文学

【殺気ある文学】……見沢知廉を読む

稀代の純文学作家見沢知廉を顕彰し追悼するファンクラブのメールマガジン。見沢知廉の未発表作品に関する最新情報や、見沢文学への書評などを掲載する。

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【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.6

2006/05/07

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      【殺気ある文学】……見沢知廉を読む vol.6

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  「<文学>は、遊戯やツールではなく、まさに<殺気>である」

   見沢知廉著『日本を撃て』(メディアワークス刊)より

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 [H18.5.7] リニューアル特大号
 <目次>
 ■巻頭言
 ■追悼本出版決定!皆様へ協力のお願い(白血球團運営委員会)
 ■作品社から3冊目の新刊!『愛情省』5月刊行決定!!
 ■異色作家 故・見沢知廉との事ども [連載3](思川清風)
 ■ちょっと過激な東京見聞記(朱斑羽)
 ■名文引用『ライト・イズ・ライト』(たけし)
 ■編集後記
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【巻頭言】
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 新しくメールマガジンに登録してくださいました皆様、真にありがとうござ
います。このメールマガジンは、見沢知廉ファンクラブ「白血球團」が発行し
ています。ファンの視点から、見沢文学を掘り下げて読んでいこうという主旨
です。内容は全て会員からの投稿によるものです。見沢作品を初めて読んだ、
という方でも歓迎します。どうぞ感想文をお送りください。
 
 『殺気ある文学』は今後、見沢知廉の月命日である毎月7日に配信します。


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【追悼本出版決定!皆様へ協力のお願い】
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 雨宮処凛さんや深笛義也氏を中心として、見沢知廉追悼本が制作されること
になりました。まだ詳しい企画内容な出版会社は決まっていませんが、一周忌
をめどに出版を目指すそうです。

 そこで、見沢ファンクラブ・白血球團としても協力することになりました。
 ズバリ、「見沢知廉・全仕事年表」の制作です!

 すでに略歴等は各所に掲載しておりますが、今回は「完全な年表」を目指し
ます。何年にどの作品を発表した、というような内容になります。

 これがなかなか大変で、機関誌等も含めると御家族でも把握できません。遺
品が膨大で整理するのが難しいようです。そこで、インターネットを通じて協
力を呼びかけることにしました。お手持ちの雑誌等に見沢知廉の寄稿・連載等
ありましたら白血球團運営委員会までお知らせください!どうか宜しくお願い
致します。

※メールの宛先はこちら!→[ chiren@sejp.net ]
(白血球團運営委員会)


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【作品社から3冊目の新刊!『愛情省』5月刊行決定!!】
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 前号でもお知らせしましたが、早くも没後三冊目の新刊刊行が決まりました。
 しかも予定を前倒しして、5月中に発売されるそうです。通常は校正に時間
がかかるわけですが、今回は完成した作品を収録するので校正の必要がなく、
通常よりも早く印刷できるからであるようです。

 表題『愛情省』(作品社)
 収録作「愛情省」…月刊新潮に掲載された遺作
    「ニッポン」…未発表作品
    「天皇ごっこ」…新日本文学賞を受賞した初出バージョン

 表題作はオーウェルの小説に材をとった問題作で、見沢知廉の新境地とも云
われています。今回初めて公開される「ニッポン」も新しい要素を取り込んだ
作品であるそうです。「天皇ごっこ」は評論家の切通理作さんが<長編バージ
ョンより好きだ>と絶賛していた、短編ものです。

 作品社の担当編集者である青木氏にインタビューした過去記事がありますの
で、未読の方は参考までにどうぞ。↓
 http://chiren.sejp.net/in_aoki.html

 作品社の公式サイトはこちら→[http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/]
 今すぐ予約しよう!!


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【異色作家 故・見沢知廉との事ども】連載(3)
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by 思川清風(おもいがわ・せいふう)

 昭和52年(1977年)3月3日、「経団連事件」が発生した。元・楯乃
會の伊藤好雄を隊長に、野村秋介、西〇〇〇〇、森田忠明氏の4名が、日本経
済団体連合会=経団連(土光敏夫会長)の推し進める「経済至上主義」に警鐘
を鳴らすため、散弾銃、日本刀などで武装し、経団連会館を襲撃占拠したので
ある。世間一般の国民や、右翼民族派のほとんどの者たちも、この突然の事件
を余り理解出来なかった。しかし、純正右翼とよばれる大東塾の影山正治塾長
や、新右翼・一水会と、その周辺にいる者には、彼らの訴えようとしている事
が、如何にわが国にとって大事な指摘であるのかよく理解出来た。

 昭和53年(1978年)19歳からの高橋哲央=見沢知廉は、新左翼セク
トの活動を継続しつつ高校を卒業。中央大学法学部に入学した。そして、開港
を目前に控えた成田空港の「開港絶対阻止」を叫ぶ新左翼各派の合同ゲリラに
よる「3・26管制塔占拠闘争」に一兵士として参加。本人はこの作戦に参加
する限り生きて帰れないと考え、処女小説『回転』を執筆。新人賞へ投稿した。
管制塔占拠作戦は、激しいゲリラ戦の末思いがけなくも勝利し、警備の不意を
突かれた機動隊や警察官僚達は唖然とした。また、これまで、「成田空港問題」
にはあまり関心を示さなかった一般国民も、テレビ画面にアップで映し出され
たヘルメットにタオルで覆面をしたゲリラ兵士の誇らしげな姿に驚愕した。し
かし、多少の波乱含みで開港日程に遅れはあったものの成田空港は無事開港し
た。

 彼は、この作戦の成功によって、見えるものも見えなくなっていた。武装闘
争で社会が変わるという「革命の幻想」にとりつかれ新左翼セクトのアジト専
従になった。

 昭和53年は、私にとっても人生に何度かある転換期の一つであった。民族
運動を始めて、この三年来の課題であった、カタギ(俗にヤクザの足を洗う)
になり活動に専従するための苦難であった。「任侠道」と奇麗事を言ってはい
ても、ヤクザは所詮法律を無視して生きる暴力団であり、右翼・民族派は、国
のため国民のために政治家のできない部分で政治を糾す。この相矛盾する生き
方を両立しながらやれば、それは、嘘をつくことになる・・・。正月が明けて
間もなく、何度かの折衝の末、親分の了解を取り付けた。しかし、愛着があり、
兄弟や、知人・友人・同志たち、愚連隊の頃からの仲間など、あまりにしがら
みの多い横浜は、かえって今後の障碍になることを慮って、右翼活動のあまり
盛んではない北関東の保守?王国と云われる某県へ転居した。5月のことであ
る。7月には、体重が少なく未熟児ではあったが、長女が生まれた。8月には、
運動の拠点になる事務所を開設し、横浜からたった一人伴って来た若者を住ま
わせた。10月には、全く知らない県内各地を4日間かけて啓蒙街宣して回っ
た。左右の活動が活発な神奈川県とは違い、寒々とした空気を感じた。  

 一方、新左翼セクトのアジト専従になった高橋哲央=見沢知廉は、未だに
「日本の革命」を夢に見ていた。しかし、現実の日本国内は、「オイルショッ
ク」の影響で、ちり紙やテイシュッペーパー、石油製品などの品不足で大騒ぎ
するなど多少の不便さはあったものの、誰が名づけたのか経済は「神武景気」
といわれ益々上昇。「三種の神器」と呼ばれる家電製品を持つのが当たり前、
自家用車も一家に一台などと、国民は浮かれに浮かれていた。そして、戦後の
景気上昇と比例しながら膨張してきた社会党員、共産党員、労働組合の組合員
や新左翼の活動家のなど、所謂左翼勢力は年々減少の一途をたどり、その存在
自体に翳りが見え始めていた。成田空港問題も開港に伴って、非現実的な闘争
となってしまった感は否めなかった。新左翼セクト各派は、この辺で心機一転
なんとか巻き返しを図りたかった。

 高橋哲央=見沢知廉も、さすがにこの状況には憂いを抱き、新左翼各派の合
同により予定されていた「反東京サミット決起集会」が起死回生のための必須
の作戦と思っていた。しかし、各派の亀裂が大きく集会は中止になってしまっ
た。彼は、あまりにもセクト同士のエゴが大きいことから日本革命の非現実性
を目の当たりにして、新左翼に失望しセクトを止めた。空想の共産革命にも見
切りをつけた。そして、その鬱憤を晴らすかのように、その後一年間部屋へ閉
じこもって、ひたすら小説を書きまくり、また、活動に明け暮れ疎かにしてい
た勉強にも熱中した。 

 ヤクザを止め横浜から某県へ転居し心機一転。念願の右翼民族派専従活動家
になった私は、活動資金を稼ぐ為もあり軽トラを購入しチリ紙交換を始めた。
そのおかげでこれまでまるで知らなかったこの地方の町々の地理を覚えた。ま
た、各家庭から出る新聞や雑誌・書籍の類によって、住んでいる人々のおおよ
その職業や思想、信仰、家族関係、人間性を分析した。長い間裏社会で生きた
経験はこういう時とても役に立った。  

 活動の面でもこれまでと違い、県内では単独で動くしかないので、県本部を
立ち上げた。県内12の市を3ブロックに分けて、街宣車による啓蒙宣伝を地
道に行った。いろいろな運動で上京する事も多かったが、後を託した神奈川県
本部の様子を見るため時々は横浜へも出かけた。この新天地には全く知人や同
志が居なかった自分たちであったが、その年の暮れに突然二人の男性が事務所
に訪ねて来た。一人は、大東塾関係者、もう一人は防共挺身隊の関係者である
と名乗った。私と同年代の二人は、交互に、「最近頻繁に宣伝車で啓蒙活動を
しているようだが、どのような目的であるのか・・・」おおよそこんな質問を
投げかけてきた。

 高橋哲央=見沢知廉は、新左翼セクトを止め、共産革命の幻想にみきりをつ
けたつもりであっが、何故か心の中に渦巻く空虚な思いは消えなかった。そん
な時、昭和45年11月25日、東京市ヶ谷で壮絶な自決を遂げた有名作家で、
楯乃會創設者、三島由紀夫を追悼する「第10回 憂国忌」が、靖国神社に近
い東京都千代田区の九段会館で開催されることを知った。彼は、もともと、作
家として、その死に様も特異な三島由紀夫に何故かわからないが無性に引かれ
るものがあったので参加してみる事にした。憂国忌関係者にすれば毎年続けて
きた一つのセレモニーに過ぎない行事が進むにつれ、高橋哲央=見沢知廉の脳
裏には、管制塔占拠前後の事が甦ってきた。一日以上も暗い地下道に潜み、一
気に駆け上がった、あの、開港間近かの成田空港管制塔占拠の旋律にも似た衝
撃が体中を駆け巡った。全身に鳥肌が立ち快感に変わった。三島由紀夫の魂が
自分の体に一瞬時に入り込んだような錯覚に陥った。彼は、この事をきっかけ
に新右翼の団体に入った。
(思川清風)


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【ちょっと過激な東京見聞記】
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by 朱斑羽(しゅ・はんう)

 私はこの春、大学を卒業し、就職先の新入社員研修のため3週間ほど東京に
滞在しました。その間、僅かな休日を活かして東京見物を敢行したわけですが、
他のみんなとはちょっと変わった東京見物となりましたのでご報告致します。

○四月三日:上京し、共同謀議に参加する

 東京では福岡より早く桜が満開になり、すでに築地本願寺では散り始めてい
た。羽田空港からまっすぐ維新政党・新風の東京都本部事務所へ向かう。地下
鉄を降りて地図を頼りに歩くがなかなか見つからず、同じ場所を大荷物を抱え
てぐるぐる廻る。漸く発見したのは小さな雑居ビル。小さい表札。恐る恐る階
段を昇り、ドアを叩く。都代表の鈴木信行氏が笑顔で迎えてくれた。その日は、
鈴木都代表が東京近郊の若者を集めて顔合わせをやるという。その後続々と同
世代の男性諸君が集まった。その日は暗くなるまで「どうやって日本を変える
べきか」と討論。徹夜明けの私もハイテンションになり、途中で何を言ってい
るのか分からなくなる。その場におられた中に「朱斑羽」をご存知の方がいた。
恥ずかしくもボクなんです、と告白する。いつの間にか外は土砂降りに。
 ありがたくも、会社指定のビジネスホテルまで車で送っていただく。

○四月八日:一水会の街宣を見学し、三島由紀夫映画祭へ

 一週目の研修を終え、土曜日の新宿へ向かう。昼からの一水会の街宣を見学
するためだ。一水会はかつて見沢知廉が議長を勤めた政治団体である。既成右
翼のように戦闘服と高圧的な街宣車で軍歌を流すようなことはしないことで有
名。その市民運動的なスタイルは『ゴーマニズム宣言』でも紹介されたことが
ある。現在の代表は見沢知廉の盟友である木村三浩氏である。前代表の鈴木邦
男氏や木村氏は見沢知廉の作品のなかで度々モデルになっている。

 はじめ、新宿駅前の街宣は二人だけだった。シンパがいるかと見渡してもそ
れらしい人はいない。一人が街宣車の上に立ちマイクをもって演説し、一人が
機関誌「レコンキスタ」を販売している。この日は特別参加者が少なかったよ
うだ。機関誌を三ヶ月分購入する。福岡の偉人・頭山満が表紙になっているも
のがあったので驚いた。機関誌を売ってくれた男性と少し話す。笑顔の素敵な
優しい人だが、いざ車上で演説を始めると激しさに圧倒された。最後の方に代
表の木村氏が現れた。残念ながら木村氏の演説を聞くことはできなかったが、
見沢ファンクラブとして挨拶をすることができた。木村氏からも「見沢知廉追
悼本」のことを聞く。

 夕方は山手線を乗り継いで大森へ向かう。キスカ大森という映画館で「三島
由紀夫映画祭」をやっているからだ。お目当ては勿論『憂國』。三島由紀夫自
作自演の短編映画で、切腹シーンを含んでいることから三島の死後、夫人によっ
て上映禁止・全巻破棄の憂き目にあった曰く品である。最近オリジナル版が発
見されて新潮社の全集からDVDとして発売されることになり、今回は先行上映
となった。壮絶で美しいこの映画に陶然となる。

 その後、靖国神社に参拝し、夜桜デートを楽しむ。さらに新宿へ戻り、居酒
屋で食事をしてゴールデン街へ。野村秋介氏や見沢知廉も訪れ、木村三浩氏も
常連だという「ル・マタン」というスナックで呑む。カウンターのみで、名物
ママが一人でやっている店だ。壁には「レコンキスタ」などが所狭しと貼られ、
棚には難しい社会関係の本が並ぶ。ママは裏世界のことを知り尽くしている。
しかし以前から韓国ドラマに嵌っているそうな。意外に今どきのおば様らしい。
 暖かくもてなしてくれたママと、一日エスコートしてくれた司ちゃんに心か
ら感謝。

○四月九日:支那共産党批判デモ行進に参加する

 昼、新宿の大久保公園へ向かう。支那共産党がプロデュースし暴動になった
昨年の反日デモに抗議する反中デモである。誰よりも早く集合場所に着いたの
だが、続々と背広姿のおっさんが集まって遠巻きにこちらを観察している。後
でわかったことだが、公安警察だそうな。集会が始まって決議文が読み上げら
れたりしているところを皆で仲良くメモっている。日差しの強い中ご苦労なこ
とだ。台湾からも多くの参加者があり、黄文雄氏や林建良氏が檄を飛ばす。支
那共産党の迫害を受ける諸国の旗が乱立し、非常にカラフルなデモ行進が始ま
る。参加者は老人から子どもまで。おもいおもい、自作の横断幕やプラカード
を掲げる。私は日章旗を掲げ、先頭付近を歩く。新宿中央公園まで、日曜の人
出が多い中をシュプレヒコールをあげて延々と歩く。先導する維新政党・新風
の街宣車が頼もしい。緊張の初体験だった。

○四月十五日:サムライに会う

 東京から電車を乗り継いで二時間ほどの場所へ向かう。ある人物に会うため
だ。その人とはネットで知り合った。年齢は56歳、大先輩である。見沢知廉
と同じく、政治犯としての入獄経験もあるらしい。待ち合わせ場所で震えが来
たが、実際お会いすると、もの凄く優しそうなおじさんだった。熱い握手を交
わし、そのまま城跡へ向かう。桜の下で酒を一杯。男の生き方について教えを
受ける。壮絶な人生を歩んできた人なのに、まるで仙人のような風格だ。いや、
その生き様、信条はまさに武士だ。豪快な笑いに惹きこまれて楽しくなる。夕
飯までご馳走になってしまった。
 「君は政治活動に入ろうとしているが、すでに公安にチェックされているか
ら気をつけろよ」という警告。びびりながらも「平気です。志がありますから」
と応える。この人の言葉はずしり、と来る。

○四月二十二日:見沢知廉のお墓に参る

 見沢知廉が熱烈に愛したアイドルグループがある。それはキャンディーズだ。
深笛義也氏は、左翼時代の見沢知廉とキャンディーズについて熱く語り合った
と証言している。そのキャンディーズのファンサイトを運営している女性と、
見沢ファンサイトを通じて知り合った。彼女は、晩年の見沢知廉と頻繁に情報
交換をしていた。(この件に関しては次号で詳しくお伝えする)

 その女性も残念ながら見沢知廉と直接面会することはできなかったが、是非
お墓参りをしたいと仰っていた。東京滞在最終日にこの女性と待ち合わせ、文
京区にある光源寺へ向かう。頼りとなるのは正狩炎氏のウェブサイトにある地
図だけである。途中の花屋で墓参用の花を買う。この辺は何故か寺院が多い。
同行の女性がいなければ、方向音痴の私ではいつまでも到着しなかっただろう。

 漸く辿り着いた光源寺は本堂の工事中だった。工事現場の間をあるいて墓地
に向かう。手狭な敷地内に墓石がびっしりと並んでいる。水桶と柄杓を借り、
線香の束を買う。「すっかりお墓参りスタイルですね」と不謹慎に笑う。私も
その女性もあまり墓参りをしたことがないのだ。

 墓地をぐるぐる歩き回って「平井家之墓」を発見する。側面を確認すると見
沢知廉の戒名がしっかりと刻まれていた。二人で墓石を清め、花と線香を手向
ける。ライターの火をを強にしたのだが、なかなか線香に火がつかない。入り
口にガスコンロがあった理由を知り納得する。

 二人で手を合わせる。女性がキャンディーズのグッズやビデオなどを供える。
「見沢さんならすぐに高速ダビングして、あの世で楽しんでくれる筈」と。見
沢知廉ならできそうでコワい。素晴らしく快晴で、風の強い日だった。
 わざわざ神奈川から来てくださり、見沢知廉から贈られたというキャンディ
ーズの本を譲って下さったSEEDさんに感謝。

 怒涛のような東京滞在を終え、翌日帰郷し、仮配属先で五月病に罹る。

(朱斑羽)


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【名文引用『ライト・イズ・ライト』より】日本と世界の維新革命
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by たけし

  『ライト・イズ・ライト」の29から30ページまでを引用します。

(引用開始)
  新ウヨク――じゃあ主張は?反体制、反権力、反米反ソ、日本と世界の武力
維新革命。ほとんど、対極の赤軍派と同じカラー。この色鮮やかなキラキラと
輝くスローガンのスパンコールは、しかしまったく新しい創製ではない。
 三島、イコール戦前反体制右翼、その原点への先祖帰りなのだ。二・二六事
件の北一輝、そのプロモーターの西田悦、主犯の磯部浅一、五・一五事件の橘
孝三郎や大川周明、満州事変のプロデゥーサー石原莞爾、中野正剛うや井上日
召―――彼ら戦前反体制右翼は、南極と北極がランデブーするように、赤軍派
と偶然ほとんど同じ主張を、つまり、<世界革命>の四文字を、ハッキリとそ
の著作野中にキラキラとまばゆバラ蒔いているのだ。この、魂の成仏できぬ無
念の霊が、三島に憑依した。それが市ヶ谷で時代と強烈なスパークを起こし、
そのガス爆発からオギャーと生まれたのが、つまり新右翼なのだ。
(引用終わり)
  
 見沢氏にもっとも似合わない言葉を探してみると、「生ぬるい」という言葉
が頭に浮かぶ。全身全霊をかけて、脳味噌から大量のドーパミンを放出して活
動せずにいられなかった。市販されていないので読んだことがない『民族派暴
力革命論』や『上級維新入門講座』にも、きっと日本維新革命の思想を中核と
した理論が書かれているのであろう。新右翼は、戦前反体制右翼への原点回帰
と記している見沢氏は、金よりも命よりも、政治の世界で暴力と理論でスパー
クしていることに快感を覚えていたのだ。戦前の優れた思想家と比べると、我
々の政治意識、覚悟など吹いて消えてしまうほど脆弱なものであろう。見沢氏
は、そういった現状から脱出するために、政治と文学に情熱を捧げながら、戦
前の思想家達を尊敬していたに違いない。
(たけし)


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【編集後記】
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 今号はリニューアル特大号です。といっても、一行の文字数をちょっと変え
ただけで内容は増えておりません。もし読みづらい!等の苦情がありましたら
お知らせ下さい。
 毎月25日に配信しておりましたが、今号は予定から10日以上も遅れてし
まいました。編集責任者である私が研修などでバタバタしてしまった為であり
ます。深くお詫び申し上げます。というわけで、今号から配信日を毎月7日に
変えちゃいます。7日は見沢知廉の月命日ですので。
 尚、メインサイトの更新はもう少し先になります。更新しましたら号外など
でお知らせ致します。皆さん、五月病には気をつけましょう。作品社さんの新
刊をお楽しみに!(朱斑羽)

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   発行責任:見沢知廉ファンクラブ【白血球團】運営委員会
   見沢知廉ファンサイト・白血球 [http://chiren.sejp.net]
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