文学

【殺気ある文学】……見沢知廉を読む

稀代の純文学作家見沢知廉を顕彰し追悼するファンクラブのメールマガジン。見沢知廉の未発表作品に関する最新情報や、見沢文学への書評などを掲載する。

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【殺気ある文学】……見沢知廉を読む 板垣哲雄氏追悼特別号

2006/03/31

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  【殺気ある文学】……見沢知廉を読む 号外

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[H18.3.31] 統一戦線義勇軍・板垣哲雄氏 追悼特別号

「<文学>は、遊戯やツールではなく、まさに<殺気>である。」

「創作のクライマックスに昇りつめる時の作家は、小手先の<技巧>
を超越した一匹の野獣に変身する。自分だけの内面に秘めたトラウマ、
強烈な愛憎の混交、日常性では許されない残酷、暴力、自他の破壊衝
動――を、<真っ白になるまで燃え尽きたい>という一点の夢に集光
して、まばゆい生命の燃焼を演じるのだ。」

 見沢知廉著『日本を撃て』(メディアワークス刊)より

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 統一戦線義勇軍・板垣哲雄氏 追悼特別号

 <目次>
 ■はじめに
 ■異色作家 故・見沢知廉との事ども [連載2](思川清風)

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【はじめに】

 見沢知廉と関係の深かった「統一戦線義勇軍」の元幹部である板垣
哲雄氏が亡くなりました。今号は、板垣氏の追悼特別号として急遽配
信することにいたしました。先々号から連載していただいている思川
清風氏が板垣氏に関して触れておられます。前号にて思川氏の連載2
を来月号に掲載する旨告知しましたが、予定を変更して号外に掲載致
します。

 故・板垣哲雄氏の冥福をお祈り申し上げます。
(朱斑羽)


【異色作家 故・見沢知廉との事ども】連載2

by 思川清風(おもいかわ・せいふう)

 この頃の私は、神奈川県横浜市を活動拠点にしていた関係もあり、
同世代ではあったが、運動では先輩にあたる、菊水国防隊事務局長の
蜷川一誠(当時、現・21世紀書院代表、蜷川正大)氏が主宰し毎月
開催していた民族派勉強会「横浜青年政治研究会(横政研)」 へ率
先して参加した。

 昭和50年代初頭(1975年〜)日本国内における右翼・民族派
各派の活動テーマは、北方領土奪還、尖閣諸島実効支配など多岐にわ
たるが、反社会党、反共産党、日教組解体など、相変わらず「反共」
が主なテーマだった。しかし、徐々にではあるが「反共」から、右翼
本来の姿である「反権力」活動への回帰ともいえる萌芽が見えていた。

 そのきっかけは、核大国である米国の推し推める、現段階での核保
有国以外の国々に対する核不拡散政策=「核拡散防止条約」の強制で
あった。この所謂「核防条約」が提起されると、条約の批准反対を統
一の政策課題として、「日米安保条約」以来、全国の主な右翼勢力が
結集する機運が高まった。そして唯一この政策に限ってではあったが
「核防条約批准阻止共闘会議」という名称の統一戦線が結成された。
この後、国会議事堂、自民党本部周辺は、その当時次第に増えてきた
右翼の街頭宣伝車による度重なる抗議行動により騒然とした状況が現
出した。その結果、これまでにみられない右翼の活発な行動と、それ
を取締ろうと阻止線を構築する機動隊との衝突が、都内主要部の至る
ところで見られるようになった。また大日本生産党員による「国会乱
入事件」など多くの事件も頻発した。今では顕著になった所謂右翼の
街頭宣伝車による「騒音」などに対して一般国民の目が向けられるよ
うになったのもこの頃からである。

 昭和52年(1977年)高校2年生になっていた高橋哲央=見沢
知廉は、学期末試験で教壇に上り試験用紙を破って「教育批判」の演
説を行ったり、クラスメイトの新左翼活動家と共に教室を破壊し退学
処分となっている。その後定時制高校に転校。又、勧誘され新左翼セ
クトに入り、何故か新左翼とは全く対極にある暴走族に入るなど、普
通では考えられない行動に走っている。それまで彼の中で眠っていた
青春の血が一気に燃焼し出した感がある。

 右翼民族派の反対活動を尻目に「核防条約」は国会で批准された。
社会党、共産党を含む左翼勢力も、本音の部分では、この条約に反対
であったが、何故か右翼ほど反対運動の盛り上がりをみせなかった。
「核防条約」に対し日本の右翼と左翼は「日米安保条約」の時の反対
の現象が起きていた。

 私の所属する団体には、千葉県本部がある関係で成田空港開港に賛
成の立場をとっていた。成田空港問題は、日に日に緊迫の度合いが深
まり、最後の攻防を迎えようとしていた。開港反対を叫ぶ新左翼各派
は、この当時、機動隊との戦いに死に物狂いで動員をかけていた。特
に、茨城県神州町議会で可決されようとしていた「航空機の燃料パイ
プラインの暫定輸送」の阻止を叫んで押しかけた新左翼セクトと、私
の所属する団体は機動隊を挟んで正面衝突。双方に怪我人や逮捕者を
出した。

 この年、神奈川県では、若手の右翼民族派活動家が中心となり、都
道府県単位では、国内で初めての協議体である「神奈川県維新協議会」
が結成され注目を集めた。

 と、ここまで書いた時、板垣哲雄氏の訃報がメールで入った。(3
月5日夕)

 話しは横道にそれるが、この連載と全く無関係ではないので、お許
しを頂いて、板垣哲雄氏にも触れておこうと思う。 

 余談であるが、メールの送り主は古澤俊一氏である。彼は、新右翼
教祖、故・野村秋介先生晩年の門下生で、秘書を勤め、朝日新聞東京
本社役員応接室で、先生が自決された時同行し一部始終を見ていた数
少ない内の一人である。彼は、師・野村が自決をしてまで朝日に訴え
た事を、教訓として生かそうとしない朝日新聞社の対応に憤り、平成
6年4月1日、「朝日新聞東京本社占拠事件」を起こしている。

 ちなみに彼が板垣哲雄氏と最後に会ったのは、自身が名古屋刑務所
から出獄して間もない、平成10年8月、東京拘置所へ面会に行った
時であったという。

※古澤氏のHP「リソルジメント」…
  http://www.ne.jp/asahi/risorgimento/pasta/ 

故・板垣哲雄(享年49歳) 革正評論社代表 神奈川県横浜市出身

 平成10年1月13日、米国主導の金融政策いわゆる「日本版ビッ
クバン」に警鐘を鳴らすため、YP体制打倒青年同盟を名乗り、東京
証券取引所に篭城、発砲事件を起こし、8年の刑で山梨県にある甲府
刑務所に下獄。二年前の平成16年、大腸癌を発病、東京八王子医療
刑務所内にて手術。術後は良好で甲府刑務所へ戻っていたが、昨年秋、
肝臓癌が発見され再び医療刑務所で療養中だった。しかし、病状が急
変、3月4日夜、49歳の生涯を閉じた。あと一ト月ほどで満期出所
を迎える筈であった。

注…「YP体制打倒青年同盟」昭和52年3月3日の経団連事件、昭
和62年1月13日の住友不動産会長宅占拠事件他・・・など、新右
翼の教祖、野村秋介周辺関係者や門下生による事件の際に使用される
名称

<略 歴> 昭和48年 横浜青年政治研究会に加盟、政治運動を開
始。その後、大日本殉皇会・幹事長、神奈川県維新協議会事務局長、
統一戦線義勇軍・書記長などを歴任。昭和58年、革正評論社を設立。 

<戦 暦>
 ○昭和53年11月30日 大平正芳自民党幹事長私邸侵入事件                    
 ○昭和57年9月3日 鈴木善幸総理私邸直訴事件
 ○昭和60年6月20日 神奈川県逗子市池子の米軍住宅地建設反
対闘争で、防衛施設局に火炎瓶投擲事件。                                                  ○平成10年 1月13日 日本版ビックバンに警鐘を鳴らすため、東京証券取引所篭城事件。

※檄文は、朱斑羽氏HP「PR研究ブログ」をお読み下さい。
  http://fss.jugem.jp/?eid=154

 振り返れば、故・板垣哲雄氏と私は、運動を始めた初期の頃から親
しくしていた。共に同じ横浜市内に住んでおり、彼が「横政研」に関
わり、実質的には、蜷川一誠氏の弟分的な存在であったことも大きな
要因であった。彼の所属する大日本殉皇会主催で毎年恒例行事の「紀
元節奉祝神奈川県大会」にも参加した。大日本殉皇会会長の小早川貞
夫氏(平成14年没)は、神奈川県下でも古参の活動家で、私は、純
朴で若手活動家から慕われていたこの方を、尊敬の意味を込めて、奇
人変人狂人の先生と呼び最も尊敬していた。

 故・板垣哲雄氏と私は、神奈川県維新協議会の結成にも参画し、協
議会が毎月開催する勉強会や定例会議、定例の県下遊説街宣活動にも
積極的に参加していた。また、当時加盟していた、全日本愛国者団体
会議(全愛会議)関東協議会などの呼びかけで行われる、日教組の教
研集会や全国大会への反対活動などでもよく顔を合わせた。

 彼は、5・15事件で著名な三上卓の門下生で、故・野村秋介氏の
弟弟子である、花房東洋氏の主宰する「大夢館」(岐阜市)に暫く住
んだことがあった。この時は、私が花房氏に依頼して心よく引き受け
て貰い、時々岐阜へ彼を訪ねては酒盃を重ねる事もあった。 

 私が、昭和61年にある政治事件で社会を留守にして、平成4年に
帰還してから、彼に会ったのは、わずか二回。平成10年1月13日
に彼が決起した「東京証券取引所篭城事件」の少し前に、横浜市内の
大悲会事務所で会った事があるが、どんな話をしたのか記憶に無い。
そして、彼と最後に会ったのが、何月何日か定かではないが、東京拘
置所の面会室であった。いまでも、その時の彼の顔が忘れられない。

 4月1日には、横浜市港北区烏山町にある板垣家の菩提寺、瑞雲山
・三会寺に於いて「同志葬」が予定されている。彼と親しかった同志
の面々と久しぶりに彼の事どもを語らい合いたいと思う。

 茲に謹んで、
 故・板垣哲雄同志の御霊の安らかならん事を祈念し・・・合掌。
(思川清風)


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創刊日:2005-11-13  
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