90年代が今
の自殺を生み次の2010年代にかけて人民にとって不幸にならない形でひと
つの思想的結実が実現されるべき。

 そのひとつの思想的営為が雨宮処凛の「すごい生き方」であるといえる。こ
こで氏はオウムを生んだ観念傾倒の身体不在の80年代、その反動、反射とし
ての養老孟司の「唯脳論」鶴見済の「自殺マニュアル」の身体への傾斜を超克
するところの伸びやかな放縦な生命の在ることの自由を描いている。これこそ
は人間自主論に根ざした次の2010年代を予感させるものであるひとつの思
想的結実営為であり、ここにおいて日本民族主義の根本思想と塩見思想が止揚
されている。

 観念の絶対的前提としての上位概念=絶対的な在る物の自然物(ヒト)であ
るがゆえに観念から自由で(観念に対する主人としての自主的態度をもち、観
念の側からくだって自己否定されることがないゆえにいかなる観念にも動じる
ことはない)そして、そうした自然物としての自己を肯定するがゆえに他の自
然を征服することに陥らない(侵略や戦争、自然環境破壊、白人中心の現代人
類文明の間違っていることを知る)世界のすべてに対する主人といったときの
「すべて」を観念と在るものにわけたうえでの主人としての自主的態度の回路
の問題である。

 宝島30という雑誌、今の右傾化ブームの根がこの雑誌にあると思うからだ。
浅羽通明や宮崎哲也などが寄稿していたがオウム事件と重なり今でいえばオウ
ム祭りという感じだった。ただその最中にあっても今思えば80年代に思想的
な渦中にあった諸ライターたちのオウム事件をきっかけとしたそれこそポツリ
ポツリと80年代の総括的思索が行われていた。それが急に休刊となりここら
の方向性がどっかいってそのあとにいきなり小林よしのりが戦争論をだす。こ
こに思想的断絶があり、95年当時の宝島の追求していた方向まで戻ってみて
みる必要がある。
  
 <人間にとって意味のある行為は自殺と殺人である———カミュ>

 自殺問題もそうだが殺人について今、世界に具現している思想はアメリカ的
な他を侵略するを否定しないものであり、ここから自殺と殺人に象徴される自
己と他者への破壊、侵略の衝動、向けられているエネルギーのベクトルが人間
自主的な方向へと巨大な人類史の人類のパラダイムチェンジによってヘーゲル
だか誰だか忘れたがいっていた本質的な幸福、快楽へとリセットされるのであ
る。

 「左翼右翼などというパラダイムを超えに超えた、人類の、地球、在る物、
現象界の超マグマ、火山火口なパラダイムチェンジ」

 見沢命が蒼白の馬上で記述している巨大なパラダイムチェンジとはおそらく
これのことだ。この観点をこそからみてならばこそ、天皇ごっこの最大の文学
作品としての能動的価値は精神科医相手の田村の演説の内容でもなく、第5章
の宮沢の語りの内容でもなく(むろんそれらはモチーフとして意味があり、こ
れらなくしてこの作品は成り立ち得ない)刑務所内の暴動や精神病者の演劇や
226やテロルの描写といった「大叛乱、大暴動」にこそあるのである。この
狂気的ともいえる人間の様々な態様=「すごい生き方」に通底する放縦な生の
描写こそが真の天皇ごっこの文学的価値である。見沢氏がそう意図していたか
は重要な問題ではない。文学とは往々にそうした性質をもっており、偉大な文
学はしばしば作者本人の意図も超えて、世界、人類の未来を照射するものであ
る。すごい生き方との比較でいうならばすごい〜が民衆中心の発想で人民にダ
イレクトに働きかけるのにたいして天皇〜のほうはそうとはいえず、その点で
損をした部分はおおいにあるのではないか。

 ヒルズ族だのセレブだの超白痴にみえる日本人だが日本がその表層の浮かれ
にもしっかりと内在し、闘ってきた日本人民の数十年の思想的実践苦闘が人間
自主論で総括する段階へと来ている。

 見沢氏がよく引用というか書いていたチェーホフの「あなたがわたしであっ
ても不思議でない、あなたがあなたであることはなんの意味もないことです」
と聞いてレーニンが衝撃を受けたというくだり社会関係の総体という人間観の
ピアノ線のように張り巡らされた観念。直接的、確実、即時的な観念とピアノ
線的からくり観念ex「お前を1分後に殺す」と「お前はカスだ」、ピアノ線、
赤外線的な総観念のからくり仕掛けが映画マトリックスのラストシーン的に消
えうせる。プラスマイナスゼロ。もってまわる観念の力学構造とその意味性に
対する疑問。

 漫画「最強伝説黒沢」(カイジの作者)の3巻のシートン動物記のエピソー
ドいわく(マンガ喫茶にいけばあるので是非読むと面白いマンガです。少なく
とも現代的な突端の思潮にリンクしたマンガですし、辛く骨身に感じさせられ
ることもあるマンガです)「野うさぎは肉食動物から逃げて逃げて逃げまわる、
それでも堂々としている。生きていることそれ自体が、野うさぎにとって勝ち
なんだ」

 ただし、平野悠さんの「5万円の生活しろ、インドに行ってみろ」と同じく、
では同じことを権力者が臆面なく開き直って堂々と言ったらどうかということ
も考えていく必要がある。

 見沢知廉「ニッポン」この作品はたしかに読む途中で一度も驚きなくして読
み進むことは難しい。ただし文学とは、見沢のいうように本来は「人を救うも
の」であると思う。これはどういうことかといえば、文学とは本来、途中のモ
メント的挿話に価値を求めるものでなくハートtoハート、最後まで読んで心で
感じたものがその作品の価値であり、やれ「この作品はこの作家の駄作」やれ
「失敗作」やれ「よく書けてる」やれ「傑作」だのという見方、接し方はそれ
自体が作品の価値を貶めるどころか読む側の能動的ポテンシャルを殺すもので
あり、もって超俯瞰的な視野でみるならば民衆の能動性を自ら殺し滅すもので
あり文学の本来的社会的存在意義からはほど遠く、まさに文学の死した現代的
情況の文学の瀕死の苦しみあえぐ中で文学のその本来的使命意義から逃避せず
文学の可能性、人間の可能性を信じてペンをとり続けた作家見沢知廉の作品に、
読む側の全実存をかけてハートで感じることが見沢文学を通じて文学の本来的
意義と同時に読む側の能動的ポテンシャルを再興し見沢知廉の魂に報いること
がせめてできるのではないかと思うし、そうせねばならないと思う。

 だからして、この「ニッポン」という一見センセーショナルな問題作的な作
品に対峙したとき私としてはエピローグのリンのわらを編む、編み続ける行為
を通じて私自らの一民衆の、人間の力強さを自らの内部に感じ発見し、生きて
いく勇気を与えられたのです。これは私自身の感想であるしほかに違う感じ方
たとえばメーソン云々日ユ同祖論的な方向で勇気と活力を受けた方もいるかも
しれないしそれはそれでいいと思う。ただ自分は世界のどんなものよりちっぽ
けな存在である自分が生きていく勇気を感じたということを自分のハートで感
じたこととして大切にして、どんなに辛くても生きていこうと思った。
(砂)


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【編集後記】
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 皆さん、作品社刊『愛情省』は読まれましたか?本邦初公開の「ニッポン」
は私にとって期待以上・想像以上の衝撃作でした。この短編を収録して下さっ
た作品社の編集者・青木氏に心から感謝申し上げます。未読の方は是非注文し
てお読みください。詳しい論評は次号以降に譲りたいと思います。

 見沢知廉の遺作はまだまだある筈です。作品社の3冊(『ライト・イズ・ラ
イト』『七号病室』『愛情省』)が売れることで、隠れた名作に陽があたるか
否かがかかっています。是非、友人知人他人にお薦めください。

 このメールマガジンを紹介してくださる方も大勢おられるようです。本当に
ありがとうございます。私達は見沢知廉ブームを起こすためにコツコツと頑張
っております。メールマガジンの発行部数目標は1000部です。ファンクラ
ブの活動は読者の皆様のご協力に支えられております。何卒今後とも宜しくお
願い申し上げます。

 今号には特別寄稿として「砂」氏の論文を掲載しました。独特の文体であり、
難解な内容ではありますが、非常に重要なことを言っておられると感じたので
ほぼ修正せずに掲載しました。充分咀嚼のうえお楽しみいただけると幸いです。

 私、朱斑羽が多忙のため、「白血球」の更新が滞っておりますが、6月中に
はリニューアルする予定です。メールマガジンの過去記事も読みやすくして収
録します。どうぞお待ちください。
(朱斑羽)

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創刊日:2005-11-13  
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