カフカの墓
チェコの首都プラハは、カフカが生まれ、住んだ、中欧の美しい古都です。この小説は、チェコが共産主義体制下に在った1983年のプラハを舞台に、日本の若いヴィオラ奏者とALS(筋萎縮性側策硬化症)に冒されたチェコ人作曲家の精神的交流を描く小説です。(西岡昌紀)
カフカの墓(1)
2006/04/20
カフカの墓
1
墓地は、落ち葉に埋もれていた。そして、深い静寂に包まれていた。一九八三
年十月最初の日曜日は、晴れていたが、もう晩秋の冷気が、大地を包み込んで居
た。その早朝の静寂と冷気の中で、二人は、プラハの丘の上に在るその墓地をま
だ誰も居ない内に訪れ、落ち葉を踏みながら、その墓の前へと歩いたのであった。
「さあ、ここよ。」とエヴァが言った。洋(ひろし)は、無言でうなずいた。
そして、エヴァが手に持った小さな石をその墓の前に置くと、洋もそれに続いて、
ポケットから小石を出し、墓の前に置いた。
「日本の石ね。」とエヴァは言った。
「そうだよ。」と言って、洋は、微笑んだ。そこには、既に、誰が置いたのか判ら
ない小石が数個置かれていたが、それらの小石の間に、エヴァは二つ、洋は三つ、
小石を置き、それから、二人は、その墓の前で目をつぶった。風は無く、墓地の
上の木々は、全く音を立てなかったが、時間は、確かに流れていた。
「静かな場所だね。」洋はゆっくりと目を開け、チェコ語でそう言った。
エヴァはうなずいた。
「まるで、森に居る様だ。」洋は、そうつぶやき、辺りを見まわした。彼が言う
通り、そこは、まるで森であった。そして、辺りには、二人の他に人影は見られ
なかった。
「ここでカフカが眠っているのよ。」エヴァはそうつぶやき、その墓を見つめた。
それが、カフカの墓である事が、洋には、何故か意外な気がした。その墓が、あ
まりにも、普通の墓だったからである。だが、しばらくその墓を見つめる内に、
洋は、エヴァに言った。
「彼は、普通の人だったんだね。」
エヴァは微笑み、「そうよ。」と言った。
二人は沈黙した。すると、墓地は、再び深い静寂に包まれた。そして、その静
寂の中で、墓地の道を埋める落ち葉の深さが、洋に、そこに在る秋の深さを改め
て感じさせた。さっき、落ち葉を踏みながらその道を歩いた時、洋は、自分の靴
が、その落ち葉を踏む音を聴いて、精霊のささやきを聴いた様な気がしたのであ
った。だが、その道は、今は、しんと静まり返って居る。あの精霊は何処に行っ
たのだろうか?・・・
朝だと言うのに、木が鬱蒼としているので、墓地は暗く、木漏れ日も、そこか
しこに数えるほどしか見つける事が出来なかった。しかし、その木漏れ日の一つ
は、まるで、天からの恵みの様に、彼らの前のカフカの墓の上にもこぼれて居る
のであった。その木漏れ日を見ながら、洋は、自分が、世界の何処に居るのかを
思い出した。
そこは、プラハのユダヤ人墓地の一つであった。まるで森の様な、その墓地の
片隅で、カフカは、眠っていた。そして、死者に花ではなく、小石を捧げると言
うユダヤ人の古いしきたりに従って、洋は、エヴァとともに、その墓に、花では
なく、小石を置いたのであった。
それから、二人は、何も言わずに自分たちが置いた小石を見つめ続けた。そし
て、ユダヤ人墓地の静寂に耳を澄まし続けた。その静寂は、そこで、永遠に続く
かの様であった。
が、突然、その静寂は破られた。墓地の奥で、誰かが落ち葉を踏んだのである。
二人は、その音がした方向を見た。見ると、誰も居ないと思われたユダヤ人墓地
の一角の、カフカの墓に向かった彼らの右手に在る別の墓の前に、一人の黒い喪
服に身を包んだ老婆が、一人立って居たのであった。その老婆の居る場所は、二
人の場所からは遠かったが、老婆が落ち葉を踏んだ音が、静寂の中で、二人の居
る場所まで聞こえて来たのであった。
「行きましょう。」とエヴァが言った。
「うん。」と洋も言い、二人は、ゆっくり、その場を後にした。二人の足元で、再
び、落ち葉が音を立てた。
その音を聞きながら、洋は、エヴァが二つ、自分が三つと、自分たちがカフカ
の墓の上に置いた小石の数を、心の中で数え直していた。
(続く)
2002年8月6日(火)
西岡昌紀(にしおかまさのり)
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創刊日:2002-07-17
最終発行日:
発行周期:不定期
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