日記・blog

物書庵藤一週記帖

物書庵藤一が綴る、森のこと、樹々のこと、野鳥のこと、蕪村のこと、また経済のはなし、地理のはなし、歴史のはなしなどなど、雑感雑記で書き連ねていきます。

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物書庵藤一週記帖(91号)「平安の仮名・鎌倉の仮名」

2005/12/25


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         「平安の仮名・鎌倉の仮名」

            物書庵藤一週記帖  91号(2005.12.26)
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住む環境が変わり、緑も少なくなって、散策に出る機会が減ってしまっ
た。これではマズイと気をとり直して、少し距離はあるが、○○親水公
園めざして歩いてみる。たどり着くと、池のある広めの公園もあって、
いました!ハクセキレイが一羽。池中の浮島みたいなところで尾を振り
ながら歩いている。そこにコサギがやって来て、人工池のコンクリート
で固められた護岸の隅を、ゆっくり時間をかけながらつつき回っている。
見ている方も相当の閑人だ。ハクが飛び去ると今度はセグロが。ウン、
散策はやっぱりやめられないか。

二〇〇五年も残りわずかとなってしまった。ことしは『古今集』上梓一
千百年、『新古今集』上梓八百年に当たり、それを記念していくつかの
イベントが催された。東京丸の内にある出光美術館での「平安の仮名・
鎌倉の仮名」展もそのひとつ。閉幕直前に、のこのこ出かけてみた。

九世紀後半の藤原良房・基経の摂関政治を経て、平安貴族政治は全盛期
を迎える。貴族階級一辺倒の“雅び”なる『古今集』は、こうして生ま
れる。やがて、成り上がりも含めて、地方豪族たる武士(もののふ)や
民衆たちが急成長した鎌倉期、藤原定家・有家等斜陽貴族を中心に『新
古今集』は編まれる。が、ローカルな“鄙び”の美はすでに落日の平安
城を覆い尽くしていた、と考えてよいだろう。
平安のかなと、鎌倉のかなと。表されたかなは、いずれも繊細にして流
麗。現代人の目で見ても、美しいかな文字に違いない。しかし印象はと
問われれば、明らかに異なる。平安のかなは余白・連綿ともに美しく、
消え入りそうな優雅さが身上。一方、鎌倉のかなは太く強く、運筆に厳
しさ・逞しさが表れる。

最も感銘を受けたのが、伝藤原行成筆『倭漢朗詠抄 巻下』。可読性の
高い行書体の漢字と、連綿美しく流麗なかなとの絶妙なバランスが素晴
らしい。『和漢朗詠集』は1010年代に藤原公任によって編まれ、三蹟の
ひとり行成が書したとされる。藤原道長・頼通の摂関政治による最後の
貴族政権の時代である。「祝」の項の「嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未
央(謝偃)」「長生殿裏富春秋 不老門前遅日月(保胤)」。また「無
常」の項の「蝸牛角上争何事 石火光中寄此身(白居易)」などの詩句
が、九百年を経て墨痕あざやかに現前するさまに圧倒された。

もう一点、古筆手鑑『見努世友(みぬよのとも)』。奈良期から室町期
までの古筆を集めた折本装で、表・裏に二百葉を超える古筆切が貼られ
ているという。ガイドには「古筆手鑑として、内容・形式ともに高い水
準を示す。美術的に優れた筆跡として尊敬される平安時代の古筆切三十
余葉を含む」とある。いわば、書のお手本集というわけだが、殊に装丁
の美しさに見惚れてしまった。

書の“雅美”と“鄙美”につつまれた至福のときに温まったこころとか
らだだが、外へ出ると突き刺さるような北風に立ちすくんでしまう。暖
冬の予報は大いに外れ、大寒波列島と化している。くれぐれもご自愛を。

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「物書庵藤一週記帖」91号――「平安の仮名・鎌倉の仮名」

●編集・発行:<物書庵藤一>松見 藤一
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創刊日:2005-07-19  
最終発行日:  
発行周期:週一回発行  
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