文学

日々雑感

内科医のエッセイです。思いつくままに、医療、医学、科学、社会、政治、芸術、自然、文化、食べ物、本、昔の思い出、などについて語ります。

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日々雑感(52)

2007/05/10


(続きです)




                  5月8日に思ふ




                     15




     ドイツとポーランドの間には、こう言ふ問題が存在して居たのです。
    ポーランド領内では、少数派と成ったドイツ人への暴力事件が頻発し、
    国境問題は、単なる地図の上の線引きではなく、そうした、不安定な
    ポーランド領内で「少数派」と成ってしまったドイツ人の生命に関わる
    問題にまで発展して居ました。だからこそ、ドイツは、ポーランドに、
    それらのドイツ系住民の居住する地域の返還を求めたのですが、当時の
    ポーランドは強硬で、交渉は、全く進展を見せませんでした。
     今日、多くの人々は、こうした経緯を知らずに、ヒトラーが、単なる
    領土的野心からポーランドに領土の割譲を求めたかの様な錯覚を抱いて
    居ます。しかし、真実を言へば、強硬だったのはポーランドであり、ド
    イツは、多くのドイツ人が、ポーランド領内で迫害で受けて居たにも関
    わらず、この国境問題を平和的に解決しようとして居たのです。
     それにも関はらず、ポーランドは強硬で、1939年の8月に成ると、
    ポーランド軍の首脳が、イギリスの新聞で、「ポーランドはドイツとの
    戦争を欲しており、ドイツはそれ(戦争)を避けようと思っても避ける
    事は出来無い」と、明言したりして居たのです。まるで、北朝鮮のラジ
    オ番組ですが、こんな事を、開戦直前、ポーランド軍の首脳(参謀総長)
    が、新聞紙上で言い切って居たのです。皆さんは、これでも、ドイツが、
    一方的に「侵略者」であったとお考えに成るでしょうか?

     当時のポーランド政府が、ドイツに対してこれほど強硬だった背景に
    は、当時のイギリス外務省やアメリカ政府が、ポーランド政府を陰で扇
    動して居た事が、当時の外交文書から、読み取れます。そこには、当時
    のアメリカとイギリス(の一部)の戦略が見え隠れして居ますが、その
    事には深入りしません。しかし、とにかく、ドイツは、いきなり、ポー
    ランドに侵攻したのではなく、こうした外交的状況の行き詰まりが有っ
    て、1939年9月1日の開戦に突入してしまったのです。

     これは、悲劇です。しかし、この開戦の責任をドイツにのみ負わせる
    戦後の歴史家やジャーナリスト達は、果たして、歴史の公平な裁判官だ
    と言へるでしょうか?

                                (続く)





    2005年5月8日(日)










                      西岡昌紀(にしおかまさのり)

                     http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=kafka

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創刊日:2003-04-05  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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