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ここから日本史!!

歴史って難しく捉えられがちなもの。その苦手意識、勢い良く吹き飛ばしてみませんか?

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ここから日本史!!

2006/01/07

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☆。.:*:・人に感謝され、収入をいただいています・.:*:。☆

ごくごくフウーの主婦でした。
目からウロコが1000枚落ちるビッグチャンスを聞いて!!
主婦が自立し週末社長です ・・・ http://dream.or.tv/mie/

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▲ 主婦が独立!? カッコイイかもーー!!


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          ここから日本史!!

               No.24    1月 7日

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   ▽ まえがき ▽


 明けましておめでとうございます!! 2006年、初発行です!

 さてさて。今回は応仁・文明の乱についてです♪

 この乱。実は、あっちこっちの家の跡継ぎ問題だったり、そうい
うものが絡み合って勃発した乱なんだよね〜。

 確か。昔の大河ドラマであの家の息子は、某狂言師の彼が演じて
たんですよね〜。あれ? 違いましたっけ? そう。『に○んごであ

そぼ』に出てる、あの方♪♪


 それでは早速!!


 権力に群がる有象無象。笑 ………と見えてしまうような人々の
お話が、今回の内容!! 昔、大河ドラマでも『花の御所』ってタ
イトルでやってましたね〜。アレはいつの事でしたっけ???

 さて。では、その様子を少しばかり覗いてみましょうか♪


 ☆〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓☆

    Ф  随分長くケンカをしていたのね〜  Ф


■今回の登場人物
・政パパ(足利義政 8代将軍)
 → 俺が悪いんじゃないんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!
   許せ! 弟よ!!
   ハニー富子と、弟・みっちゃんの間に挟まれて、散々な思い
   をしたヘナチョコ将軍。

・ハニー富子(日野富子)
 → 政パパのハニー。
   豪腕ハニーのお陰で、政パパは散々な目に遭うのよね〜。
   かの政ちゃん(北条政子)も斯くや!?

・みっちゃん(足利義視)
 → にーちゃん!!! 俺が何をしたって言うんだぁぁぁ!!!
   甥っ子ひさくんに、次期将軍の座を奪われた、世にも不遇の
   にーちゃん。

・畠っち(畠山氏)
 → 一族内の家督争いに大忙し!!

・斯波っち(斯波氏)
 → 畠っち同様、一族内の家督争いに大忙し!!

・勝っちゃん(細川勝元)
 → 他の家の家督争いにちゃっかり便乗♪♪
   もっちーと対立して大喧嘩!! 東軍のボスはこのヒト!!

・もっちー(山名持豊)
 → 勝っちゃん同様、他の家の家督争いにちゃっかり便乗♪♪
   勝っちゃんと対立して大喧嘩!! 西軍のボスはこのヒト!!


 今回のそれぞれの対立から、大喧嘩に発展して。更には戦国時代
の扉が開いちゃうのよね〜。この時から約100年後。かのうつけ
殿、織田信長が登場してくるのよね〜♪♪

 


 さてさて。早速、はじまりはじまり〜〜〜♪♪

          ё     ё

 今回の大問題!! は、コレ! ということで、早速この人たち
のケンカから見て行きましょうか♪♪

 問題の発端は、政パパが跡継ぎを弟のみっちゃんに決めたその翌
年にあるんだ。

 なんといってもその年っていうのは、ハニー富子が政パパのかわ
いい息子・久くんを生んだ年なんだよね。政パパに実の息子が出来
た、と言う事は、ハニー富子が黙って次の将軍をみっちゃんに譲る
わけがない。

 そのあたりの事は、去年末まで放送されていた『大奥』を見てい
た方々には想像がつくかな? ようは、あんな感じだったんだ。

 見ていなかった方々の為に。ほんのちょっと説明すると………。

 当時の政治の状況からすると、我が子が息子になる、と言う事は、
そのママは場合によっては政治にも口が挟めるって言う立場になる
わけね。それが出来ないとしても。当然、ママの実家も政治に対し
ての発言権が強くなるわけね。

 この時の該当する場所っていうのが、将軍のいる花の御所だった
わけ。

          ё     ё

 と、まあ。そんな背景があって、ひさくん&ハニー富子VSみっ
ちゃんという次期将軍の座を巡る争いの構図が出来上がったんだ。

 この構図ってば、結果的にハニー富子の発言が、政治的な力を持
つようになる条件付けになったんだよね。

 なんたって、「アタシが次の将軍のママよ!!! 文句ある!?」
な態度だからね〜。まあ、気が強いのは認めるけど? そんなんで
良いんかい!?

 みたいな感じよね〜。

          ё     ё

  ここまではOK? じゃ、先に行くよ♪

          ё     ё

 次は、畠っちと斯波っち、それぞれのお家騒動について〜♪

 お家騒動、といえば、跡継ぎ争い!! 跡継ぎ争い、といえば、
血で血を洗うような、ドロっっドロな争いよね!!!笑(なんか喜
んでない? いえいえ。そんな事はありませんって。笑)

 さて。今回もその例に違わず。畠っちも斯波っちも。それぞれ、
跡継ぎ争いの事で大揉めに揉めていたんだ。

 この揉め具合については、将軍家の次期将軍の座争いも真っ青!?
ってくらい激しかっただろうね。

 最後は、大きな戦に繋がって行っちゃうんだから。本当、困った
さんだわ。

          ё     ё

 更に更に。ここに絡んできたのは、勝っちゃんと、もっちーの2
人。

 彼らってば、他人の家のお家騒動に、ちゃっかり首を突っ込んじゃ
うんだもんね〜。困ったさんここに極まれりって??

 どーしょもないことしないの!!!

 って、誰か小突いてやるような事はしなかったのかしらね〜???

 さてさて。そんな事を今更行っても、過ぎ去った過去の事。

 それがどんな結果を生んだかと言えば………。

          ё     ё

  ここまではOK? じゃ、先に行くよ♪

          ё     ё

 結果的に、将軍家の次期将軍争い+畠っち・斯波っちそれぞれの
お家騒動+それに口を出す勝っちゃん&もっちーそれぞれの思惑が
混戦して、天下を二分する大乱を引き起こしちゃったんだよね。

 それも、京都の都の真っ只中で!!!

 お陰で、京都は荒廃するし。お坊ちゃんたちは、地方に逃げ散っ
ちゃうし。将軍の持ってる力は、失墜。最悪の状態よね〜。

 更に駄目押しとして、それまでは有り得ない〜〜、と言われてい
た考え方、『下剋上』っていう風潮を生み出しちゃったのよね〜。

 下剋上は知ってるよね? 読んで字のごとく、下っ端がボスを狙っ

て倒しちゃうって事だからね〜。

 くわばら、くわばら。笑

          ё     ё

 そのケンカの結果、どうなったかと言うと。

 政パパの次に将軍になったのは、ひさくん。みっちゃんはどうし
たのかというと。将来的にも将軍職に就任する事はできなくなっちゃ
ったんだ。ひさくんが生まれるのがもっと遅かったら、将軍になっ
ていたかも知れないのにね〜。

 さて。それから、勝っちゃんは東軍の陣中で。もっちーは西軍の
陣中で。それぞれ、病死しちゃったんだよね〜。

 なんとも結果はお粗末サマ。

 ともあれ、ここから、日本中が荒れまくる戦国時代に突入してい
くんだよね〜♪♪♪


 それではっ。今回はここまで〜〜♪♪

 でわっ☆


■今回のキーワード

・足利義政(あしかがよしまさ)1436〜1490
          8大将軍:1449〜1473
初政は管領畠山持国の補佐で政務に励んだが、のち夫人日野富子ら
の政治介入を許した。弟義視と実施義尚の将軍継嗣問題を解決でき
ず、応仁・文明の乱を引き起こし、将軍職を義尚に譲り、東山山荘
に隠居、東山殿(ひがしやまどの)とよばれた。山荘では多くの文
化人を同胞衆とし、濃や茶の湯にふける。銀閣寺を建立。

・日野富子(ひのとみこ)1440〜149
足利義政夫人。義政が継嗣を弟義視と定めた直後に義尚を出産、応
仁・文明の乱の直接原因を作った。義政が政務を怠る好きに政治に
介入し、京都七口における関銭徴収や守護大名への高利貸などを行
い蓄財につとめた。

・足利義視(あしかがよしみ)1439〜1491
義政の弟。出家後義政に懇望されて還俗し継嗣となるが、翌1464
年義尚出生。応仁・文明の乱の開始時には東軍側にあったが、
1468年山名持豊と結び、西軍に属した。1469年義政が義尚
を継嗣としたため将軍主任は不可能となった。

・足利義尚(あしかがよしひさ)1465〜1489
          9台将軍:1473〜1489
義政の子。母日野富子が義尚を将軍職にしようと画策し、応仁・文
明の乱を誘発。1468年、義政は義視と対立、翌年、義尚を家督
相続者とした。1489年近江の六角高頼(ろっかくたかより)討
伐途中に没した。

・細川勝元(ほそかわかつもと)1430〜1473
応仁・文明の乱の東軍総帥。1445年以来3度管領に就任。将軍
家や畠山・斯波氏の継嗣問題で山名持豊と対立、将軍義政を奉じて、
西軍と戦ったが、病死。禅に深く帰依し、竜安寺を建立。

・山名持豊(やまなもちとよ)1404〜1473
応仁・文明の乱の西軍の総帥。法名宗全(そうぜん)。明徳の乱で
衰えた山名の家運を、嘉吉の乱で回復。8カ国の守護となる。応仁・
文明の乱では日野富子と結び、足利義尚の後援者となったが、のち
に義視を擁立。乱中の1473年に陣中で病死。古い権威を重んじ
ない実力派の人物。

・嘉吉の乱(かきつのらん)
1441年、6代将軍義教(よしのり)を播磨守護赤松満祐(あか
まつみつすけ)が暗殺し満祐が幕府軍によって滅亡した乱。直接の
原因は、義教が満祐の弟の所領を召し上げ、寵愛する赤松貞村に与
えたことにあり、所領召し上げの危機を感じた満祐は、結城合戦平
定祝賀と称し、義教を自邸に招いて暗殺。満祐は播磨に帰ったが、
山名持豊以下の幕府軍に攻められ敗死。

・応仁・文明の乱
1467〜1477(応仁1〜文明9)、将軍家継嗣争い(足利義
政の弟義視と実子義尚)、管領家畠山・斯波両氏の家督争いに細川
勝元・山名持豊の権力争いが複雑に絡み、1467年畠山・山名両
軍の衝突から天下を二分した大乱。京都は荒廃、公家の多くは地方
へ下り、将軍権威はまったく失墜し、下剋上の風潮が高まり戦国時
代がはじまった。

・下剋上
下の者が上の者をしのぐの意。『二条河原落書』にすでに「下剋上
する成出者」との記載があり、南北朝〜室町・戦国期の社会風潮。
武家の成長と公家の没落という古代的秩序の崩壊を背景に、作人・
下人の自立、名主・荘官・地頭の地侍・国人化といった社会構造の
変化が下剋上を生み出した。戦国大名のみならず土一揆・国一揆も
下剋上現象。


参考図書:必携日本史用語 日本史B対応(実教出版)


 では、今回はここまで〜☆


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   ▽ あとがき ▽

 今回で戦国時代突入〜〜〜!!! と言うところまで進みました♪

 さて。次回は少しだけ視点を変えて、最下層と言われていた農民た

ちの生活の変化を覗いてみましょうか♪


 では次号をお楽しみに!!!


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   ▽ 奥付 ▽

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