文学

オルフェウスの杖

妻を亡くした老作曲家が、クリスマス・イヴの夜、新宿の喫茶店で怪人メフィストフェレスに遭遇します。そして、その怪人から、或る条件で、作曲家が、冥界から妻を連れ戻す手伝いをすると言われます。その条件とは何でしょうか。

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オルフェウスの杖(1)

2006/05/01






                  オルフェウスの杖




                      1




     夕方だった。街行く人々は、幸福そうであった。その夕方の街を行く人々を
    男は、もう長い時間、ガラス越しに見つめて居た。
     店の中は、いつもの様に、客で賑わっていた。だが、この古い喫茶店の常連
    は、物静かな客が多いため、店の中は、意外な程、静かであった。ただ、店の
    入り口に飾られたクリスマス・ツリーだけが、その古い喫茶店の空気をいつも
    より華やかな物にして居たが、男は、そのクリスマス・ツリーからは離れた席
    に座って居たのだった。
     男は、カウンターに座って居た。カウンターは、黒く塗られた木のバーで、
    男は、そのカウンターの奥まった場所に座り、店の大きなガラス窓を通して、
    クリスマス・イヴの街角を見つめて居るのだった。
     男がそうして居る間にも、クリスマス・ツリーの横の、その店の出入り口か
    らは、新しいお客が、店の中に入って来た。そして、それと入れ代わりに、も
    う何人もの客が、そこからこの店を出て、クリスマス・イヴの街に消えて行っ
    たが、その初老の男だけは、そうしたクリスマス・イヴの賑わいとは無縁でで
    もあるかの様に、その薄暗い喫茶店のカウンターに座ったまま、そこを去ろう
    としないのであった。

     男は、さっきこの店に入って来た若い女性が、恋人らしい若者と店を出て行
    くのに気が付いた。その若い女性は、白いコートを着、手にヴァイオリンの黒
    いケースを持って居たが、男は、その様子から、彼女が、音楽を学ぶ学生か、
    或いは、東京のオーケストラに入ったばかりの若いヴァイオリニストではない
    かと想像した。今、その美しい女性は、店で待ち合わせをしたその恋人と、何
    処かでクリスマス・イヴの食事をするらしく、クリスマス・ツリーの横のレジ
    で勘定を済ませ、店を出て行く処であった。男は、その後ろ姿を見ながら、心
    の中で、その幸福そうな若い二人を祝福した。

     続いて、男の隣りに座って居た三人連れが、席を立ちあがった。三人は、そ
    れぞれに、マフラーやコートを身にまとうと、先ほどの若い男女と同様、勘定
    を済ませ、クリスマス・ツリーの横の出入り口から、何やら談笑しながら、店
    の外に出て行った。−−その為、男の横には、彼らが座っていた席が、三つ空
    く事と成ったのだった。
     通りを隔てた向かいは花屋で、その店先では、人々が、クリスマスの為に、
    花を買って家に向かうのが、ガラス越しに眺められた。クリスマス・イヴの夕
    方に、窓ガラスを通して見るその花屋の光景は幻想的であったが、男は、その
    花屋の光景を見ながらも、何か、その光景以外の事に心を向けて居る様に思わ
    れた。

     その時である。男は、喫茶店のその大きな窓から見える、夕方の街の風景の
    中に、一人の無気味な大男の姿が有る事に気が付いたのであった。その大男は、
    恐ろしく背が高く、あごひげを生やして居た。そして、黒いマントに身を包ん
    で居た。その大男は、その様な無気味な姿をして居たが、右手には、この世の
    物とは思われない美しい花束を持ち、店の前をゆっくりと歩いて居るのであっ
    た。男は、窓越しに見るその大男の姿に目を奪われた。すると、その大男は、
    その喫茶店の前で足を止めた。そして、無表情な顔で、店の中を覗くと、それ
    から、その場を動かなく成ったのであった。
     窓ガラス越しにその大男を見た瞬間、男は、その大男が、この世の者ではな
    い事を確信した。男は、紅茶のカップを手に取り、自分の視線に気付かれない
    様注意しながら、その無気味な黒装束の大男を観察した。そして、その大男は、
    死神ではないか、と想像した。そして、通りを行く人々には、どうやらその大
    男の姿が見えず、人々が、その大男の存在に気付かないらしい事に気付くと、
    一体、クリスマス・イヴの夕方に、どうしてその様な、この世の物ではない何
    者かが、東京の街角に姿を現したのかと、考えを巡らさずには居られなかった。
     すると、窓ガラスの前で店の中をうかがっていたその大男は、ゆっくりと、
    店の入り口に近寄った。そして、店のドアを開けると、横に在るクリスマス・
    ツリーを一瞥し、店の中の誰からも注意を引かぬまま、ゆっくりと、店の中に
    入って来たのであった。

                                  (続く)







     西暦2002年12月16日(月)
     (平成十四年)














                         西岡昌紀(にしおかまさのり)

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創刊日:2002-11-27  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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