文学

日々雑感

内科医のエッセイです。思いつくままに、医療、医学、科学、社会、政治、芸術、自然、文化、食べ物、本、昔の思い出、などについて語ります。

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日々雑感(42)

2007/05/08


(続きです)




                  5月8日に思ふ




                     5




     このチェコ人によるドイツ人大虐殺は、日本では、戦後、殆ど語られる
    事が有りませんでした。ドイツ人と言へば、「加害者」としてしか語られ
    ない傾向が永く続いて来たからです。しかし、1990年代に成ってから、
    日本のマスコミでも、この事が、少しずつですが、語られる様に成りまし
    た。以下に引用するのは、ニューズウィーク日本版が、1995年5月、
    第二次世界大戦終結50周年の記事として掲載した記事の一節ですが、皆
    さんは、これをどう読まれるでしょうか?



          一九四五年七月三一日、ズデーテン地方のアウシヒ
         (現在のチェコのウースチー・ナド・ラベム)にドイ
         ツ軍が残した弾薬庫で、爆発が起こった。チェコの民
         兵と市民たちは、ナチスの残党による破壊工作だと主
         張し、町のドイツ人に怒りの矛先を向けた。
          エルベ川の橋では乳母車に子供を乗せた母親が殴り
         殺され、親子ともども川に放り込まれた。チェコ人は
         ドイツ人に見境なく発砲した。この町だけで死者は
         三○○○人近くに及んだとの推計もある。
          一方チェコの歴史家たちは、犠牲者は三○○〜七○
         ○人と主張している。だが、虐殺を目撃したある官僚
         はこう語る。「この事件は、いずれきちんと議論する
         必要がある。われわれが事実を語らなければ、ドイツ
         のように国民全体が罪を負わされてしまう」
          欧州戦の終結五○周年を契機に、少しずつだがそう
         した議論が広がりはじめている。戦争末期のポーラン
         ド西部やチェコスロヴァキアなどで迫害された数百万
         人のドイツ人の苦しみにも目を向けよう、という機運
         が出てきたのだ。
          実際、当時の東欧におけるドイツ人追放は驚くべき
         規模に及んだ。今なら「民族浄化」と呼ばれるだろう。


        (アンドルー・ナゴースキー「終戦後の『民族大虐殺』」
         ニュースウィーク日本版・1995年5月17日号
         42〜43ページ)




     この記事の筆者は、公平です。


                                (続く)





    平成16年7月25日(日)











                      西岡昌紀(にしおかまさのり)

           http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=bruckner2001

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創刊日:2003-04-05  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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