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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1302

2020/01/15

賢者の道〜Vol.1302「ザアカイの望み」2020-1-15
聖書:ルカ福音書19章1〜10節

◎「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」
(ルカ福音書18:25)とイエスは言われました。私たちキリスト者は、
らくだのようなものです。

すると、ペテロが、「それでは、誰が救われるのですか?」と抗議すると
イエスは、「人間にはできないことも神にはできる」と答えられました。
ここでの問題点は、私たちにできないことをいかになすか、です。

◎ルカ福音書19章にザアカイの物語が見られます。彼は、ユダヤ人で、ローマ
政府に協力し、ユダヤ人から税を取り立てており、その上、強欲で、ゆすり
取っており、評判の悪い人でした。

しかし、主イエスは、彼のそばを通り過ぎ、イエスのもとに引き寄せられた
のです。背が低かったため、群衆に遮られて、イエスは、見ることができな
かったので、いちじく桑の木に登りました。

イエスは、その場所に来ると彼の強奪や貪欲をとがめず、全ての物を売り
払って貧しい人に与えてから来なさいとも要求せず、簡単な言葉を一言二言
語られました。

「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日、ぜひ、あなたの家に泊まりたい」。
ここには、「悔い改めよ」とか「新しく生きよ」と一切語らず、ただ人間的
な触れ合いがなされただけです。

そのとき、周囲の人々はつぶやき始めました。彼らは、ナザレのイエスが、
他のどの家にも行かずに、ザアカイのような評判の悪い人の家に行くのは
不当であると考えたからです。彼らはみんな不愉快になりました。

ここでの強調点は、ただ、「今日、あなたの家に泊まりたい」と言われた
ことです。この一言で、ザアカイの心の中に大きな変化が起きました。
そればかりか、金銭の愛から離れるような行いの変化が起きたのです。まだ
ザアカイの家に行っていませんでしたが、行くことを示唆されただけで十分
でした。

主イエスが私たちの心の来られるとき、解決できないでいた困難な問題が
解決できるようになるのです。主を求める心とその人を選ばれた主が出会う
と難しい教理や聖書を知らなくても変化が起きるのです。ただ簡単に、
「今日、あなたの家に泊まりたい」と言われたことが、ザアカイを破産
させてしまいました。

そして彼は立ち上がって、「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だまし取っていたら、それを4倍にして返します」と言いました。

ザアカイは、金持ちで年老いており、お金を愛していましたが、「神には
不可能なことでもできる」ことを行いによって証明しました。これは、
らくだが針の穴をらくらくと潜り抜ける姿を見せています。

誰が財産の大半を放棄して主に従うでしょうか。しかし、ザアカイは、
神によってなさしめられたのです。それは、狂気のさたかもしれませんが、
主と出会う者には、それがなされることがあるのです。

◎ザアカイは、いかにしてこれをしたのかを詳しく見ましょう。
祈ったり、黙想をしたりしたわけでもありません。

自分自身で何かをしたという記録はありません。何らかの強制力が働いて
強いられてしたようでもありません。決意し、もがいて、そうしたのでも
ありません。そうだとしたら、どうして彼は、これまで評判を落として
までして何十年もかかって財産を蓄えたのに、それを破産させるような
暴挙にでたのでしょうか?

なぜなら、救いが彼の家に来たからです。今まで彼は自分を救えません
でした。しかし、今や主が彼を救われたのです。救いが来ると、主の力も
また、そこにやって来ます。

ザアカイの家のことが記述されている2ヶ所があります。
「今日、あなたの家に泊まりたい」(5節)、そして、「今日、救いがこの家
を訪れた」(9節)。救いである主が私たちの家に来て下さることは、救いが
私たちに来ることです。主が来られる時、救いが来るのです。そして
力もまたやって来ます。

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(10節)。
「人の子」とは、主イエスを指しますが、主は、金銭の中に失われた人を
訪ね出すために来られました。

多くの人は、金銭の恐るべき力に屈服しています。主以外にこれに打ち勝つ
方はおられないのです。

◎金銭の嵐に立ち向かっても敗北するのが精々です。
しかし、主に従う人は、この嵐の力に打ち勝つ人々でした。財産ばかりか
命までも捧げきる人々が続出しました。生涯を主に捧げ尽くす「献身」
する人々も多くいます。

使徒言語録2章と4章で、教会の初期に、全ての所有物が共有されていた
のを見ます。即ち、信徒の誰一人として自分が持っていた物のどれかに
ついて自分自身の物だと主張した者は、いませんでした。

言い換えれば、主の御手は、救われた者全ての上にありました。一度、
永遠の命を受けるや、彼らの持ち物は彼らの手から離れて行ったのです。
そして、ごく自然な方法で自分の家や財産を手放したのです。

この原則を主に従う私たちにあてはめる時、私たちの多くの所有物も主に
よって触れられることが、ごく自然なことだと言うことです。また、
私たちの態度、性格、一切が主の御手によって触れられ、自分自身のもの
でなくなるまで変えていただくことです。

◎物を買うときは、いつでも自分のものを買うだけでなく、他の人々の
ことも考えるべきです。食事をするときも、飢えて食べることができない
人がこの地球にいることを覚えながら食べるのです。

これは、なにも高価な食事をしてはいけないとか、物を買ってはいけない
ということでは、ありません。贅沢をしないことではなく、執着から離れ
ることです。

また、それは全ての物を共有するという味わいをいつも持たねばならない
ことを示唆しています。この世に根を張り、物に執着して惨めな生涯を
送っていたのが、ザアカイでした。私たちは、解放されて他の人と喜んで
分かち合う者となりたいものです。

それには、信仰に生きることです。神には不可能がないことを知ることです。

イエスは、綱を打っていたペテロに「私について来なさい」(マタイ福音
書4:19)と言われただけです。全てを売ってくるようにと言われません
でした。にもかかわらず、彼らは全てを棄てて、その召しに応じたのです。
これが何世紀にわたって教会が実行してきたことです。

私たちも、主に従っていく生活を学んでいきましょう。

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