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週刊 山粒

NYでライター修行中の山粒軍団が送る書きたい奴が書いちゃうコラム達!!

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週刊 山粒No90

2006/02/22

           週刊  山粒 (Volume90)
          山椒は小粒でもぴりりと辛い!!!

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 今週の目次

 『戯言戯言』 ヒロ
  編集者後記

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              『戯言戯言』

  日記

○月×日

オイラはあまり悩まない。

全てのことにおいて深く悩むことが少ない。

もちろん、末っ子の寂しがり屋さんなので悩んでいるポーズだけをして他人の
気を引こうとすることはある。最低だ。

でもそんな時だって、本当は大して悩んじゃいないんだ。誰かが傍にいてほし
いだけの話なのだ。

オイラは悩まないから、真剣に悩んでいる人に出くわすと、大変に困ってしま
う。まず、感情移入が難しい。気安く「頑張れ」と言う気にもなれないし、「
悩むことはいつかプラスになるよ」とか気が向くと言っちゃったりしながら、
でも心の中では「ほんとうにそうなのか?」ととるつもりのなど毛頭ない責任
を思いながら疑問を抱いている。

オイラはそういう適当で、いい加減な人間だ。

オイラの周辺の連中はきっと、そんなオイラの適当さに気がついている、と願
う。それでいい。

それこそ、オイラはお葬式とか学芸会とかといった真剣さが求められる場面で、
「あ〜〜腹減った。ラーメンでも食いたいぜ」とか平気で言いたくなっちゃう
奴なのだ。そう皆に共通の理解を抱いていただきたいと思っている。

悪ぶっているポーズでしょ、とか疑うことを知らない心のきれいな方は言って
くれたりするのだが、「イエイエ」そういうのは魔王のような実は心のピュア
な奴のことで、アッシは性根が腐っておりますと心の中で思っているが、口は
「いや〜〜ばれちゃいましたか〜〜そうなんですよ」などとサラッと言ってし
まう。

だいたい、こんなことを書いていて自己嫌悪におちいらない時点で、オイラの
モラルの三半規管はちょっとおかしいのだと思う。きっと。

そして、そんな最低な自分が結構好きなのだ。手に負えない。



○月×日

作家、司馬遼太郎の小説に「坂の上の雲」という作品がある。

個人的には、司馬遼作品中でももっとも好きな作品の一つなのだが、この長編
小説の一説に以下のような表現がでてくる。長いが引用してみたい。

「あたりまえのことをいうようだが、有能とか、あるいは無能とかいうことで
人間の全人的な評価をきめるというのは、神をおそれぬしわざであろう。こと
に人間が風景として存在するとき、無能でひとつの境地に達した人物のほうが、
山や岩石やキャベツや陽ざしを溜める水たまりのように、いかにも造物主がこ
の地上のものをつくった意思にひたひたと適ったようなうつくしさをみせるこ
とが多い。

日本の近代社会は、それ以前の農業社会から転化した。農の世界には有能無
能のせちがらい価値規準はなく、ただ自然の摂理にさからわず、暗がりに起き、
日暮れに憩い、真夏には日照りのなかを除草するという、きまじめさと精励さ
だけが美徳であった。

しかし、人間の集団には、狩猟社会というものもある。百人なら百人という
ものが、獲物の偵察、射手、勢子といったぐあいにそれぞれの部署ではたらき、
それぞれが全体の一目標のために機能化し、そうしてその組織をもっとも有効
にうごかす者として指揮者があり、指揮者の参謀がいる。こういう社会では、
人間の有能無能が問われた。」


他人の日記を読んで、「才能」という興味深いサブジェクトについて考えてい
たとき、この作品のこの行を思い出した。
さらに言えば、自分の仕事における才能のことだ。

僕らの生きる今の世界は、有能か無能の二者択一の評価が絶対として構成され
ている。そういう意味では狩猟社会だろう。言いか悪いかという話ではなく、
実際にそういう現実なのだ。

そして僕もハンターよろしく、無能だと感じる人と仕事をするとイライラして
しまう。自分がどこまで有能であるか無能であるか、という質問は棚上げして、
仕事のできないやつが周囲に存在するだけで疲れを感じてしまうという、わが
ままさを持っている。

特に、フリーの仕事を好んでする奴というのはその傾向が人より強いのではな
いだろうか?(フリーランスには、大きく二通りが存在すると思っている。一
方はフリーであってもフリーでなくても仕事ができる連中で、他方はフリーで
なくては、つまり組織として仕事ができないグループだ。)

フリーの記者、いや、このさい一般に「記者」と大きくとらえてもいいが、僕
らに求められる才能というのもこのへんに回答の糸口があると思う。

僕らの職場は路上だ。記者の職場は路上であって、オフィスではなと言い換え
てもいい。さらにフリーランスの記者にとって、卓上の論議は大した意味をも
ちはしない。一人で考えるのが基本のフリーランスに、誰も話し相手になる人
のいないオフィスになんの意味があるのか。

机で考えるのが好きな人間は、現場には向いていない。編集者とか、なんでも
いいが他の道を探ればいい。頭より体が反応しなければ、「瞬間」には出会え
ない。それらしい言い訳ではなく、「結果」を求められるのが記者だ。

僕が尊敬する多くの先輩記者から耳にたこができるほど言われてきたのは、
「走りながら考えろ」という姿勢についてだ。

時間は動いている。つまり、時間も走っているのだ。

だから僕らも走り続けていろ、ということだと格言を僕は個人的に解釈してい
る。

そして、これができる人間は記者としてのそこそこの才能をもっているとあえ
て言い切ってもいい。才能なんていうのものは、以外とシンプルなものなのか
もしれない。シンプルだからこそ、それが欠けている者は絶望的ですらある。


さらに性質が悪いことは、こいつはいかんせん才能であるため生まれもって持
ち合わせていない連中には、残念だがあまり素敵な未来は望めなくなるという
ことだ。

ライオンは肉を食うもので草を食んでは生きていけない。たとえるなら、才能
はとはそういう類のものだ。

狩は始まっている。



○月×日

しばし「才能」についての話しを続けたい。

先日、友人のデザイナーと酒を飲みながら「才能」についてざっくばらんな話
をしていたら、こんな印象的なことを言っていた。

"If you don't get it, you won't get it."

才能というやっかいな存在を表現するのに、これ以上にないと思えるほど的を
えている言い回しだと大いに納得してしまった。

これを残酷ととるか、現実だと受け止めるかは個の裁量だろう。ダイヤモンド
は磨けば輝く。石ころは磨いてもダイヤのようには輝きはしない。

ダイヤの輝きが絶対であると言っているのではない。「オンリーワン」がすば
らしいと歌った歌が大ヒットするご時世だ、石ころには石ころのすばらしい輝
きがある、というのも一理。

しかし、ダイヤと石ころの輝きは別物であるということにはスマップも異論は
ないだろう。

才能とは持って生まれてくるものだ。持って生まれたものだから、持っていな
い人にはどこか寂しいものでもある。オイラには音楽の才能が著しく欠落して
いる。これを昔からどこかで寂しく感じてきた。

そして、努力は才能よりも重要だということもよく聞かれる。往々にしてこれ
は事実だろう。どんなに輝くような才能を持っていても、その価値に気づいて
努力をしなければ輝きは鋭くならない。

しかし本来は、「才能と努力の関係性」という非常に感情的な論議は、才能の
話をしているときにはあまり関係性の強いものではない。努力は才能よりも価
値があるというまっとうな考えは、しかし、ここでの議論からするとどうでも
いいことなのだ。

才能は、結果を約束してくれるものではない。才能のある人でも、成功すると
は限らないというのは良い例だろう。才能と結果は数式に変換できないものな
のだ。そん点、努力は結果との関係において数式に表すことが原則的には可能
だろう。

よって、結果を見据えて行われる「努力」はもともと純粋な才能とは異質なも
のになるのだ。努力は誰にでもできる。しかし、才能はもっている者だけの話
になる。

製作の仕事をする時、と言うよりは、製作の仕事が「かっこいい」とか「憧れ」
といった対象として見られてしまう現在の日本の摩訶不思議な経済社会の中で
は、担い手希望者の多い「クリテーター/製作者」への厳しい競争を生き残るた
めにどうしても才能という天賦が求められてしまう。つまり、才能を持たない
者が生き残る可能性は非常に厳しいだろうという現実の出来上がりなのだ。

あえて言っておくが、本来、人間は「向いている仕事」などではなく、「やり
たい仕事」に従事すべきなのだとオイラは真剣に考えている。生産性や有能無
能が問われない社会システムのなかであれば、それこそが本来は仕事のあるべ
き姿だし、人間の幸福なのだ。

問題は、今の社会がそれを許してはくれないということだけだ。

ヒロ
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編集者後記

友人のカメラマン石川さとるさんが「NYのおさんぽ」という、ガイドブック
のような写真集のような不思議な本を鈴木氏というライターさんと共著で出版
した。

http://www.bk1.co.jp/product/2639522

NYでは日系書店でも売っていますのでよかったら買ってあげてください。

その中で、17ページの子供の写真があります。わかりやすく言ってしまえば、
彼の才能を感じる一枚です。

今週もワーワー言っとりますが、お時間ですさようなら。
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編集 2/21/06
発行元:週刊山粒編集



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創刊日:2002-08-28  
最終発行日:  
発行周期:週一回発行  
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